「…………フゥ」
日本ウマ娘トレーニングセンター学園──通称「トレセン学園」に所属するウマ娘の朝は基本的に早い。
早朝トレーニングをしつつ今日のコンディションを確認する為というのが主な理由だ。ウマ娘じたい寝起きが良い生き物(個人差有り)というのもあって、朝早くからグラウンドやトレーニングジムに学生の集団が出来ているのもそこまで珍しい話しではなかった。
仲間や友達と和気藹々とトレーニングを行なうか、一人黙々と鍛錬をしようとするかはそのウマ娘次第だが、兎に角いまトレセン学園のグラウンドには早朝トレーニングをするために何名かのウマ娘が出ている。──が、その殆どが動きを止めてしまっていた。……なぜか。
「──
──ゴウッッ!!
「……すっご」
たった一人のウマ娘の走りに目を見張るほど圧倒されてしまっていたからだ。感嘆に溢れる声が、見学していたウマ娘の一人から漏れる。彼女が走っているのは芝の1400M--所謂短距離レース用に設計されたコースだが、そこでトレーニングをしていたウマ娘達は彼女の圧倒的なパワーとスピードに併走はおろか、付いていくことすら出来ていなかった。
かの三冠馬、ナリタブライアンのそれを思わせるレースへの姿勢と意気込み。圧倒的な実力を持ってして敵を真正面からねじ伏せるようなその様は、正しく「戦士」と呼ぶに相応しい走りだ。これでまだデビュー前の新バだというのだから末恐ろしすぎる。
「やっぱ理事長が直々にスカウトしてきたって噂はマジなんですかねぇ?」
一見幼女にしか見えないが実はちゃんと成人している--ように見せかけてやっぱり普通に幼女なんじゃないか疑惑のある色々と謎が多い中央トレセン学園理事長が、
傍若無人で自由奔放。なにより何十何百という戦士や王と夜を共にしたと言われているかの愛多き女王に仕えたとされる、神代の時代から続く伝統あるウマ娘の一族──その末裔らしい(あくまでラブリイ談)が、なるほどあの走りを見せられては納得するしかない。強豪とされる外国ウマ娘への反感か「先祖や伝統がなんだ。重用なのは彼女自身が強いかどうかだろう」と転入早々併走をふっかけたウマ娘の殆どを歯牙にも掛けず返り討ちにしたという武勇伝を持つラブリイは、今や中央トレセン学園の大注目ウマ娘の一人となっている。
トレセン学園最強と名高いチーム‘リギル,に匹敵するとされる唯一のチーム‘ステラ,の選抜試験に一発合格した後はトレーナーの指導を受けてその強さに更なる磨きが掛かり、その噂を聞きつけたのかまだデビュー前だというのに専属取材をしたいという申し込みまであったらしい。
「私じゃ敵わない訳ですよそりゃあ」
「たはは」と独り言をぼやき続けるそのウマ娘は力なく笑った。数日前に「あの‘帝王,に並びうる強さ」と称されるにまでになったラブリイに興味本位で模擬レースを持ちかけてあえなくぶっ飛ばされた記憶が蘇る。彼女が最も得意とする距離である芝の1600Mだった事を差し引いても完敗と言って良いほどの差が付いていて、もう笑うしかなかったのだ。来年には彼女を始めとした次代の強豪ウマ娘達がクラシックないしシニア級に続々と上がってくる訳で──
「……焦るなぁ」
思わず溜息が出る。同期には‘帝王,。次代には‘女戦士,に‘坂路の鬼,、‘黒き刺客,に‘世界の遺産,。そして先達には現役最強ウマ娘と言われている‘名優,。それ以外にも虎視眈々とGⅠレースでの勝利を狙っているトゥインクルシリーズ現役のウマ娘が山のようにいるのだ。自分だって決して悪い成績をしていないし、ぶっちゃけ中央トレセン学園全体でも上の上に入る強いウマ娘だと自覚しているのだが、その程度では一着に手が届かない事をそれ以上に理解している。このままではいつまで経っても「Ms.三着」「優秀なウマ娘」のままだろう。最悪の場合、そんな評価すら剥奪されるようになってしまうかもしれない。
……このままではいけないと分かっているのに、具体的になにをどうしたら良いか分からない。専属トレーナーの一人でも付いてくれれば色々とアドバイスをしてくれたりサポートをお願い出来るのだろうが、彼女はそんな所でも「Ms.三着」なのか毎回のように「惜しい」という評価を受けて、最後の最後──最終選抜でふるい落とされてしまうのだった。
そんな彼女にとって‘強い,と言われているウマ娘のトレーニングを見学するのは、重用かつ大事なトレーニングメニューである。
「──
「……うーみゅ」
周囲の視線を欠片も気に止めず、力強く走り続けるラブリイをもう一度見る。具体的になんと言っているのかはサッパリ分からないが、多分気合が入るような事でも叫んでいるのだろう。コーナーを曲がりきり、直線コースに入ったタイミングでその走りにより一層‘キレ,が増し──
「──ッ!?」
「へ?」
そこで何を目撃したのか、ラブリイは急ブレーキをかけて方向を変える。というか、コースを仕切っている柵を楽々跳び越えて全速力で自分の方へ走ってくるではないか。
「え、え、ちょっ!?」
鬼気迫るようなラブリイの表情に、思わず身体がビクリと震える。なんだ? もしかして知らないうちに彼女の逆鱗に触れるような行いをしてしまっていたのか? まさかここ数日のあいだトレーニング時間が丁度重なっていたのを良いことにジロジロと見続けていたのが勘に障っていたりしたのか?
