「それで──はい、そうなんです。ですからみなさんもそこまでお気になさらないで大丈夫ですので……ありがとうございます。そうですね……もし本当に危ない時は──」
一時限目が終了して最初の休み時間。転入生ないし転校生という物の宿命か、自分の席周辺へ一斉に集まってきたウマ娘達から寄せられた数々の質問に、ゼファーは一つ一つ丁寧に返答していく。……これだけだと極普通の光景に感じるかもしれないが、細部が大きく違った。殆どのウマ娘が似たような質問しかしてこないのである。
『マジで休養寮にいたの?』『ぶっちゃけどんな病気?』『何か気をつけて欲しい事とかある?』『本当にこっちに来て大丈夫なの?』
質問の内容は大体こんな感じだが、‘ゼファーというウマ娘をよく知るため,‘仲良くなるため,にするそれというよりは、警戒──例えるならば、突如として自分達の縄張りに紛れ込んで来た迷い猫を牽制する猫達の様に見えた。
‘知りたい,ではなく、‘情報を得たい,と言えば分かりやすいだろうか。質問内容にゼファーの趣味嗜好に関するそれが一切入っていないのがその証拠である。‘いざという時の対応,を聞き出しているからには非常時に傍にいればそりゃあ助けてくれるのだろうが、逆に言えばそれ以外──平時に置いては「あんまり関わりたくない」という内心が透けて見えている。
(うーん……)
仕方の無い事だとは思いつつも、学園に蔓延る休養寮への風潮をなんとか出来ないかと思案するゼファー。具体的にどういう事をすれば良いかは分かっているのだが、現状とっっかりが掴めない。(まずはこの空気をなんとかしないと……やっぱりあの話題しかないかな?)そう思った時だった。
──むにゅん♪
「──へ?」
という何か柔らかくて感触の良い物が後頭部へと押しつけられる。席に座っている自分に後ろから誰かが抱きついてきたのだという事はすぐに分かったが、並大抵の女性では到底持ち得ないであろう圧倒的な質量と柔らかさを持つそれに、ゼファーは一瞬だけ思考が停止してしまった。
「はーい♪ じゃあ次は私から質問するけど良いかしら~?」
にゅっっと覗き込むように後ろから顔を覗かせたのは、とても綺麗な栃栗毛の髪を持つウマ娘だ。髪の丁度ド真ん中にスッ──と縦に入った一本線の白髪も十分特徴的だが、それ以上に目を引くのはやはりその身体だろう。
スラッとした長くて丈夫そうな脚に、クラスでも1.2を争うほどの高身長。絶妙な細さのウエスト、素晴らしく豊満な胸、抱きつかれているゼファーが少しばかり力を入れた程度ではとても振りほどけそうに無いぐらいの力がある腕。同性であるゼファーですら、思わず見とれてしまうような抜群のスタイル。
「‘ダイナマイトダディ,よ。これからよろしくね、そよ風ちゃん♪」
ぎゅーっ! と苦しくない程度に更に力を入れられて抱きしめられる。勘の良いゼファーはこれが彼女なりの気遣いだとすぐに分かったし、例え気付かずとも特段振りほどく気は無かった。周囲の視線と態度を見れば一目瞭然である。
凡そ半数が「相変わらずだなぁ」とか「早速やってるよ」という微笑ましくも呆れたような視線をダディに向け、残りの半数はなんだか羨ましそうな目でゼファーの事を見ていた。彼女が会話に加わってから空気の流れが変わった事を鑑みても、彼女がこのクラスの中心人物の一人であろう事は容易に察せられる。
「はい、よろしくお願いします。……それで、ご質問というのは?」
「そうそう! みんなが凄く大事な質問をしてくれてるから、私はゼファーちゃん本人の事を聞こうかなってね。趣味とか得意な事とか……それと、好きなことと嫌いな物を教えて欲しいわ」
