第五話 青海に浮かぶ雲と
まだ日は高く、トラックからは練習中のウマ娘達の声が聞こえて来る。
僕は窓から流れ込んでくる声を尻目に、キーボードを叩く。
ここに記録されているのは、所謂ウマ娘達の個人情報のようなもので取り扱いには神経を使わなければならない。
神経を使うというのはとても疲れる。そう、それはいかなる状況でも同じだ。
保健室のドアの外から慌ただしい足音が聞こえて来る。
僕は少しうんざりした表情で、仕切りで囲まれたベッドを見つめた。
けたたましい音を立ててドアが開く。
「すいません、こちらにうちのスカイは来ませんでしたか!」
「…とりあえず落ち着いてください、一応保健室なので」僕は宥めるように言った。
「ああっ、すいません!つい…」
申し訳なさそうに謝ったのは、セイウンスカイのトレーナーである藤原さんだった。
彼女は歳は二十台半ば程で、長い髪は後ろで一括りにしており、黒のスーツを着ている。
着ているというか、着られているという感じがする。あるいは、それは僕の誤認識なのかも知れないが。
僕は彼女にお茶でも、というふうに尋ねる。そうすると彼女はお構いなく、と冴えない笑顔を浮かべた。
「それで、セイウンスカイさんでしたっけ」
「はい、そうなんです。メッセージが来たので何かと思ったら『昨日の練習で疲れたので休みまーす』ってあって」
「なるほど、それで探していると」
「そういうことです」
実は保健室はスカイのサボり場の一つに選ばれているようで、たまに彼女が訪れることがある。
僕は、それに関してはあまり興味がなかったので特に何も言わなかった。
それを良しとしたのか、彼女は保健室をサボりスポットに選んだようだ。
僕は、どうしたものかと頭を悩ませる。
というのもセイウンスカイ当人は、現在ベットの上でのびのびとしている。
僕が事務仕事をしてる時、突然彼女がやってきて
『ねえねえ清水さん。ちょっとだけ休ませてー』
『え?』
『トレーナーには秘密ということで〜』
言うが早いがそのままベットにダイブして、ゴロゴロしたかと思ったら穏やかな寝息を立てて眠ってしまった。
これを藤原さんに直接言うのは簡単だけれども、それでは彼女との約束を破ってしまう事になる。
といっても一方的なものなので、僕が守る必要もないのだ。そうなのだが、少し迷う自分がいる事は否定できなかった。
そんなふうに僕が迷っていると、藤原さんはため息をついてこう言った。
「スカイはたまにこんなふうにサボっちゃうんです」
「まあ、そうみたいですね」
「私の、せいなんでしょうか」
「え?」
彼女が溢した言葉には、自罰的な色が含まれていた。
言ってしまってから、少し後悔した様に笑って、少しの間自身の手を弄んでいた。
僕は突然のことに何も言えず、また彼女も黙っていた。
白い布団がピクリと動いた気がした。
「ごめんなさい、どうでもいいことですよね。すいません、私他の所探してきます」
「あ、ちょっと」
そう言うと、来た時と同じく焦ったように出て行った。
残された僕は、彼女が出て行った扉を漫然と見つめていた。
「起きてるんでしょ、スカイさん」
「…あはは、バレちゃいました?」
「しっかりね」
そう言って彼女は、頭を少し掻きながら起き上がる。
それを見て僕はため息をつき、彼女に椅子に座るよう促す。
保健室にいる際に、僕に指図された事がない彼女は少し驚きつつ椅子に座る。
「で、どう思った?」
「えっと、どうっていうのは?」
「君のトレーナーのことさ。少し悩んでたみたいだけど」
「あー、ですよね」
僕はもう一度ため息をつく。
「スカイさんは、ちゃんと練習に行ってる?」
「行ってますよ、流石のセイちゃんでも全く行ってない事はないですって〜」
「全くではない、ね」
彼女の普段がどのようなものかはわからないが、多分僕の想像通りだと思う。
