ソードアート・オンライン ボンド・アンド・ディスペア   作:Maeto/マイナス人間

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使えるものは何でも使う。
そう、何であっても──


第21話 足掻く者

 キリトさん。

 ロニエって人とティーゼって人に聞かなくても、あんたの目を見れば解ったよ。

 友達が、親友が目の前で死んだって。

 昔のおれと、同じ目してたからさ。

 その苦しみと自責に関しては、多分おれは誰よりも共感できる。

 ──でも。

 共感できるからこそ、確信できることが1つある。

 大丈夫だって。きっと戻ってこれるって。

 ずっと戦ってきたんだろーし、疲れて休みたいってのも解る。すぐには立ち上がれないなら、別にそれでもいーよ。

 それまでは、おれが何とかやってみせるから。

 だから戻ってこいよ。あんたがいなきゃダメなんだ。

 

 

 白鞘(しろさや)切鬼(せっき)友切包丁(メイト・チョッパー)。その刃の接触点から、オレンジ色の火花が散る。

 最初は互角だったが、PoHがダガーの(つか)を両手で握って圧力を強めた途端(とたん)、青白銀の刀身が高い悲鳴を上げた。

 そもそもPoHの方が、マエトよりも体重が重くパワーもあるのだ。鍔迫(つばぜ)()いになれば、どちらが有利かは明白だった。

(このままへし折ってやるよ......!)

 目をギラリと光らせ、PoHがより力を加えようとする。

 その瞬間に、マエトは剣を振り抜いた。PoHがかけていた圧力を受け流して相手の姿勢を崩しつつ、カウンターで二刀回転斬りを放つ。

 それを寸前で回避したPoHが、友切包丁を一振り。肉厚の刃が二の腕に直撃し、マエトの右腕が半ば以上切断された。

 わざと手傷を負うにしても、右腕丸ごとの欠損は大ダメージだ。これでマエトの攻め手はさらに減った。

 だがそれでもマエトは、攻め手を一切(ゆる)めなかった。

 左手の親指と中指で指鉄砲を作り、その先で1つずつ風素を生成、即座に解放。風で突進をブーストし、肩で切鬼を腕ごと押してPoHの腹に突き刺した。

「ウオッ......」

 タックルの勢いでよろけるPoH。その隙に左手で切鬼を引き抜くと、マエトは即座に斬りかかった。

 だが、その斬撃の威力は普段より数段劣っていた。指を斬られた痛みのせいか、攻撃の流れがやや強引すぎたせいか、その両方か。

「なんだァ? そのナマクラは」

 鼻で笑うと、PoHは友切包丁(メイト・チョッパー)を振るった。軽くぶつけるだけで、白銀の剣は簡単に飛んでいきそうだった。

 だがその直前、ダガーにスピードが乗り切るよりも早く、かつPoHが動きをキャンセルできないギリギリのタイミングで、マエトは切鬼に紫のライトエフェクトを宿した。

(ナマクラはフェイントか......!)

 上から下へと紫電が走る。それとほぼ同時と思える程の速度で、逆戻りの斬り上げ。

 片手直剣2連撃技《スネークバイト》が直撃し、友切包丁の刀身が激しく震える。

 だが、刀身にはまだ傷らしきものは見当たらない。耐久値をそこまで削れなかったか。

(また懐かしい技だな......──ッ!?)

 そのとき、PoHの顔に驚きの色が浮かんだ。

 マエトの左手がまだ動いているのだ。ライトエフェクトも消えていない。

 右上から左下への斬り降ろし。その軌道をなぞる逆戻りの一撃。

 知らない、見たこともないソードスキルに驚き、PoHの動きが一瞬止まった。

 その一瞬が致命的だった。

 右下から左上への斬り上げ。跳ね返るような勢いで左上から右下に斬り降ろしを放つと、マエトはそのまま一回転した。

 システムアシストにありったけのSTRと遠心力を乗せて、最速最大のラスト1撃を叩き込む。

 7連撃OSS、《テアリング・バイト》。

 薄暗い空間に、闇色のアスタリスクが輝き、同時に大型ダガーの分厚い刀身に、鬼神に()まれたかの(ごと)き衝撃と小さな亀裂(きれつ)が走った。

 舌打ちすると、PoHは技後硬直(スキルディレイ)を課されるマエトが握る剣の腹を蹴った。

 スピード重視の軽い剣は、勢いよく飛んで行った。丸腰だ。

 硬直が解けるや、マエトは即座にPoHの顔を狙って回し蹴りを見舞った。(かわ)されても構わずに、連続で蹴り続ける。

 マエトの高速かつ連続の蹴り技を避けるPoHの表情には、余裕があった。

 死神の目は、マエトの左手の動きをしっかりと捉えていた。

(解ってんだよ。キックを避けて崩れた隙に、相棒の形見の剣で斬りかかってくるんだろ?)

