クモ行き怪しく!?   作:風のヒト

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彼一時クモ

 

 彼は正確な時間の流れは分からないが半年ほど経ったな、と太陽が昇った回数を大雑把にそのすこし小さくなった指で折り数えてどこか他人事のような感想を抱いていた。

 あれから蜘蛛になって野生の何かが剥き出しになる現象こと自称【蜘蛛化】、自身の意思のせめぎあいなどで苦しむかと思いきやそんなことは一切なかった。

 数度の行動を経てこの蜘蛛化は朝夕の二回、体調に若干左右されているみたいだがほぼ同じ時間に起きると分かったため、生活のパターンを早々に確立させたのだ。

 

 それは蜘蛛化する前数十分程を周辺の散策に辺り(散歩とも言う)蜘蛛化してオートで食事をし、蜘蛛化の帰巣性を利用してやっぱりオートで帰る。

 空いた昼間は畑に栽培してあった人参と大根の中間の様な野菜を食べ、その後は読書を中心に雑多な家事を行う、というパターンで生活をしてからここ半年、彼からしたら何もトラブルはない状態であった。

 そんな毎日の生活で生きるために必要なことを抜かして欠かしていないのが先ほど挙げた読書ともう一つ。

 

「……」

 就寝前に蜘蛛を埋めた場所で行う墓参りである。

 墓参りと言っても話し相手代わりの面が大きく、手を合わせながら彼は心の中で今日一日起こったことを報告している。

 

――今日は蟹の様なおっきい何かを夜に喰ったようです。 魚介類は貴重なので贅沢だけど上の口にも味覚を感じる機能が欲しかった……

 

 ほぼ全てが今日何を食べたかの報告で終わるが……

 

――ま、色んなもの食べられるのもこの過保護な蜘蛛化のおかげ。 今日も一日ありがとう友達

 

 そう締めくくると彼は明日も朝は早いと、早々にツリーハウスへ戻り触り心地の良いハンモックを揺らしながら眠りについた。

 

 彼は知らないしこれからも知ることはないだろうが、実は彼の言う【蜘蛛化】は大蜘蛛が意図して与えた機能ではない。

 それどころか、大蜘蛛自身が忌み嫌い唾棄すべきと生前感じていた自身のバッドステータス以外のなにものでもないのだ。

 だが、少年の生まれ持っての捕食本能が異常と呼べる領域にあるはずもなく、大蜘蛛からすれば無いも等しい。

 故に深刻なほどの暴走もせず、本能から程遠い朝夕二回の変化という規則性まで生まれたのだ。

 元・人間だからこそ大蜘蛛の人生と共にあったこの重大なコンプレックスはいとも簡単に完全コントロール一歩手前まできたのだ。

 予期せぬこととはいえ、自身の人生最大級のコンプレックスを継承させた人物からほぼ毎日そのコンプレックスで生きていますありがとうと報告されている大蜘蛛はきっと苦笑い必須であろう。

 

 大蜘蛛と彼の正反対の気質や体質は、この蜘蛛化を始めとする彼の精神や肉体に歪な変化をもたらしていた。

 それは順風満帆に近い状態とはいえ、変なものが視えるという理由で疲れ果てるほどだった彼がこのサバイバル生活で特にストレスを感じていないところだったり、単純に蜘蛛の肉体が組み込まれていることだったりと大小様々である。

 

 そんな自分の変化どころか、これが後の人生すべてに影響するとは露知らず彼は生まれ変わる前よりずっと安定した心境の基、爆睡しているのだった。

 

―――――――――*

 

 朝になり、さっそく知る由もない蜘蛛の恩恵により規則正しく起きた彼は、その寝ぼけ眼を覚まそうと目に手を当てる。

 そのとき、閉じた瞼にぬちゃっという音と共に粘着性の高い何かがくっつくのを感じ、慌てて手を離した。

 恐る恐る目を開け手を見ると、手は全体的に白くべたつくなにかがべっとりとくっ付いていた。

 このとき咄嗟に自身の下半身を確認した彼の表情は再犯を犯した犯人のそれに近い表情だろう。

 しかし、下半身周辺に白い惨状は見られず別の生理現象が天に向かって自己主張しているだけだった。

 ではこの白いのは何だ? という疑問とともにふと下げた視線の先に、同じく白い何かが付着した両足をその目に捉えた。

 恐る恐る右手で左手の白い何か持ち上げてみると、かなり糸を引くもののガムや納豆というより多めに水を入れて練った小麦粉に近い感触だと感じた。

「……」

 ここで久方ぶりに彼は驚いて固まった。

 かなり糸を引いていると思っていた白い何かは、自身の左手首の内側から次々に溢れていると分かったのだ。

 左の手首に顔を近づけてみると、彼の背中の脚が出る部分と同じく皮膚がブラインド状になっており、その下にあるらしい穴から出ているのがわかる。

 

