Log Horizon 〈星詠みの黒猫〉   作:酒谷

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chapter 16

 リンセが戦術的未来予測(ストラテジックフォーキャスティング)を行使してから早数時間。戦況は彼女の書いたシナリオ通りに進行していた。とはいっても、交戦中の〈冒険者〉たちの疲労も想定通りに蓄積していっているのだが。

 そんな中、リンセの驚異的な集中力はまだ途切れていなかった。けれど彼女はその最中で知らずに奇妙な体験をしていた。しかし当の本人はその変化を“異常”と認識していなかった。それどころかフロー状態に陥っている彼女はその変化を瞬時に“有用なもの”と判断し、それすらも掃討作戦の手段として自身の戦法に組み込んでしまっていた。

 そして、その異質さに気付いてしまったのは彼女とパーティーを組んでいた4人だった。

 

 その変化に素直に恐怖を覚えたのは彼女との戦闘経験が最も少ない小竜だった。

 目の前の敵を倒して次に向かおうとすればリンセから指示が飛んできた。その指示は、そこで10秒待機した後に指定した特技を指定した方角に発動すること。その方角には現在敵はいない。なぜと思いながらもその指示通りに行動すれば、なんと特技を撃った瞬間に射程に敵影が入り込んできて、次の瞬間には自分の撃った特技によってその敵影は地に沈んでいた。一瞬ぽかんとした小竜に構うことなく司令塔から次の指示が飛んできた。それを何度か繰り返したとき、小竜はその気持ち悪さに鳥肌が立った。

 まるで自分がチェスの駒にでもされている気分だった。それも両者の駒を1人で動かしている盤上の、だ。

 何も考えずにただ指示通りに動けば、ただただ敵が殲滅されていく。その感覚に小竜は人知れず嫌な汗をかいた。

 

 そんな小竜の反面、素直に感心していたのはレザリックだった。

 戦闘集団である〈黒剣騎士団〉に属しているレザリックは、そのギルドの性質上、大規模戦闘の経験が多い。そして、その分リンセとの戦闘も行なっている。優秀な彼女はギルドマスターであるアイザックのお気に入りで、彼は何かと理由をつけて大規模戦闘のみならず普通の狩りにも彼女を誘うことがあった。

 その彼女の完全な指揮下で戦うのは今回が初めてだったが、その指揮能力は確かに凄かった。こちらの出来ること、出来ないこと、全てを把握した上での指揮は自分が最も戦いやすい戦場を作り上げてくれた。凄い、素晴らしい、そんな言葉でまとめるには惜しいものだ。ドンピシャに当たる勘の持ち主ならアイザックでなくとも重宝する、と認識を改めたところだったが、これほどの指揮能力の持ち主なら、とさらに認識を改めた。

 

 一方、彼女の行動に明確な違和感を覚えたのはにゃん太と直継だった。

 〈茶会〉時代を経て〈大災害〉後も共に行動してきた彼らだが、今まで経験したことのない戦闘だった。

 ゲーム時代にはマップ外の敵を瞬時に当てる勘の良さを組み込んだ戦法も確かにあったが、今行われているそれは当時のものと比較すると明らかな差があった。指示に沿って動いていると操られている感覚は以前から変わらないが、それ以外の箇所での明白な違い。それは明確な指示以外での戦闘だった。自分が武器を振るえば計ったかのように敵が自分の射程、それも武器を振るった場所にピンポイントで入り込んできて殲滅される。敵の行動も味方の行動も全て把握して、両者がタイムラグなく衝突し、尚且つこちらが敵を制圧できるようにリンセが動かしているのだ。

 なら、彼女はどうやって離れている敵の行動までも把握しているのか。その疑問の答えこそが今彼女に起こっている現象だった。

 

 敵味方関係なく、その配置が感覚的に把握できている。

 

 リンセは、いわば感覚によってゲーム時代のマップが取得されている状態に陥っていた。その現象から彼女は目視範囲外であろう敵の数、進行方向、速度を完璧に把握し、そしてその行動パターンを組み込んだ指示を出して戦況を誘導していたのだ。

 

  *

 

 日が沈んだ頃、海の果てに一隻の船の影が現れた。それは輸送艦〈オキュペテー〉だ。そう、援軍の到着である。ちょうどそれを確認したのが小休止に入るところだったからか、集中力が限界だったのか、あるいはその両方か、原因はいくつも思いつくが、まあ、その登場が私の集中の外乱の1つとなった。

