―― 機種変、しようかな?
森を離れ早二年、アルゴとも仕事の関係上別々に暮らしているここは前よりいくらかパドキア共和国に近い。
アルゴが名を貸してくれたおかげで手に入れた場所と同時期に購入して二年になるケータイを見つめ、トールは真面目に悩んでいた。
機種変と言っているが実際はもうケータイを携帯することをやめるか悩んでいるレベルである。
スパイダー06型という蜘蛛の形そのものだったという一点で購入を決めたそれは、ほくほく顔だったその時の顔を曇らせる内容ばかり掛かって来た。
その殆どは
放棄を悩む切っ掛けは二つの要件に関する電話。
一つは今から数週間前の電話、彼の中で通称『三連ゾルディック事件』
一日で奥さん、イルミ、カルトと立て続けに電話が掛かって来たのである。
地味に驚いたのはイルミにはケータイの番号を教えていなかったのに掛かってきたことだ。
内容は何とキルアが反抗期で、母親と次男を刺して家出したから何か知らないか? というか其処にいないか? である。
奥さんは息子の反抗期のショックと自分の顔面を躊躇い無く刺した事の嬉しさで要領を得ず、続くイルミで内容を把握し、最後にカルトの消え入りそうな声と力強い負の感情籠る電話によって一旦ゾルディック家に訪れる羽目になった。
そして、帰ったときにベストタイミングでやって来た宅配から荷物を受け取ってそれをおいた瞬間に鳴ったケータイからはアルゴの声。
『はぁい、トールちゃん元気ぃ?』
「かろうじてー」
正直な答えである。
『そういうなら元気ってことね、荷物届いたかしら?』
「あー届いたよ、まだ開けてないけど」
『なら開けてごらんなさい』
そう言うのでケータイをスピーカー状態にして、テーブルに置くとダンボールのテープを切って開ける。
大量の梱包材を除けると、重厚なナイフが一本と神社などでよく見ていた、この世界風に言うとジャポン式のお守りが一つ入っていた。
『見たかしら?』
「ナイフとお守りが入ってたよ」
『もっと奥の方も見るのよ』
へいへいとさらに梱包材を除けた先に、ハガキほどの大きさのカードがあった。
「まだ何かあっ…… 『ハンター試験名応募カード』ってもしや」
『そう、本格的にお仕事する為の第二ステップがやってきたのよー』
しかも御丁寧にアルゴが関係者でサインしている。
「…… これで切りぬけとナイフで、そんでもって合格祈願にお守りをどうぞと」
『さ、レッツチャレーンジ!』
もっと他に道は絶対あったはずだと強く考えたのは震える手でエントリーをした後であった。
―― よし! 試験が終わったら機種変しよう
合格したらと決意しなかったところが実に彼らしかった。
―――――――――*
―― 港町ってのもいいもんだなぁー
トールは長く伸びた道路を歩いていた。
登録の次の日に来たハンター試験案内の紙には日時と船に乗るという事以外は『場所・ザバン市』としか書いていなかった。
乗った船はよせばいいのに大シケの海を突き進んだ。
帆が盛大に破けたところを縫ったり何人か海に落ちた人を糸で釣ったり、繭の様にして揺れる船内で安定した寝床を確保するなどと中々エキセントリックな船旅であった。
そして今日早朝、ドーレ港なる場所へと無事にたどり着いたのである。
船長によれば予定では昼より少し前になるはずだったがかなり早い到着らしい。
船長はじめコック等も黙っていたが早く来る羽目になったのはトールが飯を食いまくって食料が尽きかけたからである。
尚、この船は来年のハンター試験から試験内容に各自で飯をまかなえという内容が追加された。
『ハンター試験受験者の先輩としてアドバイスそのいち、公共の乗り物は使っちゃダメよ! 歩かなきゃ』
と言う訳でザバン市まで彼は徒歩で行くことにしたのである。
単に港の人混みが苦手だったというのもあるが。
ここまで彼は自分のペースでのらりくらりとやってこれたのであった。
そのマイペースもここで終わりかもしれない。
―― どこだここ……?
