清水はいつもの保健室ではなく、練習用トラックの近くにあるベンチに座っていた。
時刻は昼過ぎ。朝日に比べれば力を増した陽光を木々が遮り、地面をとつとつと照らすような午後。彼は目を閉じて、春風に揺られていた。
何故このような場所でそんなことをするのかというと、一言で言えばリラックスの為だ。
彼はウマ娘とカウンセリングを行う際に、心を落ち着ける事を必要としている。それは彼がウマ娘に対して苦手意識を持っている事が原因だ。
苦手意識を一旦忘れるために、一度リラックスして心をフラットにする必要がある。そうでなければ、カウンセリングにならない。
『カウンセリングを行う際、自身の主観的なものをまず全て排除するべきである』
というのは清水自身の弁である。
精神の安定化を終えた清水は、徐にベンチから立ち上がる。そして彼は、トラックの方へと足を向けた。木々の隙間から聞こえて来るウマ娘達の声とは逆に、彼の足取りは重く見えた。
*
清水はトラックへとたどり着いた。くっきりとした日差しに芝が照らされ、ウマ娘達を彩る。彼の目には、それが非常に好ましく映った。そう、好ましく。
彼は東条の姿を探すため、広いトラックを見回した。
トラック内には、幾人ものウマ娘とトレーナーの姿があった。その中の1人には、件の沖野の姿も見えた。
彼のチームのウマ娘に精力的に声かけを行なっている様子を見て、清水は少し安心した。彼は、夢半ばで立ち止まる者を見ることを嫌う。それ故に、自身の友人である沖野がまた歩き出したのが嬉しかった。
今度飲みにでも誘うか、そんなふうに考えた。
そんなことを考えながら、今しがた見つけた東条の元へ歩いて行った。
彼女もこちらに気がついたようで、清水は手を振りながら近づく。
「どうも、ハナさん」
「ええ、清水。スズカにはもう話を通してあるから」
「ありがとうございます。で、彼女はどこに?」
「いいわよ、私が呼ぶわ」
そう言って東条はスズカを呼んだ。はい、と耳をすまさなければそのまま何処かへ溶けてしまいそうな声が清水の耳に入ってきた。
彼が声のした方に目を向けると、スズカがこちらに向かって来ていた。
「なんでしょうか、トレーナーさん」
「ああ、こいつが養護教諭の清水だ。あなたの思っている事を素直に話しなさい。それだけでいいわ」
「この人が…。あの、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく、スズカさん」
彼女はそう言ってうやうやしく頭を下げた。彼もそれに応えるように礼をする。仕草ひとつひとつが丁寧で、繊細な感じがした。
しかし、彼女の『走ること』への情熱は本物で、走りに関する事となると彼女は頑固になる。そのように東条から聞いた清水だった。
「それじゃあ、どこか話しやすいところにでも行こうか」
「はい…」
そう言って、清水はスズカを連れ、観戦用のスタンドへと足を向けた。
立ち去る際に、少し視線を感じたが振り返ってみても誰も見ていなかったので、気にせずに彼は歩みを進めた。
*
「ここら辺でいいかな」
「はい…」
そう言って清水とスズカは腰掛けた。椅子一つ分を開けて、彼女を座らせる。
しばし無言の時が流れる。その沈黙を破ったのは、やはり彼だった。
「ハナさん…東条トレーナーから少し話を聞いたよ」
「…どんな話ですか?」
「上手いことタイムが縮まっていないんだってね」
「……」
スズカは少し俯いたまま話さない。彼の目にはトラックを走るウマ娘達の姿が見えた。
どの娘も楽しそうに走っていた。汗を流しながら、疲労を浮かべながら、それでも彼には楽しそうに見えた。
そして改めて少女を見つめた。彼の目には少し窮屈そうに見えた。
慎重に言葉を選ぶ。
「東条トレーナーから教わったフォーム、ペース配分等は確実に自分の力になっている。そう感じる?」
彼の問いに、スズカはゆっくりと頷く。それを見て彼は続ける。
「それでも思うようにタイムは縮まない。だから焦る。それによって『走る』ということに対して楽しいと思わなくなった、違うかい?」
出来るだけ優しく、穏やかに、彼女から答えを引き出す。答えを見つけるのは彼女自身なのだ。
彼女は少し驚いたように彼をみる。
「どうしたの?」
「いえ…、その…。どうして私が楽しいと思わなくなった事がわかるんですか」
「なんとなくさ、見た感じだね。どうやら当たったみたいだ」
そう言って彼は笑った。彼女の緊張も多少和らいだ気がした。
「君自身の事を知りたいな。よかったら話してくれるかい?」
「……、はい」
彼女は深呼吸をしているようだった。今から、話すぞという合図に感じられた。
ここからが本番。彼女に呼応するように、清水も息を吸った。