 つまり集中力が切れたのだ。

 切れた、と思うのと、まずい、と思うのはほぼ同時だった。急速に戻ってくる意識という感覚に限界値を超えた疲労を脳が認識した。まず頭痛とも眩暈とも言えない感覚が戻ってくる。次いで、身体のだるさや痛みが。足元から急速に力が抜けていく感覚に咄嗟に薙刀を地に突き刺してそれを支えにすることで何とか体勢を整えた。

 

「…………っは、あっ……ぐ」

 

 息を吸おうと足掻けば足掻くほどその空気は口から漏れていく。血が凄まじい勢いで身体中を駆け巡っているかのような感覚に思わず呻く。それが聞こえていたのか、ご隠居や直継、小竜やレザリックさんが駆け寄ってきた。

 

「おいっ!! リンセ、大丈夫なのかよっ!?」

「だ、いじょぶっ……集中、が……切れた、だけっ……」

「その顔で言われても説得力ねーぞ!!」

 

 そう言った直継に身体を支えられたが、そのときの僅かな衝撃で大きく咳き込み持っていた薙刀を取り落とした。拾ったところでまた取り落とすのが目に見えて、ひとまずメニューをいじり薙刀はバックの中にしまう。その操作をしている間に直継に背負われ、海岸線から少し離れた松の根元で下ろされた。私はそのまま地面に転がり仰向けになって左腕で目元を覆った。先程よりは呼吸はましになったが、世界がぐるぐると回っているような眩暈と万力で締め付けられているような頭痛、そして風邪をひいた様な関節の痛みはまだ続いていた。

 

 4人が口々に心配そうに私の名前を呼んでいるのを他人事のように聞きながら、自身の回復と状況把握に努める。

 どうやら戦闘中にいわゆるハイになっていたのが一気に切り替わり、正常の状態になったのだろう。それよりも、今の状況で各人の配置が手に取るように把握できるこの現象はいったい何なのか。意識をそちらの感覚に偏らせればさらに詳細な情報が入ってくる。正直にいうと気持ち悪い。まるで自分という存在が周囲に拡散し、意識だけが一点にあって、自分の上に物が配置されているのような、何といえばいいのかよくわからない感覚だ。

 けれど悪いことばかりでもなさそうだ。いや、気持ち悪い感覚なのは確かなのだがこれは使える。

 感覚による戦況の把握。その場の地形はおろか、そこにいる敵や仲間、あらゆるものの配置が分かる。観測できるのなら干渉できる、干渉できるなら制御できる。観察からのパターン化、パターン化からの組み込み、組み込みからの計算。そこまで出来ればあとは自分好みに「物語」を書き出すだけ。

 無意識下の私もそう結論付けていたようで、無意識に再構築を重ね、無意識にその指示を出していたようだ。

 

 そこまで考えていればどうやら身体は落ち着いたようで、まだ多少の疲労は残るものの動けないほどではなくなった。

 よし、と気合いを入れて起き上がる。

 

「だ、大丈夫なんですか!?」

「大丈夫だよ、小竜。とりあえずはね。さ、援軍も来たことだし、もうひと踏ん張りだよ」

 

 薙刀を装備し直してそれを杖に立ち上がった。一度固く目を瞑り、息を吐きだしてからしっかりと前を見る。

 

「……あの子たちに託されたんだから、しっかり守りきらないとね」

 

 〈オキュペテー〉がやってきたこと、そして、それと同タイミングでなぜかシロエがチョウシの町の方から現れたことで〈水棲緑鬼〉の物量作戦に疲弊していた防衛部隊は戦意を取り戻し、新人プレイヤーに至るまでが三面六臂の活躍で〈水棲緑鬼〉を殲滅していった。

 

  *

 

 戦闘が何とか〈冒険者〉の勝利で終わったのは夜中だった。

 フルタイムで戦っていた合宿組は、まだ体力に余裕がある〈オキュペテー〉で到着した部隊に街の防衛や見張りを交代して、ザントリーフ大河と浜辺の中間にある開けた集会場に集まって休息を取っていた。

 私といえば、もうひと踏ん張り、守りきらないと、と意気込んでいたが、やはりそれまでがオーバーワークを超えたオーバーワークだったらしく、戦闘終了を確認した瞬間に今度こそ砂浜に崩れ落ちた。砂に顔面を突っ込む形で倒れてしまったが、もう指先一つ動かすのも億劫だ。だというのに、なぜか周囲の把握は出来ているのだからいいのか悪いのかといったところだ。

