翌日、トールも誤算を痛感していた。
耳に残る一定のリズム、跳ねる水に薄暗い視界。
単純明快、雨が降っているのだ。
それも大雨という部類に入るやつだ。
―― こりゃ糸ズッタズタだな……
【円】もどきのために出した糸は通常の糸と比べ細く脆い。
彼も半分はそうなので表現がおかしいが本来の蜘蛛と同程度の強度なのだ。
巣を張るようにすれば耐える事も出来るだろうが、生憎とそういう構造で無い為容易に切れる。
だが、生き物に引っかかって切れたとしてもある程度の距離ならばオーラは問題なく伝う。
しかし、今回の様な激しい雨となると全体的に細切れとなってしまうためオーラが流れなくなってしまう。
何とも嫌なタイミングで雨が降ったものだと糸で括った生蛙をパクつきながら木の洞から雨に濡れる自然を見ていた。
―― いや待てよ、雨降ってるなら蛙もっといるやも? それならそう悪いことでも無い、ということにしよう
トールは蛙の味を割と気に入っていたようだ。
心という点において問題有だが人間寄りなのに対し、食に関しては蜘蛛というかソッチ寄りなのだろう。
事実、食べられそうと思うゾーンが広く平気で口にする為、アルゴと生活する前はそうと知らず味基準で食材を選んだが故に朝昼晩と違った毒を持つ植物や動物を口にしていた時もあった。
―― よし! 捕まえるか
食事と裁縫に貪欲なトールは立ち上がる。
蛙にとって不幸な事は味を気に入られたことともう一つ。
彼の服が天然の超撥水仕様なことである。
―― 捕まえたのはいいけどうっせぇ……
木の洞は今、ゲロゲロゲロリと蛙の大合唱が始まっていた。
いや輪唱かもしれない、ともかく五月蠅かった。
じゃあ絞めればいいじゃないか? 当然にそう考えるが生で食べるなら死んでいるより生きたまま、出来る限りそのまま踊り食いの方が美味いのだ。
主に口の中でピクピクと動く食感が彼の心を捉えた。
どうせ今日の昼と夕飯で全て食べきり明日から魚に切り替えるのでそれまでの辛抱だと、紐で繋げて逃げないようにだけさせて鳴く事を許した。
そのカエルの鳴声をBGMにトールは如何にしてあと四点稼ぐかを考える。
事前準備がいる性質上もう一度島を走る必要のある【円】もどきはもう使えない。
人がいる状態で駆け巡るとか、死なない自信はあるが鉢合わせすれば心臓に悪い。
【円】もどきでなく【円】で慎重に移動する正攻法かとおぼろげに考える。
まぁ、まだ時間もあるし今までの試験も何だかんだで合格をもぎ取っているのだ、イケるだろうとトールにしては珍しく裁縫以外で自信と余裕の心を持っていた。
まだ調子に乗っていないのが幸いである、コイツが調子に乗った場合大概酷い事になる。
その酷い事になる対象が高確率で自分以外の人物であるが。
―――――――――
―― ふぅ、今回もイケそうだな
トールと違い確かな根拠を持って自信と余裕の心持っている人物がいた、294番半蔵その人である。
半蔵は朝からの大雨を幸いと感じ、実際立て続けに二人のプレートを奪取しノルマを達成している。
残りの日数は隠密に徹する、それは自分の領域だ。余程の事が無ければ誰にも見つからない自信がある。
雨宿りも兼ねて気配を探りながら人のいない所を探していた。
そうしていたところ、ある巨木の下が妙に蛙の鳴き声がするのを鍛え抜かれた耳が拾った。
近づいてみると洞になっているらしく、しかも人一人ほど入れそうなくらい穴が広い。
もっと近づくと蛙の鳴き声は反響しているのが良く分かる、どうやら洞の中は蛙で一杯らしい。
―― 多少気持ち悪いが、蛙追い出しゃ隠れ蓑になるか?
周囲を警戒し、誰もいないと確認した半蔵は中腰でそっと中を覗く。
そこは確かに蛙だらけであったが自然なものといえなかった。
―― 誰か先客がいんのか?
