Log Horizon 〈星詠みの黒猫〉   作:酒谷

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chapter 18

 シロエから〈三日月同盟〉の冬物衣料即売会の手伝いを頼まれ渋々了承した翌日。

 私は手伝い以外で絶対に参加するものかと思っていた天秤祭の街中を歩いていた。これには深い訳があるのだが、ここでは置いておこう。

 

 祭りを巡るにあたって必要不可欠であろうパンフレットを片手に、アキバの街を練り歩いていれば、前方に何やら興味深い団体を見つけた。男1人に少女2人。これだけ見てもロリコンかなという疑問が湧いてきそうなグループだが、その男が自分の良く知る幼馴染ともいえる先輩で少女2人がこれまた自分の良く知っている可愛い女の子たちであるとなれば興味を示すなという方が無理である。さらに3人が向かっている方向というのが、〈ダンステリア〉というギルドが主催している異性同伴が出場条件のケーキバイキング会場の方向というのも興味深い。

 両手に花でデートというやつか。俗に言うリア充爆発しろというやつか。

 まさかあのシロエが恋愛戦争の渦中、いや、攻略対象になる日が来るなんて。おめでとうと拍手付きで祝ってあげたいが、目前で繰り広げられている現状を見ていると全力でからかいたい。からかい倒して何事も無かったかのように立ち去ってこっそり観察したい。

 

 実際に観察できるかどうかは置いておいて、ひとまずからかってやろうと足音を消して気配を殺しこっそりとシロエの背後に忍び寄る。そして射程圏内に入った瞬間、人差し指を立ててシロエの肩を叩いた。

 

  *

 

 叩かれた肩にシロエが振り向けば、ぷすりと頬に何かが刺さった。それは細くて白い指だった。

 

「やあ、シロくんっ。両手に花でデートかな?」

「ク、クロッ!?」

 

 小学生のようないたずらの犯人はリンセだった。

 シロエの目の前でにっこりと笑っているリンセは髪を一つに縛り、七分丈の黒いデニム生地のパンツに黒いジャケットを着ている。その中に着ているシャツも黒で、黒のキャスケットにゼブラ柄のストールを緩く巻いている。全体的に黒でまとめられた服の中で唯一色のあるマウンテンブーツは、よく見るとボルドーのレース生地が重ねられていた。

 そんなメンズルック寄りの服装だったため、シロエの両脇にいたミノリとアカツキは一瞬誰だか分からずぽかんとした。

 

「リンセ、さん?」

「リンセ殿、か?」

 

 クエスチョンマークを付けて自身の名前を呟いた2人にリンセは首を傾げながらも軽く左手を振る。

 

「こんにちは、ミノリちゃんにアカツキ」

 

 そう言うリンセにアカツキは心ここに在らずといった感じに返事をし、ミノリも同じような調子で軽くお辞儀をした。その様子に無理もないかと思ったのはシロエだった。

 

 メンズルックもそうだが、今のリンセはいつも下ろされている前髪を左側だけ耳に掛けていて普段よりも顔周りがすっきりとしている。そのおかげで、普段は三分の一ほどしかさらされていない素顔が半分まで見えるようになっているのだ。さらされているフェイスラインは美しいと称せるほどに綺麗な線を描いている。あまり見る機会のないリンセの目尻は綺麗なラインを描いており、それに加えて長い睫毛の縁取りが余計にそのラインを際立たせていた。

 リンセは俗に言う中性的な顔立ちというやつだったのだ。

 

 中性的な美人とはこういう人のことを言うのだろうと思ったのはミノリだ。アカツキもアカツキで普段のやる気のなさそうな印象とはガラッと変わっているリンセに暫し見惚れていた。

 その2人とは対照的にシロエはやっぱり私服はこの系統かと苦笑した。というのも、リアルのときは大体私服はメンズルックだったからだ。髪は長くはなかったし顔立ちが少々日本人離れしていて中性的であることも相まって、その服装は恐ろしいほど似合っていたことをシロエは思い出した。ついでに彼女が女性にナンパされていたことも思い出してしまい、シロエは苦虫を噛み潰したような顔になった。

 それはそうと……

 

「今日は引きこもってると思ってたのに。何かあった?」

 

