生を尊ぶ施設にいながら、生気というものがまるでない。
ここが病院というなら、相対した彼らは患者だろうか。もしかすると医者か、看護師かもしれないが、どれに該当するのか外見ではまるで掴めない。断面から血が噴き出さなければ、生き物とも思えなかった。
縦に両断され朽ち始めた体を検めると、懐(多分そのような場所)から、汚れた瓶が出てきた。ラベルには薄らと「
こんなものを持って廊下を練り歩いているのならば、と、両儀式の提案でひとまず彼らを『看護師』と呼称する事が決まった。彼女にとって看護師がどういうイメージになっているのか分からない。
カルデアの作戦規定においても、敵性体の既視/未知は重要なファクターとされている。
かつて虚数の海で行われた海戦も、相手の正体を看破する工程が必須となっていた。英霊の真名看破スキルしかり、認知の有無が魔術的に少なくない優位性を齎すものとなるのは、藤丸も思い知っている。
なにより、未知は恐怖を与えるが、既知は逆に薄れさせる。全体で共通認識を持つことは作戦行動の安定にも繋がる。だからこそ、『明かす者』の代表であるシャーロック・ホームズは、未知の異聞帯を踏破していくノウム・カルデアのキーマン足り得るという背景もある。
もっとも、解き明かしても脅威が変わらない
死骸からは薬瓶以上に何も分からない事が分かったところで周囲を見ると、既に残り二体の『看護師』の死骸も形を失ってきていた。大まかに観察するが、特に違いは無い。
野生動物の腑分けであれば英霊たちの特訓で何度か経験がある。しかし人型、それも正体の知れないものとなれば、藤丸には難しい。いや、そもそもこれらの生態を明かしたところで意味があるのだろうか? 立ち塞がる正体不明に嫌気が差す。
諦めて汚れた手を払い、ぼんやり虚空を見ているセイバーを呼ぶ。頭を見ると兎なのに、仕草はまるで猫のようだ。常人には知り得ないものを目で追っているところとか。
「私の性質より、今後の方針を決めることが重要でしょう?」
知らず口に出ていただろうか。慌てて手を当てるも、その様子をおかしそうに笑われるだけだった。
「案内図は置かれてないようだし、どうしましょうか。人に尋ねられたらよかったけれど、そんな余裕は無さそうね」
彼女が指で示した先には、血だらけの車椅子とそこから転がり落ちたらしい死体があった。血は鮮やかに赤く滴り続け、虫も湧かず腐りもしていない。
まるで恐怖を演出するための置物のようだ。死は悼むもの、という
置物なのだと、飲み込んでしまえばいい。だが、目を逸らす事に慣れていない藤丸には、それこそ負荷の掛かる立ち振る舞いとなる。
せめて、整えるだけでも。そうやって近付こうとするマスターと、察して引き留めようとするセイバー。
両者がぶつかるより先に、廊下の奥から響く音が動きを止めさせた。
おそらくは、何か台車のようなものを転がす音。しかし何度も壁や物にぶつかっているのか、進んでは止まりを繰り返しているようだった。
身振りで示し、二人で音の鳴る方へと進む。向かう先は廊下の丁字路になっており、音を立てる何かが曲がってこない限りは、目の前を通過していく形になる。
敵であれば、待ち構える方が良い。何かを運んでいるなら、運ぶ必要のあるものがあるなら、それは手掛かり足り得るかもしれない。
待ち構えた二人の前を通りすぎたのは、幾人もの『看護師』と彼らが押すストレッチャーのような寝台。
寝台には甲冑を来た人間が縛りつけられている。見覚えのある兜の隙間には、汚れた注射器が突き刺さっていた。
声よりも先に魔術回路が励起し、サーヴァントが動く。
技巧よりも素早さが求められるこの場面で、両儀式はその期待に遺憾なく応える。一息で寝台をひっぱる『看護師』に歩み寄り脚へ刃を滑らせると同時に、寝台のあちこちを指でなぞっていた。
致命的な何かを失ったのかのように、騒がしい音を立てて崩れる寝台。脚を失った『看護師』は寝台だったガラクタの下敷きになり、押していた残りも急に崩れた寝台を躱しきれずに倒れ伏す。
「切り捨て、ごめんなさいね」
いつもよりも遅れた
数的不利はあれど、有象無象に英霊が遅れを取ることはない。戦場を両儀式に任せた藤丸は、寝台から落ちたハンスへと駆け寄る。鬱血するほど強くまかれたベルトを外すが、反応が無い。
死んでも篝火から復活出来るとハンスは言っていた。それなら、まだ息はあるはず。顔面へ刺さったままになった注射器を引き抜きながら、懸命に声を掛ける。
「……――どこだ」
面頬から泡混じりの血を流しながら、ハンスがポツリと呟いた。
聞きたいのはこっちの方なのだが、倒れている者にあたるわけにはいかない。多分病院、とだけ伝えておく。
現状確認の言葉が出るということは、見た目ほど異常は無いのかもしれない。
「アリスはどこだ」
やっぱり
しかし、このまま放置してまたどこかに行かれても困る。アリス探しを手伝うとはっきり宣言すれば、多少はなんとかなるだろうか?
