戦争は終わった。けれど私たちは続いていく。
退役艦娘であり戦争の英雄であった戦艦娘長門は、年金も支給後早々に使い果たし、寂しい財布を抱えていた。金がない。切実に金がない。そして働く気はない。しかし金があるところは知っている。かつての戦友たちに金をせびって回る大迷惑戦艦娘の一幕。

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艦娘無職小説合同誌「横須賀ハローワーク」で掲載できなかった原稿を補遺する電子書籍「横須賀ハローワーク補遺版Ⅰ」に寄稿した一編です。
多分掲載された版のやつではないかなーと思います。
お買い求めはBoothにてどうぞ。


戦艦長門は働かない

 IDカードを翳した自動販売機のリーダーから、無情なビープ音。そして続いて「お金が足りないよー」という頭の足りなそうな録音音声が拒絶を示した。

 選択したペットボトル飲料の値段を確認してみる。観光地料金でもない、一般的な自動販売機の飲料単価としては、まあ、こんなものだろう。

 

「ははっ」

 

 乾いた笑いが勝手に漏れ出て、次いで溜息が落ちた。私の口座の残金は甘ったるい炭酸飲料一本分もないようだった。

 

 さらに言えば、退役艦娘年金の支給日は偶数月の十五日。そして今日はその支給日からたったの五日後だった。その五日の間に私の全財産は合成甘味料と合成香料と水で出来たジュース一本分にも足りない程に減ってしまった。いやまあ、使ったのは私だが。

 

 ディフォルメされた島風モデルがポーズをとる愛らしいデザインのプリントされたカードを見つめてみたが、ディフォルメ島風は眠たげな半眼を返してくるばかりで、サービス精神旺盛な服装の割に欠片ほどもサービスしてくれなかった。

 

 くそっ、なんて時代だ。

 

 それまでの味気も素っ気もない登録番号だけが印字されたカードから、ポップで愛らしいデザインのカードへと移行するからと言って、島風モデルになんかするんじゃなかった。大体私が欲しかったのは本来、あの愛らしく健気な雷ちゃんモデルのカードであり、私を叱ってくれたり励ましてくれたりする腰骨の辺りに響くあの甘いボイスだったのだ。確かに島風モデルのあられもない恰好に目がくらみ、未成熟な太腿とオ―バーニーソックスが作り上げる魅惑の海域に気付いたらこの絵柄を選択していたのは私だ。

 

 しかし私が本来望んでいたのはこんなものではなかったはずなのだ。お金を使い過ぎたら叱ってくれ、残金が減ってくると心配してくれる、そんな公私ともに私を支えてくれる雷ちゃんの存在こそが必要だったはずなのだ。その辺りのサポートが私という艦娘に必要な事を海軍の方で判断して考え直すよう説得するべきだったのだ。

 

 そのせいで私は散財してしまったのだ。何か買う度に「おうっ、おうっ」と私の下腹部に響くような甘ったるい声を漏らし、あろうことか「もっともっと買ってもいいよ」などと私を煽るものだから気付けば私は五日で二か月分の支給金を放出してしまったのだ。なんという悪辣な搾取か。

 

 その癖カードを変更してくれと申請すると、手数料がかかる上に変更まで二日ほどカードを預かる等とぬかす。この私に二日も駆逐艦ボイスによる癒しを絶てというのか。あまりに酷だ。ならせめて瑞鳳モデルの舌足らずなたべりゅボイスのカードにしてくれと言うと、まだ実装していないという。酷過ぎる。

 

 だから悪いのは私ではない。深海棲艦との戦争が終わったからと言ってこんな残酷な荒野に私を放り出した海軍が悪いのだ。特典の追加ボイス目当てで島風グッズ等を買い漁った私は、あくまでもこの悪逆極まりない海軍の罠にかかった憐れな被害者なのだ。

 

 まあいい。何時までも自販機相手にメンチ切っていた所で近所の子供に怖がられるだけで、うん、まあそれも悪くないが、悪くはないが社会的に最悪なので、現状の解決を図らなくてはならない。

 

 元国際連合海軍太平洋直掩部隊直属第七世代型大陸間航行決戦兵器ビッグセブンが一隻、長門型戦艦一番艦長門である私は、金欠などに負けはしない。

 