 首を傾げるシロエにリンセは、ちょっと私用が出来て外に出ざるをえなくてねと嫌そうに肩を竦めた。

 

「それより、可愛い女の子2人引き連れてケーキバイキングとはやるねぇ!」

 

 この野郎、と脇を肘でつついてくるリンセにシロエはあからさまに鬱陶しいと思っているのを顔に出した。しかし、リンセはそれすら面白いのかますますにやけ顔になる。

 

「いやー、シロくんが女の子とデート! しかも可愛い上に2人も! やっぱり男の子だねぇ、お姉さん嬉しいよ!」

「お姉さんってなんだよっ! クロの方が年下だろっ」

「いやいや、こういうのは人生経験の差だって」

 

 リンセは顔をやや赤らめながら反論してくるシロエが面白くて仕方なかった。

 

 シロエとリンセの付き合いは長いが、はっきりとした彼女がいたことのない彼がこんな恋愛シミュレーション的展開に陥るとは彼女も予想していなかった。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ。おそらくここが自室だったらリンセは床に転がってドンドンと拳を床に打ち付けて笑い転げていたところだろう。

 まだからかい足りないリンセは、シロエの脇腹を両手の人差し指でつつきながらああだこうだと楽しそうに喋り続ける。よくそんなに言葉が思いつくなと呆れ交じりに半ば感心していたシロエだが、いい加減腹立たしくなってきて、うるさい、と彼女の頭に軽く平手打ちを叩き込む。シロエが思っていたよりも綺麗に決まったそれはスパンと小気味いい音を辺りに響かせた。

 

 何するんだと叩かれた箇所を押さえるリンセと子どものようにそっぽを向くシロエ、そんな2人のやり取りを見ながらミノリとアカツキはそれぞれ思うところがあった。2人の間にある信頼に、ミノリは羨望と少しの息苦しさを、アカツキは自覚している思慮から来る明確な嫉妬を。

 

 ミノリにとってシロエと旧知の間柄であるリンセは彼に次ぐ良き先生であった。同じメイン職業ということもあって特技のことを聞くならリンセに聞くといいとシロエからも推薦されている。ビルドは異なるもののリンセはオールマイティに物事をこなすので、基礎部分だけなら十分過ぎるほどの技術を持っていた。ミノリが扱いやすい戦術を提案し指導してくれるリンセのやり方は、自分からこうしたいと言わなくてもミノリに望むものを与えてくれた。

 そんなリンセは自分たちの指導の傍らでシロエの補佐的役割も担っている。それはつまり、ギルド内でシロエと最も関わっているのはリンセで、シロエを最も助けているのもリンセだということである。もちろんミノリもシロエの手伝いをすることはあるが、どうあがいてもリンセのそれには敵わない。ミノリは素直にそんな彼女のことを尊敬していたが、同時に自分のヒーローである彼を助けることのできる立場と能力を持っている彼女のことを少しだけ羨ましくも思っていた。そして、その2人の関係性に最近は少しだけ息苦しさも。

 

 アカツキが〈大災害〉が起こった後に出会ったリンセは、自分のコンプレックスに触れない人間だった。下に見ることもなく上に見すぎることもなく適度な評価をする人だった。シロエに助けてもらった恩を返すために彼を主君と仰いだときは、アカツキの働きで恩を返せばいいと提案してくれた。働きで返せるほどの能力を持っているという判断を下して提案したわけではないだろうが、自分の望む立ち位置へと背中を押されたのは事実だった。

 しかしいつからだっただろうか、自分の能力を見てくれたリンセを妬み始めたのは。いつの間に芽生えたか分からない男女に関する好意を自覚したときからだろうか。それともそれ以前からか。

 シロエの側にいればいるほどアカツキはその存在の大きさに気付かされた。〈円卓会議〉設立の際、彼が最も仕事を任せたのは彼女だった。〈Colorful〉との騒動のとき、彼は真っ先に彼女を追いかけた。〈記録の地平線(ログ・ホライズン)〉を作るとき、誘いを断った彼女に彼は懇願したらしい。

 それほどまでに彼に慕われている彼女が羨ましかった。

 2人の間にそのような好意は見て取れないが、もし何かの拍子にそれが生まれてしまったら。アカツキは自分の中に芽生えた想いを自覚してしまったとき、同時にその恐怖にも気付いてしまった。

