ソードアート・オンライン ボンド・アンド・ディスペア   作:Maeto/マイナス人間

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一応これが最終話です。ここまで付き合ってくださりありがとうございます。


第12話 絆と絶望

『せいやっ!!』

『なんのっ』

『うわぁっ!!』

 

 

『うー、負けちゃったー』

『ふぃー、おれの勝ちぃー。これでオレの13勝24敗6引き分けか』

『ボクの方が11回多く勝ってるー!』

『すぐに勝ち越してあげるよーだ』

『何をー、次はボクが勝つもんね!』

『......』

『......』

『『......プッ、あははははははっ!!』』

 

───

 

──────

 

─────────

 

「............ん......」

 ゆっくり重い(まぶた)を持ち上げると、見慣れた天井が見えた。窓からカーテンに(さえぎ)られながらも、朝の光が射し込んでいる。

「......」

 無言で上体を起こすと、前田(まえだ)智也(ともや)はチラリと視線を窓とは逆方向に向けた。やや狭めのリビングの隅に置かれたテレビ台。その上の写真立ての中に納められた1枚の写真を眺め、呟く。

「もう、いないんだよな......」

 すぐそばのローテーブルに手を伸ばし、スマホを掴んで時計を確認する。予定していた時間よりは少しだけ早いが、ベッド代わりのソファの上で起き上がり、再び写真を眺める。

 ALOで撮影されたスクリーンショットを印刷したものだった。新生アインクラッド第22層の森の家のリビングで、2人のインプがソファに座っている。2人の前のテーブルには料理の乗った皿が数枚置かれている。

 ロングヘアーの少女のインプは、もう片方のインプの左手を右手で握り、左手でVサインを作って、白い歯を見せて笑っている。左手を握られている少年のインプは、右手に握ったフォークを(くわ)え、(ほお)をハムスターのように(ふく)らませている。

 胸の奥から、何かがこみ上げそうになる。それを押し殺し、智也は身支度を始めた。遅刻する訳にはいかない。

 今日は写真に写っている少女、《絶剣(ぜっけん)》ユウキ/紺野(こんの)木綿季(ゆうき)の告別式なのだから。

 

 

 デュエルトーナメントで、ユウキがキリトを破って最強の座に着いた後、マエトとユウキは毎日遊んだ。新生アインクラッドの中だけでなく、アルヴヘイムやヨツンヘイムのあちこちも探検した。

 時には歩き回り、時には飛び回り、時には座って景色を見ながらお喋りもした。22層の森の家にも何度も遊びに行き、一緒にアスナの手料理に舌鼓を打ったり、一緒に昼寝をしたりした。

 2人だけで迷宮区をボス部屋前まで踏破しようとしたこともあった。その時、他の攻略集団とレアアイテムの入った宝箱を巡って衝突し、2人対28人の正面戦闘に勝利した挙げ句、本当にボス部屋手前までマッピングしてしまったのは作り話ではと疑われたほどだった。

 何より2人がALOでよく(おこな)ったのは、1対1のデュエルだった。毎日飽きもせずに剣を打ち合い、酷いときは1日に連続で7回戦ったこともあった。

 そして現実世界でも、プローブを使ったアスナも同伴で、桐ヶ谷(きりがや)家やダイシー・カフェにも一緒に行った。学校でもプローブ越しに他愛もないお喋りを楽しんだ。

 幸せだった。

 この幸せが、ずっと続けばいいのに。そう思っていた。

 だが、明日奈からユウキの容態が急変したという短いメールが送られてきた時、智也は自分でも意外なほど落ち着いていた。それは智也が、とっくの昔から覚悟していたからだろう。

 木綿季がHIVキャリアだと知ってから、智也は木綿季の病気を治すにはどうすればいいかをずっと考えていた。倉橋医師に軽く叱られた「病気は移せば良くなる説」を初めとして、医療知識とは無縁の小学生なりに、毎日必死に考えた。その中で最もまともで、同時に最も無謀だったのは、「自分が医師になって木綿季の病気を治療する」というものだった。

