仮面探偵事件録~赤き宝石~   作:クレナイ

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 4月3日 地球 有馬市 マヨナカネット

 

 

 深夜0時になろうとしているこの時間帯。

 パソコンを付けて、とあるサイトにアクセスしてみる。いつものようにそこにはその際とを立ち上げた者たちが集まってチャットという雑談を行っていた。

 

SLOTH: LUSTが死んだ……。

ENVY:ちょっと、それって嘘でしょ……。

SLOTH:嘘じゃない。ぼくの情報は確か。

WRATH:おいおい、どういうことだよっ!? 何であいつが、あいつが死ぬんだよ!

SLOTH:知らない……。

GLUTTONY:はっ! どうせ自殺だろ? 近頃悩んでるようだったからな。

WRATH:おいっ! GLUTTONY、お前仲間が死んだんだぞ、何でそうも平然と出来る!?

GLUTTONY:仲間? はっ? 

GREED:マジかよ、アイツ結構うまい奴だったのにナァ。

WRATH:どいつもこいつも! おいSLOTH! あいつが死んだ理由を調べろ、何か嫌な予感がする。

SLOTH:えぇ~。

PRIDE: WRATHに先に言われたが、いいからやりやがれ、それとも何か? 俺の言うことが聞けないってのか?

SLOTH:……分かった。

ENVY:ちょっと暗くなりすぎ、何か面白い話ないの?

 

 そのチャットを見ていると腸が煮えくる思いに駆られた。

 キーボードを叩き、そこに“OSIRIS”と打ち込み、入室ボタンを押す。

 

OSIRISさんが入室しました。

ENVY:あれ? 新参者?

 

 始めに食いついて来たのはヒステリックになっていたENVYだった。

 

GREED:ねえねぇ、君男? 女?

GLUTTONY:またかよGREED。お前どんだけ女がほしいんだよ。

 

 いきなり性別について尋ねてきた。

 ギリッと歯噛みする。

 そこにキーボードを叩いて性別を“男”と打ち込んだ。

 

GREED:……。

SLOTH:……静かになった。

GLUTTONY:www。

ENVY:ウケルー!

 

 彼らのやり取りなどまったく興味はない。淡々と文字を打ち込み、先ほどの話題についてもう少し知りたいと思い、コメントする。

 

WRATH:あいつは確かに今までは軽い女だったけど、それでもこの前ようやく結婚が決まったって幸せそうな顔してたじゃねえか!

 

 ――結婚……? 幸せそうな顔……? お前たちにはそんな権利はないんだよ!

 苛立ちを覚え、思わず机にあった缶ビールを手にして一気に中身を口に含んだ。熱くなった心を、冷え切ったビールが冷却していく。

 

PRIDE:兎に角あいつについてはSLOTHに任せておけ。

 

 どうやら彼らの中でSLOTHという人物は相当情報通であるようだ。一体どこでどんな情報源と繋がりを持っているかは分からないが、何かを知りとしたらSLOTHに尋ねるのが良いようだ。

 さらにチャットは続いていく。

 こちらが提示する話題に対してほいほいと食いついてくる。よほど彼らは暇な者たちなのだろうか。このようなチャットルームというものを利用するのはこれが始めてであるが、ここはまるで屑たちの集まりなのではないかと思ってしまう。

 彼らとのチャットをすると同時に、別の話題についてチャットを行っている者たちのコメントを見ていると、互いに貶し、罵倒するような言葉をまるで、途切れることのないマシンガンのように吐き出している。

 それを見るだけで反吐が出る気分だった。

 いくつかの話題をこちらから提示していたが、ようやくこちらが聞き出したい話題を提示することができた。いきなり単刀直入では難しいだろうと思ったからだ。

 案の定他愛もない話題でヒートアップしていた彼らは軽率なほどにその話題についてコメントしてきた。

 

WRATH:確かそんな話題があったな。最近はやらなくなったけど。

GLUTTONY:あいつか、そういえばお前の女の一人じゃなかったか? GREED。

GREED:ああ、あいつか。そういえば死んだんだったな。

SLOTH:自殺。学校の屋上から飛び降りた。

OSIRIS:どんな話題があったの?

