Log Horizon 〈星詠みの黒猫〉   作:酒谷

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キャメロットの騎士たち
chapter 6


 シロエたちから遅れること数分。私は「ライポート海峡」を越えてオウウ地方へと向かっていた。その上空からシロエたちを確認して彼らのもとへ降り立つ。

 

「よっこいせ」

「おかえり、クロ」

 

 グリフォンに肉を渡しているとこちらに気付いたシロエが声をかけてきた。

 

「どうも。マリーには連絡した?」

「うん。今したところ」

 

 それならマリエールも安心しただろうとほっとした。すると、今回の救出作戦で無事ススキノから脱出することができた彼女が声をかけてきた。

 

「あ、あのっ! 燐森さんも、本当にありがとうございましたっ!」

「リンセでいいよ、セララちゃん。ん、どういたしまして」

 

 勢い良く頭をさげた彼女の頭をくしゃくしゃと撫でる。なんだか近所の年下の子って感じで実に可愛らしい。

 

「そういえば、シロエさんとリンセさんとにゃん太さんは、昔からのお知り合いなんですか?」

「そうだぜ、俺もなっ」

 

 横から割り込んできた直継が言葉の続きを引き取る。

 

「そうですにゃ。我が輩とシロエち、リンセち、直継っちは、その昔、〈エルダー・テイル〉がまだゲームだった時代には、よく連れ立って暴れたものなのですにゃあ」

 

 ゲームだった時代、か。そういや、かれこれどのくらいこの状況なんだろうか。私がこんなにPCを触らない日々があっただろうか。いや、ないな。

 元の世界に戻りたくないといえば嘘になる。でも実際問題、願ったとことで帰れるというわけではない。そのことに暗い気持ちにもなるけど沈んでなんかいられない。そんなことで時間を浪費したくはないのだ。

 アカツキが「野営の準備をしないと」と声をかけたことで暗かった空気が飛んだ。沈んでいたセララもほっとしたように気持ちをきりかえて天幕を張る場所を探し始めた。

 もう既に日が暮れていたので、野営の準備を終え火を熾したのはグリフォンが着陸してから2時間くらい経ってからだった。けれどセララ救出の山場を越えたためかみんなの顔は明るかった。

 

  *

 

 野営の準備を終えた私たちの目の前では焚き火が火の粉をあげていた。そこからは香ばしい匂いと脂の焼ける音がする。それを見た私は自分の勘が当たっていたことに微笑んだ。

 

「やばい。なんだこれ、すげぇよっ!!」

「主君、主君っ。これはなんというべきか、至福だっ」

 

 直継とアカツキが感極まった声をあげる。それもそのはずだ。

 

「これは成功と取っていいんですか? ご隠居」

「にゃあ、リンセちの予想通りですにゃ」

 

 そう、今私たちの目の前にあるのは「食料アイテム」ではなく「料理」。味のある、れっきとしたそれだった。

 

「シロくん、どう?」

「おいしい……けど。――なんでっ?」

 

 シロエの驚きも当然だ。何せこの世界では「すべての食料アイテムには味がない」というのがルールだと思っていたからだ。そのルールが今覆されたのだ。

 

「おいしい! これすっげえよ。にゃん太班長すごいっ! ぱんつの次くらいに愛してる!!」

「大げさですにゃぁ」

 

 鉄串に肉を差しながらご隠居は笑う。その隣ではセララが付け合せのタマネギを剥いていた。

 

「班長っ。おい! にゃん太先生っ。なんでこんな味なんだ? っていうか、なんで煎餅味にならないんだよっ!? 被告の証言を求めます祭りっ」

「ふふっ」

「なんだよ、リンセ。不思議じゃないのかよ?」

「いいや」

 

 私が笑っているのが不思議なのか、直継が首を傾げる。私は説明をどうぞというようにご隠居に視線を向けた。

 

