西暦2018年8月末、窓の向こうには真夏の太陽が照りつけている。バーテックスが出現した後も、四国の空や街並み、行き交う車や人々、蝉の鳴き声。全てが何一つ変わらない日常に見えた。
バーテックス襲来の後、四国には"神樹"という特殊な樹が出現し、瀬戸内海には巨大な植物の根の様なもので覆われた壁が発生した。神樹は土地神そのもの、壁は四国をバーテックスから守る為の結界だと言われている。
この地にいる限り人々は安全である。限られた狭い空間で約束される箱庭の安寧。しかし、一見平和に見える日常にも変わってしまった点は確実に存在している。
街を歩く人々の中には帽子や傘を差している人が多く見受けられる。時期から見れば真夏の日差しから守る為だと思うだろう。だがそうではない。
"天空恐怖症候群"ーー
3年前のあの日、バーテックスの襲撃をその身で経験した人の一部は、精神的ショックにより空を見る事を異常に恐れるようになってしまった。その症状を天空恐怖症候群と呼び、重度になると建物の外に出る事すら出来なくなってしまう。
あの日以来バーテックスの襲撃は起こっていないが、バーテックスは今でも四国の人々の心に深い爪痕を残しているのだ。
友希那「……そろそろね。」
時計を見た友希那は傍に置いていた刀を手に取り、放送室へと向かう。丸亀城の一部は改装され、友希那達の学校として使われている。その学校に通う生徒は六人のみ。五人の"勇者"と、一人の"巫女"。勇者も巫女も、全て幼い少女である。穢れを忌み嫌う神に触れる事が出来るのは、無垢な少女だけだからだ。
放送室に入った友希那は、無線機のスイッチを入れ、通信を繋いだ。暫くの雑音の後、落ち着いた少女の声が通信機から発せられる。
?『………諏訪より、美竹です。勇者通信を始めます。』
友希那「香川より、湊よ。宜しく。」
通信していた場所は諏訪ーー長野県諏訪湖東南の一部には、ここ四国と同じように結界が存在し、人々が暮らせている環境がまだ残っている。美竹蘭はその諏訪を守っているたった一人の勇者である。
友希那「美竹さん、そちらの状況はどう?」
蘭『芳しくはありません。最も、そんな事はあの日から一度も変わってないんですけどね。それでも私は"いつも通り"やっていくだけです。』
友希那「………頼もしいわね。」
元々長野は、諏訪湖を中心としてもっと広い地域が安全に保たれていたのだが、バーテックスが現れてから三年の間に、次第にその地域は侵攻され、今や安全が保たれている地域は諏訪湖東南の一部のみである。
蘭『今は現状維持が出来るだけ………---でしょう。』
友希那「ごめんなさい、通信にノイズが入ったようで。」
蘭『現状維持が出来るだけ御の字って事です。通信のノイズ、最近多くなっていますね。』
友希那「そうね…。」
蘭『この通信もいつまで続けられるか………。』
考えると気分が沈んでしまう。友希那は不安を見せぬよう、敢えて話題を変えた。
友希那「ところで美竹さん。そろそろ決着をつけようと思わない?」
蘭『良いですね。私もそう思っていたところです。』
友希那・蘭「『うどんと蕎麦、どちらが優れているのかを!!』」
不敵に笑い、二人の声が重なった。
友希那「勿論、うどんの方が優れているに決まっているわ。」
蘭『比べるまでも無く、蕎麦の方が優れています。』
二人の討論は続く。どちらも引けを取らず相手を打ち負かす反撃の糸口を探していた。その時、校内にチャイムが響き渡る。今は夏休みだが、チャイムは毎日正確に同じ時刻に鳴る。それがタイムアップの知らせだった。
友希那「時間切れね。」
蘭『そうですね。………明日からは新学期が始まりますから、通信は放課後の方が良いですね。』
友希那「そうね。では、諏訪の無事と健闘を祈っているわ。」
蘭『四国の無事と健闘を祈ります。』
友希那は通信を切った。この時間は友希那にとって大切な時間だった。何故なら、この通信は唯一の"外"との繋がりだから。四国以外にも共に戦う仲間がいる事を友希那は実感出来ているのだ。
