ソードアート・オンライン ボンド・アンド・ディスペア   作:Maeto/マイナス人間

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智也と木綿季の家の間取り図を貼っておきます。作者に建築の知識は一切なく、この間取り図も「イメージこんなん」くらいのノリで適当に描いたものです。建築系の読者の方々に「こんな物件ねーよ」とか「間取り図描くの下手か」とか言われても「イメージです、テキトーです、気にしたら負けです」としか言えないので悪しからず。

間取り図
【挿絵表示】



第4話 帰宅

「ふぃー、だいぶキレイになったー」

 そう呟くと、智也(ともや)(ひたい)の汗を(ぬぐ)った。

 この日、智也は家の中を掃除(そうじ)していた。家が(せま)く家具も少ないため、掃除自体は非常に楽だ。いつもは気が向いたときにざっくりとやる程度だが、この日の掃除はいつもより少しだけ丁寧(ていねい)だった。

 今日から木綿季(ゆうき)が、この家に住むからだ。と言っても、彼女のぶんの机やベッドを置くために、元々空き部屋だった彼女の寝室だけを掃除したのだが。

 掃除を終え、のんびりと水を飲んで休憩(きゅうけい)してから、今度は積んであったダンボールに歩み寄る。中から大小様々な部品を取り出し、ベッドやら机やらタンスやらを組み立てる。

 1人で重たい家具3つを相手にガチャコガチャコと奮闘すること2時間弱。この上なく簡素ではあるが、木綿季の寝室が出来上がった。

(まぁユウどっちかって言うとミニマリストな方だし、これでいーでしょ)

 そう考えつつ部屋を出ると、時計が午前10時30分を指していた。ちょうどいい時間だ。

 手早く身支度(みじたく)を整え、智也は家を出た。

 約1時間後、智也は銀座4丁目にいた。待ち合わせ場所でぼんやりしていると、一台の車が目の前に止まった。後部座席から降りてきたのは、私服姿の紺野(こんの)木綿季だった。

「お待たせ、とー君!」

 木綿季の服装は昔と同じ、赤のパーカーに黄色のパンツと、動きやすさ重視のスタイルだった。

(わー、(なつ)かしー)

