仮面探偵事件録~赤き宝石~   作:クレナイ

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  4月3日 地球 有馬市

 

 

 通達が行われてからすぐさま準備に取り掛かった。

 最低限必要なものや、生活する場所などは上の方で計らってくれたようだった。後から知ったことであるが、やはりその世界をよく知っているものがよいということで、準備などの計らいをしてくれたのはリンディ・ハラオウン統括官だった。

 そのためはやてが自分から動いてすることはほとんどなかった。

 リンディははやてにとっては長い付き合いの人物であり、今もこうして普通に生活出来ているのは彼女のおかげでもある。

 地球に出発する前夜、彼女からの通信があり、久しぶりに面と向かって話をすることができた。『久しぶりね』その言葉に始まり、お互いの近況について話し合った。リンディの方もはやてよりもさらに上の階級であり、複雑であるためになかなか大変だという。とはいえ疲れた顔一つせずに話をするのは彼女なりに気遣ってくれているからだろうと思った。

 

『はやてさんは今年で17になるのよね』

 

 その歳といえば地球においてはまだまだ高校に通っている年齢だ。今の地球では中卒の状態で職に就けるなどというのはほとんどない。しかしはやてだけでなく、彼女の友人でもある高町なのはとフェイト・T・ハラオウンもまた同じく高校は通わずに中卒止まりである。

 あまり気にしたことはないが、改めて考えてみると普通なら絶対にありえないことなのだと思った。もしこの職を失ったのなら苦労することは間違いない。改めて自分が普通とはかけ離れた人生を歩んでいるのだと知ることができた。

 はやてはふと考えてみた。

 もし自分が「夜天の書」の主にならず、両親も生きていて普通に一人の女の子として生活していたのならどうだったのだろうか、と。

 やはり高校にも通い、友だちと他愛もない話題で盛り上がり、背伸びするように服装や化粧などに手を伸ばしてみたり、憧れの男子に告白したり、逆にされたり。色んなことを考えた。

 そっちの方もええかもな。

 魔法とは関わっていない自分をイメージて見て、思わず顔を緩ませる。

 

『あら、やっぱり女子高生には憧れがあるのかしら?』

「ありますよ、やっぱり。別に今が嫌だってわけやないです。でも確かに高校にも通っても悪くはなかったかなーって思ったんです」

 

 はやての表情の僅かな変化を読み取り、リンディがそう尋ねてきた。

 当然ですと言うように、はやては胸を張りながら言う。

 もちろん今の家族との生活、充実している仕事が嫌だというわけではない。ただ純粋に憧れているのだ。華の高校生と呼ばれるように、自分もそんな風な高校生活を送ってみたかったと思っただけだった。

 

『あなたも、なのはさんもフェイトもみんな中卒なのよね。もう少し地球の生活を楽しんでも良かったと、私は思うんだけど』

 

 リンディ自身はここミッドチルダ出身であり、名家であるハラオウン家の一人だ。魔導師としての高い素質があったために、はやてたちほどではないが、当然のように10代前半からすでに局員として働いていた。

 そのために魔法学校の初等部は卒業していても、それより上の中等部や、高等部といったのには通わずに、すぐに訓練校に入学していた。だからはやてたちの気持ちというのは分からないわけではなかったのだ。

 そのためににやりというような、何か企んでいる笑みを浮かべた。

 なんやろ、ものっすごく嫌な予感がするんやけど……。

 はやてはモニター越しにでもヒシヒシとそんな感覚を感じていた。

 

「リンディさーん? 私、ちょーっと準備があるんで、今日はそろそろ――」

『そんなこと言わないで――はい、これ!』

 

 そう言ってモニター一杯に映ったのは――。

 

「何で、こんなことになったんやろ……」

 

 はやては昔からあるこの“桜華荘”というアパートにある自室に置いている大きめな鏡を前にして自分の今の服装を見つめていた。

 紺色のセーラー服に、やや丈の短いスカート。黒いソックスに胸元には赤いリボンがある。

 そこには女子高生の格好をした八神はやての姿があった。

 

『きっと似合うわよ!』

 

 サムズアップ付で太鼓判を押したリンディの姿が思い出される。

 まさかあの時今日からはやてが通うことになる有馬第一高等学校のセーラー服が映し出されるとは思ってもみなかった。

 まさか高校に通うことになるなんてなぁ……。

 苦笑いを浮かべつつも、似合ってるのではないかと自画自賛する。

 憧れの女子高生として僅かな期間とはいえ過ごすことが出来るのは疾風にとっては小さな夢がかなったのと同じくらい、嬉しいことだった。

 

『え、いいなぁ……はやてちゃんだけ』

『羨ましい。楽しんできてね、はやて』

 

 このことを友人二人に伝えると、二人とも羨ましそうに言ってきた。二人だって年齢的には高校に通っていてもおかしくないのだが。

 そんな風にして数日前のことを思い出していた。

 左手首につけている腕時計を見ると、すでに針はそれぞれ7と9を指していた。

 7時45分……アカン!

