映画にはパニック映画というジャンルがある。
天災人災問わず理不尽な状況に置かれた人間の様子を描くのがそれだ。
災害内容は地震台風、起き上がった死者や消えなかった怨念、そして未知の生物の侵攻。
共通点は『恐怖』
それも頭に絶対的な、や逃れられないという言葉が付くもの……
「ヒュー…… ヒュー……」
力なく、仰向けに倒れる男の呼吸は明らかにうまく出来ていなかった。
自分は度胸のある方だと思っていた、刺し違える覚悟もあった。
しかし、全て無意味だったと改めて思った。
彼の内には恐怖しか存在していなかった。
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それは数分前のこと、男は気配を殺しつつも木に寄りかかりこのテストをどう動くか考えていた。
運の悪いことに自分の対象である受験生が誰か分からず、動きの傾向が全く持って不明だからだ。
ならターゲットに限らず静かに他の受験生を探し油断している間に一太刀浴びせてプレートを取ろうと腰を上げる。
その瞬間、彼の目の前に逆さまの子供が降って来た。
それが三次試験を一位通過した子供だと気付くと同時に自分の武器であるサーベルを振るが、まるで攻撃が最初から分かっていたかのように子供の持っていた棒でその手を叩きつけられ、子供に刺さるはずの刃は虚しく地面を刺した。
ならばと蹴りを繰り出す前に子供は自分を木に押し付ける。
押しのけようと力を込める前に子供が手を離し地面に降りた。
どうやらロープか何かで体を固定していたらしい。
子供が両手を離しているのに木から離れられないのはなぜかと思ったとき、四肢に違和感を感じる。
―― クソッタレ! 縛られたな……
一体どこに縄を仕込んでやがったと抵抗するが、しっかり固定されているらしくビクともしなかった。
男は懐にあるサバイバルナイフを取り出そうにも関節を外したりする縄抜けの方法を体得しておらず、学んでおけばと後悔する。
しかし、男はまだ諦めてはいない。
問答無用で命をとらないことからこの子供はプレートだけ取ることが目的と推測し、そこからまた奪い返す機会があるとふんだ。
なら今やることはプレートの隠し場所を教えて穏便にこの場を済ませることだと顔を上げる。
そこで男の思考は止まった。
洞のように深く、何も感じさせない眼が自分を見ていた。
その眼が逸れるまで自分が子供にベタベタとあちこち触れられていたことに気付かなかった。
―― ナンダ? コイツハオレニナニシヨウトシテルンダ!?
まとまらない思考を戻したのは子供の声。
「プレート…… プレート……」
この距離でようやく聞き取れるそれはプレートを求める声…… 余りに抑揚のない声。
「…… どこ?」
このシンプルな問いに男は答えねば死という結果でさえ不明瞭な、それ以上のおぞましい何かが待ってそうな気がして狂いそうだった。
「コッ…… こっこ、しに…… 腰のところにぃぃぃい~~ッ!!」
辛うじてそこまで絞り出す。
言葉通り腰を念入りに探す子供はすぐにプレートを探り当てた。
子供はプレートの番号を一瞥すると男のサーベルも地面から引き抜き、残りの精気を奪うかの様に男を見つつ距離をとると真上に跳んで行った。
「ァ…… ハァ……」
行った。そう頭で理解してようやく男は緊張を解いた。
まだ木に縛られているがそんなことはどうでもよく、もうあの子供もとい化物が去って行っただけで満足だと男は思った。
そして男がどうにか気力をそこまで吹き返したそのとき、背後から何かが突き刺さる音が聞こえ同時に激しく突き上げられるような衝撃もあった。
その衝撃で男は前のめりに倒れる。
何故縛られた自分が前に倒れたのか不思議に思った男が振り返ると、そこには木を囲むように何本もの白い糸が地面にあった。
それが自分を縛っていたものだと、さらに糸が木の裏側のところで切れていることに気付き、男は恐る恐る木の後ろを見た。
「ひッ!!」
思わず尻餅をつく男が見たのは、先程子供に取られた自分のサーベルが木に突き刺さっている光景だった。
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―― いやー、あの人がビビりで助かったなぁ
今回二人目の再起不能者を出してトールが考えていたのはそんなことだった。
彼にとって男が異常に恐怖した顔になったのは武器を叩き落とされ木に縛られたからであり、あそこまでやられたからあんな顔をしただけであって、極論やった相手が自分でなくともあの局面になれば誰にでもああいう顔をする男だとトールは思ったのだ。
これも自分に全く以て威圧感がないとキルアに言われたからである。
―― 一応、
それの発動で男の精神状態は今凄いことになっているのは言うまでもない。
それでも警戒して眼を離さないようにゆっくり後退し、尚且つ遠距離から拘束を解いたことなぞ男にとって止めの様なものだ。
それを知らないどころかトールは残念そうな顔さえ見せる。
顔の原因はプレートの番号、たまたま【円】に掛かったとはいえ自分のターゲットの番号でないこと、それもさることながら……
―― 281って…… なんで281なんだよ畜生ッ!!?