 動けないどうしよう、とぼんやり思っていると自分に近付いてくる数人を把握した。これはシロエにご隠居、それに直継、小竜、レザリックさん、マリエールまでいる。そんな、みんな疲れているのだから走ってこなくてもいいのに。

 

「クロっ!?」

 

 一番最初に私のもとに辿り着いたのはシロエだった。彼は俯せになっていた私の身体を仰向けにすると、顔に張り付いた砂をやや乱暴にだが払ってくれた。閉じていた目をうっすらと開ければ、こちらが心配になるほどの顔面蒼白なシロエがいた。

 

「……シロ、くん。顔、青い、けど……大丈夫……?」

「それ、こっちの台詞だからっ……!!」

 

 大丈夫なのか、とシロエにしては荒い口調で聞かれたので、疲れただけだからと手をひらひらさせて答えれば彼の眉間に深い皺が刻まれた。どうやら言葉の選択を間違えたらしい。

 

「完全なるオーバーワークにゃ、リンセち」

 

 後から続いてきていた面々の中で真っ先にご隠居が口を開く。その目が何だが凄まじい怒気を帯びているのは気のせいと思いたい。

 

「ただでさえフルタイムの戦闘だったのに、それに加えて〈魂換の籠手〉使用による連続的なHPとMPのスイッチング、戦術的未来予測(ストラテジックフォーキャスティング)に伴う長時間のフロー状態、それが切れた上での戦闘継続――倒れない要素を探す方が無理というもの……ですにゃ」

 

 ご隠居の言葉を聞いて、やはり〈魂換の籠手〉のことはしっかりばれていたか、と心の中で苦笑した。

 この〈魂換の籠手〉という装備はちょっと変わったものなのだ。装備するとHPとMPのステータスが残量含めて入れ換わるという特性があり、それ以外には特に効果もなく防御力もない装備なのである。そんなものどこに使うんだと思うプレイヤーも多いらしいが、使ってみると中々面白い品なのだ。何せ、装備を外す・着けるの動作だけでHPやMPが即時回復するのだから。

 ご隠居の言った連続的なHPとMPのスイッチングとは、MPが尽きそうなときに装備変更でHPとMPを入れ替えてMPを回復し、HPが回復した後でMPが尽きそうになったらまた装備変更でMPを回復して、という戦法のことだ。おまけに私の使っている〈青龍偃月刀〉にはHP、MPの自動回復量増加の効果があるので、装備変更、HP回復を待つ、回復したら装備変更、HPの回復を待つ、の繰り返しでMPの枯渇を防いでいたのだ。

 まあ、それはイコール戦闘中にメニュー画面で装備変更を行っていた、ということなのだが。

 

 〈大災害〉が起きてからこの戦法を使ったのは初めてだが、感想としては「もう緊急時以外はやらない」である。というのもだ。どうも特技というかMPの減りは頭痛や眩暈に変換されるらしく、HPの減りは肉体への負荷になるらしいのだ。それを連続でスイッチングするものだから、症状もスイッチングされて、結果、双方に多大な負荷をかけることになってしまったのである。

 

 ご隠居がネタバレをしたからか、シロエの目にも怒気が帯びはじめてしまった。結果的に無茶苦茶な戦闘をしていた自覚はある。あるのでそんなに怒らないでほしい。本気で怒った彼は本当に恐いことを身を持って知っているからこそ、そう思った。思ったのだが、先程シロエに疲れただけだからと言ったのを最後に私の声は枯れたらしく、何かを言おうとしても喉が焼け付くように痛くて音にならない。それどころか、その痛みで咳き込んでしまい、さらに痛んで、のループにはまってしまった。

 げほげほ、と情けなく咳き込む私に周囲を囲んでいたメンバーが一様に慌てだす。その風景が面白かったのだが、どうやら笑うだけの表情筋を動かす余力も私にはなかったらしい。そのまま、あれよあれよという間に私は直継に背負われていた。

 もう随分と聞きなれた声が「おつかれさま」の音を響かせたのをどこか遠くで聞きながら、私の意識はそこで途絶えた。

 

  *

 