 慌てて朝早くに起きて作っておいた弁当の入った弁当箱をナプキンで包み、手に取る。いすにおいておいた鞄を肩から提げ、叫ぶ。

 

「リイン! そろそろ行くで」

「はぁい!」

 

 奥の部屋からヒューンッというように飛んできたのはマスコットサイズの女の子だった。銀髪に透き通るような蒼い瞳をしている。

 リインフォースⅡ――。

 はやてのユニゾンデバイスであり、「蒼天の書」と呼ばれる魔道書の管理人格者であり、大切な家族である。

 リインは肩から提げられている鞄の隙間に入り込む。学校で生活している間は人形として振舞ってもらうことにしていたのだ。

 

「はやてちゃん、楽しそうですね」

「そう見える? 確かに楽しみやね」

 

 笑顔で言う吏員に対し、同じくはやても笑顔でそう返答する。

 玄関を出て、鍵を閉める。しっかりと戸締りしたことを確認して、二階から階段を使い、下にあるバスの停留所へと急ぐ。

 カンカンと階段を降りる音がする。

 下に降りて停留所に向かうと、そこにはすでに先客がいた。制服に身を包み、鞄を地面に置いて、どことなく空を見上げている少年だった。

 だがその少年は制服のボタンを一つもかけずにただ羽織っているだけで、その下のワイシャツのボタンも第二ボタンまで堂々と外しており、胸元をはだけさせている。

意識的にそうしているのか、それとも単に面倒くさかっただけなのか、はやてには分からない。

 眠たそうに時折大きなあくびを隣にはやてがいるにも関わらずにしている。

 慌ててきたのか、髪の毛はまるで鳥の巣のように寝癖頭である。

 世間では無造作ヘアーというものも流行っているらしいが、隣にいる彼の場合はとてもそうとは思えなかった。

 顔は決して悪いわけではなさそうだ。だがその格好が逆にそれを零に、それ以下にしてしまっているように思えた。

 

(はやてちゃん、はやてちゃん)

(なんや、リイン? どないしたん?)

 

 リインが念話を使い、話しかけてきた。

 流石にはやてやその友人であるなのはというように、管理外世界、更に魔法文化の低い地球に住みながら飛びぬけた魔導師としての資質を持つような人間がそう多くいるわけではないが、流石に今はマスコット人形と化しているリインが喋るのはまずいと思い、念話を使っているのだ。

 

(時々ですが、この人から視線を感じるです……)

(なんやこの人、リインに惚れたんやないか?)

(な、な、何を言ってるですか、はやてちゃん!?)

 

 はやてがわざとそう言うと、素直に受け取ってしまったのか、リインは露骨にワタワタと慌てる。小刻みに動いたために、少しだけ鞄が動く。

 隣に立つ少年の横目がすっと動き、視線を鞄の隙間に入っているリインに向けられる。

慌てて誤魔化すようにはやてはその鞄に手を入れ、携帯電話を取り出し、メールが来たフリをする。

カタカタとボタンを押しながら返信するフリをしながらチラリと横に立つ少年に視線を向ける。

すでに視線は再び空の方に向けられており、こちらには目もくれていなかった。

 

(あ、危なかったですぅ……)

(ちょっとからかいすぎたで……)

 

 冷や汗をかいた。

 偶然とはいえ、助かったと思った。

 車が近づいてくる音が聞こえた。視線を向けると通学用のバスがやって来たのだ。時計を見ると確かにその時間になっていた。

 バスがはやてたちの前に止まる。ドアが開き、少年に続いて中に入った。

 

 

  4月3日 地球 有馬市 有馬第一高等学校

 

 

 学校の校門前に着いたはやては料金を払ってバスを降りた。

 同じバスに乗っていた少年はすたすたと学校の方に歩いていってしまった。取り敢えず自分も学校に向かい、まずは職員室に行かなければと思った。

 何から何まで、ほんま感謝しなあかんな……。

 学校の編入手続きなども、ほとんどリンディが手を回してくれたのだ。

 鞄をもう一度持ち上げ、一人の女子高生として、初めて校門を潜った。

 はやてが中学まで通っていた私立聖翔大学付属には初等部から大学までが一緒にあった。あまりよく見たことはなかったが、高等部の校舎も大きかったように思う。

 ここ有馬第一高等学校はそれに比べて公立であり、付属の学校ではないためにそれほど大きくはなかった。それでも学校を取り囲むようにして桜の木々が立ち並んでいるのが見えた。咲き誇ればきっとすごいのだろうなと思う。

 玄関に向かって歩いていると、周りからじろじろと視線を向けられているのに気付いた。

 きっと見かけない生徒だからやな。

 はやては自身が夜天の書の主ということで周りから白い目で見られていたというので、周りからの視線にはなれているつもりだった。とはいえそれとは違う感覚を少しだけ感じていた。

 前者の方は刺すような痛み、凍えるような冷たさを感じるものだったが、後者は決してそういうのはなく、こそばゆい感じがあった。

 玄関に入る。掲示板のところに学校の見取り図があったので、それを頭に入れ、職員室へと向かうことにした。

 

(はやてちゃん、人気者ですね)

(せやな)

 

 リインの言葉に小さく笑みを浮かべながら返答する。

 相変わらずの視線を向けられながらも、何とか職員室に着くことが出来た。

 はやては職員室の扉の前に立つと、数回ノックをし、小さく息をはいて緊張をほぐす。そしてスライド式のそれを横にずらして開ける。

 

「失礼します!」

 

 元気よく挨拶する。

 職員室にいた教員だけでなく、所要で来ていた在校生の視線も集まる。

 

「あれ? もしかして転校生ちゃん?」

 

 横のいくつも繋がった机の一つの椅子に座っている女性教員が話しかけてきた。「はい、そうです」はやては肯定する。

 もしかしたら担任の先生かもしれへんな。

 そう思い、はやては彼女の元に近づく。

 

「おはよう、私が今日からあなたのクラスの担任をしている七瀬です。これから一年、よろしくね。名前みたいだけど、これも一応苗字だから」

「は、はあ……そですか」

 

 笑顔を交えてスラスラと言ってくる彼女は非常に話しやすい印象を抱いた。

 思わず押されるように返事をする。

 

