静寂と正義の狭間にて   作:あルプ

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月夜の涙

起きた時、空はもう真っ暗だった。流石に汗ばんで気持ち悪いので、布団から抜け出して水浴びをしに行こうかとベッドから起き上がる。すると、後ろから服を引っ張られた感覚があった。振り返るとベルが小さい手で私の服の裾をちまっと掴んでおり、寝ぼけ眼ながら『僕も連れてけ』と言わんばかりだったので布団から引き上げる。まだ眠いようで足取りも覚束無いが、それでも1人は嫌らしい。頑張って私の腰あたりにしがみついてヨタヨタと歩こうとするので、これでは浴衣がずり落ちてしまうと思い仕方なくおぶってやった。

そうして階下に行くと、クマをより濃くしたアストレア様とソファにふんぞり返るヘラの姿がそこにあった。アストレア様は拳を握って肩を竦め、歯ぎしりしながら、さながら反抗期の娘のようにヘラへと食ってかかろうとしている。だが、私がベルを連れて降りてくるのを見るやいなや、取り繕うとしてよろけ、近くのタンスに頭をぶつけて昏倒してしまった。

 

「アストレア様!?」

 

私は慌ててアストレア様の元へ駆け寄る。ヘラは「言わんこっちゃない」とため息を吐いている。二人の関係性は分からないが、アリーゼにベルを紹介させようとする目論見の前にこの2人を何とかしなければならないようだ。

 

「おい、ヘラ」

「なんだ小娘」

「アストレア様に何をしたっ!」

「金切り声でキーキーと猿のように喚くから窘めてやっていただけだ。それが何か?」

「アストレア様がなんの理由もなしにここまで動揺される事は無い!貴様が何かやったとしか考えられんだろう!?」

「知らん」

「このっ……」

 

いつの間にかベルはヘラの膝ですやぁと眠っているし、ヘラはあからさまに見下すような顔でこちらを見ている。田舎で3人、穏やかに暮らしていた数日前がまるで嘘のような変貌ぶりだった。まさに女王。傍若無人の権化。世界が自分を中心に回っていると思ってるかのような尊大さと傲慢さをひしひしと感じる。

 

「埒が明かんっ!」

 

私は話をぶった切り、アストレア様を部屋へ運んだ。氷嚢を用意して頭に乗せると、「ひゃいっ!!??」と可愛らしい声を上げて覚醒した。

 

「アストレア様っ!」

「輝夜………ふふっ、ありがとう。頭に血が昇ってしまったらしいわ。取り乱してごめんなさいね」

「いえ、そんなこと無い!明らかにあれはヘラが……!」

 

するとアストレア様は私の言葉を右手で制する。人差し指を優しく私の口元において、優しく語り始めた。柔らかな唇から紡ぎ出される言葉は、私を絶句させるには十分な衝撃を持っていた。

 

「元を辿れば、私の正義ってのはヘラが居たからってとこが大きいのよね」

「……は?」

 

言っている意味がわからなかった。神とは元からその神性を持ち合わせているのでは無いのか。

 

「勿論、天界に生まれ落ちた時から私は正義の女神だった。でも、正義ってなんなのか、自覚することは長いこと無かったわ」

「でも、ある日にそれは一変した」

「私の父は大神ゼウス。母はテミスと言ったわ。もちろんゼウスの妻の1人はヘラってことも知ってるわよね?」

「……はい」

 

私は衝撃を隠すことが出来なかった。と言うのも、極東では一夫多妻は多かったが、個々ではヘラの逸話が先行して禁忌だとばかり思っていたからだった。

 

「ヘラは浮気を許さない女だった。まあ……これは当たり前と言えば当たり前よね。でも、彼女は度が過ぎていた。他の女、そしてその子供を迫害し始めたの」

「はく、がい?」

「そう。未だほかの女なら分かる。でも、その子供にまで罪は無いわよね。他の子はほとんどがされるがまま。でも、私は皆を守るためそれに抵抗した。それが多分、私にとって初めての正義」

 

空いた口が塞がらなかった。柄にもなく目を見開き、何か言葉を発そうとしても上手く出てこない。

 

「やられたことは伏せるけどね。正直人に言えないようなことも多かった」

 

でも、ここまで穏やかになっているとそれはそれで腹が立っちゃってと苦笑いする。

 

「共に過ごせるかって聞かれると、それは難しい。正義を司る私の正義が揺れてしまうし、それは神として、正義の眷属を持つ者としてあってはならないこと」

「………酷いわよね。罵しられても仕方ないわ。この件に関して本当に自分勝手だもの。でも、大事な子供たちが亡くなった直後にトラウマの張本人がやってきたのだから……ゆるし、て・・・」

 

