Log Horizon 〈星詠みの黒猫〉   作:酒谷

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ゲームの終わり
chapter 11


“主よ。

 みはしらのうずのみこの末子、伊弉諾尊の禊より御生れになられた海原の神は何処(いずこ)へゆかれたのでしょう。

 我らの天宇に、もしくは内に(ましま)す主よ。

 地と共に生きる民は、何人(なんぴと)に救いを求めるべきなのでしょう。

 嗚於、主よ。

 拙僧は、眠るのが恐ろしいのです。

 ――定めは、覆らないのでしょうか。”

 

  *

 

 大丈夫だろうかと不安を覚えながら、彼女の忠告通りとはいかないが“時間ちょうどよりは少し遅れて”到着すれば、当然のように迎え入れられた。

 やはり彼女はこちらに連れてくるべきだったか、と今更後悔しても当の本人は夏季合宿真っ只中だろう。

 

 〈エターナルアイスの古宮廷〉。ここはアキバの街からほんの二時間ほどの場所にある古アルヴ族の造った宮廷という設定の城だ。現実世界における東京の南側――港区相当の場所に存在するこの城は主人の居ない巨大な建築物で、現在〈自由都市同盟イースタル〉の諸侯により共同で管理されている。何故ここに僕――シロエひいては〈円卓会議〉の代表が来ているのか。その理由は一か月ほど時を遡る。

 

 始まりは〈円卓会議〉に届いた一通の書状だった。それは〈自由都市同盟イースタル〉領主会議とその舞踏会への招待、いわゆる〈自由都市同盟イースタル〉への参加要請だった。

 招集された〈円卓会議〉は慎重に分析した。要請を受けた場合、受けなかった場合、それぞれにどのような影響があるか。その結論、〈円卓会議〉は〈自由都市同盟イースタル〉への参加を決定し今に至るというわけだ。

 そこで次に問題になるのが会議へ参加するメンバーの選出。まず第一に代表が行かなくては話にならないということで〈円卓会議〉代表のクラスティさんが必須である。そして、クラスティさんが戦闘系ギルド最大手〈D.D.D〉の代表でもあることから生産系ギルドから一名出すのがいいだろうということになり、少々ごたごたしたもめごとの後に〈海洋機構〉のミチタカさんが同行することに。そしてバランスを考えて実務方面や情報関係の分析が可能な人材を3人目に選ぶ、と方向が固まった瞬間、全員の視線が〈円卓会議〉設立者である僕に向いた。その視線から逃げられるはずもなく、3人目に僕――〈記録の地平線〉のシロエが選出されたのだった。

 3人目に選出された僕には必然的にアカツキが従者としてついてきた。誤算はアカツキの参加でヘンリエッタさんが同行することになったことだろう。夏季合宿には直継と班長に言ってもらうことにしたが、ここで問題となったのがクロである。情報分析担当の補佐として〈エターナルアイスの古宮廷〉へ同行してもらっても十分役割を果たしてくれるだろうし、夏季合宿の引率としても申し分ないだろう。

 

「と、いうわけなんだけど」

「それで、どっちがいいって聞くのもすごいよね」

 

 夕食が終わった後にクロに尋ねてみたら、いつもだるそうな目が一層だるそうに細められた。

 

「正直、どっちでもいいし。むしろ留守番でも可」

「留守番は却下かな」

 

 さすがに留守番としてアキバに置いておくにはもったいない人材であることを、彼女自身はまったく理解していない。彼女の極めて高い演算能力は情報分析の類においても発揮されるのだ。彼女に一つの情報を渡せばそこから十の情報を返してくる。まさに一を聞いて十を知る、というやつだ。

 

「シロくんが好きに決めていいよ」

「好きにって……」

 

 それが一番困る回答であることはおそらく認識しているだろうが、回答した本人は我関せずだ。まいったな。どっちのほうがよりよい選択なのか必死に頭を回していると、クロの気の抜けた声が集中を途切れさせた。

 

「じゃあ、シロくん。1番と2番、選んで」

「え?」

「いいから」

 

 右手で1、左手で2を示したクロは、さあ早くと手を突き出してくる。

 

「じゃ、じゃあ……1番」

「じゃあ、夏季合宿いくよ」

 