「ええっと転向前は……海鳴市のあの私立学校? どうしてまたこんな平凡な学校に来たかしらね」

「そ、そない悪いところやないと思いますけど……」

「まあ、どんな理由があるかはどうでもいいんだけどね」

 

 どうでもいいのかと胸中で突っ込みを入れる。

 そこに書かれている転向理由であるが、完全にリンディがでっち上げたものであり、情報の改ざんがされているものだ。

 それにはやてはもともと聖翔大学付属の高等部には所属していなかった。普通ならありえないことであるが、これも仕事なのだと割り切るとともに、僅かしかない期間、目一杯女子高生として楽しもうと思っていた。

 

「ご家族の方は……」

 

 そう言いながらすでに送られていた資料に目を通す七瀬。家族構成の欄に目を通したところで言葉をとぎらせる。

 しゃあないやろうな……。

 資料から視線を外し、はやての方に七瀬が視線を向けてくる。そこには同情と軽率だった自分への非難、申し訳なさが混じっていた。

 はやては小さく肩をすくめることで気にはしていないことを伝える。

 両親はすでに他界、今の家族は外国の親類だと記述されていた。

 

「ごめんなさいね、色々とバタバタしていたからよく資料に目を通してなかったのよ」

「気にせんといてください。私は大丈夫ですから」

 

 仕草だけでは足りなかったため、言葉として伝える。

 「そう……」と呟く彼女。それ以上は何も言ってこなかった。

 

「早速教室に案内したいんだけど……その前に朝礼ね」

「朝礼……ですか?」

 

 「運が悪かったわね」いたずらっ子のような笑みを浮かべる七瀬。どうやらこの学校の校長先生の朝礼の挨拶は決まって長いらしい。今からそれがあるのだと思うと、少しだけ憂鬱だった。

 

「失礼します!」

 

 またハキハキとした声の持ち主が職員室に入ってきた。

 はやてと同じ有馬第一高等学校のセーラー服に身を包んだ女子生徒だった。長い黒髪は腰辺りまで伸ばされており、キリッとした瞳をしている。

 同性のはやてから見ても、きれいだと思わせる。

 

「あら、峰月さん。丁度良かったわ。この子八神はやてさん、今日から転校生として来たんだけど、悪いけど朝礼の体育館まで案内してくれないかしら?」

「ええ、構いませんよ」

 

 笑顔でそれを承諾する。

 峰月という女子生徒が歩み寄ってきた。

 

「はじめまして、八神はやてさん。私、この有馬第一高等学校生徒会副会長をしている峰月あかねと申します」

「ご丁寧に、八神はやてです」

 

 手を差し出してきた峰月に対して、はやても同じようにする。

 そうしていると後ろからパンパンと手を叩く音がした。七瀬だった。

 

「はいはい、二人ともそろそろ時間だから移動してね」

「あ、はい。それじゃあ、行きましょうか八神さん」

「あ、お願いします」

 

 いつの間にか職員室の外に移動していた峰月。はやては彼女のことを追いかけるように、慌てて職員室を退室するのだった。

 

 

 はやては職員室を後にし、峰月の後を付いて行き、体育館へと向かった。

 すでに在校生たちは教室から自分たちが座る椅子を持って来て列になって座っていた。

 はやてが転入するクラスである2年F組であるが、まだ転校生がいるということを知らせていないこともあってか、入るところがなかった。

 そのために体育館に収納されている教師や生徒会が使用するパイプ椅子を借り、クラスの最後列に座ることになった。

 F組だけではなく、他のクラス、さらには他学年の生徒たちがチラチラとはやての方に振り向いては視線を向ける。転校生ということで珍しいというのは否定しないが、流石に朝礼時だということでまずいのではないかと思う。

 矛盾するが、それも高校生の楽しみの一つでもあるとも思う。

 ヒソヒソと声が聞こえて来る。

 おそらく自分のことなのだろうと、はやてはあまり気にしない。

 

「なぁなぁ、あの子可愛くないか?」

「2年生……にしては、雰囲気が違うというか……」

「あんな子いたっけ?」

「聞いた話だと、転校生だって」

 

 男子生徒たちははやての頭のてっぺんから足のつま先までをじろじろといやらしい視線を含めてみている。

 女子生徒たちは何やら変な対抗心を含めた視線を向けてきている。

 なんやろ、ちょっと背筋さむうなって来たな……。

 ジロリと睨むような視線を向けてきた女子生徒がいた。思わず目が合っていたために視線を前方の壇に立ち、長々とした朝礼の挨拶を述べているやや太り気味の校長に向ける。

 

「えぇー、つまりですね。この言葉には――」

 

 前の方の自分のクラスの列を見てみると、男子生徒の何人かはすでに夢の世界に旅立っている姿が見えた。

 こういう光景も高校生活にはあるのかと、思わず表情が緩む。

 

「おんやぁ? 朝礼だというのにだらしのない様子が見られるのは七瀬先生のクラスじゃないですか?」

「っ! まったくもう、しっかりしてよね。怒られるのは私なんだから……」

 

 思わず背筋をピィーンッと伸ばし直してしまう。

 3年生の方に座っている教師たちの席の方から聞こえてきた声だった。そこには職員室で会った、クラス担任である女性教員の七瀬あかねとその隣に座るやや白髪が目立ち始めている中年の男性教員の姿が見えた。

 彼女に話しかけたのは隣に座るその男性教員なのだと思う。

 どことなく小馬鹿にしたような話し方をするようだ。しかし突いているところは的確であり、言われた七瀬は表情を歪め、文句を零している。まるで子どもである。

 はやての前に座っている女子生徒二人がチラリと視線を向けてきた。

 