「料理をするときに、素材をそろえて作りたい料理を選ぶと、食材アイテムが完成するですにゃ?」

「でも、それは――」

「それはやってみましたけど、その方法でやっても結局は謎アイテムが出来るだけでは? 魚を焼こうとしたときも魚とは無関係な奇妙な消し炭か、スライムみたいなペーストができるだけだったし」

「それはね、シロくん」

 

 シロエの言葉を遮った私をシロエ、直継、アカツキの3人が見る。そんなにガン見しないでほしいんだけどという言葉を飲み込み、私は続けた。

 

「みんなが〈料理人〉じゃない、もしくは〈料理人〉レベルが足りてないからだよ」

 

 その言葉に3人はクエスチョンマークを浮かべた。

 

「実際に料理するにもここでは調理スキルが必要なんだよ。〈料理人〉がメニューを使わず料理する。これが肝だったんだ。じゃなきゃ、まず塩をかけるという動作自体がおかしいのさ。メニュー画面にそんなものなかったからね」

 

 誰でも生産職の場合は経験値が5くらい入った状態でスタートだ。だからこそ「塩をかける」という最低限の調理ができたわけだ。ならば90レベルの〈料理人〉であるご隠居ならきちんとした料理が作れるのでは? と思った私はこの推測をご隠居に実践してもらったのだ。

 

「無事、成功したってことでよかったよ」

「にゃー」

 

 私とご隠居は顔を見合わせて笑った。

 

 そのあとも賑やかな晩餐は続いた。その中でご隠居が改めてセララを紹介した。

 

「はじめましてっ。ご挨拶も遅れましてっ。今回は助けていただいてありがとうございます、〈三日月同盟〉のセララですっ。〈森呪遣い(ドルイド)〉の19レベルで、サブは〈家政婦〉で、まだひよっこですっ」

 

 セララは礼儀正しく立ち上がってお辞儀をする。少女らしい顔つきと動作に何故か小動物のような印象を受けた。

 そんな彼女の姿に和んでいると直継が口を開いた。

 

「クラス3大可愛い娘で3番目なんだけどラブレターをもらう数は一番多いとかそんな感じだぜっ」

「は、はひぃっ!?」

 

 直後、アカツキの膝が神速の勢いで直継に飛んでいった。

 直継、君ってやつは……。そんなことばかり言ってるからアカツキの膝が飛んでくるんだよ、と呆れた目を向けてしまった。

 

「膝はやめろっ! 膝はっ!」

「主君、失礼な人に膝蹴りを入れておいた」

「しかも事後報告かよっ!?」

 

 アカツキのそれはとうとう事後報告になってしまったようだ。今回は両手に鹿肉串を持っているため、直継はそれを落とさないように彼女の膝蹴りに耐えていた。その様子を見ていたセララは笑みを零していた。今のところは平和って言っていいのかな。実に微笑ましい光景だ。

 

「ふふふっ」

「あー。これは直継。〈守護戦士〉。腕は信用できる」

「でも下品でおバカ」

「頼りがいはあるんだけど残念な人だよ」

 

 シロエとアカツキ、そこに続いた私の解説に微笑んだままセララは頷いた。

 

「前線での活躍、見てました。私の拙い回復呪文(ヒールスペル)では回復しきれなくてすみません」

「気にすんなよ、あれで十分助かったぜ」

 

 いや、むしろこのレベルであそこまで出来るのだから上出来だったと思う。集中力と全力投球の果断さ、あれは十分評価できるものだ。きっとこの娘はいいヒーラーになるだろう。同じ回復職としては嬉しい限りだ。

 

「直継っちは昔からこうなのですにゃ。えっちくさい人だと思って大目に見てあげてほしいのですにゃ。それに、さっきの台詞はセララさんを褒めているのですにゃん」

「え?」

 

 そりゃ、さっきの発言からは褒めているというよりは変態の方が合っているから何とも言えないだろう。ははは、と乾いた笑いが出てきた。

 

