Log Horizon 〈星詠みの黒猫〉   作:酒谷

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chapter 20

 天秤祭2日目。

 朝のアキバは喧噪に包まれていた。想定より規模が大きくなり多くの人が全体像を把握していないであろう天秤祭。規模の拡大につれて主催は事務作業に忙殺されており、本来であれば街は大混乱に陥るはずだった。それが起きなかったのはアキバに住む〈冒険者〉の日本人気質と若さと有り余る暇がいい方向へ働いた結果である。

 そんなアキバの街の大通り、ブリッジ・オブ・オールエイジスには大きな天幕が張られていた。4本の支柱に屋根だけのそれに出入りするのは〈黒剣騎士団〉の面々だ。そしてその中心にはギルドマスターである“黒剣”アイザックが堂々と座っていた。

 天幕の中は街の喧噪をそのまま映したように騒がしかった。

 アキバ有数の戦闘系ギルド〈黒剣騎士団〉はレベル85以下お断りのエリート集団である。しかし、その実情はただの騒がしい集団だった。何度か彼らとともに大規模戦闘に挑んだことのあるリンセの言葉を借りるなら、馬鹿騒ぎが好きなだけの脳筋集団である。

 

「やい、おまえらどやかましいっ」

 

 天幕の周囲でやんややんやと騒ぐギルドメンバーにアイザックが一喝する。しかし、そこに返されるのは「うるせぇ」だの「座っててください」だの「バカなんだから考えるな」だの敬意とは程遠い言葉たちである。けれど、当のアイザックは褒められでもしたかのようにカラカラと笑う。これが彼らの流儀なのだ。それを憐れむように見たレザリックにもアイザックは今日も元気だなと言う。

 そんな中、外から戻ってきた3人組にアイザックはご苦労と声をかける。そして、そのまま彼らの報告を聞いた。

 側道にはまっていた馬車の救助1件、口論の仲裁4件、支払いの訴え1件を処理。

 報告の仕方はこれでいいんだっけ? と首を傾げながら報告したギルドメンバーにアイザックはその通りと鷹揚に頷いた。

 ここで彼らがブリッジ・オブ・オールエイジスに天幕を張ってこのような報告をしている理由を述べよう。

 〈黒剣騎士団〉は自主的に街の警邏を行なっているのである。そう、日本人気質と若さと有り余る暇がいい方向に作用した結果である。

 規模が大きくなりすぎた天秤祭は、アキバの中小ギルド、生産系大ギルドの範囲を越えて付近の〈大地人〉貴族や商人の知るところとなった。そうなれば当然それに伴うトラブルというのも増えていく。主催である〈生産系ギルド連絡会〉は頑張ってはいるのだが、何せ規模が規模であるため対処できない部分も当然出てくる。その対処できない部分を補おうとアイザックひいては〈黒剣騎士団〉は警邏と〈大地人〉の受け入れチェックを行なっていたのだ。

 

 そんな彼らの元にやってきた人物がいた。

 

「暇そうですね」

 

 眼鏡をかけた偉丈夫、〈D.D.D〉のギルドマスターであるクラスティだった。

 

「うっせぇ。そっちはどうなんだ」

「こちらも問題は取り立ててなく」

 

 鋭い視線とともに投げかけられた言葉にクラスティは小さく口角を引き上げて答えた。その笑みは先日リンセに見せたそれよりも穏やかな印象を受ける。

 

「おうよ。だがよ」

「?」

 

 クラスティの答えを聞いたアイザックは椅子に座ったままでクラスティを見上げる。そんなアイザックをクラスティは、何か? とでもいうように見下ろした。

 

「こうなんもないと、だれるな。なにか起きねぇかな」

「どうですかね」

 

 アイザックの言葉にクラスティはそう返しながらも1つの記憶を引き摺り出していた。それは昨日の“予言者”との会話である。

 

 ――天秤祭は滞りなく進むんじゃないかな?