「ね、みんなも気になるでしょう?」とダディが微笑みながら周りのウマ娘に言うと「まぁまぁ」だとか「うんうん」という曖昧なれど肯定的な返事と態度が帰ってくる。周囲の雰囲気や警戒度合いも、いつの間にやら「中」から「低」ぐらいになっていた。(……ありがとうございます)と、心の中でダディに感謝を告げる。如何にゼファーが空気やその流れに敏感とはいえ、転校初日にそれを良き方向へと持って行くのは少し難しい。クラスメイト達の気質やこのクラス独自の法則を掴めていないし、掴んだところで慣れるには時間が掛かる。
こういう強引な換気は休養寮だと大先輩ぐらいしかしなかったし、ゼファーでは現状における「最適解」だと理解していても出来なかったから本当に助かった。
「好きなことは草原を走る事で、嫌いな物は籠って淀んだ空気ですね。実家では部屋の換気を毎日必ずやってました。得意な事はやっぱり一番最初にご挨拶させていただいた通り‘一生懸命頑張ること,だと自分では思ってます。これでも姉達からは『お前には誰にも負けねぇ強い魂と凄ぇ根性がある』ってよく言われましたから」
「あら、お姉さんがいるの?」
「ええ、二人。どちらも破天荒な性格で、地元じゃ大問題児扱いされてましたけど……。とても強くて、いざという時はすっごく頼りになる姉達なんですよ」
「そう……。良い家族を持てて幸せね!」
「──! はい! 私の数少ない自慢なんです!」
姉達の事を褒められたように感じて、自然と笑みがこぼれる。喧噪だとか抗争だとか割とシャレにならない問題に巻き込まれるような事も結構あったが、ゼファーにとって姉達の
……さて、では空気も和らいだところでそろそろ鬼札を一つ切るとしようか。
「あとは母が化粧品会社に勤めていた美容研究家だったので、お化粧や美容に関する知識については少しだけ自信があります」
──ピクッ
現在進行形でゼファーに抱きついているダディを筆頭に、何人かのウマ娘の耳と表情がピクリと動いた。予想通りの反応をするクラスメイト達を見て、心の中で(──よし)とガッツポーズを取る。
「へぇ……。ちなみになんだけど、どんな事を知ってるの?」
ユラリ──と、全く動いていないはずのダディの影が大きく動いたようにゼファーは見えた。ダディ及びその他クラスメイト達のなんとも言葉にしがたいある種の気迫に少しも怖じること無く、ゼファーは話を続ける。
「んーと、スキンケアのコツとか化粧品の上手な使い方だとか色々ありますけど……。一番得意、もとい母が専攻してたのが生活習慣に関する美容知識ですね。「こういう事に気をつけて生活すると良いよ」っていうアドバイス的なやつを幾つか」
「ふぅん……」
「どちらかと言えば美容と言うよりは健康的な面が強いでしょうか──」とゼファーは続ける。話しを聞いているのかいないのか、クラスメイト達は先ほどよりも明らかに距離を詰めてきていた。
それをシッカリと把握すると、ゼファーは鞄から何やら一枚の紙をスクラップにした物を取り出して、その場にいる全員に見えるよう机の上に置く。本屋などでよく見かける、ティーンズ向けの雑誌の表紙だ。丸机に座った綺麗な人間の女性モデルが頬杖をついてスマホを下向きに眺めつつ、対面に座っているという想定であろうこちら(カメラ)をチラリと見るというこれまたよく見かける構図になっている。
「突然ですが問題です! この写真の女性は‘綺麗になるための仕草,におけるNG行動を三つもしてしまっています。一体それはなんでしょうか」
「……?」と不意を突かれて一瞬周囲が固まる中、ゼファーは声のテンションを一段階高くして宣言した。唐突ではあったもののやはり興味を引かれたのか、その表紙がより見やすい位置に何名かのウマ娘が移動してくる。
「そうねぇ、綺麗な人だし、一見してなにかシテはいけない行動をしているようには見えないけど……。強いて言うなら、スマホを眺めるときに猫背になっちゃってる事かしら?」