 蜘蛛である点から考慮するとこれはおそらく『蜘蛛の糸』という奴だろう。

 内側の足首にも同様の穴があったことを確認しつつ彼はそう確信した。

 だからってこんな寝小便というか夢の精というか、そんな感じで出てこなくてもと彼はばつが悪いと思いながら両手両足の糸らしきものを拭った。

 止め方はなんとなく『とまれ』と念じたら止まっていた。

 とりあえず蜘蛛化も時間も近かったので、彼は慌てて小屋から飛び出ると森へと猛スピードで突っ走っていった。

 

―――――――――*

 

 朝の運動兼食事たる蜘蛛化も終わり、普段ならツリーハウスで読書の時間となっているが彼は外にいた。

 それも新しい玩具を買い与えてもらった子供の様な(実際姿は子供だが)表情で数週間前に食べた獣の頭蓋骨のいくつかを並べていた。

 そして、並べ置いた所から数メートル下がる。

 彼の頭の中には蜘蛛を模した全身タイツのヒーローがいた。

 今現在彼の服装は下着なしで大蜘蛛の特殊な構造の服を羽織っている、云わば裸ポンチョな状態でそして気分は赤青全身タイツヒーローだ。

 この野生生活始まって以来のとち狂った光景である。

 子供でなかったら到底許されない絵で、誰も見ていないという解放感が更に彼をダメな方向へと加速させる。

 

 そして、そのヒーローが糸を出すときの特殊な指の動きを模しながら腕を思いきり突き出す!

 

 が、特に何も起こらなかった。

 

 はて? 何か間違えたか、と一連の動作が正解だといわんばかりに不思議そうな顔をして手首の出糸突起らしき所を覗き込む。

 ちょろんと糸が少しばかり手首から出ているばかりだった。

 朝の様なべた付く糸ではなく、何十何百の釣糸ほどの太さの糸が束になり糸を出す穴と同じパチンコ玉ほどの直径で一本の糸となっている、正真正銘の蜘蛛の糸だった。

 試しにつまんでひっぱて見ると、少しの異物感と共に引っ張った分だけ糸が出てくるではないか。

 

―――糸の出方が手動だった……

 

 この世界初めての落ち込んだ理由がこれである。

 念のため、両手両足全てためしたが全て手動だった。

 他にも、糸は体内にある内は液体状であり出糸突起から少しでも滲み出ると一瞬で凝固することで糸となっていること、朝のときのような粘度の高い糸も出したい方を念じれば出ることや、同じ様に止まれと思えばそこで糸が終わる事や普通の糸なら少し時間を掛ければ釣糸ほどの透明度に出来る事が分かった肝心の勢いよく飛ばす方法は分からなかった。

 その後しばらくブルーな表情で体育座りしていじけていたが、ふと思いついた先端に石をつけるというワイヤーナイフ的発想はうまくいき、それなりに満足した顔で石を振り回しハンマー投げのまねごとをした。

 調子に乗って糸をかなり出していたら徐々に空腹に見舞われたため蜘蛛化の時間帯が早まり焦ったが、これによって糸を出すとその分腹が減ることが分かった。

 

―――――――――*

 

 その翌日、眠りから目覚めた彼にまた変化が起きる。

 溺れる感覚と共に飛び起きた彼は殺虫剤を喰らった虫の様に転げまわった。

 口に含める量の限界を超えて大量の白くそしてネバつく、もはや疑いもなく糸だと分かったが、それがなんと口内でも生成出来るようになったのだ。

 溺れるほどに溢れる固体化する前の糸で驚きの余り閉じた唇に糸が張り付き、零れた糸はあろうことか鼻に達したところで固体化し、綺麗に二つの穴を塞いでしまった。

 

「んーー! う゛ーん!! ん゛ん゛ー!!!」

 