 まだチョウシの町には防衛や見張りを置く必要があるが、〈水棲緑鬼〉の殲滅が終わり一息つけるだろう状況までは持っていった。まだ体力に余裕がある〈オキュペテー〉で到着した部隊に防衛や見張りについてもらって、合宿参加者には休んでもらうように話をつけたとき、視界に砂浜に崩れ落ちた白い影が映った。白い長髪を一つにまとめているその姿は自分の見間違いでなければクロだ。

 さすがに疲れたよな、と思いながら彼女に向かって歩いていったが、その途中で彼女がピクリとも動かないことに気が付いた。周りを見れば、全員疲れてはいるが思い思いの格好で勝利を喜んでいる。その中で彼女だけが倒れたままピクリとも動かない。その事実に悪寒が走った。

 

 何か、何かあったのでは。

 

 気が付けば、僕はただひたすらクロに向かって走っていた。

 駆けだした僕とその先に倒れているクロに何かを感じたのか、後ろから何人かが自分と同じように走ってくるのを認識しながら僕はクロのもとに辿りつく。

 俯せに倒れている彼女の身体を仰向けにしてその顔についている砂を払い落とせば、夜の暗さのせいではない青白い顔がはっきりと見えた。ピクリと瞼が動き、やがてうっすらと目が開かれる。少しだけ宙を彷徨ったオブシディアンが自分を見た。

 意識ははっきりしていそうだ、とほんの少しばかり安心したところでクロの口が億劫そうに動いた。

 

「……シロ、くん。顔、青い、けど……大丈夫……?」

「それ、こっちの台詞だからっ……!!」

 

 死人のような顔色をしている相手に顔が青いと言われるとは思わなかった。

 

「大丈夫なのかっ!?」

「まあ……疲れた、だけ、だから……」

 

 疲れただけ。それ自体は理解できるが、それでもここまで顔面蒼白になるとはどういうことだ。一体どれだけの無茶をやらかせばこんなことになるんだ、何をしたんだ、馬鹿なのか、と叫びそうになるのを奥歯を噛みしめることで耐えた。

 そのとき、背後から静かな怒気を孕んだ声が響いた。

 

「完全なるオーバーワークにゃ、リンセち」

 

 声の主は班長だった。その言葉は酷く冷静に紡がれた。

 

「ただでさえフルタイムの戦闘だったのに、それに加えて〈魂換の籠手〉使用による連続的なHPとMPのスイッチング、戦術的未来予測(ストラテジックフォーキャスティング)に伴う長時間のフロー状態、それが切れた上での戦闘継続……」

 

 倒れない要素を探す方が無理、といつも以上に取って付けたような猫語尾で語られた事実に、何をしているんだ、というのが正直な感想だった。

 それは、言ってしまえば戦闘中にメニュー画面を開いていたということに他ならないし、一時的とは言えギリギリのHPで前線に出ていたということ。さらにフロー状態が切れた上での戦闘ということは限界値を超えた上での戦闘ということだ。

 もしも、それで死亡してしまったら。

 この世界での“死”はノーリスクではないとクロは知っているはずだ。それなのにそんな無茶苦茶な戦闘をするなんて本当に馬鹿じゃないのか。

 僕が文句の一つでも言ってやろうかと思っているのが分かったのか、何かを言おうとするようにクロは口を開いた。しかし言葉は出てこない。それどころか、げほげほと乾いた咳を繰り返す。あまりにも止まらないそれに、ひとまずここから離れて休ませなければという思考が働いた。

 直継に背負ってもらったときにようやくクロの咳はおさまり、呼吸も少々荒いが正常なものに戻りつつあった。そのことにひとまず安心する。

 

「それじゃあ、直継。頼んだよ」

「任せとけ祭りだっ!」

 

 広場に向かっていく合宿参加組の背に小さく「おつかれさま」と呟き、頭を切り替える。

 まだ警戒は抜けない。やるべきことはまだあるのだから。

 

  *

 

 そんなこんなでチョウシの防衛戦、ザントリーフ半島のゴブリン殲滅戦は一先ず幕を閉じた。

 チョウシの防衛戦はリアルタイムで参加していたから戦況は分かっているのだが、ゴブリン殲滅戦の方は人伝いというか参加していた〈Colorful〉経由で聞いた話だ。

 どうやら殲滅戦の方はゴブリン王を倒したわけではなく、その略奪軍をザントリーフ半島に封じ込めて殲滅をしただけであるらしい。この作戦はクラスティ率いる浸透打撃大隊がゴブリン将軍(ジェネラル)を倒してから約一週間で完結したという。