「正解です! 三つのうち二つが大体同じ事なので纏めて言ってしまいますが『猫背』の維持は美的にも健康的にもNGでして。猫背になって骨盤が後傾すると首、背骨、骨盤がゆがんでしまって肩こりや腰痛などの引き金になりますし、ぽっこりしたおなかにもなりやすくなってしまいます。なので背筋は日頃からピン! と伸ばすことを心がけましょう。具体的に言うと「背もたれ」を使わないで椅子やソファーに座ったり、スマホやパソコンを見る時は「目線と同じ高さ」を心がけると良いですよ」
「へぇー……。『「猫背」は良くない』ってテレビや雑誌でもよく言われてるイメージがあるけど、やっぱりそうなのねぇ」
「ええ。まぁでも常に気を張っているのもそれはそれで良くないので、あくまで「心がけ」と言うことで──あと一つ、なんだと思いますか?」
「んー……」
ダディが口を閉じて考え込み、他のウマ娘達も見当が付かないのか首を捻ったり周りと友達と相談したりしている。(ちょっと難しかったかなぁ?)と思ったゼファーが正解を口にしようとした時だった。
「……もしかして「頬杖」ですか?」
「その通りです! よく分かりましたね」
斜め後ろから聞こえてきたその声に反応して、ゼファーは椅子に座ったまま振り向く。そこに立っていたのは透き通るようなサラサラの髪をした鹿毛のウマ娘だ。パッと見ただけでは特徴的な部分は無いものの、見る人が見れば髪や肌の手入れを毎日丁寧にやっていると分かるだろう。具体的に言うと、毎日厳しいトレーニングをしているレース科のウマ娘にも関わらず、各処における‘ダメージ,が極端に少ないのである。雑にオールインワンの化粧水を使っているだけだとまずこうはならない。
──率直に言って、とても綺麗なウマ娘だった。ドレスか何かで着飾れば……否、そんなことをせずとも、どこかの国のお姫様に見えそうなぐらいだ。
「え? 頬杖ってダメなの? モデルさんとか役者さんとか、綺麗な人がよくやってるポーズの印象があるけど……」
今一ピンと来ないのか、クラスメイト達が疑問を口にしてゼファーに尋ねてくる。
「はい。仰るとおりモデルさんや役者さんがよくされているポーズなんですが、実は‘日常的に行なう仕草としてはNG,なんです。頬杖ってこう──片方の腕の肘を机に置いて、手の平で顔の顎から頬にかけての部分を支えるように持ちますよね? これを日常的に行なっていると‘顔全体がダレてきてしまう,んですよ。手と頭で頬の筋肉に圧力を掛けている状態なので、当然と言えば当然なんですけどね」
「あ……確かに……」
「言われてみれば、そうねぇ……」
「‘女性的に見える構図,な上に姿勢としても楽なのでついつい日常的にやってしまいがちなんですが、そもそも顔って洗顔やメイク、あとはマッサージとかをする時以外は基本的に触らない方が良いんです。これは顔に限った話しではなくて、肌自体が‘過剰な摩擦や圧力は厳禁,ですから。なので、お風呂で顔や身体を洗う時もあまりゴシゴシ擦りすぎないように気をつけています」
『へぇー……』という感心したような声が、集まったウマ娘達から自然と漏れる。彼女達のような常日頃から激しいトレーニングを行なうウマ娘レース出走者だとどうしても身体を痛めつけてしまいがちで、健康は兎も角美容なんて二の次という姿勢のウマ娘も少なくないが、やはり内心ではこういった事に惹かれたり興味がある娘が多いようだった。
「凄いわ、本当に詳しいのねそよ風ちゃん! それとルーブルちゃんも! 流石はこのクラスのプリンセスね!!」
「いえいえ。少しばかり心得があるっていうだけで、私なんて本職の人のそれと比べれば素人知識もいいとこです。母から教えられたことでも、ちゃんと実践出来ている物はかなり少ないですしね。うっかり忘れていたり、覚えていても出来なかったり、NGだと分かっていてもついついしちゃう物とかもありますし」
「わ、私は写真の人がそれ以外になにかしている様に見えなかったってだけですよ。美容とか健康とか、そういうのあまり詳しくも無いですし……たまたまです、たまたま!」