 長門ちゃん知ってる。金はある所にはあるのだ。

 

「お帰りなさいませご主人様っ」

「すまん陸奥、金を貸してくれ」

「お帰り下さいませご主人様ッ」

「すまん、すまんな」

「帰って、帰ってよぉ!」

 

 妹の陸奥が退役後に働いているというメイド喫茶を訪うと、久々の再会に陸奥も大はしゃぎで喜んでくれた。お前の素直な対応にお姉ちゃん泣きそうだぞ。

 

「帰ってよぉ……」

 

 半べその陸奥を何とか宥めて隅の方に席を取る。幸い、まだ朝も早いという事で客の姿は殆どない。何事かと顔を出した店長に家族だからと許可を取って陸奥を借り受ける。店長も店長で、涅槃寂静を垣間見たかのような悟りきった陸奥の顔に黙って席を用意してくれた。いい店長だ。

 

 陸奥はテーブルに突っ伏するや、ついに知られた、もう生きていけない、いっそ殺すしか、などと言う愛らしい泣き言を漏らしているが、うむうむ、まあ事情は分かっている。

 

 陸奥がこのメイド喫茶でアルバイトを始めたのは退役後すぐの事だったという。姉である私にも隠して、昔からの憧れだったというふりふりとした華やかな衣装に身を包み、その持前の美貌と愛嬌からすぐに客も付き、人気も伸びていったという。

 

 だが何しろ、かつては深海棲艦相手に真っ向から向かい、多くの戦果を挙げ、私と同じく防弾チョッキが作れるくらいには勲章も得た程の、部下からの信頼も厚い艦娘だ。その硝煙の匂いにまみれた艦娘が愛らしい衣装に身を包んでいるというのは、客はともかく戦友たちにはとてもではないが見せられない、見せたくないものなのだという。あの陸奥が、と言われるのを思うと死んでしまいたくなる程に恥ずかしいのだという。

 

 我が妹ながら奥ゆかしく愛らしい心根だ。秘して恥じらう乙女、なんとも可憐。

 

 まあその正体を私に教えたのはお前の信頼する提督だった訳だし、ついでに言うとその提督は変装してちょくちょくお忍びで来ている所かイベントの時には権力と金に物を言わせて最前列でお楽しみらしいが、まあいい。

 

 羞恥の余り実の姉を殺す算段を終え、すでに死体の処理について計画を立て始めた妹の肩を叩き、心配するなと笑いかけてやる。

 

 陸奥よ、陸奥。私の可愛い妹よ。お前は自分の格好に恥じらいを覚えているかもしれないが、私は立派なものだと思うよ。姉の贔屓かも知れないが、お前は愛嬌もあるし、何処に嫁に出したって文句の付かない、いやいやむしろ相手方に幾らでも注文の付けられる器量だと思っている。お前は戦争で頑張って、一端の兵士になり、隙も弱みも見せられぬと強張っているかもしれないが、私にとってお前は何時だって可愛い妹さ。そのメイド服というのも、私はあまり明るくないからうまくは言えないけれど、華やかで、可憐で、とても美しくお前を飾っていると思うよ。

 

「長門……ごめんなさいね、私、帰れなんて酷いこと言っちゃって……」

 

 気にするな陸奥よ。ただまあ、お前のタッパでその恰好はメイドというよりイメクラだな。イメクラ。文字通り他の娘より頭一つ二つ抜けているんじゃ

 

「さーて、止めを刺すわよッ」

 

 陸奥の拳がテーブルを真っ二つに叩き割るという大惨事を生み出した辺りで私は躊躇なく店を逃げ出した。一度火が付いた陸奥の相手はやってられんからな。全く、あれももう少し大人にならねば、まだまだ嫁の行き先がないな。

 

 さーて、どうしたものか。妹の陸奥ならば喜んで金を貸してくれるのではないかと行ってみたが、あの調子では暫くは無理そうだ。昔からあいつは怒りっぽいからな。

 