 

 その言葉に裏には“自分たちが対処できる範囲で”という一文が隠れているようにクラスティには思えた。それはつまりアイザックの言う“なにか”が起こる可能性を示唆している。

 

 ――ま、今はせいぜいシロくんの策に乗って踊らされてるんだね。

 

 全て手のひらの上というわけか。

 

 非常に気に食わないことではあるが、おそらくそれが事実――というよりは彼女の中の正史なのだろう、とクラスティは考える。

 

 〈大地人〉は喧嘩うってこねぇなというアイザックに、これだけ戦力格差があればごぶだろうとクラスティは返す。それも彼女が下手に介入しなければの話だ。〈大地人〉も今やプログラムではなく、ただの記号でもなく、この世界にそれとして存在している。それは彼女の介入の余地が多分に残されているということだ。そうなれば行く先はどこまでも不透明である。

 

「なぁ」

 

 彼女に関する考察からクラスティの意識を引き戻したのはアイザックの声だった。

 

「はい」

「あいつぁ。あの“はらぐろ”は。どうだかな」

「どう、とは」

 

 アイザックの問いをそのまま返したクラスティに、アイザックはクラスティをぎろりと睨みつける。しかしクラスティはその視線に平然とした顔である。別に彼には問いをはぐらかす意図はなかったのである。それに気付いたアイザックは肩を竦めて切り込んだ。

 

「あの“はらぐろ”はバカなのか賢いのか」

「別に両方兼ねちゃいけないこともないでしょう」

 

 アイザックの問いにクラスティから明確な答えは返ってこなかった。そこにアイザックはこう続けた。“はらぐろ”を〈黒剣騎士団〉に誘ったことがあるのだと。〈放蕩者の茶会〉の名前で誘ったわけではなく本人のプレイを見て判断したことである。しかし、当のシロエから返ってきた答えは。

 

 ――僕にはすぎたお誘いだと思います。

 

 その答えを聞いてアイザックはどうでも良くなった。対軍(レイド)モンスターを倒す気概がないなら用はないと。しかし、そのシロエが〈大災害〉後、あのような形でアキバの街に影響力を持つとは思っていなかったのである。

 そんなシロエの資質を見抜けなかったのは自身の眼が曇っていたからか。

 

「あれは、策士なのか、それとも賭博師なのか。……枯れてるのか、まだいけるのか」

 

 それがアイザックの中で引っかかっていた。

 

「シロエくんはね。――“なんでもあり”の方が生きるタイプだろうね」

 

 アイザックの引っかかりにクラスティは1つの解答を提示した。 

 

「彼は策士なんかじゃないと思うよ。なりふり構わず、手段を選ばず、一切の見返りを求めず、目的以外気にかけない。そういう状況では無類の強さを発揮する。あれは妖刀のたぐいだ」

 

 その言葉の内容自体は理解できなかったが、それでもアイザックはすとんと納得できた。つまり、そういうことなのだろう。かつてアイザックが見ていたシロエは抜け殻だったのだと。あの会議でのシロエが本気の彼なのだ。そう思うとアイザックはむやみに楽しくなってきてしまった。

 

 その妖刀が今は書類に埋もれて唸っているわけか、と。

 

 次に抜かれるのはいつになるのか。そう口にしてアイザックはその後ろに隠れた存在を思い出した。

 こちらの全てを見抜かんとする黒曜石の瞳。〈円卓会議〉設立の場にて唯一その瞳に捕らえられたアイザックは、喉元に刃先を突きつけられたかのような威圧を感じていた。

 

「……“はらぐろ”が妖刀だとすれば、“予言者”は何になる」

 

 アイザックの問いにクラスティはすぐに言葉を返さなかった。

 

 〈円卓会議〉設立の場ではリンセに対して一種の畏怖を感じていたアイザックだが、別にそれによって彼女を苦手とすることはなかった。なぜならギルドメンバーとともに馬鹿騒ぎする彼女を知っていたからだ。その光景を知っているからこそアイザックは1人の人間として好ましく思っていた。簡単に言うなら“気の合う友人”だと思っていた。そして、それは今でも変わらない。アイザックにとってアイクと勝手に愛称で呼んでくる彼女はひどく居心地のいい仲間だった。その彼女を取り巻く〈Colorful〉(環境)はひどく荒れているのだが。

 