ゼファーはあまり過大な評価を頂かないようにやんわりと言葉のクッションを挟み、ダディからプリンセスと呼ばれたウマ娘──‘イソノルーブル,は頬を若干赤らめながらぶんぶんと首を横に振った。
「そうなんですか? 失礼ですが髪も肌も凄く綺麗なので、てっきりそういう方面にも詳しい方だとばかり思っていました」
「い、いやいやいや! 私みたいな田舎の庶民が綺麗だなんてそんな──」
半ば口説いてるように受け取れなくもないゼファーの発言にルーブルはさらに強く首を振り、ダディは「うんうん」と二回ほど頷く。
「分かるわぁ。ルーブルちゃんってとっても綺麗ですものねぇ……。でも‘詳しくない,っていうのは多分本当よ。これで化粧品の類いは一切使ってないって言うんだからホント羨ましいわぁ……」
ダディとクラスメイト一同から女性としての羨望の視線を向けられて気まずそうに目を逸らすルーブル。一方のゼファーはゼファーで(自覚があるか無いかは兎も角、恐らく‘化粧品,を使っていない、詳しくもない、ってだけでしょうね)と当たりを付ける。ウマ娘レースと同様、美と健康は決して一日そこらで成る物なんかじゃない。特定健康食品だとか特定美容品だとか、栄養素だけが詰め込まれたようなサプリメントを何も考えずただ単に使っただけでは何の効果も望めない。最低でも一ヶ月以上、肉体改造と呼ぶに近い物ならば、それこそ年単位の時間と努力が必要になる。
「そうですか──なら、もっと凄いですよ」
心の底からそう思うと、ゼファーは言った。彼女には分かる。ルーブルの美しさは‘楽して綺麗になりたい,という怠惰な願望から来る表面だけを整えるような上っ面のメイクや、薬品の過剰摂取、無理のある整形手術なんかでは決して再現する事の出来ない物だ。ウマ娘レース出走者として行わなければならない厳しいトレーニングによる髪や肌へのダメージを毎日毎日丁寧にケアし続け、地道な努力を積み重ねる事でしか形作られない……職人の手によって磨き上げられた、一粒の真珠の様な美しさ。
その
「お、大袈裟ですって! 私なんてその……えっと……。わ、私! ちょっと走ってきます!!」
「ちょ、ちょっとルーブルちゃん!? 二時限目まであと五分も──」
顔を赤らめてその場から走り去ろうとするルーブルにダディは大声で呼びかけるが、時既に遅し。パニック状態で警告が耳に入っていないのか、ルーブルは教室のドアを開けて廊下に飛び出そうとして──
「それでね──うわぷっ!?」
「あわわっ! だ、大丈夫ヌエボちゃん!?」
「……なにをしているんですか、シスタールーブル」
丁度ドアを開けて教室に入ろうとしていた‘ヌエボトウショウ,に思いっきりぶつかった。ルーブルの胸の真ん中にヌエボの顔が「ぽふん」と埋め込まれるような形だ。彼女と一緒に教室へ戻って来た‘シスタートウショウ,がそれを見て呆れたような声を出す。
「ご、ごめんねヌエボちゃん! あとシスターさんも……」
「んーん、私は大丈夫だよ! ダディちゃんほどじゃないけど、ルーブルちゃんもおっぱい大きいし!!」
「ぬ、ヌエボちゃん!」
「もうすぐ二時限目の開始時刻です。余程の急用でもなければ、着席して授業を受ける為の準備をする事をオススメします──みなさんもです。
「はーい♪ じゃあとりあえず解散しましょっか。今度はお昼休みにって事でどう? そよ風ちゃんもそれで良いかしら」
シスターの忠告を受けて授業開始まで数分も無い事に今更気づいたのか、ゼファーの周辺に集まっていたウマ娘達はダディの提案に手早く頷くと、慌てて自分の席へと戻っていく。
「はい、構いません。でも放課後は外せない用事があるので、それまではお付き合い出来ないと思います」
「外せない用事?」
「ええ────
────‘歓迎会,を開いて頂けるらしいんです。チーム‘ステラ,のみなさんで」