「……あのな、フラワー」
「はい?」と、一体なにがおかしいのか分からないといった風な表情で、ニシノフラワーは柴中に返す。桜花賞の会場、京都競馬場の関係者席だ。桜花賞を含め、今日のレースにステラからの出走者は誰もいないが、基本的に中央トレセン学園所属のウマ娘並びにそのトレーナーは、各会場へ事前に電話などで予約をすれば専用の席を都合して貰える仕組みになっている。
「確かに来年の桜花賞には十中八九お前が出てるし(というか出させるし)、そのままティアラ路線に舵を取るなら今年の桜花賞だけは間近で見た方が良いってお前を連れ出したのは俺だし、その礼としてお前が弁当を作って来るってのはまぁ分かる理屈なんだけどさ」
「はい! 色々とお忙しいのに、トレーナーさんがわざわざ京都まで連れて来て下さって本当に嬉しいです!!」
ニコニコと、純粋無垢で天真爛漫な子供の、それでいてどこか大人びた笑顔と態度と雰囲気でフラワーは柴中に頭を下げる。「ああうん、どういたしまして」と柴中はここまででもう何度も言われたお礼を軽く流しながら──
「けどさ────ちょっと、気合入りすぎだったんじゃないか?」
若干戸惑ったような声色でそう聞く。つい先ほど飲食可能な場所で食べ終わった、彼女から手渡されたお弁当の中身の事だ。柴中は人間であるからして、ウマ娘のそれと違って量はそこまで多くなかったが、内容が
一体どこから調達したのか、木製で直径約30×20の弁当箱──高い駅弁とかそういうのに使われる仕切り付きの高級感溢れるそれに、ご飯として海老、穴子、さやえんどう、錦糸卵が乗った、春らしさ溢れるちらし寿司。おかずには豚の味噌焼き、天ぷら(キス、筍、アスパラガス)、さつま揚げ、玉子焼き、サワラの西京漬け、筑前煮、菜の花の和え物。
……これはいったい何処の料亭で出してる期間限定(春)の高級弁当なんだ。と最初は思ったが、フラワーが「拙い自作」と言っている以上彼女の手作りで間違いないだろうし、何度も彼女達の料理を口にしてきた柴中には分かる。フラワーが本気を出せばこの位はやってのける、と。
「えっと……。確かにいつもよりも大変でしたけど、そこまでじゃありませんよ? 味噌焼きと西京漬けは焼き加減にさえ注意すれば基本下処理をして漬けておくだけですし、筑前煮と玉子焼きは作り慣れた物ですから。天ぷらは後片付けが少し大変ですけど、慣れれば平気です。むしろ個人的には時間が無くてさつま揚げが市販品になってしまった事に悔いが……」
「あっ、うん。凄く美味かったよ、ありがとうな」
何でも無いように語り、あまつさえ悔いが残る結果とさえ言いやがるこの小学生に、柴中はそれ以上言及するのを止めた。最悪、トレーニングやレースにさえ響かなければどの趣味をどんなレベルでやっていようが構いやしない。常日頃から図書室に籠ろうが、定期的に無人島に行こうが、ゲーセンに通い詰めようが、担当トレーナーに怪しげな薬を飲ませまくってネオン色に発光させようが、担当トレーナーとでちゅね遊び(?)をしていようが──倫理的に問題がある物が何個か混じった気もするが、それがそのウマ娘が望む行為であるのならば、なるたけ叶えさせてやろうとするのがウマ娘トレーナーという
「……でもですね」
「ん?」
顔を少しばかり俯かせて、ポツポツと。彼女にしては珍しく小さくか細い、途切れ途切れの声色で告げた。
「その……。と、トレーナーさんとこうして……ふ、二人っきりで……お出かけするのって久しぶりでしたから、少しだけ気合が入ってたのは事実かもしれません……」
「…………なるほど」
それでようやく、柴中は察した。途中よく聞こえない部分はあったが、大体そういう事だろう。
「……俺さ、京都の町並みや風景って結構好きなんだよ」
「……? はい」
柴中が何が言いたいのか分からず、フラワーは小首を傾げる。
「ここだけの特別な和の雰囲気っていうか、そういうのがさ。盆地も盆地だから夏はクッソ暑いし、冬はクッソ寒いから住むのはごめんなんだけどな。……だからさ」
「──レースの見学が終わったら、少しだけ散策に付き合ってくれないか? お代は、俺のお気に入りの店の宇治金時……でどうだ?」
「……!! はい! あの、ありがとうございます!!」
パァアアアッ! と、まるでその名の通り花が咲いたような笑顔でフラワーは言った。……何の事はない。ようは彼女は自分のトレーナーに構って欲しかったんだろう。あまりにもシッカリしている態度と雰囲気についつい忘れがちだが、フラワーは本来ならばまだトレセン学園に入学することが出来るような年齢ではない。あまりにも飛び抜けた天才的な才能故に、飛び級という異例の事態でここにいる、小学生だ。
たまには遊びたい、誰かに甘えたい、構って欲しい──至極当然の願望である。フラワーの齢ならば尚更だ。自分があまりそういう質の子供ではなかったというのもあるが、どうも俺はこういうのに疎いんだよなぁ。と、柴中は彼女の内なる願望に気付かなかった自分に猛省する。……そう言えば最近は(半ば仕方が無いとは言え)朝から晩までゼファーに付き添ってばかりで、他のメンバーは各種トレーニングなんかは直々に見ても、それ以外の時間はあまり取ってあげられていなかった。
「あ、でも私にご馳走してくれるのなら、皆さんへのお土産も忘れちゃダメですからね? 特にカレンさんのは」
「分かってるって、ちゃんと可愛い京菓子を買ってくよ。前みたいにウマッターでさり気なーく呟かれて炎上一歩手前まで行くのはごめ──」
──ザワッ
(……なんだ?)
