ソードアート・オンライン ボンド・アンド・ディスペア 作:Maeto/マイナス人間
ずっと一緒にいた。ずっと一緒にいられると思ってた。一度会えなくなって、それでもまた会えて、それからまた一緒にいて。
──でも、よく考えたらボクは、とー君のことをあまり知らない。
「コロス」
そんなおぞましい音がした。直後、ボス部屋
巨人──新生アインクラッド第30層フロアボス《ザ・デスペレイトシャドウ》は、迫り来る悪魔──マエトに向けてバスタードソードを振るった。
それを
ボスの背後に回り込んでジャンプし、すれ違いざまに背中を切り裂く。
悲鳴を上げてよろめくザ・デスペレイトシャドウに、本来ならボスがプレイヤーを
マエトが縦横無尽に飛び回って剣を振るうさまを、ユウキはただ見ていた。見ていることしかできなかった、と言った方が正しいか。
(......速い......今までよりも、ずっと速い......)
今のマエトの移動速度と攻撃速度は、これまでユウキが見てきた誰よりも──マエト自身よりも速かった。速さだけでなくキレも抜群で、ボスから飛び散るダメージエフェクトの量から、一撃一撃がかなりのダメージを生み出していることが容易に想像できる。スピード、攻撃力、共に圧倒的だ。
だが──
(とー君の目......怖い......)
今のマエトの目には、暗闇以外何も見えていない。血に飢えたような目の奥にあるのは、ただただドス黒い殺意と憎悪だけだ。衝動に突き動かされるがまま、殺すために剣を振るっている。
「コロス。コロス。キル。キル」
笑みのように歪んだ口から、狂ったように
(とー君が......とー君が、遠くに行っちゃう......もう、帰ってこなくなる......)
そんな予感が胸の内から溢れた。
恐らく今のままボスを倒してしまえば、マエトの心は壊れたままになってしまう。狂気に染まったまま、二度と帰ってこない。
確証など何もないがそう直感し、ユウキは我知らず呟いていた。
「やだ......やだよ、こんなの......やめて......止まって......」
こぼれ落ちた涙が、
「お願い......戻ってきて、いつもみたいに笑ってよ......こんなの──嫌だよ、とー君!!」
ユウキはあらん限りの声で叫んだ。
直後、ひときわ鋭いサウンドエフェクトが響き、巨人の体がぐらりと揺れた。首筋から大量のダメージエフェクトを散らすザ・デスペレイトシャドウの後ろで、マエトの口が開き──
「コロス」
声は、願いは、届いていなかった。
力なくその場に崩れ落ちるユウキ。その心を、絶望が徐々に浸食していく。
「やだ......やだ、やだぁ......やだよぉ......」
何度言っても、マエトは止まらない。暴れ狂う少年を見上げ、ユウキは泣いた。
大粒の涙をこぼすユウキの脳裏を、
一緒に遊んだこと、勝負したこと、話したこと。全てがフラッシュバックして──
『相手が意識していなさそーなこと、とか?』
ハッとして、ユウキは目を見開いた。いくつも浮かんできた、思い出の1つ。たしかこれは──
(アスナん家で、作戦考えるときに意識してることを教えてくれたとき......)
不意に、絶望が遠ざかった気がした。
そうだ。言葉で止められないなら、行動するしかない。
どうにかして、一瞬だけでもマエトの動きを止め、彼の虚を
相手の意表を突くにはどうすればいいのか。マエトが意識していないことは何か。必死に考える。そして、
(多分、とー君はボクがこんなことするなんて、考えたことないだろうな......)
1つの答えを導き出した。しかし、
(でも、この方法は......)
方法が方法だけに、ユウキの心には少なからず迷いがあった。上手く行ったとしても、自分とマエトの関係が大きく変わってしまうことが、十分に考えられる。
そのとき、ユウキの目にオレンジの光が飛び込んできた。
次の瞬間、ユウキからやや離れた壁に何かが飛ばされ、激突した。マエトだった。
光源は、ボスが振り回したバスタードソード──両手剣範囲攻撃技《サイクロン》。恐らく攻撃のわずかな隙間に、ソードスキルをねじ込まれたのだろう。
高威力の両手剣技が直撃したにも関わらず、マエトはすぐさま起き上がった。
「コロス。オマエヲ、コロス。コロス、キル、コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス」
マエトの目の奥の暗闇が、ユウキにはより深くなったように見えた。双刃を
(とー君は自分を人殺しって言うけどさ、ボクや姉ちゃんのために頑張ってくれたような優しい君が、それがどんな人であれ、誰かを傷付けることに迷いや後悔がなかったなんて、そんなわけないよね)
彼の涙も迷いも、自分は何も知らない。それなのに、こんなところで迷ってなどいられない。
大きく深呼吸し、決意を秘めた目で前を見据え、ユウキは駆け出した。
コロス。キル。コロス。キル。それだけが、マエトの頭の中を駆け巡っている。
真っ暗になった視界の中、あの男の姿だけが見える。それ以外は見えないし、必要ない。
殺す。今度こそ殺す。絶対に殺す。立ち上がれないように、這いつくばることもできないように、全身バラバラに切り刻んで殺してやる。
そんなドス黒い何かに突き動かされるがまま、マエトはただ飛び回り、剣を振るう。
