まだ街は起きておらず、太陽が地平線から出かかったばかりの薄暗い朝。とあるホームで処女雪を思わせる腰まで伸ばした白い髪に真紅の瞳を持つ、まだまだ幼いあどけなさが際立っている少年は、対照的に腰まで伸ばした黒い髪に同じく真紅の瞳を持つ着物姿の女性と相対しつつ浮かない顔で玄関口に立っていた。
「……行ってきます」
「ぶぁかたれ。男ならもっとシャキッとしろ!」
少年の遥か上から、拳骨がポカリと降り注いでくる。
「うう…痛いよお」
「あぁもうシャキッとして!ほら、ハンカチは持った?手袋は?飲み物もあるよな?」
少年は1つずつ言われたものを取り出す。その仕草はまるで小動物のようであり、流石の黒髪乙女もその愛らしさにグッと来てしまう。が、心を鬼にする。ここで甘やかしたら後々に悪影響だと自分自身に言い聞かせて。
「……ねえ」
「なんだ?」
「ほんとに、あとから来るよね?」
まだまだ可愛らしい少年からの上目遣いに萌死しそうになる黒髪乙女。少年は中性的な方面でかなりの美形であり、まだ幼いから感情の表現が不器用なりに大袈裟だ。だから、寂しさ全開のオーラを出されると罪悪感がMAXになってしまう。
「ちゃんと行くと言ってるだろう?お前との約束を違えたことなどこれまでにあったか?」
「………ない」
「だから今回も安心しろ。必ず行くから」
「……!うんっ!!」
なんだかんだ自分は過保護だなという考えが頭をよぎる。でも、まだまだこの子は幼い。この位はしてあげて良いだろう。
「行ってきます」
「ああ。行ってこい」
白髪の少年、ベル・クラネルは買い物カゴを持って玄関を開け放つ。今日は初めて、1人で買い物をする日。
ベル・クラネルの目の前には鳥が
・・・だが、彼を見送るゴジョウノ・輝夜にとっては、歪んだ世界を体現しているような感覚に未だ囚われていた。
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燃え盛る炎の中に、その子はいた。
アルフィアを見失い、野次馬の群れをあてにして辿り着いた先にその光景は広がっていた。正義の眷属である私たちはすぐさま、燃え尽きる寸前の教会へと入り、見てしまったのだ。崩れゆく教会と火の手から我が子を守るために、自らが犠牲となるような体勢で抱きしめる暴虐の化身の姿を。
そして、ようやく理解した。
「後は任せた」
そう残した彼女の別れ際の言葉を。
最後まで家族を大切にした、
だが、どうすれば良いか分からなかったのも事実だ。自らの正義に迷いが無い団長、アリーゼですらも、この時は揺れた。
そこに放置したら死んでしまう、罪無き子供がいるのは事実だ。しかし、その子が救いを求めているのか。なにより、
正義と悪、それだけでは割り切ることの出来ない現状が、彼女達の動きを止めた。
ファミリアのこれからか、目の前の
だが、【静寂】へ火の手がいよいよ迫り来る時、彼女達は自らの
冥府の神が問うた「正義とは何か」の答えは、この行動に詰まっていた。
そのままその子を救わんとアルフィアから引き剥がそうとする。だが、離れる気配は一向に無い。このままでは自分達諸共死んでしまう。そう思った時だった。
「放て!」
そして、続々と冒険者が教会へなだれ込んでくる。
だが、我こそがと闘志を剥き出して来た彼等ですら、その光景に歩を止め息を飲んだ。
皮肉にも、彼女の望んだ静寂は彼女の死後に訪れた。
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その後、泣き疲れて眠ってしまった少年か少女かも分からない子を抱いて正義の眷属達は家路を歩き、ファミリアのホームである【星屑の庭】に着いた。アルフィアの遺体は……言わぬ方が良いだろう。荒らしに荒らし回った恐怖の権化が物言わぬ人形となっているのだ。恨み辛みが深い人間達のエゴによる裁きが下った。それだけだ。
余程アルフィアの子は疲れていたのだろう。一日中眠り、目覚めた時の錯乱ぶりと言ったらもう地獄のようだった。泣きに泣き、「おかあさんをかえせかえせ」と繰り返して、仕舞いにはホームから飛び出し探しに行こうとまでした。しかし、今この子が外に出たら間違い無くリンチからの惨殺だろう。歴史に残る虐殺者の身内を、被害を受けた人間が放っておくわけが無い。何とかして説得し、椅子に座らせ落ち着かせた。
「グスッ……ひっく、ううぅ……」
それでもまだ涙は枯れず流れ続けている。無理もない、大好きな母親が死んだのだ。しかも、目の前で。心に傷が……などとありふれた言葉では表せないほどの辛い体験だっただろう。誰も話しかけられないのは、かける言葉が見つからないから。いや、
そんな中で1人、陰鬱とした雰囲気を打ち破る者がいた。