口角こそ上がっているが、沈痛な表情。汚れが目立つドレス、目には深く濃く刻まれたクマ。頬には涙が伝い、声は途切れ途切れ。もう限界だと、全身が物語っていた。

 

「アストレア様」

 

輝夜はそっと、ベッドに座るアストレアの横へ座り手を重ねる。冷たかった手が優しい温もりに包まれてゆく。

 

「私、アストレア様のことを勘違いしてました」

「……そうよね。幻滅したでしょう」

「いえ、その逆です」

「えっ?」

 

輝夜ははにかんだ笑顔でアストレアを見る。いつも女王のように振る舞う彼女からは想像できないほど、年相応の可憐さをその笑顔は持っていた。

それに魅せられたアストレアの頬の涙を人差し指で拭いながら、また口を開く。

 

「アストレア様は優しくて、いつも笑顔で嫌味ひとつ言わない。いくら善神であろうが、無理をしているのではと思っていました。無理をしてないならそれはそれで近寄り難い。正直、私にとって貴方は敬愛と崇拝、それと同じくらいの不気味さも感じていた。でも、それが今消えました」

「アストレア様、貴方は強すぎるのです。それ故に、私達に弱い所を見せなかった。行き過ぎた敬愛を示す私達を常に導くために、強く正しく有り続けた。私達はそれに甘え過ぎてしまってた。」

「アストレア様……もっと私達を頼って下さい。自分を責めないで下さい。1人で背負い込まないで下さい」

 

 

 

 

 

 

「私達も、アストレア様を護りたいのです」

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は満月。澄んだ空の中、月明かりに照らされた雫が優しい川に。

 

 

 

 

それはまるで夜空に煌めく天の川のような、夜闇に美しい流れを彩るものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※

 

ヘラはどうしたものかと頭を抱えて悩んでいた。少し考えれば分かることなのだが、輝夜の助力無しでヘラはこの街で生きては行けない。だが、ここに来てすぐ、己を目の敵にしていたアストレアが食ってかかって来た。私は冷静に振舞うよう努めたが、それがいけなかった。彼女の怒りをさらに焚き付けてしまったようだった。

いや、よく考えると当たり前だ。私だって憎んでいる相手が己の怒りに対して冷静であったら神経を逆撫でされ、逆上して食ってかかる。

でも、憎んでいる相手に対しては一挙手一投足が癇に障ることも理解しているから、結局はこうなっていただろう。いくら善神と言えど、やはりその許容範囲には限度があることだって流石の私も知っている。

溜息の音だけが虚空に広がる。私はベルの頭を撫でながら、ぽつりと呟く。

 

「とは言え、これからどうしたものか……」

 

私の掠れた声に対する返事は無い。ただただ誰からも拾われず霧散していくのみ。

一応、全てが元通りになる案もある。それは私がオラリオから出ていくことだ。そうすれば、ベルが路頭に迷うことも彼女の私という存在への懸念も無くなる。ここを出ていくのは痛くも痒くも無い。元々オラリオから追放されている流浪の身である。

 

ただ、ベルとは二度と会えなくなるだろう。

 

私が前述の決断を出来ないのはこれがあった。神の世界から下界に降り、殺されぬ限りは死なない【神】として何百、何千年と悠久の時を生きる私にとってその中のたった1つの小さな出会い。それに私は縛られている。最早呪縛と言っても良い。私を縛るもう1つの存在であるゼウスの子と、私の子との間に生まれた世間一般で言う孫にあたる幼い少年。実の親を早くに失い、目の前で育ての親を失った。この歳にして、人生で最も過酷な経験をしてきたこの子に残された唯一の肉親とも呼べるのがこの私。あの変態糞爺はどこかに行ってしまったし、この子が頼れるのは現状私と輝夜のみ。

 

この子の境遇を振り返るほど、捨ておくことは出来なかった。

 

散々考え抜いた末、出した結論。それは………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※

 

「おい、ヘラ。話があるからちょっとこっちへ……」

 

コツコツと乾いた木の音を鳴らしながら階下に降りてきた輝夜を出迎えたのは、白い紙に残された書き置きだった。

彼女の性格を表すような、傲慢でありどこか繊細な筆跡。残された手紙の中身は、彼女らしからぬ、でも結果的には彼女らしいものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ベルを連れてここを出る。輝夜、今まで世話になった。たまにベルはお前のホームに寄越してやる』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手紙をグシャリと握り潰す。呆れるほどに自分勝手。相談も無しに1人で全て決めてしまう。まさに傲岸不遜、冷徹無比の女王と揶揄されるだけある。

だが、今回は人……いや、神の為の自分勝手。

どこまでも、、

 

「クソッタレな女神だ………。いつも何時でも私にとって都合の悪い選択しかしない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悪態をつく口元には、月夜に光るもう1粒の雫が跡をつけて煌めいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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