願いを叶える伝説の樹に「彼女が欲しい」と願った主人公。しかし彼の前に現れたのは、おかしな妄想に囚われた、危険な女の子ばかりだったのです。

晒し祭り杯が終了し、参加作品内で総合評価一位がとれました。
読んでくださった方々、評価感想お気に入りなど入れてくださった方々、ありがとうございました。

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振り向けばそこにヤンデレがいる

「モテたい! 俺は女にモテたい! 彼女が欲しい!」

 

 叫んだ。心に渦巻く想いの全てをぶつけるように。肺の空気の全てを絞り出すつもりで。その願いを高らかに。天の果てまで届けと祈りを込めて。

 そして、沈黙が訪れた。

 興奮覚めやらぬ心に、夜風の冷たさが染み込んでくる。荒く拍動する心臓の響きだけが、頭の中を支配する。宵闇に包まれた世界に、俺は一人、ぽつんと立っていた。

 

 しばらくすると、視覚の方に意識が戻ってくる。目の前には柱のような何かがそびえ立っていた。いや、それは巨大な樹だ。闇に溶け込んで、たくましい巨人の脚のようにすら見える幹。見上げれば、天を持ち上げ支えようとするかのように、広く枝葉が張り巡らされている。その隙間から、微かにちらりちらりと星明かりがこぼれていた。

 俺の叫びを受け止めてくれた、たった一人の聞き手は、ただ黙ってそこに居た。

 興奮はすっかり醒めていた。

 

 

 

「それで、どうだったんだい?」

 

 電話口から流れてくる愉快そうな声に、思わず顔が歪む。

 俺をあんな奇行に走らせた元凶である親友殿は、実に無責任なお方だった。

 一応、その言葉は質問の形をしている。だけど全くもって回答を期待しているようには聞こえなかった。笑いを堪えるような気配。俺の返答など予想済みなんだろう。無性に腹が立った。

 素直に望み通りの言葉をくれてやる気にもなれず、代わりに口から出てきたのは糾弾の言葉だった。

 

「お前が言い出した話じゃないか。願いを叶える伝説の樹って」

 

 よくある話だ。深夜零時、ある樹の下で願い事を叫ぶと、その願いが叶うとかいう。大きな樹さえ生えていれば、全国どこにでもありそうな伝説だった。

 あの樹は確かに、百年くらい前から生えてるらしく、なかなか歴史のある樹だ。近所ではそこそこ有名だし、神社に生えているというのも、いかにも曰くがありそうな雰囲気をしている。

 けれど、本当にそんなありきたりな伝説がくっついてるなんて、数時間前にこいつの口から聞くまで、全く知らなかった。さすが神社の後継者様は、変な話を知っている。

 

 それでつい、やってみたくなったのだった。彼女が欲しいという、青少年なら誰でも持っていそうな悩みを叶えるために。

 この親友の飄々とした声で語られると、あんな月並みな伝説でも、真実めいて聞こえてくるから不思議だ。

 

「ゴメンゴメン。正直、あんな伝説はあまり信じてなかったんだけどね。でも君の悩みを聞いてたら、教えてみたくなったんだ。万が一にも願いが叶ったらラッキーだし、そうでなくても少しは気持ちが軽くなるかもって」

「そんなテキトーな理由で、俺は深夜に外出するハメになったのか。暗かったし、叫び声が人に聞かれてるんじゃないかってビクビクしたし、帰り道ですれ違った女の人に変な目で見られたし」

「それは本当に申し訳ない。何かしらお詫びをしようと思う。ただね」

 

 急にトーンを下げて、もったいぶるように言葉を区切ってくる。こういう所に、ついつい騙されるんだ。

 

「まだ願いが叶ってないと決まったわけじゃないよ。女神様やランプの魔神が現れるような、分かりやすい奇跡は残念ながら起きなかった。でも、何も起きなかったとは限らない。あるいはほら、効果が出るまで時間がかかるのかも」