プレートの番号が一番の問題だった。
そもそも自分の狩る対象である番号を持った受験生を知っているのなら、先程の男がトールからしてはずれか当たりか直ぐに分かる。
それが分からなかった時点でトールは番号の持ち主を覚えていないか知らないかである。
にも拘らずトールがここまで悔しがる理由、それは……
―― 誰なんだよ294番って!
微妙に彼のターゲットの番号に近かったため。
彼の失態の一つは受験生のプレートを覚えていなかった事…… ではなく
「いっきしッ!!」
―― あー、噂か? 参ったな80番あたりの姉ちゃんがオレに思いを馳せてる? 鍛え抜かれた肉体なのにハンサムでカッコイイ!! ってか!?
プレートではなくしっかり顔を見て人と話すタイプだったことである。
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―― 仕方ない、もっかいやろう……
湖近くの木に戻ったトールは気持ちを切り替えて、もう一度
知覚範囲は島の半分ほど。
しかし、厳密に言うと【円】ではない。
【円】とは纏っているオーラを広げて知覚範囲を広める技術、通常は半径2メートル以上かつその状態を一分以上キープして【円】と呼ばれるのだ。
その定義で言うのならトールの最高記録は半径16メートルで3分キープ。安定と持続、隠密性をとるベストの範囲は半径10mそこらである。
281番とトールとの間は少なく見ても500メートルはあった。
その驚異の範囲のからくりは一心不乱に走り続けたあの行為。
走る際にトールは足首から細く透明な糸を出していた。
それを草や木、そして地面とくっつけながら糸を出し続ける。
すると島を塗り潰すように走ったトールの足には、走った分だけ伸びて広範囲に広まった糸の始まりが二本ある訳だ。
そして、そこにオーラを流す事によって電流の如くオーラが糸を伝い、その部分が【円】の役割を果たすのである。
―― んー、どうだ? こっから西に五・六百…… あと一分動かないなら候補だな
まるで呼吸を止めているかの様に段々と苦しげな表情を浮かべ、一分と数秒の後にオーラを送るのをやめてその場にへたりこむ。
―― こりゃ後一回やるか行動にエネルギー回すかだなこりゃ…… 予想以上だ
―― 今日はこれで御終いにして、プレート集めが一段落着いたらゴン達を探そう…… でもキルア単独はちょっと勘弁な!