「ねぇねぇ、あなたでしょ、転校生って?」

 

 その内のショートカットの髪型をしている黒髪の意志の強そうな瞳の少女が話しかけてきた。

 同じ列に座っていることから、彼女も自分と同じ2年F組の生徒なのだろうと思う。

 クラスメイトやね。

 初めて小学校に通うようになった時に最初に話しかけてきてくれたのは、図書館で最初の友だちになった月村すずかであり、その友人たちだった。

 その時のことを思い出し、思わず笑みを浮かべる。

 

「せや。私八神はやて、よろしゅうな」

「私秋原美穂。こっちが清水理恵よ」

 

 先に話しかけてくれたのは美穂というらしい。

 隣に座る、同じくショートカットの髪型で、栗色の髪をしてカチューシャをしている少女は理恵と言うらしい。

 美穂に比べて、少しだけ自信のなさそうな印象を抱いた。

 

「よろしくね、はやてちゃん」

 

 それでも彼女の笑顔は同性のはやてでもドキリとさせられるくらいのものだった。

 

「美穂ちゃんに、理恵ちゃんやな。うん、名前覚えたで」

 

 この高校に転向して早速できた友人だ。すぐに名前を覚えることが出来た。

 

「それにしても校長の話、いつになく長いよね」

「仕方ないよ、校長先生だもん」

 

 校長先生って言うだけで納得できるもんなんかい……。

 その一言がどれだけの説得力のあるものなのか。

周りでウンザリしている生徒たちの様子を見る限り、彼女たちのその言葉は確かに正しいのだと、はやても理解した。

 しばらくは黙って聞いていたはやてであるが、流石に周りと同じようにウンザリし始めていた。

 生徒の中だけではなく、教師の中にもちらほらと泳ぎ始めている姿が見えた。

 一体いつまで掛かるんや、この朝礼は……。

 早く終わってほしいと思いながらも、念仏のように続く校長の話に耳を傾けるのだった。

 

 

 ようやく長かった校長の朝礼の挨拶も終わり、生徒たちはそれぞれのクラスへと戻っていた。

 転校生であるはやてはその後もう一度担任である七瀬と共に職員室へと戻った。

 七瀬が出席簿など必要なものを取りに行くためだ。

 そしていよいよ高校の教室に足を踏み入れるときが来ていた。

 どきどきと心臓の鼓動が大きくなっている。

 ここまで緊張するのは久方ぶりだった。だが不快なものではなく、むしろ心地良いものだ。

 

「それじゃあ、ここで待っていて。私が呼んだら中に入るように」

「分かりました」

 

 そう言って七瀬は教室の中に入った。

 

 

 教室の中では生徒たちは朝礼時にここF組の列にはやてが並んでおり、このクラスにいるであろう美穂と理恵が話をしていたので転校生の来室を今か今かと待っていた。

 特に男子生徒は美少女が来るぞということでテンションが最高潮になっていた。

 話をした美穂と理恵にどんな感じだったかと尋ねている女子生徒たちの姿も見える。

 ホームルームの時間だというのに騒いでいるために、少し眉間に皺を寄せ、手を数回叩いて注意を引き付ける。

 

「はいはい、時間よ。さっさと自分の席につきなさい」

 

 乾いた手の叩く音が教室に響き渡る。

 「はーい」という声がところどころから聞こえてきた。

 生徒たちは渋々というように自分の席へと戻っていく。学級長である少年が声を上げる。それに従うように生徒たちは立ち上がり、「おはようございます」朝の挨拶をしながら礼をする。担任である七瀬も彼らと同じように挨拶を返す。

 さっさと座ってしまう生徒たち。いつものことなので、気にもしない。

 彼らが廊下にいる転校生であるはやてのことが気になってしようがないというのは七瀬も分からないわけではなかった。もし彼女が彼らと同じ高校生である時に転校生がくると聞いていたらきっと友人たちとその転校生を話題にして話していただろうと思う。

 そんな風に考えるのをやめる。

 向けられる視線に早くしろというような催促の思いが込められていたからだ。

 仕方ないわね……。

 まったくこれだから高校生(子ども)は――と思いながら口を開く。

 

「今日はみんなにお知らせすることがあります」

「せんせー、それって転校生のことですかー?」

 

 知ってますよというように一人の男子生徒が手を上げて言う。

 このクソガキが……。

 表情にこそ露骨に出ていないが、七瀬の頬は小さく痙攣している。

 「早く紹介してくれよ」男子生徒らしい発言である。女子生徒は男子生徒ほど騒いではいないが、彼女と早く友だちになりたいという声が上がっている。

 

「はいはい、分かった、分かったから静かにして。もう、紹介もできないじゃない! ほら、八神さん、入ってちょうだい」

 

 生徒たちの発言で少し苛立ってしまっていたために、廊下にいるはやてに対して入室するようにいう時も少しだけ強い口調になってしまう。

 閉じられている教室のドアの外から声がする。そんな七瀬の強い口調からの言葉を気にしていないというような元気な返事だった。女子生徒の声であるためにさらに男子生徒たちの鼻息は荒くなる。それを見ている女子生徒たちの表情はやや引いている。

 そしてガラガラとスライド式のドアが開かれた。

 そこにゆっくりと足が踏み入れられた。

 現れたのは一人の女子生徒。今日から転向してきた八神はやてという少女だ。

 年相応の容姿。

 しかしその容姿で纏っている雰囲気というのか、オーラというのか分からないが、そういうのは何かの信念を抱いているような、そんな風に感じられた。

 それが分かるのは果たして何人いるだろうか。

 男子生徒たちは彼女の可愛らしい容姿に目を奪われ、歓声を上げている。

 女子生徒たちは彼女と友だちになりたいと、中でも朝礼時に話をしていた美穂と理恵は手を上げて振っている。

 若干緊張している表情には笑顔が浮かんでいた。

 教卓の近くにやって来る。

 七瀬はそのままはやての名前を黒板に板書する。

 