藤丸自身、
「アリス?」
違う、そういう意味じゃない。疚しい気持ちは一欠片もないから安心して。
心中を見透かされたかのようなタイミングでのハンスの言葉に、藤丸の心臓が高鳴る。しかしハンスを見やると、どうやらそういう意図で言っていたわけじゃないのが分かる。
折れた刃で首を落とされた『看護師』。寝台が倒れた時に巻き込まれた一人だ。すでに崩れかけているそれは、ハンスが先んじて対処したのだろう。それはどうでもいい。
問題は、寝台が向かうつもりだった方向。突き当たりにある扉の前には、二つの人影があった。
白い装束と黒い装束。無残に破れた華美なドレスと、艶やかな黒革が照る拘束具。石灰のように崩れそうな白い肌と、青ざめた月を思わせる土気色の肌。
同じだったのは、意思の光を感じられない虚ろな顔、真紅の長い髪と赤い靴。紅玉を溶かした煌めきは、廊下を彩る血しぶきよりも鮮烈だった。
藤丸はあれを知っている。知っているはずだ。なのに答えが出てこない。先ほど戦う前のランスロットの姿を見ても何も感じなかったように、目の前の光景と記憶が結びつかない。
夢を必死に思い出そうとする不毛さ。あるいは見たという痕跡だけが残り、肝心の内容が頭に収められていないような空虚さ。
藤丸の葛藤を他所に、ハンスの視線は、ただ二人に注がれている。
「──アリスは──金──しかし──双子──ならあちらも──」
ハンスの呟きが加速していく。これは拙い。またいろんな意味で置いてけぼりにされてしまうと、今度こそ付いていけなくなってしまう。
だが藤丸の心配は無意味だった。数秒も経たないうちにぴたりとひとりでに言葉が止まったから。
「──まさしく紛い物の宝石だな、血みどろのカーン・マリーめ。あるいは異国の
恨みを孕んだハンスの言葉が廊下に響く。藤丸がハンスの言葉に強い意志を感じられたのは、これが初めてだった。
明確な敵意を放つハンスに赤毛の二人が動く。だがそれより先に、ハンスの手元から何かが光る。
「辟易する解釈だ。なんでも混ぜればいいというものじゃない事を知らないとは、台所に立つとカタストロフを起こすタイプがお前をここに据えたと見える」
ひどく刺々しく、しかし理性を感じる声。一体どんな薬を処方されればここまで落ち着くのだろうか。
風切り音を鳴らして飛んだのは、手のひらに収まる程度の投げナイフ。白い装束の少女の首に刺さってから、藤丸は気付く事が出来た。
白い装束の少女は首に手を当てるが、ナイフを抜き取る事もなく倒れこんだ。黒い装束の少女は茫然としたまま、ただこちらを見ているだけ。どちらも次第に姿が薄れ、消えてしまう
「首を刺すなんて、ひどいことをするものね」
刀を納めた両儀式が、平静の声色で言う。ひどい、とは口にしているものの、何一つ糾弾するつもりは無いのだろう。
「あの程度、勝手をやられた俺からの慰謝料と思えば軽いものだろう。いくら切り売りされた魂でも、そうそう好き勝手に扱われてたまるものか」
不愉快極まる、と言った具合にハンスが応える。が、その言葉は病院に来る前とは何かが異なる。アリスアリスと言っていないというところではなく、口調や思考自体が変わってしまっているようだ。
というか、その声、どこかで聞いた覚えがあるような。
「ハンス。あなた、記憶が戻ったの?」
変わりように驚いた両儀式がそう問い掛けると、息巻いていたハンスの動きがぴたりと止まる。
たっぷり5秒ほど無言の後に、まったく物静かな様子でぽつりと話す。
「いいや、何も」
「本当に?」
「ああ」
「私の目を見て言ってもらっても?」
「早く奥に行くぞ。アリスを探さなくては」
いそいそと歩き始めるハンスの背を、サーヴァントと共にじっと見る藤丸。
聞いても無駄だろうなぁ、という直感があった。どう言葉を弄しても、言わないと決めたことをハンスが曲げるとは思えない。
もし新所長がここの流れを聞いていれば追及するべきと言うだろうし、技術顧問が見ていたなら爽やかに笑っていたかもしれない。ダ・ヴィンチちゃんなら困り眉をしながらもにこにこ笑ってタイミングを計りそうだし、マシュなら目を伏せて一緒に沈黙してくれたと思う。
そして隣にいま実際にいる和服美人は、ポカンと口を開けたまま「どうしましょうか」と訊ねてきていた。
