ソードアート・オンライン ボンド・アンド・ディスペア 作:Maeto/マイナス人間
OS編の1話1話が長すぎたんです。今回のが普通サイズです、きっと。
第11話 新天地
§帰還者学校
「そう言えばさー、聞いた?」
そんな声が飛んできて、
家事や買い出しのために、授業が終わったらとっとと教室を後にする智也だが、クラスメートとは普通に親しく接している──交友関係はそこまで広くないが。
いつも通り音楽でも聴こうかと思っていた智也は、首にかけたヘッドホンに伸ばしていた手を下ろした。
「聞いたって、何を?」
聞き返した智也に、彼が気楽に話せる数少ない友人の1人である男子は、眠たそうに答えた。
「転入生が来るんだって、うちのクラスに」
「へー」
適当な調子で返事をすると、どんな子が来るのかなーという声が聞こえてきた。
もう5月も初旬を過ぎようかという微妙な時期の転入生に、何人かのクラスメートはいくらか楽しみそうな様子だった。手付かずの課題を大急ぎで写している者や、隣の席の男子のようにゲームのしすぎで眠たそうな者は、あまり興味を向けていないが。
智也もまた、転入生がどんな人かには興味がなかった。何せどんな人が来るか──と言うより、誰が来るかを知っているのだから。
ヘッドホンで音楽を聴いていると、しばらくして担任が教室に入ってきた。
「はーい、みんな席に着いてー」
担任の指示を受け、生徒たちはガタガタと音を立てて移動した。教室を見渡して全員の着席を確認すると、女性教師は再度口を開いた。
「もうみんな聞いてるみたいだけど、今日は転校生を紹介します。それじゃあ入ってきて」
担任が最後の一言をドアの方に向かって言うと、教室中の全ての視線が──智也だけは机の陰で携帯端末をいじっていて見ていなかった──ドアに集中した。
ガラガラと音を立ててドアが開き、次いで足音が聞こえた。教室に入ってきた転入生の姿を見て、ヒソヒソとした声が聞こえてくる。女子たちのヒソヒソ声の内容は「すごく細い」「スタイルがいい」が主だったが、男子たちは「けっこう可愛くね?」「明るそう」といった内容だった。智也の隣で眠たそうにしている男子も、一瞬顔を上げて「おっ......かわいい......」と
「はい、それじゃあ自己紹介して」
担任のそんな声が聞こえて、携帯端末でパズルゲームをやっていた智也は黒板の方へと視線を移した。
小さく細い体を、帰還者学校の制服に包んだ少女が立っていた。ミディアムショートの黒髪と、白いヘアバンドが印象的な転入生は、はきはきした声で名乗った。
「初めまして、
木綿季はずっと後になって知ったのだが、この帰還者学校に編入制度が導入されるのは2026年の8月。木綿季がそれより3ヶ月も早いタンミングで転入できたのは、
(あれ思ったよりも大変だったなー)
などと智也が思っていると、木綿季の小さな声が聞こえてきた。
「えっと......その......」
ちらりと視線を向けると、木綿季は緊張したような面持ちで、わずかに
言いたいこと、言おうと決めていたことがあるのに、いざとなると言う勇気が出ないといった様子だ。
智也がじっと視線を送っていると、不意に木綿季が顔を上げた。智也の視線に気付いたらしい。
大きく深呼吸をすると、木綿季は自分に向けられた多くの視線に向き直り、口を開いた。
「ボクは、少し前までHIVキャリアで......つまり、エイズに感染していました」
その
「ですが、今はもう完治して、退院もして......皆さんと同じ、普通に生きています」
シンと静まり返った教室に、少女の明るい声が響く。
「病気のせいで小学校は途中までしか通えなかったし、入院してからは外にも出れなかったから、知らないことばかりです。そんなボクなので、色々と教えて下さい!」
そう言って、木綿季は深くお
誰も何も言わなかったが、不意にパチパチという音がした。顔を上げると、首にヘッドホンをかけた少年が、優しく微笑みながら小さく拍手していた。
『頑張ったね』
少年は何も言わなかったが、木綿季はそう言ってくれているように感じた。
直後、教室中の生徒たちが一斉に拍手し出した。自分の過去を素直に打ち明け、歩み寄った少女を
いま木綿季の前に広がっているのは、《視聴覚双方向通信プローブ》で
ひとまず拍手を止めさせると、担任は生徒たちに向けて言った。
「えー、紺野さんは
そこで句切り、教室を見回すと、担任は智也の隣に座る男子に向けて言った。
「
「あ、はーい」
そう言うと、三浦と呼ばれた男子は後ろの席へと移動した。
少しばかり驚いている智也の隣に座ると、木綿季は
「やったね。よろしくね、とー君」
「うん、よろしくねー」
返事をしつつ、智也は内心でこう呟いていた。
(こんなことまで仕込んでたのか、菊岡さん......)