 数分は叫びながらもがいていたが、やがて白目をむき、そして本人の意思と関係なくまるで魚の様に体が跳ねるだけとなった。

 

 ここにきてまさかの命の危機である。

 

 野生生物による弱肉強食の掟によって喰われそうになったわけでも、過酷なサバイバル生活の果てに飢餓におかされたわけでもなく、寝ゲロに近い形で自分の人生の幕をもう一度下ろそうとしているのだ。

 釈迦が助けるために垂らした蜘蛛の糸がカンダタの首を絞めているかのような光景の最中

 

「シァアアアアアッ!!」

 

 彼を助けたのは釈迦ではなくやはり蜘蛛の方だった。

 甲高い声と共に開かれた後頭部の口だが、ここでは呼吸は出来ない。

 本命は脇腹に三か所づつある気門である。

 蜘蛛化の際にほぼ完全に蜘蛛になると人型の部分が大蜘蛛に沈むように同化するため、当然人間と違う方法つまり蜘蛛と同じ呼吸方法をとる必要がある。

 それが両脇腹に三か所ずつ存在する気門である。

 本来は蜘蛛の身体の腹部にあるものだが、今は完全に蜘蛛化をせず人間の状態を保ったままのため脇腹に気門が現われた。

 しかし、これは生きるための彼の本能と蜘蛛の本能とが呼吸を最優先するという同じ目標を持ったために半々の状態になっただけであり、未だ意識は半覚醒状態の自動操縦である。

 自身の身体の動きを傍観者側で考えられることが出来た彼は蜘蛛の脚が器用に顔についた糸を取ってゆく。

 空気に晒された糸はいつの間にか綿のような状態になっていて簡単に取れた。

 口の中に詰まっていた分は糸状でなくプルプルした状態で口内を見事に模った塊だったが、同じように空気に触れてしばらくすれば口の周りと同じく、量的に綿あめの様な糸の塊になった。

 顔に着いた糸を粗方拭い去ったころ、蜘蛛化の進度が上がった。

 どうやらこのまま完全に蜘蛛になって朝の狩りを行うようだ。

 いつもより意識を保った状態で徐々に蜘蛛化した影響により、いつもよりはっきりした意識の基、彼は糸の使い方をワクワクしながら考えている。

 

 この状態、彼にとっては他人の運転する車に乗っているようなものであった。

 

―――――――――*

 

 昨日と同じく彼は昼頃になって体の操縦権を取り戻すと、窒息死しかけたことも忘れて口から糸を吐き出す。

 もはや彼の頭にある心配事は下の穴からも糸が出るのではないかということぐらいである。

 そして、彼が糸の特性を理解するのと同時に目の前には綿の山が出来ていた。

 

 口に関しては意識すれば手足よりも粘度の高い糸を痰の如くつくれた。

 といっても捻り出した感覚は痰ではなく口内のいたる所から勢いよく唾液が出てくるものだったが。

 ならばと手足と同じような粘り気のない糸を出そうとすれば、今度は白いさらさらした唾液の様な液がとめどなく溢れただけであった。

 どちらも空気に晒されてしばらくすれば綿のようになった、ただ後に出したにもかかわらずさらさらした方の糸が先に綿上に固まり、最初に出したドロドロの糸は外側は綿状だが中はまだドロドロとしていた。

 どうやら手足と違って糸の粘度ではなく濃度を調整できる代わりに普通の糸が作れないのだと結論付けた。

 

 彼の認識はその程度であるが、実際は体の内部全体に劇的な変化が起きていた。

 それは殆どの生物が行う行為である排泄でその変化が分かる。

 

「……」

 

 彼の排泄物が繭だった。

 

――え、今日って産卵日だっけ?

 

 等とふざけたことを考えることも出来ず、彼が出来たのは尻を拭くことくらいだった。 意味のないことだが。

 近くの枝に掛けてあった服を着てようやく意識が戻り、彼はその場に産み落とした繭をまじまじと眺める。

 次いで顔を近づけてみるも臭いはしなかった。

 さらに落ちていた枝で繭をつつくがかなり複雑に絡み合っているのか分解せずにコロコロと転がるだけだった。

 意を決して何度も何度もかなり力と勢いを入れつついたところようやく破けたというか複雑に絡まった糸がほぐれた。

 破けたところから見えた中身は危惧していた子蜘蛛の群れではなくただの便だった。

 

