「どうか私に【金輪際関わるな】と命じて下さい。今のままでは私はきっとまた、貴方の為だと自分を偽って余計な事をしてしまいかねない』
『……………………』
「今日だってあなたの大事な騎士の一人を、私の勝手な癇癪と都合で傷つけようとしたんです。あなたからの命であれば、私はそれに否応なく従う事が出来ます」
‘もう嫌だ,‘もう疲れた,‘いい加減諦めたい,──言葉から、その調子から、そんな思いが透けて見えた。どれほど頑張っても‘望んだ自分,になれなかったセブンからの、介錯の懇願。
「ですからどうか──」
『……良いだろう』
意外なほどアッサリと、ウイナーはそれに頷いた。彼女の慈悲深さをよく知っている故に、自分から言っておいて少しだけ驚いたセブンだが、すぐに全身を包む心地の良い諦観に微笑む。
(ああ……これでようやく──)
憧れから、離れ──
『マイルの皇帝、ニホンピロウイナーがその名において命ずる。────────【望みを捨てるな】』
────────は?
『どれほど辛く、地獄のような苦しみを味わうことになろうとも【邁進し続けろ】』
「──あ、の……」
『そして────【絶対に諦めるな】』
ウイナーが一旦言葉を途切れさせるまで、セブンは何も言えなかった。全く予想していなかった命令がウイナーの口から放たれたというのもあるが、それ以上にウイナーの口調が今まで聞いて来たどんな言葉よりも真剣で、凄まじいまでの力が──聞いただけで従わざるを得ないような圧倒的な力が籠っていて、驚くしかなかったのだ。
『……どうした? 既に命じたぞ。否応なく従うのだろう?』
「……なぜ、ですか」
だから、そんな反感の意を込めた疑問の言葉でさえ、こうして口から出て来たのは奇跡に近いとセブン自身は思っている。
『なぜとは?』
「──ッツ! 決まっているでしょう!! なぜそのような事をお命じになったのかって意味です!!」
声を荒げて叫ぶ。普段なら決してしないような口調、決して取らないような態度だった。
「私、私は──!」
興奮のあまり頭が真っ白になって、言葉を上手く紡げなくなる。
なぜ何の役にも立たない、それどころか足を引っ張ってばかりの私にそんな事を言った?
なぜごく普通の努力をし続ける事すら出来ない私にそんなことを言った?
なぜ──貴方から
『……貴様が言ったのだろう? 私は決して折れず、諦めず、皇帝として君臨し続ける‘強者,だと──その在り方に従ったまでのこと』
「……は?」
言っている事の意味が分からず、セブンは再び呆けたように聞き返す。
『貴様が今の自分を不足だと感じ、苦しんでいるのならば、貴様が望んでいる自分に
「──!!」
──それは、やはり強者故の理論だった。
『その為に邁進することが出来ないというのならば、邁進する事が出来る様に
本物の‘皇帝,のような、一種の暴君にも近しい考え。そうなって当然だと言わんばかりの、あまりにも身勝手な発言。
『我が臣下として相応しい貴様に……。私が必要とする程の強者に
自分のそれだけではなく、他者のそれすらも容易には許容しない。むしろ徹底的に蹂躙し、征服し、叩き潰そうとする──いっそ清々しいぐらい身勝手で我が儘な、強者の理論。絶対強者であるウイナーは、そんな自分の理論と考えを、否応なくセブンに押しつけるつもりだ。
「なぜ……ですか」
先ほどのそれとは少しばかり意味の違う「なぜ」が口から出てくる。
「なぜ、私にそこまで拘るのですか……?」
ウイナーに相応しい実力を持った臣下や友人、民ならば他に幾らでもいる筈だ。彼女にとって自分は多少血が繋がっているだけの、遠巻きに慕う──一種のストーカー染みた行動までしている、厄介なウマ娘に過ぎない筈。それだけの存在に、なぜ──
『……そうだな。大なり小なり、良い理由も悪い理由も色々とあるが──』
ウイナーは思い返す。幼少期、己が魂の導に従ってただ只管に高く高くへと上り詰めようとしていた頃……を、少し過ぎた辺り。具体的に言うと、小学校の低学年の時。いい加減己が人生における‘目標,を定めるべきだと思い始め、お気に入りの英雄譚に出てくる王とその騎士達を参考に、自分もそこへと至るべく行動を開始した頃。学校の先生やクラスメイト、血族以外の誰に話そうが鼻で笑われるか、あるいは引かれるかでしかなかったその目標を聞いて、彼女は目を輝かせながらこう言ってくれた。
『──初めてだったからだ』
「……あ」
──で、では! 私を……私をあなたの、貴方の初めての──!
