ソードアート・オンライン ボンド・アンド・ディスペア   作:Maeto/マイナス人間

32 / 71
全世界のユウキ推し以下略。次回、最終話です。


第23話 届いた想い

§新生アインクラッド 第10層

 

 

 キリトとのちょっとした会談の翌日、マエトは相も変わらず桜の枝にぶら下がっていた。

 ただし、昨日は何も考えずただぶら下がっていただけだったのに対し、今日は考え事をしながらぶら下がっていた。

 考え事の内容はもちろん、ユウキについてだ。

(さーて、どーしたもんかなー)

 ユウキと付き合いたいという目標が明確になった以上、改めてユウキに告白する、ないしはアプローチするのは必須だ。今まで以上に距離を縮める必要がある。

 だが、今の状況では告白すらままならない。というかそもそも会話すらできていないのだ。

 あのボス戦以来、ユウキはアスナたちに捕まらないようにごく短時間しかログインしていないため、会う機会がほとんどない。会えたとしても、ユウキはマエトの顔を見るや自慢のスピードですぐさま逃げてしまう。コンタクトを図るなら、合意の上でなければならない。

 枝にぶら下がったまま左手を振ってウインドウを開く。フレンドタブに移動し、フレンドリストから【Yuuki】を選択する。

(......ログインはしてるのか......)

 それならばフレンド追跡も可能だが、アポ無しは合意の上とは言えない。戦闘中という可能性もあるため、メッセージを送っておくことにする。

 やはりぶら下がったまま入力したメッセージを送信すると、マエトは再びぼんやりと考え事を始めた。

 

 

「うぅ......どうしよう......」

 そんな(うめ)き声が、森の家のリビングで(こぼ)れた。

 ソファにうずくまって赤面するユウキに、キッチンに立つアスナは思わず苦笑した。

 ユウキの前には、1枚のメッセージウインドウが開かれている。送り主はマエトだ。

【ちょっと話したいことあるんだけど会えんかな? 気が向いたら返事ちょーだい】

 普通なら「メール見たら」と書くであろうところで「気が向いたら」と書くのが、のんびり屋のマエトらしい。

 そして気は向いている。と言うより、「マエトのことが好きかもしれない」という自分の気持ちを吐露(とろ)した今、ユウキもまたマエトと話したいことがある。

 だが、今まで友達としてしか見ていなかった異性を急に意識し出したため、どんな顔で会えばいいのか(わか)らないのだ。

 真っ赤に染まった(ほほ)を両手で(おお)いながらジタバタするユウキ。その隣に腰を下ろして、アスナが口を開こうとした。

 だがそれより先に、ログハウスのドアが開いた。

「お邪魔しまーっす」

 と気楽な挨拶(あいさつ)と共に入ってきたのは、鍛治妖精族(レプラコーン)のリズベットだ。

「あ、リズ。いらっしゃい」

 そう言って出迎えるアスナだが、それよりもリズベットが気になったのは、その隣でうんうん(うな)っているユウキの方だった。

「......何してんの?」

「えっと、マエトくんから『話したいから会えない?』ってメール来て、でもどんな顔で会えばいいか解らなくて悩んでる、みたいな......」

 そうアスナが説明している間も、ユウキはずっとうーんうーん言い続けており──

「あーもう! まだるっこしいわね!」

 苛立ったリズベットの叫び声に、アスナとユウキは思わず飛び上がった。

 驚きに目を皿のようにするユウキの前に、鍛冶屋はストレージから取り出したあるものを突き出した。

「ほら、頼まれてたやつ! これで話すきっかけはできたでしょ、とっとと渡して来なさい!!」

 リズベットの剣幕に押されつつ、渡されたものをストレージに入れると、ユウキはソファから立ち上がった。そのままログハウスを後にする──その前に。

「リズ、ありがとう!」

 吹っ切れたわけではないのだろうが、それでも前進させてくれたお礼を言うと、インプの少女は駆け出した。走りながらホロキーボードを叩き、勢いに任せて送信。続いてフレンド追跡すると、それに従って大地を蹴った。

【今からそっちに行くから待ってて!】

 

 

 新生アインクラッド第10層主街区近くの桜の木へと駆け寄るユウキの目に、桜の枝にぶら下がる少年が映った。

 誰あろう、マエトである。

(何してるんだろう......)

