「……ゴホン! ということである程度の太さがあればくり抜きの問題は楽に解決できるから、やっぱり大事なのは関節部分なのよねぇ」
最後は若干声が掠れながらも三節棍の作り方を懇切丁寧に口伝し終えた頃には、真新しい三節棍がトールの手元にあった。
ちなみに関節部分は鎖でなくとも丈夫な紐状のものならいいとのことなので自分の糸の束を使うことにした。
関節部分は組み木に近い作りになっており、普段は一本の棒だが特殊な捻り方によって分解する仕組みになっていた。
しかし、完全に固定されておらず意図的に
この遊びこそ最大のポイントである。
「私達の流派の棍術は
ただし、龍を飼いならすのは骨が折れるわ…… 最後の言葉はトールにではなく己に言い聞かせるように呟いた。
「ああ、一応言っとくけど三節棍の作り方は門外不出の技術なのよ? 故意に教えたり、免許皆伝に至るまでに挫折したら原則として口伝した師匠がア・レしちゃうの。 何かここまでで質問とかお願いがあったら聞くわよ?」
「何故それを先に言わなかったっていう質問と、それを先に言って欲しかったってお願いがありましたね」
笑顔で言ったが彼の目は笑っていなかった。
三節棍の技は熾烈を極め、彼の裁縫中毒生活に影響を与えるほどであった。
具体的には筋肉痛で針も握れず、そもそも修行が終われば箸以外の物を持ちたくないほどに疲れ、風呂なぞ湯船で寝てしまい溺れかけるほどであった。これでも【絶】で回復力を速めている。
そんな状態であるがトールの生活している場所は密林のど真ん中もいいところだ、そんな状態ならば二日に百回は死ぬ。
ではなぜ彼は死なないのか? それは一重にアルゴのおかげである。
彼? の厳しい修行と裏腹に行われる介添えの光景は子育てに精を出す父親か母親のソレだった。
慣れるにつれ並行して【念】の修行さえ開始出来るほどになったが、それでもアルゴはトールの生命線だった。
雨風日照り、ときに野生動物の群れと牙をむく自然なんぞお構いなし、たまに三節ではなく二節のヌンチャクをフェイントの様に持たされたりと熾烈かつ何処かとぼけた日々は続きそして――
猛禽類を思わせるような甲高い風切音を伴う三節棍の回転は、腕の動きひとつで途端に獲物に食らいつく蛇の如き鋭い突きの一撃となった。
「どうですかアーちゃん先生……」
「んー…… おめでとうトールちゃん、合格よ免許皆伝!」
オマケと言うか、どう考えても温情合格であったが気にせず、そもそも気付かずトールは素直に喜んだ。
「あれから【念】の修行もはかどったってもんだな」
長く辛い修行だったが、武術の修行は【念】の修行のあくまで一環であるという認識を彼は最後まで崩さなかった。
それを体現するかのように、彼は武術の修行開始前までまったく維持できなかった【練】の応用技たる【堅】で己の身を纏った。
「ありがとう、アーちゃん先生」
感謝の言葉に返ってきたのはどことなく微妙な表情とぎこちないサムズアップだった。
何故こんなにも微妙な表情なのか? それは【堅】を始めとする習得理由にあった。
―※―※―※―※―※
「こうなったら最終手段! 趣味の時間に【念】の修行をぶっこんじゃいましょう」
突然アルゴはトールにそう言い放った。
あれから武術の修行にも慣れ、並行して【念】の修業を本格的に再開してしばらく、一向に成長の兆しが見えないのだ。
髪形変えて染めただけで【練】が出来た男なのだからと【練】を【纏】で留める応用技【堅】をさせたが、五分も続かなかった。
しつこいようだが彼がすぐさま【念】が使えるのはその半身であるアラーニェのおかげなのでその後、急激に成長しないのは当然である。
そんなことは知らず、アルゴは彼を追い込む形での修行を提案した。
「裁縫できる時間はトールちゃんが【堅】をしている間だけとします!」
「え……」
トールの至福の時である『裁縫』の時間に制限を掛けたのである。
まさに今、武術の修行の合間に裁縫をしているトールはその言葉を聞いて針を落とし、瞳の光は消え失せた。
「ヒドイ…… それは蜘蛛の脚を使わず手だけで裁縫をする練習をして倍近い時間有してしまう今の俺に対して何たる仕打ちですか!?」
「私も心苦しいわ…… っえ、脚使わずってことは地味に私と会った時から練習してたってことかしら!?」
どうでもいいが実は蜘蛛の脚に頼らない裁縫の練習期間はもう二年ほどとなる。
さらにどうでもいいが、アルゴはこういった仕事だと汚れるという理由で仕事中はオシャレなぞ二の次というスタンスの服装だったが現在は幾らでもトールがオーダーメイドで服を作ってくれるので格段にオシャレになった。