『──私に出来た、一番最初の臣下だからだ』
「…………あ、ああ」
まだ子供だったとはいえ、当時から既にこの調子だったウイナーにしては非常に珍しい事に心がふわふわと気持ちよく浮かび上がり、感情のままに口元をニヤリと歪ませたのをよく覚えている。……セブンが己が臣下となったあの日にこそ、ウイナーの皇としての物語は真なる始まりを告げたのだ。
『腹心の一人を易々と手放そうとする皇帝がどこにいる──!』
「────────────────」
ポロポロと、セブンの瞳から涙が零れ出ていた。──この人は覚えていてくれた、覚えていてくれたのだ。小さな頃、本家の書蔵庫で聞かせてくれたウイナーの夢と目標。それに突き動かされるように口から出ていた忠誠と懇願。とうの昔に忘れ去られたと思っていた自分にとって大事な思い出と誓いを、今もちゃんと覚えていてくれた。
(……ああ、そうか)
その後瞬く間に皇としての頭角を現し、想像を絶する努力とホンの少しの才覚、そして女神に愛されているとしか思えないような天運で、あらゆる事の‘勝者,となっていったウイナー。その第一の臣下であるということが、セブンの誇りであり、心の支えだった。
(忘れていたのは、私の方だったんだ……)
ウイナーというウマ娘の強さを、誇りを、慈悲を、伝説の始まりを見届けたことを、それに恥じない生き方をしようと誓ったことを忘れ、何の役にも立てていないという躁焦感から‘なんとしてでもお役に立たなければ,と暴走をし続けた。この醜い内心を明かせばきっと拒絶されてしまうという恐怖感から、何一つとして告げずに自分で彼女から遠ざかった。
……何という無様だろうか、やはり‘今の自分は,この人の臣下として相応しくない。──そう思いつつも、先ほどまでセブンの心と魂にベットリと染み付いていた憂いと霧のような淀みは、その大半が吹き飛ばされていた。ウイナーの言葉が、皇帝としての勅命が、まるで嵐の様に纏めて薙ぎ祓っていってしまった。
『……貴様はまだトレーナーが付いていなかったな? 取りあえず過去一年間のトレーニングメニューと各種レースの内容と結果を纏めた物を近い内に私に見せろ。貴様のことだ、トレーナーが不在だからこそ、その辺りのデータはちゃんと記録として取ってあるのだろう?』
「はい……!」
『それと、思い出せる限りで構わんから勉学──学校で学んだ物だけではなく、貴様が独自に学んだ学問とその内容もだ。それが私の知識にある範囲内であればアドバイスをくれてやる』
「はい……。はい……!」
子供のように泣きじゃくりながら、セブンは頷き続ける。彼女がこうして泣いているのを見るのは、小さい頃に併走トレーニングをした時以来だ。併走が解除される最後の直線だけで圧倒的な大差を付けて勝利したウイナーに対し‘全く役に立てなかった,と、彼女は本当に悔しそうに泣いていた。その時は『気にするな。齢による身体の出来と、経験の差だ』という慰めの言葉を掛けたウイナーだが、今は違う。
『──覚悟しておけ。弱者である貴様には落ち込む暇も、暴走する機会も、憂いを帯びる余裕も与えん。地獄のような鍛錬をさせてでも強者に仕立て上げ、必ずあの日の誓いを守って貰う。貴様は確かに我が城の騎士たり得るウマ娘では無いが──臣下としてはこれ以上ない最高の逸材の一人になり得ると、私は確信しているのだ』
「あ゛い……!」