 未だ監視を続けている〈七つ滝城塞(セブンスフォール)〉には、おそらく数千の軍が潜伏しているとか。数だけで見れば略奪軍の5分の1程度だが、それがイコール戦力にはなり得ないのだから厄介なところだろう。

 そんなゴブリン王の討伐はひとまず後回しらしい。理由の一つとしては〈自由都市同盟イースタル〉との条約締結を先に済ませるべきだという判断が働いたからだそうだ。もう一つは〈七つ滝城塞〉攻略戦に〈D.D.D〉が不参加を表明したことだ。どちらにしても、裏に様々な思惑があるのはわかっているので納得している。ただ戦闘集団の〈Colorful〉のメンバーはその事実に不完全燃焼らしく、事あるごとに念話なり対面なりで愚痴を言ってくる。正直勘弁してほしい。

 

 遠征の後処理や〈イースタル〉との条約締結の事務処理などで〈円卓〉ひいてはアキバはばたばたとしていた。その中で僅かに挟むことのできた小休止、そこで私とシロエは彼の部屋で書類に埋もれながら一息ついていた。

 

「で、シロくん」

 

 そろそろ例の件の話が聞きたいんだけど、と切り出せば過剰労働で以前より少々顔色が悪くなったシロエが私を見た。

 

「例の件って?」

「『死』はノーリスクじゃないって話だよ」

 

 それは私が『ゴブリン王の帰還』の発動に関しての警戒の念話を入れたときに後回しにした話だった。

 私の言葉に思い出したのか、ああ、とシロエは少々苦い顔をした。

 ふう、と一つため息を零したシロエは、ミラルレイクの賢者から聞いたことなんだけど、と前置きをして語り出した。

 魔法の分類の一種、〈森羅変転(ワールド・フラクション)〉、〈魂魄理論(スピリットセオリー)〉。この世界の歴史、学問について話して、シロエはこう締めくくる。

 

「リ=ガンさんの述べた〈魂魄理論〉から察するに、『死』は僕たちの精神を駆動するエネルギーである魂を用いて、肉体を駆動するエネルギーである魄と肉体を再生させる。そのたびに、僕たちはわずかな記憶を失う……」

「なるほど」

 

 理論があればすんなりと納得できる話だった。

 あれだ。熱力学第二法則。第二種永久機関は存在しない、というやつに近いのだろう。

 

「……現象としては至極真っ当だね。逆に安心したよ」

「怖い、とは思わないの?」

「なんで?」

 

 なんでって……、とシロエは言い淀んだ。そんな目の前の彼に笑う。

 

「前にも言ったけど。そうでなければ、私たちは死に対して意味を見いだせない、それは、生に意味を見いだせないのと同義だ」

 

 そうであるなら、生は死よりも恐ろしいものになるだろう。私はそちらの方がとても恐ろしいと思った。

 

  *

 

 はっきりとそう述べたクロにすごいなと素直に思った。同時にそれとほぼ同義の言葉を言っていた彼にも。

 そう、〈D.D.D〉のクラスティさんだ。

 

 ――もしそこに意義が見いだせないのならば、死よりも生の方が恐ろしいのは、どちらの世界でも一緒ではありませんか?

 

 〈エターナルアイスの古宮廷〉で緊急で開かれた〈円卓会議〉に対してこの世界の『死』について告白したとき、クラスティさんは優しいともいえるような声で決意を込めてそう囁いた。

 その決意は、覚悟は、一体どれだけのものだったのだろうか。考えてもおそらく簡単にはわからないだろうが。

 自嘲交じりに笑うと、その空気を変えるようにクロが声を上げる。

 

「もう一つ、聞きたいことがあったんだった」

「何?」

「ルンデルハウス=コードについて」

 

 僅かに細められた瞳に背筋が凍る。

 ルンデルハウス=コード、チョウシの町の戦闘が終わった後に〈記録の地平線〉に新しく加入した〈冒険者〉だった。

 僕が彼に行ったこと、それは〈大地人〉をギルドに加入させてその身分に〈冒険者〉を与えるという契約。それは、異世界のルールの変更、〈エルダー・テイル〉に搭載されては“いない”魔法の開発。

 ――それは、世界の法を脅かすような行為。

 世界への反逆ともとれるこの行為は、この異世界に承認されて新しいルールとなった。

 クロはおそらくそのことを指している。

 