道に迷ってしまったのだ。
道が獣道になってからというものやたらに獰猛な野生生物に出くわすので、縄張りに入ってしまったのだろうと推測し大自然のマナー的に考えて命のやり取りをするとき以外に縄張りに入るのは大変失礼なので、迂回したり少し戻ったりしているうちにゴーストタウンにぶち当たった。
ここなら大丈夫だと意気揚々と歩きだし――
その結果が目の前にいる老婆を筆頭とした仮面の群れだった。
一体なんぞと思ったがきっと特殊な風習を持った民族だろうと、ゲザド族を思い出す。
特に武器になる様なものも持っていないし敵対している訳でもないと確信。
―― あれか、熱烈な歓迎的な奴か? ゲザド族のアレは凄かったなぁ、まさか総出で土下座してきて思わずこっちも土下座したっけ……
蜘蛛と融合して以降、建物から落ちる原因になったあの波動から人の底知れぬ悪意を感じ、蜘蛛から孤独を読み取るほどの【霊視】を持っていた彼のソレは対人関係絶望的な蜘蛛に引っ張られるように他者の感情にすっかり鈍感になっていた。
かといって老婆達に悪意は無いのだが。
「ドキドキ……」
そんな風に警戒心ゼロのトールはここの中心人物と思しき老婆がなにやらむにゃむにゃと言っているのが微かに聞こえた。
何だろうかとトールが顔を近づけ、耳をそばだてたその瞬間――
「ドキドキ二択クイ~~~ズ!!」
老婆が目を見開き、あらん限りの大声を上げた。
………
……
…
「そう、『沈黙』が正解さ」
驚きで気絶に近い状態から回復したとき、老婆は拍手していた。
「さぁ、あの一本道を行きな二時間ちょっとで目的地さ。一本杉の下の一軒家にいる夫婦を訪ねなさい」
指さす方を見れば仮面の人が壁にしか見えないカモフラージュがされた扉を開ける、中には真っ暗であるが道がある。
なんだか分からないがどうやら道を教えてくれたようだとトールは判断した。
「おお、ありがとうございます」
「礼を言われたのは初めてだよボウヤ、頑張りなさい」
これで道に迷わずに済むと暗い一本道を進みながら安堵するが、そもそもこちらはザバン市と逆方向であった。
さてそろそろ昼飯かという頃、彼は一本杉の下にある一軒家に到着した。
彼の中では親切な民族の代表とされている老婆の教え通り、家に住む夫婦に会うため扉をノックする。
「すみませーん!」と大きな声を出すが返事は無い。
すると中からドタバタと物が激しくぶつかる音が聞こえた。
白昼に夫婦喧嘩勃発か!? ならば出直すべきかとどうすればいいか分からず、トールは先ほどより大きな声で
「お取込み中すみませーん! 出直します!」と改めて言う。
「ちげーよマセガキ!」
そんなツッコミと共に開かれた扉から出てきたのは、女性を抱えたキツネ目の獣というより狐の化物だった。
奥には傷つき血を流し倒れた男がおり、絞り出すように「つ、妻が……」と言っている。
「よ、他所の奥さんをその…… 無理矢理はよくないかと?」
「色事から離れろってんだよ! どーみても化物が人攫ってる場面だろうが!?」
何故か狐っぽいのに怒られたトールだが、釈然としない表情だった。
「え? 貴方達人間じゃないですよね?」
「ハァ?」
トールはキツネ型の化物と女性、奥で倒れている男を指差し
「だって、貴方達同じ種族でしょ?」
―――――――――*
「わっはっはっは! ハナっから正体に気付いてりゃただ揉めてる様にしか見えんわな!」
後から来た奥さんを名乗るキツネ型の化物もとい凶狸狐四人とトールは食卓を囲んでいた。
「ハハハ、すいませんなんか考えてた段取り潰した挙句に昼食まで御馳走になって」
そういうトールに先ほど化物役をやっていた旦那の凶狸狐が「いーっていーって」と上機嫌に言う。
