ソードアート・オンライン ボンド・アンド・ディスペア   作:Maeto/マイナス人間

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えー、今回もバトル回なんですが......全世界のユウキ推しの人、ほんとごめんなさい。


第19話 踏み出した一歩

 ずっと一緒にいた。ずっと一緒にいられると思ってた。一度会えなくなって、それでもまた会えて、それからまた一緒にいて。

 ──でも、よく考えたらボクは、とー君のことをあまり知らない。

 

 

「コロス」

 そんなおぞましい音がした。直後、ボス部屋壁面(へきめん)の足場から、悪魔が飛び出す。

 巨人──新生アインクラッド第30層フロアボス《ザ・デスペレイトシャドウ》は、迫り来る悪魔──マエトに向けてバスタードソードを振るった。

 それを(かわ)して更に接近すると、マエトはボスの顔を切鬼で斬りつけた。ボスが瞬時に回避行動をとったため傷は浅かったが、マエトは構わず──いや、意識してすらないのか、止まることなく疾走した。

 ボスの背後に回り込んでジャンプし、すれ違いざまに背中を切り裂く。

 悲鳴を上げてよろめくザ・デスペレイトシャドウに、本来ならボスがプレイヤーを翻弄(ほんろう)するための足場を使って、飛び回りながら追撃する。

 マエトが縦横無尽に飛び回って剣を振るうさまを、ユウキはただ見ていた。見ていることしかできなかった、と言った方が正しいか。

(......速い......今までよりも、ずっと速い......)

 今のマエトの移動速度と攻撃速度は、これまでユウキが見てきた誰よりも──マエト自身よりも速かった。速さだけでなくキレも抜群で、ボスから飛び散るダメージエフェクトの量から、一撃一撃がかなりのダメージを生み出していることが容易に想像できる。スピード、攻撃力、共に圧倒的だ。

 だが──

(とー君の目......怖い......)

 今のマエトの目には、暗闇以外何も見えていない。血に飢えたような目の奥にあるのは、ただただドス黒い殺意と憎悪だけだ。衝動に突き動かされるがまま、殺すために剣を振るっている。

「コロス。コロス。キル。キル」

 笑みのように歪んだ口から、狂ったように呪詛(じゅそ)を吐き続けるその姿に、いつもの面影など一切なかった。

(とー君が......とー君が、遠くに行っちゃう......もう、帰ってこなくなる......)

 そんな予感が胸の内から溢れた。

 恐らく今のままボスを倒してしまえば、マエトの心は壊れたままになってしまう。狂気に染まったまま、二度と帰ってこない。

 確証など何もないがそう直感し、ユウキは我知らず呟いていた。

「やだ......やだよ、こんなの......やめて......止まって......」

 こぼれ落ちた涙が、()れ出た言葉を()らす。ボスに動く隙も与えず、猛攻撃を続けるマエトに届けと願い、

「お願い......戻ってきて、いつもみたいに笑ってよ......こんなの──嫌だよ、とー君!!」

 ユウキはあらん限りの声で叫んだ。

 直後、ひときわ鋭いサウンドエフェクトが響き、巨人の体がぐらりと揺れた。首筋から大量のダメージエフェクトを散らすザ・デスペレイトシャドウの後ろで、マエトの口が開き──

「コロス」

 声は、願いは、届いていなかった。

 力なくその場に崩れ落ちるユウキ。その心を、絶望が徐々に浸食していく。

「やだ......やだ、やだぁ......やだよぉ......」

 何度言っても、マエトは止まらない。暴れ狂う少年を見上げ、ユウキは泣いた。

 大粒の涙をこぼすユウキの脳裏を、前田智也(マエト)との思い出が走馬灯のように(よぎ)る。学校や公園、図書館、自宅、病院、そしてALO。あらゆる場所での思い出が、次々に現れては消えていく。

 一緒に遊んだこと、勝負したこと、話したこと。全てがフラッシュバックして──

『相手が意識していなさそーなこと、とか?』

 ハッとして、ユウキは目を見開いた。いくつも浮かんできた、思い出の1つ。たしかこれは──

(アスナん家で、作戦考えるときに意識してることを教えてくれたとき......)

 不意に、絶望が遠ざかった気がした。

 そうだ。言葉で止められないなら、行動するしかない。

 どうにかして、一瞬だけでもマエトの動きを止め、彼の虚を()いて正気に戻すのだ。

 相手の意表を突くにはどうすればいいのか。マエトが意識していないことは何か。必死に考える。そして、

(多分、とー君はボクがこんなことするなんて、考えたことないだろうな......)