トールの方もアルゴが要望する度に作れる服のレパートリーが増えるし、なにより着てもらえるため文句どころか感謝をしているのが現状である。
「トールちゃんは【纏】のときみたいに趣味が絡むとツボにはまるタイプなのよ。 だからこそ、この方法ならすぐ伸びるって私は思ったワケ!」
「んー…… でもなぁ、裁縫できないのはねぇ」
「それじゃあ、ちょっと恥ずかしいけど【堅】をしている間だけキッスをしてあげ……」
「よし、多少の時間的犠牲はやむを得ないね、うん!」
恥じらう仕草と熱い視線を送るアルゴを見た瞬間、己が貞操と趣味の二つを天秤にかけ、犠牲とするものは趣味の時間の方だと決まった。
やり始めに数本の千本草を指二本で折ってしまった以外は力加減をすぐに掴み、何事もなく【堅】の状態で裁縫は開始される。
しかし、二・三分ほどで彼の額には汗の粒が見え始める、裁縫をしていても限界なのかしらとアルゴが思ったそのとき
「…… しゃーないな」
そうトールが呟き、数回肩を回した次の瞬間には背中から八本の脚がメキリと音を立ててその姿をさらす、一本一本が鋏のような先端をしており器用に糸付きの針を掴むとかなりのスピードでそれでいて複雑に動いてゆく。
その急な人外の動きをみて呆然として己の時を止めるアルゴと正反対に、トールの脚と手はスピードを増してゆく。
そしてその動きも止まると同時に【堅】も途切れ、彼の手には縫いかけだったものは深緑色のそれは立派な作務衣となり完成していた。
「よしッ!」
「『よしッ!』じゃないわよ!」
直後アルゴの拳骨がトールの脳天を襲う。
「何すんだアーちゃん先生この野郎!」
「そこは【堅】の時間伸ばすようにしなさいよ! 裁縫の技術上げて時間内に収めてどーすんのよ!?」
まったくもってその通りであった。
「あと、野郎はないでしょうが!!」
それは納得出来なかった。
「脚使うの禁止ね」
「御無体な!?」
その後しばらく、トールは裁縫時に抗議するように脚をわしゃわしゃと動かすようになった。
しかし、「虫なんて豪快に潰しちゃうワイルド系乙女には通用しないの♥」とまるで家に出た害虫感覚で引っ叩かれた。軽めの【硬】で。
*
脚を禁止して以降、トールの【堅】は目に見えてその時間が伸びた。
恐るべき執念である。
「ねぇ、トールちゃん?」
「どうしましたアーちゃん先生?」
「今最低合格ライン超えたわよ」
トールは何のリアクションもしなかったのでアルゴは首をかしげたが縫っていた青色の色無地が完成し、針を置いたところでゴールを決めたサッカー選手の様なアクションをする。
職人としても成長をしたようである。
釣られて嬉しくなったらしいアルゴがハグをしてきたところでようやくトールは冷静さを取り戻した。
「さーて、ひとしきり喜んだところで早速【念】の修行その三と洒落込みましょう!」
「え? 早くない?」
「オーラに余裕がありそーだし、次はトールちゃんにとってやることは楽な奴だと思うからよ、【凝】を解禁するわ」
ギョウ? なんじゃそりゃと一瞬思ったトールだが、【念】を覚えた初日にやってたなーと思い出し、あの時の感覚を頼りに目にオーラを集中させる。
「本来はこっちの方を【堅】より先にやるんだけど、トールちゃんは【凝】に関しては最初から難しいのをやらせちゃうわ」
「これで幽霊とか視るんですか?」
急に霊なぞ言ってきたトールに面食らうが、違うと否定する。
「イケメンの守護霊なら大歓迎だけど関係ないわよ、これはよーくオーラを視る技で【隠】っていう技で隠されたオーラを見抜くのが一般的な使い方よぉ。一旦【凝】を解除してみて?」
言われた通りに【凝】を解く。
「私が何してるか視えるかしら?」
「んー? なんか靄っぽいのが視えます」
「……アレ? ……ふぅ、これでどう?」
見た通りの事を伝えたら妙にアルゴが焦ったが、もう一度見るとアルゴの周りには靄も霞みも掛かっていなかった。
「何も視えないです」
「そっか…… 私が衰えたんじゃなくて、トールちゃんが鋭いのかしら?」
「どしたのアーちゃん?」
ぼそりと呟かれたアルゴの台詞をトールは聞こえなかった。
「いいえ何でもないわよ、気を取り直して今度は【凝】で私を視て、舐め回す様に視ても良いわよぉ……」
誘惑するようなポーズをするアルゴに、目を反らせないどころかじっくり視るなぞどんな拷問だよと思いつつ後半以外言われた通りに【凝】でアルゴを視る。
すると、先程まで【纏】も何もしていなかったアルゴに【練】状態のオーラが視えたではないか。
セクシーポーズと合わさり無駄に迫力が増して不気味なこと此の上ない。
