Log Horizon 〈星詠みの黒猫〉   作:酒谷

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chapter 8

 借りている宿屋で、私はシロエに任されたことを進めながら彼との会話を思い返していた。

 

 それは、シロエがギルドを作ると言ったあとの話だ。

 『アキバの街を掃除する』。シロエはそう言った。そう言うことは予想していたし、そのための一歩がギルドを作ることなんだと思っていたから何の疑問も抱かなかった。むしろ、重要なのはそのやり方だ。

 

「どうするつもり?」

「とりあえず、資金が必要だ」

「へえ……。いくら?」

「金貨500万枚」

 

 金貨500万枚。

 普通ならあり得ない金額だと人々は言うだろう。確かに、ゲーム時代ならありえない金額だ。けれど、もうここはゲームではない。ならば、ありえない金額ではない。なにも知り合いの間だけで集める必要はないのだ。言ってしまえば、不特定多数から奪ってしまえばいい。周りから引っ張ってくればいい。奪う、ということは略奪だけを意味するわけではない。みんなが喜んでお金を“持ってくる”ルールがあればいいのだ。そして、それはルールがないこの世界だからこそ出来ることで、その材料は揃っている。

 それにしても、金貨500万枚か。その金額を導き出すための情報を脳内から探し出す。探し出して納得した。

 

「無理じゃない金額だね。そして民主主義政治か」

「それ、どういう意味?」

 

 私の発言にシロエは訝しげな表情を浮かべた。私はそれににやりと笑う。

 

「金貨500万枚。それは“ギルド会館”が購入できる金額。“脅し”にはぴったりだなと思って」

「独裁政治をするつもりはないからね」

 

 真っ直ぐシロエは言い切った。

 彼の目的はあくまで「アキバの街の治安改善およびその自治」であって、「一つの頂点の独裁政治」ではないのだ。それだけならば脅し程度で事足りる。絶望を見せつける必要はない。

 

 それだけで大体の内容は把握出来た。シロエの策は、きっと私の考えていたことと同じだ。少し前に〈三日月同盟〉のギルドホールで考えていたこととシロエの策を照らし合わせて、思わず溜め息をつきそうになった。一体、シロエはこの計画をどのくらいのスピードで進める気なのだろう。多分、最短で2週間といったところか。

 

「これから忙しくなるね」

 

 苦笑混じりに言えば、シロエはそうだね、と返してきた。その目には頑固たる意志があった。彼はやるといったら「やってしまう」人間だということを、私はよく知っている。そして、それに毎度巻き込まれるのは私だ。

 

 分かってはいたけれど、これはなんというか。

 

「鬼かっ!」

 

 高々と積み上げられた紙を前にして私は叫んだ。ここに積まれている紙はシロエに頼まれた仕事を済ませた紙だ。これだけの量の仕事を済ませたのか、私は。頑張ったな私、と思わず自分を褒める。なぜ、私はこんな殺人級の量の書類と格闘していたのか? それは私がシロエから引き受けたからだよ、と疲れすぎて変な自問自答までしてしまった。もう一つ言わせてもらうと、頼まれたことの大半は私の専門分野ではない。そのおかげで余計に疲れている。

 そんな私の目の前に一つのカップが置かれた。それを置いた手を辿っていくと見慣れた猫人族がいた。

 

「あ、ご隠居」

「お疲れ様ですにゃ、リンセち」

「ご隠居こそ」

 

 直継、アカツキ、にゃん太、私、そしてシロエで結成されたギルド〈記録の地平線(ログ・ホライズン)〉のメンバーは、シロエの指示のもと、それぞれの役割を果たすべく行動している。それぞれが慌ただしく動いているはずだが、なぜここにご隠居がいるのか。

 

「シロエちからの指示ですにゃ。リンセちに休憩をさせろ、とのことですにゃあ」

「それはどうも」

 

 目の前に置かれたカップを手に取り中身を口に含む。お茶の風味豊かな香りが口いっぱいに広がって疲れを癒してくれた。一口飲んで一息つく。私の様子にご隠居が笑った気配がした。

 

「相当お疲れの様子ですにゃぁ」

「そりゃそうですよ」

 

 まさかここまで仕事がまわってくるとは思わなかったのだ。今後のスケジュールの作成に始まり、必要な資材や素材アイテムの量の算出と入手方法とそのルート、これからやることがアキバに与える影響、どこをどのように動かして目的まで持っていくかの計画まで、ありとあらゆる“他の人に回せないであろう”雑用をシロエは私に全部押し付けてくれたのだ。本気であの丸眼鏡を叩き割ってやろうかと思った。

 

「……まあ、疲れてるのはシロくんからの仕事のせいだけじゃないけどね」

 

