ソウル・オブ・ゼファー   作:部屋ノ 隅

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重賞 16/26 GⅢクリスタルカップ その3

 

 

「……んー」

 

柴中は何か考えるように唸りながら、レース場のターフの上を見やる。彼がいる場所はいつもと同じく、中央トレセン学園関係者席。パドックでのお披露目が先ほど終わり、今はレース開始の準備を担当スタッフ総出で行なっている所だ。

 

トントン──トントン──右手の人差し指で自分の頭を一定のリズムで何度も叩きながら、柴中は軽く唸る。それが彼が考え事をする時の癖であるという事を知っているステラのウマ娘が今ここにいれば何か発言を促すようなことを言ったかもしれないが、生憎と今日は彼一人である。

 

チームに新しく入ったウマ娘の、それも初の重賞挑戦だというのにトレーナー以外誰も応援に来ないという状況を軽薄と見る者もいるかもしれないが、事情があったり都合が合わなかったりすればどこのチームも大体こんな物だ。(GⅠ及びそれに匹敵するレースならば話しは別だが)寧ろ重賞は愚か、OP戦や階級戦に至るまでトレーナーを含むチームの誰か(殆ど)が必ず応援に駆けつけるスピカのようなチームの方が逆に珍しい。

 

 

「…………んー」

 

トントン──トントン──彼のその、一種の貧乏揺すりのような癖は止まらない。まるで無意識に左旋回を延々と繰返し続ける異次元の逃亡者(サイレンススズカ)のように周囲の歓声や喧噪を少しも気にせず、只管自分の頭を叩き続けている。余程真剣に考え事をしているのだろうか。だとすればレース開始が目前に迫った今、彼は何を考えているのだろうか。

 

 

「……大丈夫かなぁ、あいつ」

 

ふっ──と、唐突に頭を叩くのを止めてボソリと呟く。それだけ聞くと今回のレースに出走する彼の担当ウマ娘の事を心配しているように受け取れるし、実際にその通りなのだが、今回彼がしている‘心配,は普通のウマ娘トレーナーがするそれとは少し毛色が違っていた。

 

彼は「ウマ娘」としてのゼファーのあれこれはあまり心配していない。レースでも自分の予想通りか、それ以上の結果を出してくれると思っている。──故に、心配なのはゼファー「個人」の事だ。更に深く言うのであれば彼女が──

 

『ゼファー!』

 

スタンド席の方から聞こえてきた聞き覚えのある声に「ん?」と反応し、柴中は声のした方を見やる。見覚えのある顔のウマ娘達が、その手に小さな旗を持ってゼファーに声援を送っていた。来ている制服からしても間違いない、休養寮のウマ娘達だ。

 

『頑張れー!!』

 

自分へ向けられた声援に応えるように、ゼファーがターフの上から手を振りかえしているのが見える。その表情はいつもと変わらず和やかなれどキリッと引き締まっていて、良い具合に気合が乗っているのがよく分かった。……素晴らしい平常心だ。予想通りであれば既に‘彼女,と「衝突」しているだろうに。

 

これならばやはり‘あっち,に関しての心配もあまり必要なさそうだと、柴中はようやっと自分の頭を叩くのを止め、レースを観るのに集中することが出来るようになったのである。

 

 

 

──数日前──

 

 

 

「──ニホンピロセブンさん、ですか?」

 

「ああ、今回の一番人気……。ここまで9戦3勝の2着が3回、なおかつ一度も着外になった事が無い実力者だな」

 

ゼファーはチームステラの居城、チームハウス「キャロット城」はトレーナールームで、柴中からクリスタルカップについての具体的な作戦と注意事項を伝えられていた。決して「広い」と表現出来る部屋では無いが、それでも柴中とゼファー、そしてウイナーの三人で長時間話し合うには十分過ぎる程だ。

 

 

「……あの‘ニホンピロ,って──」

 

