『──さぁ、今年も桜の季節がやって参りました京都レース場。淀に咲き誇る桜達に見守られながら、女王の栄光を手にするのは誰になるのか!!』
京都レース場──文字通り、京都府京都市伏見区にあるウマ娘レース場だ。最寄りである京都本線の淀駅から
『本日のメイン。クラシックレース、ティアラ路線が一冠目‘桜花賞,いよいよ開幕です!!』
『『『ワァアアアアアアアアアアアアアアッッ──!!』』』
今日はGⅠレースの開催日。それも、一生に一度しか出走する事の出来ないクラシック級レースの一つ──‘桜花賞,の開催日なのだから。
「‘クラシックレース,と一口に言っても、その形や路線は様々だ。‘クラシック競争,なら、皐月賞、日本ダービー、菊花賞の『クラシック三冠』と、桜花賞、オークス、エリザベス女王杯*1の『ティアラ三冠』レースの事で間違いないんだが、ジャパンダートダービー*2を筆頭とした『ダート三冠』や、新生マイル王決定戦のNHKマイルカップ。他にもクラシッククラスじゃないと出走できないレースはゴロゴロある」
「どうした急に」
どうもこいつは気が高まると考えている事が口に出る癖があるな、と内心思いながら、青年は自分の隣に座っている友人にいつものようにツッコミを入れる。「いや別に?」と、逆になんでそう聞かれたのか分からないといった顔で言われてしまったが、それ以上ツッコむ気も無かった青年は「そっか」とそれで一旦話しを区切った。
『『『ワァアアアアアアアアアアアアアアッッ──!!』』』
「……俺らが言える事じゃないけど、盛り上がってるなぁ」
「そりゃそうだろう。強いって言われてるウマ娘が沢山いる今年の桜花賞はな」
一人、また一人とパドックへと入場してきたウマ娘達を見て更に声援を強める周囲の観客に、少し気圧されつつも深く共感するような表情で頷く。今はまだ冷静でいられているが、いざレースが始まったら自分達も夢中でレースに魅入ってしまうこと間違いなしだ。
7戦3勝、内重賞2勝で、GⅠレースの阪神ジュベナイルフィリーズでも3着に入った‘ミルフォードスルー,
3戦3勝、重賞はこれが初挑戦だが、とんでもない末脚を持っていると評判の‘シスタートウショウ,
6戦3勝、内重賞2勝、前哨戦であるチューリップ賞こそシスタートウショウに敗れたが、それでも彼女より人気が高い‘スカーレットブーケ,
6戦4勝、内重賞2勝、ここまで入着外経験一度も無しの‘ノーザンドライバー,
全員が全員、疑いようもない実力派ウマ娘ばかりだ。『今年の桜花賞は、極めてハイレベルなレースとなるだろう』と専門家がテレビで言っていたのを見たが、そんなことちょっとばかりコアなウマ娘レースファンなら誰でも分かる。正直な話、前記したウマ娘は誰が勝ってもおかしくない。
──とはいえ、やはり一番期待をされているのは文字通り一番人気の娘な訳で──
『さぁ、今パドックに姿を現しました! ここまで無敗の5戦5勝、内重賞2勝! ファンからの通称で‘シンデレラ,と言われている彼女ですが、真にそうなることが出来るか! 本日の一番人気、イソノルーブル!!』
「おっと、ようやくか」
「イソノルーブルだな。これで‘五強,全員がパドックに揃った」
「ああ、こっからは余計な考察は無しだ。素直に楽しむとしようぜ」
これまでで一番の盛り上がりを見せる周囲の観客を余所にまるで有識者か何かのようにうんうんと頷いている二人だが、誤解する事なかれ。備わっているの知識や考察力は兎も角として、実際にはなんの変哲も無い、どこにでもいるただのウマ娘レースファンである。
「…………来ましたか」
黒を基調とした、‘教会にいる
刺繍を入れたり、もう少し遊び心がある工夫をしても良いんじゃないかと友人や教職員に言われたりもしたが
‘勝負服がそのウマ娘の夢や在り方を現す物だと言うのならば、私にはこれしかありません,
と、シスターは頑として普段使いの地味な修道服をそのままコピーする事を仕立屋に望んだ。数々の勝負服を仕立ててきた歴戦の仕立屋も、こいつにはそれが一番良いと頷いた。
清楚で清純──だけど、だからこそ、少しばかり近寄りがたい聖女のような雰囲気を醸し出しながら観客に優しく手を振っていたシスタートウショウは、イソノルーブルがパドックに姿を現してから暫く間を置いて彼女へ話し掛けに行った。シスターや他のウマ娘達同様、手を振ったり笑顔を見せたりと自分に出来うる限りファンの声援に応えていたルーブルだが、自分の傍へとやって来たシスターを見てそれを中断する。
「シスターさん……」
「ご機嫌よう、シスター・ルーブル。……三日ぶりですね」
URAが定めたグレード制度。その最高峰である‘GⅠ,レースへ出走するウマ娘は、トレセン学園によって開催日の数日前から特別休暇が与えられる。(無論、その分後から補修なり何なりはあるが)
トレーナーやチームの仲間達と共に、最後まで調整に励むも良し。最高の状態でレースへ挑むためにシッカリと休息を取るも良しだが、ほぼ全員に共通するのは、教室へ来なくなるということだ。
故に、クラスメイトでも同じレースに出走するのであれば、数日ぶりに顔を合せるという事態が起こりうる。特段、珍しくも無いことだった。