 しかし諦めるわけにもいかない。現在の所持金ではコンビニのレジ前に並んだ小さなチョコレート菓子を買うだけで大破確実。誰か金を貸してくれそうな知り合いはいただろうか。戦艦仲間は基本的に年金も多いが、問題児が多いからな。

 

 金剛型の四姉妹は、あれで色々金を使う方だ。毎度の年金を一部貯金しているほかは嗜好品や調度などに使ってしまう。私と同類ではないかと思ったが、霧島に実に冷たい目で見られてしまった。彼女らによれば、将来何かあった時の為に貯蓄する以外は、戦後の経済を回す為にも積極的に金を使い、寄付もしているとか。何だこいつらセレブかよ。

 

 伊勢に日向はあいつら私と同じで宵越しの金は持たないタイプかと思ったが、普通に海難救助隊に再就職していた。動いてないと死ぬのかあいつら。

 

 扶桑型姉妹は、まあ、なんだ、強く生きてくれ。

 

 大和はいまも運営本部でバリバリと働いていると聞くがあれは理由もなく人に金を貸してくれる奴じゃあない。武蔵は武蔵で武者修行とか言って今はチベットあたりだと聞いたが詳細はよくわからない。最後に送られてきた手紙に同封されていた写真には三つ目の少女とか糸目の少年とか写っていたが。

 

 海外連中となると今度は逆の意味で不安になる。イタリア艦のローマなど眼鏡をかけていて真面目そうだし、イタリアの方も包容力があって小さな子供のいるお母さんと言ってもいい感じなのだが、なにしろこいつら食費に殆どの支給金突っ込んでいて、飯はうまいが金はないということになっているからな。ん。待てよ。飯は美味いし面倒見もいいから、本当に困ったら飯食いに行こう。イタ飯はあんまり食い慣れないが、美味いは美味い。それに同じ戦艦とあって量が多いのもいい。

 

 アイオワ? あいつはダメだ。あいつの飯は何食ってもケチャップの味がする。英国艦も却下だ。金剛はまだ日本食食うが、ウォースパイトはマーマイトとか喜んで食うんだぞ? あいつの部屋のキッチン、フライパンも包丁もないくせにマーマイトの瓶だけ積んでるからな。あれはダメだ。イギリスの朝飯のボリュームは大好きだが。

 

 フムン。参ったな。まさか戦艦連中がここまで頼りにならんとは。私はただ返さなくていい金を借りたいだけなんだが。

 

 となると、戦艦以外で面倒見の良い奴……あ、いたな。確か近くにいたはずだ。

 

 記憶を頼りに向かった埠頭には、安っぽい折りたたみ椅子に腰を下ろして釣り糸を垂らす姿。足元には缶コーヒーと、読みかけの雑誌。あきつ丸レポートとかいう見出し。まだ連載していたのか。テンポが悪い上に、休載が続いていたが。まあいい。

 

「おーい、天龍」

「失せろ」

「おいおい、私だよ、長門だ」

「だから言ってるんだよ」

「はっはっは、相変わらずシャイな奴だな」

「どうしてこう武勲艦どもは日本語が通じるのに話が通じねえんだ」

 

 煙草代わりに棒付きの飴を咥えたこの軽巡洋艦こそ、かつて同じ鎮守府で肩を並べた戦友であるところの天龍だった。駆逐艦達を率いて数多くの遠征をこなして鎮守府の台所事情を支えた縁の下の力持ちであり、カラッとして面倒見の良い性格から、駆逐艦だけでなく多くの者に慕われている実にいい奴だ。

 

 なので私の面倒も見てくれ。

 

「頭に蛆でも湧いたか」

「違う、誤解だ。私はただ返す当てはないが金を貸してほしいだけだ」

「お前俺より年金支給額多いだろうが」

「島風で飛んだ。そんなことより金をくれ」

「厚顔無恥って言葉知ってるかお前」

「とんと馴染のない熟語だな」

「お前の事だよ」

「面白い冗談だ」

 

 などと小粋なトークを交わすくらい仲がいいからな、私たちは。

 

「頼む、ホント頼むから俺の知らないどこか遠くで沈んでくれ」

 