先程の思い詰めた様子から察するに、おそらく藤原さんは、練習のサボりを自分の力が足りないからだと思っている。
「多分さ、藤原トレーナーは君のサボりの原因が自分の指導下手にあると、考えているんじゃないかな」
「…そうかも」
スカイは今気づいたというような態度だった。
「どうして、練習をサボるの?」
「…別に、トレーナーさんが悪いとかじゃなくて、その…」
そう言って、彼女は少し言い淀む。少し頬を赤らめている。
僕はそんな彼女を不思議に思いつつ、彼女の言葉を待つ。
「ほら、私がサボったらさ、今日みたいに探しに来てくれるじゃん」
「んー?」
「いや、だからその…。チームのみんなを置いてさ、私を探してくれるから。それが…」
僕は唖然とした。今の僕は相当間抜けな顔をしているだろう。
それほど、僕の驚愕は大きかった。
そして、僕は彼女の事を、なんて不器用なんだろうと思った。
「それは要するに、構って欲しいという事?」
「……」
彼女は真っ赤になってそっぽを向く。
肯定を意味する言葉を発しなかったが、その沈黙は明らかにそれが正しいことを示していた。
「…好意の表し方が下手なんだね」
やっと捻り出した僕の言葉は、思いの外直接的なもので、それは彼女に少なくない損害を与えた。
「だって、やっと私にぴったりなトレーナーさんがいたんですよ!」
「え、うん」
「この人ならうまくやっていけるかなー、って人と巡り会ったんです。そんな人がいたら、嬉しくなりますよね清水さんも!」
「そうだね、落ち着こうね一旦」
僕は彼女にお茶を手渡した。冷えたお茶を一気飲みしたスカイは、少し気分が落ち着いたようだった。
かと思えばそのままベッドに直行し、枕を抱きしめてしばらくの間のたうちまわった。
僕はどういう気持ちでそれを見れば良いかわからなかったので、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
*
「落ち着いた?」
「う、うん。いやー見苦しいところを見せちゃったね…」
「うーん、割といつもの見苦しいところ見てる気がするけど」
「清水さんひどい」
「冗談」
そんな軽口を叩き合える程度には落ち着いたスカイ。
僕は彼女に話しかける。
「で、どうすればいいかはもうわかるよね」
「うっ、はい…」
「まあ、本当のことを言えば多分大丈夫だよ。きっと誤解も解けるさ」
もじもじとするスカイ。飄々としているように見える彼女の内面は、意外とそうではないのかもしれない。
僕は彼女の評価を改め、そしてほんの少しばかりの親近感を抱いた。
「そう言えばスカイさんは、逃げが得意なんだっけ」
「そうですけどー、何が言いたいんですか」
「ふふ、なんでもない」
訝しむように僕を見つめる彼女を、保健室の外へと押し出す。
やや強引に僕は彼女を保健室から出させた。
こうでもしなければ、彼女はいつまでもここにいそうだったからだ。
不服そうに口を尖らせる彼女に僕はいう。
「もう、サボりでは絶対来ないようにね」
「えー、そんなあ。結構快適で好きなのに」
「ただし」僕は言う。
彼女は僕をみる。
「それ以外ならいつでもどうぞ。トレセン学園保健室はお茶菓子でも用意して待ってるよ」
そう言うと、彼女は少し驚いて、薄く笑った。
「ありがとね、清水さん」
彼女はそう言った。
彼女の声は僕の横を通り過ぎて、風に攫われ青空へと消えた。
どこまでも澄み渡る空に、自信なさげに、それでも大きな存在感を持った雲が一つ浮かんでいた。
その後、スカイから仲直りをしたと聞いた。
藤原さんとは、たまに飲みに行くようになった。
積極的にウマ娘と関わろうとはしなかった自分が、ウマ娘と関わる機会をつくったことは多分成長の一歩だ。
僕はそれを、やはり嬉しく思う。
2xxx年x月x日 記録