ある日、ウマ娘のトレーナーにステージ4期の末期肺がんが発見されたというニュースが流れた。
ウマ娘ならまだしもトレーナーの疾病がニュースになったのは、そのトレーナーが『皇帝を越えた帝王』、『URAファイナルズ中距離部門初代覇者』であるトウカイテイオーのトレーナーだったからだろう。
『天才を最強にした』と称されるトレーナーの疾病の発表は世間に衝撃をもたらした。だけど当然、誰よりも衝撃を受けていたのは担当ウマ娘であるトウカイテイオーだった。
「先生、トレーナーは治るよね!? 治る……んだよね?」
普段は病院でトウカイテイオーが大声を出そうものなら、トレーナーから注意が飛んだだろうが、今はトレーナーは眠っており、その声もない。
普段しているであろうやり取りがないだけで、トレーナーの死を意識した自分の頭に、トレーナーはただ眠っているだけだ、と言い聞かせた。
「……トウカイテイオーさん。ステージ4期の末期がんというのは、様々な判断基準がありますが、概ね遠隔転移が見られる状況で、普通の手術等は身体への影響が大きく、行えないステージです。つまり抗がん剤治療や免疫治療でがんの縮小を目指し、ステージ3期以下の症状になった場合に手術を行います」
「ボクに出来ることはない!? ……んですか?」
「寄り添ってあげてください。がんの治療は……こう言うと根性論のようですが、諦めないことがすべてです」
「諦めないことだったらトレーナーは得意だよ! ボクがダービーの後に脚を痛めて菊花賞に出られないかもっていう時でもトレーナーは諦めなかったんだから!」
「そうですね。あなたのその
「うんっ!」
そしてすぐにトレーナーに対する抗がん剤治療が始まった。
副作用としてすぐに吐き気や発熱の症状が出た。
一週間もしないうちに食欲不振や下痢などの症状が出た。
二週間もしないうちに口内炎などの症状が出始め、一ヶ月もしないうちに脱毛や皮膚の角化などの副作用が出て、副作用が出るたび、トレーナーは精神的に弱っていった。
「トレーナー、お散歩行こうよっ! すっっごくいい天気だよ今日!」
「うん、そうだね」
「今日ネイチャがさ――」
「そっか」
トレーナーの口数は以前よりずっと少なくなった。笑わなくなった。下を向くことが多くなった。
◇◇◇
抗がん剤治療が続くある日、トレーナーが病室で泣きじゃくっていた。トウカイテイオーはすぐにトレーナーに駆け寄った。
「どうしたのトレーナー!? どこか痛いの!?」
「ううん、わたし、情けなくって……!」
「情けないってなにがさ! トレーナー情けなくなんてないよ! 治療も頑張ってるし、歩いたりだって出来るじゃない! ボク調べたけど化学療法って本当に大変なんでしょ! トレーナーは頑張ってるよ!」
きっとトレーナーは治療が辛くて弱気になっているに違いない、とトウカイテイオーは思った。トウカイテイオーは、応援が人に多大な力を与えることを知っている。しかし、一般論として「すでに頑張っている人間に頑張れという言葉は毒となる」ことも知っている。だから「頑張っている」。そう言葉をかけるのが一番だと思って激励した。
「そうじゃないの。テイオーはまだまだ未来あって、これからも強くなれるのに、もうすぐ死んじゃう私に付き合わせちゃって、それが情けないの!」
「……えっ……?」
しかしトレーナーから返ってきた言葉から伺える涙の真意はトウカイテイオーの予想とは全く違っていて、彼女はトレーナーが何を言っているのか、一瞬理解が出来なかった。
トレーナーは諦めない。トウカイテイオーはそう思っていた。まだトレーナーがトウカイテイオーのトレーナーになる前、模擬レースでシンボリルドルフに負けた夜のこともそうだし、日本ダービー後に脚を痛めて菊花賞への出走が絶望的かと思われたトウカイテイオーの脚を入念に気遣い、菊花賞への出走を叶えた件もそうだ。今のトウカイテイオーがあるのは、トレーナーが諦めなかったからなのに。
今のトレーナーは諦めてしまっている。自らが生きること、それそのものを。
「だから――」
「トレーナー!」
だから、に続く言葉がなんだったのかは分からない。分からないし、聞きたくもなかった。