その後の休み時間、木綿季の机の周りには人が集まっていた。朝の自己紹介を聞いて、木綿季と仲良くなりたいと思った者は思いの外多かったようだ。
好きなものは何か。休みの日は何をしているのか。その他色々な質問を続けざまに投げかけられ、木綿季は早くもキャパオーバーを起こし始めていた。
(う......とー君、助けて......)
そう思って隣の席に視線を向けるが、智也は音楽を聴きながらパズルゲームをしており、木綿季の方には視線を向けていない。
だが、木綿季はそれがわざとだとすぐに気付いた。クラスメートたちに声をかけ、木綿季に余裕を作ることは可能だろうが、クラス内の交友関係は自力で確立しなければ意味がない。だから、木綿季がクラスメートと交流する際は、本当に必要でない限りはひたすら無視を決め込むつもりなのだ。
(よし......頑張る!)
そう意気込み、木綿季はクラスメートたちの質問攻めに向かい合った。
「ねぇ、木綿季ちゃん。連絡先交換しようよ」
「あ、うん! もちろん!」
制服のポケットから携帯端末を取り出すと、木綿季は電源ボタンを押した。画面が明るくなり、ロック画面が表示された。
小さな液晶の中で、2人のインプがデュエルを繰り広げていた。
「あ! それ、《
「《
「デュエルトーナメントすごかったよね、この2人!」
木綿季の携帯端末の画面を見た
(.......さて、トイレ行くか)
ふと嫌な予感がして、智也は立ち上がった。
「そのユウキとマエトって、この2人なんじゃないの? 顔似てるし」
木綿季の後ろの席から飛んできた三浦の声で、木綿季の周辺の声が瞬間的に全て消えた。直後、
「あああああ! ほんとだああああ!」
「すげぇ! え、俺めっちゃファン!」
先ほどを上回るほどの
その後、2人は休み時間の度にクラスメートたちに囲まれたという。
昼休みが始まって少し経った頃、
いつもは
お手製のサンドイッチやおにぎりを交換したりして食事を楽しんでいた明日奈に、1人のクラスメートが声をかけた。
「結城さん、お客さんだよ」
「お客さん?」
声のした方を振り向くと、教室のドアの前に立つ女子の陰から、黒髪の少年がヒョコッと顔を出した。
「マエトくん!?」
「どーもどーも」
ひょいっと小さく手を挙げる少年に駆け寄ると、明日奈は「どうしたの?」と訊ねた。
智也が明日奈と学校内で会うことは今まで何度もあったが、智也が明日奈の教室に訪れたことは一度もなかった。初めてかつ唐突、何より予想外なことに、明日奈も思わず
そんな明日奈に智也は、どこか疲れたような表情で言った。
「いやー、ちょっと教室がえらいことになりまして。いたらいいなーと思って逃げてきた」
「えっと......大丈夫?」
思わず目を点にしつつも心配する明日奈に、智也は「だいじょぶだいじょぶ」と答えてから続けた。
「あと、大好きなアスナさんに会いたいって言ってるクラスメートがいてさ、案内ついでに同伴してもらった」
そう言い終えるや、智也の陰から1人の少女が飛び出した。「アスナー!!」と叫びながら突撃すると、
「ユウキ!? 転入してきたの!?」
今日最大の驚きを口にし、しかし即座に状況を理解すると、明日奈もまた嬉しそうに木綿季を抱きしめた。
「ボク、ちゃんとアスナと同じ学校に通えるようになったんだよ!」
「そっか......やったねユウキ......!」
思わず目尻に涙を浮かべる2人を、智也は静かに見守った。
そのとき、明日奈のクラスメートたちが口々に言い出した。
「ねぇ、その声って......」
「うん。前に結城さんが肩に乗せてた機械の......」
「え!? てことは、あの子が紺野さん!?」
「退院したんだね! おめでとー!」
結局、自分の教室と同じように囲まれてしまったが、それでも木綿季はやはり幸せそうだった。
楽しそうに談笑する木綿季たちを見て、智也もまた
「ねぇ、あの子も結城さんと紺野さんのお友達?」
振り向くと、声の主であろう女子が智也を指差していた。指が示す先を見て、明日奈は