GLUTTONY:そいつがGREEDの女になったって話に始まったよな。

GREED:でもすげぇ、評判悪くなったよな。俺は別にそうは思わなかったけど。

GLUTTONY:確か学校同じだったよな? 人気者だったって話し、本当か?

GREED:普通にアイドルいけたんじゃね? まあ色々オファーもあったらしいぜ?

GLUTTONY:アイドルの卵を食っちまったのかよ。まあ、俺も味見させてもらったけどwww。

GREED:でもあいつも結構男癖悪いって噂だったんだよな。

OSIRIS:他には?

 

 そこに書かれた噂にはさまざまなものがあった。

 曰く物静かに見えて、本性は冷酷非情である。

 曰く何人もの男と関係を結んでいる。

 曰く危険な薬物に手を出している。

 曰く、曰く、曰く……。

 

GLUTTONY:お前、それ人のこと言えないってwww。

GREED:お前だって人が捨てた女を手当たり次第慰めては犯してるじゃねえかよ。

GLUTTONY:ゴチデス。

GREED:コノヤロウ!

PRIDE:なんで今更そんな話を出したんだよ?

ENVY:もうやめようよ、この話題!?

 

 この話についてはこれ以上あまり触れられたくないようで、今まで静観を決め込んでいた二人が口を挟んできた。

 この手が入り込んではこれ以上はほしい情報は得られないだろうと判断し、隅にある体質のボタンを押した。

 

OSIRISさんが退室しました。

 

 この後にも何やら書き込みがされていたが、ほしいと思っていた情報に関するものは一切かかれておらず、ほとんどがOSIRISである自分に対するものだった。

 

「ふん、今は精々余生を楽しんでおけば良いさ……」

 

 立ち上がり、最後にそのチャットの書き込みに視線を向けてからそう吐き捨てるように言った。その人物にとって彼らはただの生贄でしかない。

 その内の一つがすでに生贄と変わっただけにすぎない。

 彼らはまだそのことに気づいていない。

 もしかすると一人は気付いているかもしれない。

 だが無駄だ。すでに彼女の末路は決定しているのだから。下された判決の通りに彼女は数日を過ごし、そして生贄になる。

 乱雑に本が積み上げられているテーブルの上にある一冊の本を手に取った。ただの本のように見えるが、禍々しく不気味光を放っている。その本をそっと手に取りページを開いてみる。そこにはびっしりと文字が並べられており、これを見ただけですぐに閉じてしまうものも少なくはないだろう。

だが今はこれだけが頼りだった。全てを失ってしまい、それを再びこの手にするためにはこの本に縋るしかなかった。確かに力を感じるこの本。もはや魔道書とも言って良いだろうそれを頼りに、今日もまた儀式のために活動を始める。

 新たなターゲットはすでに決まっている。こちらから動かなくとも、向こうの方からやってくるだろう。そうなったときになるべく事故に見立てるためにどうするべきかをリストの中から選び取る。

 

「もうすぐだ、もうすぐだから待っていてくれよ」

 

 慈しみを込めて、魔道書から視線をずらし、棚に飾られている写真立てに入っている写真の写っている少女のことを見つめる。そこにはどこかの高校のセーラー服と思われるものを着て、校門で笑顔をこちらに向けている写真があった。

 そこには彼女の名前が刻まれていた。

“小原優奈”

 先のマヨナカネットというサイトにおけるチャットでも出てきた名前であり、OSIRISという人物は彼女についての情報を得ようとして、そのサイトを利用したのだ。本来ならばあんなサイトを見ることすら目を潰してでもしたくはないことだった。

 だがこれから行うことにどうしても情報が必要であり、さらに植えた魚たちに餌と恐怖を撒いておかなければいけなかった。

 

「もうすぐ助けてやるからな……」

 

 その言葉には並々ならぬ決意が込められていた――。

 

 

 4月4日 地球 有馬市

 

 

 転向という潜入を終えた次の日。

 八神はやては昨日よりも早くアパートを出発していた。それはデバイスの記録に深夜0時に丁度魔力の反応を感知していたからだ。

 

「まったく潜……やのうて、転校した翌日に反応があるんか、普通!?」

 

 折角明日から本格的に始まる高校生活を楽しみにしていたはやてであるが、まさか朝早くから任務という名の登校で学校に出なければ行けなくなるだなんて思いもしなかった。

 