翌日。九月になり、新学期が始まる。尤も、友希那達は夏休み中も訓練と称して毎日学校に来ていたからあまり実感は湧いていなかった。勇者と巫女は、人類をバーテックスから守る最後の矛。日々の訓練は欠かせない。
毎朝、一番早く登校してくるのは友希那である。教室に入ると軽く教室を清掃し、黒板のチョークを補充する。
?「おはよー!!あぁっ、また友希那さんが一番!?今日こそはあこが一番だと思ったのにぃ!」
次に教室に入ってきたのは宇田川あこ。友希那と同じく勇者で中学2年。友希那とは同学年なのだが、何故か大抵の人とは敬語で話しをしている。そしてどういう訳かリサの事はリサ姉と呼んでいる。
そしてあこの後ろから隠れるようにして、白金燐子も教室に入ってきた。隠れるといっても、燐子はあこより背が高いので全く隠れていないのだが。二人の性格は正反対と言っても良い。活発なあこに比べ、燐子はとても大人しい。因みに、燐子は年齢は友希那達と同じなのだが、体が弱く小学三年の頃に病気で長期入院してしまい、同じ学年をもう一年やり直している。その為、学年では中学一年生である。
友希那「宇田川さん、白金さん、おはよう。」
あこ「友希那さん!明日こそはあこが一番乗りですからね!」
友希那「因みに言っておくけれど、今日はあこはニ番では無いわ。」
あこ「え?」
リサ「おっはよーあこ。今日は私がニ番。」
あこ「あっ、リサ姉!?うぇー……一番乗り番の壁は険しい…。」
そんな風に騒いでいると、氷川紗夜が教室に入ってきた。彼女も勇者の一人であり、学年はここでは唯一の中学三年生である。
紗夜「……おはようございます。」
紗夜は軽く挨拶をし、すぐ自分の席に座ってしまった。そして始業のチャイムが鳴る寸前、高嶋香澄が教室に飛び込んでくる。
香澄「おはよーございまーす!高嶋香澄、到着しました!良かった、遅刻じゃない!」
香澄は教室にいるみんなと挨拶を交わし、紗夜の隣の席に座った。
紗夜「おはようございます……高嶋さん。」
香澄「おっはよー、紗夜ちゃん!」
紗夜「今日は珍しく遅かったですね。」
香澄「うん!昨日、格闘技のテレビ番組を見てたら興奮して眠れなくなっちゃって。」
普段は距離を取っている紗夜だが、香澄とだけはよく会話をしている。香澄は紗夜より歳下なのだが、あこと燐子がそうであるように、二人も年齢を気にせず同学年のように話をしている。香澄は親しみやすい性格で、誰とでも分け隔てなく話している。そんな香澄の性格だからこそ、他人と壁を作りがちな紗夜とも会話をする事が出来るのだろう。
午前の授業が始まった。勇者と巫女だけが集められた特別学校と言えど、授業は普通の学校と同じように行われている。それに加え、友希那達はバーテックスに対抗する為の訓練がある。
まず初めに、訓練として三年前にバーテックスと自衛隊が戦った時の映像記録を視聴した。街中に現れたバーテックスに対し、自衛隊はライフルや戦車の砲弾を打ち込むが、バーテックスは傷一つ付かず、怯むどころかバーテックは蟻の様に戦車に群がり、装甲を紙の様に喰い破る。そして生身の人間はバーテックスの餌に過ぎなかった。
バーテックスには通常の兵器は通用しない。勇者が持つ武器だけが、ダメージを与える事が出来る。
友希那が持つ武器は刀ーー三年前、出雲の神社に奉納されていたものである。素材の鑑定結果から科学的に考えれば、平安時代以降に作成されたありふれた刀に過ぎないのだが、勇者である友希那が戦う意思を示して握った瞬間、刀に神威の力が宿る。ある巫女は、友希那の刀に宿った力を"生太刀"と呼んでいた。
担任「バーテックスに対抗出来るのは勇者のみです。あなた達勇者の力が必要なのです。」
今の記録や、担任からの言葉。友希那達にとってはもう何度も見聞きしたものだった。
バーテックスとは何者かーー
何故人類が攻撃されているのかーー
