ソードアート・オンライン ボンド・アンド・ディスペア   作:Maeto/マイナス人間

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最終話です。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。


第24話 絶望の果て

「アスナ......とー君、来てくれるかなぁ......?」

「先生が送ったメールに【すぐ行きます】って返信あったみたいだし、それにさっき先生が入口のところに迎えに行ったから、すぐに来るよ」

「そっか......うん、すぐ来てくれるよね......」

「そうだよ、だってマエトくんだもん。すぐユウキに会いに来てくれるよ」

「そうだね、とー君だもんね」

「うん。だから、もうちょっとだけ待とう」

 

 

 横浜港北総合病院の玄関ホールに入った前田(まえだ)智也(ともや)を、木綿季(ゆうき)の主治医である倉橋(くらはし)医師が迎えた。

「智也くん、お待ちしてました」

「ご無沙汰(ぶさた)してます、先生」

 挨拶(あいさつ)を済ませ、受付でパスカードを受け取ると、智也は倉橋医師に着いていった。

 走るのはマナー違反のため早歩きで廊下を突っ切り、エレベーターに乗る。倉橋医師が4階のボタンを押すと扉がゆっくりと閉まり、やはりゆっくりと箱が動き出した。

「......先生」

 不意に智也が口を開いた。

「なんですか?」

 振り向いた倉橋医師に、智也はこう(たず)ねた。

「──ユウちゃんは元気ですか?」

「............へっ!?」

 医師の()頓狂(とんきょう)な反応を見て、智也はやっぱりといった様子で息を吐いた。

「メールの文面からおかしいと思いましたよ。先生の性格的に、危なくなったなら【容態が急変しました】とでも書くはずなのに、書いてあったのは【木綿季くんが大変です】とかいう曖昧(あいまい)な文。どーせ検査の結果が今までにないくらい良かったのをサプライズで教えようって、ユウちゃんがイタズラ心で提案したとか、そんな感じじゃないんですか?」

 冷や汗をダラダラ流す青年医師に、智也はにししと笑った。

「先生、嘘が下手ですね」

 智也がそう言った直後にチーンと音が鳴った。4階到着(とうちゃく)を告げるアナウンスが流れ、エレベーターの扉が左右に開いた。

 トボトボ歩きながら、倉橋医師は苦笑いを浮かべた。

「すごいですね、智也くんは。せっかくのサプライズをあっさり見破ってしまうなんて」

「先生の嘘が下手なだけですよ。医者として、容態が急変したなんて縁起でもないことを言いたくなかったんでしょうけど」

「そうですね。正直、本当に容態が急変した場合でもない限り言いたくありません。いいことではありませんからね」

「あの文面が、医者として譲歩(じょうほ)できるギリギリのラインだったんですね」

「えぇ。さすがに患者の容態を(いつわ)ることはできませんでした」

「でもおれだったからいいですけど、普通なら不謹慎(ふきんしん)ですからねー。今後はやっちゃダメですよー」

「肝に銘じます」

 そんな会話をしながら歩く2人。だがその向かう先は、明らかに木綿季の病室とは違う方向だった。

 智也が不審(ふしん)そうに眉をひそめる。そのとき、倉橋医師が言った。

「智也くん。君の推測はほとんど正解です。ですが、1つだけ間違っています」

 足を止めて言う倉橋医師をじっと見て、智也は言葉を待った。

 しかし医師は、無言で智也に先に進むよう(うなが)した。

 つい旧アインクラッド時代からの(くせ)警戒(けいかい)しつつ前に進むと、そこはラウンジだった。広々とした空間の中に、智也は見知った人を見つけた。

「あれ、アスナさんも来てたんだ」

 栗色のロングヘアを見て、いくらか警戒を解いた智也。そのとき────

 

 

「とー君!!」

 

 

 元気な声と共に、明日奈の陰から少女がぴょこっと顔を出した。

 ミディアムショートの黒髪。くりくりした大きな目。白いヘアバンド。そして何より、イタズラっぽい無邪気な笑顔。

 間違えるはずもない、紺野(こんの)木綿季(ゆうき)本人だ。

「検査の結果が良かった、ではありません。完治です。木綿季くんの病気は、完全に治りました」

 今度こそ、医師は容態をはっきりと言った。

「デュエルトーナメントあったでしょ? あの後くらいに骨髄(こつずい)移植(いしょく)できたんだ! そこからずっとリハビリしてさ。サプライズだからバレないようにALOもやらないとだったし、大変だったよー」