「クラスで一番もてる。そういってくれてるのですにゃ」

「まあ、直継は照れ屋だからね」

「おい、ちょっとまて班長とリンセ。別にそういうわけじゃねぇ。俺は美少女よりもおぱんぎゅっ!!」

 

 馬鹿め。本日何度目だろうか、直継。

 また直継に綺麗にアカツキの膝蹴りが決まった。相変わらずスカっとするくらい美しいフォームだ。

 

「痛っぇ~。だんだん容赦がなくなるな、ちみっこ」

「主君、変態の頭を陥没させた。あと肉を没収した」

「え? あっ。あ~っ!!」

「おー、お見事アカツキ」

「大したことではない」

 

 さっきの蹴りのときの掠め取ったのだろう。アカツキはいつの間にか持っていた鹿肉をもぐもぐと食べていた。

 

「そんなのねぇよ……」

 

 落ち込んだ直継にご隠居は新しい鹿肉を渡していた。その後アカツキの方を見て、そちらのお嬢さんは? と尋ねる。それに応えてシロエがアカツキの紹介をはじめた。岩の上で正座をしていたアカツキはシロエからの紹介が終わるとご隠居に向かって丁寧に頭を下げた。

 

「若輩者のアカツキです、老師」

「俺のときとは随分態度が違うじゃねえか」

「当たり前だ、バカ直継」

「なんだと、ちみっこ」

 

 また始まった2人の果てしない小競り合いに他の4人から笑いが零れる。

 

「そして、この2人がシロエちとリンセち。我が輩が以前所属していた団体で、参謀役とその補佐をやっていた賢い若者たちですにゃ」

 

 紹介された2人で軽くお辞儀をするとセララは恐縮しきった様子で何度も礼を言ってきた。

 

「本当に、ありがとうございましたっ!」

「いえいえ、どういたしまして」

「いや、大したことじゃないので……」

 

 素直に礼を受け取る私と違いシロエは謙遜する。実際は十分大したことなのだが、どうもそういうことに慣れていないシロエはいつもこうだ。そんなシロエを見てセララは不思議そうな顔をする。

 

「あー、気にしなくて大丈夫。シロくんは恥ずかしがり屋なだけだから」

「え? あ、はい」

 

 戸惑いながらも返事をするセララに私は笑いかけた。

 

  *

 

 雑談代わりにシロエが話しだした双子の話を聞きながら私の意識は別の方に向いていた。その先はかつて所属していたギルドの友人だ。フレンド・リストを確認したときに〈大災害〉に巻き込まれていることを知った。まあ、約一名は確実に巻き込まれているだろうと思っていたけど。

 今頃彼女たちはどうしているのだろうか。いつも通り猪突猛進行き当たりばったりなあの子に振り回されているんだろうか。連絡を取らなくなってから随分経つけど、今でも私のことを探してるのだろうか。

 ……なんて、今考えても仕方ないことなのだが。

 

「へぇ、そんな双子がいたのかぁ。そんで?」

「それで、って?」

「その双子のそのあとのことはわからないのか? 主君」

 

 意識を戻すとどうやら雑談代わりの出会い話は終わっていたらしい。他のメンバーがシロエに疑問をぶつけていた。

 

「フレンド・リストにはいるよ。……実はあの〈大災害〉のあとにも何度か見かけた」

「やっぱし巻き込まれたのか」

「直前まで一緒にいたからね。僕もあっちもアキバの街に引き戻されたけど、そこでばらばらになっちゃった」

「わたしも廃墟に転移させられた」

 

 かくゆう私もフィールドからアキバの街に転移させられていた。ご隠居とセララも同じような感じだったのだろう。

 

「声、かければよかったのによ。あっちはあっちで大変だったろうに。素人なのにこんなことになっちまって」

「ま、あの直後はバタバタしてたし、シロくんたちも精一杯だったし、声かける余裕もなかったでしょ」

 