【円】を広くしようとすればそれだけオーラを消費するのは勿論、それ以上に集中力や常時緊張し続ける状況に耐える精神力を消費する。
ある段階まで来た場合はオーラではなく後者の関係で【円】を持続出来ないケースが多々ある。
トールの【円】もどきといえるこれはオーラはともかく精神面が伴っていないにも関わらず島の半分をカバー出来てしまう。
しかし、それは家一軒の電力を乾電池で補えるように無理矢理した様な力技、長時間の行使も連続での使用も容易に出来る訳が無い。
しかもトールは二組のジョーカーを警戒し、【隠】を併用しているのだ。(それでも万一糸にそれらしき人物が掛かったらそこから全力で離れる気満々であるが)
行動に出るか休憩するかの選択に彼が選んだのは……
「おっす、ポックル」
「うわぁ! トール!?」
それは行動である。
しかし、決めた相手は自分に友好的に接してくれた人物であった。
トールは彼のプレートを奪うつもりが無かった為、それでも迂闊としか言いようがないが声をかけて姿を現した。
「どう順調? プレート取れた?」
「あ、ああ一応…… 一点だけどな」
どうにも歯切れの悪い物の言い方だが、折角取ったのに一点だった落胆だろうとトールは思った。
「俺も一点だけど取ったぜ? …… そうだ! プレート交換しようよ、互いのが互いの三点分かもしれないし」
互いに一点でもユニフォーム交換みたいな感じで、と締め括るそれをトールは妙案得たりといった顔で言う。
「…… オレの三点は…… いや、オレのは105番だ」
「? 俺のは281番だよ」
何かを言いかけてやめたポックルにトールは多少不思議に思ったが対して気にしなかった。
「あっれ? 奥の方いっちゃったな」
割と懐の深くにしまったが故に取り出せないプレートを引っ張ろうとしているトールをポックルは静かに見る。
そして、それよりも静かに背負っていた矢筒から矢を取り出すとそれを短刀のように持って、強く握る。
「ちょっ、ちょっと待ってて?」
その様子に気付かず、それどころか後ろまで向いてトールは両手を使って服の内を探る。
「……」
怪しく光る矢尻が彼を捉える。
そのときポックルの内にある光景はたった二日とはいえ彼と半蔵と命懸けの試験の合間に笑った記憶、そして四番目に引いたクジの数字。
それがぐにゃりと混ざり今のトールの後ろ姿と重なったそのとき
「…… はぁ」
矢は矢筒に戻っていた。
「お、あったあった!」
念入りにしまっていたプレートを嬉しそうに取り出し、振り返ったトールが見たのは清々しく笑うポックルだった。
「なんかおもしろいこと俺、したかな?」
「案外そうかもな」
頭に?を付けるトールにポックルは諦めた様に言葉を続ける。
「オレのクジで決まった番号はそれじゃないぜ? でもって最悪な事に持ち主も分かっててな」
「なるほどヒソカだな?」
持ち主が分かって最悪ならばヒソカだろう、自分限定だが情報を知っている分イルミも入るが。
「ハハ、違うって」
どうやら的外れらしく、ポックルは笑った。
「じゃあ誰よ?」
「おまえ」
あっさり言ってのけた。
「マジデ?」
「マジ、でも奪う気無いから安心してくれないか?」
手をひらひらさせて無害をアピールする。
「それじゃ試験どうすんの?」
「あと二人狩ればいいだけさ」
言うのは簡単だ、しかしそれがかなり難しいことなのは間違いない。
「たった二日位とはいえ結構楽しかったんだ、その思い出に泥塗りたくないってだけだよ」
「ポックル……」
トールは何かを考えるように俯いた。
予想外の事に混乱しているのだろうか? だとしたら自分の想像以上に純粋な子だとポックルは思った。
ハンターになると言ったらオマエの様なチビにそんなことが出来る訳ないと故郷の奴らに笑われた、去年の試験に落ちた時はそれみたことかと指差された。
そんな中、同じく無謀な試験に挑む者とはいえ自分の夢を笑わずに聞いて、それどころか自分と笑いあってくれたのは本当に嬉しかったのだ。
こんな自分より小さな子供が夢に向かって自分と肩を並べるどころか半歩先に行っている、それを足止めするのはどうしても出来なかった。
「よし! こうしよう!!」
「ん?」
自分の中でプレートを取らない決心を高めていたら、急にトールはパンと手を叩く。
「ポックル、これとそのプレート交換しよう?」
そう言って差し出してきたのは281番のプレートではなく406番、つまりトール自身のプレートだった。
「おまッ…… 何考えてんだ!?」
全く持ってその通りだ、一体何をとち狂えば一点のプレートと引き換えに相手も自分も三点分となるプレートを差し出すのか?