 1つの答えを導き出した。しかし、

(でも、この方法は......)

 方法が方法だけに、ユウキの心には少なからず迷いがあった。上手く行ったとしても、自分とマエトの関係が大きく変わってしまうことが、十分に考えられる。

 そのとき、ユウキの目にオレンジの光が飛び込んできた。

 次の瞬間、ユウキからやや離れた壁に何かが飛ばされ、激突した。マエトだった。

 光源は、ボスが振り回したバスタードソード──両手剣範囲攻撃技《サイクロン》。恐らく攻撃のわずかな隙間に、ソードスキルをねじ込まれたのだろう。

 高威力の両手剣技が直撃したにも関わらず、マエトはすぐさま起き上がった。

「コロス。オマエヲ、コロス。コロス、キル、コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス」

 マエトの目の奥の暗闇が、ユウキにはより深くなったように見えた。双刃を(たずさ)え再度飛び出すマエトの背中を見て、ユウキは思った。

(とー君は自分を人殺しって言うけどさ、ボクや姉ちゃんのために頑張ってくれたような優しい君が、それがどんな人であれ、誰かを傷付けることに迷いや後悔がなかったなんて、そんなわけないよね)

 彼の涙も迷いも、自分は何も知らない。それなのに、こんなところで迷ってなどいられない。

 大きく深呼吸し、決意を秘めた目で前を見据え、ユウキは駆け出した。

 

 

 コロス。キル。コロス。キル。それだけが、マエトの頭の中を駆け巡っている。

 真っ暗になった視界の中、あの男の姿だけが見える。それ以外は見えないし、必要ない。

 殺す。今度こそ殺す。絶対に殺す。立ち上がれないように、這いつくばることもできないように、全身バラバラに切り刻んで殺してやる。

 そんなドス黒い何かに突き動かされるがまま、マエトはただ飛び回り、剣を振るう。

 鮮血のようなものを()き散らして、あの男がよろめくのが見えた。隙だらけだ。

 ボスの正面の足場を蹴って加速。一瞬で(ふところ)に入り込むと、マエトは《月輪(げつりん)》と呼ばれた高速の回転斬りをお見舞いする。

 その直前、全ては一瞬のうちに起きた。

 ジェットエンジンじみた轟音を響かせ、マエトとボスの間に少女が斜めに割り込んできた。長髪をなびかせ、深紅に輝く長剣をボスの腹に埋まるほどに突き出し、相手の巨体を後ろに吹き飛ばす。

 暗闇しか見えていなかったマエトが、双刃を振るったのはその直後で。

 炎の赤に染まった世界の中で、少女の背中から血の赤が飛び散った。

「..................ぇ」

 マエトの意識に、一瞬の空白ができた。

 ユウキが狙っていたのは、その一瞬だった。

 思考も動きも停止したマエトを振り向くや否や、ユウキは前に飛び出し──

 

 

 放心する少年の唇に、自分の唇を重ねた。

 

 

 ごめんね、とー君。

 本当なら、ボクがキミのことをちゃんと好きになって、その気持ちをちゃんと伝えてからじゃないと、こーゆーことしちゃダメなんだよね。

 でも、とー君が遠くに行っちゃうのは嫌だから。ボクと姉ちゃんのために、倒れるまで頑張ってくれた、泣いてくれた。そんなキミの優しさを、温かさを、もっとそばで感じたいから。

 あとでいっぱい謝るし、ご飯でもなんでもいっぱい(おご)るから──。

 だから今は、キミを助けるために、ボクに頑張らせて。

 

 

 相手の(ほほ)を両手で優しく包み、ユウキは唇を軽く吸った。

 触れ合った唇から、驚愕(きょうがく)や混乱が伝わってくる。

 実際に接触していたのはほんの2~3秒だろうが、ユウキには遥かに長く感じられた。

 ゆっくりと唇を離すと、少年の赤く染まった顔が見えた。

 その目にあるのは驚きと困惑だけで、先刻の殺意や狂気の類いは見受けられない。

「ユ......ユウ、ちゃ......」

 震えた声を聞き、ユウキはクスリと笑った。

「やっと、ボクのこと見てくれた」

 そのとき、何かが(うな)るような音がし──ノックバックから回復したザ・デスペレイトシャドウが振るった剣が、2人のアバターを叩き、吹き飛ばした。

「ぅ......あ......」

 急激なショックに(うめ)きながら、マエトはなんとか体を起こした。顔を上げると視線の先で、ボスが逆方向へと歩いていく。

 離れた場所に倒れる、ユウキの元へと向かっていく。

 膝をついたマエトの口から、(かわ)いた声が漏れる。

「あ......ぁあ、あ......」

 絶望で視界が真っ暗になる。血塗られた記憶が(よみがえ)る。

(死ぬ......死ぬ......。おれのせいで、おれの目の前で......また友達が、死ぬ......)