 積まれている書類とは別にまとめた書類を見つめる。それは仕事の息抜きとしてはじめたものだった。けれど、いつの間には息抜きが息抜きでなくなり、余計に疲労する原因となってしまったものだ。これは自業自得なのだけれど。

 私は、積まれている書類を魔法の鞄(マジック・バッグ)に詰め込んで席を立った。カップに残っているお茶を飲み干して、空になったそれをご隠居に渡す。ご隠居は笑ってそれを受け取ってくれた。

 

「これからシロくんと合流します。お茶ご馳走様。美味しかったです、ありがとう」

「どういたしましてにゃ」

 

 自分の頬を叩いて気合を入れる。大きく一つ深呼吸をして宿屋の扉に手をかけた。

 

「いってきます」

「いってらっしゃいですにゃ」

 

 ご隠居に見送られて、私は扉を開いて一歩踏み出した。

 

  ※

 

 〈三日月同盟〉のギルドホールの会議室。そこにはギルドマスターのマリ姐とヘンリエッタさん、小竜、そして僕がいた。今回は僕が声をかけて、実質的に〈三日月同盟〉を率いているこのメンバーを集めてもらったのだ。集まってもらった理由は、力を貸してほしいから。僕のしたいことに力を貸してほしいからだ。そのために〈ハーメルン〉に所属させられている知り合いの二人を助けたいという話からはじめ、その〈ハーメルン〉にアキバから退場してもらうこと、そして、それらは全てもののついでで、アキバの街を掃除すること――したいことを全て真正面から話した。

 

「アキバは僕らのホームタウンです。日本サーバにいるプレイヤーの半分以上の本拠地です。日本サーバ最大の街です。それが格好悪くて雰囲気が悪くてギスギスしてて、なんだかみんなが下を向いて歩いているって……。それはないでしょう?」

 

 僕らは格好悪くなるために生まれてきたわけじゃないと、そう伝えたい。何が悪いだなんて口が裂けても言わないけど、それでも自分たちの首を絞めているこの現状は見るに堪えないのだ。それは、この異世界で新人を泣かせてまで、協力することを蹴飛ばしてまで、することではないはずなのだ。

 

「みんな、舐めてませんかね。異世界を甘く見すぎています。必死さが、足りないです」

 

 誰もが背を向けた。誰もが甘く見すぎていた。気付くタイミングはいくらでもあったはずだ。それを見過ごしていた。そろそろ向き合うべきなのだ。この街と、この異世界と。

 

「力を貸してください」

 

 真っ直ぐに〈三日月同盟〉の三人に頭を下げる。

 言葉だけでは、思想だけでは駄目なのだ。言葉を実現するための行動が必要なのだ。叶えたい望みがあるなら、それなりの行動が必要なのだ。

 

「シロエ様? 他のお仲間はどうなさいました?」

 

 口をはさんできたのはヘンリエッタさんだった。彼女の言葉に、僕は重要な挨拶を忘れていたことに気付いた。

 

「調査と準備にかかっています。挨拶が遅れてごめんなさい。僕シロエがギルドマスターとして、ギルドを結成しました。〈記録の地平線〉っていうのがその名前です。直継、アカツキ、にゃん太、小 燐森、そして僕の5人がそのメンバーで、今回の任務(ミッション)は、その最初の作戦になります」

「ギルド……作ったんや」

「はい。誘ってくれていたのに、すみません」

「ううん……」

 

 マリ姐の好意に謝罪すると、マリ姐は子どものように首を振った。

 

「ううん。そんなん、ぜんぜん謝ることない。そか。シロ坊……。おめでとうな? ギルド、作れたんや。シロ坊、作れたんやね。おうち作れたんやね」

 

 マリ姐は小さな涙の粒を浮かべて言った。その言葉は、その涙は、心からの祝福だったように思う。

 

「ギルマス。……話だけ、聞いちゃダメかな? 俺、興味ある。俺たちは街での活動も多いし、やっぱシロエさんのいうような悪い雰囲気、感じてきたよ。この街はずっとこのままいっちゃうのかって、不安に思ってきた。ずーっともやもや思ってたんだよ」

「ええ、協力できるかどうかは手法によります。まったく目処が立たない計画に乗る訳には参りませんでしょう? シロエ様」

 

 小竜の言葉にヘンリエッタさんがそう添える。それに続いてマリ姐が「シロ坊、話してや」と促してきた。ほんの半瞬、僕は頭の中で内容を反復して口を開いた。

 

「資金が必要です。とりあえず、金貨500万枚」

 