 内心ほっこりする智也だが、彼もまたパーカーとジーンズという昔と同じスタイルだった。パーカーが青から薄いグレーになったくらいしか変化がない。

 木綿季が智也の隣に移動すると、運転席のパワーウィンドウが下がった。顔を出したのは倉橋医師だ。

「さて、一応は勤務時間中なので手短(てみじか)に......改めて木綿季くん、退院おめでとうございます」

「お世話になりました。先生もお元気で」

 木綿季の言葉に(おだ)やかな笑みを浮かべると、倉橋医師は顔を智也に向けた。

「智也くん、木綿季くんをお願いします」

「頑張ります」

 2人の顔を順に見やると、倉橋医師は満足そうに(うなず)いた。

「それじゃあ、僕は病院に戻ります。2人共、お幸せに」

 そう言って、医師は車を発進させた。小さくなっていく車をしばらく見送ってから、

「じゃー行こっか」

 そう言って、智也は木綿季の手を握った。「うん」と小さく頷くと、木綿季は智也に続いて歩き出した。

 人通りの多い道を歩いてしばらく経った頃、ふと智也が立ち止まった。すぐ横の建物をじっと見上げている。

 木綿季がその視線を追ってみると、建物の2階の窓の向こうで、眼鏡をかけたスーツ姿の男性がコーヒーを飲んでいるのが見えた。

「あの人が、えっと......キクオカさん?」

 なんとか名前を思い出した木綿季に、智也が頷いた。

「うん、そう。SAO事件の被害者のために色々と仕事したり、おれの家とか生活費とか学費とかの面倒見てくれたりしてる人」

 ざっくりとした説明に「はぇー」と奇妙な声を漏らした木綿季の手を、智也はくいっと軽く引いた。

「行こ。約束の時間、もーすぐだよ」

 そう。これから木綿季と菊岡の顔合わせなのだ。少なからず緊張していた木綿季だが、ほんの数十秒後、店に入ってから緊張の種類が変わるとは思っていなかった。

 急ぎ足で建物の中に入り、エレベーターで2階に移動。ドアが自動でスライドすると、やはりスーツ姿のウェイターがピシッとした挨拶(あいさつ)で2人を出迎えた。

 お二人様ですか、と聞いてくるウェイターに、木綿季は先ほど感じていたのとは別種の緊張で何も答えられなかった。

 何せこんな高級な喫茶店など来たことどころか想像もしたことすらないのだ。正直な話、エレベーターの(とびら)が開いてクラシックが聴こえてきた時点で、木綿季は冷や汗をかいていた。

 対して智也はマイペースというかクソ度胸というか、いつもと変わらぬ様子で「あそこの人と待ち合わせです」と応じていた。

 智也が指差した先に、木綿季とウェイターが同時に顔を向けた。そこで、

「おーい、マエトくん。こっちこっち!」

 そんな声が飛んできた。シックな喫茶店に似つかわしくない大声の主は、先ほど智也が目視確認していた眼鏡の男性だった。

 かしこまりました、と一礼(いちれい)するウェイターにペコリと頭を下げると、智也は目的の席に向かって歩き出した。緊張で足が思うように動かない木綿季も、転ばないようになんとか着いていく。