「しっかし、よく子供たちの変化を見破ったな? つーか気付けたんだ?」
「眼の良さだけは昔から自信がありますから、多分それで」
視力が良いだけでなく【霊視】が人に対しての効力のほとんどを失った代わり、人外へのシンパシーによって人外に対しての効果が引き上げられたためである。
トールは昔っからナナフシとか見つけるの得意だったなーと思い出していたが、それは純然たる彼の特技であって全く関係ないことだった。
もし、ヒトやらに擬態する未確認生物でもいようものなら見破っていただろうが。
「トール殿、貴方は十分に能力を見せてくれました、合格です。昼食後試験会場へと案内しましょう」
男に化けた息子の凶狸狐はトールに合格を言い渡す。
「むぎゅ?」
トールは出された鳥の唐揚げに夢中であったため聞いちゃいなかった。
その後の話題からトールは、偶々この凶狸狐一家がハンター試験関係者か何かで善意で会場まで案内してくれるのだろうと納得した。
こうしてトールは予備試験の存在を知らずに合格したのだった。
「ではトール殿、早速参りましょうか。しっかり掴まって下さいね?」
食事も済み試験会場まで行くのに息子凶狸狐は己を飛行できる状態に変形させ、いざトールを連れて飛び立つ瞬間
「重ッ!?」
トールがしっかり掴んだ足首を軸に、息子凶狸狐は思わぬ重量に弧を描き地面に顔から激突した。
「む、息子ぉ!?」
慌てて駆け寄る凶狸狐一家、息子凶狸狐は娘凶狸狐の肩を借りてふらりと立ち上がった。
「トール殿、不躾な質問ですみませんが体重は如何程で?」
「あ、130㎏位ですかね?」
「ひゃ、130ですか!?」
大蜘蛛一匹背負い込んでいるようなものであるトールの体重は見た目に反して重かった。
結局、息子では運べないので急遽旦那凶狸狐が彼を運ぶことになった。
――うわー、気持ちいい!
飛行船とまた違った空の旅はトールにとってとても楽しいものだった。
緑の上を飛び、遠くに見える都市のごみごみとした建物の群れも全てが新鮮だった。
途中鳥の群れが近くを飛びかかった際に、あれだけ喰ったにも関らず景色そっちのけで蜘蛛の糸を出して捕まえようとした彼はやはり花より団子だったが。
そんな数十分の空の旅もザバン市近くの目立たない路地裏という終着点を迎えた。
二人とも地面に立つと、凶狸狐は目の前で人間の男に化ける。
「ふぅ…… さて、とりあえず会場の入り口に案内しよう」
試験会場の住所が書いてあるだろう紙を取り出しながらそう言って前を歩く凶狸狐についていったが、初めてみる町にキョロキョロしていたらはぐれかけた。
「手、繋いでくか?」
「迷子になりかけて言うのもアレだけどこの年になって手を繋ぐのはちょっと……」
その後年齢を言えば「くそう! 化かされただと!?」と、とても悔しそうな顔をしたり等愉快な事があったりしてようやく目的地に辿り着いた。
「ここ飯屋ですね?」
「ああ、そうだ飯屋だ。だがここがハンター試験の会場さ、うまい化かしだろ?」
なるほどこれならここが世界中から応募者が殺到するハンター試験の会場とは夢にも思わないだろう。
「さてと、会場には来たが試験開始は明日の朝方になる。この近くの宿に泊るか、会場で待ち続けるか二つあるがどうする?」
「泊まりで」
殺気が溢れているだろう会場に長居したくないと即決だった。
こんなときお金を持ってて本当によかったと思う。
アルゴとキューティーには一生頭が上がらないし足を向けて寝ることも出来ない。
しかしアルゴはナイフを持っていく代わりに三節棍は持って行くなと言われた、どうしようもないとき現地で作る修行の一環だそうだ、ふざけるな。再会したら頭突きして顔面に蹴りいれてやる。出来れば。