 この金額を告げれば大半の人間があり得ない金額だと言うだろう。むしろ、無理じゃない金額だと言ったクロが特殊なのだ。現にヘンリエッタさんは悲鳴を上げ、マリ姐と小竜の口からは絶望的なうめき声が零れた。

 それもそうだろう。おそらく〈三日月同盟〉のメンバーの資産をなげうっても到底足りない。個人で5万枚も持っていれば相当に資産家である状況を考えれば、金貨500万枚というのは桁外れもいいとこな金額だ。それはきちんと理解している。けれど、クロが『無理じゃない金額だ』と言ったのだ。彼女はどうあがいてもできないことは肯定しない人間だ。その彼女が無理じゃないと言ったのなら、それは無理ではないのだと思う。

 

「ヘンリエッタさんはどう思いますか?」

「わたし、ですか?」

「ヘンリエッタさん、元の世界では経営学の修士とって会計の仕事してるんですよね? 僕はいけると思っています。まだ、この世界ではみんなが“舐めて”ますから。別に大したことじゃないです。ようするに、ただ引っ張ってくればいいだけで。お金なんて“とりあえず”です。一番の難関にはほど遠い」

「引っ張って……」

「どんな資金かとか、誰の資金かなんて、深く考えなくていいんです。どうせ向こうだってルールを守る気はないんですから。違うか。……『ルールがないのがここ』なんです。自分たちで狭いルールを作ることはないんです」

 

 ある意味むちゃくちゃなことを言っているのはわかる。けれど、それがこの世界なのだ。何もないところでならなんでもできる。つまり、そういうことなのだ。ないのなら縛られる必要はない。ないのなら作ってしまえばいい。必要なものは自分で作ればいいし、必要ないものに縛られる必要なんてありはしない。

 やろうと思えば、きっとなんだってできる。

 

「……いけ、ますわ。わたしたちは、その資金を集められます」

「へ?」

「ええっ!?」

 

 ヘンリエッタさんの答えにマリ姐と小竜は驚きの声を上げた。その声には答えずヘンリエッタさんは続けた。

 

「500万を集めたとして、それでおしまいではありませんわよね? その先はどうするのですの?」

 

 当然だ。むしろ資金集めはただの序の口に過ぎない。

 

「500万を集めるのは入り口です。一番の難関はその先にあります。それは――みんなの善意と、希望です」

 

 クロはそれに苦笑した。不確定要素がある策を実行して尚且つ勝ちにいこうというのなら、いつも以上の労力を要すると。なぜなら、アキバに住む多くのギルドがアキバの街の雰囲気なんてどうなってもかまわないと思っているのならば、その場合は僕たちは負けてしまうのだから。けれど、もしそうなってしまったのなら、僕はアキバの街に未練はなくなるだろう。でもそんなことはないと信じている。

 

「アキバの街を好きな人は、嫌いな人より、多いはずです。今更ですけれど、セララさんの件を恩に着せて協力を強要するつもりはありません。〈三日月同盟〉に声をかけたのは、その力が必要だからです。マリ姐にも、ヘンリエッタさんにも、小竜にも、やってほしいことがあるからです。もう一度いいます。力を貸してください」

 

 もう一度、三人に深く頭を下げた。どうか、力を貸してほしいと。その想いを込めて深く。

 

「うちは……。うちら〈三日月同盟〉は……〈三日月同盟〉はシロ坊の作戦に乗ろうと思う。――うちたちだって、この街にはもっと格好いいところであってほしいから。このままだと何かが決定的になくなってしまいそうだから。で、でもな。うちらも苦しい所帯やねん。だから、夜逃げだけは勘弁してほしいんやけど……。でも、それもしゃあないか。見て見ぬふりをいつまでも続けたら、気持ちの方がすっかり腐ってしまうんよね。――魂の問題やから。だから、うちらも賭けてみる。教えて、シロ坊。その方法を。もしそのために何かができるときに、何もせえへんかったら、うちらずっと後悔しそうやから」

 

 ギルドマスターの表情でマリ姐は答えた。そして、答えてくれた。僕の頼みにそう答えてくれたのだ。

 

  ※

 

 協力を得られたあと、もう少しだけ時間をもらえないかを聞いた。

 

「ええけど。何かあるん?」

「多分、もうすぐクロがこっちに来ると思うんです。クロが来たら作戦の詳細をお教えします」

「わかったわ」

 

 そう話した直後くらいに念話を知らせる鈴の音が鳴った。表示されているのは先ほど話題に出した彼女だ。マリ姐たちに断りをいれて、席を立って念話に出る。

 

「お疲れ様、クロ」

『本当だよね、この腹ぐろ眼鏡野郎』

 