 やっとの思いで──時間にすれば5秒もかかっていないのだが──辿(たど)り着いた席に座ると、2人の前におしぼりと革製のメニューが現れた。

「さ、何でも頼んでください」

 向かいの席でにこやかに笑いながらそう言う男性に戸惑(とまど)い、木綿季は隣に座る智也を振り向いた。

「デザートと飲み物1個ずつくらい頼んどきなよ。遠慮(えんりょ)してると押し問答になるから」

 助け船なのかよく解らない言葉に(うなず)いて、木綿季は改めてメニューに視線を落とし──愕然(がくぜん)とした。

「シュ......! シュークリームで1200円もするの!?」

 なんとか大声は我慢(がまん)して、しかし驚きは隠せなかった木綿季に、智也は苦笑した。

「うん、おれも最初来たときびっくりした」

 冷や汗をダラダラと流しながらメニューを見る木綿季。その視線がある2ヶ所を行き来しているのに気付き、智也はウェイターに向かって言った。

「じゃー、プリン・ア・ラ・モードとカプチーノください」

 驚いて顔を上げる木綿季に、智也は「半分あげる」と耳打ちした。

 少年の優しさに対する(うれ)しさと、見透(みす)かされた悔しさで板挟(いたばさ)みになりながらも、木綿季も注文した。

「えっと......ミルクレープ・フランボワズソース......と、ロイヤルミルクティーください」

 2人の注文を聞き届けたウェイターがキビキビと立ち去ると、向かいの席に座っていた男性が、木綿季に1枚の小さな紙を差し出した。名刺だ。

「初めまして。僕は総務省総合通信基盤局の菊岡(きくおか)と言います」

 慌てて名刺を受け取ると、木綿季もつっかえながら挨拶する。

「あっ......はっ、初めまして! 紺野(こんの)木綿季(ゆうき)です! えと、ボクの引っ越しの準備とかしてくださって、本当にありがとうございます!!」

 他の客の邪魔にならない範囲だが、緊張からか声が大きくなってしまった少女に、智也も菊岡も苦笑した。

「いえいえ。マエトくんには以前、僕の部下が多大な迷惑をかけてしまいましたからね。その彼からの相談に、全力で応えただけですよ」

 そう言って菊岡はテーブルに(ひじ)を突き、口の前で両手を組んだ。

「それだけが理由じゃないけどね」

 一瞬、菊岡の口が音もなくそう動いたが、智也も木綿季も気付くことはなかった。

 ほどなくして、ウェイターが華奢(きゃしゃ)なワゴンを押してやってきた。テーブルの上に音もなく並べられたスイーツと飲み物に、木綿季は思わず息を呑んだ。

「す、すごい高級感......!」

 圧倒されながらも、木綿季は金色のフォークに手を伸ばした。

 深紅のソースがかかったケーキを小さく切り取って口に運ぶ。木苺(きいちご)のソースの濃厚な風味と、何層にも重ねられたクレープ生地と生クリームの独特な食感を楽しんでいると、小さなケーキはあっと言う間に消滅してしまっていた。

 温かいミルクティーを飲んでほぅ、と息を吐くと、目の前にクリームがどっさり乗ったプリンが押しやられてきた。だが、確かに体積は減ってはいるが、運ばれてきたときの3分の2くらいのサイズだ。どう見ても半分ではない。

 木綿季が隣を見ると、智也はすまし顔でコーヒーを飲んでいた。

 ニヤニヤしながらこちらを見てくる菊岡に思わず顔を赤くしながら、木綿季は小声で「ありがとう......」と言い、プリンを食べた。

「いやぁー、いつもは遠慮ばっかりなマエト君が珍しく真っ先に注文したと思ったら、そういうことだったんだねぇ」

 意味深な笑みを浮かべる菊岡に、智也は事も無げに言った。

「まー、こんなんでも一応は彼氏なんで。普段ついてないカッコをつけたいだけです」

「なるほど。しかし、思春期の男女があんな小さな家に2人で暮らすとは、若い衝動(しょうどう)が暴走しないといいけどね」

 菊岡のそんな下世話な発言の意味を、木綿季は理解できなかった。

 その後、木綿季の帰還者学校への編入のタイミングやら、移住するにあたっての諸注意やらの話をして、菊岡と木綿季の顔合わせは無事に終わった。

 雑踏(ざっとう)の中に消えていく菊岡の背中を見送った後、木綿季はうーんと大きく伸びをした。

「ふぅー.....ケーキもプリンも美味しかったけど、すっごい疲れた気がするよぉ......」

「だねー。おれはもう慣れたから緊張はしないけど、エギルさんとこの喫茶店のが気楽だなー」

 そう言いながらも、智也は菊岡が去って行った方向に鋭い視線を向けていた。

(ユウの移住の相談したとき、菊岡さん二つ返事でOKしたんだよなー、いくら何でもあっさりすぎる。なんか裏でもあるのか......?)

 短く息を吐き、首を左右に倒してコキコキ鳴らすと、智也は木綿季に手を差し出した。

「じゃー、次は買い物行こー。食器とか色々買わんと」

 智也の手を握ると、木綿季は笑顔で頷いた。

 

 

 電車と徒歩で数十分、2人はショッピングモールに来ていた。智也がよく買い物に来ている場所だ。

 2人がまず買ったのは、木綿季が使う食器類だ。ご飯茶碗と汁物用の茶碗、(はし)、コップ代わりのマグカップ等を木綿季が物色している間、智也はどこかに電話をかけていた。