「わたしは水遊びした後にユウキから教えてもらったけど、心臓に悪いよねー」

 ニコニコ笑って言う木綿季に続いて、明日奈が苦笑混じりに言う。

 だが、智也は至極(しごく)冷静に訊ねた。

「ユウちゃん、これ何本に見える?」

 そう言って少年が立てた指の本数を、木綿季は戸惑いつつも答えた。

「え? 3本」

「これは?」

「2本」

「これは?」

「7本」

 返答は即時、かつ正確だ。うーんと(うな)りながら、智也は(あご)に手を当ててぶつぶつと(つぶや)いた。

「ちゃんと見えてる......。でもユウちゃんは、サイトメガロウイルス症と非定型抗酸菌症で視力をほぼ喪失(そうしつ)してたはず......てことは、これ義眼か?」

 診察(しんさつ)じみたことを始めた上に病名や病状まで正確に把握し、現在の木綿季の状況を素早く考察する智也に、明日奈は思わず舌を巻いた。同様に感心する倉橋医師は、しかしかぶりを振った。

「いえ。正真正銘、木綿季くんの肉眼です。視力のほとんどを喪失したとは言いましたが、抗ウイルス剤等を投与して経過観察したところ、少しずつ視力が回復していったんです。無論(むろん)奇跡的(きせきてき)であることに変わりはありませんが」

 倉橋医師の説明に「ふむ......」と(うなず)くと、智也は次のオーダーを出した。

「ユウちゃん、ちょっとこっちまで来て」

「うん」

 楽しそうに笑って歩く木綿季の動きを、智也は仔細(しさい)に観察した。

(動きにかくつきとかひっかかりとかはない......(ひざ)の曲がりも(なめ)らかだし、アクチュエータとかの駆動音も当然聞こえん......義足じゃなく、本物の足だ)

 目の前で足を止めた少女をなおもじっと見つめる智也に、倉橋医師は苦笑気味に言った。

「木綿季くんはこの日のために、毎日リハビリを頑張っていましたよ。それはもう、僕が心配するくらいに」

 それを聞いて、木綿季はバツが悪そうに頭をかいた。

「お守りみたいな感じでアスナにOSS渡して、いつでもアスナと繋がってるー! 頑張れるー! って思ったら、つい張り切りすぎちゃって......」

 えへへと笑う木綿季に呆れつつ、智也は医師に向けて言った。

「でも、いま3月末ですよね。デュエルトーナメントから1ヶ月しか経ってないですよ。いくらなんでもリハビリ期間が短すぎません?」

 智也の指摘は的を射ている。だが、倉橋医師はそれを想定していたかのように微笑んだ。

「木綿季くんはメディキュボイドを用いて、フルダイブ生活を3年間続けていました。ほとんど寝たきり状態のため、全身の骨や筋肉が(おとろ)えていたのは事実です。しかし、フルダイブゲームにおいてアバターを動かす感覚と、現実で肉体を動かす感覚は同一なんです」

 医師の説明の先を見抜き、智也は言葉を引き継いだ。

「そーか......体感覚はそのまま保たれていたから、あとは弱まった体──骨と筋肉を修復して馴染(なじ)ませるだけでいいのか」

「その通りです。運動して、しっかり栄養を()って休ませる。肉体の修復にも時間はかかりますが、木綿季くんは若いですからね。そのぶん回復も早かった。本来ならば半年はかかるリハビリが、1ヶ月で終わったのはそれが理由です」

 医師の言葉に納得する智也に、木綿季が言った。

「リハビリ始めてからは、一般病室に移ったんだ。そこからはずっとメディキュボイドじゃなくてアミュスフィアを使ってたの」

 それを聞いて、智也は得心が行ったように手をポンと叩いた。

「あー、だから水着壊れたのか」

「み、水着......?」

 戸惑う明日奈に、智也は説明した。

「みんなで水遊びしたとき、《ヌシ》の歯が引っかかってユウちゃんの水着壊れたでしょ? 多分、メディキュボイドとアミュスフィアのマシンスペックの差のせいで、反応速度に微妙なズレが生じてたんだろーね。で、ユウちゃんはそれにまだ慣れきってなかったから、ヌシの突進を避けきれんかった」