「どうだろうな」

「明日の朝あたりに、曲がり角で美少女とぶつかるような奇跡が起きるかもしれないよ?」

 

 あまりにバカバカしい想像に、つい苦笑が漏れた。

 

 

 

 翌朝、俺はあまりにバカバカしい現実を目撃していた。

 棒立ちの俺の目の前、正確にはその斜め下の地面には、セーラー服姿の少女が尻餅をついていた。可愛らしい、アイドルグループに混じっていても違和感の無さそうな美少女だ。肩にかかるくらいの髪は、鮮やかな金色に染められている。何故か横にかじりかけの食パンが落ちていた。

 

「あの、すみません。大丈夫ですか」

 

 言って、手を差し出す。握り返された手は不思議なほどに柔らかくて温かく、心臓が跳ねた。

 ゆっくりと彼女を引き起こしながら考える。漫画のような妙なシチュエーションだが、見たことも無いような美少女と知り合ってしまった。これは、もしかして、本当に願いが叶ったのでは? これから、この美少女と漫画のようなラブロマンスが始まるのでは?

 昨晩何度も心の中で罵倒した、あの伝説の樹にありったけの感謝を捧げたくなった。神様はどうやらラブコメイベントが好きらしい。

 気を抜くと期待で口がニヤけそうになる。こっそりと手の甲をつねって平静を装いながら、彼女の反応を待った。

 彼女の方は、夢でも見ているかのように、しばらくぼんやりとこちらを見つめていた。やがて、その焦点が合い、弾けるような笑みを浮かべる。そして、早口で喋り始めた。

 

「我が騎士、ランスロット=オイディプス=アトランティス様! 何千年の時を超えてようやく貴方様と巡り合う事ができました!」

 

 誰だよ。

 

「もしかして、まだ全ての記憶が戻っておられませんか? 私です。あなたの永遠の伴侶、プロセルピナ姫です!」

 

 誰だよ。

 

「ああ、我が騎士様はまだ思い出しておられないのですね。私と貴方様は、前世では永遠の愛を誓った仲であり、星界の果てより襲来する『敵』と戦う戦士だったのです!」

 

 漫画かよ。

 

「かつて私達はかの『敵』を滅ぼしました。しかし数千年の時を経て、かの『敵』は復活すると予言されていたのです。そして私達は、時が来たら生まれ変わってまた巡り会おうと誓い合ったのです! さあ、私と一緒に参りましょう! 愛する騎士様!」

 

 脳が全力で危険信号を発していた。これと会話を続けていたら頭が汚染される。話し合いや説得が通用するようにも見えない。以前どこかで聞いた、昔の人の名言が突然頭に浮かんできた。その言葉は、正にこんな状況のためにある、そう思った。

 

「人違いです」

 

 俺は後ろへ振り向き、全速力で逃げ出した。

 

 

 

 あの後、彼女を振り切り、裏道をくぐり抜け、ようやく学校に辿り着いた頃には、言い訳のしようもないくらいに遅刻していた。教師に叱られている間も、授業を受けている間も、俺の頭には二つの悩み事だけがぐるぐると回っていた。

 

 一つ目は、伝説の樹への願いの事。伝説は本当だったんだろうか? モテたいと願って、神様が遣わした女性がアレなんだろうか? まさか、アレ以外の候補は居なかったんだろうか?

 しかし、考えていても答えは出そうになかった。

 

 そしてもう一つが、あの「お姫様」をどう対処するかだ。あの異常な言動を考えると、簡単に諦めてくれるような相手だとは思えない。こちらの制服は見られている。この学校の生徒である事がバレていても、おかしくはなかった。

 彼女の着ていた制服は他校のものだったから、校内にまで侵入される可能性は低いかもしれない。でも、校門での待ち伏せは予想できる。他の出入り口は普段は施錠されていたはずだ。逃げ場はない。袋のネズミの気分だった。

 

