ソードアート・オンライン ボンド・アンド・ディスペア   作:Maeto/マイナス人間

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続きです。よろしくお願いします。


短編2話 デスペレイト・リアル

「............え......?」

 その(かす)れた声が自分のものだと、智也は気付かなかった。

(ユウちゃんが、病気......? 嘘だ、だってユウちゃんはいつも元気で、体調を崩したことだって1度も......)

 内心でそう反駁(はんばく)する智也。だが、クラスメート達は話を続けた。

「その病気って、その子だけなの?」

「なんかその子のお姉ちゃんもらしいよ」

「えー!? じゃあその子のパパとママも病気だったりして!」

 我慢できなくなり、智也は立ち上がろうとした。しかし、それより早くチャイムが鳴った。教室のドアが開き、担任が入ってくる。

「はーい、2時間目始めるよー。みんな席についてー」

「ちっ......」

 誰にも聞かれないように小さく舌打ちをすると、智也は椅子に座りつつ決めた。

(2限終わったらユウちゃんのとこ行こう)

 たった45分の算数の授業が、異様に長く感じられた。よくやくチャイムが鳴り、

「はーい、じゃあ2時間目終わりねー」

 担任がそう言い、全員で挨拶(あいさつ)をすると、智也は教室を飛び出した。2つ隣の教室まで走り、開いていたドアから中を(のぞ)く。だが、

「いない......」

 呟くと、再び駆け出した。次に向かったのは玄関だった。息を切らしながら、木綿季と藍子の下駄箱を確認する。

(ユウちゃんの(くつ)も、藍姉(あいねえ)の靴もある......休みじゃない......)

 それだけを確認すると、智也は教室に戻った。休み時間がたった5分しかないのが恨めしい。

 3時限目が終了すると、再び智也は教室を出た。その時、2つ隣の教室のドアから、人陰が出てきた。よく見知った顔だったが、その表情は暗く、目は伏せられている。

「ユウちゃん!」

 智也が呼ぶと、木綿季は弾かれたように顔を上げた。大きな(ひとみ)が揺れ、右足を1歩、智也に向けて踏み出した。だが、

「......っ!」

 すぐに顔を伏せ、木綿季は逃げるように駆け出した。

「な、なんで......!?」

 すぐに追いかけた智也だが、2人の走力の差は大きく、赤いパーカーに包まれた小さな背中を見失った智也は、小さく毒づいた。

「............クソ」

 その後、4限目が終わり、給食の時間となった。智也は食器の中身を半分ずつさっさと片付けると、席を立った。

「どこ行くの?」

 近くの机で食事していたクラスメートに聞かれ、「トイレ」と嘘を吐く。

 足音を殺して歩き、足を止めると、智也は木綿季の教室をこっそり覗き込んだ。

 いた。(にぎ)やかな教室の(すみ)に追いやられ、1人で寂しく給食を口に運んでいる少女。その目に浮かび、溜まった涙が(こぼ)れ落ちた。

「......、」

 無言でその場を離れると、今度こそ智也はトイレに行った。だが、用を足しに来たわけではない。個室のパネルに寄りかかり目を閉じると、(まぶた)の裏に先程の木綿季の姿が浮かんだ。いつも楽しそうに笑っていて、特に給食の時間を何よりも楽しみにしていた木綿季が、たった1人で涙を流して──

「──ッ!」

 無意識のうちに拳を叩きつけたパネルが、凄まじい音を響かせる。だが、その轟音も、右手の鈍痛も、どうでも良かった。

「......クソ......クソォ......」

 なぜこのタイミングで違うクラスなのだろう。自分が木綿季と同じクラスだったら、絶対に1人にはしない。周りからどんな目で見られようと、彼女のそばにいる。

 なのに。大切な人が苦しんでいる時に、自分は何もすることができない。

 ふらりと立ち上がると、智也は教室に戻った。午後の授業も流すようにしてこなした。

 それよりも、やることがあった。

 

 