 ユウキの反応速度なら避けることができたであろう巨大魚の突進を、ユウキは避けきれずに喰らってしまった。それで違和感を抱いたマエトは、水遊びの後ユウキに鎌をかけてみたというわけだ。

「だからあのとき、ボクが隠し事してるって思ったんだ......」

「うん。でも30層攻略のときはなんともなかったから、気のせいかなーって思ったんだけど」

「あー、うん。さすがにそれは万全がいいって思ってさ。その日だけメディキュボイドを使わせてほしいって、先生にお願いしたの。とー君に『2人だけで30層攻略は無理だからやらない』とか言われたらどうしようかと思ったよー」

「まぁそんなポンポン使えるもんでもないしねー」

 そう返すと、智也はふぃーっと長く息を吐いた。

「しっかし、病気治すのに結局おれは何の役にも立たんかったなー。あんな意気込んでたのに」

 自嘲(じちょう)気味に笑う智也だが、倉橋医師は即座にそれを否定した。

「いえ、君のあのメモのお陰ですよ」

 きょとんとした少年の顔を見て、医師は5年前の記憶を辿(たど)った。

「あのメモのことを、他の病院に勤めている同期に話したんですよ。そしたら彼が『子供がこんなに頑張ってるのに、本職の大人が諦めてられるか!』と言い出しまして。そこから話が広がって行って、AIDSに(たず)わる大勢の医師が動いたんです。結果、木綿季くんに適合する骨髄(こつずい)ドナーが、こんなにも早く見つかった」

「あー、なるほど。子供に負けじと大人が本気出してこーなったんだ」

 ちょっとアレな言い方だが、それでも倉橋医師は大きく頷いた。

「そうです。君の努力が、何人もの医師を動かしたんです」

 己の無力を知りながら、少年は足掻(あが)き続けた。そして無情な現実を前に絶望した。

 全てが無駄だと思っていた。無意味な努力だったと思っていた。

 だが、決して無駄などではなかった。

「智也くん。君が木綿季くんを救ったんです」

 そこで言葉を切ると、倉橋医師は深々と礼をした。

「医師を代表してお礼を言います。智也くん、本当にありがとうございました」

 

 