 そして食器類を購入した後、智也は木綿季を連れて入口のところに戻った。

「とー君、なんでここに来たの?」

 首を傾げる木綿季に、智也は周囲に視線を走らせながら答えた。

「さっき呼んだ助っ人が、そろそろ来てくれる頃なんだけど......」

 そのとき、2人の肩がポンと叩かれた。振り向くと、栗色のロングヘアの少女が微笑んでいた。

「2人共、お待たせー」

「アスナ!!」

 嬉しそうな顔をする木綿季の隣で、智也が言った。

「すまんねー、急に来てもらって。おれ女性ものの下着の選び方とか知らないから」

「知らなくていいんです!」

 苦笑混じりにそう言うと、結城(ゆうき)明日奈(あすな)はランジェリーショップのある方向を指差し言った。

「それじゃあ、行きましょう」

 数分後、目的の店──ランジェリーショップの前に着いたところで、智也が思い出したように言った。

「あ、そーだ。病院でユウの身長とか色々聞いてきたから、なんか採寸(さいすん)とか()るならこれどーぞ」

 そう言って智也は明日奈に、携帯端末の画面を見せてきた。メモアプリが起動されている画面には、

【身長150cm, 体重36kg, B73 W53 H74】

 と表示されていた。

 まがりなりにも思春期真っただ中の少年がどういうメンタリティーで恋人の体重やら3サイズやらをメモに記録したのかが大いに気になったが、

「......そ、そんなの要らないわよ、もう......」

 明日奈は苦笑して──その顔は引きつっていたが──流すだけに(とど)め、深くは追及しなかった。

「......そ、それにしても、ユウキ細いなぁー。3年もフルダイブしてたなら仕方ないけど」

 そう言いながら店内に入っていく明日奈に、木綿季と智也も続いた。直後、

「うん、マエトくんは別のおつかいを頼まれてくれないかなぁ?」

 口調とは裏腹に有無を言わさぬ圧力を言葉に込めた明日奈に従い、智也は大人しくランジェリーショップを後にした。

 

 

 木綿季用の下着を買い終えた2人が店から出てくると、店の前で100円ショップのレジ袋片手にボーっとしている少年がいた。15歳の少年がランジェリーショップの前でぼんやりと立っている光景に違和感を覚えながらも、明日奈は声をかけた。

「マエトくん、お待たせ。洗濯ネット買えた?」

「ばっちりです」

 袋を(かか)げる智也に頷くと、明日奈は2人を連れて洋服店に向かった。木綿季の私服とパジャマを購入すると、もう夕方になっていた。

「それじゃあ、わたしは帰るね」

 そう言った明日奈に、木綿季は笑顔でお礼を言った。

「アスナありがとー!」

 智也も頭をかきながら言った。

「すまんねー、下着とか洋服のお金は今度返すよ」

「このくらい別にいいわよ。せっかくユウキが退院して現実復帰するんだもの、むしろこういうときはこれからも呼んで」

 そう言って微笑む明日奈に、智也は改めてお礼を言った。

 明日奈と別れると、智也は木綿季の手を引いて帰路に就いた。

 重い荷物を運びながら、なんとか無事に家に着くと、智也は軽く息を吐いた。

「ここが、とー君の家......?」

 そういう木綿季に、そう言えばまだ見せたことなかったっけと呟く。

「うん、そーだよー」

 頷きつつ(へい)(とびら)を開け、中に入る智也。それに続いて、木綿季も玄関まで移動する。

 開錠した玄関ドアを開けた智也が、木綿季に入るよう(うなが)す。

「えっと、お......」

 お邪魔します、と言いそうになって、木綿季は口を閉じた。

 ここは智也の家だが、これからは自分の家でもあるのだ。自分の家に入るなら、こう言うべきだ。

 そう思い直し、木綿季は笑顔で言った。

「ただいまっ!!」

「ん、おかえりー」

 家に入り、リビングに移動すると、智也はキッチンの横のドアを指差し言った。

「あれがユウの部屋ね。おれは晩メシの準備するから、タンスに服とか下着とか片付けて待ってて」

「うん! 晩ご飯楽しみー、お腹減ったなー」

 ニコニコしながら部屋に入ると、木綿季は紙袋から買ったばかりの衣類を取り出し、タンスの中にしまっていった。そこまで多くは買わなかったため、衣類の片付けはすぐに終わった。

 新品のベッドのヘッドボードの収納部に、病院から持ってきたアミュスフィアを置くと、それで全ての荷物が片付いた。木綿季がベッドに飛び乗り、マットレスのフカフカ具合いとシーツのスベスベ具合いを堪能(たんのう)していると、ドアの向こうからスパイシーな香りが(ただよ)ってきた。