 放課後、校舎の窓からこっそり様子をうかがう。やっぱりと言うべきか、あの「お姫様」の悪目立ちする姿が、校門の前をうろついているのが見えた。

 遠巻きに観察する者。そそくさと脇を通り過ぎ、下校していく者。思い切って話しかけに行き、数秒後には回れ右する者。騒がしい周囲の視線をまるで気にする様子も無く立つ姿は、あの内面さえ知らずに見れば、本物の姫のように見えたかもしれなかった。

 

「前世の伴侶である騎士様を『敵』から守らなければならない。私の城にお連れする」

 

 彼女はそう話していたらしい。そんな噂が回ってきた。相変わらずの意味不明なストーリーだったけれど、最後の一言だけは理解できた。

 捕まったら、誘拐される。

 しかしどうするか。いっそ通報するか。でも、別に犯罪をしたわけでもない彼女を捕まえてくれるだろうか。

 追い詰められた獲物の気分で、ハンターの姿をじっと見つめていた。

 

 そんな時、不意に背後から声をかけられた。

 

「こっちに来て。裏道があるの」

 

 振り返ると、そこに立っていたのはウチの制服を着た女子生徒だった。その顔に見覚えはない。そして、その言葉。俺の事情を知っていて、逃げ道を教えてくれるという事だろうか。でも、どうして。

 

「話は後。あの危険な女に見つからないうちに。さあ、逃げよう?」

 

 疑問を抱えながらも、謎の女子生徒に手を引かれて歩き始める。見れば、搬入作業のトラックを出迎えようと、裏門が開いている所だった。

 運が味方をしてくれたらしい。手をつないだ二人は、真っ直ぐに駆け出した。

 

 

 

 そしてしばらく後、俺と女子生徒は、小さな喫茶店の丸テーブルを挟み、向かい合っていた。

 

「改めて、助けてくれてありがとう。でも、どうして俺があの人から逃げてるって分かったの?」

 

 わざわざ喫茶店なんかに入ったのは、その話を聞きたかったという理由もある。また、追っ手の目から隠れるためという理由もある。でも、一番の理由は、もっと邪なものだった。

 学校から逃げ出し、一息ついて改めて見た女子生徒の姿。それは美しさという概念を集めて形にしたような、とんでもない美少女だったのだから。

 

 艷やかな黒髪をロングに伸ばし、すらっとした背の高い立ち姿。ともすれば冷たい印象を与えそうな鋭い美貌は、しかし微笑むと意外なほどの柔らかさと可愛らしさを生み出していた。

 見慣れたはずの我が校のブレザーも、彼女が着ていると輝いて見える。ちょっと袖が余っている様子すら、愛嬌だと感じられた。

 

 密かに考えを巡らせる。これまで同年代の女の子はクラスメートくらいしか顔を合わせる事が無く、クラスメートとも必要最低限の会話しかしてこなかった。それが立て続けに美少女との縁ができているのだ。片方はアレだったとはいえ、伝説の真実味はかなり増している。

 きっと、一人目がアレだったのを哀れに思った神様が、救済のためにこの子を送ってくれたんだろう。そうに違いない。

 昨日までは陰気臭いおばけ大樹と心の中で呼んでいた、あの伝説の大樹にありったけの感謝を捧げた。神様はきっと愛の逃避行が好きなんだろう。

 

 そんな益体もない考えを続ける俺の顔を不思議そうに見つめながら、恩人の美少女は口を開いた。

 

「貴方を私が助けるなんて当然のことじゃない。愛しのダーリン」

 

 誰がダーリンだ。

 

「ああ、あの女のことね。朝、あの女がダーリンに姑息な手で近づこうとしてたのを見てたの。人の恋人に手を出そうなんて、恥ずかしいと思わないのかな。私とダーリンは生まれた瞬間から固い絆で結ばれてるのに」

 

 誰が恋人だ。

 

「前世の恋人とかなんとか、そんな妄想はさっさと捨てて、現実見て欲しいよね。ダーリンの学校の制服を調達して潜入するの、けっこう大変だったんだよ?」

 