 だが、日本で医師になれるのはどれだけ若くても24歳から。そこから研究、新薬の開発等を進めても、その時点でまだ木綿季が生きている可能性は低い。更に、SAO事件が解決した時点で、木綿季の症状は末期だった上、智也はSAO生還者(サバイバー)という社会的ハンデを負ってしまっていた。

 自分が何かできる可能性はないに等しい。できることと言えば、彼女と共に過ごす日を濃密なものにすること。そして、次の瞬間には木綿季が死ぬかも知れないと、SAOでの2年間と同じかそれ以上の緊張と覚悟を自分に強いることだった。

 明日奈からのメールを受けて、智也はアミュスフィア片手にソファに横たわった。円環形のヘッドギアを被り、呟く。

「リンク・スタート」

 

 

 インプの剣士として目覚めると、マエトはアスナからのメールに目を走らせた。すぐに(はね)を広げ、新生アインクラッド第24層、ユウキが辻デュエルをしていた小島へと向かう。コウモリの翼に似た翅を震わせ、茜色の空を駆ける。

「マエト!」

 後ろから呼ばれ、振り向く。キリトとユイ、リズベット、リーファ、シリカの5人がいた。一旦止まり、合流するやすぐに加速する。しばらく飛ぶと、大きな樹が立つ小島が見えた。その樹の根本付近に、7人のプレイヤーがいる。アスナと、スリーピング・ナイツの5人。そして彼らのリーダーである、ユウキ。

 小島に着陸すると、 6人はユウキを囲む輪に加わった。アスナに体を預けて横たわる少女と、それぞれ1度ずつ手を握った。最後にマエトが、ユウキの手を握る。その顔を見て、ユウキは言った。

「とー君は......泣かないんだね......」

「ん? なんで?」

「だって......アスナも......シウネーたちも......泣いてるから......とー君も、泣いちゃうのかなって......思ってて......」

「あー、そーゆーね」

 ユウキの言葉に納得しつつも、

「むしろユウちゃんが何言ってんの? 泣くワケないでしょ。ユウちゃんが言ったんじゃん、見たくないって」

 呆れたように言うマエト。その言葉を聞いて、ユウキは思い出した。

 自分が転校した日。智也に想いを伝えられた日のことを。

 

 

『とー君、そんな顔しないでよー』

『だって......なんでユウちゃんがいなくならないとなんだよ......ユウちゃん何も悪いことしてないじゃん......おれ調べたよ、ユウちゃんの病気。くしゃみとかで移ったりしないって、血が体の中に入ったりしないと移らないって......』

『......うん』

『だったら大丈夫じゃん、ユウちゃんがいても大丈夫じゃん......やだよ......一緒がいいよ......行かないでよ......』

『......泣かないで、とー君。ボク、キミが泣いてるとこなんて見たくないよ』

『............』

『......ね、笑って?』

『..................うん』

 

 

「覚えてて......くれたんだ......」

 嬉しそうに目を細めるユウキに、マエトがにしし、と笑う。

「当たり前じゃん。だから泣かないよ」

「......うん......ありがと......」

 途切れ途切れに言うユウキ。

 だが、自分の感情がそのまま反映される仮想世界で涙を隠すことは、本来なら出来ないのだ。マエトにとってユウキは、ただの友達や幼馴染みではない。心の支えであり、力の源であり、そして何よりも大切で、何よりも求め続けた、狂おしいほどに(いと)おしい、最愛の存在。その命が、いま目の前で消えようとしているのだ。過去に相棒を失った記憶がフラッシュバックして絶望しても、何もおかしくはない。

 にも関わらず、マエトの目には1滴の涙も浮かんでいない。

 マエトは涙を流さないまま、ユウキの手を握りつつ訊ねた。

「ユウちゃん、動くのもしんどい?」

「うん......なんか、力が入らない感じ......」

 弱々しく答えたユウキに、マエトは「ありゃー」というような顔をした。そのまま左手を振ってメニューを呼び出すと、ユウキに向かってトレード窓を飛ばした。そこに表示されているのは、