 彼の口の糸は実は彼が思っている以上に全身に変化が起きている結果の産物であった。

 今現在彼の口内を潤わしている液体が唾液ではなく大半が『濃度の限りなく薄い糸』であることがそれを物語っている。

 唾液を出す器官はそのままに、それ以上に働く器官が創られる。

 内臓の一つ一つが過酷な環境で生きられるようにと、彼とその原因の蜘蛛でさえも計り知れないところで変化したのである。

 あの繭も意味がある。

 摂取した物が有害なモノならば吸収される前に繭に包んでしまえばどれほど生き延びる確率が上がるかは想像しやすい。

 雑食生物の排泄物の臭いを消し去れることで匂いを追ってハントする敵性生物をどれほど煙に巻けるだろうか。

 

 

 どちらの有用性も一生彼は気付かないかもしれないが……

 

―――――――――*

 

 色々な意味で悪いものを綺麗さっぱり置いてきた彼は、部屋のある部分を見ていた。

 そこには他の布製の本と違い布を製本する技術があるにもかかわらず、わざわざ巻物の状態で書かれた書物が大量にあった。

 巻物が山積みになっているところだけ何故か書店等にある特設コーナー風にレイアウトされており、ご丁寧にプラカードまで用意してある。

 そのプラカードには『蜘蛛でも出来る簡単文明の発展シリーズ』と書かれていた…… が、それより気になるのはその文字の下に描かれているタコの様な禍々しい絵である。

 邪神か何かを思わせる何とも形容しがたい雰囲気を放っているため今までなるべく視界に入れないように生活していたが。

 

――今になってようやく気付いた、多分これ蜘蛛だな……

 

 これも内面が蜘蛛に、さらに正確に言うならば彼の半身たる大蜘蛛に近づいたが故に気付いた事である。

 糸も穴という穴から出せるようになったのだし、と彼は山積みになっている巻物からシリーズの一巻を取ると、紐を解き地面に置いて転がし開いた。

 書き始めのスペースには『作者の言葉』という表題とともに、ほかの文字よりやや大きな文字で書かれており目を引くような工夫が施されていた。

 そこにはこう書かれている。

 

『この本は僕が野生溢れる生活環境で知性溢れる生活をするにはどうすればいいかを実体験を基に、誰でも簡単にできる方法でお答えする本です。』

 どうやらハウツー本という奴らしい、これでこの過酷な生活を乗り切れるかもしれないと彼は他者からどう見ても過酷に見られない今までの生活を思い出した。

『僕の様な非力な女性でもきっとなんとかなります、さぁ! この知性の欠片を持ち存分にエンジョイしてください―著者アラーニェ=フレンズより』

 

 彼は一旦巻物を読むことをやめ小屋から出て大蜘蛛の墓の前まで来ると――

 

 墓前で思い切り土下座した。

 

――今まで男だと思ってました! すんませんしたァアーッ!!

 

 まさかの事実である。

 しかし、よく考えれば自分を生み呼んだのならば女性では? と今更ながら気付いたのだ。

 

―――――――――*

 

 友達への謝罪も済み、彼は再び巻物を読み始める。

『まず第一に文明の発展は火です。』

 

――まったくもってそうだな!

 

『しかし、僕たち蜘蛛にとっての発展は糸です。まずは糸を出せるようにしましょう!』

 

――第一関門は突破していたのか俺は……

 

 何かツッコミどころがあった気がしたが、彼はスルーして巻物を読み進めた。

『ここまで読んだアナタは無事、糸を出したようですね!』

 糸は出せたが無事ではなかったな、と思いつつも読み続ける。

『では、次に以下の材料を用意しましょう!』

 そこには材料として『乾燥した木の棒数本・同じく木の板(平べったくある程度の厚みがあるものならば木の皮でも代用可)・楕円形の石とその他大きな石数個・成長した千本草』と書かれており、唯一知らない千本草に関しては詳細な特徴と分布、それらすべてを台無しにする千本草のイラストらしき何かが記載されていた。

 

――数分後

 

 石はそこらにあるのでともかく、乾燥した板も棒も小屋そのものの材料の余りなのか小屋の隅に置かれていた。

 千本草に関してもかなり近場に群生していたためすぐに集めることが出来た。

 千本草は特定の木を雁字搦めにするように生えており、パッと見は針だらけのロープに見える。

 その生態は木の皮を食べる動物からその鋭い針状の葉で木を守る代わりに木からある程度の栄養をもらう共生の関係でこの生存競争を生き抜いている草だ。

 巻物によれば葉は新芽でさえ大型の動物の毛皮を貫通するほど硬く鋭く、成長すると最大で五寸釘ほどの大きさとなるため、そのまま釘として使い森の中でツリーハウスも作れると書いてある。