 わかった。こいつもアレな奴だ。

 

 実はあの伝説の樹は呪われてたりするんだろうか。それとも中には神様じゃなくて悪魔が入っていたりするんだろうか。

 考えていても仕方ない。今やるべき事は一つしか無かった。

 

「えっと、君」

「ハニー」

「ハニー、ちょっと目をつぶって、耳をふさいで、百まで数えて」

「きゃっ、何されちゃうのかな。いくら相思相愛の二人だからって、こんな人前であまり変なコトしちゃうのはダメだよ? で、でも、ちょっとくらいなら」

 

 顔を赤らめて妄言を吐きながらも、言う通りにする「ハニー」。その姿を横目に、俺は極力音を立てないように席を立つ。そして、レジの店員さんに必死の目配せをしながら千円札二枚を手渡し、そっと喫茶店を飛び出した。

 

 

 

 一心不乱に、自宅を目指していた。立ち止まってしまえば、振り向いてしまえば、そこに奴らが立っているような気がした。あるいは、一瞬でも気を抜いたら、路地の影から奴らが現れて、俺を連れ去っていく、そんな気がした。

 そんな不安の影を振り払うように、走る。走る。

 そして、もうすぐ我が家が見えてくるという所まで来て、気付いた。

 見慣れた我が家の門の前、そこに見慣れぬ人々が集まっている。無意識に足が止まった。

 

 不思議な集団だった。バラバラの服装。バラバラの外見。あれだけの人数がたむろしているというのに、お互いを完全に無視しているかのように、どこにも会話をしている者が存在しない。

 しかし、その集団には確かな共通点が存在していた。一つは、全員が年若い女性であること。そしてもう一つは、皆まっすぐに俺の家を見つめている事だった。

 

 もう疑いの余地は無い。あの伝説は真実だった。俺はモテる男になったんだ。けれど、こんな世界を望んだはずではなかった。

 

 この様子では、家に帰るのは不可能だろう。逃げる? でもどこへ? いつまで?

 不意に、一人の女性の目がこちらを向いた。背筋に悪寒が走る。その顔は、遠く離れた恋人とようやく巡り合った、そんな顔をしていた。次の瞬間、その場にいた全員が、一つの意思で制御されているかのように、揃ってこちらへぐるっと首を回していた。

 それ以上、考えている暇は無かった。

 

 

 

 気付けば、日は沈みそうになっていた。夕焼けの赤色が世界を染める。その赤色から隠れるように、俺は物陰に隠れて、スマートフォンの画面をじっと見つめていた。

 

 俺の願いは、何か狂った方向に叶えられてしまっているらしい。

 今日遭遇した二人の美少女を思い出す。俺は間違いなくモテていた。あの二人のどちらかを受け入れていれば、彼女ができただろう。願った事のままだ。でも、どう考えてもそれは、俺の思っていた願いとはかけ離れていた。

 あの願いを取り消したい。もうモテなくても、彼女ができなくてもいい。平穏な暮らしを取り戻したい。そう思うようになっていた。

 

 無機質なコール音が流れている。この事件のきっかけ。あの呪わしき伝説を俺に教えてきた親友なら、あの神社の子なら、何か知っているのではないか。願いの取り消し方について。

 コール音は淡々と流れ続ける。このまま永遠に繋がらないんじゃないか、そう思い始めた頃、不意にノイズが走り、懐かしき親友の声が聞こえてきた。

 

「どうしたんだい? 着信履歴が凄い事になってたよ」

「願いを取り消す方法を教えてくれ」

「取り消す? もしかして、本当に願いが叶ったのかい? それで、なんでまた取り消そうと?」

「叶ったのは叶ったけど、俺はあんな叶い方は望んでなかった」

 