 起伏のない声と普段より悪くなった言葉遣いに、僕は彼女が相当疲労しているのを理解した。そして、それとほぼ同時に、そこまで疲労するほどの仕事を任せてしまったことに罪悪感を覚え、後で一発怒りの拳をもらうだろうという予想に苦笑を浮かべた。けれど、連絡を入れてきたということは、僕が任せた膨大な仕事を片付けたということか。彼女は、自分の実力を見誤ることをほとんどしないから、おおよそ予想どおりのペースだったのだろう。

 

「今、ちょうどマリ姐たちとの話が終わったところだったんだ」

『その様子じゃ、うまくまとまったみたいだね』

「うん」

『それはよかった。それじゃ、これから〈三日月同盟〉のギルドホールに行くからマリーに伝えておいて』

「うん、伝えておくよ」

 

 ぷつりと多少乱暴に念話が切られた。このあとに任せたい仕事があったけど、少し減らしたほうがいいだろうか。そんなことを考えていると、後ろから肩をつつかれた。

 

「どないしたん、シロ坊? 念話、終わったん?」

「マリ姐。すいません、少しぼうっとしてました。終わりましたよ。これからクロがこっちに来るので、入場制限の方お願いします」

「わかったで」

 

 念話が切れてから少しして、和装の女性が〈三日月同盟〉の会議室に入ってきた。その彼女は言わずもがなクロだったが、色んなところがボロボロだ。髪はボサボサだし、いつもやる気がなさそうな目がいつも以上に生気がない。そこそこ白い肌はさらに白く、大丈夫なのかと心配になるほどだった。

 

「リンセやんっ!? いつもに比べてずいぶん覇気がないけど大丈夫なんっ?」

「ああ、マリー。大丈夫だよ、割と慣れてるから」

「慣れてるって……」

 

 顔を引きつらせている〈三日月同盟〉の三人に大丈夫だと笑ったクロは、表情を消して僕の方を向いた。それに僕は思わず身構えてしまった。つかつかと僕の真正面まで歩いてきた彼女は、止まって僕の目をじっと見てきた。その視線に顔が引きつるのを必死で抑えていると、不意に脛に鋭い痛みが走った。引きつった声を出した僕を、〈三日月同盟〉の三人がぎょっとした表情で見てくる。けれど、それを気にする余裕がないくらい痛い。どうやら、クロに思いっきり脛を蹴られたようだ。

 

「……クロ、脛は痛いって」

「知るか、クソ眼鏡。こちとら不眠不休なんですけど?」

「うっ……。それは、ごめん」

「ま、引き受けた私も私ですけど? もう少し量を考えてもらいたいものですね?」

 

 そう言いながら、クロはマジック・バッグから次々と紙束を取り出し、会議室の机に並べていく。ソファーに座り直して、まだ残る痛みに耐えながらそれらを見ていく。どうやら、内容別にきちんと分けられているらしい。そのへんの整理はさすがといったところだ。〈三日月同盟〉の三人は、その書類の山を不思議そうに見ている。

 書類を全て出し終わった頃には、それは机を覆う量になっていた。確かにこれは多すぎたな。確実に一日でやる量ではない。不眠不休にもなるわけだ。僕の予想ではここまで多くなる予定ではなかったんだけど、と改めて頼んだ仕事の量を思い返した。やっぱり予想より多い。多すぎる。

 

「ここまで多くなる予定じゃなかったんだけど……。クロ、何かした?」

「別に特別何かしたわけじゃないよ。ただ予想できる状況に応じたものを何パターンか用意しただけ」

 

 空いているソファーに座ったクロが言ったことに目が点になる。何パターンか用意しただけ、とはいうが、それはつまり、僕が任せた仕事のひとつにつき複数の結果を持ってきたということだ。それなら、僕が予想していた量よりも多くなるのは当然だ。単純に考えて、2パターン用意してきたのなら仕事量は2倍、3パターン用意してきたのなら3倍になるのだから。

 

「これだから、不確定要素を含んでる策を実行するのは嫌なんだよ。処理する問題が時と場合によって変わってくる。だからその分、考えなきゃいけない策は増えるし、それに伴って結果が変わってくるし……」

 

 クロは疲れきった溜め息をついた。

 

 忘れていた。彼女はできないことは肯定しない。その反面、できることに対して妥協しないのだ。一分の隙もないくらい完璧に外堀を埋めてくる。彼女は僕のことを考えすぎだと言うけれど、僕から言わせてもらえばクロの方が考えすぎだ。

 

 勘の良さが際立っている彼女だが、実はそれはちょっとしたオプションで、彼女の能力の真髄はその演算能力の高さにある。あらゆる可能性を想定し、それぞれの事象が起きるという仮定のもとで対応策を講じ、その上、その時々によって変化する状況まで加算して考えたうえでそれぞれが起きる確率を算出する。彼女にかかれば、人の感情論さえも数値化され確率計算に組み込まれてしまう。