 げんなりとした表情で重たい溜息を吐く天龍。おいおいなんだ、体調不良か。鎮守府時代からずっとやってるくせに一向にうまくならない釣りなんかして体を冷やしでもしたんじゃないのか。そういう時は軽くマラソンしてプロテイン飲むと治るぞ。

 

「筋肉で考える蛮族はお帰り下さい」

「考える筋肉か。なかなか格好いいじゃないか」

「くっそこのゴリラどんだけポジティブなんだ」

 

 こうして小気味よいガールズトークに浸るのもいいが、だけども問題はこの金欠。金がない。私はただ気持ちよく金が借りたいだけなのだ。返さなくていい金を。

 

「駄目だこいつ世界で一番ゴリラ様だよ」

「どうでもいいから金をくれ。お前、学校始めてそこそこ儲けてるんだろう」

「お前にだけは知られたくなかったぜその情報……」

「提督が酒の席で快く教えてくれたぞ」

「よーし、奴は後で殺す」

「退役した艦娘や、孤児の子たちを集めて孤児院みたいなこともして、国から助成金が出ていると聞いているぞ。なに、無茶は言わん。金を貸してくれんなら私もそこで暮らさせてくれるだけでいい。いや、むしろそっちの方がいいな。カード使わなくても駆逐艦の生ボイス聞き放題じゃないか」

「お前みたいなロリコン近寄らせるわけねえだろうが」

 

 殺気混じりの目で睨んでくる天龍に、しかし私は怒らない。昔からこういう誤解は付きまとってきた。その度にいちいち怒っていては切りがない。私は恥ずべき人生など送ってきていない。きちんと話せば誤解も解ける。そういう寛容さがあってはじめて一人前の大人だ。

 

 いいか、天龍。確かに私は子供が好きだ。大好きだ。大々好きだ。愛していると言ってもいい。だがそれがおかしなことか。誰だって子供を見て憎しみや怒りを覚えたりはしないだろう。微笑ましく思い、愛らしく思うだろう。それは人も艦娘も同じ、自然な感情だ。むしろ、子供であった頃を持たない、作られた身である艦娘だからこそ、一層その情が深いのかもしれん。

 

 子供には未来がある。希望がある。夢がある。可能性だ。あの小さく愛らしい生き物が、これからどのような人生を歩むのか。どう羽ばたいていくのか。警官になる。サッカー選手になる。ケーキ屋さんになる。花屋さんになる。そして誰かと結婚し、子供を産み、やがては年老いて、孫に見守られながら死んでいくだろう。そしてその孫もまた誰かと結婚し、子を育んでいく。この可能性の輝きを愛さずにいられる艦娘がいるだろうか。私達は母から生まれ落ちた訳でもなく、子を生せるわけでもない。だからこそ一層に、この生命の輝きに尊さを感じずにはいられん。

 

 お前はこの胸の底より湧き出でる衝動を、変態性癖と切って捨てられるのか天龍よ。

 

「フーム。いや、いや、あんたにそんな大層な考えがあったとはとんと知らなかった。いや、知らなかったとはいえ一方的に性犯罪者扱いは悪かった。すまん」

 

 いや、わかってくれればいいんだ。

 私は子供が大好きだ。愛らしく思う。それは本当だ。

 

 しかし無限の可能性に溢れた子らに、穢れた性欲で触れようなどと思いもしない。お前が子供らを正しき道に進めるよう教え育てているのとまったく同じような心持なのだ。

 

「俺もガキ共を心配する余り、目が曇っていたようだな」

 

 気にするな。人も艦娘も、誰しも間違うものだ。

 だが勘違いしないでくれ。私はロリコンではないんだ。

 

「ああ」

 

 私のストライクゾーンはもっと下だ。

 

「ああ?」

 

 具体的には乳児がストライクゾーン直撃だな。物心つく所かまともに世界を認識できているかどうかすら危うい、何でも握ったり口に入れたりしようとする赤子は全く最高だぜ。

 

「おいこのクソゴリラ、可能性云々は何処行った」

 

 うむ。未来に羽ばたかんとする子供たちは尊いものだ。

 そしてまだ羽ばたき方すらわからん無垢そのものと言える乳幼児に生産性の欠片もない自分勝手な性欲をぶつけるのは最高に背徳感があってたまらん。

 

「クソがッ!」

 

 はっはっは、待て、天龍、時に待て。憲兵隊へ連絡しようとするんじゃない。その端末を下ろすんだ。

 

「近寄るなよこの性犯罪者が」

 

 まだやってないぞ!

