クモ行き怪しく!?   作:風のヒト

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山にはクモが掛かるでしょう2

 

―― アーちゃん、貴方は元気にしているでしょうか?

―― ちゃんとご飯は食べているでしょうか?

―― 俺は元気でご飯もちゃんと食べてます……

 

「客人を招いての食事なぞネテロのジジイ以来じゃないかの?」

「そういえばそうだな。オレの記憶が正しければ二十年くらい前か」

 

―― 何故か伝説の暗殺一家と一緒に食事をしていますが……

 

「うーん…… これは予想外」

 此方を見て首を傾げるイルミにそれはこっちの台詞と言いたかった。

 

 なぜなにどうしてこうなったと矢継ぎ早に脳内に浮かぶ言葉の返答は一着の服である。

 

―※―※―※―※―※

 

 父親ことシルバの服を一着作れとイルミに頼まれトールはうっかり了承したために引けなくなり、早足で自室に戻った。

 そしてまるで忘れものでも取りに帰ったかのようなとんぼ返りで戻って来たトールが仕立てたのはシルバがあの日来ていた服と上下ともまったく同じ一着だった。

 部屋の中を監視せず、仕立ての現場を目撃していないイルミもそろそろ座ろうかと思ったミルキも、父の服を取って来たのかとありえない考えが浮かぶほどにその服はその日シルバが来ていた服そのものだった。

「ホラ、あなた! イルミの親孝行がこっちで待ってるのよぉ!」

「ったく、そんな引っ張らんでもいいだろう……」

 そしてトールより遅れて奥さんがシルバを連れてやってきた。

 シルバが初めてトール達と会った時と同じ服を着ていたのをミルキは確認すると、ああやっぱり同じ服だと再認識する。

「あら、もう服が出来たのね…… まぁ! いま着ている服と同じじゃない!?」

「え、ええ。今旦那様が着ていること自体は偶然ですが、いきなり新しい服といってもデザインが気に入らなければ邪魔でしょうし、それに質には自信がありますので初めてお会いした時に見た服とほぼ同じものを仕立てさせていただきました。 それでも細部は多少動きやすいように変えてありますが」

 イルミの圧と奥さんのオーバーリアクションに負けて服を仕立てるに到ったトールであるがそれでも服に関しては妥協その他一切はしない、常にその時出せる全部を使う。

 トールもトールでイルミらゾルディック家の大半の者達とベクトルこそ違えど、同じだけの狂気染みた執着心と高いプライドを持っていたことをさす証拠だ。

 

 これの恐ろしいところは本人が無自覚である事でもそれを裏付ける能力でもなく、蜘蛛と交わる前からの性分であることだろう。

 

 シルバはトールから服を受け取ると、その言葉通りなのか定めるために目と手でもってじっくりと確かめる。

 ここまで言っておきながらトールは心の内で南無三と叫ばずにはいられなかった。

 体感時間数分に感じる数秒の静寂、それを破ったのはトールのゴクリと鳴る喉…… ではなく。

「フフ…… なるほど確かに動きやすいな」

 シルバの笑いと何かを納得するものであった。

 これはどういった意味の笑いと納得なのか? ただ緊張を延ばされたトールはそう言いたい衝動に駆られながらも、言う胆を持っておらず静かに拳に力が入るのみだ。

「親父これを持ってみろ」

「何じゃ、そんな面白いのかその服?」

 トールの後ろの扉から聞こえた声にぎくりとしながらゆっくり振り向くと、そこには手を後ろに組んだ老人がカルトと共にいた。

 悠々と自分の横を歩くこの老人、ほぼ間違いなくシルバの親父さんたるゼノだろう。

 

―― お気に召したかどうか言うかと思ったら着々と家族が集合してきたんですけど!?

 

 人知れずショックを受けるトールなど誰も気にせず、否、何故かカルトが座敷わらしか何かの類のようにじっとトールを見ているが、それ以外の者達はトールの作った服を持つゼノを見ていた。

「ほう、確かにこれは面白いのう!」

「だろう?」

 そして服の評価は『面白い』であった。

「のう、おぬし刺繍は出来るか?」

「出来ますよ」

 良加減服の評価を聞きたいのに、またしても別のしかも質問であった。

 それでも反射的に答えてしまう自分に、服飾関係も【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)が発動しているんじゃないのかとありえない疑問が浮かぶ。

「これ、なんて書いてあるか読めたりするか?」

 ゼノは自身の服を指す。

「しょうがいげんえき、墨文字が見事ですね」

「気に入った、わしも数着仕立ててくれんかのう」

「オレの分も頼もうか」

 

 聞きたかった問は注文という形で答えられた。

 

―※―※―※―※―※

 

 こうして晴れてほぼゾルディック家全員の服を仕立てることになり、注文を聞き終わる頃には丁度昼食時となったので家族の食卓に呼ばれたのだった。

 

―― 何だか知らないけどえらく気に入られたなぁ、俺……

 

「まさかこんなところで暗殺者に相応しい服を仕立てる職人に会おうとはのう」

 

―― 何!? 俺の服ってそんな物騒なの!?

