ソウル・オブ・ゼファー   作:部屋ノ 隅

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ヤマニンゼファー 5/10

『──って事らしい』

 

「……なるほど」

 

完全に夜の帳が落ちきった後。選抜テストに使用したコースやトレーニング用具の点検をし終えたウイナーは納得したように頷いた。

 

本来はコースの点検もトレーニング用具のチェックも専門職の整備員ないし、その資格を習得したトレーナーの仕事なのだが、ウイナーと柴中はその辺りの最終チェックを必ず自分か柴中(ウイナー)にやらせるようにしている。他人の腕が信用出来ない云々の話ではなく‘自分達の事なんだから自分達で責任を持つ,と言う理屈である。

 

 

「色々と腑に落ちたぞ。‘休養寮,……それも三年選手とはな」

 

ウイナーは自分のスポーツバッグからまだ新品のタオルを取り出して頬や首元にジンワリと滴る汗をゴシゴシ拭うと、スマホ越しに聞こえてくる柴中からの一連の報告を聞いてある寮に思いを馳せる。

 

 

 

『休養寮』

 

 

 

書いて字の如く、レースの世界に疲れたウマ娘達が休養を行なうための寮────ではない(・・・・)。ここで言う所の‘休養,は、一般的なそれとは少しばかり意味が異なる。

 

──体が弱すぎてスグに体調を崩す。全速力で走ると必ず窒息しかける。なにをどう頑張ってもコーナーを曲がれない──

 

普通の怪我や故障、病気ではなく、現代の科学技術においてなお治療困難ないし原因不明とされる『体質異常』そういう物を抱えたウマ娘達が‘治療を行ないながら無理のないリハビリ(トレーニング)を積む,為の、病院の役割を兼ねた専用施設(・・・・)

 

ただし、仮にも中央トレセン学園が経営している施設だ。他の病院などとは違い、理事長ないしスカウトマン達が『体質(これ)さえなんとかなれば中央の入学試験すら突破出来る(出来た)だろう』と判断したウマ娘だけが、退院後中央へ編入する事を条件に特別待遇で入寮することを許されている。

 

それこそが休養寮。多大なるハンデを抱えて尚、夢を叶える事を諦めない者たちが己を研ぎ澄まして機を伺う修羅の国──

 

 

(──そうであれば、話は簡単だったのだがな)

 

実際問題として、休養寮を退寮してレースに勝ったウマ娘はほぼ(・・)いない。重賞ともなれば、長い歴史を持つトレセン学園でも五人もいたかどうかという所。理由は幾つかあるが、やはり一番大きい要因は、ウマ娘にとって‘一番大事な時期,──その殆どを棒に振ってしまうからだろう。

 

話しは少しズレるが、人間と同じくウマ娘にも成長期というものがある。

 

体がスクスクと強く丈夫に育ちやすく、トレーニングの成果が一番大きく出ると言われているジュニア(一年目)

肉体が完成へと近づき、レースでも一番力を出すことが出来る時期と言われているクラシック(二年目)

身体がほぼ完成しきり、トレーニングで大きな成長を促す事が出来る最後の時期と言われている三年目(シニア一年目)

 

この通称『最初の三年間』の半分以上を怪我や病気などで無碍にしてしまったウマ娘は‘勝機を逃す,と言われている。その後どれだけ必死にトレーニングをしようと、身体の方が成長をしなくなるからだ。

 

人間であれば例え成長期を過ぎても必死にトレーニングを積めばそれなりの成長が見込めるが、ウマ娘は少し違う。彼女達の肉体の成長は、ある時期を境にピタッと『止まる』のだ。衰える事はあれど、成長することがなくなる。それが起こると言われているのが、シニアで二年と半年を過ぎた辺り。そこからはもう、そこまでに鍛えた抜いた身体とレース経験、あとは戦略で勝負していくしかない。

 

 

「……一年と三ヶ月か」

 

『ああ。普通に考えて、ハンデとしちゃあちょっと大きすぎる』

 

ゼファーはジュニアクラスの二年前に当たる時期から休養寮に入ったらしく、今年は栄光あるクラシックレースに参加する事が出来るはずだった年だ。つまり、最初の三年間に当たる部分だけを数えても一年と三ヶ月。それ以前を含めると実に三年以上もの時間を棒に振ってしまっている。怪我や故障、病気なんかで‘レースに出られなかった,のとは訳が違う。体質が改善し、ある程度激しい運動が出来る様になるまで‘まともなトレーニング一つ出来なかった,のだ。