「わ、わわわっ! なんだかよく分からないけどごめ──「
瞬く間に距離を詰められ、訳が分からないまま取りあえず反射的に謝罪の姿勢を取ろうとしたそのウマ娘のすぐ横を、ラブリイは瞬時に通り過ぎていく。一体なにごとかと行き先を目で追ってみれば、そこにはダートコースの上で這い蹲っている栗鹿毛のウマ娘がいた。……典型的なスタミナ切れだろうか。息も絶え絶えといった様子で砂の上に両手両脚をつき、浅い呼吸を何度も繰り返している。
「はぁ……はぁ……」
(あの人って確か、一昨日休養寮から転入してきたっていう……)
そう、確か名前は‘ヤマニンゼファー,だった筈だ。彼女が所属している学年は高等部だが、中等部である自分達の間にもその噂は流れていた。なんでも「体質異常のせいで今まで碌なトレーニングを積めていなかったウマ娘が転入初日にデビュー戦に挑み、かなり強い勝ち方をした」という話しだ。
他にも「初めての併走で‘マイルの皇帝,に追いすがった」だの「レース前はウイニングライブ用のダンストレーニングしかしていないらしい」だの「実は希代の詐欺師で、休養寮所属という経歴は造られた物」だの眉唾物の噂を、一部の物好きな娘達がお昼休みに話していたのを思い出す。「ラブリイの計らいで彼女と同室になった」とも言われていたが、この様子だとどうやらそれだけは事実らしい。
「はぁ……はぁ……」
「Breathe go mall──落ち着いテ、草や木の様ニ、ゆっくり息をしロ」
駆け寄ってきたラブリイにゆっくりと背中を摩られ続けること約一分。ようやく呼吸が落ち着いたのか、ゼファーはよろよろとした覚束ない足取りで立ち上がった。ラブリイの先導でコース際の柵を乗り越えると、そのまま芝の上へドサリと座りこむ。
「……あ、ありがとうございますラブリイさん。すみません、もう昨日から何度もこうして助けて頂いて……」
「気にするナ。寮長だけではなク、陛下やトレーナーからモ、お前の体質が完治するまでは気に掛けるよう命を受けていル。──そんなことよりモ」
「……ええ、もう大丈夫です。暫く休んだら再開しますね」
そう答えながらも、ゼファーは疲れが溜まった自分の脚と腕を入念にマッサージしていく。まだまだダートコースを利用したスタミナトレーニングをする気満々のようだ。傍から見ると本当に大丈夫なのかと心配になる具合だが、ゼファーにとって‘スタミナ切れでぶっ倒れる,なんていうのは既に日常茶飯事だったし、ラブリイもそれを窘めるどころか「良い根性だ」と褒める始末である。
「だが気ハ抜くナ。己の限界を超えた先にこそ勝利はあるガ、その前に倒れては元も子もないゾ」
「たはは……。はい、気をつけます」
ゼファーに大事が無いことを確認し終えたラブリイは「アア」と頷くと、そそくさと芝のコースへ戻っていってしまう。「え、それだけ? もっとこう、せめて傍にいてあげるとかしなくて良いの?」という思いの籠った視線がラブリイに集中するが、まるで気にしていない。──しかし、ゼファーは違った。
「みなさんもすみませーん!