 放課後、木綿季と藍子は手を繋いで廊下を歩いていた。

「そっか、ユウも大変だったんだね......ごめんね、一緒にいてあげられなくて」

「姉ちゃん違うクラスなんだし、しょーがないよ......大丈夫、ボク頑張るから!」

 そう言ってにっこり笑う妹に優しく微笑むと、藍子は顔を前に向けた。すると、

「あっ......」

「姉ちゃん、どうしたの?」

 尋ねつつ、姉の視線を辿(たど)ってみると、その先に1人の少年がいた。

 青いパーカー。間の抜けたのんびりした顔。間延びした「やっほー」という声。

「とー君......」

 会いたかった。この少年ならきっと、病気のことを知っても変わらず接してくれると思っていたから。

 だが、もし彼さえも、他のクラスメート達のように離れていってしまったら。他のクラスメート達から向けられた嫌悪の視線を、彼からも向けられたら。そう思うと怖くて、一度は逃げてしまった。

 だがそこにいるのは、いつもと何も変わらない、のんびりした少年だった。

「帰ろー。おれもう待ちくたびれて......ふわぁ......ぁふ」

 欠伸(あくび)しながら言う智也。その姿に木綿季と藍子は、いつになく安心感を覚えた。

「......良かったね、ユウ」

 そう言う藍子の目尻にも、わずかだが涙が(にじ)んでいた。

「うん!」

 そう頷くと、木綿季は下駄箱へと駆け出した。靴を取り出して素早く()くと、智也の隣に並んだ。藍子が靴を履いて出てくるまで待つと、智也は右手で木綿季の左手を、左手で藍子の右手を握った。

「そんじゃ、帰ろ帰ろー」

 そう言って智也は、2人の手をぐいっと引っ張り、歩き始めた。

 

 

「ごめんね、家まで送ってもらっちゃって」

 紺野宅の前で申し訳なさそうに言う木綿季に、智也は「んーん」と首を横に振った。

「別に気にしなくていーよ、ダイジョブダイジョブ」

 笑いながら言う智也に、藍子はお礼を言った。

「今日はありがとうね。わたしいつも手を引っ張る側だから、引っ張られるのちょっと嬉しかったよ」

「そっか、良かった。にしし」

「じゃあ、とー君、また明日ね」

「うん、バイバーイ」

 手を振りながら別れを告げると、智也は帰路に着いた。

「......今のおれに、何ができんのかな......」

 

 

 翌朝、木綿季と藍子は学校に行くべく家を出た。

「行ってきまーす!」

「行ってきます」

 正直に言うと不安はあるが、両親に心配させないよう元気に言う。家のドアが閉まるとすぐ、木綿季は姉の手を握った。いつものことではあるが、いつもより力が強かった。

 離れたくない。一緒にいたい。心細い。

そんな声が聞こえるようだった。

「......ユウ、大丈夫だよ」

 藍子が優しく言うと、木綿季はゆっくりと顔を上げ、大きく頷いた。

 2人が歩き始めた数分後、前方から誰かが走ってきた。額に汗を浮かべ、肩で大きく息をしながら、2人に駆け寄って来るのは──

「とー君!?」

 足を止めた姉妹の前で止まると、智也は膝に手を着いて激しく喘いだ。

「はぁ......はぁ......がっこ、一緒に......行こっ、ゲホッ」

「わあ!? ちょ、とー君!? 大丈夫!?」

「智也君、朝から無理しすぎだよ!?」

 2人の不安を少しでも和らげようと思ったのだろうが、これではむしろ別の意味で心配になってしまう。

「だ......だい、じょぶ......」

 そう言う智也だが、もはや虫の息だった。

 数分後、ようやく智也が落ち着いてから、3人は歩き出した。前日の帰りと同じ手の繋ぎ方で歩く。智也は木綿季と藍子に絶えず話を振り、会話を保った。それが周囲からの視線に意識が向かないようにするためであることに、2人はすぐに気づいた。

「じゃあ、また放課後にね」

「うん。姉ちゃん、とー君、またね」

「ん、そんじゃまたー」

 玄関で靴を履き替えると、3人は各自の教室へと向かった。ちらりと振り向いた智也の目に映った木綿季の顔には、不安と心細さが表れていた。

 その日の授業中、智也はずっと視線を感じていた。今まであまり感じたことのない、不快な感覚。

(ユウちゃんらと一緒にいたからか.....)