「うん、そうだよ」
そう答えた明日奈に対して、木綿季は少し迷うように目を泳がせると、
「う、うん! そんなところ!」
と
──まぁ恋人も友達の延長みたいなもんか。
そんなことを思いつつ、智也は訊ねてきた年上女子に向けて「そんなところのよーです」と他人事のように答えた。
そのとき木綿季は、何となくだが不意に胸のざわつきを覚えた。以前どこかで感じたのと同じような感覚が、木綿季の足を無意識に智也の方へと動かす。だが、
「ねぇ、紺野さんってさー」
「えっ? う、うん、何かな?」
明日奈のクラスメートに話しかけられ、足はすぐに止まった。
その後、そのまま会話が続き、いつしか十数分が経過していた。ふと思い出し、木綿季は智也のいる方を見やった。
数人の年上の女子が、智也を囲んでいた。
女子高生たちの向こうで、お菓子を食べている智也が見えた。恐らく木綿季を待っている間に、明日奈の級友たちがくれたのだろう。幸せそうに目を細め、モグモグとお菓子を
「可愛いー......」
「ハムスターみたーい......」
そんな声が聞こえた瞬間、忘れていたざわつきが胸の中に
「え? ちょっと、ユウキ!?」
明日奈が呼びかけるのにも気付かず、少年の元へと向かう。
その先にいる智也は、口の中のお菓子を飲み込むと、それをくれた女子生徒にペコリと頭を下げていた。
「たいへんおいしゅーございました」
「いえいえ。喜んでもらえて何よりです、なんて」
そう返して笑った女生徒の前で、
智也が振り向くと、そこには木綿季がいた。赤くなった
その様子を明日奈は、
(わぁ~、ユウキ焼きもち焼いてる。なんか可愛いなぁ~)
そんなことを考え、ほわんほわんとした笑顔で見守っていた。
そのとき、校内に予鈴が鳴り響いた。もう少しで昼休みが終わる。早く自分たちの教室に戻らなければ。
木綿季の頬を指で
「じゃー、おれらはそろそろ行きますのでー。アスナさん、またねー」
「あ、うん。2人共またー」
ほわんほわんと返事した明日奈に手を振り、智也は木綿季の手を引いて教室を出た。
少し早足で
「......とー君のばーか」
不意に、木綿季がぼそっとした声で言った。木綿季の口からは聞いたことのないフレーズに目をぱちぱちさせる智也に、木綿季は続けて口を開いた。
「あーゆー年上のお姉さんの方がいいんだー、ふーん。とー君ほんとは甘えたさんだもんねー、ボクみたいな大人っぽくないお子様じゃ不満なんだー」
などとブツブツと言う木綿季に、智也はというと、
(ユウ、昔はこーゆーこと言うタイプじゃなかったのに、変わったなー。かわいー)
確かに昔の木綿季はこのようなことは言わなかったが、それは当時の木綿季が智也を友達だとしか思っていなかったからだ。恋心を知ったことで、同時に嫉妬も覚えたのが今の木綿季のため、変わったというのもあながち間違いではない。
それはさておき、
(こーゆーときってどーすればいいんだ?)
悲しいことに、智也はこういったシチュエーションなど経験したこともなければ、経験すると思ったことすらない。恋人の機嫌を
旧アインクラッドで
「うーん......でもおれ、ユウ以外の女の子とか、そんな興味ないんだよねー」
「え......?」
智也の言葉に、今度は木綿季が目を
「まぁアスナさんとかシノンさんとか......あと
考えるのをやめて思っていることをスパーンと言うと、智也は続けてこう言った。
「ていうかよく考えたら、ユウ以外の女の子見て可愛いとか好きとか思ったことないや」
そんな発言に、木綿季は思わず顔を真っ赤にした。
そのときにはもう自分たちの教室が目の前まで
その後、無事に午後の授業を乗り切った木綿季は、嫉妬や恥ずかしい思いをさせられたお返しに、家に帰ってから夜寝るまでの間、ずっと甘えっぱなしだったとか────。
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