「《チャロアイトブレード》、って確か......とー君が前に使ってた......」

 ユウキの言葉に、マエトが頷く。

「そそ。紫にちょっと白マーブルみたいな模様入ってる剣。ユウちゃんにあげる」

「え......でも......」

「いーからいーから」

 そう言ってマエトはユウキの手首を掴み、トレードを受託させた。ユウキのストレージに、チャロアイトブレードが収納される。

 視線で「なんで?」と問いかけてくるユウキの手を右手で握り直し、左手でメニューを操作しながら、マエトは言った。

「剣の名前のチャロアイトってさ、そーゆー紫色の宝石があるんだよ。紫に白マーブルの。で、花に花言葉があるみたいに、宝石にも石言葉があってさ。チャロアイトの石言葉は、『恐怖の克服』、『精神の安定』。で、それと......」

 そこで区切ると、マエトはウィンドウを可視モードにしてユウキに見せた。表示されているのは、ブラウザ画面。いくつかの紫色の宝石について説明しているサイトだった。

 チャロアイトの石言葉の欄には、先にマエトが言った2つの他に、もう1つの言葉があった。

「あ......」

 それを見て、ユウキが嘆息する。

『無条件の愛』。

 本来の意味とは違う使い方なんだろうけど、と前置きすると、マエトは言った。

「ユウちゃんさ、おれに申し訳ないとか思ってたでしょ。告白の返事もちゃんと出来なかったって」

「......うん」

 小さく頷いたユウキに、マエトは微笑んだ。

「別にいいよ。ちゃんとした返事もらえなくても、ユウちゃんがおれのこと友達としか思ってなくても、おれはずっとユウちゃんのこと、大好きだからさ」

 それを聞いて、ユウキは淡い、しかし幸せそうな笑みを浮かべた。

「嬉しい......ありがと......とー君......」

「にしし」

 いつもの調子で笑うマエトに、ユウキは言った。

「あのね......ボク......とー君のこと好きか、判らないって......言ったでしょ......?」

「うん」

 頷いたマエトを見て、ユウキは続けた。

「でもね......ボク、悔しかったんだ......ずっと......とー君は姉ちゃんのことが......好きなんだって、思ってたから......ボクじゃなくて、姉ちゃんが好きなんだって......思ってたから......」

 そこで言葉を止めると、ユウキは再び口を開いた。

「だから......とー君に『ずっと好きだった』って言われて、嬉しかった......すっごく嬉しかったんだよ......」

 それを聞いて、マエトは笑った。

「そんだけ聞けりゃ十分だよ」

 そう言うとマエトは、横たわるユウキの体を、ぎゅっと抱き締めた。ユウキの耳元で、マエトの口が動いた。声は聞き取れなかったが、アスナは口の動きで内容を察した。

『愛してる』。

 数秒間そのままでいると、マエトは満足したようにユウキから離れて、キリトの隣にすとんとあぐらをかいて座った。

「マエト、いいのか......?」

 そう問いかけるキリトに、マエトはしれっと答えた。

「うん、もう満足だよー。......強いて言えば、ユウちゃんにおれの手料理食ってほしかったかなー。アスナさんに対抗して内緒で料理スキル取ったんだけどさ、まだ全然人に出せるようなもんじゃないよー」

 ここに来て新事実を口にしたマエトに驚くキリトたち。その真ん中で、ユウキは笑いながら言った。

「とー君の、手料理かぁ......食べて、みたかったなぁ......」

 ユウキの弱々しい声に、マエトはケタケタ笑って答えた。

「えー、()()いよー?アップルパイは酸っぱいわ、ミートパイはしょっぱいわ、レモンパイは甘ったるいわで」

「なんでパイだけなんだよ......」

 思わず突っ込んだキリトと微妙な表情のアスナたちに悪戯っぽくにしし、と笑うと、マエトはアスナの目をじっと見つめた。

「後は任せたよ、アスナさん」

 そう言って動こうとしないマエトの決意を、アスナは感じ取った。

「ありがとう、マエトくん」

 そうお礼を言うと、アスナはユウキの最期を、最も近くで看取った。

 

 