「──貴様の察している通り、我が親族の一人だ。遠縁だがな」

 

ウイナーは飲んでいたコーヒーをテーブルに置きつつ、サラリとそう告げる。その表情は極めて無に近く、ゼファーの観察眼を持ってしても何を考えているのか、どんな心持ちでそれを言っているのか完全には読み取れなかった。

 

──‘ニホンピロ,──

 

昔から歴史に名を刻む程のウマ娘レース出走者を輩出し続ける名家‘メジロ,や、古きよりの貴族であり、政界及びURAへの絶大な影響力を持つ‘華麗なる一族,とは違い、こちらは十数年程前から財界、政界、ウマ娘レース界といった数々の分野で一気に台頭してきた(その二つと比べて)新規精鋭の一族だ。歴史だけは前記の両者に負けず劣らずの物があったのだが、どうにも両者と比べて色々と影が薄く、肝心のチャンスでも他者にそれを自ら譲るなど目立つ所が少なく、あまり注目もされていなかった。──ウイナーという文字通りの‘勝者,。規格外のウマ娘が生まれてくるまでは。

 

 

「距離適正は……こいつの場合、トレーニングによる改造と慣れでどうとでも変化しそうでなぁ。今の所はマイル以下の距離しか走ってないが、長距離も普通にいけると思ってる。跳躍のセンスもありそうだし、障害レースにも適正があるんじゃないか? ああ、ただ作戦はハッキリしてるな、先行か差しだ。で、なんだけど──」

 

「……一つ、聞いても良いですか?」

 

手に入れた、及び自ら作成した資料をパラパラと捲りながら、柴中はセブンがどんな‘ウマ娘,なのかを説明していく。無論、それもちゃんと頭に入れてはいるのだが、ゼファーはそれ以上に知りたいことが……ウイナーに対して聞きたい事があった。「許す、言ってみろ」とアッサリ許可が取れた為、ゼファーは遠慮無くその懐に踏み込む。

 

 

「では──なんで今回の作戦会議は、セブンさんの話しから入ったんです?」

 

ピクリ──と、ホンの少しだけ。しかし確かにウイナーの眉がゼファーの言葉に反応するように動いた。柴中に至っては一瞬とはいえ、目まで見開いていた。当然、それを見て「やはり何かある」と読み取れないゼファーではない。

 

 

「…………何故とは?」

 

「重賞レースの作戦ですから、1番人気のウマ娘さんの研究及び対策を練るのは当然の事だと思います。ですが、それはいの一番に行なわなければならない事でしょうか?」

 

ゼファーは今回が重賞初挑戦。しかも格上挑戦で、そのうえ芝のターフで行なうレースはこれが初めてだ。であれば他の有力ウマ娘に対するあれこれよりもまず、重賞レースにおける注意事項やアドバイス、その他気を付けなければならない事を最初に話すのが自然な流れではないだろうか。そもそもの話しだが、トレーナーである柴中は良いとして、なんでウイナーまで作戦会議に加わっているのか。

 

ゼファーが正式なチーム入りを果たす前のトレーニングは、そのとき柴中があちこち駆け回って忙しかったから彼女が面倒を見ていたというのは納得がいくが、今回の作戦会議にまで加わっているのは少々不自然に思える。いくら重賞かつ初挑戦とはいえ、チームリーダーである彼女にそんな時間的余裕があるだろうか。そして極めつけが‘ニホンピロ,の冠をしたウマ娘だ。

 

 

「ですから、何かその方について私に教えておかなければならない様な事があるのではないのかな──と。下衆の勘ぐりでしたら申し訳ありません」

 

そう言って軽く頭を下げるも、その心持ちは変わっていない。間違い無く‘何か,があるのだ。それを聞いたウイナーは相変わらず無表情の面持ちのまま、なんでもない事の様にツラツラと喋り出す。

 

 

「──我が栄光と威光に目が眩んだ「盲信者」──それが今の奴だ」

 