 一方で、あれは一言で表せるものではないとクラスティは思う。小燐森という人物はともに在る対象によって性質が変わる存在だからだ。故に、どんな場にも彼女は適応できる。だからこそ〈黒剣騎士団〉の騒がしい集団という性質にもすぐに適応できたし、〈Colorful〉の唯一神でもあり続け、なおかつ自身と真っ向から言葉という刃で切り合える存在で在った。

 二面性ではない、おそらく彼女の中の最適解で行動しているだけなのだろう。相手が求める像を的確に掴み取ってそれを演じる――彼女は()()()()()()()()()()()

 だから、あえて一言で言うのならクラスティはこう称するのだ。

 

「――麻薬のたぐいでしょうね」

「はぁ?」

 

 クラスティの出した解答にアイザックは訝しげに眉を顰めた。

 

「シロエくんが一定の盤面で真価を発揮する妖刀なら、彼女は盤面そのものを自分の求めるものに作り変えるタイプだ」

 

 相手が求める像を的確に掴み取りそれを演じきるということは、“彼女こそが自身の求めていたもの”なのだと相手に錯覚させるということだ。それこそ、麻薬が対象の精神と行動に著しい変化を及ぼすように。それを当の本人は理解せず、けれど適切な場所で適切なものを与えるという意味で制御している。そうして彼女は盤面そのものを操作している。

 ……というのがクラスティの考察だった。

 そう、リンセの適応力はそのまま干渉力に置き換えられるのだ。そして、その干渉力は影響力とも言う。

 だからこそ、あのときのあの言葉が出てくるのである。

 

 ――〈円卓会議〉設立の裏にあなたの“操作”が入っていないとも限らない。

 

 盤面さえあれば無類の強さを発揮するシロエ、そして、盤面を自分好みに操作してしまうリンセ。彼らが共にいるという状況。それがどれだけ危うい状況なのか、理解できた者はどれだけいただろうか。

 

 クラスティの解答を聞いたアイザックは大きく首を捻る。

 盤面を操作するとは戦いの場においては戦場を操作することだ。そういった意味では戦場への貢献度はシロエとリンセはさして変わりないだろう。しかし、クラスティはシロエとリンセの評価を分けた。ならどこかに違いがあるはずだ。

 考えて、考えて、アイザックは思考を放棄した。片や妖刀、片や麻薬、自分の頭で考えたって完全に理解できる代物ではないのだろう、と。

 

 何はともあれ、まだまだシロエにもリンセにもおいしいところが残っているのだろうと、アイザックは楽しそうに笑った。

 

  *

 

 僕は1つの扉の前で突っ立っていた。それはクロの私室に繋がる扉である。今の僕にはそれが難攻の城壁に見えていた。

 なぜ僕がこの場にいるのか。それは朝目が覚めてからギルドアウス内を見回ってもクロの姿が見えなかったからだ。それをいうなら班長以外のメンバーの姿も見ていないのだが。しかし、それは各々用事や助っ人などで出掛けているからで。でもクロは違う。フレンド・リストを確認してみれば彼女はギルドハウス内にいることが分かった。それでも姿を見かけないということは。

 

 ――最後の抵抗、だよなぁ。

 

 祭りのたぐいが苦手なことは重々承知だ。けれど、ここで引きこもってしまえばヘンリエッタさんに文句を言われるのが目に見えている。誰がと問われれば僕とクロがだ。僕が色々言われるのは構わないんだけど、それがクロに飛び火するのはできれば避けたい。

 とはいっても、目の前にある彼女の城からクロを引きずり出せなければ話にならない。

 意を決して扉をノックすれば中からガタガタと何かが動く音がした。そして、少しすると目の前の扉が少しだけ開いた。そこからぬっとクロの片目が覗く。その光景は軽くホラーだ。夜中に見たら軽く悲鳴を上げるレベルの。

 

「……ああ、シロくん。来てしまったんだね」

 

 ぼそりと恨み言のように吐かれた言葉に苦笑する。

 

「そろそろ〈三日月同盟〉の手伝い行かないとだよ」

「えぇ……まだ早いでしょ」

 