「し、仕方ないですよ、はやてちゃん」

「せやけど、リイン……ウワーン! 神様のアホンダラァ!」

 

 何とか気遣おうとして言葉を選ぶリインであるが、その言葉が返ってはやての怒りのボルテージを上げてしまった。

 ワタワタとしながら彼女のことを鞄のポケットの中から見上げている。

 朝早くということであまり人の姿はない。

 とはいえ魔法を使い、空を飛ぶわけにはいかなかった。管理局の定めている法律があり、許可なく魔法を使うことは禁止されていた。またその使用している姿を安易にその世界の住人に、特に魔法文化が発達していない世界の住人には見られるわけにはいかなかった。

 仕方なく許可されている簡易的な魔法の中から身体能力を強化する魔法を使い、いつもよりも体力と脚力を強化して、走って有馬第一高等学校へと向かった。

 

 

 4月4日 地球 有馬市 有馬第一高等学校

 

 

 アパートを出てから物の数分で有馬第一高等学校の校門の前までやってきていた。もともと体力があるわけではないはやて。無理やり魔法で強化したとはいえ、強化魔法を解いた後にはどっと疲れが押し寄せてきて、思わず膝に手をついて頭を垂れてしまう。

 

「つ、疲れたで……」

「頑張ったですよ、はやてちゃん」

 

 ここまで疲れるまで走ったのはいつ以来だろうか。

 確かに最短の訓練校のカリキュラム専攻の中にも体力強化ということで長距離のランニングはあった。中学校までしか卒業していないはやてにとっては学校の運動会が最後であろうか。

 それ以降は体力トレーニングをそれほどしていたわけではないために、以前よりも体力が衰えてしまっているのは否めなかった。

 リインが労いの言葉をかけるが、彼女はずっとポケットの中にいたためにほとんど動いていないために疲れなど皆無だった。ヒトガタの姿をしているとはいえユニゾンデバイスである彼女には体力的な疲労というのはない。あっても魔力の枯渇によるものだ。

 まだ学校も始まっていないにもかかわらず疲労困憊であるはやてとケロリと元気一杯であるリインフォースⅡ。はやてはそんなリインに対して、元気な分だけ昨日あった魔力反応についての調査を頑張って貰うと言った。

 

「任せてください!」

 

 胸の前で両手をグッと握り締め、気合を入れるリイン。これだけやる気があるのだ、少しでも調査が進めば良いと思った。

 校門はすでに空けられていた。

 用務委員が既に来ているのだろうと思い、今なら校内をじっくりと調査できると足早に生徒玄関へと向かった。

 新しく用意してもらった自分用の下駄箱を探し、くぼみを引っ張って扉を開ける。

 すると中からばさばさと足元に何枚もの手紙が落ちた。丁寧に封筒に入れられているものから、簡易的にルーズリーフでのものもあった。

 どれもがはやてに対するラブレターだった。

 

「すごいです……」リインが小さく口に手を当てて言葉を漏らす。

 

 確かにとはやても思った。

 まさかたった一日で転校生である自分に対してここまでの思いを抱くものなのかと不思議に思ってしまう。

 はやて自身が特定の誰かを好きになった経験がないため、このようにラブレターを出した人たちの気持ちを理解するのはなかなか難しかった。恋愛小説などを読んで恋とはどのようなものなのかは知っていても、それは所詮知識でしかないためにあまり役には立たなかった。

 取り敢えずそれを鞄の中に入れておくことにし、後で見ることにした。

 兎に角今はこの学校の周辺で感知された魔力反応の調査をしなければいけなかった。

 まずは鞄を置くために2階の2年F組に向かった。

 歩いている間にも周りに警戒しながら魔力反応を探す。

 階段を上がりきり、教室へと向かう。

 まだ朝早いということで人の姿は皆無である。はやてが歩くたびに床を踏む足音がなり、廊下の奥まで響き渡った。

 少しだけ不気味だ。

 がらりと教室の扉を開ける。

 太陽の光が角度的に少しだけ差し込んでいたので、電気を点けるまでもなかった。

 教卓の前を通り、5列並んでいる内の4列目の後ろにある自分の席へと向かう。はやての隣の、窓際の席には、はやての住んでいるアパートの管理人の孫である綾瀬晶の机がある。多くの生徒たちと同じように、机の中には各教科の教科書や参考書などというものが置き勉されている。

 特に変わった様子はない、他の生徒たちが使っているような普通の机である。

 昨日のことを思えば、他の生徒たちからはあまり良い印象を向けられているわけではなかった。だがはやてからすれば、確かに無愛想で、少しだらしなさそうなだけで、他の男子生徒と変わらない印象を抱いていた。確かに時々向けられる視線が少しだけ気になるときもある。

 せや、こうしてる場合やない!?