 マエトの思考を読み、即座に立て直せる範囲でわざと姿勢を崩す。相手が動いた瞬間に迎撃(げいげき)できるよう、意識をそちらに向けていた。

 だからこそ、黒銀の片刃剣が見当たらないことに、意識を奪われた。

 何も持っていないマエトの左手と、何も落ちていない地面に、PoHはわずかにせよ戸惑った。

(もう1本は、どこに......!?)

 その瞬間、マエトが腕が切断された右肩を、PoHに向けて突き出した。

 PoHの脳裏に、かつて身をもって経験した《部位欠損の回復を利用した崩し》が()ぎる。

 反射的にバックステップして距離をとる。

 だが、この世界は旧SAOと違って、部位欠損は時間経過では回復しない。

「Suck!!」

 動揺(どうよう)して判断力が(にぶ)ったタイミングを狙われたこと、そして迂闊(うかつ)なバックステップでマエトに余裕を与えてしまったことを悟り、PoHは舌打ちした。

 そこにマエトが鋭く踏み込んだ。半身の姿勢になっているため体に隠れてよく見えないが、左手に何かを持っている。

 それが何かを、PoHは即座に見切った。

(もう1本の黒い剣、やっぱり隠してやがったか)

 死神がニヤリと顔を(ゆが)める。

 直後、マエトが左手を閃かせた。ほぼ同時にPoHも、肉厚の刃を叩きつける。

 甲高い金属音。鍔迫り合いの圧力。

 そんなものはなかった。

 マエトが振るったのは、切り落とされた自分の右腕だったのだから。

 勢いよく飛び散った鮮血が、PoHの視界を潰した。腕を叩き斬りそのまま振り下ろされる刃を、マエトはのけ()るようにして(かわ)し、同時に右足を鋭く振り上げた。

 直後、PoHの(あご)に蹴りが叩き込まれた。オレンジのライトエフェクトが、宙に月輪を描く。体術スキル後方宙返り蹴り技《弦月(ゲンゲツ)》。

 顎を蹴り上げられて上を向いたPoHの視界に、上空から回転しながら落下してくる赤黒銀の剣が映った。

 マエトはタックルの直前、2つの風素のうち親指のもので、裂鬼を上空へと高く打ち上げていたのだ。

 上を見ながらしゃがみ、左手で風素を生成するマエトを見て、PoHは瞬時に相手の狙いを悟った。

(風の勢いで剣のところまでジャンプしてダイブアタックか、(あめ)ェんだよ!!)

 妨害すべく、即座に大型ダガーを振りかぶる。

 あまりに早い対応。完璧なタイミング。

 マエトの実力をよく知るALOプレイヤーも、人界人も、中韓プレイヤーも、PoH自身も、妨害が成功する様を幻視した。

 誰もマエトが、風素でPoHを打ち上げるとは思っていなかった。

 足元で吹き荒れた突風に持ち上げられたPoHに、鋭利な鬼牙が迫る。

 不安定な姿勢のまま魔剣を振り回し、裂鬼を叩き落としたPoH。

 直後、地表で緑色の光が弾けた。風素をバーストさせ、マエトが(すさ)まじい速度で上昇してくる。

 指をピタリと(そろ)えたマエトの左手が、鮮やかなイエローに輝く。上昇の勢い全てを乗せた手刀が、無理に動いて体勢を崩したPoHの胸を貫いた。

 体術スキル零距離技《エンブレイサー》。

 腕が深々と突き刺さってなお勢いは衰えず、2人はそのまま3メートルほど上昇した。

 血を吐きつつも、その口許を獰猛(どうもう)(ゆが)ませ、PoHは笑った。

 マエトはPoHの体から抜かない限り左手を使えない。右腕を失った今、攻撃の手段はもうない。

 逆にPoHは、体に腕が刺さっていることで、マエトと自分が互いに固定されている状態だ。足場のない空中でも、斬撃に重さが乗る。

「ハッハァー! Fuck youゥ──ッ!!」

 勝利を確信し、PoHが高々と凶刃を振り上げた。

 そのとき、PoHの後ろで何かが光った。

「あ......?」

 怪訝(けげん)そうに首を(ひね)ると、光源はPoH自身の背中から伸びる、マエトの左腕だった。

 指の先には、赤く輝く光点が灯っていた。

 アンダーワールドにおいて、熱素(ねっそ)の名で呼ばれるそれをマエトは────

 