しかし、どうしたらいいのかなんて分からず、とにかく、トウカイテイオーは自分のトレーナーが、生きることを諦めて死のうとしていることを認めたくなくて、抱きしめた。
「諦めないでよトレーナー! ボクはがんの辛さも治療の辛さも分からないから無責任かもしれないけど、それでも諦めないで、って言う! キミはボクのトレーナーなんだよ! 無敵のトウカイテイオーのトレーナーなんだ! 菊花賞の時だって、春の天皇賞の時だって、ボクはキミが諦めなかったからカイチョーを越えられた! 夢を叶えられたんだ! だから……!その!」
何を言いたかったのかも、分からなかった。とにかくトレーナーに諦めてほしくなくて、トレーナーはこんなにすごくて自分を支えてきてくれた、そしてトレーナーが凄い理由は、トレーナーが絶対に諦めないからだ、と言ったつもりだった。
「…………ありがとう、テイオー。励ましてくれて。弱気になってたね、私」
「……そ、そうだよトレーナー! 弱気になるなんてらしくないなー! これからもよろしくねトレーナー!無敵のテイオー伝説には絶対にキミが必要なんだからっ!しっかり頼むぞよ!」
「うん、そうだね」
トウカイテイオーの励ましで、トレーナーが生きる気力を取り戻していないことは、ひと目で分かった。
人の気持ちなんて全然察せられないほど、ボクが愚かだったら、こんなに辛い思いをすることなんてなかったのに。
◇◇◇
それからもトレーナーは日に日に弱っていった。医療用帽子を被り、トウカイテイオーと散歩をしたことも数えるほどしかなく、ほとんどは寝たきりの生活になった。
「カイチョー、ボクはどうしたらいいんだろう」
「
トウカイテイオーは自分とトレーナーの現状についてシンボリルドルフに話した。トレーナーに何もしてあげられない無力さから自分は調子を落とし、それを見たトレーナーが自分を責める、そんな悪循環に陥っている、と。
「ふむ、難しい問題だな」
シンボリルドルフの困り顔から、相槌とかじゃなくて、本当に難しい問題だと思っているんだと感じた。
「まず第一にテイオー、これはキミ1人で抱える問題ではないだろう。キミのトレーナーにも御両親やご友人といった、その人を想う人がいるのでは?」
「親御さんはもう亡くなってるみたいだし、友達もちょっとお見舞いにくるくらいで……今のトレーナーにはボクしかいないんだ……!」
トレーナーは少なくともこの3年間、トウカイテイオーに付きっきりだった。なんでそんなことが可能だったかを考えれば、自ずからトレーナー自身の交友関係を理解することができた。
「……そうか。確認だが、テイオーも、テイオー自身がこの問題を解決したいと思っている、これは間違いないな?」
「うん」
「ならばやはり私から言えることは少ない。ウマ娘とトレーナーは一蓮托生。ウマ娘の困難を共に乗り越えるのがトレーナーなら、トレーナーの困難を共に乗り越えるのがウマ娘であると、それを示すしかないように思う」
「トレーナーの困難を共に乗り越えるのがウマ娘……」
トレーナーがウマ娘にとっての杖である、なんて言われる。トウカイテイオーは、トレーナーを物だと思ったことなどなかったが、ウマ娘の杖が不調なら、その不調に向き合うのもウマ娘にとって大切なことなのかもしれないと思案する。
「どうしたらいいか、というキミの問いに答えられずすまないな」
「……ううん、ちょっと分かった気がする。――カイチョー」
「なんだ? テイオー」
「4月のファン感謝祭、エキシビションレースでボクと走って」
トレーナーがなぜ生きる気力を失ってしまったのか、その理由の全てはわからなかったが、しかし、あの時トレーナーは確かにもうすぐ死ぬ自分に突き合わせてしまうのが申し訳ないと言った。
それはつまり、自分につきあわせることで、つきあわせた期間トレーニングが出来なくて自分が弱くなったり調子を落としたり、伸びしろが潰されたり、そういうことが申し訳ないということなのではないか。
なら、そんなことはないということを、ボクの走りで示そう。
◇◇◇
「さぁいよいよ始まりますトレセン学園エキシビションレース!注目は前年有馬記念の再来、トウカイテイオーとシンボリルドルフ会長の再対決! 勝負の結果は果たして!」
「皇帝ー! リベンジ期待してるぞー!」
「帝王ー! 王座を守ってー!」