 

──元々の虚弱体質に加え、一年と三ヶ月以上の時間。

 

 

「ああ、そうだな────────それで(・・・)? 優先交渉権は獲得出来たのだろうな」

 

『そりゃ当然(・・)

 

ウマ娘レースの出走者にとってあまりにも大きなハンデがある事を理解して尚、ウイナーと柴中はゼファーをチームに入れる事を躊躇わなかった。

 

休養寮所属のウマ娘が出て来て若干懐疑的な表情になった三坂に『それでもお願いします』と頭を下げて頼み込み、色々と面倒臭い手続きを(若干黒い手法で)すっ飛ばして、いち早くヤマニンゼファーの優先交渉権を手に入れていた。

 

自分達ならそれだけのハンデがあってもなんとでもしてやれるだとか、もし完全に回復された時に他のチームに所属されていたら強敵になり得るだとか、そんな小賢しい理由ではなく、ただ単に彼女が自分達のチームに必要だと思ったから。

 

 

「そうか、ならば良い。……確か奴の退寮まで一週間だったな? 万が一の可能性まで潰す。奴がこちらに越して来る前……つまり、休養寮にいる内にチーム編入書類にサインをさせておけ」

 

『分かってるさ、他のチームに交渉に割って入られるなんて展開はごめんだ』

 

シンボリルドルフが所属している、学園最強と名高いチーム『リギル』の東条ハナ──通称「おハナさん」や、少数精鋭かつ問題児揃いだが一騎当千の強者が揃っているチーム『スピカ』の沖野。チームとしてはまだまだ新規だが、難関たる中央のトレーナー試験を意図も容易く──それも、考え得る最短のルートで合格してきた『カノープス』の南坂などは、前情報無しでゼファーのポテンシャルを見抜きかねない。否、彼らならあの走りを見れば一発で気付く筈だ。

 

もっとも、例に挙げた三人はその方向性こそ違えど全員ウマ娘の事を第一に考える誇り高いウマ娘トレーナーなので、こちらが優先交渉権を握っているのならゴネたりなどしないだろうが……。

 

 

『取りあえず優先交渉権と一緒に休養寮の訪問手続きもして貰ったから、明日の面会受付時間一番で会いに行ってくる。色良い返事が貰えるように精一杯アピールするさ』

 

「任せた、早朝トレーニングとチームの指揮はこちらでやっておく。……貴様がいつも付き合っている‘花姫,の花壇の手入れもな」

 

『頼んだ。‘手伝えなくてごめん,って謝っておいてくれ』

 

スマホの通話を切り、ウイナーはこれからの事を考える。肝心のスカウトに関してはトレーナーである柴中に一任するとして、チーム『ステラ』のメンバーにしなければならない報告の事。正式にチームに加わった後に起こるであろう数々の課題の事。そして一番重要な、ゼファー個人の育成計画の事。

 

問題は山積みで、やらなければならない事は気が遠くなる程あるのに、ウイナーの口元は自然と緩んでいた。──その先の光景(・・・・・・)を容易く思い浮かべることが出来たからだ。

 

 

「ああ────良いな」

 

フワッ──と、夜のターフに一陣の風が吹きすさぶ。それを全身で感じながら、ウイナーは更に笑みを強くした。

 

 

「新しい風というのは、いつ見ても気持ちが良い物だ」

 

 

 

 


 

 

──ピピピピピピピピピピピピピ!

 

 

「ん……ん……ううん……」

 

もぞもぞとまるでイモムシの様にベットを這いながら、脇にある目覚まし時計を止める。……いつも以上に寝起きが悪い──っていうか眠い。昨日予定にない運動をしてしまったからだろうか、まだ若干体に疲れが残っているような気がする。そのまま二度寝しそうになるのをグッと堪えて、ヤマニンゼファーはベットから起きた。

 

 

「ふわぁ……」

 

洗面台へと足を運び、朦朧とする意識を覚醒させるべく冷水で顔をジャブジャブと洗う。「……ぷはぁっ!」とゼファーが一息入れた時には完全に眠気が吹き飛んでいた。

 

看護婦さんが毎日取り替えてくれる清潔なタオルでゴシゴシ顔を拭くと、今度は湯沸かし器からお湯を洗面器に注ぎ、そこにタオルを浸してギュッと絞る。出来上がった温タオルで髪を強めに梳いて寝癖を直し終ると、ゼファーは寝間着を脱いで運動用のジャージへと着替え始めた。今やすっかり日課になったが、まさかあれだけ体の弱かった自分が‘早朝トレーニング,なんて物が出来る様になるだなんて……。お医者さんや看護婦さん。それから休養寮で働くスタッフの皆さんにはどれだけ感謝してもしきれない。