 告別式の間中、ずっと木綿季/ユウキとの思い出を振り返っていた智也は、式の後、会場となった教会をふらりと歩いていた。話をしている和人(かずと)明日奈(あすな)(アン)施恩(シウン)倉橋(くらはし)医師を見つけると、彼らに近寄って行った。

 智也に気付いて振り向いた彼らに頭を下げると、倉橋医師が智也に話しかけた。

「智也くん、お久しぶりです」

「ご無沙汰してます、先生。ユウちゃんや(あい)(ねえ)たちのこと、ありがとうございました」

 再び頭を下げる智也に、青年医師は言った。

「いえ、患者と接するのは医師として当然ですので。あぁ、そうだ」

 思い出したようにスーツのポケットを探る倉橋医師は、首を傾げている智也に右手を差し出した。

「ずっと前に木綿季くんが、君に渡してほしいと言っていました。『それがあれば、ずっと一緒にいられる』と」

 それは、木綿季がいつも着けていた、布製の白いヘアバンドだった。それを受け取り、軽く握り締めると、智也はまたお礼を言った。

「ありがとうございます、先生」

 そして、今度はヘアバンドを見つめて、

「......ありがと、ユウちゃん」

 その後、施恩に対して「卑怯な相手との戦闘法を教えてしんぜよー」と偉そうにレクチャーする智也を、少し離れたところで見ながら、倉橋医師は和人と明日奈に言った。

「正直に言いますと、僕は智也くんが心配なんです」

「え? どうしてですか?」

 訊ねた明日奈に、倉橋医師は不安そうに答えた。

「彼はいつも、木綿季くんとの面会が終わった瞬間に、とても冷めた顔をしていたんです。彼自身からたまたま聞いたのですが、SAOにいた間も、SAOから解放された後も、智也くんの心の支えは木綿季くんだったんです」

 それを聞いて、和人と明日奈はハッとした。医師の言わんとすることを理解したのだ。

「彼にとって木綿季くんは、言ってみれば生き甲斐そのものだったんです。その彼女が亡くなってしまった今、恐らくですが、智也くんに生きる上での目的はありません」

 つまり、智也が木綿季の後を追ってしまう可能性も否定できないと言うことで──。

 

 

 倉橋医師と施恩が去った後、明日奈は智也に訊ねた。

「マエトくん、本当に泣いてないんだね」

 明日奈を振り向く智也の顔には、涙の跡は一切ない。学校やALOで時折見かけても、彼はいつもと変わらない様子だった。恐らく、誰もいないところで1人で泣いたりもしていないのだろう。