 確かに〈三日月同盟〉が出店する冬物衣料展示即売会が始まる時間には少し早い。けれど、その前に食事を取ることを考えれば今くらいの時間がベストである。そのことを告げればクロは拗ねたように頬を膨らませた。

 

「ごはんいらない」

「ちょっと」

 

 班長が聞いたら静かに怒りそうな台詞を吐いたクロに思わず半目になる。

 

「また班長に怒られるよ」

「それは、いやだなぁ……」

 

 はぁ、とこちらの幸せまで持っていきそうなため息を吐いたクロは、ちょっと待ってと言って部屋に引っ込んでいく。そして、少しするとゆっくりとした動作で部屋から出てきた。しかし、クロの格好を見て再びちょっととツッコミを入れることになる。

 

「その格好で行くの?」

「どうせ向こうで着替えることになるんでしょ」

 

 諦めたように肩をすくめたクロは、長袖のロングTシャツにだぼっとしたズボン、そして纏めてすらいない髪で出てきた。まさしく今起きましたといった格好だ。昨日きっちり着替えて出てきたのは何だったんだと思うくらいのズボラさである。

 まあ、本人がいいのならいいだろう。

 クロを部屋から出すというミッションをクリアした僕は、朝ごはんを食べる気ゼロであるクロを引き摺ってカンダ用水の近くにある食堂『一膳屋』へと向かった。

 

  *

 

 私に対して遠慮もクソもない“腹ぐろ眼鏡”に連れられて私は現在食堂の1席にいた。私の相向かいには当然シロエが座っている。恨みを込めて見つめてみても本人は、何? と言いたげに首を傾げるばかりだ。実際この状況になっていることに対しては誰も悪ではないので彼を責めることなどできないのだが。

 さて、天秤祭も2日目――本日が本番と言っても差し支えない。ということは、だ。外部からの客も今日が一番多い。つまり、何か騒動が起きるとしたら今日である。ラァラ曰く西の商人が攻撃を仕掛けようとしているというし、なんだか嫌な予感もするし、例の声のこともあるし警戒するに越したことはないだろう。

 意識を集中させて周囲の状況を追えば、アキバの街の〈冒険者〉たちが慌ただしく準備に追われている様子が分かった。そして、その中に交じる〈大地人〉の数の多いこと多いこと。それもそうか、彼らは祭り見物というよりは仕入れに来ているのだから。それも単なる買付けだけではなく情報収集およびコネ作り込みといったところだろう。それの対処に慣れてない〈冒険者〉がいる中で攻撃なんてされたら溜まったものではないのだが。

 吐きそうになったため息はやってきた定食によってすんでのところで戻っていった。

 

「おまっとうさんよ」

 

 その言葉とともにシロエの前に差し出されたのは焼きサンマ定食である。がっつりおかず付きの定食をよく朝から食べられるものだと半ば感心していると、私の方には白米と味噌汁、そしてお新香がやってきた。私のこれは定食ではなく単品のものを3種頼んだ形である。

 

「それ、足りるの?」

「そっちは胃もたれしない?」

 

 お互いにそれぞれの注文に疑問を述べる。そして、私たちはほぼ同時にそんなことないけどと首を横に振った。

 私がぽりぽりとお新香を食べていると、目の前のシロエがサンマと白米を一緒にかきこんで感動していた。

 

「うぁぁ、やっぱり日本人なんだなぁ」

「あー……左様ですか」

 

 正直あまり分からない感覚である。元々食に関心がないというのもあるが、幼少期にフランスで暮らしていた身としてはそちらの郷土料理のほうが故郷の味というか馴染みがあるというか、そんな感じなのである。それをシロエも理解しているからか、私のコメントには特に口を挟まなかった。

 妙に感動しているシロエを傍目に自分の食事に手を付けていれば、こんな呟きが聞こえてきた。

 

「……やっぱり普通が一番だよな。ケーキ1ダースなんて非日常はいらないよ」

「むぐッ……!」

 

 まさかの不意打ちに口に含んだものを吹き出すところだった。食べ物が気管に入りそうになり咳き込む。ゴホゴホと咳き込んでいる私を見てシロエは目を丸くしていた。

 

「え、何。クロどうしたの?」

「……不意打ち、やめてもらっていい?」

 