 リンセは自分よりもずっと大人らしい大人だし、よく気が付き知らずにフォローしてくれる優しさを持っていた。同性であるアカツキから見てもいいひとだ。〈Colorful〉のメンバーがあれだけ慕っていたのも分かる気がする。だからこそ、リンセにその気はなくともシロエの方は、などと考えてしまい、そこから誤魔化しようもない嫉妬が生まれてしまうのだ。

 

 シロエに叩かれた頭をさすっていたリンセは、先程から何も話さないミノリとアカツキの様子を覗き見る。そして、2人の表情を見てやってしまったと苦い顔をした。

 シロエをからかいすぎたのが良くなかったのか。いや、おそらくシロエと自身の距離が近すぎたのがいけなかったのだろう。可愛い女の子2人から嫉妬を買ってしまっていることにリンセは気が付いてしまった。人の恋路を邪魔するやつはなんとやら、この場は退いておくのがベストだろう。そう判断したリンセは違和感を持たれないようにさり気なくその場を離脱した。

 その甲斐あって、ミノリとアカツキはリンセが自分たちの心境に感づいていると気付くことはなく、3人はケーキバイキングの会場に向かった。

 

  *

 

 違和感を持たれることなく恋の戦場から離脱した私は次の問題の解決策を考えていた。それは、いかにしてシロエのケーキバイキングデートを覗き見るか、ということだ。野次馬根性甚だしいなとは自分でも思うが、こんなに面白いことを逃してたまるかと拳を握りこんだ。

 しかし、どうしたものか。現場、否、戦場はアキバの街のほぼ中心部、大交差点に特設されたケーキバイキング会場だ。外からこっそり見るにしては少々見晴らしが良すぎる。そんな場所で長い間、正確に表現すれば45分、何もせずにじっとケーキバイキング会場を覗き見ているなんて不審者に思われても仕方ない。最良は自分自身もケーキバイキングに参加して観察することだが、如何せん最適と思われるパートナーが思い当たらない。〈記録の地平線〉メンバーはすぐにシロエたちに気付かれそうだから却下。そもそも手が空いているメンバーが少ない。にゃん太は〈三日月同盟〉の手伝いに行っているし、ルンデルハウスは五十鈴と一緒に行動しているだろう。直継はアレだ、彼も彼でどこぞの純粋培養大阪お姉さんの恋愛シミュレーション攻略対象になっているから駄目だ。トウヤも駄目、さすがに双子の片割れの恋愛事情の野次馬に付き合わせるのは申し訳ない。ではギルド外の人間はどうかというところだが、実は私の交友範囲は割と広く浅くで自分から連絡を取ってデートまがいに付き合わせることが出来る人間は少ないのだ。

 これは諦めるしかないかとため息をついたとき、私がチョウシの防衛線の中でいつの間にか身に着けてしまっていた異常、仮にマッピングとでも呼ぼう、この能力の把握のために展開していた指定領域(エリア)に1人の男が近付いてきた。

 

「あ……」

 

 それは〈D.D.D〉の〈狂戦士〉だ。私に気付いた彼はほんの僅かに目を見開く。

 

「珍しいですね、君がこんなお祭り騒ぎの中、外に出ているなんて」

「ちょっと私用があって外に出ざるをえなかったんだよ。そういうクリューは今暇そうだね」

「ちょうど空きができたところでして」

 

 目の前に立つ彼を上から下にざっと見る。珍しい私服姿、それも派手ではない。これはちょうどいいタイミングで遭遇したんじゃないか? ちょうど空きができたところということは彼は今緊急の予定はなく暇である可能性が高い。そして何より彼は面白い事を常に求めている人間だ。少々面倒くさいことにはなるだろうけど、背に腹は代えられない。

 

「クリュー、ちょっと私とケーキバイキングに行かない?」

「は?」

 

 突然の誘いにクラスティは驚いたようにそう漏らした。彼にしては珍しく半開きになった口は閉じることはない。そんな彼に私はにやりと笑う。

 

「今“腹ぐろ眼鏡”が女の子2人連れてケーキバイキングに行ってるんだよ」

「同行しよう」

 

 即答だった。

 クラスティがきらりと眼鏡を光らせたところで、私はキャスケットの鍔を引き下げて笑った。

 