今ここにはいないカレンチャンへの軽口を叩こうとした柴中は、そこでターフの上、正確にはスタート地点のゲート前に集まったウマ娘達が少しばかりざわめいたのを肌で感じ取った。……嫌な感じのざわめき方だ。ゼファー風に言うならば、そう。
「……トレーナーさん」
「……あまり良くない風が吹いちまったかもな」
「すぅ……」
眼を閉じて深く深呼吸をし、レース前の最後の瞑想を行なう。緊張と昂揚でバクバクと際限なく高鳴る心臓の音を抑えることは出来ないが、それで幾分か気持ちは落ち着いた。……これまでに重賞は計二回出走してきたがやはりというかなんというか、
「……はぁ」
ウマ娘レースに出走する理由は各々様々で、なかには中央に合格して重賞レースにまで出られる程の成績を収めておきながら「やる気が無い」どころか「勝つ気が無い」ような娘までいるらしいが、そんな娘だってきっと自分だけの想いと願いを胸にターフの上に立っている筈だ。
そんな強い想いと願い。そして祈り。身の内から溢れんばかりのそれを抱えたウマ娘が、今このターフの上には18人も揃っている。‘ピリピリとした空気,なんてもんじゃない。レース場全体を支配してしまいそうな気さえする、なんと表現したら良いのかすら分からないウマ娘レース独自の物。
「……よし」
全身に降りかかるそれらをはね除け、自分を最後まで押し通せた物こそが、勝者の資格を得る。──分かっている。よく分かっているとも。
「次ぎ! 4枠7番のイソノルーブル選手、最終チェックを行ないますのでこちらに──」
「はい!」
そうして彼女にしてはハッキリとした返事をして、係員の元へ歩いて行くルーブルには
──バキン!
「…………?」
その骨が折れたかのような音が、嫌に遠くから聞こえてきた気がした。……痛みはない。頭の先からつま先まで痛みはどこにもないのだが、足裏に違和感がある。
「……っ! ルーブル!!」
「えっ……。……あ」
なにやら随分と慌てたような表情でシスタートウショウが駆け寄ってくる。当事者であるルーブルの方が、その瞬間はむしろ冷静だった。彼女はルーブルの足下付近でしゃがみ込むと、それを大事そうに拾い上げる。──真っ二つに割れた蹄鉄だった。誰の物かなど、言うまでもない。
『──お知らせいたします。ただ今4枠7番のイソノルーブル選手に落鉄が発生したため、最装着の時間を取らせて頂いております。レース開始までもう少々お待ち下さい』
そのアナウンスを受けてザワッ──と、にわかにレース場全体が騒がしくなった。当然、動揺や心配が主だった要因なので、良い意味などではない。
「ら、落鉄って……蹄鉄? ってやつが蹄から外れる事だよね? 大丈夫なのかな?」
「大丈夫でしょ、大したことなんてないって。むしろ始まる前で良かったじゃない、レースの最中に落鉄するよりはマシでしょ。まさか予備を用意してないなんて事も無いだろうし」
高校生らしき女性客の一人が、一緒にレースを見に来ていた友人を安心させる様に豪語する。……確かに彼女の言う通り、最悪のタイミングではなかっただろう。予備の蹄鉄も、当然用意はしてあるだろう。──だが
「……なぁ、これってさ」
「ああ……不味いかもな」
丁度彼女達の隣の席に座っていた例の
「あの、不味いってなにがですか……?」
「ちょっ──!?」
本人はそう思っていたのに、肝心の心配していた友人が躊躇いなく聞きに行ききやがった。普段からオドオドしている割に人見知りをしない性格をしている娘だなぁもう! と色んな思いを込めてキッ──! と睨み付けてやる。(なお、睨まれた本人は何故そんな視線で見られたのか分からず普段通りにオドオドしていた)
「え? ああ……。確かに落鉄──蹄鉄がシューズの蹄に当たる部分から外れてしまう事をそう呼ぶんだけど、それ自体は珍しいことじゃない。さっきその娘が言っていた通り、レースの最中にだって十分起こりうる事だ。滑り止めの役割があるとはいえ、蹄鉄の有無がウマ娘の競走能力に決定的な影響を与えるかっていうと微妙なとこだしな──ただ」
「……蹄鉄っていうのは、ウマ娘にとって‘滑り止め,以上の役割が幾つもある大切な道具なんだ。
(なんでっ……! よりにもよってこんなタイミングで……っ!!)