その声に抑揚は無い。その目に陰りは無い。その表情に憂いはない。──しかし、どこか悲しげな‘風,が、確かにウイナーの方から漂ってきている。

 

 

「盲信者……?」

 

「ああ。我が民となった者達の中にも僅かながらいるが、奴はその筆頭だ」

 

ウイナーこそが日本のウマ娘の頂点に立つべき絶対の皇帝だと信じ、その地位に就かせる為あらゆる研鑽と手段を惜しまない。……今のところ何か大々的な行動を起こしてはいないが、それも時間の問題だろうとウイナーは言う。なにせ、彼女は生徒会長がウイナーではなくルドルフであるということすらも不満らしいのだから。

 

 

「…………」

 

「それが分かっていながら何故──と言いたげな表情だな」

 

そこでようやく、ウイナーは小さく溜息を付いた。

 

 

「既に警告はしたさ。何度も、それも色々な形でな。「私からの命だから」と取り合えず全て聞き入れはするのだが、何度命を下しても心と瞳に焼き付いた憧憬を……それが変質した‘盲信,を破壊するには至らなかった」

 

「皇帝として不甲斐ない」と、ウイナーは彼女にしては珍しく自傷気味に吐き捨てる。その様子をシッカリと記憶しながら、ゼファーは既に「これからどうすれば良いか」を頭の中で考えていた。

 

 

「そしてだ。恐らくではあるが、奴は貴様に敵意を持っている。無論、ウマ娘レース出走者としての好敵手めいたそれではなく害意──最悪の場合、殺意にすら変貌しかねん物だ」

 

ゼファーはつい最近、休養寮から本校へやって来たばかりのウマ娘だ。それが何の因果か‘マイルの皇帝,と呼ばれるウイナーに魅入られて、学園屈指の強豪チームであるチームステラの一員となった。まだ体質が完治しておらず、トレーニングを終えた後で……否、トレーニングをしている最中にもスタミナ切れで倒れ伏す事が少なくない貧弱極まりないウマ娘がだ。

 

これがもし将来を大きく期待されているウマ娘──‘天才少女,ニシノフラワーなどであれば彼女も一切の文句無くウイナーのチームに入る事に納得しただろうが、ゼファーは違う。

 

 

「……私が‘休養寮のウマ娘,だからでしょうか」

 

「強いか弱いか、私に相応しいか相応しくないかを重要視する様な奴である事は間違いないが、その辺りまで気にする奴かどうかは知らん。案外、今回のレースで貴様の実力を把握すればアッサリ引き下がるかもしれん」

 

「……なるほど」

 

ゼファーは考える。今までの情報から察するに、確かに今回のレース──重賞、GⅢクリスタルカップでゼファーが強い勝ち方をすれば、彼女はそれで納得するのかもしれない。「ウイナー至上主義」であるらしい彼女は、その側近達にもそれに相応しい強さと在り方を求めているのだ。……ならば解決方法(どうすれば良いか)は誰にでも分かる。

 

 

「何はともあれ‘勝て,……それで大凡問題は解決だ」

 

そう、レースに勝てば良い。レースに勝てば────────本当にそれで良いのだろうか。

 

 

(……ですよね。やっぱりそれだけではダメです)

 

確かに重賞レースに勝ちさえすれば彼女は引き下がるだろう。それでゼファーの事をステラに相応しいと認めるかは定かでは無いが、彼女もトゥインクルシリーズの出走者。仮にレースで敗れれば、少なくともこの件に関して何か言ってくるような事は無くなるはずだ。……逆に言えば、ただそれだけである。ただこの件について何も言わなくなるだけだ。それではウイナーの真なる願いも、セブンの秘めたる慟哭も叶えることは出来ない。この問題を解決するためにはレースでセブンと激突するだけではなく、それ以上に───

 

 

 

「──一つ、お願いしたい事があります」

 

 


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