「バースト・エレメント」

 

 赫灼(かくしゃく)。わずかに遅れて轟音が()ぜた。

 押し寄せた爆風と熱波、そして降ってきた血と肉片の雨に思わず顔を背けたユウキとアスナ。その前に、ドシャッと音を立てて何かが落ちてきた。

「......とー、君......?」

 砂煙のせいでシルエットがぼんやりと見える程度だが、それがマエトであるとユウキには何となく感じた。

 だが、名前を呼んでも返事がない。

 そして数秒後、砂煙が晴れてそれの姿がはっきりと見えた瞬間、ユウキは絶叫した。

「ぁ......あぁあああぁぁああぁぁあッ!!」

 血で赤黒く染まった少年の、傷だらけの体が落ちていた。

 右腕は切り落とされ、全身にも大小を問わず傷がいくつもあった。

 PoHの体が盾となったことで、左手以外には爆風や爆熱は直撃しなかったようだが、その左手が問題だった。

 何せ指先に灯したままの熱素を解放したのだ。爆弾を手に持ったまま爆破したに等しい行為によって、左手は(ひじ)から先が跡形もなく吹き飛んでいた。

「とー君、聞こえる!? しっかりして、とー君!! とー君ってば!!」

 ほとんど悲鳴のような声でユウキが何度も呼ぶが、返事はない。想像を絶する激痛で、意識も曖昧(あいまい)なのだろう。両目は明らかに焦点が合っておらず、彼女の声が聞こえたかすら怪しい。