 

「まだって言っちゃってる辺りがヤバいんだよッ!」

 

 落ち着け、落ち着くんだ天龍。嘗ては同じ戦場で肩を並べた仲じゃあないか。

 

「俺の艦生最大の汚点だッ!」

 

 待て、待て、落ち着け、落ち着いて端末を下ろせ。同じ艦娘じゃあないか。話せばわかる。

 

「ガキどもの未来の為にもッ、いまここでお前を始末しておかにゃあならんッ!」

 

 ばっかお前、やめろって、やめ、あ、やめっ、──きゃおらッ!

 

 うむ。

 何もなかった。

 

 残念だが、天龍からは何の支援も得られなかったな。残念だ。まあ、話せばわかる奴で良かったよ。ボディランゲージもランゲージだ。やっててよかった肉体言語。

 

 さて、しかしどうしたものか。頼りの天龍もダメとなるとな。

 

 それに腹も減ってきた。もう昼時だが、何しろ朝から何も腹に入れていないのですっかり腹がペコちゃんだ。腹と背中がくっつきかねん。だが何か食べようにも今の私には金がないのだ。

 

 空腹を抱えてのそのそと街を歩いてみたが、残念ながら私がさっと拾えるような財布は落ちていなかった。

 

 絡んでくるチンピラでもいればシンボルエンカウントと見なして合法的に義捐金を頂戴できるのだが、いくら私が女とはいえ、なにせ戦艦だ、まずタッパが違う。肩幅も違う。おっと、ほっぺたに血も付いていたな。いっけなーい。ハンケチで拭ってみたが、残念ながら生物種としてのレベル差に怖気づいたのか、女の独り歩きに絡んでくるような昔ながらのチンピラはいないようだ。全く腑抜けたものだ。それでも貴様ら玉ついているのか。もっとがっつけよ。勝ち目のない戦いに挑めよ。私ならしないが。

 

 全く。財布が寄ってこないから飯を食う金も出来ん。

 くそっ、なんて時代だ。不況だ。不況が私を責め立てる。

 

 一体私が何をしたというのだ。何もしていないではないか。働いてさえいないのだぞ私は。そんな私を責め立てて一体何のつもりだというのだこの社会は。喧嘩か。喧嘩売ってるのか。喜んで買うぞ私は。かかってこいこら。

 

 などと喚いてみても、形のない相手では拳の振るいようもない。

 ますますが腹が減ってくるばかりで何らの生産性もない。

 ないない尽くしだ。このままでは命も失いかねん。

 

 仕方がない。方針を変えよう。

 

 人と艦娘の善意と友愛を信奉する私としてはあまり選択したくない手段だったが、世の悪意と敵対が私に牙を剥くというのならば已むを得ない。そもそも私は味方より敵との方が馴染があるのだ。味方は減る一方だったが、敵は幾らでも湧いてきたからな。数年前に根こそぎにしてしまったのが。

 

 つまりどういう事かと言えば、相手の面倒見の良さになど頼らず、相手が面倒を見ざるを得ない、そういう状況を押し付けるのだ。相手の迷惑を考えて控えていたが、空腹にはかえられない。

 

 という訳でやって参りました海軍艦娘研究所。兵器としての役目を終えた艦娘ではあるものの、使われている技術や今後の発展などはまだまだ調べることが多く、世界の平和の為に研究を続けている、らしい。いずれ世界征服をもくろむ悪の秘密結社的な本性を現してくれたら公然と暴れられるのになあといつも思っている。

 

 IDカードを示して受付をくぐり、目的の研究室を訪う。

 

「明石、居るか。長門だ」

「要りません」

「はっはっは、居るではないか。久しぶりだな」

「要りません。セールスも宗教勧誘も二度と追い払わないんでお帰り下さい」

 

