One always proclaims the wolf bigger than himself.という言葉がある。これは狼を見た人はいつも大きく報告するということわざで、日本風に言えば幽霊の正体見たり枯れ尾花、といったところか。
怖い怖いと思って枯れ尾花を見ると幽霊に見えてしまう、という心理を語ったことわざだが、フジキセキは枯れ尾花を幽霊だと見間違えた人に対して、枯れ尾花で良かったね、とだけ言って済ませるのは間違っていると考える。
枯れ尾花が幽霊でなかったことは良いことだが、だからといって枯れ尾花を幽霊だと思って見た瞬間の恐怖は本物だからだ。しっかりと癒されなくてはならない。
長々とつまりどういうことかといえば、フジキセキはトレーナーに驚かされた仕返しを考えていた。
ことは昨日に遡る。
◇◇◇
「やれやれ……」
その日。正確にはその日と言えるほど一朝一夕に出来たものではなかったが、トレーナー室には山がいくつかあった。資料、書類、書籍、そういったものが高低差200mの坂か何かのようにそびえたっている。
そしてこれらが山と呼べるほど盤石のものであれば良かったが、崩れたこれらにトレーナーが何回か埋まりかけたこともある。そしてなにより最近トレーナーの咳が酷いように思う。もともと咳っぽいトレーナーだが、トレーナー室が埃っぽいのが原因ではないだろうか。それらをやんわりと指摘してもトレーナーは改善をしない。
ならばもうフジキセキが片づけるほかないだろう。
パイプ式ファイル、フラットファイル、クリアファイルは大量に用意したフジキセキは、見る見る山を崩していく。資料は同系統の内容をまとめ、書類はファイルごとに、書籍も資料と同様に同系統の内容のものを本棚の同じような場所へ。マザーグースの詩集なんてものもあった。こういうものを読むタイプだとは思っていなかったが、自分の影響だろうか。フジキセキは少し嬉しくなる。
そして山が丘へ、丘がちょっとした勾配程度の高さに変わったころ、一枚の紙がフジキセキの目に付いた。あまり見覚えのない紙だったが、記載されているのはトレーナーの健康状態のようだった。
「健康診断の紙……に近いものかな」
何の気なしにフジキセキは内容に目を通す。
そこにはステージ4期肺がんという診断が書かれていた。
「……え?」
フジキセキは驚いて紙を取り落とす。
なんだこれ。どういうこと。トレーナーが、がん? しかもステージ4期、つまり末期がん?
天地がひっくり返ったような感覚というのはこのことを言うのだろう。
茫然自失としたままフジキセキはその日、寮の自室に帰った。手には健康状態が記載された紙を持ったままだ。
せめて、せめて知りたかった。本当に末期がんなのか。だとして自分はあとどれくらいトレーナーと一緒にいられるのか。これでも自分はクラシック級、シニア級1年目と非常に話題になったウマ娘だ。トレーナーの担当ウマ娘であることを証明できれば親しい者として病院側から情報を貰えるかもしれない。
スマートフォンで紙に書いてあった病院を調べる。
そんな名前の病院は出てこなかった。
「……あれ?」
もう一度、誤字脱字が無いかを確認して検索する。やはり病院の名前は出ない。ということはつまりそんな病院はない、ということだろうか。
「つまりこれは……偽物?」
トレーナーがこんな偽物を作る理由を考えてみる。学園側への報告に使う、というのはまずないだろう。そんな虚偽報告をすればトレーナーが職を失いかねない。かといって学園以外でトレーナーの健康状態を気にする者。家族か。いやだとして何の意味がある。あのトレーナーに素行不良があるとも思えない。蒸発を目的とするということも考えにくい。だとして他に健康状態を気にする者なんて――。
自分だ。
と、いうことはこれは。これは、自分に対するドッキリか。
一気に身体の力が抜ける。少し泣きそうだ。良かった。様々な感情が溢れ出してへたり込んでしまう。深呼吸をした。