 むしろログアウト──HPを全損していないことが不思議なくらいだ。

 そのとき、反対側から(うめ)き声が聞こえてきて、ユウキたちは顔を上げた。中韓プレイヤーたちから少し離れたところで、人影がむくりと起き上がっていた。PoHだ。

 ポンチョはあちこちが燃えているし、マエト同様に全身に傷がある。背中の火傷は凄まじく、マエトの手刀に貫かれた胸部には小さく穴が開いている。

 だが、倒すには至らなかった。

 惜しむらくは、マエトの神聖術の知識の少なさ。

 素因解放を使って道連れ狙いで自爆するなら、熱素よりも闇素(あんそ)の方が圧倒的に殺傷力がある。

 だが、基本的な式句しか覚えなかったマエトは、解放すると周囲にあるものを吸い込みながら消滅するという闇素の性質を知らなかった。

 歯がみをするアスナ。そのそばで、じゃりっと音がした。

 マエトが立ち上がろうとしていた。虚脱感から震える足で地面を踏み締め、(うつ)ろな瞳で死神を見据えていた。

 だが、1歩踏み出した直後、膝がガクンと曲がり、マエトは地面に倒れ込んだ。湿った音が響き、血が飛び散る。

 息を呑み、駆け寄ろうとするユウキだが、その動きはすぐに止まった。

 両腕を失った少年が、進もうとしていたからだ。地に伏し、剣を取ることもできず、意識も朦朧(もうろう)としている。

 それでも、泥を()ってでも、まだ足掻(あが)こうとしていた。

 その光景に、中韓VRMMOプレイヤーたちも思わず息を呑んだ。

 あれだけの傷を負って、自爆なんて真似をしてでも、大切な何かを守ろうという意志のようなものを感じたからだ。

 抱いていた憎悪は、いつの間にか消え失せていた。

 そのとき、不意に赤騎士の1人が声を上げた。

「あの紋章(もんしょう)......見覚えがないか?」

 マエトの捨て身の爆破を受け燃えたことで、PoHの黒ポンチョの(すそ)はいくらか短くなった。

 それによって(あらわ)になった、PoHの手の甲にある紋章──ニタニタと笑う棺桶(かんおけ)のエンブレムに気付いたのだ。

 その隣にいた赤騎士も目を()らし、PoHの手の甲のエンブレムを視認する。

「うん。もしかして、《ラフィン・コフィン》の印じゃない......?」

 そんな呟きが呼び水となり、ざわつきが伝播(でんぱ)していく。

「ラフィン・コフィン?」

「SAOで大量殺人をした連中じゃないか!」

「あいつ、殺人鬼なのか......!?」

 今さらながら広まった疑惑。しかしそれは、すぐに消え去ることとなった。

 ニヤリと笑ったPoH。その体から(あふ)れ出したドス黒い心意が、中韓プレイヤーたちを呑み込んだからだ。

 赤銅色の(かぶと)の下で、煽動(せんどう)の心意に呑まれた者たちの目が赤く光った。フラフラした足取りで、日本人プレイヤーたちの方へと歩き出す。

 心意に呑まれずに(こら)えた者たちが、虚ろな歩みの同胞に必死に呼びかける。

「やめろ、みんな!」

「気をしっかり持って!」

「お願い、私たちの話を聞いて!!」

 だが、PoHの心意に呑まれた赤騎士たちは、聞く耳をもたなかった──いや、それどころではない。

 本来なら味方であるはずの他の赤騎士をも攻撃し出したのだ。

 煽動の心意に負けた者も、何とか踏み留まった者も関係なく、中韓プレイヤーたちは内乱を始めた。PoHの心意に呑まれた者には、恐らく自分以外の全ての人間が敵に見えているのだろう。

 戦場に再び憎悪と狂気が渦巻き、数万人の中韓プレイヤーたちが暴れ始めた。

 形こそいくらか異なるが、マエトが恐れた展開になってしまった。

 その光景に高笑いをすると、PoHは大股(おおまた)でマエトに歩み寄り、彼の頭を踏みつけた。右足を動かし、ぐりぐりといたぶる。

「ハッ、ザマァねぇな。ヒーロー気取りで飛び出して必死に戦っても、人殺しのオマエは結局、ヒーローになんかなれやしねえんだよ」

 足を下ろし、マエトの白髪を掴んで強引に持ち上げると、PoHは友切包丁(メイト・チョッパー)をくるりと回し、バシッと音を立てて握った。

「やっぱオマエは、血まみれが似合ってるぜ」

 そう嘲笑(あざわら)い、凶刃を振りかぶった。

 マエトの首を切断しようと、その命を喰らおうと、肉厚の刃が鈍く獰猛な光を放つ。

 そのとき、疾風が駆けた。

「う......ああああああ──────ッ!!」

 栗色のロングヘアーをなびかせ、雄叫びを上げながら、アスナは右手の神器《ラディアント・ライト》の刀身にライトエフェクトを宿らせた。細剣基本単発技《リニアー》。

 アスナの奇襲に気付いたPoHは、マエトを手離しながら回避。すぐさま迎撃しようと、友切包丁を振り上げた。

 リニアーの技後硬直を課せられたアスナだが、アバターは動かずとせも意識はその限りではない。即座にPoHの足許(あしもと)に、イマジネーションを集中させる。

 現在ダイブに使っている《スーパーアカウント01:創世神(そうせいしん)ステイシア》に与えられた《地形操作能力》を行使し、地面のほんの一部をわずかに持ち上げる。足場が乱れて姿勢が崩れたことで、PoHのカウンターは(くう)を切った。

 電流にも似た頭痛──地形操作のバックファイアに襲われるも、アスナは何とか踏ん張り、全速力で突きを放った。PoHの振り向きざまの縦斬りと正面から衝突し、レイピアの切っ先とダガーの刃のわずか一点のみがぶつかり合う。

 その隙に、アスナの速攻の陰で飛び出していたユウキがマエトを回収。ロニエやレンリたちと合流し、神聖術でマエトの治療(ちりょう)を始める。

 それをちらりと見やって確認すると、アスナはPoHに視線を戻し、絞り出すような声で言った。

「あなたは......何が望みなの!?」

 直後、PoHがダガーを押し込んだ。鍔迫(つばぜ)()いに移行し、顔を近付け(ささや)くように答える。

「決まってんだろ? 《黒》のやつだよ。アイクラッドの5層で初めて殺そうとして殺せなかったときから、オレが望むのはアイツだけだ」

「どうしてそんなにキリトくんを憎むの!? 彼があなたに何をしたの!?」

 アスナのそんな問いに、PoHはより一層深く刃を押し込み、顔を近付けて答えた。どこか心外そうな、そんな声音で。

「憎む? オレがどれほどアイツを愛しているか、アンタなら解ってくれると思ってたけどなァ。クソッタレばかりの世界で、アイツだけが唯一、無条件に信じられる男だった。オレがどんなに苦しめても壊れず、どんなに誘いかけても汚れず、いつだって俺に希望と喜びを与えてくれた」