「今日からお世話になります、八神はやてと申します」

 

 久しぶりに感じていた緊張のためか、僅かに上ずった声になった。少しだけ上げた顔には羞恥の色が僅かにあった。

 だがそれすらも彼女の可愛らしさをますエッセンスにしかならないようだ。

 男子生徒たちの口から「可愛い……」という声が零れたのが他ならぬ証拠だ。

 

「みんな、仲良くしてあげなさいよね」

 

 七瀬が念を押すように言うと教室中には了解の声が上がった。他のクラスからすればうるさいことこの上ないだろう。

 またあの老いぼれ教師から愚痴を零されると思うとため息もつきたくなる。

 それよりも先に教師としての役割をこなさなければいけない。

 はやてはすでに自己紹介と挨拶を終えていた。

 自分の席はどこなのだろうかと視線を向けてきている。

 教室を見渡す。

 丁度後ろの方に空いている席があった。七瀬はそこを指差しながら言った。

 

「その空いている席があなたの席よ」

「分かりました」

 

 頷き、はやては鞄を肩から提げながらその席へと向かう。

 そんな彼女に視線を向ける生徒たち。

 これで少しは勉強にも身が入ってくれれば嬉しいのよね……。

 

「それじゃあ、ホームルーム、始めるわよ」

 

 叶わないだろうなと思いながらも、出席簿を開き、ホームルームを開始した。

 

 

 ホームルームが終わり、担任の七瀬は教室を後にした。

 今日が新学期の始まりだということで授業はなく、お昼頃に終わるということだった。

 授業を何気に楽しみにしていたはやてにとっては少しだけ肩透かしを食らったような感じだった。それでも朝礼時に話しかけてくれた美穂が理恵を連れて話しかけに来てくれた。

 どうやら今日は彼女たちは有馬市のショッピングモールに行くらしく、折角だから一緒に行かないかと誘いに来てくれた。

 彼女たちだけでなく他のクラスメイト、特に男子の集まりは凄かった。

 聖翔大学付属の初等部に始めて通った時も、確か男子の集まりの方が多かったような気がする。中等部に上がった時からは男女別々になったために、あまり会う機会はなくなっていたが、それでも聖翔大付属中等部の女子生徒人気ランキングでは何げに上位にいたのを思い出した。

 友人たちも自分と同じように上位にいた。彼女たちなら分かるが、何故自分もなのだろうかと疑問を抱いたときもあった。だが純粋に嬉しくもあった。

 周りに女子生徒たちを書き分けて集まってきた男子生徒たちからはいろいろなことを質問された。

 当然のように彼氏はいるのか、気になっている異性はいるのかという質問があった。

 小学生のときは恋愛という言葉は知っていても、実際にどのような感覚なのかは分からなかった。 しかし中学に上がると同級生たちの中からも何人も彼氏を作ったという声を聞いていた。

 はやての友人である4人からはそのような話題は一度も聞いたことはない。

 人気の高かった彼女たちは周りからすれば高嶺の花だったのだろうと今思うと、納得できる。中には玉砕覚悟で告白する者たちもいたのだが、華麗にスルーされてしまうなど残念な結果に終わってしまっていた。

 私にもそんな人ができるんかな……。

 生まれてこの方、異性に対して恋愛思慕を抱いたことがない。周りに男子が少なかったことも、災いしていた。

 少ないながら男友達として2人いるが、片方のクロノ・ハラオウンはすでに年上の元同僚と結婚してしまっており、すでに子どもも2人いた。

 もう1人のユーノ・スクライアとはお互いに忙しいために直接会うことはほとんどなかった。

長くお互いの男友達、女友達として付き合っていたために、今更お互いに恋愛対象として見れるかというと、なかなか難しかった。

 

「残念やけど、今はおらんのや」

 

 眉を下げながらそう言う。

 周りからはそれに同調する女子生徒たちもいた。周りにパッとした男子がいないからなどと、そこに当人たちがいるというのに、関係ないというように話す。

 対して男子生徒たちはそんなことよりも、転校生であるはやてに彼氏関係の存在がいないことで浮き足立っている。

 彼らにとってはやてを恋愛対象に入れられるのは容易だった。

 どうしようかな度と考えている者は、自分にもチャンスがあるかもしれないと、保証もないものに喜びを見せている。

 露骨に好意を見せてくる男子生徒は、放課後どこかに行かないかなどと有馬市の案内を買って出てくる。

 だがすでに美穂と理恵と一緒に帰る約束をしていたために、やんわりとその申し出を断った。

 その男子生徒たちは「そんな……」と残念そうに落ち込んでいた。

 そんな周りに集まってくれている生徒たちを見渡したはやての視界にとある男子生徒の姿が映った。

 はやての真横の席に座っており、窓際の一番後ろの席だ。

 寝癖頭は相変わらずまるで鳥の巣のように見える。だらしなくズボンから出されたワイシャツ。窓の外から差し込む太陽の光が、第二ボタンまで開けられた肌をより白く見せている。

 はやての視線がその男子生徒に向けられていたためか、それに気づいたとある生徒がそっとはやての耳元で囁いた。

 

「八神さん? あいつがどうしたんだよ」

「えぇっと……今日の朝に同じバスで学校に来たんよ。クラスが同じだったとは思わなかったから、ちょっとびっくりしただけや」

 