 慌ててはやては何故朝早くから学校に登校したのか、その理由を思い出す。

机の横に鞄を引っ掛け、はやてはすぐさま教室を後にする。

 

「リイン、サーチャーは飛ばしてくれた?」

「やっておいたですよ、はやてちゃん」

 

 教室を出ると白いバリアジャケット姿になっているリインがフヨフヨと宙に浮いていた。

まだ生徒たちが来ていないために、彼女を自由にしても良いだろうと思っていた。

はやてが教室に行っている間にリインにサーチャーを飛ばしてもらい、学校の中を調査してもらっていたのだ。

 どうやら彼女の様子から遅くなったことを気にしている様子はない。

 遅くなったといっても5分も掛かっていないので、気にするほどではなかった。

 

「1階の奥の方に僅かですが反応があったですよ」

 

 虚空から小さなモニターのようなものを出す。

 ミッドチルダの技術はこの地球よりもはるかに発展しているために、これくらいはお手の物だった。

 モニターに映し出されているのはこの有馬第一高等学校の校舎内の見取り図だった。点滅しているのはおそらくリインが放ったサーチャーなのだろうと思う。

 リインが反応があったと言う1階とはやてたちがいる2階の反対の側、そして三階の方にもサーチャーが放たれていた。その中で反応を察知したのが1階の何故か保健室の周辺だった。

 そこに一体何があるんやろう……。

 そう口元に指を当てながら考える。

 その時だった。

 突然に放たれていたサーチャーの1つが反応を消し、忽然とモニターの仲から姿を消したのだ。それに最初に気付いたのはサーチャーを放っていたリインであり、リインの言葉を聞いて慌ててはやてはモニターを食い入るように見る。

 確かに先程あったサーチャーが消えていた。

 まさに保健室の前を通過しようとした瞬間に何かには解されたかのように掻き消えたようだ。その辺りには生体反応は感知されていなかったはず。それなのにサーチャーが破壊されるというのがあるのだろうか。

 何か対魔法用のトラップか何かが仕掛けられていたのだろうか。

 そうなると魔法に精通した人物がこの学校にいることになる。

 魔法知識を持っている人間が地球のような管理外世界にいるというのは、何も珍しいことではない。はやても何人もそういう人物のことを聞いたこともあるし、会ったこともある。

 はやての知るそういう人物たちはほとんどが良識のある者たちであったが、決して全員がそういう人間とは限らない。

 時空管理局から逃れて研究を行うという人物もいる。次元世界で起きている誘拐事件がそういう人物たちによる犯行の可能性も零ではなかった。

 そう考えると今回の任務は色々とまずい。

 この学校に被害が被る可能性もあると考えると、転校してきたばかりだというのに話しかけてくれた友人となった美穂と理恵が危ない。

 彼女たちを傷付けさせるわけにはいかへん!

 

「リイン、早速行ってみよか!」

「はいです!」

 

 兎に角そのサーチャーが消えてしまった保健室の周辺に行って見なければ、何が起きたのか分からない。二人は回りに気を配りながら足早に1階へと向かうのだった。

 

 

 はやてとリインは階段を降りて1階へと来ていた。

 保健室に続く廊下を足早に移動する二人。朝だというのに少しだけ寒気を感じた。登校したときには感じなかった感覚だ。思わずはやては首からかけているシュベルトクロイツの大気状態である剣十字のネックレスをギュッと握ってしまう。

 だがそれだけで心が軽くなる思いだった。

 失われてしまった家族の1人が、まだ隣にいてくれているような気がするからだ。

 大丈夫や。

 自らを鼓舞し、はやては保健室へとさらに歩を進める。

 視線の先にあるその角を曲がれば保健室のある通りに出る。

 そこまで来たところで、ふと2人は足を止めてしまう。

 その角の向こうに確かに魔力の残量粒子が漂っているのを感知したからだ。その反応はリインの魔力で間違いないが、ほんの僅かであるが別の何かが混ざっていた。高エネルギー反応があるが魔力とは少し違うそれ。警戒をさらに強め、いつでも騎士甲冑を展開できるようにする。お互いに視線を重ね、頷き合う。