そして落ち着いてくるとちょっとした怒りの感情が沸いてくる。確かに自分はいつもトレーナーを驚かせている。普段の仕返し、というのも微笑ましいことだ。フジキセキとしても驚かされる側に回ることも別に忌むことではない。が、しかしこれはさすがにやりすぎというか、こんな仕打ちを受けたら、仕返しが必要な案件ではないだろうか。それも少し入念なものが。
◇◇◇
そうして冒頭に戻る。一晩考えたが、安心感が先行して入念な仕返しドッキリが思い浮かばなかったため、今日も考えているといったところだ。入念というのがいけないのだろうか。いくつかに分けてドッキリを仕掛けることで仕返しとするほうが良いのかもしれない。まずは、トレーナーがドッキリを仕掛けてきたタイミングでカウンター的に一つ、そう。トレーナーの予想をはるかに上回る号泣をするというのはどうだろう。そのあとなんちゃって、と舌を出せば動揺もするだろうし驚きもするだろう。
と、そんなことを考えたあたりでガラリ、とトレーナー室の扉が開き、昨日留守にしていたトレーナーが帰ってきた。
「フジキセキ、話したいことが……部屋を間違えたか」
「トレーナーさん? 間違ってないよ?」
「いや、でもうちのトレーナー室は資料、書類、書籍がそれこそ山のように積みあがっているはず……」
「その山なら私がちょっとした魔法でちょちょいのちょいと片づけておいたのさ。私はいつだって君に喜んでほしいからね」
「……そうか、それは……良かった」
「トレーナーさん?」
心なしか、しみじみと感じ入るかのような良かった、という呟きにこれは、と思う。
少し思わせぶりな態度。これはドッキリの前触れだと確信する。そうに違いない。そういえば紙には肺がんとあった。そう考えると最近咳が酷そうだったのも、これの複線だったのだろう。
「フジキセキ、これを見てくれ」
「トレーナーさん、これは……?」
これを待っていた。あとは然るべきタイミングで計画通り号泣しよう。
トレーナーから差し出された紙には昨日見た紙に書いてあったことと同じことが書いてあった。ステージ4期肺がんの診断。
そして、診断の病院名にはフジキセキも知る大きな病院の名前があった。
――つまり、これは本物だ。
「……え……?」
「……ステージ4期、つまり末期の肺がんだ。……余命は3か月らしい」
つまりフジキセキがドッキリだと誤解したのはこういう理由らしい。
体調の変化を感じたトレーナーは一度小さな病院――検索エンジンにも引っかからないような病院、で診断を受けた。その際、レントゲンでステージ4期の肺がんを診断された。しかし医者から改めて大きな病院で診察を受けるよう言われて、昨日それに行ってきたと。そして改めて末期肺がんの診断を受けた。
ドッキリなどではなかった。改めてフジキセキは天地がひっくり返ったような感覚に襲われる。しかし。
「そう……なんだ」
トレーナーが見ていたからだろうか。それともその衝撃を受けるのが2回目だったからか。はたまたその両方か。へたり込んだりせず、フジキセキはあくまで動揺しただけというポーズを保つことが出来ていた。
一世を風靡したスターウマ娘、フジキセキのトレーナーが末期のがんであるというニュースは学園内のみならず世間を驚かせた。
その当のトレーナーはというと、抗がん剤治療をしつつも、フジキセキの手を借り、粛々と終活を進めていく。
「悪い、フジキセキも動揺しているだろうに。抗がん剤治療を始めてからさすがに身体が動かなくてな……」
「いやなんの。ヴォードヴィルはいつか幕を閉じるものだ」
それに、とフジキセキは手を止めトレーナーに向き直る。
「トレーナーさんは舞台袖で私と共に在ってくれた大切な人だ。なら私もトレーナーさんにとって舞台袖にいる者でなくちゃいけないと思う。ヴォードヴィルがこれからも続くならそれを支え、幕を閉じるなら相応の閉じ方を模索する。ともあれトレーナーさんが納得いく形なら私はどういう結果も受け入れるさ」