 はやては彼の名前を尋ねてみる。

 眠たそうに大きなあくびをしている。まるで日向ぼっこをしている猫のようだ。

 

「あいつは綾瀬晶、昔から経営しているアパートの管理人の老夫妻の孫だよ」

 

 はやては自分が住んでいるアパートの管理人がその生徒が言うように老夫妻だったのを思い出した。

その時は晶の姿は見ていなかったが、その話を聞いて、彼もそこに住んでいるのだろうと思う。それが自分に何の関係があるのかと聞かれても、どうも答えることもできないが。

 

「でもあいつ、すっげえ無愛想だし、しゃべらないし。あんまり関わりにならない方が良いぜ?」

 

 同じ男子だというのに露骨に嫌そうな表情をしながら話す。

 一体どうしてなのだろうかと思う。それについてもう少し知りたいと、管理局の捜査官としての癖が出てしまった。

 聞かれたその生徒はさらに声を小さくして聞こえないようにして話してくれた。

 

「噂だけど、あいつ結構ヤバイ薬をやってるってらしいぜ」

 

 薬物やろうか……。

 見る人によってはそんな風な人間にも見えるかもしれないが、はやてから見ればただのだらしない一男子高校生にしか見えなかった。

 

「時々警察の人と一緒にいるのも見るよ? 何か事件に関わってるんじゃないかな……」

 

 最後は尻すぼみさせてしまう女子生徒。彼女の視線の先にはいつの間にかこちらに対して視線を向けている、話題になっていた男子生徒――綾瀬晶がいた。

 小さくため息をつき、寝癖頭をがりがりとかき回しながらガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。

 その瞬間教室中が静まり返った。

 いつもはこんなことはないのかもしれないが、彼についての話をしていたために雰囲気が瞬間冷凍されてしまったかのように冷たく固まっていた。

 閉じられていたやや細めで切れ目の双眸がもう一度はやてたちに向けられる。

 まるで五月雨の如く射抜くような鋭い視線がそこにいた全員に向けられた。

 誰も何も言えず、動くこともできない。

 あちゃー……、ちぃっとまずってもうたかな……。

 やってしまったと、軽く頭を抱える。

 はやてがそうしている間に、晶はすたすたと帰宅するために鞄を手にして、前の方の出口へと向かい、スライド式のドアを開けて外へと出て行ってしまった。

 姿が見えなくなったと同時に張り詰めていた緊張感がぷつんと途切れたように教室内の雰囲気が緩和した。

 ただ1人の生徒がいないだけでこれだけ変わってしまうものなのだろうか。

 今までにない体験にはやては少しだけ戸惑った。

 近くにいた美穂が「気にしない方が良いよ」と気遣ってくれた。

 はやては「うん」と頷くしかできない。

 その時だった。突然に校内放送を知らせる独特な音楽が鳴った。

 廊下の方から聞こえていた騒ぎ声も少しだけ収まった。

 どうしたのだろうかと、次の放送に耳を傾ける。

 

『全校生徒にお知らせします。学校の近くで事件が発生しました。付近に警察官が配置されているので、警察官の誘導に従って帰宅するようにしてください。なお今日の部活動は全面休部とします。速やかに着替えを済ませ、帰宅するようにしてください。繰り返します――』

 

 周りが放送を聞いてざわつく。

 不安そうな表情を浮かべる生徒たちもいた。

 付近ということで不安になるのは当然だった。

 一緒に帰ろうと約束していた美穂と理恵の表情も優れない。

 

「どないするん?」

 

 気遣うように尋ねる。

 

「そうね……取り敢えず私たちも帰りはバスだから、それぞれの停留所までは一緒ね」

 

 折角はやてのことをこの有馬市で二人の行きつけの店などを紹介してあげたかったということで、それができなくなってしまったのに残念そうにしている。

 はやても転校して初めての友だちと早速遊びにいけるということで楽しみにしていたので、落胆は小さくはなかった。

 だが事件がおきてしまったのであれば仕方がないと思うことで割り切ることにした。

 はやてたちや周りの一部の生徒たちのように予定が潰れてしまったり、事件そのものに対して不安を抱いている者もいれば、逆に男子生徒たちのようにまるでテレビドラマのようだというように興奮している者もいる。

 一応警察のような仕事をしているはやてからすれば、彼らのような感覚には理解を示すこともできなければ、したいとも思わなかった。

 少しだけ軽蔑を含んだ視線を彼らに投げておいた。

 理恵がはやての肩を軽く叩き、「そろそろ行かない……?」と時計を指差しながら言った。

 

(はやてちゃん、そのバスに乗り遅れると、今度は一時間後なのです)

(それはあかんな……)

 

 鞄のポケットに入っているリインが念話で教えてくれた。

 また1時間も待たされるというのはたまったものではない。時間を教えてくれたリインには念話で礼を言い、鞄を手に取って立ち上がる。

 

「ほなみんな、また明日ね」

 

 はやては帰り際にクラスメイトたちに挨拶する。

 みんなから「また明日」と帰ってきたときにはこれからの高校生活への期待がさらに高まった。

 

(本来の役割を忘れないでくださいよ、はやてちゃん)

(せやな、リイン……)

 

 リインに言われ、そちらも頑張らなければと二重に気合を入れるのだった。

 

 

  4月3日 地球 有馬市

 

 