それもついさっきそのプレートを取らないと宣言した男に、だ。
「三点と一点じゃ釣り合う訳ないだろ!?」
「その一点分のプレート
その口ぶりはプレート以外も要求して成り立つ交換条件があるようだ。
「もう一個条件を付ければ同等になるよ?」
「もう一個? …… 何だよそれ?」
もはやポックルに残された思考はその条件を早急に聞くことだけに絞られた。
それほどの衝撃である。そりゃそうだ、一世一代の決心に近いことして出した損しかない約束事がギブ・アンド・テイクにまで何故か発展してるらしいというのだから。
すぅ、と一呼吸する。
「俺と友達になってくれないか!」
とてもいい笑顔だった。
「ハァ!?」
とても困惑した顔である。
一体どんな取引かと思えば予想の斜め上もいいところだ。
「だから友達に……」
「いや聞こえてないって意味の『ハァ!?』じゃねえって!? むしろ聞こえたが故のリアクションだよ!」
態々繰り返そうとしたトールに矢の様なポックルのツッコミが待ったを掛ける。
「憐れみとか安っぽい自己犠牲ならやめてくれ」
「?」
その可能性を思いついて言ったポックルにトールは本当に分からない顔をした。
「…… 本当に友達になりたいだけ?」
「うん、友達って損得勘定殆ど抜きの関係だけどそこに至るまでに一切無いかって言うとそうじゃないしね、
ポックルが自分のターゲットがトールだと言ったとき以上にあっさり言った。
言い終わったときトールはアレ? と違和感を感じ首を傾げるが、目を見開くポックルは視覚情報がまともに処理出来ていないようだった。
「あー、と答えは?」
―――――――――
―― いやー、いい日だな今日は!
今日はこれ位にするかと帰った一応の拠点である湖近くの巨木の洞で、トールは二枚のプレートを見て微笑んだ。
結果としては自分のプレートが無くなってしまったがもっとプライスレスなものが手に入った。
ポックルは悩んだ末トールのプレートを受け取った。
御礼と固く握手をし、この友情を茶番にはしたくないと残りの日数をプレート死守に専念する為森の中に溶け込むように消えて行った。
消えてからトールはポックルに自分のターゲットを知らないかどうか聞けばよかったと気が付き、ショックで片膝着いた。
それでも気を取り直して魚か蛙でも捕まえて夕飯と次の日の朝飯の準備でもするかと立ち上がった彼の顔すぐ横に何かが着弾した。
―― 何ぞ!?
ダメージがトール自身に無い為
ギュッと三節棍を握りしめ息を潜めるが追撃も何らかを放った張本人の影も無かった。
ならばせめて放たれた何かの正体を確かめようと、そっと近づく。
それは木の隙間に入り込んだ白い物。
おっかなびっくり三節棍でその部分を叩き、周りごと抉りだす。
―― 棚から牡丹餅? 森から流れ星?
戸惑うトールが手にしたのは197番のプレートだった。
一応【凝】で怪しい物かどうか確かめたり今の体調で出せる限界の【円】で警戒したが、何も無かった。
―― 何か知らないけど有難く頂戴しておこう
どこぞの誰かも知らぬ存在に感謝してプレートを懐に入れつつ、湖へ向かった。
一方、その誰かも知らぬ存在ことキルアは走っていた。
自分を張っていた者に即座に気付いたキルアは遊ぶこと無く捕らえる。
僅かに「兄ちゃん」と漏らしたのを聞いたキルアはソイツのプレートの番号からして兄が自分の目当ての番号だと仮説を立て、餌にして誘き寄せた。
結果はどんぴしゃ、三兄弟の内余った分のプレートは今後面倒くさいので関わりたくないという意味合いと予想より時間を取られた腹いせに遠くにしかも北側と南側へと投げた、そして自分はすぐさま東側を行ったのは染みついた…… トール風に言うなら遁術である。
本物の遁術使いは今読みを外してターゲットでないプレートを持って膝から崩れ落ちているが。
彼が初日から飛ばしている理由は一つ、トールだ。
しかもネックであった六点が初日で達成されたことにより、もはや彼を止める言い訳は無かった。
―― 待たなくてもいい、絶対見つけてやるからなトール
島を踏破する勢いで走るキルアであるが、プレートの着弾地点に探している相手がいた事は完全に誤算である。