 

 料理が運ばれてくる間、自分の服の事で話すゼノとシルバに耳を傾けるが自分の服がそう評価されていて驚くばかりである。

 原因は彼の作る服…… その原材料たる糸にあった。

 実はこの糸、電気に対する金属の様にオーラが伝わりやすい材質なのだ。

 暗殺一家で通っているがその実、最終的に周りにバレずターゲットを仕留めれば良いという考えで真っ向勝負をすることも少なくないため、一秒以下の【流】の速度、コンマ数ミリのオーラの攻防力の差が暗殺完了までの時間短縮ないし時に命を救うのである。

 そんな中で特別に仕込んでいる訳でなく服そのものが頑強な鎧たりえるというのはこの一家にとって暗殺しやすい…… つまりは動きやすい(・・・・・)服と言えた。

 産み呼ばれてからこの糸製の服しか身に纏っていないトールはこれが標準であるため、例えるなら生まれついての富豪と同じだ。オーラがスムーズに流れないという貧しい状態が分からない。

 

 この糸がトールの【流】と【周】に多大な貢献をしていることさえも彼は知らない。

 

 唯トールが今わかる事は緊張していても旨い物は旨いということだった。

 

―――食後

 

「では、ここにいらっしゃる人数分…… 五着ずつの計25着の追加で宜しいですね?」

「オレのは一回り大きめに仕立てとけよ? 服なんてすぐ縮んじまうからな」

「そりゃオレみたいなせーちょーきの奴のセリフで、ブタくんのは服が縮んだんじゃなくて肥えたからだろ? なぁー、もっかい言うけどオレの服は兄貴みたいな奇抜なのじゃなくて普通のカッコいいのにしろよ」

「ッチ!!」

 何気に一番難易度の高い注文をする子供は三男坊のキルアという子だ。

 奥さんがぼそっとこの子は正当な後継者なのよと言ったが唯の自慢の子発言なのか、扱い分かってるだろうなぁ? あん? という類のものなのか…… 多分後者だろうな。

「これ奇抜かなぁ? ただ針を刺しやすい機能重視の服なのに」

 正直この中で『服』が一番奇抜なのはイルミである。他がゴーグルやら目立つ体型、洋風の家に和装なだけで服そのものが奇抜なデザインではない、次点で物凄く物騒な刺繍が施された服を着ているゼノ位のもので残りのメンツは着てる本人が奇妙なだけである。

「では、期限の方は当初の三ヶ月としてそれまでに出来れば何時でも納品という形でどうでしょう?」

「ええ私は構いませんので……」

 早く切り上げる為に期限をそのままにトールは即刻自室に戻って行った。

 

 背後からの追跡者に気付かずに。

 

*

 

「……」

 用意されている部屋に無事戻ったトールは思わぬ展開から負った精神的疲労からソファーに落ちるように座るとぼーっとそこからテラス越しの景色を眺めていた。

 

―― 服は夕飯食った後でも遅くないしなぁ…… つーか三ヶ月も一応あるし、そんな長居したくないけども

 

「ふぅー……」

 腹の具合など諸々からそう判断し、今は英気を養うべきだとしてソファーに身を預けて肺の空気と共に力を抜く

 

「わッ!!!」

「んあ?」

 

 自分の中の空気をすべて吐き出したまさにその瞬間、自分の背後から大声が聞こえた。

「何だよ気付いてた? オマエ全然驚かないな」

 後頭部から聞こえる声は少年のもの、多分次期当主と言われているキルアなる少年だ。

 何故多分なのかそれはトールが顔をあげたり振り向くかして後ろを見ないからだ。

 否、見えないのだ。

「おい、こっち向けよぉー 拗ねたのならあやまっからさ」

 

―― ビックリして首つったんじゃ阿呆!