 

 

「……よしっ! 今日も頑張ろう!!」

 

まだ日が昇り初めて間もない時間。ゼファーは気合を入れ直すと、脱いだ寝間着を抱えて静かに自室を出て行く。今日のトレーニングメニューはウォーキングを5㎞マラソンを5㎞。その後ベンチプレスを600で20分に、余裕があればダートコースでスピードトレーニングを──

 

 

──約一時間後──

 

 

「はぁ……はぁ……はぁっ……!」

 

「──する前にいつも通りスタミナが底をついてくたばったと。毎回言うんだけどさ、スタミナの上限が増えたからってそれギリギリに合せたトレーニングするの止めなってホント……。ほら、立てるかい?」

 

休養寮お抱えのリハビリジムで床に倒れ伏したゼファーは、ジムの管理とジム内でのウマ娘達の監視を任されている休養寮の役員──清瀬(きよせ)志織(しおり)によって介抱されていた。「介抱」とは言っても彼女がやったのはゼファーを床からベンチに運び、呼吸が落ち着いてきた所で脚と腕を軽くマッサージしてやったぐらいなのだが、運動後のクールダウンもまだだったゼファーにとってはこれ以上なくありがたい。

 

 

「はい、終ったよ」

 

清瀬がゼファーの両脚から手を放す。脚に纏わり付いていた疲労感は、驚くほど薄くなっていた。

 

 

「ありがとうございます。すみません、毎回毎回……」

 

「そう思ってるならレース科の娘達みたいな激しいトレーニングをしようとするのは止め────あー……そういやアンタ、あと六日で退寮してレース科に移るんだっけ」

 

思い出したように言う清瀬に、ゼファーは「はい!」と元気よく返事をした。清瀬は「……そっか」と素っ気ない口調で返した。

 

 

「ま、退寮するウマ娘が出るのはこっちも歓迎さ。精々ぶっ潰れないようにしなよ。分かってると思うけど、レース科のトレーニングは休養寮(ここ)のリハビリの比じゃないぐらい厳しいからね」

 

軽い口当たりで脅す様な雰囲気を放ちながら、清瀬はゼファーに忠告した。

 

日本全国から‘走る事,に長けたエリート中のエリートが集い、その身と魂を削って厳しいトレーニングを積み続ける魔物の巣窟。弱ければ話にもならず、強くても勝てるとは限らず、例え勝利しても運に見放されれば故障して終わる。どのような形であれ、引退するその日まで決して止まることは出来ない。野球やサッカー、将棋や囲碁のそれと何ら変わりないプロの世界(この世の地獄)

 

それを覚悟の上で集った真の強者(イカレ野郎)。そんなウマ娘達と、ゼファーはこれから永延と戦っていかなければならないのだ。

 

 

「はい! だから私、これからはもっともっと──今まで以上に頑張ります!」

 

清瀬の忠告を聞いてむしろ気合が入ったのか、目をキラキラと輝かせて力強く宣言するゼファー。これには清瀬も苦笑いをするしかなかったのか、隠していたもう一つの理由を切り出して再び忠告する。

 

 

「バーカ。そうじゃなくて‘頑張りすぎてぶっ潰れないようにしろ,って意味で言ったんだ。アンタ察しが良いんだから気付いてるだろ? 大手振って出て行ったのに即こっちに出戻りなんてオチ、私はゴメンだからね」

 

「えへへ……」

 

清瀬は笑って誤魔化そうとするゼファーに軽くチョップをかますと、そのままシッシ! と追い払う様に手を振って退室を促した。

 

 

「ほら、さっさと行った行った! 私はこれから休養寮の娘(ここの娘)専用のトレーニング機器の調整や整備で忙しいんだよ。アンタも休日だからってポヤポヤしてると朝飯食いっぱぐれるぞ!」

 

「はい! 改めて、ありがとうございました!!」

 

丁寧に一礼し、軽い足取りでリハビリジムを後にするゼファー。一人残された清瀬はゼファーの退室を見届けてから、扇ぐ様に天井を見上げる。

 

 

「──もっと頑張る……か」

 

清瀬はまるで自傷するかの様に小さく笑った。

 