 自分の声が、恐ろしく疲れて聞こえた。しわがれた老人のようでもあった。こうしている今にも奴らに見つかるかもしれないと思うと、気が気でなかった。空腹感がますます神経を削ってくる。この苦しみから開放されるなら、何だってする気でいた。

 ありがたいことにこの親友は、この短いやり取りで状況を察してくれたらしい。普段は辟易とさせられている頭の機敏さが、こんな時は頼もしく感じた。

 

「ええと、あったあった。書物によると、願いを取り消すには、深夜零時にあの樹の下で叫べばいいらしい」

「叫ぶって『願いを取り消してくれ』って?」

「いいや、違う。神様相手に一度願った事を取り消せなんて失礼だからね」

「じゃあ何を言えばいいんだ」

「簡単な事だよ。つまりね『神様の手を煩わせなくても、もう自分は願いが叶っている』と伝えるんだ」

「ちょっと理解できないんだけど」

「たとえば『金が欲しい』と願ったなら『俺はもう金持ちだった』と叫ぶんだ。そうすると神様が納得して、願いを叶えるのを止めてくれる」

 

 なんだか分かるような分からないような話だった。断るより余計に失礼な気ではないだろうか。でも、神話なんてそんなものなのかもしれない。考えるのはもう億劫だ。とにかく、見知らぬ少女たちに身柄を狙われる時間が終わるのであれば、なんでもよかった。

 

「じゃあ、このままここに潜んで、零時前になったら願いの樹までダッシュしてその言葉を叫べばいいんだな?」

「そうだね。今はどこかに隠れているのかい? 君の家には近づけないだろうし」

「今は神社の裏山だ。ここなら地形も覚えてるし、隠れる場所も多い」

「ああ、小さい頃はよく一緒に駆け回ってたね。懐かしいなあ」

 

 親友の呑気な声が、今は少しだけ、かさついた心を癒やしてくれた。

 

「じゃあ、そろそろ切るぞ。武運を祈っててくれ」

「おっと、そうだ。もし、何かあってピンチになったら、ウチの家に来るといいよ。最近はずっと来てなかっただろう?」

 

 つくづく呑気な言い方だが、提案としてはありがたい。なにせ同じ神社の敷地内にある家だ。駆け込むにはもってこいの位置だった。

 

「もしもの時は厄介になるよ。それじゃ」

 

 通話を切る。日付が変わるまであと五時間。後少しすれば日が沈み、発見されるリスクは大幅に減るだろう。そうなれば後は待つだけだ。

 太陽の光がゆっくりと消えていくにつれて、俺の心の目には確かな光明が見えてきていた。

 

 

 

 残り一時間。既に空腹は限界を超え、夜山の寒さは容赦なく体力を奪っていく。しかし、決戦の時間の迫る高揚感が頭を埋め尽くし、それらの辛さはかき消されていった。

 さて、そろそろ頃合いだ。一旦移動しよう。あの樹の近くに潜んで、様子をうかがって、そしてタイミングを待とう。

 隠れ場所から抜け出て、ゆっくりと歩き始める。その向かう先に、気付けば一人の少女が立っていた。

 

 美しい銀の髪をなびかせる、小柄な少女。月明かりでは顔までよく見えないが、美少女らしいという事は感じ取れた。しかし、今の俺にはもう色ボケた考えをする余裕なんて無い。今日一日でさんざん懲りている。だいたい、ゴスロリ服で山の中を歩く少女がマトモなわけがなかった。

 

「占い……当たった……お兄ちゃん……いた……未来の……お婿さん……」

 

 今度はお兄ちゃんときた。ここの神様はよっぽど妄想癖の女が好きらしい。

 

「運命……塔……吊られた男……恋人……」

 

 何かで見た、タロットカードの絵柄が脳裏に浮かぶ。雷の落ちる塔の絵。逆さ吊りにされた男の絵。あの少女に不用意に近づいたら、俺はそういう運命を辿るんだろう。そして恋人にさせられる。見立て殺人みたいな脅迫の仕方はやめて欲しかった。

 

「妹……抱きしめて……」

 