 どうやら彼女のなかで2番が領主会議の派遣団だったらしい。

 それじゃ夏季合宿の方よろしくね、と頼んだ次の瞬間に彼女は言った。

 

「あらかじめ言っておくけど、〈エターナルアイスの古宮廷〉に行くときは早めに行き過ぎないことをお勧めするよ」

 

 何故? と思わず首を傾げるとやる気のない目はそのままでこちらを見る。

 

「それ、田舎者のすることだから。むしろ、その手のパーティーは少し遅れていくのがマストというか常識。王侯貴族になるとその傾向強いし」

「……なんでそんなこと知ってるの?」

「逆になんで知らないの?」

 

 心底不思議そうに尋ねてくる彼女に再び首を傾げてしまう。

 

「……そっか、日本じゃメジャーじゃないよね」

 

 クロはふと思い出したかのように言った。というか、多分今思い出したんだろう。

 

「ああ、そういえばクロって4年くらい外国行ってたんだっけ?」

「うん。お祖母様の家にね」

 

 実は彼女はクォーターである。普段は前髪で隠れているからわからないが顔立ちも少し日本人離れしている。そしてそのお祖母さんの家が貴族筋らしいのだ。世の中広いのか狭いのかよく分からない。

 

「そういう場には行ったことあるの?」

「何回か」

 

 その返答を聞いた今、彼女は領主会議に連れていくべきだったのではないかと軽い後悔が浮かんだ。

 

「ねえ、クロ。やっぱり……」

「私は夏季合宿に参加、なんだよね。シロくん?」

 

 変更は効かなかった。

 

  *

 

 彼女曰く田舎者の真似をせずにはすんだが、かといってやはりこのような場に慣れていないことは隠せないだろう。なんともいえない居心地の悪さだ。

 通された大ホールにはそこそこ人はいるが、それでも参加者の何割だろうといったところである。やはり彼女の言っていたことは事実なんだろう。

 

「ふん。なかなかに壮観だなこりゃ」

 

 これは緊張だ、と声を上げたミチタカさんは宮廷の装飾や設備を無遠慮に眺めている。

 

「周りがモンスターだと思えば落ち着くさ」

「そいつぁ、お前さんだけさ」

「そのとおり。モンスターに囲まれていた方が落ち着くのはあなただけです。ミロード」

 

 そう言ったのははクラスティさん。それにからからと笑うミチタカさんのあとに、クラスティさんに発泡酒を手渡しながらいさめたのは〈D.D.D〉の高山三佐という女性だ。

 

 その後、徐々に人が増えていってもアカツキは僕の背中に隠れるようにくっついているし、ヘンリエッタさんは艶然と微笑みながら僕の方に身を寄せていた。

 

「シロエ君は流石だな。悠然としたものじゃないか」

「まぁ、こいつほどの英雄になると。ぷっ。こんな大舞台でも、女を2人囲うくらいのことは……あー。余裕でできるらしいな。なぁ?」

「失礼な。このような舞踏会など陰謀の餌食。真っ黒シロエ様の草刈り場に過ぎないのですわ」

 

 悠然ではなく呆然、わかってて笑い者にしてるし、方向性が曲がっている。とんだ誤解とからかいと買いかぶりに頭を抱えた。

 やはりクロはこっちに連れてくればよかった、と僕は何度目かの後悔をした。

 

  *

 

 〈神代〉の反動を受けたのかと思うくらいの一面の緑の中、並足で馬を走らせる一行。それはザントリーフ地方――現実世界でいうところの房総半島を中心とした地方に訪れていた。その中に私もいた。

 ああ、平和だ。至極平和だ。そんなことを思いながら馬を走らせていると誰かが隣に並んだ。

 

「気の抜けたような顔ですにゃ」

「気が抜けてるんですー」

 

 それはご隠居だった。彼に気の抜けた声で返事を返しつつ、〈エターナルアイスの古宮廷〉へと向かった彼を思い浮かべた。

 今頃お貴族様の相手をしているんだろうな、向こうは。それを考えたら気楽も気楽だ。あの時シロくんが1番を選んでくれて本当によかった。……と思いたいのだが、どうも1週間くらい前からぽっかりと何か大事なものを落としてきてしまったような嫌な予感がしているのだ。何かを忘れているような、そんな気がする。けれど、考えても考えても靄がかかったように思い出せないのだ。