  *

 

 ケーキバイキング会場の隅の席。クラスティという協力者を得たリンセは、ケーキバイキング会場にさらりと潜り込んでシロエたちの席の様子を観察していた。1人4つがノルマであるこのバイキング、シロエたちの席にももれなくケーキが運ばれていた。ただ1つ他の席と違う点を挙げるとしたら、カットケーキではなくホールケーキである点だ。1人4個で3人で計12個、それだけの数のホールケーキがシロエたちを取り囲んでいた。

 なんとなく予想していたとはいえ、百聞は一見に如かずという言葉があるように実際に目の当たりにするとその衝撃は凄まじかった。リンセはその光景を見てテーブルへ控えめに拳を打ち付けて悶えている。クラスティもにやにやと口角が上がっていた。

 

「これは、想像以上に、面白いっ……!」

 

 最高かよっ! とリンセは腹を抱えた。さすがにこの場で大爆笑するわけにもいかないので必死に声は抑えているが。

 

「随分と楽しそうじゃないか」

「そういうクリューも顔にやけてるけど?」

 

 自分たちのテーブルに並べられたカットケーキそっちのけで2人はシロエたちのテーブルを観察する。

 

 ここが地雷原になっていることを認識したらしいシロエが頭を抱えている。そんな彼に藤色の小振袖に藍色の袴で着飾ったアカツキがフォークでアップルパイを差し出していた。世間的にあーんと言われている行為にシロエは顔を青くしている。しかし突きつけられてるそれを断ることもできずにシロエはそれを受け入れる。それを見たピンクベージュのカーディガンスタイルのミノリが瞳をきらめかせて同じ行動をしてきた。それも邪険に扱うことができず、シロエはそれも受け入れるしかなかった。

 これはロリコンと言われても仕方ない現場である。

 

 地雷原で見事なタップダンスを披露してくれるシロエにリンセの腹筋は崩壊寸前だ。

 

「ぐっ……ふ、ふふっ……! 知ってたけど“腹ぐろ眼鏡”も女の子相手じゃ勝率ひっくいなぁ」

「参謀の姿は影も形もないですね……」

 

 同じ空間の隅で笑いを堪える2人を見ているものはいない。なぜならケーキバイキング会場全体がほんわかピンク色だからだ。漫画で表現されるならハートマークのトーンが飛んでいるに違いない。

 

 〈大災害〉が起きてから早5ヶ月。どうやらアキバの街では他人が恋人に変化する事例も多数あったようだ。色々騒がしい5ヶ月だったが、学校の文化祭の準備などでもあっさりカップルは出来上がるのだから有りといえば有りなのだろう。もっと肯定的に見れば、環境が激変したからこそ心休まるものが欲しかったのかもしれない。

 

「……平和だなぁ」

「本当にそう思ってますか?」

 

 リンセの口から零れ落ちた言葉を意識するまでもなく拾い上げたクラスティは、特に何に気を遣うでもなくそう言った。リンセはシロエたちに向いていた顔はそのままに、目線だけをクラスティへと移す。

 

「どういう意味かな?」

「額面通りに受け取ってもらえれば」

「額面通りに、ねぇ……」

 

 クラスティの言葉を繰り返したリンセは正面を向いていなかった顔も彼に向けた。先程まで必死に笑いを堪えていた姿は霧散して跡形もない。

 

「思ってるよ、平和だなって」

「今は、という言葉を飲み込んだようですけど?」

「気のせいじゃない?」

 

 リンセは口早にそう言った。

 ようやく手をつける気になったケーキにフォークで切れ目を入れながらリンセは続ける。

 

「そういうクリューはどう思ってるの?」

「どう思っていると思いますか?」

「ははっ、分かると思ってるの?」

 

 エスパーじゃないんだよ私、とリンセは一口大に切ったケーキを口に放り込む。それに倣ってクラスティもケーキを切り分けて一口食べた。

 

「おや? “予言者”の呼び名はどうしたんですか?」

「私はその呼び方を受け入れているわけじゃないんだよね。分かってる?」

「なら、そういうことにしておこうか」

 

 疑問と疑問の応酬。

 向かい合った2人は微笑みながらティータイムを続けるが、その空気はあまりにもティータイムの和やかさとは程遠かった。

 