 そして勢いよく角から姿を二人は出した。

 しかし二人の視界には両脇に保健室と会議室がある廊下が続いているだけの光景だった。警戒していた分、大きく肩透かしを食らった気分だ。

 保健室の扉にあるくぼみに手をかける。

 それを横にスライドすると――ガラガラッと音を立てて扉が開いた。

 用務委員が来ているのは分かっていたが、まさか保健室が開くとは思わなかった。何せまだ他の教師たちの姿を見ていなかったし、生体反応もなかったためにてっきり開かないとばかり思っていた。

 しかし何があったのか保健室に入ることが出来るようだった。

 保健室の中は明かりが点いておらず、カーテンも閉め切られているために真っ暗だった。奥の方から何か冷たい空気が流れてきて、はやては自分の心臓を鷲掴みされるように感じられた。

 ゴクリと生唾を飲み込む。

 警戒しながらゆっくりと保健室の扉を完全に開ける。そしてゆっくりと足を踏み入れる。

 寒い……。

 まるで冷凍庫の中に入ったかのような感覚だった。4月に入ったばかりで、まだまだ朝は肌寒い時があるが、これほどまでではなかった。

 しかしはやてとリインが保健室に入った瞬間全身が震え上がるような寒気を感じた。リインはユニゾンデバイスであるが、一応体温感覚もあった。そのリインも同じく感じているということは、間違いなくこの保健室だけが異質な空間となっていることに他ならなかった。

 僅かに残っている魔力の反応。

 リインの魔力反応とは異なるものだ。異質な高エネルギーのそれとも違う。間違いなく魔力を帯びた何かがここにあったことが分かる。それが今回の任務の候補に上がっているレリックなのか、それともそれ以外のロストロギアや魔法関係の遺物なのかどうか。

 考えてしまえば色んな可能性が出て来る。

 思考することに浸ってしまっていたはやて。それが彼女がさらしてしまった大きな隙だった。その場にリインがいたとはいえ、彼女はまだまだ経験が浅いために、それに裏づけされた鋭い勘というものがなかった。もしここに夜天の王の元に集う守護騎士であるヴォルケンリッターの誰か1人でもいたら展開は変わっていたかもしれない。だが現実ではそうはいかなかった。突然開けられていたはずの保健室の扉が閉められ、カギが掛かったのだ。それが完了するのに5秒も掛からなかった。あまりの突然のことに反応が遅れてしまったはやて。慌てて扉を開けようとするもまったくびくともしない。鍵を開けようとしてそちらに方に視線を向けた――その瞬間にセーラー服の襟元を捕まえれ、後方に引っ張られたのだ。

 大の大人の力で引っ張られたはやては後ろ向きに床に倒れる羽目になる。

 何とか立ち上がり、すぐさまデバイスを起動させ、騎士甲冑を纏う。

 今回はリインとユニゾンはせずに、2人で気配を探ることにする。

 確かに保険室内に何かがいるのは分かる。だがその何かの姿が見当たらない。不気味すぎるその存在に、はやての手に持っているデバイスであるシュベルトクロイツを握り締める力が無意識に強くなる。

 ゾッとするような感覚が背中に走る。咄嗟に身体を翻しながら、シュベルトクロイツを構え、シールドを展開する。まさに展開されると同時に何かの腕が叩き込まれた。力づくでシールドを撃ち破らんとして、叩き込まれた腕を押し込んでくる。踏ん張るようにするはやてであるが、徐々に膝が折れそうになる。

 

「はやてちゃん!」

 

 飛び出したリインが周りに透き通るような氷の短剣を生成し、虚空から伸びている腕に向かって投擲した。鋭い刃を持つその氷の短剣がその黒いローブから伸びている腕に突き刺さる。小さく痙攣したその腕は、力を込めてリインの放った攻撃を抜き取った。床に落ちた氷の短剣はガラス細工のように砕け散り、魔力の粒子へと変わった。