 何、じゃないんだよ。急に昨日の光景を思い出させるようなことを言うシロエが悪いんだ。

 そんなことを考えて、そうだと思い出す。

 

「シロくん。昨日はいいもの見せてもらったよ。ありがとう」

「は?」

 

 お礼を言おうと思ってすっかり忘れていたと思い出し感謝を述べると、シロエは不可解そうに顔を顰めた。どういうことだと問いたげな視線を無視するとシロエは食べる手を止めて考え込み始める。別に考えたっていいことはないのにと思わなくもないが、気付かれたら気付かれたで面白いので放置してみた。するとシロエは徐々に顔面を蒼白にしていくと、まさかとでも言いたげに私の方を見てきた。

 

「もしかして……〈ダンステリア〉のケーキバイキング?」

Exactement !(その通り!) クリューと一緒にね」

「クリュー……あっ、クラスティさんか!!」

 

 嘘だろ、と忙しく表情を変えるシロエに内心大爆笑しながら私は平然を装って朝食を取り続ける。一方、シロエの方は頭を抱えていた。それにクスクス笑っていたら机の下で足を蹴られた。

 

「ちょっと、いきなり蹴らないでよ。痛いじゃん」

「覗き見とか趣味悪いよ」

「覗き見じゃないよ、堂々と会場で見てたんだよ」

「会場で?」

「うん」

 

 シロエの問いに頷けば、わざわざ会場内で様子を見るためだけにクラスティさんを付き合わせたのか、と呆れられた。別に同意は得た上での行動なのだからいいじゃないかと言えば、シロエは諦めたように食事を再開した。

 

  *

 

 食事を終えた私たちは本日の目的である冬物衣料展示即売会の会場である白銀の広間と呼ばれるホールにやってきた。

 ここは元々廃墟だったのだが2ヶ月かけて綺麗に改装したのだという。廃墟とは言ったが完全に崩れていたわけではなく、上の方のフロアが文字通りぽっきり“折れて”しまっていただけで基礎の部分は完全に残っていたらしい。その上、天井がホテルのように高かったこともあり改装難易度はそう高くなかったようだ。

 白銀の広間の内部はいくつかの大広間と催事場に分かれており、メイン会場に使用されるのはこの建物内で一番大きい1階ホールだ。そこでは多くのギルドが最後の準備に追われていた。そして、私たちが手伝いを頼まれた〈三日月同盟〉も例に漏れない。

 私とシロエが〈三日月同盟〉のブースに行くと先に手伝いに来ていたアカツキがヘンリエッタに準備をされていた。草木染めのチュニックブラウスに黒のアンダーシャツ、アシンメトリーの巻スカートという、普段の彼女の雰囲気とは違った服装だがそれもアカツキによく似合っていた。しかし、どうです? とヘンリエッタに尋ねられたアカツキは言葉に詰まっていた。嬉しいけれどはっきり言うのは恥ずかしい、と言ったところだろう。

 

「可愛いね、アカツキ」

「うん」

 

 彼女たちから少し離れたところで右隣にいたシロエに小声で聞いてみれば、シロエも肯定した。そんな私たちに気付いたヘンリエッタが視線をこちらに向ける。

 

「お気に召しませんでしたでしょうか? ――可愛いですわよね? シロエ様、リンセ様」

 

 ヘンリエッタの一言で私たちがいることに気が付いたらしいアカツキは、へ!? と裏返った声を上げていた。そして、そのままぴしりと固まってしまう。そんな彼女にシロエが言った。

 

「よく似合ってると思うよ」

「同じく」

 

 シロエの言葉に同意すると、ギギギ……と錆びついた機械人形のようにアカツキが私たちの方に振り返る。彼女はどうやら突然の主君たちの登場にややパニック状態のようだ。

 

「いつか――」

「さっきから。僕たちも手伝いに呼ばれてたし」

 

 アカツキの言葉の途中でシロエが言う。その光景はなかなかに微笑ましいのだが、それを見ている間にも時間は過ぎていく。

 私はシロエにアカツキを見せびらかすようにしているヘンリエッタに声をかける。

 