 そう当たりをつけたが、木綿季達と一緒にいるのをやめるという選択肢はない。

(絶対に一緒にいてやる)

 改めてそう決意する智也だが、数日後、それは叶わなくなる。

 約束通り、木綿季と藍子と智也の3人で、公園にお花見をしに行ったときだった。木綿季がトイレに行った時、藍子は智也に言った。

「......智也君」

「ん?」

「ユウのことだから、きっと君には言ってないだろうから、いま言うね」

 そう前置きして、藍子は言った。

「わたしたち、もう少ししたら転校するの」

 (うつむ)くようにして言う藍子に、智也は静かに返した。

「うん、それがいいと思うよ」

「え......?」

 意外な反応に驚く藍子に、智也は笑って言った。

「ここにいても、居心地悪いだけだもん。いっそ環境ガラッと変えちゃった方が楽だよ」

「......ふふっ、智也君すごいね。わたしよりもずっと大人だよ」

 そう言って智也の顔を見たとき、藍子は何となく思い、そして確信した。

(あぁ......智也君、本当はユウと離れたくないんだ......)

 

 

 木綿季と藍子が転校する日は、すぐにやってきた。

「今の学校に来るのは、もう今日が最後なの」

 藍子にそう言われた智也は、昼休みに木綿季を呼び出した。

 木綿季が校門から少し離れた場所に生えている桜の木に向かうと、既に智也はいた。

 パーカーのポケットに手を入れて桜の木の下で(たたず)む姿の大人っぽさを、ぼーっとした間抜け面が台無しにする彼特有のミスマッチが、木綿季は好きだった。

「......とー君」

 木綿季が呼ぶと、智也はゆっくりと顔を向けた。

「今日で......バイバイだね」

 浮かべられた淡い笑みの奥に、無理矢理に抑え込まれた(いきどお)りと寂しさがあるのを、木綿季はすぐに感じ取った。

「......ごめんね。ボクたちのせいで、そんな(つら)い思いさせちゃって」

 木綿季のその言葉に、智也の中で何かが壊れた。

(ユウちゃんたちの方が、よっぽど辛い思いしてるのに......)

 そう思っていたから、ずっと抑えてきた。だが、いま目の前にいる少女から(ただよ)う切なさは、智也の感情の(ふた)を外してしまった。

「......なんで、ユウちゃんたちがいなくならないとなんだよ......」

 握りしめた手が震えた。

「何も、悪いことなんてしてないのに......」

 声だけでなく、涙もこぼれた。理不尽への憤りと、何もできない無力感。抱えていたものが、ゆっくりと(あふ)れてきた。

「とー君、そんな顔しないでよー」

 なだめるように言うが、気休めにもならないだろうと木綿季は思った。

「だって......おれ調べたよ、ユウちゃんの病気。くしゃみとかで移ったりしないって、血が体の中に入ったりしないと移らないって......」

「......うん」

「だったら大丈夫じゃん、ユウちゃんがいても大丈夫じゃん......やだよ......一緒がいいよ......行かないでよ......」

 涙に()れた少年の目をまっすぐ見て、木綿季は言った。

「......泣かないで、とー君。ボク、キミが泣いてるとこなんて見たくないよ」

「............、」

 にっこり笑って、木綿季は続けた。

「......ね、笑って?」

「..................うん」

 小さく頷くと、智也はようやく笑みを浮かべた。

 わずかな沈黙が生まれ、智也がそれを破った。

「......今さら、だけどさ」

「うん?」

 前置きすると、智也は木綿季に伝えた。

「おれ......ずっとユウちゃんのこと、好きだった」

「............へ......?」

「一緒にいると楽しくて、面白くて、温かくて......もう転校しちゃうのに、今さらこんなこと言われても困るよね......ごめん」

 謝る智也だが、ずっと彼は藍子が好きなのだと思っていた木綿季は、その告白が嬉しかった。だが、こんなタイミングで告白する智也と同じくらい、木綿季も不器用だった。そのため、

「......ごめんね。とー君のことは友達だと思ってて、男の子として見たことがなかったからよく(わか)らなくて......本当にごめんね」

 そんな残酷な返事をしてしまった。だが、

「......ユウちゃんらしいよ」

 そう言って、智也は笑った。

 変な返事をしてしまった罪悪感を抱きつつも、木綿季の胸の中には、温かな嬉しさが満ちていた。

 

 

 その日の夜、智也はパソコンの前にいた。ディスプレイには、木綿季と藍子が感染した病気に関する記事が表示されている。

(まず、エイズってのがどんなものかを知る必要がある。治すにはどーすればいいかはそれからだ)

 ネット上のエイズ、HIV関連の記事を、手当たり次第に閲覧する。意味がよく解らない箇所は、その都度調べていく。

(ネットの情報だけじゃダメだ。明日は休日だから図書館に行って、関連する本を片っ端から読んで裏を取らないと......)