 見事なドゲザ・ムーブメントで出迎えてくれる工作艦明石。艦娘ではあるが工廠で働いていた変わり種だ。戦場を共に駆けたことはないが、装備の整備や改良などでいろいろお世話になったものだ。

 

「さっき天龍さんから不審人物の報が入ってるんですよォ」

「ほう、それは怖いな。子供たちが心配だ」

「どうして自分は関係ないって顔が出来るのか不思議でならないんですが」

「私は疑わしい事など何一つしたことがない。常に開けっぴろげだ。故に不審ではない」

「うっわこの神を信じるが如き曇りない目」

 

 ふふふ。明石も相変わらず元気そうで何よりだ。戦時も、私が工廠に顔を出す度にかくれんぼを始めるようなお茶目さんだったな。そして私が砲をもっと強くしてくれとか装甲を厚くしてくれとかエルボーロケット撃てるようにしてくれとかデイリーリクエスト持っていくと、渋い顔で難しいですとか無理ですとか言いながら、工廠で珈琲をご馳走になっている私に折れて何だかんだどうにかしてくれた凄腕だ。

 

 特にエルボーロケットは素晴らしかった。発動すると火器管制システムと干渉を起こして「不明なユニットが接続されました」とかエラー音流しながら、後付けのロケットで物理的に私の腕を切断して発射し、命中した相手は死ぬというもはやエルボーロケットではなく完全に最高なロケットパンチだった。帰還後に報告に行ったら、徹夜明けの血走った目で、「極論エンジンさえつけりゃ下駄だって飛ぶんですよ」とか自慢げだったな。その直後真顔で「なんで生きてるんですか」とか言ってたが、そりゃあ艦娘だもの、心臓が動いてりゃ生きてるさ。

 

 ん、もしかしてあれは哲学的な問いかけだったのだろうか。徹夜明けのハイなテンションの果てに降魔成道を遂げて悟りを開いた結果の質問だったりしたら申し訳ない事をしたな。まああの時は私も片腕がぶっちぎれて衝撃反応性ベークライトで傷口固めただけのまま、戦闘後のアッパーなノリで乗り込んでしまったからな。お互い会話は通じてなかった気がする。

 

「それで何の用ですか? 退役艦娘に艤装は渡せませんよ。そうでなくても長門さんになんか渡したら後が怖いんですから」

「いや、大したことではない。返す当てはないが金を貸してくれ」

「死ねばいいんじゃないですかね」

 

 相変わらずキレッキレだな。流石舞鶴鎮守府のマッドサイエンティスト。

 

「そう呼ばれてたの主に長門さんの無茶振りのせいですからね? 弾切れの心配のないメタクロモリ製の実体ブレードと、砲弾より速く懐に潜り込めるロケットエンジンとかいう気の触れた装備造らせた長門さんのせいですからね?」

「突撃して殴れる実体剣ないかなって言ったらあんなの造ったのはお前だろう」

「言い返せない!」

 

 常識人ぶっているがこいつも程々に頭のネジが飛んでるからな。まあ前線にしろ後方にしろ、ある一線を越えた連中は常識とか世間様とかいうものと仲が悪いのは仕方のない話だ。そんな非常識艦娘どもを纏めた連合艦隊旗艦を褒めてもいいんだぞ。

 

「まあそんなことより金貸してくれ」

「よくそれで貸してくれると思いましたね」

「明石ならきっと金をくれると信じている」

「ついに借りるとさえ言わなくなっちゃったよこの人」

 

 鉛のような溜息を吐く明石。なんだなんだ、どいつもこいつも溜息ばかり。幸せが逃げまくっているじゃあないか。不況のせいかな。

 

「大体あなた戦時中使う当てがないからって馬鹿みたいな額を貯金してたじゃないですか」

「ああ。島風に全部使った」

「ああもう、この人これだから……」

「ところで珈琲淹れていいか。あと腹が減ったので茶菓子も頼む」

「図々しいにも程がある! というか聞く前に既に淹れてるし!」

「ああ、それと、いい加減面倒なので、お前が金をくれるまでここに居座ることにした」

「お願い帰って!」

 