 言いながら、ご隠居が注いでくれたお茶を飲んでぼんやりと思う。あの頃は勧誘が激しかったし、シロエに限らずみんなが自分以外のことを考える余裕がなかった。

 シロエの話じゃそのあとに見かけたときには、もうギルドに所属していたらしい。

 その話を聞いて、あまりいい予感はしなかった。

 

「帰ったら、ちょっくら連絡とってみようぜ。デート祭りっ。俺が前衛! そしてシロエが後衛! やっぱ女の子はいいよなっ」

「まぁ、そりゃ認めるけど」

「シロはおぱんつ好きだな!」

「好きじゃないよ!? 世の男子一般と同じくらいにしかパンツに興味ないよっ」

 

 何の話をしているんだこいつら。いや、別に悪いとは言わないけど。

 テンション高いなーと思いながら直継たちを見ていると、シロエが首を傾げた。

 

「クロ?」

「何? シロくん」

「いや、この手の話題に真っ先に食いついてくるのに」

「さらっと人を変態扱いしてくれるね、シロくん」

 

 一体、シロエの中で私はどういうイメージなのか。失礼だな。

 そう思いながらふと思った。周りに遠慮しがちなシロエだが、さりげなく私に対しての扱いだけが酷い。勘を使って周辺警戒しろだの、対人戦で多人数相手にしろだの、わりと無茶ぶりをしてくる。信用されてる証なんだろうけどわりと厳しいときもあるから、そのへん少し配慮してくれてもと思わなくもない。

 

「だって、クロ結構下ネタの会話に食いつくじゃない」

「まあ、うん、否定はしないけど」

 

 否定できないの間違いか。自分の日頃の言動を思い出してしょうがないかと苦笑する。

 そのとき、直継が不意に別の話題を振ってきた。

 

「そういえばリンセ。お前、あの〈ブリガンティア〉の……なんだっけ?」

「なんだっけって言われても、重要なとこが分からないと答えようがないんだけど」

「あの、魔術師だよ」

 

 魔術師? どいつだよ? と思ったが私に関係がある魔術師は1人だったと考える。

 

「……ああ、ロンダーク?」

「それだ、多分。そいつと知り合いだったのか?」

 

 その話題に他のメンバーもこちらを向く。そんなに注目されてもちょっと困るんだけど。興味津々な視線を向けられて居心地が悪くなりながらも直継の問いに答える。

 

「彼は、前にちょっとね。一回だけ一緒にダンジョンに潜ったんだよ。私も話すまではすっかり忘れてた。フレンド登録も何もしてなかったから連絡も取ってなかったしね。向こうが覚えてたことにびっくりしたよ」

 

 いや、あれは本当にびっくりした。もう大分昔のことだったし。

 そういえばアイツ無駄なことも口走ってくれたんだっけ、とあのときの会話を思い出す。

 

「……リンセ殿。リンセ殿のその薙刀は、あの〈青龍偃月刀〉なのか?」

「……アカツキ、それ言っちゃう?」

 

 言うな触れるな気にするなと念じたのは無駄となってしまった。嘆息を漏らすとまずいことを言ったと思ったのか、アカツキは申し訳なさそうな顔をした。

 

「別に禁句ってわけじゃないから気にしなくていいよ。……と、シロくん。その“やっぱりか”と“信じられない”というのが混じった視線を向けるのはやめてくれない?」

 

 言うとシロエはサッと視線を反らす。私は言いながらそういう目になるのも仕方ないかとため息を吐く。なぜなら、〈青龍偃月刀〉は古参プレイヤーなら知らないものはいないと言える〈幻想級〉アイテムだからだ。

 

「あのー……。にゃん太さん、〈青龍偃月刀〉ってそんなにすごいものなんですか?」

「そうですにゃ。レア中のレア、イベント限定の〈幻想級〉装備ですにゃ」

 