「ヘティ、私は何をすれば?」

「リンセ様にはそちらの服を着ていただきますわ」

 

 ヘンリエッタの視線の先にはすでに私が着る服が用意されていた。それを持って着替えに行こうとすると、後で軽く化粧もするからと言われたので自分でやることを告げて化粧道具一式も借りていった。

 試着室で指定された服を広げてみる。それはプルシアンブルーのシンプルな無地のロングワンピースだった。腰の部分にはアクセントとしてリボンが結ばれており、スカートの裾の部分にはフリルがあしらわれている。アカツキの着ているものがエスニック系だとしたら私の方はクラシカルといった感じだろう。

 これ着てマネキンするのかぁ、と肩を落とすが、やらなきゃいけないものは仕方ない。手早くそれを着てお目汚しにならない程度に化粧をする。そして軽く髪の毛を整えると試着室を出た。

 そのとき、会場の外から涼やかなチャイムの音が響いてくる。直後、一瞬静かになった周囲から期待の声と拍手の音。ヘンリエッタとアカツキ、シロエの方に向かっていったマリエールも嬉しそうに拍手をしている。

 ついに天秤祭のメインイベント冬物衣料展示即売会の開場だった。

 

  *

 

「さぁ、今日は誰がくるんかな! いっぱい売れるとええなぁ。……100着は作りすぎやったかもしれんけど。でもがんばろうな」

「会場が開かれましたわ。シロエ様、アカツキちゃん。……半日の間、よろしくお願いします。ブースでの売り子と、ステージでのモデルですわよ。いっぱい売りましょうね!」

 

 そう言うマリエールとヘンリエッタの嬉しそうな笑顔に負けてシロエとアカツキはこくこくと頷いた。そこに近付くのはリンセである。

 

「マリー、ヘティ、この服はこれで大丈夫?」

 

 着替えてきたのだと察した一同はくるりとリンセの方を向く。そして、そのうちの3人はぴたりと固まった。

 リンセは左手でスカートを軽く持ち上げて軽く小首を傾げている。それが妙に様になっていた。いつもは気怠げな瞳も服装効果なのか憂いを帯びたものに見えてくる。

 “深窓の令嬢”――そんな言葉が似合いそうな姿だった。

 

「リンセやん! めっちゃ似合っとるよ!!」

 

 固まった3人の内、真っ先にリンセに飛びついたのはマリエールだ。リンセの周りを飛び回るように見たマリエールはうんうんと何度も満足げに頷く。そこに続いたのはヘンリエッタだった。

 

「いいじゃないですか! そうですわ、髪型も少しいじりましょう」

 

 マリエールとヘンリエッタのテンションの高さにリンセはぎょっとする。しかしリンセはあっという間にヘンリエッタたちによって拉致されてしまった。その光景を見ていたシロエとアカツキはそれぞれ苦笑したり驚いた表情をしていた。

 

「……随分印象が変わっていたな」

 

 ぽつりと呟くように零したのはアカツキだった。その隣で1人固まっていなかったシロエはクスクスと笑った。

 

「確かに、いつものクロからじゃ想像つかないよね」

 

 そう言うシロエの声色はどこか楽しそうだった。

 リンセの格好は似合っていないわけではない。いや、むしろ似合いすぎているのだ。普段の彼女からはイメージできない服装ではあったが間違いなく似合っていた。それを理解していたアカツキはシロエを見上げて何か言いたげに口を開こうとするが、言葉が出る前にアカツキは口を閉じてしまった。

 

 ――主君は、リンセ殿の格好をどう思う?

 

 そう尋ねるのはなんだが気まずくて。それに、変な風に聞こえてしまったらと思うと口に出来なくなってしまったのだ。

 そんなアカツキの心の中の問いに答えたわけではないが、シロエの口から回答とも言える言葉が出てきた。

 

「でも、やっぱり似合ってるよなぁ。昔は結構あんな感じの服着てたんだよ、クロ」

「え?」

 

 アカツキは思わずバッとシロエを見上げる。彼は懐かしむような瞳でリンセの方を見ていた。

 似合ってると言った。いや、それよりも昔はあんな感じの服を着ていた? どうしてそれを彼が知っているのだろうか。

 アカツキがじぃっと自分を見ていることに気付いたシロエは視線をアカツキの方に向ける。

 