 情報を次々とメモ帳に書き込み、現時点での自分の見解を記入する。翌日図書館に行くと、医療関連の書籍を次々に引っ張り出して読んでいく。パソコンから書籍へと媒体を変えて、全く同じ作業を繰り返す。

(昨日見た記事と似てるけど、この部分ちょっと違うな......専門書とかあるかな......もっと詳しく......)

 大量の本を読みふけり、何度もメモを取る。

 何日も、そんなことをしていた。

 無意味かも知れない。たかが小学生の自分に、できることなんてないかも知れない。

 それでも、やめようとは思わなかった。

 そして、木綿季たちが転校してから1ヶ月が経った頃、智也の家に電話がかかってきた。【公衆電話】の表示を(いぶか)しみつつ受話器を取った智也の耳に、藍子の声が入ってきた。

『わたしたち、入院することになったの』

 

 

 翌日、智也は貯めていた小遣いを使って電車を乗り継ぎ、横浜港北総合病院までやってきた。入り口から中へ入り、受付に行こうとして──

(あれ? そう言えば、なんて言えばいいんだ? ユウちゃんに会わせてとか言っても(わか)るわけないし......あれ? どーしよ......)

 入り口付近の割と邪魔なところでフリーズした智也。そこに、

「智也君、久しぶり」

 声のした方を見ると、見慣れた、しかし懐かしい穏やかな笑顔があった。

「藍姉......」

「先生に頼んで、いま受付の人に話通してもらってるから、行こう」

 そう言って藍子は、智也の手を引いた。やや小柄な肉付きのいい男性がこちらを振り向き、笑みを浮かべた。

「こんにちは。君が智也くんですね」

「あ、はい。初めまして」

「2人の担当医を勤めています、倉橋といいます。こちらこそ初めまして」

 倉橋医師と藍子に続いて、病院内を歩く智也。途中あちこちから医療用語が聞こえてきたが、何日も調べものをしていたせいか、断片的にだが意味は解った。

(別に、ユウちゃんや藍姉の病気以外はどーでもいいのに......)

 そう思っていると、藍子に話しかけられた。

「智也君、なんか顔色悪いけど大丈夫?」

「へ? あー......最近ちょっと色々と調べものを......」

「勉強熱心なのはいいことですが、夜更かしはいけませんよ」

 本職の医師からも注意され、智也が決まりの悪そうな表情を浮かべた時、前方から声がした。

「あっ! とー君!!」

 ずっと聞きたかった声に顔を上げると、そこには木綿季がいた。あの日からずっと変わらない笑顔が、そこにあった。

「ユウ、ちゃん......」

 また会えた。その嬉しさで胸がいっぱいになった。

 廊下のベンチに腰かけ、木綿季たちは他愛もないおしゃべりをした。たったそれだけが、とても楽しかった。

「あれ? そう言えばとー君、なんか顔色悪いよ。風邪ひいた?」

「風邪じゃないけど......さっき藍姉と先生にも言われたよ」

 苦笑いする智也の横で、藍子が説明した。

「ここ最近、調べものしてたんだって」

「へーっ! 調べものって、何の?」

「あ、えっとね......」

 ポケットからメモ帳を取り出そうとする智也。そのとき、視界がぐらりと揺れた。

 腕から、いや全身から、力が抜ける。

(あれ......? なんか、力が......)