「これが隠す技術の【隠】で、それを見つける技術が【凝】よ。わかったかしら?」
「分かりました!」
返事と同時に目を反らす。 辛いのだ、精神的に。
「いい返事ね、じゃあ今度は【凝】で裁縫ね? それが出来たら次は手とか足とかに【凝】をするの。それとご飯食べてて食休みしたら武術をしましょうね」
後に目以外の場所の【凝】は可もなく不可もなくと言った状態と分かったが、それでも裁縫による飲み込みの速さは健在だった。
それでも全てを裁縫に関連させるのもどうかと思い、ならばと花嫁修業を余すことなく【念】修行に応用する。
例えば持っている物体をオーラで覆う【周】の修行の一環として、包丁とまな板に【周】をする事を行った。
これが存外難しい。 包丁側にオーラを込めすぎればまな板ごと切ってしまい、ならばとまな板側にオーラを多く込めれば食品ごと覆ってしまい刃が通らないのだ。
それでも料理の時間が延びれば腹が減るし裁縫の時間も少なくなる。
趣味と食に関して彼の上達ぶりは眼に見えて早かった。
一方武術方面のアプローチではほとんどコツを掴まなかった。
型を教えて演武をするさまは中々なのに、組み手をすれば途端に下手以下と化すのだ。
アルゴをしてカカシと言わしめたその棒立ちっぷりは最早伝統芸能の域であった。
―※―※―※―※―※
過去を振り返り、主に組み手での失態を思い出してアルゴは未だ微妙な顔をする。
「そうねー、合格って言っておいてなんだけども、武術はともかくトールちゃんは【念】に関しては良く出来たと私も思うわ」
持続時間だけでなく精度も上げるために裁縫中にアルゴがおもむろに念弾を飛ばしたり、【隠】で描かれた【念】の文字を読ませたりその他色々な課題を並行して与えていた。
武術で【念】を習得したと言える【流】も組み手で全く出来ていなかったが、リラックスしているときに関しては割とうまい。
「そうですね、【発】の修行に関してもいい感じじゃないですかね?」
言われてアルゴは幾分かマシである【発】の修行を思い出す。
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粗方の【念】を花嫁修業によって体得した頃、トールは【発】の修行も本格的にすることとなった。
その時間は当然裁縫の時間から捻出された。
まず自身のオーラの系統を知るべく心源流に伝わる判別方法、水見式を行う。
余談だが過疎化して存続危うい流派なのに何故心源流の方法を採用したのか質問したところ、一応オーラの性質で色の変わる草のエキスを染込ませた紙を用いる方法があるが草が希少で高いらしい。
そういった経緯で他流派の方法である水見式によるオーラ診断を行うこととなった。
まずは見本とアルゴが持っていた自前のコップに水を汲み【練】を行うと一瞬のうちにコップの水が底も見えない程真っ白に、つまり放出系の反応を示したのだ。
ならば自分はと【練】をすれば小屋の中でなかったら風のせいでは無いかと思われるほど弱々しく葉が動いた。
それでも確認のためもう一度行った結果、葉は同じ様に動いたためどうやら操作系らしい。
「まずは水見式の反応が顕著になるくらいに日がな一日コップとにらめっこする日々ね」
コツは【練】を強めるのではなく真っ白い画用紙に好きな色を塗るように自分の我を込めるそうな。
これに関しては裁縫一切抜きでコップの葉を通して自分を視る様に【練】を行い続けた。
【練】の修行時の様にマンガの似たシーンの台詞を叫んだり戦隊ヒーローの真似したりと時に迷走し、たまに五月蠅いとアルゴに思いっきり拳骨されたりといった日々が続き――
結果がコップの水をまき散らしながらコークスクリューの様に回転する葉であった。
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そこから彼はオーラで強化した千本草でひたすら地面を掘り、その穴の底で逆立ちをし放出したオーラの反動で上に戻れば穴を掘ってできた土を操り埋めて、物質化させたオーラでならすといった【発】の修行などをすることとなる。
その過程で自分が操作系以外では次いで放出系の習得がよかったらしく、アルゴ曰く放出系側によった操作系との事。
「そして見よ! この修業成果を!!」
手首にオーラを集中させ、自身の斜め上にある木の枝目掛けて中指と薬指を掌に押し付けた奇怪なポーズをした手を突き出すとオーラを纏った蜘蛛の糸が勢いよく発射され、枝に命中した。
二回ほど糸を引っ張り強度を確認すると、糸を手繰りつつ一気に前へと跳ぶ!