「一生に一度しか走る事の出来ない栄光あるクラシックレース、それに出走する事が許されるウマ娘は本当に極僅かです。……この桜の舞台であなたと競えることを、とても嬉しく思います」
「は、はい! あの、私もシスターさんや皆さんと走れるのを嬉しく思ってます!! ……思って、るんですけどぉ……」
「……やはり、自信がありませんか?」
観客は勿論、周囲のウマ娘達にも聞こえないような小声でシスターはルーブルに聞いた。真を突かれたのか一瞬ギョッと、その後すぐに気まずそうな表情になってルーブルは目を逸らす。
「じ、自信が無いというかその……。わ、私に
「(──なるほど、そちらですか)……今言ったばかりですよ? 栄光あるクラシックレースに出走する事が許されるウマ娘は本当に極僅かだと。今ここにこうして立っている、その事実が何よりもあなたの実力を証明しています」
専門家曰く、URAが主催するトゥインクルシリーズのウマ娘レースに出走──ようは中央トレセン学園に入学し、デビューすることが出来るのが約65%*3。そこから1勝する事が出来る確率が全体の約35%。条件戦を勝ち上がり、0P戦まで昇格出来るのが全体の約3%。……たった3%だ。日本全国から猛者が集う中央トレセン学園のウマ娘の中でも、上澄みの上澄みの上澄みしか出走する事が出来ないのが‘重賞,という舞台なのである。
つまり、今ここにいるのは並み居る強豪をねじ伏せてその席を勝ち取った、これから先のウマ娘レース界を牽引する事を期待されている猛者の中の猛者。しかも近年稀に見るハイレベルなレースになると予想されている今年のティアラ路線で、イソノルーブルはその最有力候補と見なされている。
「そのあなたがあまりオドオドしていてはレース全体に影響が出かねません。‘もっと胸を張れ,だとか‘堂々としていろ,とは言いませんが、せめて「自分には不相応だ」と思うのは止めなさい。あなたが倒してきた方々に対して失礼ですし、なにより
ルーブルが着ているその勝負服を称えるように、シスターは言葉を締めた。
薄い蒼色を基調としたその
『──シ、シンデレラになりたい、です』
今でもハッキリと思い出せる。クラスメイト全員が初めて顔を合せたあの日。自己紹介をかねて担任の先生に自分の夢を語るよう言われた時。……クラスの殆どの方がお茶を濁す中、当時まだ知名度も実績も無い‘田舎の灰被り,だったルーブルは、言葉に詰まりながらもシッカリとそう宣誓した。嘲笑にも近いクスクス笑いが聞こえてきたりもしたが、ダイナマイトダディやヌエボトウショウを筆頭とした一部のウマ娘がそれを大いに称賛し、共感し、応援の意を示した事で。そしてなにより、彼女自身が模擬レースやトレーニングなどで圧倒的なポテンシャルを見せつけ、実績を積み重ねていったことで。‘田舎の灰被り,だったルーブルは今ではクラスメイトは勿論、学園の誰もが認める
「あ、あれはその……! いや決してその場の勢いでとかそういうのじゃないんですけれど……!!」
「その栄誉と称号を手に入れるだけの
「…………シスターさん」
シスターが言葉と紡ぐ度に、あまり元気がなかったルーブルの心と体に力が戻っていく。相手の信条を慮り、言葉で心を解きほぐし、身体に活力を取り戻させる。……この程度、幾人もの苦悩や懺悔を聞いてきたシスタートウショウにとっては造作も無いことだ。
「──だから、その衣装に相応しい走りをしなさい。あなたがシンデレラになるのではありません。あなたこそがシンデレラなのだと、ファンの方々に思って貰えるように」
「……はい!…………はい!!」
感極まってしまったのか、目尻に涙さえ浮かべながらルーブルは頷く。──これなら大丈夫だろう。安心したシスターはホッと胸をなで下ろし、今度は自分の言いたいことを言う事にした。
「最も、申し訳ありませんがこの舞台であなたに夢を叶えさせる気は微塵もありません。──勝つのは私です」
ルーブルは勿論、他のウマ娘達にも負ける気は無い。きっと、他の誰もが同じ気持ちだろう。──GⅠレース。それも、二度とは出られないクラシックの舞台だ。──それでも、負けるわけにはいかない。
「私は今日、このレースに勝ってこの場を神聖なる布教の場としてみせます。……怠惰と不純極まる娼館を、ものの数分で神聖なる布教の場としてみせたかの聖女の
少しでも多くの人々に、清く正しい神の教えを。罪への許しを。悩める子羊に救済を。……その為に、自分はトレセン学園に入ったのだから。
「大丈夫です! シスターさんならきっと……!!」
「……取りあえず、涙を拭いて下さい。どんな結末になるにせよ、泣くのはレースが終わってからにするべきです」
万が一にも勝負服で涙を拭わないよう、服の内に忍ばせていたハンカチを差し出す。ルーブルはそれをありがたく受け取って、目尻に溜った涙を拭き取った。
パキッ
「……? シスター・ルーブル。あなた今なにか仰いましたか?」
「へ? いえ、別に何も……」
「……そうですか」
どこからか微かに聞こえてきた、この何かがヒビ割れるような音に不穏な物を感じながら、シスターは再び観客の声援に応えるべく観客席の方を向く。