 そんな愛情と呼ぶことも(はばか)られるような(ゆが)んだ感情ゆえに、PoHは自分のいない場所でキリトが壊れてしまったことが許せなかった。

 だからPoHは、必ずキリトを目覚めさせると決意している。そのためなら、誰だろうと何千人何万人だろうと殺すと。

 あまりにも身勝手で、何よりとてつもなくおぞましい独白(どくはく)に、アスナは怒りを覚えた。

「希望......? 喜びですって......? あなたのしたことで、キリトくんがどんなに......どんなに......!!」

 ダガーと言葉の圧力に耐えながら何とか言葉を絞り出すアスナに、PoHは鼻で笑うように言った。

「それで言うと、あっちの《悪魔(ブラック)》の方も、こっち側に()ちはしたがイイ線は行ってたな。アイツとの殺し合いは、それはそれで楽しめたが......」

 そこでため息を吐くと、PoHはつい先ほどの戦闘を振り返りながらぼやいた。

「しかしあのデヴィル野郎、まさか自爆なんてマネするとはよ。アイツあんなバカだったか? もっとクレバーなやつだと思ってたが......」

 どこか落胆したようなPoHの言葉に、アスナは「黙って」と返した。

「あの子はアインクラッドで......あなたたち殺人者を相手にたった1人で戦い続け、生き延びた。戦場で誰よりも生き延びたあの子をよく知っていたからこそ、あなたは彼が自爆するなんて思わなかった......。今までの自分そのものを、マエトくんは布石として使ったの」

 レイピアを持つ両手に力を込め、懸命(けんめい)に言い返す。

「それに、あんな体になってでもそうしたのは、自分を捨て駒にしてでも守りたいものがあると、中韓のプレイヤーたちに覚悟を見せるため......あなたを倒しつつ、同時に中韓プレイヤーの沈静化を試みたからよ。ぶつからなきゃ、伝わらないことだってあるから!」

 神器を握る両手に力を込め、アスナは鋭く言った。

「あの子はこの場の誰よりも冷静だった。ずっと考え続けて、常に最善手を最速で打ち続けた。あの自爆だって、あなた相手に時間稼ぎという生半(なまなか)では勝てないと(さと)ったからこその、一か八かの()けだったの! マエトくんの策を見抜けず、後手に回り続けていたあなたに......あの子をバカにする資格なんかないわ!!」

 アスナのその言葉を、PoHはため息を吐きながら認めた。

「......確かに、アインクラッドで殺し合ったときも、オレはアイツの作戦にまんまと引っ掛かっちまった。ここでもそうだったってことか。......だがな!!」

 PoHが叫んだ直後、アスナの腕にかかる圧力が増した。華奢(きゃしゃ)な細剣が悲鳴を上げる。

「結局やつは、最終的にオレを殺せなかった。そして武器のスペックでもオレが上だった。他は忘れたが、少なくともこの2つだって変わっちゃいねぇんだぜ」

 武器のスペックというPoHの発言を(いぶか)るアスナ。その目の前で、友切包丁が急に巨大化し始めた。

 肉厚の刀身に、周囲から赤黒い血の色のオーラが集まり、凝縮(ぎょうしゅく)されていく。

「オレにもこの世界の仕組みが解ったよ。ここじゃ流れた血や失われた命が、そのままエネルギーになるんだ。この《友切包丁(メイト・チョッパー)》は、アインクラッドじゃモンスターを倒す度にスペックダウンし、プレイヤーを斬ればスペックアップするって仕様だった」

 見ろよ、と言ったPoHが視線で示した先では、友切包丁がドス黒い光を放ちながらどんどん肥大化していた。もう既に基本状態の2倍近い大きさになっている。

 つまり、人間の命を吸って強くなるというこの剣本来の性能が、アンダーワールドでも機能しているということだ。マエトのOSSが直撃したにも関わらず折れなかったのは、その時点で空間リソースをいくらか吸収し始めていたからか。