小さな頃から身体が弱く、それが原因で碌なトレーニングを積めず、改善までに数年単位の時間を無駄にして、それでもなおレースに勝てるなら、勝つ事が出来るというのなら──

 

 

「──そりゃもう‘ウマ娘,なんかじゃない……。正真正銘‘神の子,って奴だよ、ゼファー」

 

 

 

 

「……ここだな」

 

学園認可を受けている移動用のバイクを指定された場所に止めて、柴中はその建物を見上げた。

 

休養寮──中央トレセン学園の端っこにポツンと存在する、学校のような病院のような施設。本校に付属されている物とは比べものにならないが、ダートのレースコースに屋内プール、トレーニングジムまである。医療用の施設に限って言えば物資は兎も角、機材や設備の幅広さなら本校のそれを上回っている。‘小さなトレセン学園,とも言える場所。

 

逆に、中央地方問わず、トレセン学園に必ずある‘ある物,が無い。使う機会などまず無いだろうし、合理的と言ってしまえばそれまでなのだが……。どことなく寂しさを覚えてしまう柴中だった。

 

 

(……予約時間五分前だけど、まぁこの位なら良いだろ)

 

服の襟を整え、目立つ皺を軽く伸ばす。いくつかの書類とチーム編入届けが入った鞄を手に、柴中は寮内へと踏み込んだ。入ってスグの所にある受付で名前を言ってトレーナー免許を提示すると、すぐさま如何にも‘病院の院長,といった風貌をした、白髪交じりで白衣を着ている男が姿を現した。

 

 

「訪問予約をさせて頂いた柴中です」

 

「理事長よりこの施設の運営とウマ娘達の治療、並びに療養を任されています、遠藤と申します」

 

名刺交換を早々に済ませた後、「立ち話もなんですから」と柴中はそのまま5階(正確には4階)にある院長室へと案内された。

 

 

「……! ど、どうも……」

 

途中ですれ違った何人かのウマ娘が、なにか信じられない物を見る様な目でこちらを見ていた。確か随分前に研修で休養寮(ここ)に来た時も、今と似た視線を感じたような気がする。

 

 

「……」

 

「もし不快だったら申し訳ない。新人トレーナーの研修時期でもないのに本校のトレーナーが訪問するなど、滅多にない事ですので……。みんな珍しがっているんです」

 

「ああいえ。そうではなくて、その……」

 

……上手く言葉にすることが出来ない。否、あの視線に含まれた幾つもの感情や想いに見当は付いているが、それを気軽に言葉にするのは躊躇われた。

 

例えるならば、児童養護施設なんかで予定の無い来訪者があった時に「もしかしたら」とどうしても目で追ってしまう子供のような……。彼女達自身、自覚があるのか定かではないほどあまりにも淡く、そして儚い‘期待,。どれだけ頭と理性が「有り得ない」と否定しても沸いてきてしまう、都合の良い‘夢,

 

……意味の無い感傷である事は分かっている。レースで結果を出せず、故郷へ戻ることになったウマ娘を初めて見た時に感じたそれと同じだ。

 

 

「こちらです、どうぞ」

 

遠藤にそう言われて、柴中はいつの間にやら院長室手前までやって来ていた事に気づく。

 

 

「どうも」

 

軽く会釈をしてから中へ入り、促されるまま来客用のソファーへと腰掛ける。他にあるのはモニターが大小三つほど連結している大型のパソコンと、それが置かれているシックなデスク。壁に設置された薄型テレビと、その横には難しそうな医学書が所狭しと並べられた本棚があった。

 

一息ついた後、遠藤の方から話を切り出す。

 

 

「三坂総務部部長様よりお話はお伺いしております。なんでも、是非柴中様のチームに加わって欲しいウマ娘がこちらにいると……」

 

少しばかりせっつく様に(自覚がない)柴中は答えた。

 

 

「はい。『ヤマニンゼファー』という栗毛色で長髪のウマ娘が現在こちらに入寮していらっしゃる筈ですよね。一週間後に退寮して本校のレース科に移るという事は知っていますが……。彼女ほどの逸材であれば、すぐに私以外のトレーナーもその実力と魅力に気付くでしょう。ですので是非とも休養寮に所属している今の内に、私とニホンピロウイナーのチーム『ステラ』に入って貰いたいんです。優先交渉権も既に入手しています」

 