 そんな彼女だから、一つの問題に複数の解決方法を用意してくることは簡単に予想できたはずなのに、すっかり失念していて割と多めの仕事を頼んでしまった。結果、自分より用心深く1パーセントの誤差も嫌う彼女は、可能性に応じてあらゆる策を講じてきたために不眠不休、というわけだ。

 

「でも、楽しかったといえば楽しかったし、脛への一発で許してあげよう。シロエくん」

「あ、ありがとう」

 

 急に変わった呼び名と目が据わっている彼女に言われても恐怖しか残らない、と本人に言ってしまえば確実にもう一発来ることは安易に予想できたので言わないでおこう。

 

 クロが仕上げてきた書類の束をひとつひとつぱらぱらと流し読みをしていく。内容を見る限り、彼女にしては内容が大まかなものだった。といっても、普通の人から見れば十分詳細な内容だが。

 

「シロ坊? それ、いったい何なん?」

「これは、クロに作ってもらったこれからの大まかなスケジュールです」

「スケジュール、ですか?」

 

 マリ姐の質問に答えれば、今度はヘンリエッタさんが首を傾げた。その問いに答えたのはクロだった。

 

「そ。これから私達がすることの手順とそれにかかる時間を予想して組んだスケジュール」

 

 〈三日月同盟〉と〈記録の地平線〉のメンバーで内容は別だけど、とクロは続けた。並べられた書類の一部をマリ姐に渡しつつ、クロは内容を事細かに説明していく。

 

「これは大まかな作戦内容。こっちが全体のスケジュールで、こっちがそれぞれの担当のスケジュール。それで、これがおそらく必要とされる物品のリストと最も効率がいいと思われる入手ルート。あ、でもあくまでもこれは全部私の独断だから、これからここにいるメンバーで詳細を話し合ってもらおうと思うんだけど……」

 

 言いながらクロは次々と書類をマリ姐に渡していく。渡された側のマリ姐はというと、ぽかんとしていて話が飲み込めていないようだ。それを気にも止めず、クロはヘンリエッタさんに向き直った。

 

「会計の方はへティに任せることになるけどよろしく」

「え、ええ。分かりましたわ……」

 

 いきなり話を振られたヘンリエッタさんは、動揺したように返事をした。

 

「それで、シロくん。こっからの作戦詳細は任せていい?」

「うん、わかった」

 

 僕がクロから書類をもらうや否や、クロはソファーに深く沈み込んだ。

 

「寝る。なんかあったら起こして」

「え?」

 

 クロはそう言うと、靴を脱ぎ器用に身体を丸めてこてんとソファーに寝転がった。そして3秒もしないうちに寝息をたてはじめたのだった。

 

「え、ちょっとっ! クロっ?」

 

 軽く肩を揺らしても全く起きる気配がない。

 

「すいません、マリ姐」

「ええよ、ええよ。……それにしても、寝入るの早かったなぁ。相当疲れとったんやな、リンセやん」

 

 所有者の許可も取らずに寝入ってしまったクロの代わりに謝れば、マリ姐は優しく笑った。

 クロの長めの前髪で隠された瞼はきっと固く閉じられているだろう。人に寝顔を見られることを嫌う彼女が人前であっさり寝てしまった。つまり、そのくらい疲れていたということだろう。罪悪感と感謝とが入り混じって何とも言えない気持ちになった。

 僕は着ていたローブマントを脱いで布団代わりにクロにかけた。この世界で風邪を引くのかは分からないけれど、何も無いよりはましだろう。

 

「へぇー……。シロ坊、リンセやんにはそんな顔するんやなぁ」

「え?」

 

 突然聞こえてきたマリ姐の笑いを含んだ声に、振り返って彼女を見た。マリ姐の顔は、言葉で表現するならにやにやと言った表情だ。その隣にいるヘンリエッタさんは口元に手を当てている。

 

「……なんですか」

「いやー、な? ヘンリエッタ?」

「そうですわねー……」

 

 マリ姐とヘンリエッタさんがなんだか生暖かい目で僕を見ている。小竜は視線をあちらこちらにさまよわせていた。一体、何なんだろう。僕はなにか変なことでもしたのだろうか。

 

「あの、シロエさん。ずっと気になっていたんですけど……」

 

 視線を彷徨わせながら、小竜はなにか言いにくそうにしていた。

 

「何?」

「その…………リンセさんと、付き合っているんですか?」

 

 〈三日月同盟〉の会議室を沈黙が支配した。

 えっと、小竜はなんて言った? 『リンセさんと、付き合っているんですか?』と言ったのか? リンセってクロだよね? え?