 この戦場には、アスナやマエトら日本人プレイヤーが倒した──殺した米中韓のVRMMOプレイヤーたちと、逆にその彼らが殺した日本人VRMMOプレイヤーたちの命が充満(じゅうまん)している。そして今、中韓のプレイヤーたちは内乱を始め、殺し合っている。

 その命までも取り込めば、PoHは更なる力を手に入れることとなる。

 キリトを目覚めさせるためなら、先ほどの言葉通り、PoHはいくらでも殺人を重ねるだろう。誰彼構わず、無差別に、片端から。

 殺人と言うより、もはや殺戮(さつりく)だ。その恐ろしさに、アスナは思わず呆然(ぼうぜん)とした。

「安心しな。アンタはまだ殺さねえよ。これ以上、余計な邪魔ができないようにするだけだ。アンタには見届けてもらわなきゃいけないからなァ。アイツが目覚めて、オレの腕の中で死ぬところを」

 そんなPoHの言葉が、アスナの耳に貼り付いた。悪意を濃縮したかの(ごと)き重い声が、何度も頭の中に響く。

 歯を食い縛り、PoHの声を意識から締め出すアスナ。そのとき、別の音が聞こえてきた。重く鋭い、ジェットエンジンじみた金属質の轟音。同時に声。

「アスナ!! ()けて!!」

 背後からの叫び声に応じて、アスナはレイピアごと体を左にスライドして、PoHの圧力を流した。

 直後、アスナのすぐ真横を、クリムゾンレッドの光槍が貫いた。深紅の槍が闇色の包丁にぶつかり、PoHは大きく後ろに弾かれた。

「ユウキ......?」

 隣で剣を突き出した姿勢のまま止まっている少女に、アスナは声をかけた。

 いつもの彼女と、どこかが違うような気がした。

 そんな予感を抱くアスナの前で、ユウキは独り言のように言った。前髪に隠れて、表情は見えない。

「ボクね、怒るのって好きじゃないんだ。怒る方も怒られる方も、嫌な気持ちになるから。でも......」

 愛剣《マクアフィテル》を持つ右手と、反対の左手。ギュッと硬く握られた彼女の両手から、そのあまりの強さに血が(したた)り落ちる。

 だが、そんなことは気にも留めず、ユウキは言った。

「あんな......あんなになるまで頑張って......傷だらけになってもまだ、友達のために戦おうとしたとー君を、よくも............」

 そこで句切り顔を上げると、涙を浮かべた目でPoHを(にら)みつけ、ユウキはあらん限りの声で叫んだ。

「よくも笑ったなぁぁああ─────ッ!!」

 小さな体の奥底から放たれた怒号が、戦場を()るがした。

 ユウキはこれまでの人生で、他人に対して本気で怒ったことはほとんどなかった。

 本音でぶつかって、嫌われたとしても相手の心の一番近くにいく。それが、数多(あまた)のVRMMO世界や、そこでの何人もの仲間との出逢(であ)いを経て身につけた、彼女のモットーだった。

 そんな彼女だからこそ、中韓プレイヤーたちの憎悪や怒りによって、心が折れてしまった。

 苦しみや悲しみ、絶望によって、希望が見えなくなってしまった。

 これで彼女は、本当の意味でマエトの全てを知ることができただろう。

 絶望という感情に前へ向かう力を奪われた彼女に、怒りという感情が踏み出す力を与えたのだから。

 真っ暗な絶望に満たされた心を、怒りが突き動かしている。それはかつて、相棒を奪われたときのマエトそのものなのだから。

(胸が痛い......苦しい......! とー君は、こんなのをずっと......!)

 初めての感覚に、ユウキは少しばかり顔をしかめた。

 だが、いま自分がこんな苦しみを感じているということは、どこか自分と似た性格の彼もまた、この感情を抱いて苦しかったはずだ。

 こんな感情を抱くほどの絶望で、心が痛んだはずだ。

 それでも彼は、誰に助けられるでもなく、血染まりながらも自力で歩き出した。

 そんな彼をユウキは心からすごいと思い、(いと)おしいと思い、守りたいと思った。

 そして同時に、それを侮辱(ぶじょく)したPoHだけは、この男だけは──

「絶対に、許さない!!」




次回 夜空

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