 珈琲とお茶菓子を頂いた所で快く当座の資金を融通してくれたので、いやはややはり持つべきものは友達だ。なくなったらまた来よう。その頃にはまた金が出来ているだろう。私は文明的な艦娘なので、根こそぎにしたりはしない。実った頃にまた来る。遊牧民と一緒だな。

 

 貰った金子で缶コーヒーを二本買って、私はぶらりと古巣の鎮守府に顔を出した。いまは博物館だか歴史資料館だかいう名目で一般に公開されていて、ちょっと前まで私が過ごしていた寮なんかも見学コースに入っていて、少しばかり気恥ずかしい。

 

 暇そうな受付にIDカードを示すまでもなく顔パスで入り、出撃ドックを見下ろす岬まで足を運ぶ。鎮守府の敷地内だし、見学ルートでもない何もないただの岬なので、こんなところにまで足を運ぶのは今のところ私くらいのものだ。

 

 岬には不格好な鉄板が突き刺さっている。そこにはびっしりと艦娘の名前と登録番号が刻まれていた。これは慰霊碑なのだった。

 

 慰霊碑と言っても、終戦記念公園に建てられた立派な石碑のような公式のものではなく、戦争が終わって落ち着いた頃に、私が自分で作ったものだ。刻まれた艦娘達の名前は、私が共に戦場を駆け、そして力及ばず沈ませてしまった仲間たちのものだ。私が沈めた訳ではないが、私とて決死の戦闘中に誰も彼をも守れる訳ではないが、しかし、それでも、自分の胸の裡にだけ収めておくには余りにも大きすぎて、こうして外に吐き出す他なかった。

 

 缶コーヒーの一本を鉄板の前に捧げ、もう一本を開けてちびりちびりと口にする。

 ブラックの苦味に不意に思い出されたのは、一隻の艦娘だった。

 

 私は懐からIDカードを取り出して、ディフォルメされたイラストを眺めた。随分長い付き合いだったような気がするのだが、不思議にあいつの写真は一枚も持っていなかった。気付けばそこにいる様に当たり前の存在で、改めて撮る必要性を感じなかったのかもしれない。青葉辺りにでも尋ねれば幾らか持っているかもしれないが、それは私の思い出の中の姿とは違うように思われた。

 

「……思ったよりも、退屈なものだな、島風」

 

 戦争が終わった世の中は、お前の騒がしい足音の聞けない日々は、存外につまらない。お前の声がまた聞こえるのだと思って、こうしてIDカードもお前の絵柄にしてみたが、機械から聞こえてくる声は、澄ました顔で取り繕ったみたいで、なんだか可笑しくなって、そしてすぐに寂しくなったよ。お前の生意気な声が聞きたいものだ。

 

 島風は、私の好みから言えば少し年嵩すぎた。性格だって、生意気で、意地悪で、子供っぽい癖にどこか大人びていて、痩せ気味で少し不安になるくらい軽い体つきだって、全然私の好みではなかった。

 

 けれど気付けば私の隣にはお前がいて、お前の隣には私がいた。それが何故だか不思議と心地よかったのを、今でもよく憶えている。お前が憎まれ口を叩いて、私も減らず口を叩いて、でも掛け合いは決して気まずいものではなかった。台本でも読み合わせたかのように、私たちはいつも会話を途切れさせるという事がなかったな。

 

 お前が静かにしている時は滅多にはなかったけれど、でも、非番の日に、お前が私の背中を背凭れにして、私もお前を背凭れにして、気だるい夏の午後をぼんやりと過ごしたあの無為な時間は、悪くなかったように思う。蝉の声が窓越しにシャワシャワ聞こえて、時折、グラスの麦茶に沈めた氷がからんからりと音を立てるのが、今でも思い出せる。

 

 けれど、いまはそれも遠い。とても遠く感じる。

 

 終戦間際のあの決戦の日。私の進路を切り開くため、お前は魚雷を抱えて敵陣に突っ込み、そして、ああ、はじめて聞いた悲鳴は、我が胸を引き裂くよりもつらいものだった。

 

 戦争は終わった。世界は平和になった。人々は明日を見始めたし、戦友たちもみな、自分たちの戦後を生き始めている。私はなんだか一人取り残された気分だ。何か仕事に就こうかと思ったこともあったけれど、結局何一つまともに手につかず、こうしてぶらぶらと意味もなくふらつく日々だ。