ガンガンという強い金属音がゲート前に響く。イソノルーブルが予備の蹄鉄を自分のシューズに打ち直している音だった。……ただし、それは明らかに‘打ち直している,と呼べるような行為ではない。
焦りからかハンマーを握る手には力が入りすぎてしまっているし、振るうタイミングとテンポも早すぎる。……まるで正しい打ち付けが出来ていない。もう何度も予備の蹄鉄をシューズに打ち込んで、その度に「今度こそ」と履いてみるのだが、何度やっても気持ちの悪い違和感しか沸いてこなかった。……これなら蹄鉄無しで走った方がまだマシだと思うぐらいに。
「──だから、それが外れたり壊れたりするとウマ娘は多少なりとも動揺する。……レースを無事に走りきる為の安全祈願。必勝祈願に厄払いみたいな‘お守り,としての役割なんかも、蹄鉄にはあるんだ」
「しかもイソノルーブルは‘精神的に脆い部分がある,ってもっぱらの噂だからな。……気が動転してなきゃ良いんだけど」
(なんでっ……! なんで……っ!!)
ガンガンという強い金属音がゲート前に響く。イソノルーブルが蹄鉄をシューズに打ち直し始めてから、既に五分以上が経過しようとしていた。……URAが定めた桜花賞のレース開始時間まで、もう残り五分も無い。既にルーブル以外のウマ娘は枠入り前の最中チェックを為済ませている。
「はぁ……。はぁ……っ」
それを自覚して更に焦る。焦れば焦るほど力が籠り、心臓は嫌な意味で高鳴って、それはいつしか彼女の体調やポテンシャルまでおも蝕み始める。……絵に描いたような悪循環だった。それを見て、このレースに出走するウマ娘の大半が悟る。──彼女は
超強力なライバルの不調に、チャンスだとほくそ笑む者。可哀想にと同情する者。これも時の運だと無関心を決め込む者。内心もその反応も様々だが
「シスター・ルーブル」
そんななか、蹄鉄を打ち続けようとするルーブルに背後から声を掛けるウマ娘がいた。──ルーブルを含め、学園のウマ娘達を「シスター・○○」と呼ぶウマ娘はたった一人しかいない。
「……シスターさん」
修道服を模した勝負服を着た、シスタートウショウその人である。何の様かと問おうとするよりも先に、彼女はある物をルーブルへと差し出した。……なんの変哲もない、どこにでもあるようなただのスマートフォンである。
「……あの、これは?」
「当然ですが、私の物ではありませんよ。ゲートスタッフの物を無理を言って拝借させていただきました。こういった電子機器類も勝負服に関連するような一部の例外などを除き、レースへの持ち込みは許されていませんから」
衝撃などで破損する可能性以外にどういう危険ないし不正の可能性があるのかは定かではないが、兎に角現在URAの定めた規定ではそうなっていた。(なお一部のウマ娘達が抗議中の模様)
「いや、それは分かりますけど……一体何の──」
「もう時間がありません、手短に話します」
今度こそ何の様かと問おうとしたルーブルに対し、これ以上余計な時間を取らせまいとシスターは再び先んじて口を開く。──レース開始まで、残り4分を切った所だ。
「──四の五の言わずに受け取りなさい。そして、とにかく話しなさい。あなたの