 とは思わなかった。代わりになぜか(なつ)かしさを覚えた。既視感と言った方が正しいか。

「あ、ユウちゃん」

 近付いてきたユウキに気付くと、マエトは(ひざ)を軸に体を前後に振り、その勢いで飛び降り着地した。

 それを見て、ユウキは先ほどの既視感の正体に気付いた。

 あれは小学2年の頃だったか。足が遅い、泳げない、体力がない、そして鉄棒ができないという典型的な運動音痴だった智也(ともや)の鉄棒の練習に、木綿季(ゆうき)藍子(あいこ)も付き合ったのだ。

 初めは前回りしかできなかった智也が2週間の特訓の末、初めて逆上がりに成功したときは、木綿季も藍子も自分のことのように喜んだのを覚えている。

 そしてそのまま他の鉄棒技の練習もしたのだが、その1つに今マエトが枝から飛び降りた動き「こうもり振り降り」も含まれていた。いや、正確には怖いからと言って「グライダー」だけは(かたく)なにやらなかった智也が、グライダーの代わりに頑張って練習したのがこうもり振り降りだったのだが。

 あまりの懐かしさにクスリと笑うと、ユウキは駆け寄ってきたマエトに訊ねた。

「ねぇ、とー君。グライダーできる?」

「......グライダー怖い......」

 昔とまったく同じ表情と返答に、ユウキは思わず噴き出した。

 最初はどんな顔で会えばいいのか悩んでいたのに、いつの間にかいつも通り笑っている。

 この少年と一緒にいると、自然と笑顔になってしまう自分がいる。先ほど久々にマエトの顔を見たとき、安堵(あんど)を覚えた自分がいる。

 この少年と一緒にいたいと、ユウキは改めて強く思った。

「そ、それで......話したいことって何?」

 そう訊きつつ目尻に浮かんだ涙を指先で(はじ)くユウキに、マエトは頭を下げた。

「ユウちゃん、ごめん!」

「え? あ、えっと......」

 突然の謝罪に戸惑うユウキだが、謝ることでいっぱいになってしまっているらしく、マエトは構わず続けた。

「ボス戦とか、思い出作りのために行ったのに、あんなとこ見せちゃって......それに、あんなことさせちゃって......本当にごめん」

 瞬間、マエトの言葉によってキスの記憶が呼び起され、ユウキの顔は真っ赤になった。

 だが、今までなら逃げ出していたところを、ユウキが両足を踏ん張って耐えた。

 一度大きく深呼吸してから、優しく言う。

「気にしないで。むしろ、(つら)い記憶を乗り越えて、その上でボクとの思い出も作ってくれたんだから、とー君はすごいよ!」

 お世辞でも(はげ)ましでもなく純粋に本心からそう言うと、ユウキは続けて言った。

「お疲れ様、ありがとう、とー君!!」

 ユウキの言葉を聞いて、マエトはようやく笑顔を浮かべた。

 その顔を見て、ユウキは自分も切り出そうと思い口を開こうとした。

 だが、それよりも早くマエトが言った。

「あのさ、ユウちゃんが良かったら、これから新しい防具とか買いに行くのに付き合ってくんない?」

 出鼻を(くじ)かれたユウキだが、正直まだ告白する心の準備ができていないため、

「う、うん! もちろんいいよ!」

 思わずそう答えてしまった。

「ありがとー。じゃー行こー」

 自分の手をとりアルンに向けて(はね)を広げるマエトの横顔を眺めつつ、ユウキはこう思っていた。

(うぅ......ボクのヘタレェ......)