 

 島風。お前のいない世界は、本当に退屈だよ。

 

「そうやって私を理由にしないで欲しいんだけど」

 

 振り向くと島風がいた。

 

「なんだ。退院してたのか」

「今日の朝ね。っていうか勝手に人を殺さないでよ」

「殺してない。回想演出だ」

「演出が悪質過ぎるよ」

 

 排熱機構のために簡素化されて露出の多かった戦闘服とは違い、大人し目のセーターとチノパンを着ていたので一瞬誰かと思った。電探仕込みの子供っぽいカチューシャも取って、長い髪をシュシュでやんわり束ねていて、貧相な体つきはともかく、雰囲気ばかりは随分大人びたものだった。

 

 しかし皮肉気に片頬を上げる笑い方は、あの島風のそれだった。

 

 供えていた缶コーヒーを投げてよこすと、危なげなく受け取って、かしゅりとあける島風。美味そうでもなくちびりちびりと飲む姿は、あの鎮守府で見せた振る舞いだった。珈琲は苦ければ苦いほどいいと、何時だったかこいつは嘯いた。この苦いのを呑み干した後は、少しだけ世界に寛容になれるからと。いまも良く意味は分からないが、何となくその言葉につられて、いまも面倒なことがあるとブラックの苦いコーヒーを飲むことにしている。

 

「両足とも切断だと聞いたが」

「義足だよ。誰かさんがごっそり治療費寄越してくれて」

 

 フムン。誰だろうな。

 

「IDカードでの支払いは、記録に残るんだよ、長門」

 

 ああ、うん、そうか、そうだったな。うるせえ、私だよ。

 

「まったく、貯金全額はたいて、一番いい足をつけてくれなんて、責任感じ過ぎだよ」

「別にそういうのじゃあない」

「じゃあどういうの?」

「……私は何処行くにも車椅子を押して移動なんてまだるっこしいのは嫌いだ」

「殺し文句だねえ」

「うるさい」

 

 にやつきながら、島風はチノパンを捲ってその下の義足を見せてくれた。

 

「うおっ……なんだその……なんだ、その格好いいのは! いいなー!」

「そうだよねー。そういう反応するのが長門だよね」

 

 義手とか義足とかに対しては大変そうだねと言うのが定型文らしいが、そんなものは吹っ飛ぶくらいにイカすデザインだった。銀色のするりとした流線型で、人間の足というより、豹やチーターの足を思わせる鋭利なフォルムだ。

 

「何しろ相当な金額だったからね。折角だから競技用のにしてもらったんだ」

「何これ。義足なのに走れるのか」

「生身より速いよ。舗装道路なら八十は出る」

「チーターかよ」

「でも重いものは持てないから長門持ってね」

「もともと持たせたことないだろ」

「長門の人生はちょっと重いかな」

 

 まあ、軽くはない、と思う。

 

「で、いまは何してるの?」

「墓参り、だろうか」

「そうじゃなくて、仕事」

「仕事……?」

「その本気で分からないって顔止めて」

「ああ、その、何処も長続きしなくてな。何しろ闘う事しか能がないものだから」

「もうっ、そんなんじゃ困るなあ。私の義足、維持費もそれなりなんだから」

「私が払うのか、それ」

「義足代出したの長門なんだから、維持費も責任持ってくれないと」

 

 うーむ。尤もらしいような、何だか騙されているような。因みに幾らくらいなのかと聞いてみたら、目玉が飛び出そうになった。退役艦娘年金だけでは、なるほど、到底賄えない額だ。義足の整備だけでなく、接続部や、二本も足を失った島風の体の方の検診も必要だから、最低でもそれくらいはするらしい。だがそれだけ、生きるのさえ大変な体にしてしまったのだと思えば、出さない訳にはいかない。

 

「私が働くのはいいとしてだ。お前は働かないのか」

「私?」

 

 にやにやとチェシャ猫みたいに笑って、島風は銀の義足で私を小突いた。

 

「私はほら、永久就職先が、あるからね」

 

 責任は取らねばならないようだった。

 


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