「昔とは、どれくらい……」

「かれこれ10年は前かな」

 

 アカツキの問いにシロエは過去の記憶を辿って答えた。確か自分たちが小学生の頃、リンセは今着ているようなクラシカルなワンピース姿が多かったとシロエは思い出す。そして初めて会ったときも彼女はそういう服装をしていた、と。

 一方、アカツキの方はその年数に正直驚いていた。昔からの知り合いだとは聞いていたが、まさか自分の人生の半分の時間を過ごしていたとは思っていなかったのだ。

 それぞれ色々考えて自分の内側に意識を向けていたが、そこに挟み込まれた声に意識が即売会会場へと戻る。

 

「リンセやん、めっちゃ別嬪さんやん!」

 

 それはマリエールの叫びにも似た弾んだ声だった。続いてヘンリエッタの、まぁ! と驚いたような声も聞こえてくる。その声にシロエはマリエールたちの元へ向かう。アカツキもそれに続いた。そこではリンセがヘンリエッタに髪をセットされていた。リンセの白くて長いさらさらの髪はヘンリエッタの手によってねじりハーフアップにされている。そして前髪の方も整えようとしていたのだろう、ヘンリエッタの手がリンセの前髪にかかっていた。しかし、そこで動きが止まっている。

 

 あー、そういうことか。

 

 この場でリンセの素顔を知っているシロエは納得したように目を細めた。

 傷跡があったとしても彼女は美人の部類に入る、そういったのはシロエだ。そしてそれは事実であった。さらにリンセはお目汚しにならない程度に化粧をしていた、もっと詳細に言えば傷跡が隠れるように化粧をしていたのだ。その傷跡が見えなくなっている今、彼女はまさしく美人だと言っていいだろう。ただ化粧の影響もあって、先日アカツキが目撃した中性的な美人とはまた違っていたが。

 

 それなら、とヘンリエッタとマリエールはリンセの飾り付けを再開する。逆に、テンションの高い二人に囲まれてリンセは辟易としているようだった。

 なすがまま、二人に飾り付けられるがままになったリンセは少しして二人から開放される。

 

「かわええと思わへん? 思わへん?」

 

 先程アカツキがヘンリエッタにされていたように、リンセはマリエールにぐいぐいと前に押し出される。そこでようやくシロエとアカツキは綺麗に飾り付けられたリンセの全貌を目にすることになった。

 深い色のクラシカルなワンピースはリンセの白い肌を映えさせており、ねじりハーフアップにされた髪は綺麗に揺れている。そして、普段リンセの顔の右側を隠している前髪はゆるく横に流されてピンで止められていた。

 アカツキは初めて見るリンセの素顔に、どこか日本人離れしていて西洋人形を彷彿とさせるような顔をしていると思った。

 今の〈冒険者〉の姿は元々ゲームのアバターではあったが顔の作りなどは現実のそれが反映されている。ということは、現実でもリンセはどこか日本人離れしたビスクドールのような容姿をしているということだ。

 シロエがリンセを美人と称したのはそういうことなのである。べつに好みの顔とかではなく、一般的な感性からしてそれに当てはまるという話なのだ。それを当の本人は全く理解しておらず、あまつさえ不細工を自称するのだからシロエからしたら、それマジで言ってるの? となるわけだ。

 

 久々に見たリンセの素顔に、やっぱり僕の感性おかしくないよな、とシロエは頷く。

 

「うん、たまにはこういうのもいいんじゃない?」

 

 シロエが言うとリンセは露骨に顔をしかめた。おそらく、お前それマジで言ってるの? と言いたいのだろう。それを正確に読み取ったシロエはからかうように口角を上げた。その笑みにリンセはげんなりする。

 

「……悪くないと思うぞ」

 

 アカツキも初めて見るリンセの素顔の衝撃が抜けきらないもののそう言ってこくりと頷いた。それを見たリンセはやや疲れたように苦笑する。

 

 何はともあれ、こうして天秤祭2日目、その本番である展示即売会の幕は切って落とされたのである。


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