「っ!」

 部屋から出てキッチンを(のぞ)き込むと、智也が火にかけた鍋の中身をかき混ぜていた。中身は木綿季が大好きな──

「やったぁ、カレーだ!!」

 目を(かがや)かせる木綿季に、智也は言った。

「こないだ病院で何食べていいかとか聞いたけど、もう普通の食事していいくらいまで回復したって聞いたからさ。せっかくならユウの好きな物でって思って、作っといたんだー」

 あらかじめタイマーをオンにしていたのだろう、ちょうど米が()き上がった。

「そこの台()きでテーブル拭いといてー」

「あ、うん!」

 (うなず)いてから、木綿季はふと懐かしさを感じた。今の智也の言葉が、かつて夕飯前に母親に言われた言葉とそっくりだったのだ。

 胸にこみ上げてくるものをなんとか抑え、木綿季は智也を手伝った。

 ローテーブルにポークカレーとサラダが並べられ、2人はソファに並んで座った。

「いただきます!」

 そう言って手を合わせると、木綿季はスプーンを手に取った。たっぷり盛られたカレーをすくい、口に運ぶ。

「~~っ! 美味しいっ!! 美味しいよ、とー君!!」

 顔をキラキラさせる木綿季に、智也はほっとしたような表情を浮かべた。

「良かったー。いつもはおれの好みで味付けしてるけど、それとは違う味付けにしたからさー」

 そう言って、智也もスプーンを動かした。もぐもぐと咀嚼(そしゃく)していると、不意に隣から鼻をすする音がした。

 振り向くと、木綿季がカレーを食べながら涙を流していた。

 こうして現実に帰ってきて、誰かと食卓を囲んでいる。そのことで、木綿季の中で様々な感情がこみ上げてくる。夕飯の準備前は抑え込めた感情が、とめどなく(あふ)れてくる。

「おいしい......とっても、おいしいよ......!」

 涙を(ぬぐ)いながら言う木綿季に、智也は「そっか」と短く答え微笑(ほほえ)んだ。

 

 