 

「……まあ、気のせいだよね」

「どうかしたんですか、リンセさん」

「ああ、なんでもないよ。ミノリちゃん」

 

 独り言を言っている私に気付いたのか、小さな〈神祇官〉が鈴のような声で訪ねてきた。彼女は我が〈記録の地平線〉に入会した双子の姉、ミノリである。

 

 なぜ私たち一行がザントリーフ地方に来ているのか。それはマリエールの言葉からはじまった。

 

 ――海行きたい。海でかき氷とラーメンとカレーライス食べたいっ。食べたいったら食べたいっ!! ねぇねぇ! だめ? だめかなぁ? 海行きたい! いこーっ!!

 

 ようは〈三日月同盟〉のギルドマスターの我が儘である。気持ちはわからなくもないが残念ながら私はそこまでアウトドア人間ではない。夏にバカンスに行きたい派よりは過ごしやすい場所で惰眠を貪りたい派の人間である。

 話を戻して、マリエールはバカンスに行きたいと言い出した。しかし、マリエールおよび〈三日月同盟〉は今や〈円卓会議〉の中心である11ギルドの一つであり、ギルドマスターのマリエールは評議員の1人である。故に、そうやすやすとバカンスでアキバの街を離れることが出来なくなっていた。なにしろ〈円卓会議〉が設立されてまだ2ヶ月しか経っていなのだ。毎日のように新しい情報が飛び交いアキバの街が刻一刻と変わっている大事な時期に、評議員が長期間バカンスで不在というのはなんとも体裁が悪い。しかし、それで諦めるマリエールではなかった。ヘンリエッタや小竜をいいくるめて一つの計画を考えたのだ。それが今回ザントリーフ地方に来ている案件である「新人プレイヤー強化夏季合宿」というわけだ。その案は新人プレイヤー支援を問題として取り上げていた〈円卓会議〉であっさり了承され、「40レベル以下の新人プレイヤーに対する支援策の一環として夏季合宿を行なう」ことが〈円卓〉承認行事として告知された。そして〈円卓会議〉承認のものとなれば、責任を1ギルドに押し付けるわけにもいかず引率やらなんやらで話は膨れ上がり、結果として60人ものメンバーが参加する大規模な合宿となり今に至る、というわけだ。

 それと時期を重ねて〈自由都市同盟イースタル〉の領主会議が開催され、〈円卓会議〉がそれの招待を受けて選抜メンバーで参加していることは余談である。

 

 ザントリーフ地方の半島部分は森と山地と緩やかな起伏を持った丘陵部からなる。そこにある広い河はザントリーフ大河と呼ばれ、その河が海に注ぐ辺りが今回の目的地チョウシの町、現実世界でいう銚子と呼ばれる地域である。

 大河のほとりを離れ、林を迂回したところにある神代の学校の校舎のような廃墟。そこが今回の寝床である。

 

「おーっし! みんなぁ! 今日からしばらくのあいだ、ここがうちらの寝床やで! 事前に班分けしていたとおり、今日は教室3つを掃除する。一階の東の端から3つや。1部屋20人で寝泊まりする予定。……余裕を持ちたかったら明日からも掃除して、なんとか住みよくするんやでぇ!」

 

 マリエールがそう指示を出す。

 そこから、先行偵察していた大手ギルドのメンバーとも合流。近隣の村への買い出しなどもあり、一行は合宿の準備を慌ただしくはじめた。そのなかで私の担当は掃除となっていたのだが、これがなかなかに重労働だった。元々はオブジェクトとして機能していたであろうそこは当然の如く廃墟で、さほど古びていないといっても人の手が入らなくなってどのくらいだというほどの汚れがたまっていた。砂埃、泥、その他エトセトラ。掃除する人数はそこそこいるといっても、今日は寝床を確保するのに精一杯。集中して掃除しているといつの間にか空はすっかり藍色に染まっていた。

 

  *

 

 一行が寝泊まりすることに決めた廃坑のグラウンドは、いくつものたき火で赤々と照らし出されている。そして、私から少し離れたところで〈記録の地平線〉の新人の片割れがある〈武士〉がとある単語に疑問符を浮かべた。