 

 普段の野生から離れ、尚且つ安心しきったタイミングというどんぴしゃりな瞬間、そんな時に驚かそうと動く彼は確かに神に愛された暗殺界の申し子なのかもしれない。

「あーもーオレの負けってことでいいよ」

 一向にこっちを向かないトールにキルアは根負けしたようで、自らトールの前に動いて対面する形になった。

 まぁ、トールはこの状況で少しでも首を動かせばぴきりと鋭い痛みに襲われるとは彼の知る由もないことだが。

「やっぱオマエみたいな職人系のヤツって総じて頑固なの? オレんとこはそーでもないけどさぁ」

 キルアはトールが母親経由で父、祖父と気に入られている人物と認識し興味をそそられ部屋まで付けてきた。

 最も興味をそそられた部分は自分と同い年くらいの子供という認識によるものであるが。

 

 実際自分の長兄と同じくらいの年齢であり、その対象のトールは首の筋肉がほぐれることに全意識を集中させていたりする。

 

「その服飾関係? の世界に入ってどんくらい? オレは生まれて二時間後には電気ショック受けてたらしいんだけどさー……」

 キルアは質問しているにも拘らずトールの返答も待たずにべらべらとそしてふらふらと動きながら喋っている。

 余程同い年の子と話す機会が嬉しいらしい。

 後ろ向きのまま彼が何となくテラスまで踵一歩踏み込んだ時にトールは「あっ ちょ」と口を開いた。

「ん? どーした」

「え? えー、と…… うん色々聞かれたものだからどう答えていいか分からなくてね」

 そう言ってお茶を濁すが実際は急に首の緊張が解けたもので思わず声が出ただけで、まさか首つったのに必死で話の八割も聞いてませんでしたアハハー、なぞ言えるものではなかった。

「それもそうだな、んじゃあ名前! オレはキルアね! オマエは?」

「トール、トール=フレンズって言います」

 自己紹介からようやく始まった会話は、互いの好物の話にまで続いた。

 しかし、それも唐突に終わりを告げる。

「でさー…… ぅおあ!?」

 話途中に急にキルアが宙に浮かんだ、いやよくみれば何時の間にやら横にいたイルミがまるで猫を掴むようにキルアを持ち上げたのだ。

「あ、兄貴……」

「ほらキル、午後の勉強の時間だよダメじゃないか時間は守らなきゃ」

 どうやらお勉強の時間の為、迎えに来たようだ。

 それが本当に机でやる一般的な勉強なのかは置いておくとして。

「なんだよもうそんな時間かよ」

 持ち上げられたままキルアは不満たらたらという調子だ。

「んじゃ、オレはもう行くけど話の続き聞かせろよな? あと敬語禁止!!」

「う、うん」

 イルミが元から尋常じゃない目を殊更尋常ならざる雰囲気にして此方をじっと見る様に気圧されて反射的に了承したが果たして良かったものか。

「じゃ、話し相手よろしくね」

「あ、はい」

 イルミは去り際にそう言って消えていった。

 勉強終わりにまた話し相手になってくれという意味か?

 

 それでもトールは未だにソファーに座り外を見ていた。

 

――やべぇ、あの兄ちゃん来たのに驚いて腰抜けちゃった……

 

 ついさっき命を狩りに来た人間の思わぬ来訪は子供のドッキリの比ではなかった様である。

「ふぅー……」

 まぁ、それでも一分そこらも落ち着けば力も入るだろう、そう考えてゆっくり息を吐く。

 

 

 

 

「やっぱり気付いてたんだね?」

「んあ?」

 どうやらこの家族は全員暗殺界の申し子らしい。

 

*

 

 奇しくもキルアと似たタイミングでトールの呼吸を止めに掛ったのは自分の正面、つまりテラスの影から現れたカルトだった。

「お母様は別として、イルミ兄さん達にも隠れるのが旨いって言われてたけどお世辞だったのかな?」

 いやいやそんなことはないと言おうとしたが、己の体が再起動する頃には別の話題に変わりそうだ。

 珍しい物を見る目と品定めする目の半々の様な態度で見るカルトがトールの全身を見終わる頃にようやくトールの体に踏ん張るだけの力が戻って来た。

「何か御用ですか?」

「あ、敬語とかいいから年下に敬語なんて嫌でしょ? 兄さんも禁止したし」

「いえですがお客様ですし……」

「なら客のニーズには答えなよ、ボクがいいって言ってるんだから、分かるよね?」

 

――なんでイライラしてるんだこの子は!?

 

 現在カルトは察する事が大分下手になったトールでさえ分かるほどにイラついていた。

 

―― 何かのストレスを執事でなく今後会わなさそうでかつ明らかな弱者たる自分に向けてきたんか!?