 

 

 ものの数分でアルンに到着した2人は、大きめの武器屋に入った。リズベット武具店でも良かったのだが、より大きな店の方が色んな防具が置いてあって手っ取り早いという判断だ。

 そして、物色を初めてすぐ、ユウキはあることに気付いた。それは──

「とー君、服のセンスあんまりないんだね......」

 正確には、マエトは防具を選ぶ際、そのステータス補正しか見ていないのだ。

 ユウキも《見た目より実用性重視派》なのでマエトの感覚は解らなくもないのだが、それでも女の子であるがゆえに装備を含む服装に関してはそれなりに気を遣っている。

 だがマエトは、見た目を一切考慮(こうりょ)に入れていない。そのため、たまに出てくる何とも言えない珍妙(ちんみょう)な服にも、

「ほう......いいな、これ......」

 という感想を口にする始末だ。

 このあと告白しようかと考えている身としては、その格好はちょっとな......的な服装をされていると困るため、ユウキも実用性が高く見た目も悪くない防具を──恐らくマエトよりも──頑張って探した。

 その甲斐(かい)もあってか、ユウキは条件に当てはまる防具をすぐに見つけた。

「あっ! いいの見つけたよ、とー君!」

 そう言って、見繕(みつくろ)った防具類をセットでマエトのストレージに入れる。

「ほら、そこで試着できるって! 着てみてよ!」

「ふむ、そう言うなら......」

 ユウキのチョイスを信頼してか、マエトはステータス補正も見た目も確認せずにフィッティングルームに入った。

 閉められたカーテンの向こうから、ウインドウを操作する音が聞こえる。音が止んでカーテンが開くと、ユウキは「わぁっ......!」と顔を輝かせた。

「カッコいい! 似合ってるよ、とー君!!」

 ユウキが選んだのは、青紫色のハーフコートに黒いズボンとブーツ、そして指抜きのグローブだ。ついでに選んだ赤いベルトは、自分の防具とのお(そろ)いである。

(とー君と、お揃い......)

 ユウキの些細(ささい)思惑(おもわく)も知らず一通り自分の体を眺めると、マエトはハーフコート──正式名《ライトニング・ジャケット》のステータスを確認した。

 紫電(しでん)の名をもつように、敏捷力(びんしょうりょく)に大きく補正がかかっている。ズボン等も申し分ない。ベルトだけが少し派手すぎる気もすると思ったマエトだが、見た目には興味はないのでスルーした。

「いいね、これ。ありがとーユウちゃん、これにするよ」

「良かった!!」

 このときユウキが言った「良かった」には「気に入ってもらえて良かった」と、「とー君がさっき見てた黒いエナメル素材のビキニアーマーみたいなのが選ばれなくて良かった」の2つの思いが込められていたことを、マエトは後々になって知るのであった。

 

 