「そうか、そう言ってくれると……少しは気が楽になるよ」
君を遺して逝かなくてはならないのが心残りだったから、とトレーナーは力なく笑った。
……その笑みに対して、自分はいつものような笑みで返せているだろうか。
納得などしていなかった。受け入れたくなどなかった。ただ、受け入れることがトレーナーの重荷を減らすだろうと考え、そう振舞っただけだ。
だっておかしい。私は1人だと思い込んでいた1人じゃないウマ娘だったのに、トレーナーは自分を担当している間、1人でその身体の違和感と戦い続けていたということではないか。それはあまりにも不幸で、不公平ではないか。
「おや……これはバッジ入れかい?そういえば、君の落としたトレーナーバッジが、私たちの出会いの始まりだったね。ふふっ、懐かしいな」
そんな内心とは裏腹に、口が勝手に思い出を振り返るような言葉をこぼす。これではまるで私がもうトレーナーとの別れを認めているようではないか。
いや、これでいい。トレーナーが受け入れているのだったら共に受け入れろ。トレーナーの心残りになるな。笑え。
そうしてフジキセキとトレーナーの日常において、フジキセキは表面上何も変わらなかったかのように過ごした。
そして、そんなある日、フジキセキは美浦寮長であるヒシアマゾンに声をかけられる。
「……なぁ、フジ。ちょいと今夜面を貸しとくれよ」
言葉だけ聞いたら喧嘩の誘いのようだが、ヒシアマゾンはタイマンが好きなだけで喧嘩が好きというわけではない。喧嘩の誘いでないことはすぐに理解できた。
「おや、ヒシアマ。何か相談事かい?」
「いや、まぁちょっとね。それでどうだい? 空いてるかい?」
「うん、空けておこう」
普段は果断と言って差し支えないヒシアマゾンの少し切れの悪い返事が気になりはしたが、フジキセキは夜の約束を了承した。
その夜。
「で、話っていうのは?」
「単刀直入に言うけどフジ、アンタ無理しすぎちゃいないかい?」
「……無理、というと?」
「アンタ、自分のトレーナーがもうすぐ死ぬっていうのに普通過ぎる。絵にかいたような無理な振る舞いだよ、それは。アンタまた自分が1人だと――」
「……だとして」
「ん?」
「だとしてどうしろっていうんだい!?」
聞いたことがないようなフジキセキの怒声にヒシアマゾンは気圧される。フジキセキはヒシアマゾンの胸倉を掴みかけていたことに気が付き謝罪した。
「――! ごめん、ヒシアマ」
「いいけど……アタシくらいには聞かせちゃくれないかい?」
「いや、私はいつも通りさ。いくら親しかろうと人はいつか死ぬものだもの。……ごめんね、ヒシアマ。用事を思い出した」
「お、おい、ちょっと!」
手品の種が割れていたところで、手品師はそれを原因にステージから降りることなど許されない。エンターテイナーは最後まで観客を楽しませるという心によってこそ、エンターテイナーたりえるのだから。
こんなことがありつつ、フジキセキは"フジキセキ"らしくトレーナーとの最後の日常を送り続けた。
「遺書はこれでいいのかい?」
ずいぶんと薄い遺書を箱に入れながら、フジキセキはトレーナーに尋ねた。
「あぁ。まぁ、もとより言葉を遺す相手もいないしな」
「そうかい? まぁ、トレーナーさんがそう言うなら」
ある日も。
「家財の処分、終わったよ」
「悪いな、こんなことまで」
「なんの、お安い御用さ。でもこれからトレーナーさんは籠の中の暮らしというわけだね」
「あぁ、そうだな。――まさか俺がジュリエットになるとは」
「ふふ、ロミオをご所望なら喜んで。ご入用ならロレンスも演じようじゃないか」
「……新郎と神父の一人二役は無理があるんじゃないか?」
そして別れの日も。
「トレーナーさん」
「……あぁ、フジキセキ……」
「うん、ここにいるよ、トレーナーさん」
「ふ、最後に何を言うかとか……考えてなかったよ」