 突然のことに混乱した。そして、少しして小竜が言った内容が理解できた僕は、はっと我に返る。

 

「付き合ってないよっ!? そういう関係じゃないって!!」

「えー……。そうなん? シロ坊」

「なんで残念そうなんですか、マリ姐っ」

 

 はっきり否定すれば、マリ姐は口を尖らせて本当に残念そうにした。それに突っ込めば、さらに口を尖らせる。

 

「だって今、シロ坊、すっごく優しそうな目でリンセやんのこと見てたで? 本当に付き合っておらへんの?」

「付き合ってません。ただ、付き合いが長いだけですよ」

 

 再びはっきりと否定すれば、そうなんかー、とマリ姐は肩を落とす。

 

「付き合い長いってどのくらいなん?」

「今は時間が惜しいので話しません。クロが起きる前にスケジュールの詳細決めますよ」

 

 やたらにやにや顔で突っかかってくるマリ姐にぴしゃりと言う。マリ姐は再び残念そうにしたが、それもそうやね、と本題に戻ってくれた。よかった。

 

  ※

 

 夢を見た。とても懐かしい夢を。

 それは、はじめて彼に出会った日のことだった。

 

 母が早くに亡くなり父子家庭に育った私は、その日、父の帰りが遅いということで、普段は禁止されている夜の街の一人散歩をしてやろうと意気揚々と出掛けたのだった。

 商店街を抜け、宛もなくただ足を進めた。いつもとは違う街の雰囲気に気分は高揚していく。周りの明かりが少なくなってきた場所で空を見上げれば、満天の星空が見えた。その光がとても綺麗で、さらに楽しくなってきた私は勢いよく駆け出した。

 人通りの少ない道で、両手を広げながらくるくると回る。私にとって、夜とは星に出会える最高の時間だった。

 

 散々歩いたり走ったりした私は、どこか休める場所を探した。そして、そこにたどり着いたのだ。

 彼と出会う、夜の公園に。

 

 一人でベンチに座っている男の子に目を引かれた。悔しそうな、苦しそうな、寂しそうな、そんな消えてしまいそうな男の子。どうしてそんなに悲しそうなのだろうと思った私は、その男の子の笑顔が見たくてその子に近寄った。

 

「ねえ、何してるの?」

 

 目の前に立って声をかけてきた私に驚いたのか、その子は肩を大きく揺らして顔を上げた。けれど、それ以上の反応は帰ってこない。何も言わないことに私は首を傾げた。

 

「どうかしたの?」

 

 それでも、返事が返ってこなかった。返事が返ってこないのだから、その子がどうしてそんなに悲しそうなのか分からなかった。それでも笑顔になってほしくて、私はその子の手を掴んだ。

 

「一緒に遊ぼう!」

 

 掴んだ手を引きその子を立たせる。

 

「何をしようか? かけっこ? 砂遊び?」

「……僕は、別に」

 

 やっと返ってきた声にもの凄く喜んだ記憶がある。

 

「じゃあ、お話しよう!」

 

 あまり動きたくなさそうだったから、私はその子の手を引いてベンチに戻った。

 

「何、話そうか? あ、私ね、星が好きなんだよ」

 

 そう言って、私は歳に合わない星座の神話の話をしたのだ。それでも、話しているうちにその子が笑ってくれたことが嬉しくて、そのまま話し続けたんだっけ。そうしていたら、その子からも話をしてくれたんだった。

 それから、帰らなきゃいけない時間までずっと話し込んでいたのだった。

 

  ※

 

 身体が揺すられる感覚に意識が浮上していく。緩やかに瞼をひらけば、目に映ったのは白。手で触って見れば、それは布だった。それを少しめくると、そこにはいつものローブマントを着ていないシロエがいた。

 

「おはよう、クロ。起きた?」

「お、はよう……」

 

 どうやら、シロエが私を揺すって起こしてくれたらしい。まだ少し寝惚けている頭で起き上がると、私にかかっていた布がぱさりと落ちた。掛かっていたのはシロエのローブマントだったらしい。それをつまみ上げてぼうっと見つめる。

 

「……掛けてくれたんだ。ありがとう」

「どういたしまして」

 

 ローブマントを返すと、シロエにしては珍しく感謝を受け取った。私のありがとうは受け取るのに、どうして他の人のありがとうは受け取らないんだろう、と回っていない頭で考えていた。

 

「おはよう、リンセやん。よう眠れた?」

「……うん、ありがとう。マリー」

「ええんよ。これだけの資料、一日で作ったんなら疲れとるはずやわ」

 