 あの日の惨劇(さんげき)が──ベルフェゴールに凶刃が振り下ろされる、あの光景が浮かんでくる。

 ──変わっていない、何も。悪魔だ何だと言われようとも、自分は友達すら守れないあの頃のままだ。

 そんな諦念(ていねん)が、胸のうちに溢れた。

 そのとき、

『あぁ、変わってねーよ』

 声が聞こえた。

『お前はずっと変わってない』

 いつも隣で支えてくれた、あの声が聞こえた。

『お前はあの頃からいつだって、あのユウキって()の友達で、俺の親友で、俺が誰よりも信じてる最強の剣士だ』

 胸の奥が、熱くなった。

『だから、立てるはずだぜ。俺が信じたお前なら────』

 全身を駆け巡る熱に押されるように、マエトの両手が動いた。

 右手に氷のような冷たさを、左手に炎のような熱さを感じると、マエトはゆらりと立ち上がった。

 1歩。もう1歩。

 3歩目を踏み出した時には、絶望も恐怖も消えていた。

 

 

「シャアアアアアアッ!!」

 奇声を上げながら、ボスがバスタードソードを振り上げた。

 唸りを上げて、刃が振り下ろされる。

「──ッ!」

 思わず目を閉じるユウキ。

 だが、衝撃は来なかった。

 代わりに、ガギィィンッ! という金属音。

 恐る恐る顔を上げると、目の前に黒いアサシンコートの背中が見えた。逆手に握った双剣で攻撃を受け止めている。

「とー、君......」

 呼んでも返事はなかった。だがそれでも、ユウキには解った。もう大丈夫だと。

「シャアッ!」

 短く叫ぶと、ザ・デスペレイトシャドウは連続して剣を振るった。

 重い衝撃が何度も走り、仮想の空気が揺れる。

 再び叫ぶと、巨人はバスタードソードを振り上げ、その刀身に緑の輝きを宿した。

 両手剣基本単発技《カスケード》。

(あんなのを受けたら、とー君の剣が折れちゃう!!)

 そう思ったユウキの耳に、ボスの雄叫びに混じって小さな声が聞こえた。

「──うるせぇよ」

 直後、マエトの剣がバスタードソードに触れた。振り下ろされた刃がわずかにその軌道を変え、マエトのすぐ横の床に叩きつけられる。

 とんっ、と、小さな音がした。

 地面を蹴った音だとユウキが理解した時には、マエトはボスの顔の横まで駆け上がっていた。

 逆手に握った切鬼で、半ば殴るようにしてボスの横っ面を斬りつける。悲鳴を上げたザ・デスペレイトシャドウが、ふらふらと後退する。

 その目の前に降り立つと、マエトはユウキに向かって言った。

「ごめん、ユウちゃん。ありがとう」

 それだけで、ユウキにはマエトの気持ちは十分に伝わった。

「うん......おかえり、とー君」

 少しだけユウキを振り向き、薄く笑みを浮かべると、マエトはボスの方へと向き直った。

 自分は人殺し。どうしたって、それだけは変わらない。

 でも、ユウキが教えてくれた。その剣で救われた命、守られた命があると。

 ユウキはマエトを、《人殺し》ではなく《ヒーロー》だと言った。ベルフェゴールはマエトを、《人斬り》ではなく最強の《剣士》だと言った。

(おれの剣が血で()れてるのは、どーしたって否定できない。あの1年で抱いていた殺意が、今になって消えるわけもない)

 それでも、そうだとしても──。

 自分が人殺しであるのが事実であるなら、ユウキとベルフェゴール──自分が誰より信頼している2人がくれた言葉もまた、事実のはずだ。

 おれは人殺しで、悪魔で、でもヒーローで、剣士だ。誰にも否定させない。

 長剣を切り払いながら雄叫びを上げる怪物を静かに見据え、マエトが剣を握り直す。

 氷と炎の波刃(セレーション)が、鋭く輝いた。




次回 最後の一撃

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