クモ行き怪しく!?   作:風のヒト

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プロローグ・少年の話

 

 少年は、その生涯の終わりを確かに感じていた。

 

 

 事の始まりは数日前の体調の変化だった。

 その日少年は突然激しい頭痛とそれに伴う吐き気に見舞われた。

 しかし、気付いた時には寧ろ今までより冴えた気さえ感じるほどの健康体となっていた。

 少年はその研ぎ澄まされた感覚について深くは考えなかった。

 「神様がくれたご褒美」心の底からでなく、そうならいいなとそんな程度だった。

 

 数日後、それはご褒美などではないと悟った。

 何せ町中に虫の様な不気味な何かが溢れかえっている光景が視えたのだ。

 しかも、それが視えるのはどうやら自分だけの様だった。

 もし自分が驚いたら黙るタイプでなく騒ぐタイプなら今頃特殊な病院へ入院していただろう、つーか、いくら市の名前とはいえ本当に蟲が寄ってこなくてもいいだろう、とずれた考えで頭を抱えた少年はその日学校を休んだ。

 

 幾らかの食欲を犠牲に何とかその虫っぽい何かが見える日常に耐えて二日目、少年は新たに視えるものが増えたことに気付く。

 いや、もしかしたら今まで気付かなかっただけかも知れないが、生憎確かめる術もない。

 

 いわゆる幽霊が視えた。

 

 恐いので話し掛けたことが無く本当に幽霊か分からないが、交差点近くの電信柱で『あの轢き逃げ野郎マジ許さねぇ……』と延々呟いていた奴がいたので幽霊で間違いないだろうと少年は結論付けた。

 

 このとき、少年は初めて自身に芽生えた能力を楽しもうと考えた。

 

 もっと幽霊を視たい!

 

 実のところ少年の精神は限界寸前だった。

 何せ寝ても覚めても周りはよくわからない、便宜上『虫』と思っているなにかだらけ、しかもそれらに触れられる事実に気付いてから外出も億劫なのだ。

 未だに足の裏や手で反射的に潰したときの何とも言えない感触が残っている。

 

 そんな最中にようやく自分の理解の範疇に入る存在が視えたのだ。

 この時点で『どうせ視えるなら知っている存在だしなんとなく嬉しい』という少し常人とずれている感性を持ってしまったと、少年は露ほども感じてはいなかった。

 自分と同じく虫の様な何かに囲まれて不安になっている者、そんなことお構いなしに徘徊する者、如何わしい店にいい笑顔で入っていく者、一週間に一・二人のペースで出会えた。

 昼夜問わず視える事もあって、少年は幽霊を探すのに夢中になった。

 事故の多発地帯、無理心中した家の焼け跡、曰く付きの場所に少年は足を運び続けた。

 

 そして、少年はその廃ビルに辿り着いた。

 

 何かいる。

 多くの霊的な現象が集まる場所を梯子し続け、短時間で急成長した少年の第六感はその5階建ての廃ビルに目を付けた。

 廃ビルの入り口はまるで洞窟の様にぽっかりと開いており、どうやって侵入しようかと正規の方法で入ることをまるで考えていなかった少年は入口の状態を理解し、これは運命やもしれぬと喜び意気揚々と廃ビルへと足を運んだ。

 しかし、少年の予想とは逆にその廃ビルには期待していた何か…… 少年側からすれば期待しているのは幽霊だけだが、まったくその存在を感じなかった。

 期待外れかつ予感もはずれ、少年は大いに落胆した。

 4階まで探索したところで少年は先ほどの何かいる、という予感は間違えであると結論付けたが何も発見が無いというのも悔しいので、せめて屋上からの景色を見ようとそのまま屋上まで階段を駆け上った。

 

 壊すことを前提で考えていた屋上の扉も既にドアの機能を果たしていないほど壊れており、僅か数分で少年の廃ビル探索は終着点へと辿り着いたのである。

 屋上は周りを本来の色が分からないほど赤黒くなっている柵で囲まれ、タイルの裂け目からは風で舞、雨に晒された結果生えたであろう背の低い雑草が所々に群生して、その野晒しされた年月を感じさせた。

 少年はそんな屋上の現状に見向きもせず、そこからの景色を見ていた。

 

 景色をざっと見まわしては、ふと気になって友達の家を探したり自分の家がどの方向か目で追ってみたりと、今回の収穫の無さが余り気にならなくなる程度には景色を堪能していた。

 

 そして、いつの間にかまっすぐ歩きだした終点である柵のすぐ傍まで来たとき、少年はその柵の上に自身の握り拳ほどの突起があることに気付く。

 

 それはよく見ると突起ではなく、柵の色と似た色をした蜘蛛だった。

 

 無言で目を見開いた少年に気付いたのか、その赤黒い蜘蛛は器用にその場でワサワサと足を動かし、顔を少年へと向け、互いに見つめ合うことになった。

 ……正確には今まで見たことのない大きさの蜘蛛を不意に至近距離で見て思考を停止しているため、少年の方は蜘蛛が自分を意識したかの様に此方側に顔を向けたことには気づいていないので見つめ合っているとは言い難いが。

 数週間前の少年ならあと一分は硬直していたが、曲がりなりにも怪奇現象に片足を突っ込んだ身分である今では思考停止時間は僅か5秒足らずにまで短縮され、そこで初めて少年と蜘蛛は互いに意識して見つめ合うことになる。

 

 本物の蜘蛛だけど何か違う

 

 最初は虫の様な何かと少年は思った。

 次には蜘蛛は実体があることを理解する。

 しかし、自身の内にある感覚がこの蜘蛛は『蜘蛛ではあるが、自身の理解を超えている』と告げている。

 ならば廃ビルを前にしたときの『何かいる』という何かとはこの蜘蛛の事ではないだろうか?