 机の脇に寄せられている紙の山を見ながら、マリエールは苦笑した。

 

「シロくん、私、どのくらい寝てた?」

「そんなに寝てないと思うよ。ざっと一時間半くらいじゃないかな?」

 

 そんなに寝ていなかったらしい。夢を見ていたせいか随分と寝た気がしたけど、気がしただけだったようだ。

 

「クロ、詳細案をまとめ終わったから見てもらってもいい?」

「んー、私が確認しなくてもいいでしょ?」

「保険だよ」

「はいはい」

 

 シロエが差し出してきた書類を受け取って、パラパラとめくっていく。見ていくうちにだんだんと自分の顔が歪んでいくのが分かった。

 

「……シロくん、本当にこのスケジュールでいいの?」

「なるべく早く終わらせたいんだ」

「その気持ちは分かるけどさー」

 

 渡されたスケジュールは最短も最短だ。限界突破どころの話ではない。タイトという言葉では生ぬるい。無理とは言わないが、かなりの無茶が要求されるだろう。

 

「まあ、〈三日月同盟〉の三人がいいって言うならいいけど」

 

 ちらっと三人を見れば、少し苦い顔をしていたが決意のこもった目で頷いた。

 これは腹をくくるべきだろう。一つ深い溜め息をついてシロエに向き直る。

 

「これでいいんじゃない?」

 

 シロエに頷けば、彼は口角を上げた。

 

  ※

 

 その翌日から4日間、怒涛の準備期間となった。

 思っていた通りの慌ただしさと限界を超えた量の仕事で、がむしゃらに進められたスケジュールは予定通りに進められた。まあ、少しでも遅れが出たらそこは予定を立てた当事者4人で埋めてでも、予定通りに進めるつもりであったけど。

 それにしても、何なんだろう。この状況は。

 

「うちの会計はすご腕やからね。数字見せて読み違いは万にひとつもおこらへんよ。ヘンリエッタに帳簿持ってすごまれたら、地獄の鬼だろうがラッパ持った天使だろうが小便漏らして謝罪するねんでー」

「私の管理能力なんてたかが知れていますわ。シロエ様の容赦も呵責もない立案の悪辣さこそ言語道断驚天動地です。まったくシロエだなんて冗談のよう。真っ黒クロエと名乗った方がよろしいのに。アカツキちゃんがいなければ抱かれに伺うところですわ」

「僕の黒さなんて自覚してるだけ子どもだましですよ。マリ姐の天然には敵いません。疲れ切ってるメンバーだってあんな笑顔で励まされたらもう一働きってなるじゃないですか。マリ姐に褒めてもらうためだったら、ゾンビだって生き返ってご奉仕しそうです」

 

 マリエールに出来上がった書類を持ってきた私の目の前で繰り広げられていたのは、発案者のうちの三人の功績と責任の押し付け合いだった。マリエールはたわわな胸を張って言うし、ヘンリエッタは褒めてるのか貶しているのか分からないし、シロエに至ってはずり落ちた眼鏡をかけ直しながら真顔だ。

 そんな三人の様子に思わず溜め息をついた。だから、本当にこのスケジュールでいいのか聞いたのに。

 

「それに、僕の黒さよりクロのスペックの方が驚天動地ですよ。インテル入ってるんじゃないの? クロ」

「入ってないからね」

 

 真顔のままこちらを向いたシロエにぴしゃりと言い放った。

 責任の押し付け合いに私を巻き込むな、腹ぐろ眼鏡。

 

 それはともかくとして、そんな無茶に無茶を重ねたスケジュールに従って、〈記録の地平線〉メンバーはもとより、〈三日月同盟〉メンバーももれなくへとへとになるまでこき使われている。経験の浅い〈三日月同盟〉のメンバーにとっては、もう「死線」といっても差し違えないだろう。それでも、それぞれの叱咤激励でゾンビのように復活させられた作戦参加者たちは、すべての用意を終えて作戦開始の朝を迎えるのだった。

 

  ※

 

 翌日。アキバの街の3ヶ所にその仮設店舗は突如出現した。各店舗の形は多少異なるけど、風にたなびくのぼりには同じ文字が書かれている。その文字は〈軽食販売クレセントムーン〉。

 おそらく、今のアキバで最も珍しい商売だろう。なんといっても、今までの常識でいうなら食料は全て同じ味しかしないのだから。高レベルの食料アイテムには、ステータスを一時的に上昇させる効果があるため、戦闘ギルドのメンバーが求めることもあるがだから、それも全体から見ればごく稀だ。