 多分それを使っているであろう所に住んでいるので相当の信憑性だ。

 そんな硬い葉をどうやって取るんだ? という疑問に対し巻物には『千本草の葉は茎に繋がる部分が脆く、掴んで横に捻るだけで取れます。これは動物が突き刺さったままでは暴れたときに自身や木が傷ついてしまう恐れがあることや死んでも突き刺さったままでは木に栄養が行かないため、早急に地面へ落ちてもらうためです。その代り驚異的なスピードでまた生えます。』と書かれている。

 ひと際大きな葉を気を付けて掴み捻ると、音も無く簡単に取れた。

 とりあえず幾つか葉をもぎ取り、こうして必要な道具は僅か数分で揃えられたのだ。

 さて次は何をするのだろうとワクワクしつつ巻物を開く。

 

『では、材料を揃えたらまず石で円を作り、一本だけ木の棒を残して後は石の円の中に入るように折って入れます。それが出来たら残した棒と同じ大きさの溝を板の端の方に千本草を使ってほりましょう!』

 何かの儀式だろうか? と更にワクワクしながら準備をこなし、巻物を広げる。

『そこに棒を立て、掌に石を持ち、その石越しに棒を支えてください。そしてここで腕から糸を出し、棒に糸を1・2回巻きつけたらここが肝心です! 友達に糸を交互に引いて貰い摩擦を……』

 

 ここまで読んで彼はこれが火起こしだと気付いた。

 

――さっき蜘蛛の文明の発展は糸だって書いてあったじゃないですか!?

 

 彼のツッコミどころはそこだった。

 次いで友達もいない時に書いた本なのに複数人を必要とする紐錐式の発火方法であることも気付き、何とも言えない気分になった。

 意気消沈した彼だが、地面に転がった巻物の火起こしの行に続きがあることに気付く。

『もし僕の様に偶々偶然ひょんなことから近場に友達がいないという状況があるかもしれないので、一人でこのまま火を起こす方法も一応記しておきます。』

 これはありがたいとその友達云々の書体が震えていることを無視し、続きに目を走らせる。

 

『その人より多い八本の脚使えよ』

 

 思わず地面に巻物を叩き付けた。

 

 何で投げやりなんだよとか、しかも蜘蛛限定のハウツー本かよこれとか、一言で表すなら「理不尽」である。

 そもそも彼は半分ほど蜘蛛で人間の手足も勘定に入れるなら十二本という蜘蛛以上に多い手足を持つ珍生物だが、彼は自分の意思で残りの脚を生やすことも、ましてや自在に操ることも出来ない。

 寧ろ操られている方である。

 

――折角、焼いたジューシーな肉を食べられると思ったのに……

 

 火の使い道を現在食事以外にまったく思い付いていない驚愕の事実の発覚と共に、ある変化が訪れた。

 

 誰かが、落胆し跪き頭を垂れる自分の頭を慰めるようにそっと撫でたのである。

 久しぶりの硬直後、顔を上げるとそこには赤黒い毛で覆われた異形の脚があった。

 

 気付けば左右に四本ずつある蜘蛛の脚がいつもの時間でも、命の危機でもないのにそこにあった。

 

 今まで他人事のように朝夕は半身の蜘蛛に食事を委ね、自由に動く昼でさえ畑にある野菜を貪るだけで食に関して無関心、おまけに火という文明の起源さえも頭の片隅にしかなかった彼が、初めて食と火という野生からの脱却を目指したことにより、【蜘蛛の糸】(カンダタ・ロープ)によって生まれた自身の身体の所有権を完全に握ったのだ。

 こんな馬鹿らしい一連の流れでも前へ進む者は成長するのである。

 

 

 数分後、火が付いたことによって喜んでいたが、夕刻の蜘蛛化が何時になっても始まらず原因が、脚が自在に使えるようになったからかと気付いた時には既に明かりは星と火だけとなっていた。

 

 

 森に肉を焼く音が聞こえるようになったのは火起こしから二晩経った出来事だった。

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