「ア~アア~!」
ここまで蜘蛛のヒーローの模倣をやっといて、その雄たけびを上げるのはいかがなものかと思うことなく木から木へと飛び移り、半円を描く様に移動すると元の位置へ戻ってきた。
「どーですか! アーちゃん先生!!」
オーラの放出と物体操作により、遂にトールは蜘蛛の糸を自力で飛ばすことに成功したのである。
「…… うふふ、武術はさておき成長は褒めちゃうわ。それじゃ、今度は最速でお昼ご飯を捕ってきてちょうだいな」
了解と返事をしてトールは蜘蛛の糸のターザンロープで瞬く間に獲物を狩りに行く。
それを見るアルゴの顔は成長した子を見るそれだった。
*
「なぁ、アーちゃんってハンターだけどさ、なんのハンターなんだ?」
何かの獣の肉と野草の汁物を喰いながら何となく聞いた。
「うん? イイ男ハンター兼、受けた依頼をこなす依頼ハンターよ。と言っても協専ハンターと違って自分から情報屋とか通じて依頼を受けるけど、ぶっちゃけちゃうと何でも屋と実態はほとんど変わんなかったりするのよね」
「へー…… イイ男ハンターは別として仕事仲間とか友達とかいないの?」
やけに自分の事情を聞いてくるなとアルゴは不思議がったが今更そんなことを遠慮する中でもあるまいと素直に、むしろどうして今まで話題に上がらなかったのだろうと思いながら答えることにする。
「仕事仲間は、ハンターやってる友達はちょっとしかいないけど仕事も頼まれるくらいに仲のいい趣味の合う友達なら結構いるわよ」
趣味の合うの部分で何を想像したのかトールは小声で「うわぁ……」と呟いたが、幸いにもアルゴには聞こえていなかった。
「でも、急に私の事聞いたけど…… もしかして私に興味が沸いちゃったのかしら♥」
いえ違いますと首が千切れるような勢いで横に振り即座に否定する。
「いや、アーちゃんがここに来て友達兼先生になってから二、三年くらい経つけど誰も心配しないのかなぁってさ」
時が過ぎるのは早いものねぇ、としみじみしながらに汁をすすったアルゴは数年単位で時が経過した事実を完全に理解すると盛大に汁を向かい側にいたトールに吹き出した。
「きったねぇな!」
「ゴホッ! …… ごめんなさいねトールちゃん、そんな時間経ってたなんて思いもしなくって!? 子育てってホント熱中しちゃうものなのね!」
「子育てって……」
「もしかして頑張ったら母乳でるかも」
「唯でさえ水見式で白濁した水作れるんだからやめてくれません? というか何を焦ってるんだ?」
焦っているのか詳しく聞くと、どうやら定期的に連絡を取っている情報屋が連絡のない自分を死んだものとして扱えば依頼が受けれず、このままではハンター業(無論、依頼ハンターの方)に支障が出るとのことだ。
それでなくても友達に心配を掛けていることも焦りの一つだ。
金の問題ではないらしいところがまた凄い。
ケータイで連絡すればと言ったが、情報屋の方は直接会うのが鉄則らしい。
実際に探して会い、詫びのしるしに幾つか割に合わない依頼をこなさなければならず数ヶ月はここにこれないらしい。
「それまでのんびり裁縫したりして待ってるさ!」
笑顔で言ったその言葉は
「どっこい、【念】の修行最終段階をしてもらっちゃうわ!」
同じく笑顔で言われた言葉に叩き潰された。
*
『己の【発】を完成させろ』
【念】の修行はデフォルトであるとして。
これが最後の修行内容であった。
蜘蛛の糸を飛ばすのはそれはそれでオリジナル技だが、応用技に近いものであるらしい。
とりあえず操作系に属する能力かつ実戦を想定してという注文付だった。
といっても必ずそういうものでなくてもいいらしい。
「自由な発想が大事よん」
去るときにウインクと共に言った言葉である。
―― そもそも実戦ってなんだ?