 有馬市にある中央ショッピングモールの近くに存在してる有馬駅にはたくさんの人だかりができていた。

 そこに集まっている野次馬たちは一体何が起きたのだろうかと首を伸ばして警察官たちが忙しなくしている様子を見ている。

 警察官の中に茶色のスーツを着込んでいる40代の男性がいた。

 彼の名前は熊田裕次郎。有馬市警察署に所属しているベテラン刑事の一人だ。

 隈のような大柄な体躯に、がっちりとした顔付き、顎には無精髭があり、やや短めな髪をしている。

 周りにいる警官たちよりも上官であるようで、彼がやってくると一同はしっかりとした敬礼を見せる。それに対し熊田は適当に返し、そのままブルーシートで覆われたその通りへと足を踏み入れた。

 中に入るとまた一人のスーツ姿の刑事が走り寄って来た。

 まだ年若い新人の刑事だ。

 

「お疲れ様です、熊田刑事!」

「おう」

 

 ハキハキと挨拶をしてくる新人刑事である彼の名前は佐々木啓二。

 名前が「けいじ」なのでよくからかわれるネタにされる。彼自身は生真面目であり、この仕事に信念を持っているようなので、あまりからかわれるのは好きではない。

 そんな真面目な彼を部下として持っているのが熊田だった。

 彼の挨拶に対して適当に返すと、地面に横たえられている何かに被せられているブルーシートの前にしゃがみ込む。

 

「こいつが今回の被害者か……?」

 

 眉間にしわを寄せながら熊田は尋ねる。

 手を合わせてから静かにそのブルーシートを持ち上げ、被害者の姿を見る。

 「はい」と佐々木は答えて、胸ポケットから手帳を取り出し、そこに書き込まれている情報を熊田に伝える。

 

「今回被害に遭ったのは、桜田加奈子、この辺りのスナックでアルバイトをしていたそうです」

「まだ若いっていうのに……」

 

 年齢はまだ18歳だという。なんとも早すぎる死に、熊田は胸が痛んだ。

 近くには完全に停止している電車があり、その正面にはこの被害者の少女のものだと思われる赤い血がべっとりと付いていた。

 停車するためにスピードはある程度落ちていただろうが、それでも車と同じていどの速度はあっただろう。接触すれば間違いなく即死である。今回の死因も真正面から電車に巻き込まれたことによる即死だった。被害者である彼女の身体はあらゆる箇所が明後日の方向に折れ曲がってしまっていた。さらに首から上は完全に分断されており、遺体の傍にそっと置かれていた。

 まだは色々とおしゃれもしたい年頃だろうに。

 頭も半分ほど割れてしまっているために、脳漿が飛び散っている。

 説明をしてくれた佐々木も顔色を青白くしている。新人ということでまだ死体を多く目にしていないために、耐性がついていないのだろう。

 経験を積めばある程度は耐えられるようになるが、決して無感情ではいられない。

 くそ……!

 熊田の場合も、彼女に対して抱いた同情の念や惨殺された死体を見たときは、その加害者に対して激しく怒りを抱いたりもする。

 詳しい捜査はこれから行われるだろう。

 今回の事件が単なる運が悪かったことによる事故なのか、それとも事故に見立てた事件なのか……。そういうところも全てはこれから明かされていくだろう。

 今時分に出来ることはほとんどない。ほとんどは部下の方にやらせておけば良いだろうと思い、しゃがみ込んでいた体勢から立ち上がる。

 

「あ、ちょっと君! 待ちなさい!」

 

 突然立ち入りを禁止するために立っていた警官の声が聞こえてきた。

 一体何をしでかしたのだろうかと面倒くさそうに顔を上げ、視線をそちらに向けた。

 入ってきた何者かに対して一発拳骨をくれてやろうと、骨をバキバキと鳴らす。

 

「おい、貴様――」

 

 熊田は怒鳴り声を上げ、拳を振り上げた。

 だが視線の下にいる人物を見て、その拳を振り上げたまま制止させた。

 何で前がこんなところに……。

 

「久しぶりですね、熊田さん」

「晶……テメエ」

 

 熊田の視線の先にいたのは、この有馬氏にある一つの高等学校である、有馬第一高等学校の男子用の制服を着ている少年だった。

 名前を綾瀬晶。熊田にとってはかれこれ10年の付き合いになる

 突然の登場に佐々木は二人を交互に見て状況を理解しようと務めている。

 バタバタとやって来た警官が晶の両腕を拘束し、引きずりながら出口に連れて行こうとする。だがそれを熊田は止めた。

 

「どうしてですか。彼は部外者、ここは関係者以外立ち入り禁止でしょう。熊田刑事」

 

 当然のように理由を尋ねてくる。

 当人である晶は完全すまし顔でいる。

 テメエがノコノコと入ってきたからこうなってるんだろうが、クソ!

 

「熊田さん、どうにかしてください」

 

 生意気な態度にさらに深いしわが熊田の眉間に生まれる。

 だが彼が来たということは、今回のことに何か思うことがあったのだろうと思う。それとも何か、また例のものの補充というわけだろうか。

 そろそろ切れる頃だろうと手回しをして補充分は確保しているが、取り敢えずこの状況を何とかしないといけなかった。

 

「ああ、そいつはな……俺の知り合いだ」

「え、そ、そうなんですか……?」

 

 それに応えたのは部下の佐々木だった。

 ただ驚いている佐々木と違って晶のことを拘束している二人の刑事は「なら現場に入れるな、何とかしろ」と言っているような表情を向けていた。

 分かった、分かったよ……。

 面倒くさいというように頭をがりがりとかき回しながら、拘束から開放されたアキラの肩をガッチリを掴むと、耳元に顔を近づける。

 

「熊田さん、気持ち悪いです」

 

 ――ウッセエ、黙って聞いてろ!

