ヤマニンゼファー 1/10
──…………──
──…………ァー…──
──………………ファー──
「……?」
‘友達,に呼ばれたような気がして、その『ウマ娘』はゆっくりと瞳を開いた。グラウンド全体を見渡せる位置にポツンと置かれた、休憩用のベンチの上だ。寝ぼけ眼を服の袖で擦りながら意識を覚醒させたそのウマ娘は、キョロキョロと辺りを見渡して声の主を探してみる。……誰もいない。正確にいうと、丁度いまグラウンドで『ウマ娘トレーナー』によるチーム選抜のテストを行なっている真っ最中だから「誰もいない」という訳ではないのだが、少なくとも自分に声を掛けられる距離に人はいない。
「……夢……かなぁ?」
そう結論づけたところで「ふわ……ぁああー……」という大きなあくびが彼女の口から漏れる。
────眠い。
頭がまるでシャッキリしないし、体全体がこれ以上なく疲れ切っているように感じる。「私、今日そんなに疲れるようなトレーニングしたっけ?」という一抹の疑問すら、瞬く間に微睡みが消しさっていった。
(……寝ようっと)
正直もうそれ以外なにも考えられない。今すぐ横になって、意識を完全に落としてしまいたい。自分が誰で、今が何時で、なにをするべきかすら最早どうでも──。
「ちょっと! なによそれ!!」
「!!」
突如として聞こえてきた怒号に、ベンチに横たわろうとしていた体がビクッ! と縮み上がった。「なんだなんだ」と言わんばかりに、落ちかけていた意識が再び覚醒してゆく。怒号が響いてきたのは選抜テストを行なっているコースの方からだった。ジッと目を凝らしてみると、コースの端っこでちょっとした騒ぎが起きている。一人のトレーナーとその側にいる一人のウマ娘に何人ものウマ娘が詰め寄って、なにやら抗議らしき物を行なっていた。幸い「一触即発」のような雰囲気にこそなってはいないが、大多数のウマ娘──たぶん選抜テストを受けていた娘たちだと思う──は明らかに不満顔だし、トレーナーに……と言うより、その側にいるウマ娘に対して抗議を止める気はなさそうな感じがする。
「……」
何故だろう。よく分らないが、なにが起きているのか無性に気になる。幸か不幸か、こういった喧噪は小さい頃からすぐ身近にあった。なにがあったのか話を聞くのも、ケンカを仲裁するのも慣れている。なにせ、実家にいる頃は毎日のようにやったことなのだから。
先ほどまでの眠気も何処へやら。彼女はすぐにベンチから立ち上がると、まるでそよ風のような軽やかさで喧噪のただ中へと向かっていく。
「ふっざけんな! あんだけ本気で走らせといてどういう事だそれは!!」
「約束と違うじゃないの!!」
「いや、だから俺としてもだな──」
「今日の為に選抜テストとレースの内容をみっちり予習して、本番のレースと変わらない仕上がりにしてきたのにー!」
「私なんて本当は出場できた条件戦を蹴ってまで参加したんですよ!?」
「この際合格不合格はどうでも良いですけど、テストの途中で割れちゃった私の蹄鉄って学園持ちに出来ますよね? 出来ますよね!?」
ギャーギャーワーワーと止むことのない抗議の声に、中央トレセン学園ウマ娘トレーナーの『
しかし、それでテストを受けたウマ娘達が納得するかどうかは別の話である。前提と約定を破り、不義を働いているのはこちらなのだから。
(取りあえず相応の謝罪と説明を……。ああそうだ。後で学園の方にも事情を話して、理事長とたづなさんにも謝って、色々とフォローをお願いして──)
「っていうかなにさっきから黙ってるんですか!? 私達は──」
「────喚くな。民草ども」
ピタリ──。と、一瞬で怒号が止んだ。
あまりにも不遜で尊大な態度と、無礼で傲慢な物言い。それでいて絶対の強者にしか出せない圧倒的な力を言葉に乗せてウマ娘達を一瞬で黙らせたのは、柴中のすぐ隣に立っているたった一人のウマ娘──つまり、この騒動を引き起こした元凶だ。
「何度も言わせるな。私がそうと決め、トレーナーが定めた以上、これが覆ることは無い」
風にゆられてなびく、サラサラとした美しい黒鹿毛色の髪。どこまでも永遠に続いている
生徒会長を務めるかの「皇帝」シンボリルドルフの同期にして、中央トレセン学園に存在する
名を‘ニホンピロウイナー,短距離とマイルのレースを主に戦うウマ娘で、彼女を知らない者、目指さない者はいない──‘絶対強者,の一人。
「分ったら早々にクールダウンを済ませろ。お前達は合計約五キロもの距離を本気で走ったのだ。仮にもウマ娘レースの出走者ならば、次の走りに支障を残すような真似はするな」
「お前なぁ……」
ウイナーがギロリと一睨みするだけで、喧々騒々だったウマ娘達は身をその場から半歩下がらせる。非難轟々だった口は言葉に詰まる。唯一トレーナーの柴中だけが全く動じないまま、呆れたような表情を浮かべていた。
「で、でもよ! 話しが違うじゃねーか! このテストで優秀な成績を収めたら──!」
「書類内容をちゃんと読んだのか? 正確には「我らがチームに迎え入れるに足る優秀な人材がいたら」だ。貴様らは誰一人として条件を満たしていなかった。それだけの事」
「わ、私達が弱いからってことですか!?」
「違うとも言えんが、そういう事ではない。そもそもの話しとして、貴様達は我らのチームには「いらん」これはそういう話しだ」
「あ、あのっ! ……ヒィッ! なな、なんでもないです!!」
まるで切り捨てる様に言うウイナーに自分もなにか文句の一つも言おうとしたウマ娘は、ジロリと睨み付けられてそのまま縮こまってしまう。まるで古代ローマ皇帝の暴君政治を思わせる光景に、柴中の胃はキリキリと痛みだした。彼女と付き合っていると割と良く見る光景ではあるのだが、流石にここまでの物を見るのは久方ぶりである。やはり自分だけが勧誘テストを行なって、ウイナーには後で撮影した映像を見せる方式の方が良かったのだろうか……。
兎に角まずは彼女達の誤解を解いて、ウイナーの事を含めて色々と説明をして、その上で今回のテストの事を含めて色々と謝罪しなければ──
「あのー……。少し、お邪魔しても良いですか?」
「へ?」
誰かに呼ばれたような気がして、柴中はクルリと後ろを振り返る。──そこにいたのは、一人のウマ娘。
黄金色の琥珀を思わせる、美しくもどこか奥深い感じのする瞳。腰の先まである鹿毛色の長い髪には、空のように蒼くて綺麗な色をした髪留めが前髪の部分に二つほど。身につけている制服のリボンから、高等部所属だということが分る。全体的な筋肉の付き方は決して良いとは言えないが、バ場を軽やかに、けれど力強く走る事が出来そうなスラリとした良い脚をしているな、と柴中は思った。
「……誰だ貴様」
突如として話しに割り込んで来た文字通り邪魔者に、ウイナーはテスト参加者に向けたそれと変わらない瞳を向ける。──部外者は去れ。そんな意図と力が込められたその凄みを、彼女はまるでそよ風の様に受け流して微笑んだ。
「私『ヤマニンゼファー』っていいます! みなさん、さっきから凄く真剣に話されてるから、どうしても気になっちゃって……。もしよかったら、私も混ぜてくれませんか? 私、人の話を聞くのが得意なのでなにか力になれるかもしれません!」