かくして、一人のウマ娘が抱えていた心の闇は祓われた。偉大なるマイルの皇帝と、彼女に‘なんとしてでも貴方の手で直接心情を聞き出した方が良い、最悪手遅れになる,‘タイミングはレース後。後先考えずに全力疾走をする私達ウマ娘の気が緩む最大の瞬間を狙って,と進言した、そよ風の様なウマ娘の手によって。
「……はぁ」
キャロット城は円卓の間。その中央に設置されているラウンドテーブルに座りながら、ウイナーはらしくもなく大きな溜息を付いた。つい先ほど……セブンとの通話が終わってから丁度十分後ぐらいにやって来たヒシアケボノが「どうしたんですか陛下ー?」と小首を傾げながら聞いてくる。
「……自分の無能さ加減に怒りを通り越して呆れ果てている所だ」
ウイナーはそう言って再び溜息を付く。……気づけなかった。全く気づかなかった。察することさえも出来なかった。……否。正確に言えばセブンが憂いを帯びている事も、その原因はセブン自身にあるという事も、恐らくはウイナーと自分との色々な‘差,に悩んでいるのだという事も分かっていたのだが、彼女があそこまで思い詰めているという事にまるで気づけなかったのだ。
原因としては、仮に自分が彼女の立場にあったとして、
(……どんな理由があろうと、全部ただの言い訳に過ぎんか)
自傷気味に笑う。大切な臣下の一人が自分のせいでああも苦悩していた事に
故に、そうだと気づけなかったことその物にこそ、ウイナーは己が罪があると考えている。‘彼女ならきっと自力で乗り越えてくれる,そんな盲信に捕われ、彼女の諦観の深さをむざむざ見過ごしたのだ。……もっと早くに気づいてやれれば、もっと早く話しをしていれば、彼女があそこまで拗れる事はきっと無かっただろうに。
「……陛下、今日は少し冷えますねぇ。温かい飲み物を淹れて来ますけど、何が良いですか?」
「ん……。そうだな、いつものコーヒー……いや、カフェオレをくれ」
彼女に何があったのか全く把握出来ていないヒシアケボノだが、いつもの壮絶な覇気所か元気すら無いウイナーを見て何かを察したのか、いつもよりも更に嫋やかな笑顔でそう微笑みかける。コーヒーは基本ブラックを嗜むウイナーにしてはこれまた珍しい事に、
「はーい♪ 冷凍しておいたボックスクッキーも一緒に焼いて持ってきますから、二、三十分程待っててくださいね」
そう言って小走りでキッチンの方へ駆けていくヒシアケボノ。……こう言ってはなんだが、少しのあいだ独りで考え事をしたかったウイナーにとっては、アケボノが部屋から出て行ってくれて丁度良い環境になった。さて、では次にこれからどうするべきかを──
──♪──
「──私だ。何かあったか」
突如としてスマホへ掛ってきた電話に、2コールと経たず出る。電話の主は未だ中山レース場にいる筈の柴中だった。
『いや、別に何かあったって訳じゃないけど……。そろそろ話し合いも終わっただろうし、らしくもなく落ち込んでる頃じゃないかなってさ』
「‘不要,では無いが‘無用,な心配だな。私がこの程度の事で調子を崩すとでも思ったか?」
比較的軽い調子の口調で、柴中は言う。その砕けた調子がウイナーを心配し、気遣ってやっている物だというのは明らかだった。それをあえて鼻で笑い、ウイナーは返す。
『例え調子が落ちなくても、上がらなくはなるかもしれない。それに担当が気落ちしてるかもしれないと予想しておいて声を掛けないのは、トレーナーにあるまじき行為だろ?」
「む……」
更にカウンターを喰らった。言っている事がこれ以上ない正論であり、ウイナーの状態をズバリ言い当てていて、さらに──
『