「うん、泣かないって決めたしね」

 事も無げに言う少年に、明日奈は思っていたことを言おうとした。

 その時、突風が吹いた。風に(あお)られて倒れそうになる明日奈を、和人が素早く抱き止める。

「アスナ、大丈夫か?」

「うん......ありがとう、キリトくん」

 そこで2人はハッとした。今2人の前には智也がいるのだ。くっついているとリズベットらに、

「ねーねー、キリトさんとアスナさんがさー!」

 みたいなことを言われかねない。慌てて離れる和人と明日奈。

 だが幸いなことに、智也は桜の木をじっと見つめていて、和人たちのイチャイチャには気づいていなかった。

 桜の枝と共に風に揺れる黒い前髪の下で、少年の瞳が細められる。

「......ちょうどこんな感じだったなー......おれが、ユウちゃんに告白した時も......」

 どこか寂しげなその声音に、明日奈は胸の奥で何かがこみ上げるのを感じた。思わず智也の頭を撫でる。

「アスナさん? どしたの?」

 少しだけ戸惑った様子の智也に、明日奈は優しく言った。

「無理しなくていいんだよ」

「?」

 きょとんとした顔の少年の頭を撫でながら、明日奈は続けた。

「泣きたかったら泣いていいんだよ。辛かったら無理しなくていいんだよ」

 明日奈に和人も同調する。

「あぁ。それにいなくなってしまって泣くってことは、お前がそれだけユウキのことを大切に思ってた証でもあるんだからな」

「......」

 和人の言葉を聞いて、智也は(うつむ)くようにゆっくりと顔を伏せた。長めの前髪に隠れて、表情が見えない。

「マエトくん、大丈夫......?」

 そう聞いた明日奈に、智也は俯いたまま答えた。

「いや、大丈夫じゃないかも......」

 そう言って顔を上げると──。

()れるかも知れん、トイレ行きたい」

 唐突に尿意を訴えた智也にガクッとなりつつ、明日奈はため息混じりに言った。

「もう、早く行きなさい!」

「はーい」

 子供のように返事をすると、智也はたったか駆けていった。角を曲がり、その姿が見えなくなると、明日奈は、

「まったくもう、調子狂うなぁ」

 と愚痴(ぐち)る。ふと隣の和人を見ると、彼は智也が曲がった角を、どこか険しい表情でじっと見つめている。

「......行こう」

 明日奈にそう言うと、和人は歩き出した。

「え、ちょっと、キリトくん?」

 戸惑ったように言いつつ、明日奈も追いかける。2人が追いかける先で、智也はごった返す人混みの中をすり抜けながら歩いていた。

 だが、

「あれ? トイレとは違う方向......」

「あぁ......」

 そのまま追いかけると、智也は教会の裏手の、人のいない場所で立ち止まった。

 和人と明日奈が見つめる中、智也はブレザーのポケットに左手を突っ込んだ。ポケットから出てきた左手が握っていたのは、木綿季(ゆうき)の白いヘアバンド。左手に握ったそれを見つめる智也。

 その足下に(しずく)が落ちた。明日奈が空を見上げるが、相変わらずの快晴が広がっている。

「あーあ、今まで1回も泣かなかったのに。キリトさんとアスナさんがよう解らんこと言うからだ」

 いつもと変わらない智也の声が聞こえた。だが、声音とは裏腹に、その足下には次々と雫が落ちて、地面に小さな染みをいくつも作っている。

 また声が聞こえた。だがその声は、先程とは違って涙に濡れていた。

「泣かないって......決めたのに......」

 地面に膝と手を突き、小さく嗚咽(おえつ)を洩らす。

「う......ひぐっ......う、あぁぁ......」

 それは徐々に音量を増し、嗚咽は激しいものへと変わる。

「うあああああああああ!」

 ずっと、溜め込んできたのだろう。誰もいないところでも泣かずに、自分の心を殺し続けてきたのだろう。覚悟していたから、ユウキの死を受け止めはできたのだろう。

 だが、受け入れたくはなかったのだ。

「クッソ......止まれ、止まれ、止まれ! 止まれよ!」

 必死に涙を止めようとする。

 だが、(つの)りきった「会いたい」が、「声を聞きたい」が、「触れたい」が、「一緒にいたい」が、「大好き」が(あふ)れ出て止まらない。

 止められない。

「くそっ!!!!」

 地面に右拳を叩きつける。思わず目を(そむ)けた明日奈が視線を戻すと、拳と地面の隙間から、赤い血がにじみ出ていた。

「っ!」

 反射的に駆け寄ろうとする明日奈。その肩を、和人が掴んで制した。

 視線で「どうして?」と問いかけると、和人は無言でかぶりを振った。

 そこで明日奈は、和人が砕けるのではと思うほどに拳を握り締めていることにようやく気づいた。ぎりっという歯ぎしりの音も微かに聞こえる。

 和人もただ智也を見物したい訳ではないのだ。ただ、いま自分たちが出ていったところで、何もしてやれない。己の無力さに、和人もまた(いきどお)っていたのだ。

「あ、ああああ......うああああああ、ああああああああああ......!」

 白いヘアバンドを握り締め、止めどなく涙を流す智也を、和人と明日奈は見ていることしかできなかった。

 

 

 ......あれ、おれどうしたんだろ......(あった)かい......あぁ、これ膝枕だ。大好きな感触......あ、頭撫でてくれてる......優しい手......それに、いい匂いがする。(あい)(ねえ)の匂いだ。懐かしいなぁ......ユウちゃんも大好きだった、お日様の匂い......温かい......