 ユウキが選んだ防具ワンセットを購入すると、マエトは大きく伸びをした。

「うーん......あとは剣かー。これと同じくらいのあるといーなー」

「これ?」

 マエトの言葉に首を傾げるユウキだが、「これ」が何かはすぐに解った。

 マエトの左腰に、いつの間にか片手直剣が吊られていたからだ。

「それ、いつの間に買ったの?」

 そう(たず)ねたユウキに、マエトは首を横に振った。

「買ってないよ、これは30層ボスのLA(ラストアタック)ボーナス」

 そう言ってユウキに剣を見せようと、マエトは(つか)に手を伸ばした。

 そのとき、

「お、マエト。新しい装備買ったのか」

 インプ2人が顔を上げると、キリトがいた。隣や後ろにアスナやリーファ、シノン達も見える。大勢で買い物に来ていたようだ。

「うん、ユウちゃんが選んでくれた」

 両腕を広げて装備をよく見えるようにするマエトに、彼の腰で光る白銀の(つば)を指差してリーファが訊ねた。

「その剣も?」

「んーん。これは30層ボスのLAボーナス」

 先ほどと同じフレーズをもう一度言うと、マエトは藍染めの革が巻かれた柄を今度こそ握った。黒革の鞘と白銀の鍔の隙間から、青白い光が()れる。

 涼やかな音と共に現れたのは、鮮やかな青に輝く片刃直剣だった。

「すっごぉい......」

綺麗(きれい)......」

 ユウキとアスナが感嘆(かんたん)の声を漏らす。

 アイスブルーの美しい刀身は細く華奢(きゃしゃ)だが、その鋭さは見る者に獰猛(どうもう)な印象を与えてくる。刃渡りは《白鞘(しろさや)切鬼(せっき)》や《黒鞘(くろさや)裂鬼(れっき)》と同じくらいか。

 白銀に輝く円環形の(つば)は、アスナに旧アインクラッドでの愛剣《シバルリック・レイピア》を思い起こさせた。

 マエトに剣を渡されたリズベットは、剣をタップしてプロパティを見た。

「剣の銘は《シャドウリッパ―》......『影を裂く者』ってとこね。LAボーナスだけあって、性能は文句なしね。繊細(せんさい)な感じの見た目だから、耐久度の減りは早いかもだけど」

 表示されたプロパティ窓だけでなく刀身もじっくりと見るリズベットに、マエトは頭を軽くかきながら訊いた。

贅沢(ぜいたく)かもだけど、それと同じくらいのがもう1本あればなーって。リズさんとこにある?」

 すると鍛冶屋は顔を上げ、ニヤリと笑った。

「そういうことなら、ちょうどいいのがあるわよ」

 そう言ってリズベットは、ユウキの方をちらりと見た。返された剣を鞘に納めつつマエトが振り向くと、ユウキはちょうど今ストレージから取り出したばかりの何かを、慌てて後ろ手に隠し持った。

 ユウキとリズベットが、再度アイコンタクトを()わす。

 謎の目配せに首を(かし)げるマエトに、ユウキが持っていたものを差し出した。

「はい、プレゼント!!」

 そう言ったユウキの手の中にあったのは、黒革の鞘に納められた片手用の片刃直剣だった。シンプルな柄頭(ポメル)とナックルガードが、控えめな金色に輝く。

「これって......?」

 きょとんとした顔で訊くマエトに、ユウキははにかむように笑った。

「30層迷宮区の宝箱から出てきたインゴットを、リズに剣にしてもらったの」

「あー、メテオライト・インゴット......でも、いいんか? あんなレア鉱石......」

 後半はリズベットにも向けた言葉だったが、ユウキは即座にそれを(さえぎ)った。

「いいの!! それよりほら、早く装備してみてよ」

「あ......うん」

 ユウキの勢いに押されるまま、マエトは剣をストレージに入れ、装備フィギュアを操作。装備品一覧に追加されたばかりの片手剣を装備した。

 右腰に頼もしい重みを感じると、マエトは右手を伸ばして柄を逆手に握った。黒い巻き革が、しっかりした感触を伝えてくる。

 右手に力を込め、しゅきんっと音を立てて抜剣。くるりと回して順手に握り替える。

 わずかに先反りのある剣の全長は、一般的な片手直剣よりも短い。マエトが最も使い慣れた、小太刀(こだち)に近いサイズだ。

 シャドウリッパ―よりもやや幅広な刀身の色は、淡い紫。白銀に輝くエッジは鋭く、《白鞘(しろさや)切鬼(せっき)》や《黒鞘(くろさや)裂鬼(れっき)》を上回る切れ味を秘めていることが解る。