「“地と共に生きる民、憧憬のうちに堕ちる天蝎宮(Scorpius)。二つに分かたれた生を再び結ばんと契り交わし、(あずま)()()()()()()()()()()()、理に叛逆す”」

 

 まるで(うた)を詠むように紡がれた言葉に虚を突かれた。突然クロは何の話をし出したのか。

 

「君がルンデルハウス=コードにしたこと、当ててあげようか?」

「え……」

「〈大地人〉であった彼はチョウシの町の防衛戦の最中に死亡した。さっき聞いた〈魂魄理論〉で言うと、落魄と散魂――(こん)(はく)の間の接続が切れた状態になったんだろう。それに対処するために、そうだな……シロくんはきっと〈筆写師〉の技能で契約書か何かを作って彼を〈冒険者〉にする契約をした。……どうかな?」

 

 当たっている。自分のしたことが見抜かれている。

 きっと誰かから聞いたわけではない。けれど、何かから情報を得て彼女はその推測に至ったのだろう。

 

「……どうやってその推測に辿りついた?」

「種明かしをしようか。この推測に至った経緯、それは全てある一点に収束される。前にも言ったと思うけど、“一つの現象として〈星詠み〉のフレーバーがそのまま適用されている”、この一点だよ」

「……まさか」

 

 それが事実なのだとしたら。もし、そうだとしたら。リ=ガンさんのあの言葉が現実になっていたとしたら。その力は潮の満ち欠けや天候といったものにとどまらず、人や国家の運命すらも知りうる、そういうことになる。

 

 “地と共に生きる民、憧憬のうちに堕ちる天蝎宮”、これは即ち大地人であるルンデルハウス=コードの死の暗喩。そして、“二つに分かたれた生を再び結ばんと契り交わし”というのはおそらく魂と魄の接続およびその方法を。“東のとのおおいしるすつかさ”、とのおおいしるすつかさは外記の和訓――つまり、東の外記。ルンデルハウス=コードを〈冒険者〉にした一件で、どうやら西では君をそう称する準備が進んでいるらしい。“理に叛逆す”の部分は言わなくても分かるよね。

 先程の詩のような言葉をクロはそう解説した。丁寧に読み解かれたそれは、確かに自分がルンデルハウスに行なったことを示している。

 

「これは星を見ているときに突然聞こえてきた言葉なんだよ。私は、この現象が〈星詠み〉のフレーバーの具現化だと思ってる」

「その正確性と基準は?」

「残念ながら、全く分からない、というのが正直なところ。もしかしたら私以外にも同じ現象に陥っている人がいるかもしれない。もしかしたらいないかもしれない」

「でも、ここにクロっていう例が1つ存在する」

 

 それは今後、職業やアイテム、フィールドに至るまでの全てがその在り方を変える可能性があるということだ。それはクロも理解しているのだろう。

 可能性があるのならば、それを考慮にいれなければならない。

 また調べなければいけないことが増えてしまった。思わず頭を抱えて唸っていると、正面から押し殺したような笑い声が聞こえてきた。視線を目の前に戻せば、クロが口元に手を当てて笑いをこらえている。

 

「なんで笑ってるのさ」

「いや、悩み役のシロくんにさらに悩みの種吹っ掛けちゃったなって思ったら申し訳なくて」

「申し訳なかったら、普通は笑わないと思うけど!?」

 

 そう目の前の彼女を睨み付ければ、ついに耐えきれなくなったのか咳き込みながら声を出して笑い出した。その様子をじっとりと睨みつけていれば、笑いすぎて出てきた生理的な涙を拭ったクロが言った。

 

「私個人としては実に興味深い案件だなと思ってるんだよ。まあ、大抵のことは興味深い対象に入るんだけどね。ようは研究対象だよ。この世界から現実世界に戻るにせよ、諦めるにせよ、“分からないこと”が分かった。これだけで今後の方針を探っていく上では相当有意義なことだよ。“分からないこと”が分からない状態で分析も活用もしようがないんだから」

 

 クロの言っていることは理解できる。けれど“分からない”ということに対して確実に不安の気持ちがあるのも事実だった。

 戻るにせよ、諦めるにせよ、それ以前にこの世界で生き抜かなければならない。それはアキバにおける〈冒険者〉の共通認識だろう。そのためには情報が命綱になる局面が少なくはないだろうし、情報の集積は〈円卓会議〉が自治を行なう上でも不可欠なものだ。どのような事態であれ、周辺事情が判らなければ正確な判断など下せるはずがないのだから。

