「……はぁ」
ウマ娘ごとに用意されたその控え室で、イソノルーブルは部屋の隅っこで脚を抱えて縮こまりながらもう何度も溜息を付いていた。
……完敗だった。勿論、蹄鉄の有無など関係な──いや、そう言い切るのはそれはそれで問題があると思うが、兎に角、自分はちゃんとレースを走りきって、ちゃんと実力で負けた。……勝負に‘もし,も‘でも,もないのはハナから分かっている。分かっていた、最初から分かっていたのだ。
「……はぁああ……」
──ただ、それはそれとして後悔はあるし、当然未練もある。夢の舞台であるGⅠレースで勝てなかったからではない。満足な走りが出来なかったからでもない。あの程度のことで調子が狂ってしまった自分の心の弱さと、そのせいで迷惑を掛けることになってしまったURA及びレース場の職員への申し訳なさが胸を支配していた。トレーナーは『気にしないで』『よく頑張ったね』と優しく言ってくれたのだが、ルーブルは彼にこそ──
「‘シンデレラ,らしくないですよ、シスター・ルーブル。落ち込むならせめて勝負服を脱いでからにしなさい、皺になります」
「!!!? し、シスターさん!?」
今ここにいる筈のないシスタートウショウの声が聞こえてきて、驚いてバッ! と顔を上げる。極当然のように、部屋の中にシスタートウショウが入ってきていた。
「え、な、なんで……!?」
「ウィナーズサークルで三女神教の布教……もとい、勝利者インタビューは先ほど終わりました。ウィニングライブまでまだ時間がありますので、一度控え室に戻ってきたんです」
「ああ、それで。…………?」
いや、それでなんで私の控え室に? という質問は出てこなかった。疑問には思っても、その元気が無かった。……会話が続かない。当然の様に気まずい空気が部屋に流れる。
「…………」
「えっと、その。お、おめでとうございます! 今日のシスターさん、本当に強くて、綺麗で、凄かったです。私なんかより、ずっと──」
──
……言葉に詰まる。そう言いたいのに、その言葉は出てこなかった。今日この場にいる他の誰よりも美しい桜の女王となった彼女には、そう称賛するのが相応しい筈なのに。
(──ああ。私、本当に嫌な娘だ)
それだけは、その言葉だけは、その夢だけは、他の誰にも譲りたくない。例えそれが同期のクラスメイトだろうが、偉大な先輩だろうが、未来のある後輩だろうが譲れない。シンデレラには、私がなりたい。……そんな浅ましい願望で、敗北者である自分が、勝者である彼女への称賛を躊躇うだなんて。
「……礼儀に作法。掟に律戒。他にも色々ありますが、それらは時代や場所、場合や人間関係によって如何様にも形を変える物です」
「……?」
「‘ゲームエンド・ノーサイド,‘勝者が敗者に話し掛けるな,言っている事は正反対ですが、どちらか一方が正しくて、どちらか一方が間違っているという訳ではないでしょう? 様々な要因で、如何様にも変化する」
シスターが何を言いたいのか分からず、ルーブルは縮こまったまま少しだけ首を傾げる。……もしや、いつもの小難しい説教かなにかだろうか。普段だったら割かし真剣に耳を傾けている方のルーブルだが、今は勘弁して欲しい。色んな意味で聞く気になれない。
「……なので、今からあなたに言う言葉が──いえ、あなたに話し掛けるということ自体が、正しい行いであるかどうか。それは天上の神のみぞ知ります」
「──!?」
シスターは縮こまるルーブルに目線を合わせるようにしゃがみ込み、彼女の頬を手で掴んでグイッ──! と無理矢理自分の方へと顔を向けさせた。驚いたルーブルが自分の目をシッカリと見ている事を確認してから、シスターは言葉を放つ。
「──あなたはシンデレラでしたよ。私は勿論、あの場にいた他の誰よりも」
「……なに、を」
シスターが何を言っているのか理解が出来ない。だって自分は負けた。ギリギリ入着こそ出来たが5着。しかも1着のシスターとは7バ身以上の差がある惨敗で、6着のウマ娘とはハナ差だ。その上、開始前の落鉄で色々な人に迷惑を掛けてしまった。シスター及びトレーナーにフォローをして貰わなければ今頃どうなっていたか見当も付かない。……そんな自分が、女の子なら誰もが一度は憧れる
「今日の勝負に負けただけです。あなたの夢はまだ終わっていません、敗れてすらいない」
「それは……。そう、ですけれど……」