「なんかヤル気に満ち溢れているが、会場に今すぐ行く方に変更するか?」
即座に断り、宿屋へ向かった。
着いた場所は飯屋にほど近い、ビジネスホテルだった。
「いらっしゃいませ! ご宿泊ですか?」
「ああ、『大変恐縮だが』コイツが一泊程泊まりたいそうで、部屋はあるかい?」
笑顔が眩しいフロントは一瞬表情が強張ったが、すぐに笑顔に戻る。
「はいございますよ! ではこちらにフルネームでお名前をお書き下さい!」
ここで普通は本人が書くものだが、そのまま凶狸狐が名前を書く。
「ではこちらがお部屋の鍵になります、誠に申し訳ございませんがモーニングコールのほう、現在事情により承っておりませんのでご注意ください」
そして、凶狸狐に促され部屋に入る。
そのホテル独特の雰囲気を持つ部屋で、トールはこの世界に来る前の世界で旅行に行った時を思い出す。
――ああ、前の世界が少し懐かしくなっちゃったな……
「んじゃ、もう一回言うけど試験は明日の朝方な? んでここが一番大事さ、よく聞いてくれよさっきの飯屋で注文で『ステーキ定食』を頼みな、そうすると次は焼き方を聞いてくる『弱火でじっくり』こう答えれば会場に案内されるって寸法さ」
ほんの少し昔を思い出していたら、凶狸狐が重要なワードを言ってきたので慌てて説明を聞く。
「ステーキ、定食…… 弱火、じっくり…… うし、大丈夫!」
「そうか、さっき財布を握りしめてたけどここの代金はタダだから気にすんな、もう帰るけど機会があったらまた来てくれよ。もっかい案内するからな!」
そっかじゃあまた! と言うと凶狸狐は何がツボにはいったのか大笑いして去って行った。
トールは首をかしげるが、考えても分からなかったので考えるのはやめてのんびり風呂に入ることにした。
――凶狸狐一家から貰ったおすそ分けを食べるかな?
サバイバル生活なのに火をつける発想に至るまで数ヶ月を有した実績は伊達じゃないマイペースぶりであった。
―――――――――*
翌日、常に起きる時間きっかり目覚まし時計も無く起きたトールは、しばらくしてホテルから出る際のチェックアウトで戸惑ったくらいで特に気負うこともなく飯屋にやって来た。
「いらっしぇーい!!」
飯屋に入ると、料理を作りながらオヤジが気だるそうな顔してそれに見合わない声量で出迎えてくれた。
「ご注文は?」
「ステーキ定食」
ピクリとオヤジの眉が動く。
「焼き加減は?」
そう聞かれ、トールは自信満々に答える――
「じっくり弱火で!」
「うん? あ、あいよー!」
「お、お客さんカウンターにどうぞ!」
何となく歯切れの悪い返事と共にこれまた何故かぎこちない調子でカウンター席に案内される。
暫くしてそこにはじっくり弱火で焼き上げたステーキ定食を食べるトールの姿があった。
食べ終わっても何も起こらなかった。
――アレ、何も無いの?
暫くしても何もないので同様の注文を今度は単にステーキで注文する。
しかし、ただステーキが注文通りの焼き加減で目の前に置かれるだけだった。
『定食ステーキじっくり弱火』、『じっくり弱火のステーキ定食』と立続けに注文をするが注文通りの品がくるばかりである。
オヤジとウエートレスが心の中でトールに頑張れと応援を送るまでに彼は注文をするが、後半は『じっくり定食ステーキ弱火』など訳の分からない裏メニューの様な注文になったがそれでもオヤジはステーキ定食を作りウエートレスはそれを運んだ。
誰かこの子に正しい注文を教えてやって…… とオヤジとウエートレスがもうトール自身の力では無理と悟り第三者の介入に期待する方向で店の扉をチラチラ見始めた頃――
扉は開かれ、本当に救世主が現れた。
口をあんぐり開けた凶狸狐と言う名の救世主が