 

 

「あい、ねえ......?」

 薄く開いた視界の中に、ロングヘアーの人陰が見える。何度か(まばた)きをした智也は、その人陰の正体を認識した。

「あぁ、アスナさん......」

「おはよう、マエトくん」

 にっこりと微笑む明日奈に、智也は訊ねた。

「おれ、どうしたの......?」

「泣き疲れて寝ちゃったのよ。ただベンチで寝てても寝苦しいだろうから、勝手に膝枕しちゃった」

 明日奈に体を預けたまま智也が辺りを見る。どうやら倉橋や施恩たちと会ったところのベンチで寝ているようだ。右手も手当てされている。泣いたのなんていつぶりだろうか。

「キリトくんがここまで運んでくれたんだよ」

 という明日奈の隣に座る和人に向けて、智也は口を開いた。

「ありがとうキリトさん、なんかごめん」

「気にするなって。せっかくなんだし、もうちょっと横になっとけよ」

 和人の言葉に智也は、

「いーの?」

 と明日奈に訊ねた。

「うん、いいよ。ゆっくりして」

 そう言われ、素直に甘えることにした智也。明日奈の足に頭を乗せたまま、口を開いた。

「昔ユウちゃんと一緒に遊んでた時さ、遊び疲れて一緒に寝ちゃったことがあったって言ったの、覚えてる?」

 森の家でのマエトとユウキの話を思い出して、明日奈は頷いた。

「ほとんどはおれとユウちゃんは同時に起きるか、藍姉に起こされるかのどっちかなんだけど、どっちかが先に起きた時は、起きた方が寝てる方に膝枕してたんだー」

 一度言葉を区切ると、智也は続けた。

「おれ、ユウちゃんに膝枕してもらうのも、ユウちゃんに膝枕するのも、どっちも好きだったんだ」

 ユウちゃんは藍姉の膝枕のが好きだったみたいだけど、と少し悔しそうにぼやく智也に、和人も明日奈も苦笑する。

「明日奈さんの膝枕、藍姉の膝枕とすごい似てるよ。(あった)かくて、柔らかくて、お日様の匂いがして......すごく優しい。ずっと、甘えてたくなる......」

 そう言うと、智也は明日奈の制服スカートを、キュッと小さく握った。意外にも甘えん坊な一面を見せた少年の頭を、明日奈は優しく撫でた。嬉しそうに(のど)を鳴らす智也の顔に、明日奈は自分に甘えるユウキの面影を見た気がした。

「総務省の眼鏡の人に頼んで教えてもらったんだけどさ、ベルの本名って鈴笛(すずふえ)達人(たつと)って言うんだって。ベルは鈴、フェは笛、ゴールは到達の達から持ってきたんだと思うって、あいつの親が言ってた」