 ジリジリと近づいてくる「妹」に呑まれそうな心を押さえつけ、俺は獣道に飛び込んだ。

 

 

 

 走って、走って、走り続けた。月明かりに照らされた山道は、慣れ親しんでいたはずなのに、記憶とは違う、どこか恐ろしげな表情でこちらを見つめてくる。

 いつの間にか、山中には人の気配がいくつも紛れていた。笑っている女。怒っている女。泣いている女。楽しんでいる女。何人も何人もの女達が、ただ俺に向けて、その愛をぶつけるために、あたり一面に蠢いていた。

 その隙を縫って、走る。零時まで後少し。タイミングはピッタリだ。あの樹の下を目指して、全力で走る。木々の間を抜け、小さな崖を飛び降り、申し訳程度に整備された山道を走り抜け、神社の境内を駆け抜けた。そして、辿り着いた。

 昨晩と変わらず、いかめしい顔でそびえ立っている大樹。今はそれが、荒々しくも慈悲深い神の姿に見えた。こいつに向かって叫んだ昨日の記憶。それが、全ての始まりだったんだ。

 周囲を見渡すと、続々と集まってくる人影。円を描くように並び、迫ってくる電波の群れ。影に隠れたそれらの顔は、決して獲物を逃すまいと、目を光らせていた。

 時は来た。スマートフォンの時刻表示を確認し、正面の樹に目を戻す。肺いっぱいに空気を吸い込む。そして、一気に吐きだした。

 

「俺には! もう! 彼女がいるんだぁああああああああああ!」

 

 神様へと伝える言葉。もういいですと。願いを叶える必要は無いですと。その言葉は、天の果てまでにも届いたような気がした。

 

 そして、包囲網にも変化が起きた。先程までは獲物を捉え、らんらんと光っていた彼女らの目。それが、今は戸惑ったように揺れ動いていた。列が乱れる。一人の少女が、夢遊病のように振り返り、どこかへ消えていった。二人の少女がそれに続いた。三人、四人、流れはどんどん大きくなる。気付けばあの大群は、幻のように消え去っていた。

 ほっと、息をついた。

 

「我が騎士様、なにもあんなに大声で私との関係を告白しなくてもよかったじゃありませんか! 恥ずかしいですよ!」

「ダーリン、横恋慕の不届き者たちが消えてよかったね。まだ少し残ってるけど」

「真理……兄妹……二人っきり……」

 

 ヤバそうなのが三人残っていた。「お姫様」「ハニー」「妹」。他の少女たちと違って、彼女らはまるで俺への執着を失ったようには見えなかった。

 おかしい。願いの取り消しが効いていないのだろうか。ふと、昨晩聞いた言葉が脳裏に蘇る。

 

「あるいはほら、効果が出るまで時間がかかるのかも」

 

 願いの効果を確認したのは、朝になってからだった。もしかして、取り消しの方もそうなのだろうか? だとしたら、また朝までこいつらとの追いかけっこが始まるのか?

 ここに来るまでに、体力はほぼ使い切った。朝まで逃げ回るのは不可能だろう。最悪の未来の光景が脳裏に浮かぶ。ミノムシのように縛られ、暗い地下室へ引きずって行かれる。

 効果が切れる朝までに、どんな仕打ちを受けるか、嫌な想像はとどまる所を知らず、溢れ出ていた。

 

 やはり、と言うべきか、またもや、と言うべきか。そんな俺に光る道筋を示してくれたのは、親友の言葉だった。

 

「もし、何かあってピンチになったら」

 

 そうだ、あいつの家がすぐ近くにあるんだ。そこまでたどり着ければ、朝まで籠城する事もできるかもしれない。気力を振り絞る。鉛に変わってしまったかのように重く硬くなった脚を懸命に動かして、最後の疾走を開始した。

 

 

 