詳しく聞く前にアルゴが飛び出したため、よくは分からないが自分の将来に関わるらしい。
服作るのに戦闘能力っているのかと疑問に思ったが、もしやRPGよろしく幻の材料を仕入れるために秘境に行くのがこの世界の職人のデフォルトなのかと思いつく。
が、すぐにそういった事を代りにこなしてくれるハンターと言う職業があると思い出す。
ではなぜ、何故と頭から湯気が出るほど考えたトールは――
―― 自分の店は物理的にも自分で守れってことだなアーちゃん!
という結論に至った。
そうと決まればとトールは数少ない実戦に入るやもしれないアルゴとの組み手を思いだし、念能力のヒントを探ろうとする。
―※―※―※―※―※
組み手の休憩時間中、頭のたんこぶを摩りながらトールは退屈そうに座っているアルゴに声をかける。
「俺の実力ってどう? 詩的に言って」
「最高の素材が織り成す残念なハーモニーってところかしら?」
「一言でハッキリ言うと?」
「弱い」
どストレートだった。
「どこがどう弱い?」
「そうねー、まず攻撃に対して身が竦むのがひとつ、かろうじて防御しても予想外の行動にやっぱり驚いちゃうとこもひとつ、先を読ませない変幻自在さが強みの私らの流派の技を生かしきてないどころか頭真っ白になっちゃって単調な動きで強みを殺してるとこもひとつ……」
他にも【流】や【周】のみ意識すれば妙にうまいのに体術と組み合わせると途端に三流以下に成り下がる等など問題点のバーゲンセールがこの日開催された。
―※―※―※―※―※
―― 欠点しかねぇじゃん!
思わず木が縦にヒビ割れるほどに頭突きをかましてしまった。
トールの考える通り、彼に戦闘面におけるキラリと光るものなぞ無いどころかどす黒い闇が広がっていた。
唯一の戦闘に関係するやもしれない能力は、幼い頃から戦隊ヒーローやライダーの変身ポーズ等の模倣から培ってきたカッコよく言って『演武』くらいである。
彼の型の一つ一つはとても綺麗であり魅せるのだ。
演武がうまかったからこそ彼は温情合格でギリギリ免許皆伝したのだ。
ちなみにちゃんと道場で習っていた場合トールが免許皆伝に至るのは今の習得状況から判断するに人生全てをつぎ込んでギリギリである。
―― 真似とかなら得意なんだけどなぁ……
トールは思いつく限りの知っている動きを再現する。
それは最近習った型だったり、子供の頃から真似した歴代ヒーローのポーズだったり果てはアルゴのセクシーポーズであったり脈絡も考えもなく体が覚えている動きを半分無意識に行っている。
辺りが暗くなっても終わらず、結局空腹に耐えきれなくなったところでようやく彼の動きは止まった。
この日からアイデアが浮かばなかったトールは同じことの繰り返しの日々となった。
元から一つの事に全神経を集中し、他の物事を疎かにするきらいのあったトールは裁縫さえすることをさえも億劫になり、生活が成り立たなくなるギリギリのレベルまでいってしまった。
これが不測の事態に対して硬直までしてしまうほどの異常な弱さに繋がっているのだが、当の本人は気付かない。
朝起きたら【纏】をして【練】して【堅】をして系統別の【念】をして、それが終われば答えのない問題を前にひたすらに動き続ける。
早朝の【念】修行が行えるのは頭でなく体が覚えているからだが、徐々にだが確実に精度が落ちてきている。
遂に食事までも疎かになってきたのだ。
始まりという最も大切な期間を一人で生きた弊害が、没頭という病気となって彼の生命を静かにだが確実に奪おうとしているのだ。
そんな状態で延々体を動かし続けることなど出来る訳もなく、彼はその場で大の字に倒れた。
血錆蜘蛛特有の空腹のサインである真赤な眼が爛々としているにも関わらず、頭にあるのはそれでもまとまらないアイデアだった。
―― ……
やがて考えることも出来なくなった彼は、力なく目を瞑ったが――
「シァアアアアアッ!!」
変わるように化物の口と複眼が開かれた。
数年ぶりに外へ出た本能の塊である。