 視界が真っ暗になり、床の硬さと冷たさを感じた。それを最後に、意識が途切れた。

 

 

「とー君、気がついた?」

 目を開けると、木綿季の顔が見えた。まだぼんやりとする頭を持ち上げると、やはりまだふらついた。

「無理しちゃだめだよ」

 優しく(さと)すように藍子が言う。

「調べものって、ボクたちの病気のことだったんだね」

 木綿季の言葉に、智也は小さく頷いた。

「......うん」

 するとそこに、倉橋医師がやって来た。

「気がつきましたか」

「先生......すみません、いきなり倒れたりして......」

「いえいえ。ですが、軽い過労になるほどに根を詰めるのはよくありませんよ」

 そこで句切ると、青年医師は白衣のポケットからメモ帳を取り出した。

「あ、おれの......」

「失礼ながら、君が寝ている間に読ませてもらいました。とてもよく調べてある。ネットの情報だけでなく、書籍から得た情報で裏も取ってある。それらに記述されていたエイズに対するアプローチだけでなく、君自身で考えたアプローチも書いてある。本職の医師顔負けです」

 ですが、と言うと、倉橋医師は続けた。

「それらについて君自身が言及している通り、どのアプローチにも確実性がない。それどころか、非常にリスキーなものもある」

 (うつむ)く智也に、医師は優しく言った。

「その歳で、我々と同じ結論にたどり着いている。それだけでもすごいことですよ」

 差し出されたメモ帳を受け取りながら、智也は医師に言った。

「『この病気を完治させるには、骨髄(こつずい)移植以外の方法が、現段階の医療では見つかっていない』」

 智也の言葉を、倉橋医師は(つな)いだ。

「ええ。そして、『それぞれの患者に適合する骨髄ドナーが見つかる確率は極めて低い』。君のメモの最後に書いてあったことです」

 残酷なことを言ってしまった罪悪感からか、倉橋医師はわずかに顔を(くも)らせた。だがこれ以上、年端(としは)も行かない少年に無理をさせてはいけないと思ったのだろう。心を鬼にして、医師は言った。

「残酷なことを言いますが、君はまだ小学生です。社会的な地位も権力もない。今の君に直接的にできることは、ありません」

 智也の体が震えた。自身への無力感に(さいな)まれる少年に、倉橋医師は言った。

「ですが、直接的なことはできなくとも、間接的なことはできます。君にできる最大のことは、木綿季くんたちと──」

「............クソ」

 小さな声がした。今にも消えそうなか細い声だったが、そこに(こも)った無力感と怒りを、木綿季たちは感じた。

 けたたましい音がした。智也が拳を、ベンチに叩きつけたためだった。

「くそッッ!!」

 涙に濡れ、自分への怒りに震えた少年の声が響いた。

 全部無駄だった。2人と一緒にいるという決意も。2人の病気を治すためにはどうすればいいか、必死に道を模索したことも。

 何もかもが無駄だった。自分には何もできない。

 そんな真っ暗な無力感しか、智也は感じることができなかった。

 

 

「でも、あのメモすごかったですよね」

 手続きをいくつか省略していため、短時間だった面会を終えて帰路につく智也を見送りながら、藍子は倉橋医師に言った。医師も同意を示す。

「えぇ。ほぼ全ページに渡ってびっしりと書き込んであって......。医療とは無縁な小学生なりに、様々な観点から独自の解釈を加えてあった。更にはそれらにも客観的に欠点を指摘して......本当にすごいです」

 医師の心からといった賞賛に笑みを浮かべると、藍子は冗談混じりに言った。

「ひょっとしたら智也君、将来お医者さんになって、わたしたちの病気を治しちゃったりして」

 しかし倉橋医師は、ゆっくりとかぶりを振った。

「いえ......それについても、彼のメモに書いてありました。そして、僕もそれには同意見でした」

 日本で医師になれるのはどれだけ若くても24歳から。そこから病気の研究や新薬の開発等を進めても、その時点でまだ木綿季や藍子が生きている保証はどこにもない。そして、仮に智也が医師になったとしても、どのみちHIVに対抗する手段は骨髄移植しかない。

 客観的で、的確で、しかし残酷。

 1人の大切な少女のために足掻(あが)いた少年の心は、絶望的な現実に(くじ)かれていた。

 

 

 自宅への向かう間、智也はずっとぼんやりとしていた。頭の中には、帰り際の倉橋医師との会話が残っている。

 

『直接的にできることはないと言いましたが、間接的にできることはあります。木綿季くんや藍子さんと一緒にいて、楽しませてあげて下さい』

『楽しませる......? 病は気から、とかそーゆー精神論ですか?』

『えぇ。あれほどまでに勉強した君には非科学的に思えるかも知れませんが、メンタルが体調に及ぼす影響はかなり大きい。木綿季くんだけなら藍子さんがいますが、木綿季くんと藍子さんの両方を元気づけ、楽しませる。それを実践し、かつ最大の効果を得られるのは君だけです』

 

(そー言ってもなー。病院行くだけでもそこそこの金と時間がかかるから、あんま頻繁(ひんぱん)には行けんし......)