 〈ラグランダの杜〉――ダンジョンのようなその名は“ような”ではなく正真正銘ダンジョンの名前である。

 

「あんな、ミノリ。ダンジョンいくらしいぞ?」

 

 知ってた? という問いにミノリは驚きの声を上げた。

 

 今回の夏季合宿は、レベルごとに細かく分けてさまざまなカリキュラムを行うのが基本方針となっている。非常にレベルの低い20未満のプレイヤーは、校舎周辺で野生動物などと、海岸で巨大カニなどと戦うことになっている。これが海岸組。この組には引率者や回復職が同行するので相当安全かつ順当に経験を積むことが出来る。しかし対象が単体であるのでパーティーを組むことはない。そもそもパーティーでの連携にしたところで自分の職業の特色を理解していなければ連携などとれるはずもなく、そのための個人特訓というわけだ。

 そして、20から35レベルの参加メンバーはパーティーを組んでの戦闘訓練が予定されている。これがダンジョン攻略組である。こちらは屋外と屋内があり、屋外は〈カミナス用水〉での訓練、屋内が先ほど片割れのトウヤが疑問符をつけた〈ラグランダの杜〉での訓練である。〈ラグランダの杜〉での戦闘訓練は、ダンジョンがここから半日移動したところにあることもあり泊まり込みでの攻略である。

 レベルが36以上のメンバーは、人数の関係上、この校舎を中心に個人訓練となる。

 トウヤは〈ハーメルン〉の狩猟パーティーにいたらしく現在29レベルでダンジョン攻略組に組み込まれたいたが、片割れのミノリは現在21レベル。本来なら海岸組でもいいのだが、トウヤと別々より同じ班の方が何かと安心だろうという意見のもと、ダンジョン攻略組に組み込まれている。少々荷が重いかもしれないが私個人の意見を言わせてもらえば、あの“腹ぐろ眼鏡”に師事しているのだから焦らずきちんと教わったことを実践できれば相当優秀な〈冒険者〉になるだろう。彼女自身、シロエの後ろ姿を追っているだろうし、彼女の姿に付き合いの長い幼馴染ともいうべき彼の面影を見ることになるかもしれないと思うと、実に今から楽しみである。

 楽しみではあるのだが。

 

領主会議(あちら)は順調なんですかねぇ……」

 

 目下、私の興味は私が行くもう1つの候補だった〈エターナルアイスの古宮廷〉で行われているイベントにあった。気になるくらいならそっちに行けばいいじゃないか、と言われそうだが、経験上、お貴族様のお相手は骨が折れるため遠慮願いたかったのだ。なら、なぜシロエに選ばせたのか。単純にお貴族様のお相手の面倒くささとそこで得られるであろう情報の価値がどっこいどっこいで、さらに、それと夏季合宿で得られるであろうものがどっこいどっこいだったからである。

 個人的には〈大地人〉の政治にはかなり興味がある。現実世界の日本の政治体系とは違って、おそらく世界観に合わせた中世ヨーロッパ的な政治体系なのかな、と。仮にそうだとすると、しきたりとして適齢期にたちした淑女の社交界デビューなどがあるんだろうか。そして綺麗事で話が進む。それを踏まえると向こうの交渉はタフなものになっているんだろう。がんばれシロくん、と軽いエールを心の中で送る。そして、あわよくば舞踏会で美人さんと一曲踊ってこい、いい経験だ、とも。私がそんなことを考えているときに、彼が〈円卓会議〉のオブザーバーとして参加したヘンリエッタとともに周りの陰口を黙らせることに奮闘していたことなど知りもせず。

 

  *

 

 翌日、海岸組とダンジョン攻略組を見送った私は、基本的に担当することになっている36レベル以上のメンバーとともに校舎付近で個人の戦闘訓練の監督を行なっていた。

 武器の構え方、振り方、特技の使用タイミングなどなど。より精密なコントロールを指導していくのだ。指導、といっても、私の場合は自身の戦闘方法が特殊であることを理解はしているので、あまり下手なことが言えない。“この場面ではこうする”といった定石を少しだけ細かく指導するしかないのだ。なんとも使えない引率だと、ひそかに落ち込む。それでも指導を受けている側の人たちははとても素直だし、ここはどうすればいいのか、こういう場合は別の方法があるのか、など積極的に聞きにくる。そして、その中に数人、懐かしさを覚えるギルドタグをつけたメンバーがいた。