鮮血のようなものを
ボスの正面の足場を蹴って加速。一瞬で
その直前、全ては一瞬のうちに起きた。
ジェットエンジンじみた轟音を響かせ、マエトとボスの間に少女が斜めに割り込んできた。長髪をなびかせ、深紅に輝く長剣をボスの腹に埋まるほどに突き出し、相手の巨体を後ろに吹き飛ばす。
暗闇しか見えていなかったマエトが、双刃を振るったのはその直後で。
炎の赤に染まった世界の中で、少女の背中から血の赤が飛び散った。
「..................ぇ」
マエトの意識に、一瞬の空白ができた。
ユウキが狙っていたのは、その一瞬だった。
思考も動きも停止したマエトを振り向くや否や、ユウキは前に飛び出し──
放心する少年の唇に、自分の唇を重ねた。
ごめんね、とー君。
本当なら、ボクがキミのことをちゃんと好きになって、その気持ちをちゃんと伝えてからじゃないと、こーゆーことしちゃダメなんだよね。
でも、とー君が遠くに行っちゃうのは嫌だから。ボクと姉ちゃんのために、倒れるまで頑張ってくれた、泣いてくれた。そんなキミの優しさを、温かさを、もっとそばで感じたいから。
あとでいっぱい謝るし、ご飯でもなんでもいっぱい
だから今は、キミを助けるために、ボクに頑張らせて。
相手の
触れ合った唇から、
実際に接触していたのはほんの2~3秒だろうが、ユウキには遥かに長く感じられた。
ゆっくりと唇を離すと、少年の赤く染まった顔が見えた。
その目にあるのは驚きと困惑だけで、先刻の殺意や狂気の類いは見受けられない。
「ユ......ユウ、ちゃ......」
震えた声を聞き、ユウキはクスリと笑った。
「やっと、ボクのこと見てくれた」
そのとき、何かが
「ぅ......あ......」
急激なショックに
離れた場所に倒れる、ユウキの元へと向かっていく。
膝をついたマエトの口から、
「あ......ぁあ、あ......」
絶望で視界が真っ暗になる。血塗られた記憶が
(死ぬ......死ぬ......。おれのせいで、おれの目の前で......また友達が、死ぬ......)
あの日の
──変わっていない、何も。悪魔だ何だと言われようとも、自分は友達すら守れないあの頃のままだ。
そんな
そのとき、
『あぁ、変わってねーよ』
声が聞こえた。
『お前はずっと変わってない』
いつも隣で支えてくれた、あの声が聞こえた。
『お前はあの頃からいつだって、あのユウキって
胸の奥が、熱くなった。
『だから、立てるはずだぜ。俺が信じたお前なら────』
全身を駆け巡る熱に押されるように、マエトの両手が動いた。
右手に氷のような冷たさを、左手に炎のような熱さを感じると、マエトはゆらりと立ち上がった。
1歩。もう1歩。
3歩目を踏み出した時には、絶望も恐怖も消えていた。
「シャアアアアアアッ!!」
奇声を上げながら、ボスがバスタードソードを振り上げた。
唸りを上げて、刃が振り下ろされる。
「──ッ!」
思わず目を閉じるユウキ。
だが、衝撃は来なかった。
代わりに、ガギィィンッ! という金属音。
恐る恐る顔を上げると、目の前に黒いアサシンコートの背中が見えた。逆手に握った双剣で攻撃を受け止めている。
「とー、君......」
呼んでも返事はなかった。だがそれでも、ユウキには解った。もう大丈夫だと。
「シャアッ!」
短く叫ぶと、ザ・デスペレイトシャドウは連続して剣を振るった。
重い衝撃が何度も走り、仮想の空気が揺れる。
再び叫ぶと、巨人はバスタードソードを振り上げ、その刀身に緑の輝きを宿した。
両手剣基本単発技《カスケード》。
(あんなのを受けたら、とー君の剣が折れちゃう!!)
そう思ったユウキの耳に、ボスの雄叫びに混じって小さな声が聞こえた。
「──うるせぇよ」
直後、マエトの剣がバスタードソードに触れた。振り下ろされた刃がわずかにその軌道を変え、マエトのすぐ横の床に叩きつけられる。
とんっ、と、小さな音がした。
地面を蹴った音だとユウキが理解した時には、マエトはボスの顔の横まで駆け上がっていた。
逆手に握った切鬼で、半ば殴るようにしてボスの横っ面を斬りつける。悲鳴を上げたザ・デスペレイトシャドウが、ふらふらと後退する。
その目の前に降り立つと、マエトはユウキに向かって言った。
「ごめん、ユウちゃん。ありがとう」
それだけで、ユウキにはマエトの気持ちは十分に伝わった。
「うん......おかえり、とー君」
少しだけユウキを振り向き、薄く笑みを浮かべると、マエトはボスの方へと向き直った。
自分は人殺し。どうしたって、それだけは変わらない。
でも、ユウキが教えてくれた。その剣で救われた命、守られた命があると。
ユウキはマエトを、《人殺し》ではなく《ヒーロー》だと言った。ベルフェゴールはマエトを、《人斬り》ではなく最強の《剣士》だと言った。
(おれの剣が血で
それでも、そうだとしても──。
自分が人殺しであるのが事実であるなら、ユウキとベルフェゴール──自分が誰より信頼している2人がくれた言葉もまた、事実のはずだ。
おれは人殺しで、悪魔で、でもヒーローで、剣士だ。誰にも否定させない。
長剣を切り払いながら雄叫びを上げる怪物を静かに見据え、マエトが剣を握り直す。
氷と炎の
次回 最後の一撃