具体的な事は何一つ分かっていない。ただ一つ分かっている事は、バーテックスが人類に仇なす存在であり、土地神が人類を守る為に力を貸しているという事のみ。
紗夜「どうせだったら、土地神が戦ってくれれば良いんですが……。」
その言葉に反論出来る者は誰一人いなかった。
今日で映像を見た後は戦闘訓練になる。リサだけは友希那達と異なり、巫女としての訓練を受ける為に別の場所へ移動した。勇者が受ける訓練は多岐に渡る。運動による体力の向上、格闘技術の基礎訓練、座禅を組んでの精神修養等様々だ。
友希那達は三年前の襲来以来、まだバーテックスとは一度も戦っていない。しかし、いずれはバーテックスから世界を取り戻す為に戦闘は避けては通れないし、近いうちに四国が侵攻を受ける可能性も高い。戦闘の備えは常に欠かせない。
午前の授業が終わり、昼休みになった。友希那達はいつも六人一緒に食堂へ向かう。纏まって食事を取るのは友希那が提案した。少しでもチームワークを高める為にである。最初、紗夜は反対していた。紗夜は一人でいる事を好んでいたから。だが香澄が一緒に食べた方が美味しいと紗夜に言った事で、参加する様になった。
食堂に入ると、友希那達以外にも数人の大人の姿があった。教師達やバーテックス対策において政府から全権限を委任された機関である"大社"の人間達だ。"大社"とは、バーテックスの出現以降、社会の表に出てきた組織である。
友希那達は各自セルフサービス形式で食事を取り席に座る。
香澄「訓練の後のご飯は美味しいね!」
紗夜「そうですね。」
あこ「りんりん。本読むのは食べ終わった後で良いんじゃない?」
燐子「うん……そうだね……。」
他愛もない会話が弾む中。
あこ「……それにしても、毎日毎日訓練って、どうしてあこ達がこんな事やらないといけないんですか?」
あこがボヤくように呟いた。
リサ「バーテックスに対抗出来るのは勇者だけだからね。」
あこ「それは…分かってますけど……普通の中学生って言ったら、友達と遊びに行ったり、そういう生活をしてますよね。」
友希那「今は有事よ。自由が制限されるのは仕方のない事だわ。」
あこ「うーん………。」
あこは友希那の言う事に納得がいっていないのか、腕を組みながら唸る。
友希那「私達が努力をしなければ、人類はバーテックスに滅ぼされてしまう。私達が人類の矛に--」
あこ「それは分かってます!!」
突然あこが声を荒げる。だがすぐさま自分のした事に気づいたのか、顔を俯けて謝った。
あこ「ごめん……なさい…。」
燐子「あこちゃん……。」
勿論友希那にもあこの気持ちは理解出来た。あこは我儘を言っているのではなく、不安なのだ。バーテックスの戦いは危険との隣り合わせだ。もし交戦になれば、生き抜けるかどうか、寧ろ命を落とす危険の方がずっと高いだろう。事実、三年前に友希那がバーテックスと戦った時も、リサがいなければ友希那は殺されていた可能性だってあった。
友希那(………それにあこは、自分以上に燐子が傷付く事を恐れているんでしょうね……。)
実際燐子は運動が得意ではない。格闘技の訓練も成績が芳しくなく、いざとなったら一番に命を落とす可能性が高いのは燐子だろう。
沈黙が六人を包むが、静寂を破ったのは香澄だった。
香澄「ご馳走様!今日も美味しかった!」
空になった丼をテーブルに置いて、香澄ら満足そうに手を合わせる。そしてキョトンとした顔で周りを見回した。
香澄「どうしたの、みんな?深刻な顔して。」
友希那「香澄………さっきまでの話、聞いていなかったの?」
香澄「えっと……ごめん、友希那ちゃん。うどんが美味しすぎて、周りの事が意識から飛んじゃって………。」
そんな香澄の言葉に一同は大きなため息をついた。
香澄「ええっ!?なんでみんなため息をつくの!?大丈夫。私達はみんな強いし、みんなで一生懸命に頑張れば何とかなるなる!」
香澄は屈託のない笑顔でそう言うのだった。