トレーナーのバイクでトレーナーとタンデムする。欧州に行く前からやっていたため、始めてから割と長い。もう日常と言っていいだろう。
「まだ……信じらんねえよ」
「なに、ウオッカ! なんかあるなら大きな声でお願い!」
「……なんでもねぇ!」
変わらず日常を過ごしているとどうにも実感が沸かない。トレーナーがもうすぐ死ぬなどと。
バイクで走っていると涼しいが、止まるとライダースーツが少し暑い4月の夜。夜桜を脇目に、公道の制限速度をしっかり守りながらも爽快感は感じる速さでトレーナーはバイクを駆る。ハンドルを握るトレーナーは、欧州から帰ってすぐ、余命の宣告を受けていた。
余命の宣告を受けたトレーナーの姿をウオッカは忘れないだろう。
口では「まぁ、そういうこともあるかぁ」と言っていた。口元は困ったように笑っていた。しかし目は大きく開いていた。
「さて、私には余命が宣告されました!」
余命の宣告を受けた次の日。トレーナーの開口一番はそんな言葉だった。はい拍手、とでも続きそうな調子の言葉にさすがのウオッカも言葉を失う。
「というわけでトレーニングメニューを組みなおしてきました。病院とか体調悪いとかで私がいない日のトレーニングはこれでお願いね。それから――」
「お、おい!」
そしてウオッカが唖然としているのをいいことにトレーナーはどんどん話を進める。さすがに待ったをかけた。
「アンタ、余命宣告受けたばっかなのに、そんな、大丈夫なのかよ!? ってか余命宣告ってどういうことか、わかってんのかよ!」
「分かってるよ」
激したウオッカの目を見るトレーナーの目は、穏やかかつ優し気でありながら、形容しがたい強さのようなものに満ちていた。
「だからこそ、変わらない日常を過ごしたいんだ。心残りがあるからね。ウオッカと行きたいのにまだ行ってないところがたくさんある。見せたい景色もたくさんある。教えてほしい場所もたくさんある。だから凹んでなんていられない。忙しいんだから」
アンタ、ほんとにつええな、とウオッカは心の中でため息をついた。そしてブレずにその意志を貫き通す様は、自分の目指すカッコいい生き様そのものだとも。日頃から自分のことをカッコいいと言い続けるトレーナーは、ウオッカが目標とする強さとカッコよさの両立を果たしていた。
どうすれば自分もそうなれるだろうか、そしてそんなカッコいいトレーナーが余命を宣告され、これから困難に直面するであろう、そんな時に支えになれるようなウマ娘でありたいと考えたとき。
大人になりたい、とウオッカは初めて思った。
◇◇◇
「なぁ、トレーナー」
「ん、なに?」
走行途中、見つけた自販機の側にバイクを止め、ちょっとした休憩をしている最中にウオッカはトレーナーに尋ねた。
「大人って、どうしたらなれんだろう?」
「おっと、難しい話が来たね」
フルフェイスのヘルメットを外しコーヒーに口を付けたトレーナーが、驚いた様子でこちらを見やる。
「まず答えは一つじゃないと思うんだ。だからこれは私の持論ね」
トレーナーはいつもそうだ。打てば響くとはおそらくこのことで、ウオッカの質問や要求にすぐに応えてくれる。トレーナーとウマ娘は一心同体だからね、なんでも頼ってよ、というトレーナーの言葉に頼りっぱなしの形だ。
「大人になるっていうのは……子供でいられなくなることだと私は思う」
「子供でいられなくなる? じゃあ大人ってのはやむを得ずなるもんなのかよ」
「うん、私はそう思う。社会に出ると色々あるわけですよ、手続きとか納税とか、まぁそういう面倒くさいことがさ。昔は親がやってくれてた色々を、全部自分でやらなきゃいけなくなってくる」
「あぁ」
生返事だ。そこらへんはまだよくウオッカには分からない。レースに勝てば賞金が出るが、その賞金は一度トレーナーが預かり、将来のための専用の口座に貯金されている。税金やそういったことも基本的にはウマ娘ではなくトレーナーが管轄している。
「そういうの一個一個、面倒くさいなぁって思いながら受け入れていって――」