 昔、エッゾ、イースタル、ウェストランデ、ナインテイルの四ヶ所で同時開催された大規模クエスト〈四神の覇者〉というものがあった。〈青龍偃月刀〉はそのイベントのイースタルクエストのドロップ品なのだ。このイベントクエストは初期クエストはそこまで難易度は高くはないが、後半になるにつれて二次曲線的に難易度が跳ね上がりドロップ率は反比例して低くなっていくことから、最終ボスからのドロップは非常に困難だった。

 〈青龍偃月刀〉はイースタルクエストボスの青龍からドロップできる〈幻想級〉装備でクリティカル率が非常に高い。

 

「そして、その装備をはじめにドロップしたのがリンセちで、そこから“蒼帝の覇者”の二つ名がついたのですにゃ」

「レアだってのは知ってたがそんなすごい装備だったのかよ!?」

「あはは……。黒歴史だからあまり詮索しないでいてくれると嬉しいんだけど……」

 

 事細かく説明してくれたご隠居にぐぅ……と苦虫を噛み潰したように呻く。そして、その内容に驚いた直継に生気の抜けた目を向けた。あの頃は本当に廃人だったから記憶をあまり掘り起こしたくないのだ。あー、やだやだ。

 もうこの話は終わり! と叫べばみんなが笑い出した。くっそ、不愉快だ。

 

 そのあとはギルドのことや互いのことなどを飽きもせず話し合っていた。

 ようやく就寝したのは空が白みはじめてからだった。

 

  *

 

 その翌日からの旅は順調に進んだ。時間に迫られているわけでもないので、前半よりもゆっくりとしたペースで進んでいく。その中でちょっとした発見もあった。それはセララがご隠居に惚れているらしいということだった。私個人としてはものすごくどうでもいいことだったけれど直継とシロエはそうでもないらしく、特に直継なんかは悪ガキのような顔をしていた。ついでに言うとアカツキはシロエのことを気にしているようだった。

 全く、実に平和なことだ。アバターに恋してるっていうのが何とも。

 

 そんなこんなで私たちは〈アーブ高地〉までやってきていた。すると視界に暗雲が見えた。

 これは一雨来るな。

 

「おーい。シロ~、にゃん太班長~。雨雲がぁ、きてるみたいだぞ~」

 

 私の横を飛んでいた直継が念話機能を立ち上げることもせず叫ぶ。その声に気付いたシロエに私は指で暗雲の方向を示す。ご隠居も気付いたらしい。その雨に巻き込まれる前にと私たちは〈アーブ高地〉にある集落の一つに降り立った。

 着陸してすぐに天候が一気に変化した。私たちは急いで村の中心部を目指す。天気の変化に気付いたらしい〈大地人〉たちも小走りに駆けていたり、足早に農具を片していたりしている。こうした風景を見ているとやっぱり彼らも生きているんだなと感じる。

 そんな風景を横目に見ながら私たちは中心部に辿りついた。そこには大きな建物がある。おそらく倉庫と公民館を兼ねているのだろう。先陣を切って木造の大きな建物に入っていく直継に続いて私も中に入った。

 

「はいはい。旅人さんかね」

 

 出てきたのは村の世話役を名乗る〈大地人〉だった。事情を話すと格安で一晩屋根を貸してくれると言ってくれた。直継は中にあった藁の山に喜びの声を上げて、それに同意したのはご隠居とアカツキだった。そのあと晩御飯の心配をしだしたご隠居をセララちゃんが引っ張っていく。アカツキと直継は早速寝床を作るために藁の山を崩しだした。じゃれ合いながら寝床を作っていく2人に、シロエと2人で苦笑した。

 その後、老人とシロエが話しているのを軽く聞きながら外を眺める。激しく雨が降っている。私は倉庫の入口のところに行き、そこに背中を預けて目を閉じた。ひんやりとした空気、雨の匂いと音、地面に落ちて跳ね返ってくる水の冷たさ。それがここが私たちの現実(リアル)だと知らせてくる。