素直に──とはいかなかったが、そこは肯定する。いかに自分に自信がないとはいえ、ルーブルは中央トレセン学園へ入学してから様々な猛者を薙ぎ倒してトゥインクルシリーズはGⅠの舞台まで上がってきた一流のウマ娘だ。プロのスポーツウーマンとしての心構えは、形だけとはいえ身についている。派手に転んだのなら、尚更スグに起き上がってまた走り出さなければならない。そうしなければ、そうすることが出来なければ、みるみるうちに勝利と栄光は遠のいていくのだ。
故に、ルーブルも今回の敗北と失態からなるべく早く立ち上がるつもりではあった。……実際に立ち上がれるかどうか、その上で走り出せるかどうかはまた別の話として。
「そもそもの話しになりますが、あなたが言う所の‘シンデレラ,の条件とはなんですか?」
「──え?」
「魔法使いに選ばれるような特別な存在であることですか? 綺麗なドレスとガラスの靴が似合う美しい女性であることですか? 舞踏会で王子様とダンスを踊り、紆余曲折あって最後には結ばれる。そんな幸福な終わりを迎えることですか?」
……違う、そうじゃない。そういった願望がないでもないし、ぶっちゃけ中央の男性トレーナーの中でも屈指のイケメンと評されるあの人に直接スカウトされた時は、それこそ王子様からダンスに誘われたシンデレラのような気分だったが、そういった理由で夢に向かって走り続けられるほど自分は強くないし、強くなれない。
「……思ったんです」
「……何を?」
親から買い与えられ、小さい頃に初めて読んだ絵本。その物語の主人公である一人の女性の在り方をみて、人生で初めて胸の内に沸いたその願いを思い出すように言う。
「この人に、幸せになって欲しいって。心の底から思ったんです。私も誰かにそう願って貰えるような、そんなウマ娘になりたいって、思ったんです」
意地悪な継母と義理の姉達から毎日のように虐められ虐げられ、それでもめげること無く前向きで居続けようとするその健気さを見て‘なんとかなってほしい,‘私もこう思われるようになりたい,と、子供の頃のルーブルは本当に心の底からそう思ったのだ。
「……そうですか」と、シスタートウショウは小さく頷いた後。
「ならばやはり、あなたこそがシンデレラに相応しいと私は思います」
否定などさせない、有無を言わせない、そんな力を込めてシスターは断言する。
「あなたは逃げなかった。勝負から、自分の夢から、そしてなによりも貴方に
「それは……」
──
「シスターさん……」
「……そろそろお色直しの時間ですね。ウィニングライブ用の勝負服に着替えてシスター・カサブランカならびにシスター・ドライバーとリハーサルを行なわなくては。……今回の桜花賞。大変素晴らしく、そして考え得る最高の結果が残せたレースでした。宣教活動も今までで一番上手くいった手応えがあります」
ゆっくりと立ち上がり、珍しく満足げ(かつどこか安心したよう)な表情でシスターは言う。まぁそれはそうだろう。ただ勝利しただけではなく、十年以上ものあいだ更新されるかどうか分からないような、とんでもないコースレーコードを叩き出したのだから。ルーブルは直接見ていないが、ウィナーズサークルでの勝利者インタビューがどれだけ白熱した物になったかは考えるまでもない。
「無論、これで満足などしていませんよ。次のオークスでも私が勝ちます。……あなたが願いを力にしてレースを走るシンデレラなら、私は誓いを胸にレースを走る修道者です」
教会の壇上で行なう神への宣誓のように、シスターはルーブルに宣言する。先ほどからずっと励ますような言葉を掛けておいて何だが『それはそれ、これはこれ』だ。例えどんな事情があろうが、ターフの上では自分から勝利を譲る気など毛頭ない。
「……あの、シスターさん! 今日は──!!」
「ああ、良い事だろうが悪いことだろうがあまりズルズルと引きずるのはよくありませんから、今日のことは次の勝負の時までお預けとしておきましょう。学校でもそのおつもりでどうか」
時間が押しているのは分かるけど、言いたいことが山のようにあるのにそのままスタスタと部屋を立ち去ろうとするシスターに待ってくれと声を掛けるルーブルだが、そんな台詞で遮られてしまった。
部屋を出て扉を閉める間際に、こちらを振り返ってシスターは言う。
「オークスでお待ちしています。──桜花賞を勝った今期の桜の女王として」