蛙は糸で足を結ばれ外に出れないようになっていた、つまり明らかに人の手が加えられた証拠。
そして人がいるならばと半蔵の頭が即時退避に切り替わる。
「おう、はん……」
反射の領域、幼い頃から鍛えられた耳は聴力だけでなくその場所を立体的に感じ取り位置を把握する。
ほぼ半蔵の後ろに繰り出されるのは裏拳の様なもの。様なというのは拳の形が正拳のまま水平に声の場所へ向かっているからだ。
そして、その肝心の場所には拳のあと一尺ほど先にある、しかし届かない訳で無い。
スピードに乗った右手首から伸びる物が現れる、俗に言う仕込み刀だ。
つまり半蔵の裏拳の様な物の正体は超変則的居合術であった。
その腕が後ろに伸びきった瞬間、半蔵は次手のために動きだす。
理由は明白、肉の感触がしなかった。ただそれだけ、だがそれだけで相手の力量が高いと判断するに充分だ。
後ろを振り向く余裕などない、その時間で相手が自分を戦闘不能ないし殺すに事足りたらどうするというのだ。
だから半蔵は目の前の巨木へ飛ぶ、そして木を全力で蹴りその反動で後ろに向かってさらに斜め上へ飛ぶ。
木の配置は覚えている、このまま飛べば後ろにも木がある。
それさえも蹴って飛べば相手の後ろ斜め上という完全な死角からの一手が決まる。
全ての算段が整ったと同時に足の裏に確かな木の感触、あとはこのまま足の腱を斬る様に斜め下に飛べばいい。
位置の誤差修正の為に足に力を込める僅かな時間で敵を見る。
「なッ!?」
そしてそのまま木に手を添えて急降下を驚きの声と共に急停止する。
それもそうだ、なにせ持っている棒相手にバックドロップをかましたかのような姿勢で固まる見知った赤錆頭と目が合ったのだから。
「お~す、半蔵……」
雨は何時の間にか上がっていた。
―――――――――
「すまねぇな、訓練の賜物ってやつでね」
「いや、俺も迂闊だったって」
現在、トールと半蔵は蛙の声が響く木の近くでトールの風呂敷をシート代わりに座っていた。
洞の中はトールしか入れない為である。
「誰もいねぇって思ったんだがオレもまだまだってことか」
「俺そんなに気配無かったか?」
「ああ、まぁな何処で会得したんだ?」
やんわりと聞く。
「前言った森での生活の時かな」
その言葉に半蔵は初めて会った時を思い出す。
―― 気配だけじゃねぇ、ありゃ蛙を使った虫遁の術、やっぱ同業者? いや、それにしちゃ色々ちぐはぐだ…… なんつーかこれを術と思ってねぇ節があるな?
気付かれないよう観察する半蔵だが目の前にいるのは忍者に気配が無いと言われて喜ぶ奴しか映っていない。
「なぁ透、おまえ森で一人っきりで暮らしてた時期があるって言ってたけどよ、親切な奴に拾われるまでどう暮らしてたんだ?」
「え? 残してくれた本の知識で大分快適に暮らしてたけど……」
ぴくりと半蔵の眉が動く、もしやと思ったからだ。
「その本って何が書いてあったんだ?」
「火起こしから裁縫、あと色んな国や町の話とか有名人の裏話もあったね」
そしてもしやが核心に変わりつつある。
それはトールの母親がジャポン人であるという半蔵の勝手な思い込みがある前提の推理。
―― コイツの母親、里抜けした忍だったんだろうな……
女の忍には旅女郎の渾名を持つ者がいる、その名前の通り己が肢体でもって情報や武の力で入り込めない場所にいる要人暗殺をこなす。
そして仕事の関係上、里に由来しない独自のパイプや情報を有する者もおり、長く仕事をこなしている者ほど自身の里にとって切り札とも脅威となりえる。
そんな彼女らはときに
そういった境遇の者が子を宿したとしたら?