 

 つまりはやつあたりだとトールはあたりを付ける。

「あー、じゃあなにか用でもあるの?」

 それでも自分から話さなければ更にイラつかせるだろうとダメージ覚悟で聞く、実際に肉体的ダメージを受けるかもしれない事を考えればこのぐらい平気だ。

「…… 無いよ」

 

―― これ理不尽の類ですわ

 

 実のところ、カルトはトールが部屋に帰った時からずっとテラス側に隠れていた。 勿論用があったから。

 

 

 トールを殺すという大事な用が。

 

 

 カルトは、いや、このゾルディック家の半分ほどはキルアに対し屈折的というべきか歪んでいるというべきか、ともかく異常な執着心ともいえる愛情を持っている。

 『キルアはこうあるべきである』そういう考えを前提にその型に彼を押しこもうとする傲慢な愛。

 他者には冷酷に、家族は温かく。 そうあるべきだとカルトはこの年にして至っている。

 だから外に興味を持つことも本当はあってはならないし、そもそも興味の中に他人がいればその分自分を見てくれないではないか。

 周りが色褪せれば自分を見てくれる、その考えに至ったカルトはトールを消すために尾行する最初の一歩を踏み出す事に何ら躊躇いはなかった。

 母には怒られるだろうが兄さんが自分を見てくれなくなる事に比べれば耐えられる、だから直ぐに広間から窓枠に足を掛けて一気にここへ来た。

 そうしてテラスに潜み手に持ったナイフを投げ刺すか直接刺すかの二択しか考えられなくなったとき、トールは部屋に戻って来た。

 あとはポジションが定まるのを待つだけだと息をひそめるカルトを前に、なんとトールは迷いなく自分のほぼ直線状にあったソファーに座り込むと何をするでもなしに此方をじっと見続けているのだ。

 

―― バレてる!?

 

 目の横を汗が一筋流れたのは決して暑いせいではなかった。

 だが、その動揺もごくりと唾液と一緒に飲みこみバレて何もしてこないのならと素早く一撃を与えて殺すという全てを投げ捨てた行動に出ようとした瞬間だった。

 そのとき大きな声と共に背後から現れた…… 声で分かる、キルアがトールに会いに来たのだ。

 しかもあろうことか自分の射線上にキルアを移動させることまでやってのけた。

 キルアは相当嬉しいらしくそわそわとせわしなく移動する為カルトはかなり焦った。

 このまま近づかれてたら流石に気付くし、なにより今コイツを殺すという目的がありましたなどと見つかった時に言えば兄は自分を嫌うかもしれない。

 だからキルアがテラスに半歩踏み出した時、カルトは全身の毛が逆立つ感覚を覚えるほどに焦った。

 それを救ったのは殺したい相手、何故か不自然に呼びとめてまでキルアのテラス進行を止めたのだ。

 

 そしてキルアが去って行き、目的が無くなってしまった。

 

 それにしても慇懃無礼だとカルトは考える。

 部屋に帰って来て自分が出る今の今までずっとこっちを見てけん制していたにも関わらず、敬語を使いあまつさえ何か用かとのたまったのだ。

「…… 用なんて知ってるくせに」

「え? さっき無いって言ったでしょ、あるの?」

 口に出さなければ何も無かったとみなすのかコイツ! 暗殺を未然に防いでおきながらなんて言い草だとカルトはムッとしてナイフを思いっきりトールの眉間に向かって呼び動作もなく投げつけた。

 しかし、眉間にたどり着く前に半ば予想通り柄の部分を片手で掴み、刃は顔を貫く前に止められてしまった。

「ッ……!?」

 予想通り…… だというのにカルトはまるで蛇にでも睨まれた蛙のようにトールの顔を見て青ざめ、その場から動かなくなった。

 

―― イルミ兄さん!?

 

 彼の顔に身内でも恐ろしいあの無表情が重なった。

 いや、あの兄にしたって感情と言う物はちゃんと存在している。

 何時だったか、キルア絡みの事で執事が粗相をしたときのことだ、あの時の顔は負の感情をドロドロに溶かした様な…… 幼心に逆鱗に触れてはならないと感じたほどだ。

 

 それに比べてコイツの表情はどうだ、一見すると怒っている様に見えてその実何も感じさせない。

 負も正も何も感じさせず、ただひたすらに『無』

 それでいて何事かに燃えている事を本能的に感じ取らせる矛盾、全てがカルトにとって初めてのことだった。

 

―― ああああああ!? 遂に末っ子まで俺をころ、ここここ殺しに掛かって…… あばばばばッ!! 生きるため以外に向けられる殺意とはかくも恐ろしいものなのですね助けてアーちゃんヘルプミー友達!!