「んんっ、ぁあ~~......風がひんやりしてて気持ちいいね!」

 大きく伸びをする木綿季(ゆうき)に、智也は「そーだねー」とのんびり返した。

 明日奈と倉橋医師の──主に明日奈の──計らいで、木綿季と智也は2人きりで病院の屋上に来ていた。

 携帯電話で時間を確認すると、午後4時を少し過ぎた頃だった。空はまだ明るいが、風は夕方のそれに近く、ちょうどいい冷たさだ。

「とー君と一緒(いっしょ)にここの景色見れるなんて、前は思いもしなかったよー」

 からからと笑う木綿季だが、智也は違うことの方が気になっていた。

「ところでさー、ここ来る途中にすれ違ったナースさんら、おれのこと知ってんの?」

 屋上に着くまでの間、手を(つな)いで歩く2人を見たナース達が、クスクス笑いながら言っていたのだ。

『ねぇ。あの子って、もしかして......』

『そうそう、5年前のあの子』

『へー、あれが紺野さんの......』

 どうも智也のことを知っているらしい。でなければ5年前などとピンポイントな数字は出てこないだろう。

 そんなことを考える智也に、木綿季はフェンスにもたれかかりながら苦笑した。

「そーだよー。っていうか、この病院で働いてる人のほとんどはキミのこと知ってるよ。ベンチ叩いてでっかい声で叫んだんだもん」

「う......」

 確かに昔そんなことをやらかしたような気がする......。という表情の智也を見て、木綿季はまた笑った。

「でも、キミがあんなになるまで頑張ってくれてたから、今ボクはこうしてキミと一緒にいれるんだよ」

 顔を上げた智也をまっすぐ見て、木綿季は言った。

「キミのお陰で、キミをこんなに大好きになれた。......全部、キミのお陰なんだよ。ありがとう」

 短い静寂(せいじゃく)が、2人の間を満たす。程よく冷えた風が肌を()で、木綿季の顔の火照(ほて)りを冷やしていく。

「そっか......」

 ポツリと呟いた智也の(ほほ)を、光るものが(つた)った。

 (あわ)てて(ぬぐ)う智也だが、その目からは次々と大粒の涙が(こぼ)れる。

「良かった............ほんとに、良かっ、た......良かったぁ......!」

 最初に完治と聞かされても、智也は木綿季の体に異常がないか冷静に確認していた。

 その後もいつも通り、のんびりと笑っていた。

 だが、本心では誰よりも安堵(あんど)していたのだ。

 大好きな木綿季が無事に帰ってきてくれたことが、何よりも、誰よりも嬉しかったのだ。

 だが、5年前に木綿季に言われた「泣いているところを見たくない」という言葉を守って、ずっと(こら)えていた。ずっと張り詰めていた心を、そのまま張り詰めさせていた。

 そして、それにも限界が来てしまった。

「......ごめん、ちょっと待ってて......。すぐ、止まると思うから......」

 そう言って木綿季に背を向けると、智也は何度も涙を(ぬぐ)った。

 その背中を見て、木綿季は思った。

 5年も前に言ったことを未だに覚え、健気(けなげ)に守ろうとしてくれる。誰よりも、自分のことを大切に思ってくれる。ひどいことを言われ、何年も会えずにいて、それでも変わらず想い続けてくれる。

 そんな相手に、人生でどれだけ(めぐ)り会えるだろう。

 そんな相手に愛してもらえることなど、人生でどれだけあるだろう。

 ──いいのかな......ボクだけ、こんなに幸せで......。

 ふと、ひときわ強く風が吹いた。

 (あたた)かな、お日様の匂いがする風だった。

 その風に背中を押されるようにして、木綿季は智也に歩み寄り──

 涙をある程度止めて振り向く少年に、そっとキスした。重なった(くちびる)から、ちゅっと可愛らしい音が鳴る。

 ゆっくりと口を離すと、真っ赤になった智也の顔が視界に入ってきた。

「ユ......ユウ、ちゃ......!?」

 ボス部屋のときと同じ反応をする智也を見て、木綿季は......

「............あ」

 口を手で押さえ、小さく声を()らした。

「え? え?」

 戸惑いで頭が回らないのか、わけが解らず疑問符を大量に浮かべる智也に、木綿季は赤面しながら慌てて言い訳した。

「ちっ、違うの! 今のは、えっと......や、やり直し! ボス部屋でのやつの、やり直しをしたの!!」

 風に押されるがままほとんど無意識でしただなんて言えないし、ボス部屋で勢いだけでしちゃったアレがファーストキスなのは仕方ないとしても、せっかく想いが通じ合ったのならちゃんとキスしたいって気持ちもあったから、嘘ってわけでもないし......。

 などと内心でもあれこれ言い訳する木綿季に(あき)れたように()(いき)()くと、智也は照れたように言った。

「......やり直すんなら、もっとちゃんとやり直させて」

「へっ? ──わ、あっ......」

 予想外の言葉に(おどろ)く木綿季。その背中を押し付けられたフェンスが、小さくカシャンと音を立てた。

 2人のシルエットが重なり、それと同時に静寂(せいじゃく)が訪れた。(ふさ)がれた口の隙間から()れた吐息が、春風に乗って流れていく。

 唇を離さないまま、2人の両手が同時に動いた。持ち上がった手がすぐに相手の手を探り当て、指を絡めてキュッと握る。

 触れ合った唇から、握り合った手から、たった1つの、しかし膨大(ぼうだい)な感情がお互いの心に流れ込む。

『大好き』

 不意に、2人の目から涙が(こぼ)れた。吐息にもわずかに嗚咽(おえつ)が混じる。

 だが木綿季も智也も、そんなことはもうどうでも良かった。

 長い長いキスが、如実(にょじつ)に教えてくる。

 2人は今、ただひたすらに幸せなのだと。

 このまま全てが終わってしまってもいいと、そう思えるほど────。

 

 

ソードアート・オンライン ボンド・アンド・ディスペア 第1部 ー絶望の旅路ー

(終わり)




第1部、完。です。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
開始は未定ですが、第2部の構想もちゃんと練ってありますので気長に待っていただけると幸いです!
Pixivで再開し次第こちらにも出します!

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