「それで、君は今のヤマトの状況をどこまで把握しているんですか?」

「ふうん、あっさり同行してきたと思ったら目的はやっぱりそれ?」

 

 やけに即答で気味が悪いと思ってたんだ、とリンセは右手で頬杖をついた。そんな彼女に気を悪くした風もなくクラスティは話を続ける。

 

「気味が悪いとは随分な言い方ですね」

「あれ? 妖怪相手には正しい表現だと思ったんだけど」

 

 リンセの空いている方の手はさくさくとフォークでアップルパイを切り崩している。きちんと切ろうとしていないせいかパイはボロボロと崩れたが、リンセはさして気にする事もなく食べすすめる。それに対してクラスティは綺麗に一口大に切り分けながら食べすすめていた。

 

「君の人脈なら各プレイヤータウンにいるんでしょう?」

「何が?」

「君の信者が」

 

 へえ、と零したリンセはフォークについているパイのかすを綺麗に舐めとっている。綺麗になったそれをパイに突き刺しながら、彼女は透明なレンズの向こう側にある鳶色を見据えた。

 

「その話を出してきたってことは、もしかして〈D.D.D〉(君のおうち)にもいるのかな?」

〈Colorful〉(狂信者)ほどの崇拝ぶりではないけどね」

 

 自分の元ギルド仲間に随分な言い方をしてくれるなとリンセは思ったが、実際のところを見るとそのような傾向の人間が多いため否定するのも憚られた。したがって、その辺りはつつかないことにして彼女は話を進めた。

 

「それは良かった。もしそこまでいっていたらどうしようかと思ったよ」

「そうだな……尊敬と表現するのが適切でしょう。別に君と直接話した人間ではないですから」

 

 それでも噂だけを聞いて“予言者”に惹かれる人間は少なくない、とクラスティは片のオブシディアンを見つめ返す。アップルパイを崩壊させながら食べ切ったリンセは苦笑いを浮かべて、今度はショートケーキに突き刺したフォークを左右にぐりぐりと動かした。

 

「一度君について行ったら、下手をすれば戻って来られないですからね」

 

 悪気など一切感じない声色でクラスティはさらりと言いのけた。それを聞いたリンセは、無造作に動くフォークによって崩壊しながらも一口大に切れていくケーキを見つめ深いため息をついた。

 

「人を誘蛾灯か何かと思ってない?」

「誘蛾灯?」

 

 その言葉を鼻先で笑ったクラスティは口角を上げてリンセを見る。その笑みは普段の物腰柔らかそうなものではなく、良くないことを考えていることを隠しもしないものだった。その表情のままクラスティは吐き捨てる。

 

「麻薬の間違いじゃないか?」

 

 投げつけられたそれにリンセは一瞬呆けた。そしてぷっと噴き出した。先程の大爆笑とまではいかないが肩を揺らして笑い出したリンセを見てクラスティも口元を押さえて笑い出す。

 

「麻薬かぁ……いい得て妙だね」

 

 さすがアキバ最大手ギルドのギルマスとクラスティを称賛したリンセに、それは今関係ないと思いますがとクラスティは返した。

 

 適当すぎるフォーク使いで荒らされたケーキは原形を辛うじてとどめているに過ぎなかった。それから強引に一口分を剥ぎ取ったリンセはケーキを口に含んだ後、皿の上に散っているクリームを先程とは打って変わった丁寧なフォーク使いで綺麗に削ぎ落した。

 

「話を戻そう。君は今のヤマトの状況をどこまで把握していますか?」

「どこまでって言われても、そう大したことは把握してないよ」

 

 そう言いながらもこの場でリンセは多くの情報を秘匿していた。しかも、秘匿している情報の大部分を自身のギルドマスターであり〈円卓会議〉設立の立役者であるシロエにも隠している。

 重要な情報を秘匿するのはリンセの悪癖でもあった。不用意な発言から起こる混乱を忌避してのことでもあるが、言った方が事態が好転する場合でもリンセは自分から口を開かない。自分の中で他者を納得させる説明ができると判断できていない情報を容易に口にしないのだ。

 

「話す気はない、と」

「要らない混乱を招きたいなら洗いざらい吐こうか?」

 