柴中は鞄から昨日入手した優先交渉権を含め、チーム編入に必要になる様々な書類を机の上へ並べてゆく。暗に‘ヤマニンゼファーとチーム入りの交渉がしたいから彼女をここに呼び出して欲しい,と言っている柴中に対し、遠藤は「あ~……彼女ですか」と声を漏らし、なんとも言えない表情を浮かべた。

 

 

「んー……」

 

(……なんだ、この反応)

 

──困惑? 躊躇? ……否。‘困っている,というより‘戸惑っている,‘躊躇している,というより‘迷っている,といった感じだ。

 

 

「あの、もしかしてまだ体質や健康などに不安が?」

 

「ああいえ! 決してそういう訳ではなく……。確かに彼女の体質──‘先天的持久力発達障害,は八割方治っていますので、もうレース科の本格的なトレーニングをさせても問題ないです。身体の調子も悪くありませんし、このまま行けばあと一年と経たずに完治が望めるでしょう。勿論、寮を移っても完全に治るまでは定期的に病院へ通って検査を受けてもらう必要がありますが……」

 

ほっと胸をなで下ろす。無論、ここの長であり医者でもある彼から「NO」と言われれば否応なく諦めるしかないのだが、あれほどのウマ娘が──ゼファーが、レースの一つも経験することなく全盛期を終える可能性が僅かなりともあるのでは? と内心不安だったのだ。

 

 

「……では何故?」

 

身体の問題ではないのなら、どうして遠藤はゼファーの名を聞いてああも微妙な反応を見せたのか。柴中の質問にたっぷり十秒以上沈黙を貫いてから、遠藤は溜息を一つ付いたあと吹っ切れた様に喋りだした。

 

 

「──いえ、分かりました。すぐに彼女を呼び出しますので少々お待ち下さい」

 

「え? あの──」

 

柴中が声を掛ける間もなく、遠藤はデスクの上に置かれている内線電話でどこかに連絡を入れる。すぐさま休養寮全域に『ピーンポーンパーンポーン!』というお決まりのチャイムが響き渡り、続いて呼び出しを告げるアナウンスが流れ出した。

 

 

『ヤマニンゼファーさんヤマニンゼファーさん。遠藤院長がお呼びです。至急、院長室まで来て下さい。繰り返します。ヤマニンゼファーさんヤマニンゼファーさん──』

 

 

「……」

 

取りあえず第一関門は突破した。これでゼファーに会えるし、チーム入りへの要求とアピールをする事が出来る。……だが、今一スッキリしない。やはりどうにも遠藤の反応が気に掛かるのだ。改めてその事を尋ねようと柴中が口を開く前に遠藤が小さな、しかしシッカリとした声で喋りだす。

 

 

「GⅠトレーナーであるあなたならもう察しているかもしれませんが、この休養寮にいるウマ娘は『なんとしてでも病気を治して本校へ転入してやる』というどこか暗い雰囲気を携えた新人か『もう何をやってもダメなんだ』と全てを諦めた長期入寮者が大半を締めます。仮に退寮してレース科に移っても殆どの娘が一度もレースで勝てず、それどころか最下位に近い着順になり続けて────自ら命を絶ってしまった娘までいるんです」

 

「……!」

 

最後の辺りはもう、絞り出す様な声になっていた。

 

 

「ヤマニンゼファー……。彼女はとても明るくて真っ直ぐで……それでいて、風の様に爽やかな性格をしているウマ娘です。この休養寮でも決して腐らず、レースに出ることを諦めず、日々努力を怠らず……。そんな彼女を慕っている娘も少なからずいます。まぁ、少々頑張り過ぎるきらいがあるので他の娘同様‘色々と,手は掛かりましたが……。なので、なんと言いますかその……」

 

言葉に迷っているのが手に取るように分かる。吐露したい感情めいた物はあるが初対面の人間に対して言う事でもないだろうし、仮に言った所で普通に失礼な発言になってしまいかねない--そんな感じ。

 

結局良い感じの言葉が見つからなかったのか「すみません、変な事を言ってしまって」と言って遠藤は頭を下げて軽く愛想笑いを浮かべると、再び口を閉ざしてしまった。

 

 

「……」

 

一方、ある程度の事情を把握した柴中は考える。このなんとも言えない沈黙をどうしたら良いか……ではなく、もっと先の──

 

 

コンコンコン

 

 

柴中が頭を回しだしたのとほぼ同時。小さく三回ドアがノックされ、次いで若干緊張したような声が聞こえてきた。

 

 

「あの、ヤマニンゼファーです。アナウンスを聞いて来ました……。入ってもよろしいでしょうか」

 

 

 

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