答えは簡単だ、子を差し出す。差し出す先はお上とも言えるし天にとも言える。
旅女郎に血の繋がりは必要ない、親の名も知らぬ子供が代を引き継ぐのだ。
なら我が子を助ける為には里から出るしかない。
まだ、里抜けした忍が自分の様な若輩者ならば捕まり次第折檻を受けるだけで済むやもしれない。
しかし、旅女郎ともなると温情など無いだろう。
なにせ諸刃の刃が遂に手を傷付けたのだから。
無事とは言えないまでも里も国も捨てて逃げのびたとして、それでも生まれた子供に危険が及ぶかもしれない。
忍の情報を与えてはいけない、されども一人で生き延びる術はそれしか知らない。
なら忍術と知らせずに技術だけ書として書き記し、それを学んだ歪な者が出ても不思議ではないだろう。
命を掛けた情がある、それだけは正解だった。
唯、愛情と友情の差異はあるが……
「それで半蔵、プレートの方は順調?」
トールの問に半蔵は思考を切り替える。
「おうよ、プレートの方は無事集まったんだがなぁ…… 聞いてくれよ!」
半蔵は喋る、もうそれは一日喋れなかった反動というレベルで喋る。
任務上何日も喋らないときもあるだろうに、一体そうなったときの反動はどうなるのだと思う位半蔵は喋った。
「198番って…… あのときの二分の一を外した時の絶望感はホントキツかったぜ……」
「へぇ~…… ん? ちょっと待てよ」
その時を思い出して悔しがる半蔵にトールも何かを思い出し、服に手を入れる。
「おっ、これこれ。これってキルアが投げたヤツだったのか」
服から出した手には197番のプレートがあった。
「あーッ!! なんでそれお前が持ってんだ!?」
目当てだったプレートを持つトールに半蔵が指差す。
「偶然だよ偶然、キルアが投げたのが近くに着弾しただけだって」
その運を分けてくれよと半蔵はターゲットで無いプレートを手に入れた時と同じような姿勢で吠えた。
「流石に運は…… あっ、じゃあこれと三点分のプレート交換しないか!? そうすりゃ俺はあと一点で合格だ!」
やったぞという顔をするトール。
「ナイスアイデアだな、オレもプレートの嵩張りから解放されるし!」
悔し顔から一変して良い顔で立ち上がると、パチンと指を鳴らす半蔵。
案外ノリで生きているタイプなのかもしれない。
それでもプレートを互いに逆の手で同時に渡すことを提案した。
特に反対する理由もそもそも奪ってやろうなどというつもりも一切無い為即座に了承。
半蔵は二枚六点、トールは五枚五点となった。
服の裏地に五枚のプレートを付けていると半蔵は不思議そうな顔をする。
「透、お前その五枚で全部か?」
「うん」
五個目の安全ピンを外しながら答える。
「自分のプレートはどうした?」
「昨日会ったポックルがターゲット俺だったからこれと交換してもらった」
最後に付けた105番のプレートを見せながらさらっと言う。
「ふーん…… 一点のプレートとか!?」
さらっと言った内容は衝撃的だったため流せなかった。
「うん」
「うん、っておまッ…… 何考えてんだ!?」
奇しくもそのときのポックルと同じセリフで突っ込まれた。
「ちゃんと考えてるよ、プレート以外に要求したし」
「何要求したんだ?」
自他共に三点扱いのプレートを渡すのに相応しい要求が気になり、半蔵は更に聞く。
「俺と友達になること」
「おまえは本当に何考えてんだ!?」
繰り返し同じ言葉でツッコミをされたが、無理もない。
「何って友達……」
これは本気で言っている、直ぐに分かった。
「お前がそれでいいならいいけどよォ……」
呆れと他を通り越した頭痛が一瞬半蔵に襲いかかる。
それを気だるげに溜息として吐き出した。
「職業的にオレが言うのもアレだけどよ、そーいう取引紛いの事しなくてもダチは出来るだろ?」
言って半蔵はそういう感覚がそもそも無いのではとすぐさまトールを見たが、案の定分からないと言った感じで首を傾げていた。
だが、確かにトールはわからないと思っているが、それは心の奥に友達という言葉に強く反応する何かを感じたからだ。
―― ある意味オレよか忍の才能あるかもな…… 諜報活動するにしちゃ対人スキルなさそうだけどよ……
トールの本当の疑問に気付かず冗談ぽく考えるが、それ以上に悲しいとも半蔵は思った。