 少年の脳内は疑問と推測で満ち溢れていたが、そこには一切の恐怖がなかった。

 有象無象の虫のような何かにも、行動の目的にし必死に探している幽霊にさえ感じている恐怖心をこの奇妙な蜘蛛に対して感じなかったのだ。

 それに関して少年は一切の疑問を抱かなかった。

 その蜘蛛をじっくりと観察し、視てしまったからだ。

 

 見たことのないものを前にした好奇心を、自分一人しかそれを視れない寂しさを。

 ここ数週間のうちに自身の心境と似たものを感じているソレを、この奇妙な蜘蛛が抱いていることを。

 

 そして、少年は蜘蛛と糸の繋がった巨大な蜘蛛の幻を視た。

 

 蜘蛛に出会うまでの少年の視る行為は、詳しいものならば【霊視】だと分かっただろう。

 しかし蜘蛛と繋がっているとはいえ、世界そのものを超えた先にいる存在、まして存在の感情を視るまでに至ったそれはもはや【霊視】とも違う特異な何かである。

 

 ここまで異形な何かを視ても、少年の心に恐怖は無かった。

 だが、驚きはあった。

 それはそうだ、握り拳ほどでも蜘蛛ならば十分に大きいというのに、この幻の蜘蛛は大人の人間よりも一回りも二回りも大きくさらに実際に出来るかどうかは別として、ライオンやら象やらを捕食してても様になるくらい獰猛そうな姿をしているのだ。

 それでも怖くなかった。

 

 驚くと無言で硬直する悪癖を持つ少年だがその口は動き、言葉を発した。

 それは驚きからくる叫びや奇声の類ではなく、質問だった。

 

―――友達が欲しいの?

 

 何故そんな質問をしたのか、少年は理解できなかった。

 しかし理解が出来ていないうちに蜘蛛からの肯定を感じ取った。

 

―――じゃあ、友達にならないか?

 

 そして、頭が追いつくよりも早く返答し、その驚きよりも早く蜘蛛からの驚き交じりの肯定を受け取った。

 

 

 しばらくして、少年と蜘蛛はお互いに理由は違えど人を超えた視力をもってして夜の景色を楽しんでいた。

 あのときから互いに言葉を発したりせず、少年も考えることを半ば放棄している状態だが、それでも少年と蜘蛛の間に心の垣根は存在しなかった。

 

 少年にとっては非日常にあって初めての安らぎを。

 蜘蛛はその数十年の生において初めての友を。

 

 少なくとも、この日は両者にとって忘れられない日となることは確かだった。

 

 これから起こる終わりも含めて。

 

 最初に気付いたのは蜘蛛の方だった。

 自分のいる柵が激しいとまではいかないが、揺れているのだ。

 蜘蛛は文献からこの島国が地震の多い国だと知っているし、この地震が大事に至らないものだという動物的感覚もあり分かるのだ。

 だからこそ、隣で恐怖によって顔を歪め全身を震わせている少年の反応が尋常でないと分かったのだ。

 

 蜘蛛の感覚は確かに鋭く、この地震が家屋を倒壊させ地割れさえも引き起こす類のものでないと感じることが出来た。

 しかし、その蜘蛛の鋭い感覚とは別に、少年もまた人知を超えた『視る』感覚を備えている。

 少年は視たのだ、この地震が自然現象でなくたった一人の人間が起こしたという事実を。

 その人間の悪意を。

 最高峰の霊能力者が絶望を感じるほどのソレを少年は無防備な心で感じてしまったのだ。

 

 当然、蜘蛛はそんなことを知る由もないし、少年も自体のすべてを理解している訳ではない。

 寧ろなぜそうなるに至ったのか何もわからずに人への純粋な憎悪のみをぶつけられているのだ。

 だが、天災か人災か、自然現象か超常現象か、この認識の際が一人と一匹の運命を決めることとなる。

 自分達の後方に天高く上った光球。

 蜘蛛はそれを最初は花火だと思った。

 同時に何故にこの時期と時間なのだという当然の疑問が沸いた。

 勿論それは花火ではない、結局のところ蜘蛛はあの光球が何であるか全く理解できなかったのである。

 例えそれが何か分かっていたとしても、それに怯えた少年を同行できなければ意味はないが。

 少年はその光球を見た、そこに一人のオールバックの男を視た。

 一度たりとも会ったことはない男であったが、何故か鮮明な全身像が脳内に映った。

 もう少し、視ることをしていたらその奥底にある悲しみを理解できたかも知れない、しかし、そこに辿り着くまでに彼を構成している人への憎悪を視続ける精神力を少年は持っていない。

 だからこそ驚きによりその場に立ち続けてしまう少年の個性を超えた本来の危機回避能力が働き、一歩、後ろへと少年を歩ませた。

 後ろと言っても彼の後ろには柵以外は何もない、そして、その柵も落下防止を目的として作られてからあまりに年月が経ちすぎている。

 

 あって無いようなもの、少年の身体を支えることなどできる訳もなく。

 

 

 自分が落ちていくのが分かった。

 

 

 

 少年は、その生涯の終わりを確かに感じていた。

 

 

 

 

 動体視力とか、視るとかじゃなくて世界はゆっくり進むのか。

 下には虫の様な…… いや、もしかしたらこいつらは妖怪と言うやつらかも知れない。

 落ちた先に妖怪がいるとは、もしや早まって地獄に来たのか。

 

 ここが地獄と言うならば。

 天から伸びるこの白い糸は、きっと。

 蜘蛛の……


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