 オーソドックスかつシンプルだが、それゆえに頑丈(がんじょう)そうな造りは、かつての愛剣以上の丈夫さを伝えてくる。

 無言で剣を様々な角度から眺めたマエトは、ストレージからもう1本の剣を取り出した。チャロアイトブレード入手後、ストレージに放置していた初期装備のショートソードだ。

 不思議そうな顔をするユウキたちの前で、ショートソードをじっと見つめていたマエトは、

「......ほいっ」

 軽い調子で、ショートソードを上空へと放り投げた。

 くるくる回転しながらゆっくりと落ちてくる小剣を見上げ、マエトは紫色の剣を握り直した。

 数秒後、ショートソードがマエトの目の高さまで落ちてきた。

 瞬間、マエトが右手の剣を一閃した。その斬撃の速さと威力に、仮想の空気が局所的に荒れる。

 そしてショートソードの刀身が甲高い音を立てて真っ二つになり、無数のポリゴン片となって散った。

 ポリゴン片の雨の中、ゆっくりと体を起こしたマエト。

 その姿に、ユウキは自分の胸が高鳴るのを感じた。

 そんなユウキの胸中など知る(よし)もないマエトは、ユウキに向かって笑うと、

「切鬼裂鬼よりもちょっと重いけど、十分使いやすい重さだよ。むしろちょーどいい」

 そう言って、満足げな表情で(うなず)いた。改めて剣をひとしきり眺めると、左手で刀身をタップする。

 プロパティウインドウに記された固有名は《Struggler》。

「ストラグラ......」

「多分、足掻(あが)くって意味のstruggleが語源ね。『足掻く者』ってところかしら」

 アスナの説明を聞いて、マエトは苦笑した。

「切鬼裂鬼から、なんか泥臭(どろくさ)い名前になったなー」

 キリトやアスナも同様に苦笑する。

 だが、ユウキだけは「そんなことないよ」と言った。

「確かに泥臭いかもだけど、でもそれよりも......」

 木綿季や藍子のために、己の無力を知りながらも行動した。

 SAOに囚われて、木綿季たちと現実で会うべく走り出した。

 ベルフェゴールの死後1年間、地獄の底で独り戦い、生還した。

 殺意に染まった過去の自分を、持てる全てを使って乗り越えた。

 先の見えない絶望の中、心が折れてもなお、泥を()ってでも進み続けた。

 それが、ユウキの知る前田智也(マエト)という少年だ。

「すごく強くて優しくて温かくて──カッコいい名前だと思うよ」

 そう微笑むユウキに、マエトもまた笑みを返した。

 

 

 買い物を終えたユウキとマエトは、再び第10層の桜の木の下に戻ってきていた。

「いやー、いい買い物したなー。改めてありがとーね」

 いつもと変わらぬ笑顔で言うマエトに、ユウキはぎこちなく頷いた。

 マエトからユウキへの謝罪は終わり、マエトの新しい装備一式も揃った。

 あとは自分が告白するだけだと、自分自身に言い聞かせるユウキだが。

(う......うわぁ~っ! いざ告白するとなるとすっごい緊張(きんちょう)する!! とー君もこんな緊張したのかな、こんな緊張して頑張って告白してくれたのを振ったのボク!? とー君ごめん!!)