 そう思っていた矢先、智也の耳にニュースが飛び込んできた。

『ナーヴギア専用ソフト《ソードアート・オンライン》は、なんと世界初のVRMMORPGなんです。ゲーム世界に入り込んで、冒険も生活も思いのままに楽しめるという──』

(ゲーム世界に、入る......冒険も生活も、思いのまま......。これなら、ユウちゃんたちと、また......!)

 そうと決めたら、智也はナーヴギアとSAOの初回ロットを入手しようとした。もし木綿季たちにそこまでの興味がなかったとしても、自分が実体験を交えて話せば、木綿季の性格上ほぼ確実に(うらや)ましがる。そうすれば木綿季だけでなく藍子も参加してくるはず。

 なんとか両方を手に入れた智也は、正式サービス開始日、すぐにログインした。

「えっと......り、リンク・スタート」

 そう唱えると、意識が途切れた。目の前に様々な表示が(あふ)れ、何が何やら解らないうちに、キャラクターメイク画面になった。

(名前......ネトゲで本名はアレだし......テキトーに本名もじって、Maeto(マエト)、と......。アバター? ふむ、よう解らん。写真を元に作成......もうできた、便利だな。じゃあこれで、っと)

 などと適当にポチポチやってみたら、いきなり視界が開けた。

「ん......? って、わぁ!?」

 そこはもうゲームの中だった。カラフルな防具に身を包んだ大勢のプレイヤーで(にぎ)わっている。試しにその場でピョンピョン跳んでみるが、現実との違いは重力感覚だけのように思える。この程度の差異ならば、個人差はあれど、すぐに順応できるはずだ。

(すごい......。ここでなら、この世界でなら、また一緒に......!)

 そんな期待に、胸が踊った。

 だが数時間後、再び絶望が襲ってきた。

 

『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』

 

 茅場(かやば)晶彦(あきひこ)を名乗るフーデッドローブの大男による声明を、マエトは途中までしか聞かなかった。クリア条件を聞き届けると、黒鉄宮(こくてつきゅう)に向けてすぐに走った。だが、大勢のプレイヤーがごった返していたため、たどり着けたのは茅場晶彦が消え去るのと同時だった。

 中に入ると、中央に設置された巨大なオブジェクト《生命(せいめい)()》に刻まれた膨大(ぼうだい)な量の文字列を、食い入るように見る。

(確か、プレイヤーの名前はこれに......Yuuはなし、YUUもない、YuukiとYUUKIは......これもない)

 もしこのゲームにログインしているならば、ネーミングセンスのない木綿季はプレイヤーネームを本名のまま、もしくは姉からの呼び名であるユウで登録するに違いない。そして2人の性格上、1人分しかゲームが入手できなかった場合、藍子は木綿季を優先するはずだし、2人分入手できたなら同時にログインしているはず。つまり、

(ユウちゃんの名前がないってことは、藍姉もいないってこと。2人はここにはいない......良かった......)

 そう思って安心したが、すぐに別の不安が生まれた。

(第100層のクリア......何年かかるんだ? クリアして現実に帰って、そのときユウちゃんは生きてるのか? いやそもそも......そのときおれは、生きてるのか......?)

 ふらふらと黒鉄宮を後にすると、2人の男性プレイヤーが路地に入っていくのが見えた。こっそりと様子を見ていると、少年のプレイヤーが青年のプレイヤーに背を向けた。青年の方から《キリト》と呼ばれたそのプレイヤーは、どこか寂しそうな顔をして駆け出した。

(......追っかけよう)

 あの人に着いていけば、リスクは少ないはず。そう読んで、マエトは走った。

 木綿季たちのことは医師に任せるしかない。いま自分にできることは、生き残ることだけだった。

(死ぬもんか......絶対に......!)

 少年はそう決意し、駆け出した。

 それは、彼の剣が血染まる1年前──。




(終わり)

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