「……あなたの舞台が良いものであったと思えるのなら、きっと、言葉なんて要らないんじゃないかな、トレーナーさん。一つ礼をして、それで終わり、というのもそれはそれで」
「……そうだな。フジキセキ」
「……はい、トレーナーさん」
「今まで、ありがとうな」
「…………うん、こちらこそ」
そしてフジキセキの言葉を聞いたトレーナーは、満足そうに目を閉ざし、息を引き取った。
「薔薇は赤く、スミレは青く、砂糖は甘く、あなたは素敵だ。……私は、本当にそう思っていたんだよ。トレーナーさん」
いつかのバレンタインにフジキセキがトレーナーに言った言葉。あの時のトレーナーはこの言葉を知らなかったのか、自分の思ったような反応をしてくれなかったが……今だったらどうだろう。
誰もいなくなってしまった病室で、フジキセキは初めて涙を流した。
◇◇◇
トレーナーが亡くなり、死後の色々がひと段落した頃。
「フジ、これ」
ヒシアマゾンがフジキセキに何かを差し出す。
「おや、ヒシアマ。……これは?」
差し出されたものは封筒に入った手紙のようなものだった。
「アンタのトレーナーからの預かりものさ。中身は見てないけど手紙かなんかじゃないかな。自分が死んだら渡してくれ、って言われてたのさ」
「……ありがとう。あとで読ませてもらうよ」
「おうさ、アンタは1人じゃないと泣けないだろ」
「そんなことは……いや、あるかもしれないね」
その夜、フジキセキは封筒の封を開けた。
フジキセキ。この手紙を読んでいる時、俺はもうこの世にいないだろう。ヒシアマゾンにそう頼んだからだが。一度言ってみたい言葉だろ、これって。これは遺書というより君に対しての最後の言葉を少し綴ったものだ。あまりこの手紙の言葉を負担に思ったりはしないでくれ。
まず、俺ががんだということが発覚しても、いつも通りだった君に感謝を。君のおかげで俺は良い最後を迎えることと思う。だが、同時に心配もしている。君は良くも悪くも演技が上手い。エンターテイナーのフジキセキである前にウマ娘のフジキセキを想う人がいるということを忘れないでくれ。
この3年間、いついかなる時も俺を楽しませてくれた君に感謝を。この3年間、俺も1人ではなかった。これからの君もいついかなる時も1人じゃないということを覚えておいてくれ。君にはヒシアマゾンも、君がポニーちゃんと呼ぶ君を慕うウマ娘たちもいる。
最後に、君のこれからの人生に幸があり、順風満帆であらんことを祈って。
薔薇は赤く、スミレは青く、砂糖は甘く、そしてあなたも。さようなら、フジキセキ。
「……っ!」
自分が無理をしていたこと、トレーナーさんにはバレていたようだ。きっとヒシアマも本当はこの手紙を渡してきたトレーナーさんの顔を見て私の無理を察したんじゃないだろうか。
トレーナーさんは1人じゃなかった。1人で暗闇の中、戦っていたわけではなかったのだ。良かった。
トレーナーさんは私の人生に幸があるように祈ってくれた。……後を追うことという選択肢が、一瞬でも頭をよぎらなかったと言えば嘘になるが、この手紙を読んでそんな選択肢は無くなった。
薔薇は赤く、スミレは青く、砂糖は甘く、そしてあなたも。トレーナーさんは私を愛していてくれていた。
「なら私、これからも。これからも頑張るよ、頑張る。頑張るから見てて。トレーナーさん。いつかまた会った時に、私のヴォードヴィルは最高だったって、胸を張れるように」
Roses are redは一般に愛を伝える常套句で、バレンタインのシーンでフジキセキが「薔薇は赤く、スミレは青い。砂糖は甘く、あなたは素敵だ」という訳でトレーナーに対して発言しています。
そのシーンではトレーナーはその言葉に特段反応しないんですが、のちにRoses are redの意味を知り、どう返すのが正解かを考えた時に「バラは赤く、スミレは青く、砂糖は甘く、そしてあなたも」というRoses are redの最も一般的な訳で返すのが一番綺麗だと思い最後の手紙に記した、という妄想が今回の下地に存在します。