 その虚空に半透明であるが二人を襲った存在の姿が映った。

 竜を模した仮面を被り、まるでエジプト神話に登場するミイラのように体中を包帯で巻かれており、その上から黒いローブを纏っている存在だった。

 人間やない……。

 それだけはすぐにはやては理解した。

 ならば守護騎士たちのように魔法生命体なのか。

 だが彼女たちは目の前に見える存在のように半透明な状態になることはできない。透明になる能力、稀少技能(レアスキル)を持っているのであれば話は別であるが。

 

「あんた、一体何者や……?」

 

 はやてはそう尋ねながら、結界を展開する。

 ここで暴れまわり、保健室を荒らすわけにはいかないからだ。それに防音対策と人払いをしなければ他の教師や生徒たちを被害に巻き込んでしまう。未知の存在との遭遇に心臓は早鐘を打っているが、努めてはやては冷静に行動しようと自分に言い聞かせていた。

 リインも再び短剣を生成し、いつでも射出できるようにしている。

 管理局員として交渉するはやてであるが、相手の方は言葉だけでなく反応すら返さない――分けではなかった。ようやく口を開いたかと思いきや、大きく息を吸い込み、そして紫色の瘴気のようなものを吐き出してきた。

 ここではやては自分たちが今自らが作り出した結界という名の檻の中にいることに気付く。外には一切内からのものは漏れはしないが、逆に密閉されているために内に溜まることになる。咄嗟に口と鼻を抑えたが、それはまったく無意味な行動だった。

 あ、あかん……。

 

「はやてちゃん!?」

 

 人間が長時間息を止めていられるわけはなく、さらにその毒は皮膚や目などというあらゆる粘膜からはやてのことを侵す。はやては視界がグルグルと回っているのではないかという錯覚に陥る。さらに立っているのか、座っているのか、倒れているのかまったく平衡感覚が取れないでいた。あらゆる感覚が麻痺してしまい、さらに筋肉が弛緩し、立っていられなくなり、床にぱたりと倒れてしまう。呆然として目を見開いたまま、保健室の天井を見つめるだけになる。

 遠くの方でリインが叫んでいる声が聞こえるが、口が麻痺してしまっているようで言葉を返すことが出来なかった。

 

「はやてちゃ――っ!?」

 

 竜の仮面にある双眸がギラリと光る。

 その視線で睨まれたリインはまるで蛇に睨まれたカエルのように縮こまってしまい、ガタガタと震えだした。そして振り上げられた腕が彼女に叩き込まれ、まるでボールのように床に叩き付けられ、数回バウンドし、動かなくなる。

 僅かに動いた瞳でその光景を見たはやてに怒りが湧き上がった。

 それだけで身体が動くと思った――だがそんな彼女の気持ちとは裏腹に、身体はピクリとも動いてくれなかった。

 何でなんや……。

 

(リ、リイン……しっかり、してえな……)

 

 呆然と目を見開いたまま、まるで壊れた人形のように床に転がっているリインの姿が、目を閉じることも出来ないはやてにまるで見せ付けられているように映っていた。

 僅かに遠くの方からこちらに近づいてくる音が聞こえた。

 ゆっくりとした足音。

 そして次の瞬間強制的にはやては意識が遠のくのを感じた。五感を奪われていたために何があったのかは分からない。だが確かに傍に誰かがいるのは分かった。きっとその誰かが気絶させたのだと理解し、意識を失った――。

 

 

 はやては暗い、ずっと暗い闇の中にいた。

 見渡す限り漆黒の闇。はやてはこのような場所を一度見たことがあった。それはまだ夜天の書が闇の書と呼ばれていた時、取り込まれたその中でだ。

 だがその闇よりもずっと深く、そして冷たいものだった。そして何よりおぞましく、足元から闇に飲み込まれるのではないかという錯覚を覚える。

 不意に声が聞こえてきた。

 それははやてに対しての言葉ではなかった。

 そうと分かっていながら、はやては思わず聞き耳を立てる。

 周りから聞こえてくるのは慟哭であり、屈辱に対する怒りの声であり、無念の怨嗟であり、喪失に対する悲しみの叫びであった。

 一体ここはどこなのだろうか。

 あらゆる負の連鎖が断ち切られることなく複雑に絡み合い、もはや解けぬほどまでになっているようだった。

 突然足に何かが引っかかる。次々と何かがはやての足に触れたのだ。背中に走る悪寒。反射的に視線を足元に落とし――はやては驚愕に、目を見開く。

 はやてが立っていたと足場がまるで闇の沼のようになっており、そこから伸ばされた白い子どもの手が無数に現れ、はやての纏っている騎士甲冑に掴み掛かり、そんな細い子どもの手とは思えない力で引きずり込み始めたのだ。