 などと考えて頭の中がグルグルしているユウキの耳に、マエトの声が入ってきた。

「──ちゃん。ユウちゃん? ユウちゃんってば」

「うぇっ!? あ、ごめん! な、何かな!?」

 ずっと呼ばれていたのに気付いていなかったようだ。改めて内心で謝るユウキに、マエトが少し心配そうに言った。

「いや、なんか顔色悪そうっていうか、変な感じだからさ」

 顔を上げると、マエトは桜の向こう側──(へい)(はさ)んで建つプレイヤーホームを指差した。

(うち)でお茶飲んでゆっくりしよっか。お茶請(ちゃう)けなんかあったかなー」

 そのままユウキに背を向け、マイペースに門の方へと歩いていくマエト。そのコートの(すそ)を、ユウキは反射的に(つか)んでいた。

「ユウちゃん? どしたの?」

 きょとんとするマエトだが、ユウキはそれどころではなかった。

 何せ反射で動いてしまったのだ。この後のことなど何も考えていない。

 だが、このまま何も言わないのはさすがに不自然極まりないとユウキも思うため、思い切って口を開いた。

「とー君、あのさ!」

「うん」

「............あのね?」

「うん」

 とりあえず口を開いたはいいものの、やはりこの先が出てこない。恥ずかしさが強すぎて言えない、と言った方が正しいか。

 自分のコートの裾を握りながら、耳まで真っ赤にして固まるユウキを心配しつつ、マエトはじっとユウキの次の言葉を待った。

 そのままどれくらい経っただろうか、ユウキの口から小さな声が(こぼ)れ落ちた。

「..................好き......」

 長い時間をかけてようやく(しぼ)り出せたのは、たったそれだけの小さい一言だった。

 そしてその一言で、マエトの思考は全て吹き飛んだ。基本的にいつでも冷静なはずが、急にごめんねと言うユウキに、

「うん......まぁ、急だね......」

 と返すことしかできなかったくらいだ。

「......でも、この気持ちは急じゃないのかも知れない」

 ふと、ユウキがそう言った。

「昔とー君に好きって言われたとき、ボク(うれ)しかったんだ。ずっと、キミは姉ちゃんが好きなんだと思ってたから......ずっと悔しかったんだ」

 一旦(いったん)口を閉じて呼吸を整えると、ユウキはマエトの目を真っ直ぐ見つめた。

 一度(あふ)れ出した感情は、そのまま止まることなく言葉になった。

「でも、キミはボクのことを好きって言ってくれた。ひどいこと言って振ったり、何年も会えなかったりしたのに、それでもずっと変わらずにいてくれた。すごく嬉しかった!」

 一陣の風が、桜の枝を揺らす。その音に負けないよう、しっかりと相手に伝わるよう、ユウキは自分の気持ちを言葉にしてマエトにぶつけた。

「好き......キミのことが好き。初めての感覚で、まだ全然(わか)んないことばっかりだけど......それに、前にひどいこと言って振ったけど、それでも、こんなボクでも良かったら──付き合って、下さい!!」

 ほんの少しの沈黙の後、マエトははにかむように答えた。

「おれも、ユウちゃんのことが好き。ずっと変わってないし、ずっと変わんないよ。だから......よろしくお願いします」

 その言葉を聞いた瞬間、ユウキは最上級の笑顔を浮かべた。

「やったぁ──!! アハハハハハッ!!」

 歓声を上げ、我慢できないと言うふうに飛び出し、勢いよくマエトに抱き着く。

「おわっ、とと......あぶぁっ!」

 バランスをとろうとして失敗し、ユウキごと倒れこんだマエト。その上から、明るい声が降った。

「とー君、ボク今すっごい幸せだよ!!」

 そう言って満面の笑みを浮かべるユウキを、マエトは優しく抱きしめた。小さく華奢な体から、たくさんの感情が流れてくるのが解る。

「とー君、大好き!!」

 そう言いつつ、ユウキは心の中でこう言った。

 ──姉ちゃん、パパ、ママ、見てる? ボクに生まれて初めて、友達じゃなくて恋人ができたよ!

「うん。おれも大好きだよ、ユウちゃん」

 そう返しつつ、マエトは心の中でこう言った。

 ──藍姉(あいねえ)、見てる? 藍姉が言った通り、おれの気持ち届いたよ。

 

 

 そして、ユウキとマエトの気持ちが通じ合った翌日、智也(ともや)の携帯電話に1通のメールが届いた。

 差出人は木綿季の担当医の倉橋。「大至急」という件名のメールの内容は、

【木綿季くんが大変です。大至急、病院に来てください】

 といったものだった。




次回 絶望の果て

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。