 なんだか少し気分が落ち込んできた。そのせいで色んなことが頭の中を駆け巡る。

 始まりのアキバの街。目の前に肉体を持って現れたモンスター。背景でなくなった風景。プログラムではなくなった〈大地人〉。〈冒険者〉がそれらに気付くのはいつになるだろうか。

 

 ――私たち〈冒険者〉の方が、異端で異質な存在であるということに。

 

「リンセち?」

 

 聞こえてきた声に瞼を持ち上げる。そこには首を傾げたご隠居と嬉しそうなセララちゃんがいた。

 

「おかえりなさい、ご隠居とセララちゃん。どこ行ってたの?」

「ご近所を何軒かまわってきたのですにゃ」

「それで、話をしたら色々な物を売ってくれたんです!」

「……なるほど」

 

 セララちゃんがやたら嬉しそうなのはそのせいか。よかったねと笑いかければ、本当に嬉しそうな笑顔が返ってきた。可愛いな、セララちゃん。

 

「シロくんに報告してきたらどうかな?」

「そうですねっ! 行きましょう、にゃん太さんっ!」

 

 私がそう言えばセララちゃんはご隠居を引っ張って倉庫へと戻っていく。二人の後ろ姿を見つめていると彼が一瞬こちらを振り返った。その瞳は僅かに細められていて、その目が“無理はするな”と語っているのが分かった。

 

「何か考えているのは、お見通しですか……」

 

 相変わらずいい意味で人をよく見ている人だなと苦笑する。そして私は、中の賑やかな声をBGMに雨音を気が済むまで聴き続けた。

 

  *

 

 その晩、ご隠居の作ったご飯を食べて雑談をして、夜もいい時間になったところでみんなで藁の上で眠りについた。だが私は一向に眠れなかった。私は藁の中からそっと抜け出し外に出る。雨は止んでいて雲の隙間から月明かりが見えた。残念ながら星は見えないようだったが。

 冷たい風が優しく吹く。その気持ちよさに思わず目を細めた。

 その風に誘われて私は少しだけ散歩をすることにした。

 

 地面はぬかるんでいて歩きにくかったが空気が澄んでいて心地がいい。ところどころにある家には当然明かりはついていない。それでも人の温かみを感じることが出来た。

 それと比較されるのはススキノだった。

 温もりとは無縁の冷えた無法の地。力あるものが制し、力を持てぬ者は制される。それを悪だと責めることは出来ない。それも一つの社会形体なのだから。けれど許容できるかと言われれば、許容したくないのが私の紛れもない本心である。

 悩んだところで私がススキノに出来ることはない。助けを求める声に耳を傾けることは出来ない。完全なる力不足だった。

 ため息を一つ吐いて近くにあった岩に腰掛ける。空を見上げてそのまま瞳を閉じる。風の音に耳を澄ましているとそれに混じって足音が聞こえた。

 

「こんなところにいましたか」

 

 聞こえた声にゆっくりと瞼を開ける。声の発生源の方に視線を向ければそう遠くない位置にご隠居が立っていた。

 

「どうしたんですか、ご隠居」

「目が覚めてしまったのですにゃ。それで周りを見てみたらリンセちがいなかったので、探しに来たのですにゃぁ」

「そうですか」

 

 私が少し横にずれてスペースを作るとご隠居が隣に座った。

 

「風が気持ちよくて、月明かりが綺麗ですね」

「そうですにゃぁ。星が見えないのが少し残念ですにゃ」

「ですね。でも“When it is dark enough, you can see the stars.”という言葉もありますし、雲の上で輝いてるんでしょうね」

 

 ふと思い出した格言を口にした。

 “どんなに暗くても、星は輝いている”

 いつだって星は輝いている。滅びに向かって燃え続けている。私たちが気付かないだけなのだ。気付きさえすれば理解できるのだろうか。この世界は、何も変わらない。生きるための力は変わらない、はずなのに。

 

「何を考えているのですかにゃ?」

「……別に、大したことは」

 