極東に伝わる着物姿を身に纏い腰まで伸ばした艶やかな黒髪が特徴的な正義の眷属の副団長、ゴジョウノ・輝夜。
彼女はその子に近づき、目線を合わせるようにしゃがんで優しく頭を撫で始めた。
「う……?」
少しだけ泣きやみ、涙を拭う手越しに輝夜を見ている。そんな子に、輝夜ははっきりと言った。
「私達はお前をアルフィアから……お前の母から託された。全てはまだ言えないが、いずれ必ず話す。だから、少しでいいから私達を信じてくれないか……?」
【母】という言葉に過敏に反応し、再び涙がこぼれ落ちてゆく。
だが、涙の行方は無機質な床では無く、輝夜の着物の上。
差し伸べ広げた腕の中にその子は身を委ね、輝夜の胸の中で眠ってしまうまで再び泣いた。
その泣き声はまるで鐘楼のように、ホームを貫き辺り一体に響き渡った。
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次の日。当たり前だが状況は殆ど変わることは無かった。しかし、少しだけ変わったこともある。
「む……」
「なんだ?私は警備に行かなければならないのだが」
「や」
「いや、これはファミリアとしてやらねばならないことだから。お前を外に出すわけにもいかないし、分かってくれ」
「や、やぁ……」
涙目で首を横に大きく振る、白兎のようなアルフィアの子供。
「輝夜、その子の面倒見てあげたら?」
「しかしだな……」
「貴方にしか懐いていないのだから。これは主神命令とします」
「ぐっ……分かった」
アルフィアの子が私に懐いた。基本的に、常に私の着物の裾を両手で引っ張っている。
私は主神の命令を受け、ため息をついて部屋へ戻ることにした。もちろんアルフィアの子もとてとてとついてくる……って、
「お前、服もボロボロで埃だらけ、髪もゴワゴワじゃないか!風呂に入るぞ風呂に!」
どうして当たり前のことを忘れていたのだろうか。そもそもこの子の状態は昨日見つけた時のままであり、全身すすやほこりで正直汚い。流石に自室へこの汚れを持ち込みたくはない。が、少し強めに言ってしまったことに不安を覚えて振り向くがそれほど気にしていない様子だったので2人で風呂に入ることに。
……まあ、この顔でこの髪の長さ、気の弱さだ。十中八九
風呂場に行く前に自室で適当な服を見繕う。私が幼い時に着ていた着物を残しておいて良かった。中々思い出から離れられない性格が初めてプラスに働いた気がする。
自室から出ると、案の定ドアの横で体育座りをして泣いていた。私はひょいと軽すぎる身体を持ち上げ、構わず風呂場へ歩いた。
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脱衣所に入るなり、ぐずる白兎を一糸まとわぬ姿にする。
輝夜の目の前に現れたのは、あるはずがないと思っていた『アレ』。その可能性はほんの少しだけ考えてはいたが、まさか……
と、柄にも無くオロオロする輝夜。基本穏やかを装った冷徹な彼女がここまで動揺して声を上げたので、すぐさま主神、アストレアも「どうしたの!?」と慌てながら脱衣所へ駆け込んできた。
そして、固まった。
再び【星屑の庭】に悲鳴のような叫びが響き渡った。
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風呂に入る前に一悶着あったものの、叫び声におっかなびっくりして泣き出してしまった少年を慌てて泣き止ませ風呂に入る。そして、言葉を失った彼となんとか意思疎通を測ろうとペンを持たせた。
「……文字は書けるか?」
「…う」
「そうか。じゃあ、お前の名前は?」
眉をひそめつつ、真剣な顔でサラサラとペンを紙の上で滑らせる。それはもう几帳面で美しい
「……ベル・クラネル」
少年は首を大袈裟に縦に振る。そして『ベル』の部分を指さして「う、う」と伝えてくる。なんとなく、この子の意思表示が分かってきた気がした。
「ベル。これからよろしくな」
「………」
唐突にポロポロと涙を流し始めてしまうベル。遂には輝夜の胸に飛び込み、声を上げて泣いてしまった。
「当たり前か。心の傷はそう簡単に癒えるものでは無いよな……」
輝夜は優しく、泣き終え疲れて眠るまでベルの震える背中を撫で続けた。
寒空の下にポツリと立っている少女はさんさんと降る処女雪の上をゆっくり歩いている。周りに人はいるが、その周囲の人々の世界に少女は存在しなかった。
やがて立ち止まった先に見つけたもの。周囲の景色に溶け込むような白い毛に身を包んだ、光を無くした
少女は手を差し伸べ、兎は差し伸べられた腕の中へぴょんと跳ねる。
「あなたも………私と一緒?」
白兎を抱いた少女は歩き出す。雪吹雪に攫われ、2人の姿は見えなくなってしまった。