 

 内に燃えている何事とは動揺と恐怖と混乱である。

 互いに種類は違えど頭の中はぐちゃぐちゃの混乱状態、止まった均衡を崩したのはトールの方だ。

 掴んだナイフを逆手に持ちかえ、気付いた時には瞬時にその刃の間合いまで詰め寄ったのだ。

 

「ァ……」

 

 死と言う現象を常に間近に見て育ってきた、それだけでなく一流の暗殺者になるべくこの年で既に何度も死ぬ目にあって来たカルトだ、模擬とはいえこの間合いまで侵入を許した経験もあればそれを往なす術も心得ている。

 だというのにこの瞬間素人と何も変わらぬ反応をカルトはしてしまった。

 しかし、常人より優れたカルトの目にはその変わらぬ反応をするまでのトールの軌跡を克明に捉えていた。

 予兆殺意一切無しの文字通り『不意打ち』

 原因経緯共に何も感じさせず、おそらくは死ぬ瞬間さえ何も感じないであろう。

 技術ではあるが無味無臭の毒薬に近いなにか。

 故に反応は一周回り普通の人間と大差ないものとなった。

 

 だが、兄の声も二度と聞こえぬと悟った己の耳が拾ったのは数回の金属音。

 無残に裂かれたと思った肺には嗅ぎ慣れぬ他者の香り。

 光宿らぬガラス玉となり果てなかった両の眼には自分のとは違いシンプルだが決して粗末でない和装が広がる。

 そして止まる筈だった心臓は逆に激しく鼓動し、それと別に静かに鼓動する別の心臓の動きさえ感じる。

 

 トールがナイフを刺すどころかほぼ抱き寄せるような姿勢をとったのだ。

 トールはカルトの命を奪うために行動した訳ではない、かといってカルトを何らかの奇襲から守った訳ではない。

「うん、やっぱりこの程度じゃ気付かれちゃうね」

 金属音の正体は例の如く何時の間にか其処にいたイルミがカルトの背後から頭頂部をギリギリ触れないポイントで投擲した針をナイフで弾いた音。

 行動判断の一つ『身につけている物体や遮蔽物を利用しなるべく肉体に損傷を与えない行動をする』という判断をする【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)の防御が発動したが故のポジションにトールは移動させられたのだ。

「何だ、危ないだろ?」

 パニック気味に問う脳内に反して必要最低事項を絞る様に言う能力発動状態のトールはそれでも危険性を指摘する事はやめなかった。

「可愛い末っ子の覚悟を引き継ぐつもりで軽くやっただけさ、でも失敗してるし今後はヤらないよー…… 末っ子の為にはね」

 絶対今後も投げる気だと確信めいた答えに至る半面二度とこんなところくるかと覚悟する。

 奥底ではまた会いそうだと諦めが見え始めてはいるが……

「客にこんなこと頼むのもアレだけどさー オレ、今からキルと一緒に社会見学も兼ねてほぼフルメンバーで仕事行くことになったから家にいる家族はミルキだけだしカルトのこと見といてくれない? キミみたいなタイプのソレを間近で浴びせられた経験まだこれにはなくてね」

 ソレとは即ち戦場の空気、しかもおぼろげな自覚ながら己もそこにいるであろうある種の狂人の類の放つ空気である。

 そして、カルトを執事に任せなかったのはカルトが我慢が得意な一方、我慢しなくてもいい時には柔らかく言えばヤンチャであるため見守る側が怪我してしまうことが多々あるため。

 やはり、家族の秘密に触れたばかりかキルアに興味を示された段階で彼の中では排除したい対象上位にランクインしているのだろう。

 即排除しないのは母親も気に入っているためである。

 よって不慮の事故で死んでもらえれば万々歳なため滞在中、キルアになるべく接触させず遠慮なく不慮の事態を多発させることにイルミはしたのだ。

 先ほどの針はオーラを殆ど込めていない彼なりの話のとっかかり方法であり、本当に殺す気はなかった。(死ねば嬉しい誤算ではある)

 しかしそのおかげで、カルトが未だ殺害するに絶好のポジションにいるに関わらず動かないことから精神的に参ってしまったことを見抜くと、自分の事は棚に上げてそうなったのはおまえのせいだから責任もって様子見てろと約束を叩きつけた。

「それじゃ、頼んだよ」

 仕事を受けている立場であるからか性格からかは掴めないが、押しに弱いであろうとふんでイルミはこの状況を生む前にしたように、執事に任せろなどと言った返答を発現する前にその場から消え失せた。

 

「……」

「……」

 

 後に残されたのは未だ動かない末っ子と能力と流れについていけず固まってしまった蜘蛛っ子だけとなった。




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