 

「あの、燐森(リンセン)さん」

「ん? マルガレーテさんとトウジョウさん。どうしたの?」

 

 初級のものより少しだけレベルの高い装備をした少女が2人。片方は見た目から典型的な聖職者の格好をしたドワーフ、もう片方は全身鎧の典型的な戦士の狼牙族、〈施療神官(クレリック)〉のマルガレーテと〈守護戦士(ガーディアン)〉のトウジョウだ。戦士が槍持ちなのは全然構わない、むしろ武器種別からしたら正解だ。しかし、聖職者の方は見た目にそぐわない厳ついバトルアックス持ち。要するに殴り僧、ビルド的には私のビルドに近いものがある。そして、その2人のギルドタグは〈Colorful〉。タグを見たときに、ああなるほど、と思ってしまった。これは戦うことに重点を置いたガチ勢だと。

 

「もう! 私のことはグレーテルでいいって言ったじゃないですか!」

「君が私に敬語を使わなくなったら考えるよ」

「ですが、あたしたち〈Colorful〉の中では、燐森(リンセン)さんはなんというか、“伝説”なので」

 

 ため口はちょっと恐れ多いといいますか、と苦笑いを浮かべるトウジョウに重いため息がひとつ零れた。

 まったく、あの創立メンバーは加入メンバーに何を吹き込んでいるのか。

 

「それはもうっ! “予言者”としても〈Colorful〉の設立者としても素晴らしいお方であると!!」

大規模戦闘(レイド)では負けなし。それにあの伝説の集団〈放蕩者の茶会(デボーチェリ・ティーパーティー)〉でもご活躍なさっていた、と」

「予測は百発百中! まさに“予言者”!!」

 

 もう惚れちゃいますよー! とはしゃぐマルガレーテと尊敬の意を瞳に込めて見つめてくるトウジョウに若干押され気味である。

 

「あー、はいはい。それで? なにか聞きたいことがあったんじゃないの?」

「あ、そうでした! 特技の取捨選択についてなんですけど……」

 

 戦闘中どの特技を使用するか、あるいは、どの特技を使用しないか。これは結構重要な話で、戦闘中でなければMPは自動回復する、逆にいえば、戦闘中はMPに上限がある。その上限の範囲内で使用するべき特技または乱用するべきではない特技が存在するのは仕方ないことである。その選択を誤ってしまえば、やるべきところでその特技が使用できない、使用できるタイミングだったのにそれを逃してしまう、ということが起きる。それは、パーティーでも個人でも戦闘不能に繋がることなのである。

 また、特技によっては使用するのに適した距離というものがある。これは主に範囲対象のある特技だ。効果範囲がある以上、最も効率のいい距離と効率の悪い距離というものがある。下手をしてしまえば特技を使用しても()()ということが十分あり得るのだ。その間隔の調整は距離の計算とタイミング、そして慣れである。何度も繰り返してアタリ判定を探る。それがゲームでは基本ではあるのだが。

 

「でも、今の状況でアタリ判定なんて明確にあるんですかね……?」

「それに関しては、現時点でも微妙としかいいようがないけど」

 

 どうしたものか、と考えてふと思いついた。

 

「モンスターと戦う前にちょっと私と模擬戦してみる?」

「模擬戦、ですか?」

「うん」

 

 モンスターとの戦闘と違ってPvPのようになってしまうが、それでもモンスター戦と違ってすぐにストップがかけられるし同じようなシチュエーションを繰り返し試行が出来る。人数もそう多くはないから個々に行なっても大した作業量ではない。

 そうと決まればさっそく実践である。

 踏み込みの甘さ、タイミングのずれ、よりよい選択の試行錯誤。模擬戦が終われば次は実際にフィールドに出てモンスターとの実戦。

 指導側もされる側も実際に対峙してわかることがある。職業として出来ることと出来ないこと、人として出来ることと出来ないことが存在するということだ。“できないことをしなくていい、できることを見つめて”とは、いつだったかの彼の言葉である。

 

 そうして、私の夏季合宿の戦闘訓練監督は過ぎていったのだった。


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