 空を見上げながらご隠居の言葉に答える。すると隣から盛大なため息が聞こえた。

 

「大したことではないとしてもにゃ。今のリンセちは何か考え込んでいる顔をしていますにゃぁ」

 

 ご隠居の指摘に思わず私は地面を見つめる。ご隠居の声から私のことを心配しているのが分かった。

 私たちの間を風がすり抜ける。私は何も言わない、ご隠居も何も言わない。それなのに、隣にいるご隠居から感じる温度が私から言葉を引き出そうとしていた。

 しばらくの無言のあと、私は小さく口を開いた。

 

「本当に、大したことじゃないんだけど、その、なんていうのかな……。私たちは、変わらないじゃないですか。〈冒険者〉も〈大地人〉も、何も変わらない、はずなんです。〈大災害〉前もこの異世界は世界として機能していたかもしれない。〈大地人〉はこの世界で、私たちと同じように生きていたのかもしれない。なのに、私たちは自分たちの認識だけで、彼らを“プログラム”として見ている」

 

 ただの人工知能ではない。ノンプレイヤーキャラクターという記号ではない。彼らは、代替えの利く部品ではないのだ。

 

「歴史を持ち、人格を持ち、記憶を持ち、呼吸し、食事をとって……生きている、のに」

 

 知らず知らずの内に強く手を握り込んでいたのか、手のひらに自身の爪が深く食い込んでいる感触がする。その拳は祈るように震えていた。

 出来ることなら、と願う。何を、とは言わないが、どうか、と願うのだ。

 

「いつになったら理解できる? いつになったら認められる? 自分たちこそが“部外者”だと、いつになったら〈冒険者(私たち)〉は理解できる?」

 

 考えがまとまらないうちにどんどんと漏れてくる言葉。一体、自分のどこにこんなに感情が溜まっていたのか。気付かなかっただけなのか、無意識に目をそらしていたのか、あるいは、ただその場の空気に飲まれただけなのか分からなかった。

 そもそも、理解してくれることを期待していいのかすら分からない。ベテランプレーヤーであればあるほど、ゲームだった頃の常識の檻から抜け出せない。説得したところでどれだけの人が聞いてくれるのか。

 

「……理解させる前に諦めている私も、同類なんだろうけど」

 

 本当に何もしない自分に嫌気がさす。

 半ば吐き捨てるように呟いて嫌悪感に顔を歪めると不意に頭に重みが乗った。

 

「リンセちはいい子ですにゃ」

「……子供扱いしないでください、ご隠居」

 

 私の頭の上に乗ったのはご隠居の手だった。ご隠居はそのまま優しくわしゃわしゃと頭を撫でてくる。私はなすがままに撫でられ続けていた。

 

「私は、何をすべきなんでしょうか……なんて、答えはもう決まってるんだけど」

 

 このままではいけないと分かっている。いつまでもぬるま湯に浸かっているわけにもいかないのだ。

 

「私は風だ。革命者じゃない」

 

 その役目は彼の仕事だ。私じゃない。私の役目は「仮定」を「確信」に変えることだろう。仮定を経て過程を描くのは私じゃない。

 

「リンセちには、どこまで見えているのですかにゃ?」

「どこまで、か……」

 

 別に何かが見えているわけではない。ただ……

 

「見えてるんじゃなくて、こうあってほしいと願ってるだけ」

「そうですかにゃ」

 

 空を見上げれば、雲は大分晴れていて星が見えた。

 

「……いい感じに眠くなってきたな。そろそろ戻りますか?」

 

 私が立ち上がればご隠居も立ち上がる。そして私たちは今日の寝床へと歩いて行った。

 

(ひずみ)に揺れる焔。

傲慢(Superbia)の蜜を飲み下し、帆を上げる馬人宮(Sagittarius)

その刻を運び、途を支えるは磨羯宮(Capricornus)

 

 ――星が告げた言葉に背を向けて。


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