 夕飯を食べ終えた2人が後片付けをしていると、家の中に軽快(けいかい)なサウンドが流れた。

「お、風呂()いた」

 タオルで手を拭きながら智也が(つぶや)くと、木綿季が言った。

「あ、じゃあ一緒に入ろうよ!」

「え?」

 目をパチパチさせる智也に、木綿季もきょとんとした表情を浮かべた。

「いや、おれは別にいいけどさ......いいの? こっちの風呂、あっちのほど広くないけど」

 特に表情も変えずに訊ねた智也に、木綿季は少しだけ首を(ひね)り──やっと気付いた。

 ALO内のマエトの(プレイヤーホーム)にいるときと同じ感覚で、とんでもないことを言ったことに。

 それと同時に、仮想の体とは言え、目の前の少年に裸を見せていたことの羞恥心(しゅうちしん)が、今さらのように爆発した。

「あっ......えっと、えっと......」

 顔を真っ赤にして目をグルグルさせる木綿季に、智也は苦笑しつつ言った。

「おれまだちょっとやることあるからさ、先に風呂入っちゃって」

「う、うん......!」

 照れ隠しなのか、ブンブンと勢いよく首を縦に振ると、木綿季はパジャマを持って風呂場に向かった。

 浴室に入ってまず体を洗ってから、木綿季は浴槽(よくそう)の中に身を沈めた。

「んっ、うぅ~ん......! はぁ~......」

 確かにALOの浴槽と違って広くなく、木製ではなくホーロー製だが、熱いお湯の中で手足を伸ばす感覚は、ALOでの入浴で感じるそれよりも気持ち良かった。

 木綿季が目を閉じて浴槽の壁面に体を預けていると、(とびら)の向こうから声が飛んできた。

「ユウ、タオルここ置いとくよー」

「うぇっ!? あっ、うん! あ、ありがとう!」

 慌てて答えてから、薄い扉の向こうに智也がいることを実感して、木綿季の中で恥ずかしさが再燃した。

 大好きな人と一緒に暮らせるという幸せにばかり目が行っていて気付かなかったが、智也との2人暮らしの弊害(へいがい)のようなものを、木綿季は感じた。

 その後、ずっとドキドキしたまま入浴を終えた木綿季は、パジャマを着てリビングに戻った。バスタオルで頭を拭きながらドアを開けると、智也はいなかった。

「あれ?」

 そう呟き、自分とマエトの寝室をそれぞれ覗き込むだが、やはりいなかった。

(トイレの電気は消えてたし......やることあるって言ってたけど、外にいるとか?)

 そう思って玄関に向かった木綿季。

 そのとき、玄関横の空き部屋の中から音がした。衣擦(きぬず)れの音と、ブンッと空気が(うな)る音、そして荒い呼吸音。

 そっとドアを開けると、家具が1つも置かれていない暗い部屋の真ん中に、1人の少年がいた。

 電気は点いていないが、光源があった。智也の足元に置かれた携帯端末だ。画面の中で、1人の男性が蹴りやパンチを繰り出している。その動きをトレースするように、智也の体が動く。鋭い蹴りが空気を裂き、ブンッと音が鳴る。

 廊下の明かりが入ったことに気付いたのか、智也が振り返った。

「あ、ユウ」

「あ、ごめんね。邪魔しちゃったかな?」

 首を縮める木綿季に、智也はふぃーっと息を吐いて答えた。

「いや、もー終わったからダイジョブだよー」

 床に置かれた携帯端末とタオルを取り上げ汗を拭く智也に、木綿季は「格闘技の練習?」と訊ねた。

「うん。菊岡さんの知り合いに格闘技得意な人がいるらしくて、その人が2週間に1回くらい動画を送ってくるの。それ観ながら、風呂の前に毎日練習してる」

 この家に住むときに菊岡から、護身術を習うように(すす)められたのが始まりらしい。

「へー、すごいねぇ」

 素直に感心すると同時に、木綿季は新生アインクラッド第30層ボス攻略を思い出していた。確かにあのときマエトは、自分に向かって倒れてくる巨人型ボスを蹴りで押し戻していた。現実でも十分な威力の蹴り技を、パワー・スピード共に生身の体を大きく上回るアバターで放ったのだ。その威力は想像に(かた)くない。

 そして同時に、木綿季はあることを思い出した。

 その後、風呂に入ってさっぱりした智也が水を飲みながら、

(うーん......課題とかはもう片付けちゃったしなー。何しよっかなー)

 などとぼんやりと考えていると、ソファに座る木綿季がこう言った。

「ねぇ、とー君。ちょっとお(しゃべ)りしよーよ」

「ふむ、いーよ」

 コップ代わりに使っているマグカップを洗ってから、木綿季に隣に座る。

 すると、彼女は予想外のリクエストを出してきた。

「ボクさ、とー君とベル君の話を聞きたいんだ」

 少しだけ驚く智也に、木綿季はわずかに目を伏せて言った。

「さっきちょっと思い出したんだけどさ......30層のボスと戦って、とー君がおかしくなっちゃったときさ、ボクはとー君のことあんまり知らないんだなって、何となく思ったの」

 そこで句切ると、木綿季は続けた。

「だからボク、もっと知りたい。ボクが知らないキミのこと......楽しかったこと、(つら)かったこと、全部知りたい」

 真っ直ぐ目を見て木綿季が言うと、智也はにししといつも通りに笑った。

「いーの? 途中で眠くなっても知らないよ?」

「大丈夫、まだまだ元気だよ!」

 そう明るく笑う少女に、智也はかつての相棒との想い出を、ゆっくりと語った。




次回 想い出と幸せ

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