大蜘蛛はあのときから変わらぬ生への執着心によって森を駆けまわる。
しかし、その動きは以前とは比べ物にならなかった。
一瞬の【練】による脚力の強化によって得た加速を利用し、【絶】の気配遮断で移動するそれはまさしく化物。
蜘蛛化して一分足らずで、大蜘蛛は獲物を見つける。
それは奇しくもこの世界に産み呼ばれ、最初に喰った獣と同じ種だった。
そして同じ様に跳びかかり、喉元に食らいつく。
しかし、あの日と決定的に違う点がもうひとつ……
今の大蜘蛛は疲弊しきっていたことだ。
「グルルルァア!!」
極限の空腹と疲労に力を失った牙は、命を喰らうまで至らず獣の鉤爪に腹部を抉り切られながら吹き飛ばされた。
そのまま一本の木にぶつかり、木を曲げ赤く染めながら重力に従って力なく木にもたれかかるように落ちる。
そして大蜘蛛の姿は徐々に小さくなり、最後には背中に鉤爪と分からないほどの切傷を負った子供の姿に戻ってしまった。
「あ…… ぐ、あぁ……」
傷の痛みと失血、そして極度の空腹により白濁した意識の中、トールは目の前の木を支えによろよろと立ちあがり獣側を向く。
時が経つにつれ死に近づいたからなのか、はたまた死から遠ざかるためなのか徐々に痛みの感覚が無くなってきたため彼は何とか立ちあがれたのだ。
しかし、立っただけだ。
なけなしの命が直接細胞に命令しているかのように、ただ立ったのだ。
待てば死ぬ、誰が見てもそれは明らかだった。
「グルルルァア!!」
ただ目の前の獣はそれが分からぬほどに錯乱していた。
もしかしたら自身をここまで傷つけた目の前の化物が、自分に限らず種族全体の脅威となると感じ敢えて傷の回復に回す体力を殺す労力に変えたのか、しかしどちらであってもトールを殺すという選択肢に変わりはなかった。
吹っ飛んであいた距離など感じさせず、寧ろ助走をつけるいい状況であると言わんばかりに加速した獣は最高のタイミングで自身のトップスピードをもって間合いに入り、トールの血と自分の傷から流れる血で濡れた鉤爪で容赦なく頭を狙った一撃が放たれた。
木が倒れる大きな音が響き渡る。
しかし、倒れたのは木だけでありトールは依然としてその場に立ち続けていた。
「……」
別に獣が攻撃を外したわけでもトールが幽霊の様に触れられなくなったわけでもない、単純にトールが攻撃の瞬間にフラリと頭を下げ回避したのだ。
「グル、ルルァア!!」
獣はなお諦めず何度も爪を振り下ろすが、まるでその風圧でよろけるかのような動きで全て回避する。
「……」
トールは満身創痍だというのに苦しがるような様子も表情もなく不気味なほど静かで無表情だった。
「グルアアアアアァ!!」
それと正反対にまるで攻撃が当たらないことに業を煮やしたかのように、獣は喉の傷から血が噴き出すほど吠えるとそのまま跳びかかった。
少し遅れてトールもまたふらりとした状態から想像できないスピードで獣に向かって跳びかかった、しかし真正面からぶつからず体を捻り込んで牙と爪を避ける。
そしてそのまま彼は蜘蛛の方ではなく己の人のそれと変わらぬ口を大きく開き喉元の傷に噛み付いた。
ただ噛み付いただけではない、傷の中に顔を突っ込みそのまま肉を喰らっているのだ。
「ギ、ギギギャガガガァアア!!」
血を吐きながら奇怪な声を上げ、獣は何度かその場でトールを振り落とそうと跳ね続けたが、やがて膝をつき横に倒れる。
生きたまま喰われるという壮絶な最後を味わったその眼からは血が涙の様に流れていたが、やがてその眼は体の奥に引っ込む。
トールが内側から目の視神経を引っ張り喰らったからだ。
生のまま肉を、内臓を喰らい、喉が渇けば血を啜る。
すでにトールの意識は攻撃を回避するところで途絶えていた。
では今どうして動いているのか? 本能の象徴たる蜘蛛化もせず動いたあれは何なのか、それは誰にも分からない。
獣を喰いつくし、その空になった腹の中で眠るトールの四肢には痣が出来ていた。
それはまるで糸が巻き付いたかのような痣だった。