 

「や、やめて……!」

 

 怯えた生娘が上げる悲鳴だった。

 そこには夜天の王の高潔さも、管理局員としての勇ましさもなかった。

 ただ理解不能な光景と恐怖にただ怯えるしか出来ないでいた。

 助けを求めても誰もはやての伸ばした手を掴んではくれなかった。ズブズブと闇に呑まれていくはやて。完全に溺れる前に最後にはやてが見たのは、そんな漆黒の闇の空間にただ異質なものとして存在し、儚い光を放っている黄金の杯だった――。

 

 

 4月4日 地球 有馬市 有馬第一高等学校

 

 

 ある小説を読んだときのあるキャラクターのセリフを思い出した。

 知らない天井や……。

 思わず呟いてみたくなり、周りを気にせずポロリとはやては言葉を漏らしていた。

 はやての瞳には白い天井が映っており、顔を動かしてみるとここが保健室なのだと分かる。白いカーテンで仕切られており、外からははやてが寝ている様子は見えないようになっていた。

 そんなことよりもはやては慌てて布団を跳ね上げ、上半身を起き上がらせた。

 今時分の服装はどうなっているのか……慌てて視線を下に向けた。

 そこには有馬第一高等学校の女子に指定されているセーラー服がしっかりと着込まれていた。

 思わずホッとして、胸を撫で降ろす。

 そしてはやてはベッドに横になる前のことをハッとして思い出す。

 保健室に入り、突然閉じ込められ、リインが倒れ、そして――気を失った。

 

「あ、あれ……何かを忘れているような」

 

 何かとても大切なことを忘れているような気がした。だがどうしても記憶に靄が掛かっているようだった。その靄を払おうとしても、どうしても頭痛が起きてしまい、それを知ることが出来なかった。

 はやては自身よりも先に倒れてしまったリインのことを探す。

 そのリインはベッドの近くに置かれている白いテーブルの上に剣十字型のネックレスの待機常態となっているシュベルトクロイツと一緒に人形のように置かれていた。

 誰かに見られないようにするために身動きをとらないようにしているようだが、周りに人の気配がないということで、はやての元に飛んできた。

 

「大丈夫ですか、はやてちゃん!」

 

 心配していたと顔に書いているように思えて、思わず破顔する。

 

「ずっと目を覚まさなかったから心配したですよ!」

「心配してくれてありがとうな、リイン」

 

「もう大丈夫や」わざと力こぶを作るような仕草を見せながら言う。

 そんな冗談を言えるくらいだからもう大丈夫なのだろうと、リインはホッとして小さく息を吐く。

 そんなリインの様子を見て、はやては彼女に相当心配を掛けてしまったと申し訳なく思う。

 

「そうやっ! リインは大丈夫なん?」

 

 靄が若干掛かっているが、リインが何かにやられた光景をはやては忘れていなかった。あの時大切な家族を傷つけられたということで、胸には激しい怒りが生まれていた。だが身体が毒のせいで動かないということで、何もすることが出来なかったことに対して悔しさを感じていた。

 

「リインも大丈夫ですよ。ところどころ記録が途切れてますが、感知していた反応の記録はちゃんと残っているですよ」

 

 リインの状態や記録は大体無事であることが確認でき、本当の意味で安心できた。

 それにしてもあの時保健室で自分たちが一体何に襲われたのか、その何者かの姿を思い出せないでいた。

 あかん、またこれや……。

 深く知ろうとするとすぐに頭痛に襲われる。

 それはリインも同じようで、まるで機械が強制終了するかのように意識を失ってしまい、その後すぐに意識を取り戻すというはやてとはまた違うことが起きるようだった。

 デバイスである彼女に記録として残っていないということは、その何者かが二人に対して何かを施したとしか思えない。今のところは頭痛などという軽い症状であるが、これよりも重いものとなれば まずいと思った。

 それにしても今は何時やろか?