そこで何かに気が付いたようにトレーナーは言葉を区切った。
「あぁ、そうだ。わかりやすく一言で言うと、受け入れていくことだよ、大人になることっていうのは。少なくとも私はそうして大人になったと思う」
本当に大人なのか、って言われると今でも分からないけどね、と一言トレーナーは付け加えた。
「じゃあ俺も何かを受け入れていけば大人になれんのか?」
「私としてははじめて私とウオッカが会った時から比べるとウオッカもめっちゃ大人になってると思うけどね。っていうかなに、ウオッカ大人になりたいの? なんで?」
「いや、その、なんていうか……ちょっと気になっただけだ!」
会った時から比べると大人になっていると褒められたことによるものと、トレーナーに憧れて大人になりたいと思ったとは本人の前で言いにくいという二重の照れを隠すウオッカ。自分でもこりゃ大人には遠いなと内心失笑した。
「ま、なる時にはなるもんだよ、大人になんてね。じゃ、行こっか」
照れ隠しをするウオッカを、トレーナーは見守るように微笑んだ。
◇◇◇
それからウオッカの様々なことを受け入れる日々が始まった。
「やっぱキツイなぁ抗がん剤。いや、キツイとは聞いてたけどよもやよもやって感じ……」
「身の回りのこととかでなんか困ったことあれば言えよ、俺がどうにか出来ることはしてやるからよ」
「あんがてぇ……じゃあまず5000兆円欲しいな」
「そんだけ軽口叩けりゃ平気だよなぁ?」
(でも5000兆円はまだしも……結局のところ、俺は何にもしてやれねえんだな……)
苦しむトレーナーに対し、直接的に何も出来ないことを少しずつ受け入れた。
「あら、ウオッカ、今日は1人?」
「おう、スカーレット。トレーナー、今日は病院だ」
「……そういえばそうだったわね。その……なんていうか、気を落とさないでね」
「うわ、どうしたお前急に気味悪ィ」
「はぁ!? 心配してやったのに何よその言いぐさ!」
トレーナーが傍らにいない、1人でのトレーニングや毎日を少しずつ受け入れた。
「おう、トレーナー、来た――トレーナー?」
ある日、久しぶりにトレーナーとのトレーニングが可能ということでウオッカはトレーナー室を訪ねた。
「――ッ! ウオッカ、ちょっと待ってね」
トレーナーが泣いていた。頼りになる相棒の涙を見てウオッカも少なからず動揺する。
「お、おい、大丈夫かよ、どっか痛むのか?」
差し当たって考えられる可能性を尋ねる。痛みで涙を流すような人物だとはあまり思っていないが、抗がん剤治療というのは辛いらしいからありえない話ではないだろうと考えた。
「いや、ちょっとあんまり眠れてなくてね。あくび連発してたらこの有様って感じ。ちょっと待ってね、涙拭くから」
「――そうかよ」
(ぜってー嘘じゃねえか)
ごまかされているのは明白だった。しかし、かといって自分に何が出来るだろうか。
頼りになるトレーナーが本当は弱っていること、そして弱っている時に自分を頼りにしてくれないことを受け入れるほかなかった。
◇◇◇
(俺がもっと大人だったら、トレーナーも頼ってくれたのかな……)
大人という言葉が日々ウオッカの中で大きくなっていく。
トレーナーが死ぬ。これを受け入れられればウオッカは大人と言えるだろうか。そんな思考が頭の中でぐるぐるとめぐり、ウオッカは頭をかきむしりながら叫んだ。
「あぁーーーーー!!!!」
「わッ、何よ急に大きい声あげて!」
同室のダイワスカーレットにも当然ながら驚かれた。
「あ、わ、わりぃ」
「アンタ、最近……ってそうよね、ごめん」
「あぁ、そんな気を遣わないでくれよ、ムズムズすっから」
「で、でも」
「……うーん、だったらちょっと聞いてくれよ」
そう言ってウオッカはダイワスカーレットにことの顛末を話した。余命の宣告を受けてもブレずに自分のやりたいことをやろうとするトレーナーの強さとカッコよさに改めて憧れを抱いたこと。自分もそうなりたいと思ったこと、そして自分もそうなるため、また、そんな憧れのトレーナーを横で支えるために大人になりたいと思ったこと。