 取り敢えず外に出ろとだけ言いながら、顎で出口を指す。

 

「仕方ないですね」

 

 逆だろ、俺が言う言葉だろうがそれは!

 熊田は胸に溢れる怒りを何とか抑えながら、出口へと向かっていく晶の後を付いて行く。

 慌てて追いかけようとした佐々木に対して、引き続き現場の調査をするように釘を刺しておいた。

 一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐに敬礼をして持ち場へと戻っていく。

 

「早くしてください」

 

 すでに出口の外にいた晶が催促するように言う。

 何故自分が言われなくてはいけないのかと、さらに苛立ちが募る。

 二人は現場から離れた人気の少ない所へと向かい、そこに駐車されている熊田の車に乗り込む。助手席に座った晶に対し、足元にあるダッシュボードを視線で示した。

 晶は黙ってダッシュボードを開ける。

 そこには透明なビンに白い錠剤が大量に入っていた。

 それを手に取ると、そのまま下に置いていた鞄の中に放り込んだ。

 普通なら刑事である熊田がこのような剣に関わるべきではないのだが、晶に対しては色々と貸しがあり、その薬に関しても闇ルートではなく、正式に巨大な企業から入手したものだった。

 とはいえ、いち一般人がおいそれと関わりを持てるような企業ではない。

 何せその会社が日本だけでなく世界にも手を伸ばしている大企業である“桐条グループ”であるからだ。

 何故熊田がそんな大企業と関わりを持てるのかというと、刑事仲間にその桐条グループの現総統である女性と交友関係を持っている者がいたので、彼にパイプ役になってもらっていたからだ。

 とはいえパイプ役の彼も始めはその薬についてはかなり抵抗を抱いていた。

 その薬を彼の片割れとも言える親友が使っていたとのことだったからだ。

 その薬の効果というのは熊田にとって摩訶不思議、以上ともいえる力を抑えるための抑制させる代わりに、使用者の寿命を激しく削るというものだったのだ。

 そのために彼の親友は気づいた時にはすでにかなり厳しいところまで追い詰められていたとのことだった。

 その話を聞いて、みすみす刑事である熊田が一人のまだ若い少年の命を削らせるような薬物ともとれるものを手渡せるはずもなかった。

 しかしその力で苦しんでいる少年をただ見ているというのも耐え難いものだった。

 だから熊田は晶に対して問うた――『命を削るかもしれないのだぞ、それでも良いのか』――それに対して晶は間髪いれずに応えた――『構わない』と。

 その時の晶の顔は忘れない。

 

「それで、今日はそれだけが要件か?」

 

 懐からタバコの箱を取り出し、一振りして一本のタバコを取り出すと、それをそのまま口に含み、一緒に仕舞っていたライターで火を付ける。

 

「タバコはやめてくださいといつも言っているでしょう?」

「ウッセエ、これは俺の車なんだ。ここで何をしようと構いやしねえだろ!」

 

 目を細めてタバコをやめるように言ってくる。

 だが仕事などでたまるストレスを発散するには欠かすことのできないものとなっていたタバコをやめろと言われてそう簡単にやめられるはずもなく、いつものようにサイドにある窓を開けて白い煙を吐き出した。

 溜め込んでいたストレスと共に白い煙が空に舞いあがり、そして霧散していった。

 

「んで? どうなんだよ、今日来たのは?」

「今日の要件はこれだけです。しかしまた問題に出くわすとは思いもしませんでしたよ」

 

 だろうな、ざまあみろ。

 日ごろ晶関連で溜め込んでいたストレスを発散させるために胸中でそう吐き捨ててやる。だが同時に同情も抱いた。

 彼がこのような死体現場に出くわしたら大抵はよからぬ事件へと発展するからであり、それに関わらざるを得なくなるからだった。

 多くが熊田が強引に関わらせているからであるが、彼が先ほどの抑制剤で抑えている力が必要になるかも知れないことが大きな理由だった。

 小さくため息をつく晶。

 そうため息をつかれても熊田にはどうしようもない。

 その晶が持っている特異な能力がこのような事件と引き合わせてしまうのかもしれないと思った。

 

「んで、どうだよ?」

 

 晶はまだ高校生であり、熊田からすればまだまだ尻の青い子どもだった。

 だが今まで事件に何度も関わらせてしまっているのは、彼が刑事である自分よりもこの手のものに長けていると思っているからだった。

 悔しいが、認めざるを得ない――そう思っているが、当然刑事としてのプライドもあるために彼なりに尽力はしている。

 彼の関わる事件の解決に、大きな貢献をしているのは紛れもなく、高瀬晶だった。

 そう尋ねてしまうのも少なからず晶に対してくまだが信頼を持っているからだった。

常人とは違う視点からすれば今回の件はどのように移るのか、それを知りたかった。

特に変なことがなければ何も心配することもないし、明に関わらせることもない。できればそうあってほしかった。

 だが現実は熊田の願いを圧し折った。

 

「感じましたよ……強い恐怖と後悔をね」

「……恐怖と後悔だと?」

 

 恐怖であれば理解は出来る。迫り来る電車を前に、恐怖を抱かないものはいないだろう。ならば後悔というのはどういうことから来る感情なのであろうか。

 後悔となると自殺という可能性はあまり高くはない。自殺に踏み切れるのは、そういった後悔というものを持ち合わせていない者たちが多いからだ。

 

「詳しいことは分かりません。ぼくはただ残留思念を読み取ることが出来るだけですから」

 

 そうだったな……。

 熊田は晶の言葉を聞いて、今回の件をただの事故と片付けられないだろうと、そう確信めいた何かを感じていた。

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