「…… 友達ってどうやって作るんだっけ? アレ、
だったら、自分に出来る事をしてやりたい。気がつけば半蔵は笑っていた。
「分からねぇってんなら体験してみろ! オレはもうダチだと思ってるぜ透?」
今の自分こそがその実体験だと、親指で自分の胸を指す。
トールは目を見開いて半蔵を凝視する。
全力で驚いている感じであるがその実、衝撃は
だから、驚いた顔のままに右手は握手を求めるように動いた。
「よ、よろいくお願いしま…… す?」
まるで歯に麻酔でも打った後に無理矢理喋ったかのような呂律の回らなさかつ疑問形でその言葉を口にした。
「ハハッ! 宜しくな!」
それを戸惑い、不慣れと受け取った半蔵は笑いながら手を握った。
―――――――――
「なるほど、索敵出来るなら雨上がりの夜は狙い目と?」
「大半は動きが鈍るからな、つっても向こう側も長けてる奴はうろついてるから隠密も出来なきゃな」
あれからトールは違和感を感じつつも友達が出来た嬉しさが勝ち、こうして動き方まで教わっていた。
「移動かー…… ネックなのはキルアなんだよなぁ」
「そういや追っかけられてんだっけか? 殺さりゃしねーようだが、ああいう輩の追跡はヤバいだろうな」
詳しくはぼかしたが、キルアに捕まるとヤバい旨は半蔵に伝えてある。
「けど運が良かったな透、オレはキルアがいた場所を知っていてしかも投げたプレートの着弾点が此処…… 幾らか移動ルートは絞れる」
半蔵は枝で比較的濡れていない地面に島の地図を描く、頻繁に高い木に登って地形を見ていたそうだ。
「遥か格下相手だが一応プレートを投げて姿を暗ます様に移動してたから、この地点に来るまで少し掛かる。で、此処はターゲットの三兄弟が来る可能性があって後回し、さらにお前を探す為に島を塗り潰すように回るとしたらだ……」
そこまで言って半蔵は今現在自分達がいる所としているバツ印から、キルアが昼間にプレートを獲った地点まで矢印を引く。
「こっちが逆に追っかけるように動けば鉢合わせすることが減る筈ってわけよ」
「おおー! なるほど」
つっても過信すんなよ? と言うがそれでもノープランより遥かにマシである。
「となれば善は急げって奴かな?」
「だな…… ああ、そういやまだ兵糧丸はあるか?」
トールは二次試験開始前に半蔵から兵糧丸を貰っていた。
「うん、なんか勿体無くてね」
ちり紙に包まれた三粒の兵糧丸を出す。
「なら喰っとけ、眼が冴える成分入ってっから夜間活動に最適だ……」
瞬間よしきたと言わんばかりに三粒噛み砕いた。
「うっわ、苦ッ! 臭ッ! カメムシと土そのものを濃縮したみたいな風味だなこれ……」
「…… って馬鹿野郎! 一気に三粒食ったら眠れなくなんぞ!?」
トールは先程のプレートを間違えたときの半蔵のような姿勢で沈んでいた。
思いだすのはカメムシが口の中に入るという幼き日の事件、あまりにあまりな兵糧丸の味にテンションダダ下がりである。
蜘蛛的にもカメムシや土はNGらしい。
「やっぱ駄目か…… 正直オレもこの味は未だ慣れんしな」
その味たるや半蔵が思わず三粒一気に食べた事を咎めるのを中断するレベルである。
生でムシャムシャと蛙を頬張っているのを見てイケると思っていたせいもあるが。
「うっぷ…… 最後の蛙が口直しの為にあったとは思いもしませんでした」
そして今も残った最後の一匹を頬張るトールに半蔵は悲惨な生まれの弊害かと、泥水を飲める方法を習ったあの頃を思い出す。
「んじゃあ行ってくる!」
「頑張れよ、オレもこっから誰にも見つけらんねぇくらい忍んでくぜ、なんせ『忍』だからな!」
トールは地を蹴り消え、それを見送ることなく半蔵もその場から消える。
半蔵が見送らなかったようにトールも一度も振り返らず森を駆け巡る。
それは普通の事であり特に問題の無いことだろう。
そう普通ならば。
―― よし、ここら辺かな?
半蔵がキルアを目撃したであろう場所に立ち、ここから自分の夜の狩りは始まるのだとトールは気合を入れ直す。
地点から一キロ離れている現実など知りもせずに気合いを入れ直す。
トール=フレンズ、極度の方向音痴である。
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