 数年ぶりに訪れたその家は、記憶とほとんど変わっていなかった。ドアノブに縋り付くようにして玄関を開け、滑り込み、叩きつけるようにドアを閉めた。鍵をかけ、今度こそ安堵のため息を漏らす。

 

 玄関の鍵を開けていてくれて助かった。あいつの機転は肝心な時だけは、いつも俺を助けてくれる。

 

「なんだか、大変だったみたいだね」

 

 背後からあいつの声が聞こえてくる。久しぶりに聞く、電話越しでない、あいつの肉声だ。生還できたという実感が、ようやく沸いてきた。

 

「そういえば、直接会うのはだいぶ久しぶりだね。ちょっと照れくさいかな」

 

 二人して似たような事を考えていたという事実に、なんだか不思議な笑いがこみ上げてきた。こちらまで照れくさくなる。力の入らない両脚をモゾモゾ動かし、両手で床を掴み、身体ごと振り向いた。

 

 そこに親友がいた。

 

 数年前より、背がだいぶ伸びていた。短く揃えていた髪も、長くなっていた。腰のラインが、ずいぶん丸みを帯びていた。顔に薄く化粧をしていた。平坦だった胸が、見てわかるほどに膨らんでいた。そして、どうしてか、薄い、身体の線が浮き出るような、肌色が透けて見えるようなネグリジェを着ていた。

 

「ご、ごめん! もしかして、寝てる所に押しかけちゃったか!」

 

 反射的に謝り、視線を反らす。驚きが脳内を埋め尽くしていた。数年前、一緒に遊び回っていた頃の親友は、あんな身体ではなかったはずだった。

 中性的な格好で、超然とした態度の小柄な子供。気さくな遊び相手。それが、今ではすっかり「女」の身体へと成長していたなんて、想像だにしていなかった。

 

「君は本当に素直だね」

 

 静かな声が響く。電話越しの時と変わらない、いつものように愉快そうな声。でもその奥に、これまで感じた事の無いような、恐ろしいものが滲んでいる気がした。

 

「君が、実は昔からモテてたって言ったら、信じるかい?」

 

 唐突な話題の転換。彼女がいったい何を言おうとしているのか、分からずただ続きを待つ。

 

「いやね、本当にモテてたんだよ。それも、変な女ばっかりに。きっと、そういう女を惹きつけるフェロモンみたいなのが出てるんじゃないかな」

「でも、俺は女の子とは、出会いすら全然」

「みんな牽制し合ってたからね。下手に抜け駆けする子がいたら、きっと誰かが刺してた。わたしも、いつまでも近くにいたら、危なかったと思う。だから、ここ数年はちょっと距離を取ってた」

 

 彼女の言葉は、まるで異世界の常識を語っているかのようだ。でも、これまで親友と積み重ねてきた年月が、その言葉を疑うことを拒もうとしていた。

 

「だから、一計を案じたんだ。ストーカーで飽和した風船みたいにだった君の周囲の環境に、ちょっと針を刺してみよう、ってね。それが、あの願いを叶える樹なんていうデタラメ。思いつきにしては、面白くできたと自負してるんだけど、どうかな?」

 

 疲労の蓄積した、ぎくしゃくする頭で考える。昨晩の叫び。急に迫ってくるようになった女の子達。今晩の叫び。去っていった女の子達。

 大まかには理解できた、気がした。でも、疑問があった。

 

「俺をストーカーから解放したいってだけなら、もっと簡単な方法がいくらでもあっただろう。なんでこんな回りくどい事を?」

 

 その言葉に、彼女は堪えきれないと言わんばかりに笑い出した。

 

「そうだね、もう一つ目的があった。そしてそれは達成された。君は今、女の細腕にも抵抗できないくらい、心身ともに疲れ果てて、こうしてここに居る」

 

 ゆっくりと彼女が近づいてくる。その意味が理解できない。靄のかかったような脳に、彼女の声だけが染み込んでくる。

 

「大丈夫。身体の力を抜いて。身を委ねて。君の事は、わたしが一生守るから」


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