 リンセは目を細めながらゆっくりと口角を上げた。その表情は普段の彼女からは想像できないほど仄暗い。それは、長い間一緒にいるシロエにすら見せたことのないリンセの影の部分だった。

 要らない混乱を招きたいなら、つまり彼女はそのように誘導することも可能だということを暗に示している。

 

「遠慮しておきましょう。一部ならまだしも全てとなったら予想の範囲外ですから」

「あれ? せっかくの想定外のものなのに?」

「君のそれは次元が違う」

 

 表情こそ変わらないものの、クラスティは本気でリンセのそれは次元が違うと思っていた。その鱗片は〈円卓会議〉設立の集会時に示されている。

 恐ろしいのはその能力ではなく中毒性だ。心を引き付けてなお見透かすような瞳、声、その姿が、人に畏敬の念を抱かせることを彼女は正しく理解していない。理解していないのにそれを制御しているのだから恐ろしい。

 クラスティがそう思っていることを理解しているのかいないのか、リンセは不意にまとっていた暗さを消し去って椅子の背に凭れ込んだ。

 

「予想はしてたけどね。本当に、クリューと話してると嫌でも自分のことを顧みることになる」

 

 リンセは帽子を取ってくしゃりと前髪を掻き上げた。しかし、癖もなく見る人によっては憎たらしいほどさらさらの白髪はすぐに重力に従いリンセの素顔の半分を覆い隠した。

 

 互いにケーキにフォークを差す動作を止めることなく言葉の応酬は続く。

 

「君は僕と同じ性質(たち)でしょうからね」

「勘弁してくれないかな。そうだとしても、私は君ほど鈍くない」

 

 クラスティの発言にリンセはイチゴにフォークを突き刺して反論する。赤い果汁が僅かに飛んだ。

 

「飽きやすいのは同じでしょう」

「それは否定しないけど、悪戯小僧じゃないし」

「野次馬精神は旺盛そうですが」

「うるさいな。面白いものを見たいと思って何が悪いのさ」

「悪いとは言ってないですよ。ですが、相当退屈しているようですね」

「そんなことないよ。君と一緒にしないでくれる?」

「それはそれは。すみませんでした」

 

 ここまで軽快に繰り広げられる言葉のキャッチボールだったが、それらは全て2人が想定していた範囲でしかなかった。リンセがクラスティをケーキバイキングに誘い、彼が了承して、ここまでの会話の流れ全て。クラスティがリンセに掴んでいる情報を尋ねてくることをリンセは承知でしていたし、クラスティもリンセが容易に情報を口に出さないことを分かっていた。それでも、互いが互いの予想を裏切ってくれることをほんの僅か期待して、今この場にいたのだ。

 

 クラスティがリンセのことを自分と同じ性質だと言ったのはここに起因する。

 リンセとクラスティ、この2人はつまるところ優秀なのだ。あらゆる能力が軒並み高いと言っても差し支えないだろう。その能力の高さ故に世界は彼らの予想の範囲内で動く。だから、程度はあれどそのことに退屈を感じているのだ。ただギルドの古参メンバーの数人に飽きっぽいことを知られているクラスティとは違い、リンセは上手いことやりすぎて周りに認知されていないが。故に、彼女は思考という一人遊びに没頭して、類まれなる演算能力を持つに至る。

 

 やはりそう簡単にはいかないかとリンセは諦めを表すかのように肩を竦めた。

 

 綺麗にケーキを平らげたリンセは膝の上に置いておいたキャスケットをきちんと被り直して席を立つ。クラスティも綺麗になった皿を一か所にまとめて立ち上がった。

 

「ま、今はせいぜいシロくんの策に乗って踊らされてるんだね」

 

 馬鹿にしたように笑みを浮かべたリンセは失礼にも人差し指をクラスティに向ける。その言葉にクラスティは今日リンセと会ってからはじめて嫌な方向に表情を歪めた。

 

「一体どこまで読んでいるんだか……」

「そうだなぁ……」

 

 暫し考える素振りを見せたリンセはにやりと笑う。

 

「天秤祭は滞りなく進むんじゃないかな?」

 

 くるりとクラスティに背を向けたリンセに合わせて、一つにまとめられた白い長髪がふわりと舞った。




クラスティの口調がいまいちわからないので、ふわっとしたですます調。

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