 保健室の壁に掛けられている時計を見ようと、そのカーテンによる仕切りを開けた瞬間――はやての前に1人の少女の顔がアップで現れた。

 

「「わひゃあああっ!?」」

 

 2人は思わず悲鳴を上げて後ろに後ずさる。

 

「あ、あの八神さん……?」

 

 彼女はどうやらはやてのことを知っているようだが、はやては彼女のことを知らない。首元のリボンの色が同じく青色であるために同級生であるのは分かった。

 はやては申し訳なさそうに「え、えっと……転向してきたばかりで分からへんのや。誰やったかな……?」彼女に名前を尋ねる。

「そ、そうだったね。私とは初対面だものね」

 

 はやての質問に対して嫌な顔せずに彼女は名前を教えてくれた。彼女の名前は長谷川真由と言うらしく、はやてと同じく2年F組の生徒で、保健委員だそうだ。

 

「私、その保健委員の仕事が丁度今日で、今は保健医の小原先生が席を外してるから私があなたの様子を見てるように言われていたの」

 

 そう彼女が説明を終えると同時に保健室の入り口の扉がスライドされ、開けられた。

 そこに現れたのは白衣を着たまだ年若い男性だった。

 

「ああ、八神くん。もう起きたのかい?」

 

 保健医の小原勇治だった。

 書類を手にしていることから、彼が席を外していたのは職員会議に参加していたからのようだ。

 

「ぐっすりだったね。疲れていたのかな?」

「そ、そうかもしれません」

 

 取り敢えず誤魔化さなければいけなかったので、適当に疲れで倒れてしまったというでっち上げにしておいた。

「朝に保健室に行ったら君が倒れていたから、本当に驚いたよ」

 

 机に職員会議で使用した資料を置きながら、元気になったはやてを見てほっとした表情を浮かべながら言う。

 どうやらはやてが保健室に入ってから数分後に小原は仕事場である保健室にやって来たそうだ。鍵を解除して、中に入ってから最初に目に入ったのは床にうつ伏せで倒れたはやての姿だったそうだ。

 ベッドに寝かせくれたのは第1発見者である小原のようだ。

 色々とお世話になったようで、「ありがとうございます」はやてはお礼を言う。

 

「いやいや、保健医として当然のことをしたまでだよ」

 

 柔らかい笑みを浮かべながら言う。

 そういえばと思いながら時計を見る。すでに時計は16時30分を指しており、すっかり時間が夕方になってしまっていることを指し示していた。

 ね、寝すぎや……。

 管理局員になってから、これほど長時間、ほぼ半日も寝るだなんてしたことがなかったので、はやてにとっては衝撃だった。

 

「あ、この写真は……」

「え、まさか……」

 

 時計から視線をずらすと、丁度小原の使用している机の上にあった写真立てが眼に止まった。

 はやての声に真由もその写真立てに視線を向ける。

 すると何か驚いた様子に変わり、目を見開き、口元を隠している。

 その視線はその写真立てに入っている写真に写っている1人の少女に注がれていた。

 僅かに沈痛な表情を浮かべ、その写真立てを手に取る。

 

「この子は私の一人娘なんだ」

 

 沈痛な表情に、少しだけ笑みが浮かんだ。彼女のことを一人娘として愛おしそうに見つめている。小原が彼女をどれだけ愛しているのかが、その表情だけで分かる。僅か数年しか一緒にいられなかったが、はやては幼い頃に、両親が彼女に向けてくれていた表情と重なったように思えた。

 最初に見せた沈痛な表情はどういう意味を表しているのか。それは考えずともはやてはすぐに理解した。

 小原先生……。

 はやての視線に気づいたのか、小原は努めて笑顔で対応する。

 だがその笑顔が仮面であるのは、家族を失った辛さを味わったことがあるはやてには丸分かりだった。

 

「自分では知らず知らずの内に疲れは溜まるものだよ。君は転校生だったよね。その疲れもあったんだよ」

 

 人の良い笑顔を見せながら小原は「今日は帰ってゆっくり休みなさい」はやてを気遣うように言う。確かに今日のところは帰宅した方が良いだろうと思い、もう一度お礼を言ってから保健室を後にした。

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