そして大人になるにはどうすればいいかをトレーナーに聞いたところ、自分は色々なことを受け入れて大人になった、と言われそれから様々なことを受け入れるようにしてきた。
しかし、トレーナー室でトレーナーが泣いていた時、ごまかされてしまった。それで色々と分からなくなった、と。
「って、こんなことお前に話すなんて、俺も大概参ってんな……」
「そうね。アタシも話を聴いててアンタ参ってるんだな、って思ったわ」
「おい」
「だってそうでしょ。いろんなこと受け入れて大人になろうなんて、アンタらしくない。そりゃ受け入れなきゃいけないことだって、世の中にはたくさんあると思うわ。――気を遣うなって言ったから気を遣わず言うけど、アンタのトレーナーさんが亡くなることだって、避けられないことかもしれない。でもそれを受け入れるんじゃなくて乗り越えるのが、アタシの知ってるアンタだわ」
「……」
「……ウオッカ? ちょっと言いすぎちゃった……?」
「……いや、平気だ。あんがとな、スカーレット。ちょっと、なんかわかった気するわ」
「そ、そう。なら良かったけど」
「じゃ、おやすみ」
「……えぇ、おやすみ」
翌日。ウオッカはトレーナー室にいたトレーナーに声をかけた。
「トレーナー、ちょっといいか」
「お、ウオッカ。どうしたの?」
「これからちょっと……そのこっぱずかしい話をする。わりいけど聞いてもらっていいか?」
「うん、わかった」
トレーナーはいつもそうだった。普段は冗談を言ったり飄々としているタイプなのに、ウオッカが真面目な話をしたいときはその気配をしっかり感じ取って、決して茶化したりしない。
そしてウオッカは昨日スカーレットに話したように、トレーナーにもすべてを話した。トレーナーは相槌だけを打ちながら真摯に耳を傾けた。
「スカーレットに言われて気が付いたんだよ、俺はそういうヤツだって。認めたくねえモンは認めたくねえ。受け入れたくないモンは受け入れたくねえ。でもそういうこと、認めなくても、受け入れなくても、乗り越えてここまでやってきたって。トレーナー。俺はつれえこといつまでもナヨナヨ引きずるダセえウマ娘かよ?」
「いいえ」
「そんなよええウマ娘かよ」
「いいえ」
俺はダセえか。弱いか。そうウオッカに聞かれたトレーナーはハッキリと否定する。
「そうだよね、本当にそう。ごめん、ウオッカ。トレーナーとウマ娘は一心同体とかなんとか言いながら全然ウオッカに頼れてなかったし、最近は私の死をウオッカは乗り越えられるのかなとか、そんなふやけたことばっかり考えてた。ウオッカがそんな弱いウマ娘じゃないっていうの忘れてた」
「あぁ」
「だから、これからはちゃんと一心同体で行こう。いっぱい面倒かけるだろうけど、よろしくね」
「あぁ、俺たち2人、最後までタンデムで行こうぜ」
◇◇◇
「なんてこともあったねぇ」
「あぁ、そうだな」
そう昔のことでもないのに、昔を懐かしむように語るトレーナー。すっかり細くなったトレーナーの手を握りながら、ウオッカは優しげにうなずく。
「あぁ言ってみてどうだった? 手間のかかるトレーナーだったでしょ」
「んなこたねえよ、アンタはいつでも……いつまでも、頼りになる俺のトレーナーだ」
「ふふ、お世辞なんてどこで覚えたの」
「そんなんじゃねえって、マジだ」
「……」
「……トレーナー?」
「……ん、大丈夫、だよ」
「……疲れたなら、寝てもいいぜ」
「…………そう、だね、そろそろ、そうしよう、かな」
そう言ってトレーナーは目を閉じようとした。
「……待ってくれ、トレーナー!」
「どうかした……?」
「今まで、本当に、本当に、ありがとうございました!」
「……うん、こちらこそありがとう、ウオッカ。誰よりも先に、あなたのカッコよさに惚れられたことを、私は誇りに思うよ」
そう言ってトレーナーは今度こそ目を閉じた。
ウオッカはいつまでもトレーナーの手を離さなかった。