トレセン学園保健室の記録   作:占地

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第三話 沈黙のスタートダッシュ

 「私は、小さい頃から走る事が好きだったんです」

 「そうなんだ。どうしてか、聞いてもいいかな」

 

 少し緊張の糸が緩んだのか、スズカは自身のことを話し始めた。

 それに対して清水は、出来るだけ優しく、寄り添うように相槌を打つ。

 

 「走っている時の目の前に広がる景色が、キラキラしていて綺麗だったんです。目の前には誰もいない、私だけのもの。そんな景色が好きだったんです」

 「キラキラとした景色」彼は繰り返す。

 繰り返したことを理解できなかったと受け取ったスズカは、少し慌てて口を開いた。

 

 「えっとその、キラキラしてたって言うのは…、その…」

 そう言って適切な言葉を探そうとするスズカだったが、なかなか上手く見つけられない様子だった。それを見た清水は少し笑いながら訂正した。

 

 「ごめんね、スズカさんの言っている事が分からなかったわけではないんだ。むしろ、よくわかったっていうか」

 「どういうことですか?」

 「僕にも経験があるってことさ。自分の好きなことをしている時は、周りが輝いて見える。僕も同じだよ」

 

 そう言って、彼女に笑いかける。

 そして彼の脳裏には、在りし日の青春が去来した。酸いも甘いも分かち合う友がいた時。何もかもが輝いて見えた学生時代の事。

 彼女に共感した事は、間違いなく彼の本心だった。仕事としての、形而上の共感では決してなかった。

 

 自身の思いを本心から理解してくれたことを感じたいのだろうか、彼女も笑みを浮かべた。少しずつ柔らかくなってくる彼女の笑み。清水も、不思議と心が安らいできた。彼女と心が一つになってきているのを感じた。

 

 そのおかげで、彼女の気持ちが手にとるように理解できた。

 彼女の幼き日に感じた思いそのものを。

 

 頬を切る爽やかな風、彼女を包む緑の象形が徐々にカタチを失っていく。

 誰も彼女のスピードにはついて来られない。音でさえも、光でさえも、彼女には触れられない。

 否、触れることすらできない。そう言った方が適切か。

 一番速いのは自分自身であると錯覚する。そんな極限のスピードの中にいる。

 

 そして飛び込んでくる、『彼女が追い求めた』景色。

 

 そこに、邪魔者は誰一人として存在しない。存在を許されない。 

 許されるのは、彼女ただ一人だけ。

 透き通る世界の中に、自身の鼓動のみが木霊する。 

 

 楽しい。楽しい。楽しい。

 

 そんな魂からの叫びが聞こえてくるようだった。

 思わず清水は息を呑んだ。

 

 

 暫しの沈黙が続いた。清水は彼女の心に触れ、強く心を揺さぶられた。それにより落ち着く時間が必要だった。

 急に静かになった清水を不思議そうな目で見るスズカ。沈黙に耐えきれず、彼女から声をかける。

 

 「あの…」

 「ん、ああ。ごめんね、少しぼーっとしてた」

 「そ、そうですか」

 

 彼女は一瞬怪訝そうに眉をひそませたが、すぐに安心したような表情になった。

 清水は深呼吸をして彼女に話しかける。

 

 「今、まだ走ることは好き?」

 「それは……」

 

 彼女は言葉を詰まらせる。彼はゆっくりと答えを待つ。

 

 「…わからないんです。好き、だとは思うんです。でなければ、ここには多分いませんから。でも…」

 「断言はできない?」

 彼女はゆっくりと頷く。

 

 「トレーナーさんにはとても感謝しています。いろいろ教えてくださって。それが、正しいことなんだと思います。勝つためには」

 「…成る程」清水は腕を組んだ。

 

 東条ハナは、『レースに勝てるようにすること』が他の何より大事だと考えている。故に彼女の指導はとても厳しく、スパルタである。確実に力をつけるための練習を行う。加えて、危ない橋は渡らない。常に『絶対』をとる。

 それが彼女であり、チームリギルの強さそのものである。

 

 しかし、その『強さ』はスズカとの相性が悪いのだろうと清水は考える。

 

 自由に心の赴くままに、走りを楽しみたいスズカ。勝利を第一に考え、徹底的に自己を管理して己を高めようとするリギル。

 無論スズカも勝利を望んでいるが、大きな目標がそれであるわけでは無い。

 この違いは大きい。スズカはおそらくそのギャップに苦しんでいる。

 

 彼女には、恐ろしく頑固な一面があることも彼は知っている。しかし同時に彼女は、普通の思春期の少女だ。

 そう簡単に理想を諦めきれないし、トレーナーである東条に対する恩も感じているので好き勝手はできない。

 

 だから、彼女は吹っ切れる必要がある。中途半端のままでは、彼女は走り出せない。

 

 「…スズカさんはどうしたい?」

 「…私は」

 

 逡巡の色を浮かべ、口をつぐむスズカ。

 清水は、言う。そんな彼女に向かって。

 

 「僕がなんと言おうと、最後に大事なことは君が納得できるかどうかなんだ。自身の出した答えに」

 「私の答え…」噛み締めるように呟くスズカ。

 

 「そう、君の答え。少し酷かもしれないけれど、君が後悔しないためにもそれが大切なんだ。僕はあくまで君が答えを引き出すための協力者でしかない」

 「…」

 

 「君の走りへの情熱は完全に消えてしまった訳でないんだろう?どうしたい、スズカさんは」

 「私が、どうしたいか」

 

 そう言ってスズカはトラックの方へ目を向けた。清水もつられてそちらをみる。

 青々と輝く芝の上を、幾人ものウマ娘が駆ける。

 

 彼女達は何を思い、走るのだろうか。個人の気持ちはそれぞれで、他人に理解することはできない。それは、清水でも完璧には理解できないだろう。 

 それでもひとつだけわかる事がある。

 迷いがない。彼女達は、自身の走りに確固たる自信を持っている。

 

 スズカはじっと、トラックを見つめる。

 沈黙を一陣の風が破る。

 

 「私は、私はっ…」

 清水はスズカの方を見ない。

 

 「私の思うように走りたいっ」

 絞り出すように、自身の答えを出した。

 清水は、薄く笑った。

 

 沈黙。それでも、その沈黙は、きっと彼女のスタートの合図だ。

 

 「よく、頑張ったね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回もう少し書いてからおわりにします。
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