「少し休めば回復しますから!」とゼファーは周囲のウマ娘に呼びかけるよう叫ぶ。自分は兎も角、ラブリイが周りから「冷たい人だなぁ」という印象を持たれるのは嫌だし困る。倒れ方こそ派手だったが実際はいつものスタミナ切れであり、大してスピードも出していなかったから特にこれといった怪我も無かった。
ゼファーの訴えを聞いて心配そうに様子を伺っていた何人かのウマ娘達も「まぁ大丈夫そうか」と各々行なっていたトレーニングを再開し始める。それを見て「ふう」と息を吐いた。朝・昼・夕方・夜と自主トレーニングを行なっている時間帯はウマ娘によって様々だが、なるべく早く、そして多くのウマ娘とトレーナーに早く自分の体質を知って貰わねばならない。そうでなければ本当に危なくなった時に助けて貰えないからだ。意外に映るかもしれないが、ゼファーは他人の手を借りたり誰かに助けて貰う事を躊躇しないウマ娘である。
(『じゃないと誰も助けられないし、頼ってくれない』。……だよね、お母さん)
幼き頃に母から教えられた‘信念を上手に貫く為の方法,。ゼファーが
──そして、ゼファーが小休憩を入れてから大凡十分後。
「──よぉし!」
パン! と両手で頬を叩いて気合を入れ直す。どんなトレーニングをするにも、まずはそれをこなすだけのスタミナが無ければ話にならない。休養寮にいた頃と同じように、しかし前より一層気合を入れて、ゼファーはマラソンをする為にダートコースへと戻ってゆく。
「いやぁ……キラキラしてますなぁ」
ラブリイのトレーニングを見学兼偵察していた例のウマ娘は、ゼファーとラブリイ両名のさり気ない気遣いを見てほっこりと微笑んだ。我ながら何とも婆臭い心持ちをしているとは思うが、そう感じてしまったのだから仕方がない。
ラブリイが早々とその場から立ち去ったのはゼファーに
ゼファーが大声で周囲に呼びかけたのは誤解を解くため。──頼もしい相方であり、チームメイトであるラブリイの印象を悪くさせないため。
両方ともやってることはさり気ないのに、どちらも相手の事を慮っての行動だと分かるのが何とも微笑ましいではないか。──彼女は気付いていない。今この場でラブリイとゼファーの考えと気遣いを看破出来ているウマ娘は、自分一人だけだということに。
(やっぱりあれかなぁ? 心?? 精神??? そういう所から来るのかなぁ、ああいうキラキラって)
ラブリイの古代の戦士を思わせる誇りと執念、ゼファーのただ只管に夢へ向かって努力し続ける信念。
‘自分を奮い立たせる強き心,──それがあるから、主役たり得るウマ娘達はああも眩しく輝くことが出来るのだろうか。……だとしたら、確かに今の自分では無理かもしれない。
(……私には無いもん、そういうの)
‘必ず日本一のウマ娘になってみせる,‘相手の尻尾に噛み付いてでも勝つ,‘誰だろうが喰らい尽くす,‘どれだけ挫折しようが決して屈せず、自分を曲げず、夢を諦めない,‘バクシンバクシンバクシン,──(何か最後に変なのが混じった気がする)他にも色々あると思うが、主役級のウマ娘達が必ず持っているであろうそういった激しい慟哭、狂おしいまでの想念が無い。自分の心にあるのは‘何が何でも一着になりたい,‘GⅠで勝ちたい,といった執着ではなく‘いい加減一着取りたいなぁ……,という淡い願望のようなそれだ。主役級のウマ娘達が抱くそれらとは比べものにすらならない、同列にする事すらおこがましいと自分でも思う物。
──前記の通り「なんとかしたい」と思ってはいるのだが、‘何が何でも勝ちたい,と思えるような状況や衝動などいきなり沸いてくるはずも無い。
「……さて、私もそろそろ始めますか」
彼女はトレセン学園指定のジャージの上に来ていたジャケットを脱いでスポーツバッグの中にしまうと、その場で準備体操を始める。
──だから、せめて自分に出来る努力だけは毎日し続ける。「こんなに頑張ったんだから絶対勝てるし勝ちたい」という思いだけでも心に抱く為に。
「ん、ん……よし! じゃあまずは「すみません」──はい?」
準備体操を一通り終えた彼女に、後方から声が掛かった。まだ年若い青年男性だ。中央のトレーナーバッジを胸に付けている事から、ウマ娘トレーナーだということだけは分かった。
「ナイスネイチャさんですよね? 僕はこの中央トレセン学園でトレーナーをしている南坂と言います」
「は、はぁ……」
一体なんの用か怪訝な顔になった彼女に、細目の優男はニッコリと笑って話しかける。
「スカウトですよ。私のチーム‘カノープス,の主戦力として、あなたをスカウトさせていただきたいんです」
「────え?」