エキシビションレース当日は大盛況で学園のエキシビションレースにも関わらず報道が入るほどだった。とはいえ、それも王道距離路線のトップ2人であるトウカイテイオーとシンボリルドルフが走るのだから当然といえただろう。
歓声は気持ちいいものの、今日のトウカイテイオーは、絶対に一着が欲しかった。負けてもいいと思って臨んだレースはないけど、それでも今日だけは。
「テイオー。キミがこのエキシビションレースに並々ならぬ思いを持っているのは知っている。その上で私は勝ちに行くよ。大舞台ではないが、
シンボリルドルフは12月以降、いつかのトウカイテイオーとの再戦に向けてトレーニングを積み重ねていたはず。世間は皇帝が帝王に挑む構図を推しているが、挑戦者はきっとトウカイテイオーのほうだった。
「……負けないよカイチョー」
早々にトウカイテイオーに背を向けたシンボリルドルフに、トウカイテイオーは絞り出すような声で呟いた。
◇◇◇
「ゲートイン完了。各ウマ娘出走の準備整いました! さぁいよいよ始まります、トレセン学園エキシビションレース今……スタートしました!」
スターティングゲートはトウカイテイオーもシンボリルドルフも完璧だった。
シンボリルドルフはレースの前半、後ろめについて脚を溜める。いわゆる差しの走りを得意としている。しかしスタートが不得意であったり、出遅れがちというわけではない。むしろ完璧にスタートを切って、序盤少しオーバーではないかというくらいにスピードを出し、前に出る。序盤後方に位置取るはずの皇帝が思いの外前にいる。そうすると他のウマ娘は焦り、作戦を乱す。シンボリルドルフお得意の、ほかのウマ娘を牽制し、レースそのものを支配する走り。
今日もシンボリルドルフの威容に当てられたウマ娘が前に出た。シンボリルドルフはスッと後ろに下がり9人だての7番目、トウカイテイオーは4番目に位置取る。先行策、好位差しを得意とするトウカイテイオーは逃げのウマ娘2人と最初からペースの早いもうひとりの先行ウマ娘の後ろ。ここが一番だ。
(なんだ、テイオーの調子、悪くなさそうじゃないか)
周りのウマ娘を牽制したシンボリルドルフだが、今日はもとよりトウカイテイオー以外眼中にない。
今一度頂点へ。そのことだけを考えてこの4ヶ月を過ごした。久々に挑むものとしてトウカイテイオーを研究した。
トウカイテイオーは先行策を得意とし、脚を溜める差しの走りをしたシンボリルドルフと末脚を比べた場合、シンボリルドルフに軍配が上がるだろう。
つまりはシンボリルドルフはトウカイテイオーに逃げられるほど離されず末脚を残せれば良い。
(向こう正面から少しペースを上げてみようか)
「先頭から後方までおよそ10バ身ほど、コーナーを曲がります」
(バ群は長すぎず短すぎず。カイチョーはいつもどおり後ろめ。有馬記念と同じ。逃げの子たちに置いていかれず、カイチョーに差されないように。いつもどおりだ。いつもどおりだけど)
いつもどおりの走りをすれば良いとは言うが。いつもどおりの走りで今日の自分は勝てるほど調子が良いだろうか。調子は悪くないが、調子が悪くない程度で皇帝に勝てるだろうか。分からなかった。
(最後は……根性勝負だ。ボクらしくないけどそれでも良い、勝てれば。勝てればいい)
「さて」
そんな声が聞こえた気がした。きっとトウカイテイオー以外にも聞こえていただろう。向こう正面、まだスパートには早い地点でシンボリルドルフがペースを上げた。
それにともないバ群全体のペースが上がる。まずい。シンボリルドルフを、皇帝を前に出しては勝てない。そんな考えが全員にあったのだろう。
そうしてスパート前でトウカイテイオー以外のウマ娘は体力を残せなかった。
「さぁ直線、シンボリルドルフとトウカイテイオーの一騎打ちとなりました! さぁどうなるか、皇帝が頂点を奪還するか、帝王が王座を守るか!」
前述の通り末脚でシンボリルドルフに劣るトウカイテイオーも、他の全員と同じく中盤にシンボリルドルフの進出を許すわけにはいかなかった。
ラストスパートをかける体力はあるが、それもギリギリ。ダービーを勝ったときのように軽やかに踊るような走りとはとても言えない。息は絶え絶え、頭はブレているし、姿勢だって倒れそうなほど前傾で。