「ベルの家族に会ったのか?」

 驚く和人に、智也は頷いた。

「うん。ゲーム内でのプレイヤーの犯罪とか殺人に関する暗部の情報を中心に情報提供するって条件で......普通の情報は別の人が教えてくれるって言われてさ」

「............」

 ギクリとする和人だが、智也はさほど気にした様子もなく続けた。

「ベルの親と兄と、あとじいちゃんばあちゃんは『昔から臆病だった達人が、友達のために戦ったことが誇らしい』とか言ってたよ。ただ......」

 智也の声音が少し変わった。和人と明日奈が怪訝(けげん)そうに見つめる先で、智也は言った。

「ベル......達人に片想いしてるあいつの幼馴染みの女の子がいてさ、その子には『たっ君を返して、この人殺し』ってディスられたっけなー」

「「っ!」」

 思わず息を呑んだ2人に、智也は笑みを向けた。

「大丈夫だよ。ユウちゃんと一緒にいたら、前向けたから」

 にしし、と笑う智也の頭を、明日奈はもう一度撫でた。目を細めると智也は、

「ありがと、アスナさん。もう大丈夫だよ」

 そう言って体を起こした。

「本当に大丈夫?」

 そう訊ねた明日奈に、智也は頷いた。

「うん。......本当はもうちょっと甘えてたかったけど、アスナさんの膝枕は、キリトさんとユウちゃんの特等席だからね。おれがいつまでも居座る訳にはいかないよ」

 智也の言葉に、明日奈はユウキが自分の腕の中で最期を迎えた時のことを思い出した。あの時、アスナは誰よりもユウキの近くにいて──。

「......マエトくん、ごめんなさい......」

 ポツリと謝った明日奈。首を傾げる智也に、明日奈は口を開いた。

「マエトくんはずっと、ユウキのことを大切に思ってて......ユウキが転校した後も、SAOにいる間も、ALOで再会してからも、ずっとユウキのことを想ってて......マエトくんの方が、ユウキのことをずっと長い間想ってて、ずっと強く想ってて......なのに、なのにわたしばかりが、ユウキのそばにいて......ごめんなさい......!」

 涙を流しながら言う明日奈の背中を、和人はそっと撫でた。

 ずっと悩んでいたのだろう。自分よりもユウキのことを長く、強く想っているマエトではなく、自分がユウキの一番近くにいることに。

 マエトは自分のことを、本心では恨んでいるのではないか、と。──だが、

「それ以上泣くんだったら怒るよ」

 冷やかな声を浴びせた智也に、和人と明日奈は驚きの目を向けた。2人を見ながら、智也は言った。

「確かに思ったことはあるよ。なんでおれじゃなくてアスナさんなんだろうって。いくら藍姉に似てるからって、なんでそんなにアスナさんがいいんだろうって」

 そこで口を閉じると、智也は空を見上げた。明るい光に照らされたその顔は、しかし穏やかだった。

「でも、別にいいやって思えた。だってユウちゃん、アスナさんと一緒にいるときが一番幸せそうな顔してたもん」

 自分が思い違いをしていたことに気付いた明日奈に、智也は続けた。

「おれはユウちゃんが幸せだったんなら、それで十分だよ。でも、おれは血みどろの(よごれた)人殺しだから、ユウちゃんを幸せにはできない。だから日常でも最期の瞬間でも、ユウちゃんの一番近くにはユウちゃんが一番好きな人にいてほしかった。だから......」

 明日奈に向き直ると、智也は言った。

「頼むから、ユウちゃんの幸せをあんたが否定しないでくれ」

 智也はユウキを強く想っていた。だからこそ、彼はユウキの幸せを何よりも望んだのだ。

(馬鹿だなぁ、わたし......)

 目尻の涙を(ぬぐ)い、顔を上げると、明日奈は智也に微笑んだ。それを見て満足そうに頷くと、智也は桜の木を見上げながら言った。

「おれがユウちゃんを追いかけるとか懸念(けねん)してるなら、心配ないよ」

 ギクッとした和人たちに、智也は笑った。

「あいつのぶんも頑張って生きる。そう約束したからさ」

 智也/マエトはベルフェゴールと約束したのだ。彼のぶんも頑張って生きると。

「ベルのぶんも生きて、ユウちゃんのぶんも生きて、その後で死ぬ。ユウちゃんとベルと藍姉のとこに行くのは、それからだよ」

 風が吹き、智也の髪を揺らす。その下の瞳は、決意に満ちていた。

(こいつの本当の強さは、心の強さなんだな......)

 そう思いつつ、和人は訊ねた。

「これからどうするんだ?」

「んー......とりあえず当面の目標は、ユウちゃんの代わりにALO最強になるってことくらいかな」

 そう言う智也に、和人は不敵に笑った。

「ほほーう。なら、そのためには俺に勝たないとな。現状ではデュエルトーナメントではユウキ1位で俺が2位。お前は3位だ」

「2位をそんなに誇らしげに言うのもどうかと思うよ......」

 苦笑混じりに突っ込む明日奈に笑いつつ、

「ま、最強の座はおれが()ってやるよ」

 2振りの鬼神を従える悪魔(インプ)は言った。

「──最強(あんた)の首と一緒にね」

 

 

(終わり)




これで《原作準拠ルート》は終わりです。
ですが、まだ書き残していた話やら《原作ガン無視ルート》やらが続きます。
pixivでここまで出して完結ってしようとしたら、ファンから「続けろ」「書け」と言われたので、張りっぱなしの伏線の回収がてら書きました。
お付き合いしてくださると幸いです。

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