 私達はその常識を崩すことで商売をして資金を集めようと考えたのだ。味のない食事をしていた〈冒険者〉に味のある食事を提供すれば、〈冒険者〉は十中八九喜んで金貨を出す。つまり、“みんなが喜んでお金を持ってくるルール”を提供して金貨を引っ張ってこようというわけだ。

 

「まあ、これも言っちゃえば前哨戦なわけだけど」

 

 マリエールが半ばヤケクソで叫んでいるのを、近くの廃墟から見下ろした。その近くで、マリエールに負けないように声を上げながらセララちゃんがチラシを配っている。

 今までならなかった香ばしい匂いや魅惑的な匂いに釣られ、野次馬客が商品を購入していく。そして、叫んだ。

 

「なっ! なっ! なんだこれぇっ!?」

 

 思った通りの反応に口角が上がる。

 味がする。それだけのことだがそれほどのことなのだ。常識が崩されるとは、こういうことなのだ。

 一時間もしないうちに、〈軽食販売クレセントムーン〉はアキバの街に衝撃を与えるだろう。

 

「さて、今後の流れの再計算をしなくちゃな」

 

 賑やかになっていくアキバの街を見下ろしながら、私はそうぼやいた。

 

  ※

 

 〈軽食販売クレセントムーン〉がアキバの街に与えた影響は大きかった。予想していない範囲ではなかったけれど、それでも溜め息をつきそうになるくらい大きかった。それに伴う商品の廃棄率と素材の備蓄量を踏まえて、これからの様子を再計算しシミュレーションする。算出された結果は、もって4日というところだった。そのあと、どんなにパターンを変えても、5日以上はもたない。

 

「どうするかは……まあシロくんたちが決めるか」

 

 ここのところほぼ不眠不休で作業していた私は、あっさりと考えることを放棄した。

 私は再計算結果を持って、別の作業をしているであろう彼のもとに向かった。

 

  ※

 

 まだ販売が終了していない時間であるというのに、クロが持ってきた書類には今日の販売の集計予想が書かれていた。相変わらず予測計算が早い。こういうときに、本当にインテルが入っているんじゃないかと思ってしまう。

 

「思ったより廃棄率予測が低いね」

「それだけ衝撃が大きかったってことでしょ。それにこの予測は前提が“このままのペースでいけば”だからね。噂がアキバ中に広まった以上、需要が格段に上がるのは間違いないよ。全く供給が間に合わない」

 

 クロが言ったことは最もだ。

 クロの計算結果からいえば、売り上げ予測は約4万4000枚。来店者数は1200人、客単価はおよそ37枚だ。ここで、問題となってくるのが、用意できる店舗数と商材の量だ。どんなに頑張っても、〈三日月同盟〉の規模では1日に対応できる人数は1000人ちょっとが限界である。他から人を集めるわけにもいかない。

 

「でも、今回の目的は売り上げじゃないからね」

「そりゃそうでしょ。売り上げだけで金貨500万枚なんてどれだけ時間かかるんだって話だしね」

 

 クロの言葉を聞きながら、頭の中で計画を確認する。きっと、今後の数日間は、僕とヘンリエッタさん、マリ姐がそれぞれ担当する交渉を成功させなくてはならない。

 

「はあー、私が交渉役じゃなくてよかったー」

 

 僕の考えを知ってか知らずか、多分、クロのことだから知っていて、クロは溜め息をついた。

 

「心配しなくても、マリーとヘティの方の交渉は大丈夫だよ。よほどの馬鹿じゃなければ断らない」

「それは大丈夫だと思ってるよ。でも、これで無様に負けたら、その責任は僕にあるとしかいえないよな」

「まあ、否定はしないけど」

 

 僕の言葉に、励ましも慰めもなくクロは言った。別に、そういうものが欲しくて言ったわけではないが。

 周りの期待以上の働きに自分は彼らに相応しいのか考えてしまう。けれど、自分は相応しくなる責任がある。

 

「いけると思うよ。販売がはじまってから少しアキバの街を歩いてみたけどさ、シロくんの予想通り、アキバの街が好きな人は、嫌いな人より多いよ。絶対に勝てる」

 

 だから、私達はそれにたどり着くように進んでいけばいい。クロはそう笑った。

 

「うん、そうだね」

 

 今は目の前の作戦を成功させることに腐心すればいい。そのための下準備はちゃくちゃくと進んでいる。

 

「クロ、会議の根回しの下準備よろしくね」

 

 自分が集計やら交渉やらで動き回っている間に、僕の代わりに下準備を進めておくのが彼女の役割だ。

 

「おっけー。任せておきなさい」

 

 クロは親指を立てて不敵に口角を上げた。その自信たっぷりの笑みに無条件に安心してしまい、僕はまた彼女に甘えてしまっているなと心のなかで苦笑するのだった。


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