 隠しきれないため息が自分の口から盛大に漏れていく。それにクロがくすりと笑う気配がした。

 

「そんなに抱え込まなくっていいんだよ。別に1人でやらなくちゃいけないわけじゃない。私だって、その辺の分野は出来ないわけじゃないし」

 

 ね? と小首を傾げるクロに内心敵わないなと思った。こうして先回りして望む以上のものを差し出してくるのだから。

 クロのこういうところが心底恐ろしいと、そう認識した。そのはずなのに、それでも縋りたくなってしまう。差し出される手が当然ではないということをしっかりと意識しなければ、あっという間に飲み込まれる。

 わかっているのに。

 そんなクロに甘えてしまう僕は、すでに彼女の底なし沼にはまっているのだと自嘲するしかなかった。

 

「まあ、でも。目下の試練はマイハマで行われる条約締結を祝う祭典だよね」

 

 せいぜい顔を売ってくるんだね、と心底面白そうに笑うクロに先程の自嘲の念は急速に霧散し、分かってて言ってるだろ、と口角をひくつかせた。

 

  *

 

 そんな話をした数日後、マイハマでは条約締結を祝う祭典が開かれていた。

 その祭典に私も参加しているのだが、見たところヤマト北東部から多くの貴族たちが集まっているようだ。どうやら参加自体は義務ではないらしいのだが、数少ない〈冒険者〉の知己を得る機会であるとあってほとんどの貴族が集結しているらしい。

 それもそうか。通商条約が締結された今、領主たちにとってこれは自分たちの領地の特産を売り込んだり、優先的な契約を結ぶための大きなチャンスなのだから。

 そんな貴族たちの熱気に押されてアキバの街のギルドもまた活発に活動している。商業系ギルドは新しい工夫を行なう事で大きな利益を得られる可能性に、戦闘系ギルドは護衛や希少なアイテムの採集などで熾烈な交渉合戦が巻き起こっている。

 今のアキバは、経済が目まぐるしく回っている、といった表現がお似合いだろう。

 そういったわけで、マイハマの都は一時的に通常の人口の倍にもふくれあがっているらしい。

 そんな都を情報収のためにぶらついていた私は、混雑のせいもあり1人の女性とぶつかってしまった。思ったよりも大きな反動に大分強くぶつかってしまったことを認識した私は、瞬時に女性が倒れないようにその腕を引いた。

 

「あっ、すみません! 大丈夫ですか?」

「……はい。ありがとうございます」

 

 すみませんでした、ともう一度謝れば、気にしないでください、と笑って女性は去っていく。

 その女性は若草色の髪に同系色の瞳を持っていた。ステータスを確かめれば、年代記作家のヒューマンの〈大地人〉、名前はダリエラ。

 

 ――なぜ、“西の納言”がここに。

 

 ミナミにいる元〈Colorful〉のメンバーから告げられた存在、〈Plant hwyaden(プラント・フロウデン)〉のギルドマスター、濡羽。確か狐尾族の〈付与術師〉で自分の情報を書き換えるという魔法を開発したとか。報告してきた〈彼女〉によると、あの姿はその魔法で書き換えた姿なのだとか。一体どんな方法でその情報を入手したかは知らないが、実際に存在しているところを見ると事実なのだろう。

 

 シロエの意思がアキバの街を変化させたように、他のプレイヤータウンも誰かの意思が作用して変化している。

 アキバの街に流れた時間は他の場所でも確実に流れている、というわけだ。

 

 この世界に迷い込んだ〈冒険者〉の問題は、徐々に目の前に突如出された問題からシフトしつつある。それは、彼らの意思の問題、あるいは――。

 白と黒、それで二分できない灰色の問い。それはいっそ混沌と言ってもいいだろう。あらゆる意思が絡み合って構成されるのが社会なのだから当然といえば当然のことだ。

 

 不意に、自分の踏みしめている地面の下から形容しがたい闇が今か今かと出てくる瞬間を伺っているような感覚に陥った。

 きっと人は、この感覚を嵐の前の静けさと呼ぶのだろう。

 

  *

 

 嗚於、主よ。我らの天宇に、もしくは内に(ましま)す主よ。

 拙僧は、眠るのが恐ろしいのです。

 

 ――定めは、覆らないのでしょうか。




2016/11/3 1:50 加筆修正

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