苦笑いと肩をくすめる程度しか、藤丸には出来なかった。
◆
廊下の奥の扉を開くと、また様子の違う廊下が広がっていた。
幸い、新しい『看護師』は歩いていない。幸いだったのは、それだけだ。
まるで廊下の壁を歩いているような内装は、まだいい。
不吉な影しか映さないモニターが点在しているのも、別にいい。
異臭も汚物も我慢するしかない。まだ飲み込める。
「これで、20人目」
セイバーがそう呟く。律儀に数えているとは思わなかった。まさか刀に撃墜数でも書いているのではないだろうな。確かに文字は刻まれているようだが、そういうのではないと思いたい。
ハンス自身に数える余裕が全く無かったからこそ、サーヴァントというものの規格外さが良く分かる。まるで紙のように次々と切り捨てていく姿は、根本から違うものなのだと思い知らされた。
「ハンス、また『患者』だ! 次は6体同時!」
フジマルの指示が飛ぶ。前を見やると、確かに虚ろ
そう、『看護師』はいなかったが、その代わりに出てきたのが彼ら。ベッドで寝ていたりソファでくつろいでいる姿を見ている内に、『患者』という渾名が思い浮かんだ。セイバーからは好評だったが、フジマルは眉間に皺を寄せていたのが不思議でならない。
個々の戦闘能力は大したものではないから、フジマルとセイバーの支援があればなんとか立ち回る事は出来る。
問題は、その数。切っても潰してもベッドの中や血溜まりからヘドロのように湧いて出てくる。これではまともに進むことも、戻ることも難しい。
何より、絶え間なく襲い掛かるというだけで、今の自分たちには大きなプレッシャーとなっていた。
「廊下じゃあ横に広すぎて対処しきれない。どこか部屋に入ってやり過ごすか、迎え撃とう」
『患者』が途切れた一瞬の合間を縫って、フジマルが案を出す。確かに前も後ろもと囲まれるような状況よりはマシになるかもしれない。入った部屋にみっちり『患者』が詰まっていて警報が鳴り響く、などという事態が無いとは限らないが、最悪を想定しだしたらキリがない。
「決まりね」
頷いたセイバーが一際大きく刀を振るい、扉への道を塞いでいた『患者』を文字通りに切り開いた。吹き出た血飛沫をフジマルが潜り抜ける。『患者』がその背を追おうとするが、騎士剣で足を薙ぐ事で動きを止めた。扉が閉じる。
ふと湧いて出た血文字が、視界の端を掠める。女。女の話を語るときではない。だというのにひどく気にかかる。脳漿に埋没した致命的な傷が疼き、その足を引き留める。
セイバーも動きを止める。津波のように壁から湧き出る『患者』たち。いかに稲妻の冴えを見せるセイバーであっても、その物量には立ち止まらざるを得なかった。その伏せていた瞳が、淡く蒼く灯るまでは。
刀が通る傍から、肉が解ける。あるいは肉が刻まれる道筋を刃がなぞっているのか。
神秘的、あるいは魔的と評するべき有様のまま、セイバーは扉を開ける。
切り落とした『患者』を盾で押し潰し、ハンス自身も扉へ駆け込んだ。
幸いなことに部屋の中に『患者』はいなかった。そして不幸にも、フジマルの姿も無い。
あったのは無人のベッドと、ハンスとセイバーの背を遥かに超える身の丈を持った女性。黒白のみに彩られた礼服に身を包んだそれは、まるでどこかの令嬢か貴婦人を思わせる。
「────────」
音色が聞こえる。女性の鼻唄だろうか。優しげだが脳が泡立つ。聞いていて愉快なものじゃない。
何よりフジマルはどこにいった。そこらの血の染みになるにしては早すぎる。異常を察して出ていったのか。
マスター、マスターとうるさいセイバーを無視して、入ってきた扉を開ける。開いた先には廊下は無い。フジマルもいない。背後にいるはずのセイバーと、長身の女性がいる。だまし絵のような嘘つきな景色。
何度開けても無駄だろうな、とハンスは早々に諦めた。だってここはそういう場所だ。飲み込むしかない。分断されたフジマルは気の毒だが、まぁ、運が良ければまた会えるだろう。
何より。いない人をどうこう言うよりは、悍ましさでいえば『看護師』も『患者』も超えていく目の前の女の話をするべきだろう。
長い髪の隙間に戒疤のようなものが見えたのは、気のせいと思いたい。
ソワカソワカ