ここ数ヶ月のトレーニング量が違う、と諦めることだって出来ただろう。
それでも諦めたくなかった。シンボリルドルフより、トウカイテイオーのほうが勝ちたい気持ちが上だった。
着差はクビ差。トウカイテイオーの勝利だった。
◇◇◇
「……トレーナー」
「見てたよ、おめでとう」
「……ありがとう」
「……」
「……」
「……トレーナー」
「なあに?」
「キミはもうすぐ死んじゃうのに自分に付き合わせて申し訳ないって、そう言った。でもそれは違う」
「……」
「キミがっ……! キミが諦めなかったウマ娘、トウカイテイオーは! キミのことを諦めなくたって強いんだ! いや、キミのことを諦めなかったから今日のレースでは勝てたんだ! だから、だからさ、そんなに簡単に自分のこと諦めないでよぁ……! ボクには絶対キミが必要なんだ……!」
「……なんだか告白みたいだね」
そういってトレーナーが久々にクスリと笑った。それを見てトウカイテイオーは泣き腫らした目を擦って目を丸める。
「あのエキシビションレース見てる時ね。私なぜか泣いてたんだ。フォームもグチャグチャで、根性だけで走ってるようなテイオーとルドルフの競り合いを見てね。なんでなんだろうって思ってた。でもテイオーの今の言葉を聞いてわかった」
トレーナーが改めてトウカイテイオーに向き直った。
「私、今日テイオーは勝てっこないと思って見てたの。テイオーのトレーナーなのに。私にいっぱい付き合わせちゃってトレーニングも満足にできてないと思ってたから。でもテイオーは勝った。あの走りはテイオーが私に諦めないっていうのはこういうことだ、って示してくれてて、それが私にもまだ分かったんだね」
「トレーナー……!」
「もうちょっと前向きに頑張ってみようかな、って。思えた。ありがとう……!」
「トレーナー! そうだよ諦めずに頑張ろう!」
◇◇◇
その後もトウカイテイオーはトレーナーを支え続けた。トレーナーもトウカイテイオーの支えを受けながら出来る限りトウカイテイオーのトレーニングメニューを考えたり、前向きに生きた。
「トレーナー!」
「あ、テイオー。今日のメニューは終わった?」
「うん、トレーナーもはやく休んでね、頑張るのは良いけど無理はダメだからね!」
「わかってるよ」
日常。
「トレーナー、今日は何してるの?」
「うん、今日は遺書。あとはちょっとPCデータの整理とかも手をつけ始めたいかも」
「……」
「ちょっと、そんな暗い顔しないでよ、終活ってやつ。やれるうちに出来ることやっておいたほうがこれからどのくらい生きられるにしても安心して生きられるってなにかで読んだからやってるだけだから! あぁテイオー泣かないで!」
これも日常。そんな日常をトウカイテイオーとトレーナーはいくつも積み重ねることが出来た。
しかし、あまり食べ物を食べなくなったり、水を欲しがる機会が増えたり。時々なにかを見ているような眼差しをしたりだとか、いわゆる兆しのようなものが現れてから数週間。トレーナーは亡くなった。
「トレーナー……」
臨終の場に立ち会ったトウカイテイオーが、前よりも冷たくなったトレーナーの手を握り語りかけた。
「諦めなくたっていつかこの日が来るのはわかってた。わかってたけど……辛いね」
兆しがあったからだろう、心構えが出来ていたのか、トウカイテイオーは涙を流しはすれど、泣き崩れたりはしなかった。
「でもボクがずっと悲しんでることをトレーナーが望まないのも分かるんだ。だからボク、これからも頑張る。トゥインクルシリーズを走りきって、ドリームトロフィーリーグも走る。これから、何があってもボクは諦めない。だから見てて」
誇れるボクのトレーナーが諦めなかったトウカイテイオーというウマ娘は、これからも最強で無敵だから。
迷走(スペちゃんはトレーナーの死を乗り越えるために泣いたけど、テイオーには「自分の行為でトレーナーが充実した余生を過ごしたという実感を得る」ことで乗り越えてもらいたいなという衝動)と難産(ガン描写やレース描写などを要したため、衝動に対する力不足)とレオ杯育成という感じでした。
ただガンとレースは薄口な割に描写カロリーが高かったので今後は出来る限り使わない方向で行きたいな……。