ソウル・オブ・ゼファー   作:部屋ノ 隅

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外伝 とある灰被りの少女の祈り 7/15

 

 

 

「ふぅ……」

 

顔をジャブジャブと盛大に洗ってようやく落ち着いたのか、イソノルーブルは小さく息を吐いた。東京レース場のすぐ近くにある高層ホテルの一室だ。毎度のことではあるのだがホテルとか旅館に泊った時、起床の際に寝ボケて寮の自室じゃないことに驚いた挙げ句、こうやって慌てふためいてしまうのはなんとかならない物だろうか。

 

 

(‘精神的に脆い部分がある,かぁ……)

 

──これもまた、自分の根幹的な弱点の影響なのかもしれないと、イソノルーブルは落ち込むように視線を下へと向ける。

 

これ以上ない事実である為、特に否定する気は無い。むしろ治せるならどんなことでもするから誰か何とかして欲しい。今までは運が味方したのもあってなんとか誤魔化し誤魔化しやってこれたし、望外とも言えるような結果を連発出来たが、この前の桜花賞の時と似たようなアクシデントがこの先起こらないとも限らない。流石に日常茶飯事とまではいかないだろうが、この先ドンドン激化していくであろう重賞……特にGⅠレースでは、予定外の出来事なんて幾らでも起こるだろう。そしてその時も前回のように己を忘れてペースを乱すようでは、きっと全く勝てなくなるに違いない。

 

 

「わぁ……!」

 

そんなネガティブな事を考えながらタオルで顔を拭いたイソノルーブルだが、いつも使っている物よりもずっとフカフカでふわふわのそれに顔を埋めた途端、思わずパァアアアアッ! と笑顔になった。流石は東京でも有数の三つ星高級ホテル。ベッドの身体へのフィット感やふかふか具合も物凄かったが、ただのタオル一つに至ってまでこの拘りようとは恐れ入る。

 

バスルームは某有名温泉の源泉から汲んできたお湯を使っているらしいし、エステサロンはウマ娘専用の物も含めて全て使用料無料。トレーナーが折角だからと注文してくれたルームサービスの軽食もお洒落で小綺麗で、味も素晴らしく美味しかった……と、思う。

 

どう言葉を尽くしてもあやふやで曖昧な感想しか出てこないがそれは決してルーブルの語彙が貧弱だとかそういう話しではなく、『担当トレーナーと高級ホテルの一室で綺麗な夜景を見ながらワイングラス(INぶどうジュース)を片手に夜食を啄む』という、コテコテのトレンディドラマでも滅多に見ないような経験に思考回路がショート寸前になっていて、料理の味なんて殆ど感じられなかったのだ。料理名がやたらややこしかったというのも起因している。……この際だからぶっちゃけ言おう。GⅠレースに出走する時なんかより何倍も緊張していたと。

 

 

(……あ、でも‘あれ,は美味しかったなぁ)

 

そんななか唯一明確に味を覚えているのが、デザートとして最後に出て来たバターケーキ。他でもない、イソノルーブルの好物だ。ある種の願掛けもかねて今まで必至に食べるのを我慢していたが

 

『本番前に一旦気を休めるのも大事な事だよ』

 

とトレーナーに諭されて『まぁ一切れぐらいなら……』と口にしたのだが、それが凄く美味しかった。今までで一番のそれだったと言っても過言では無いと思う。トレセン学園のカフェで提供されているクリームとシロップたっぷりのそれとは違い、なんの飾りっ気もなしの超シンプルな物だったが、その素朴で手作り感満載の味わいが……なんというか、そう、心に来た。真摯に食べる人の事を思って作ったのだという事が伝わってきたのだ。

 

 

「……ん!」

 

不意に、ピョンピョン! とその場で二回ほど跳ねてみる。次いで両手と両脚指を握っては開きを数回繰返し、最後に胸を張るように背筋をピン! と伸ばした。それだけでありありと分かる。確信すら出来る。今日の自分は、今までで最高の仕上がりになっていると。

 

桜花賞が終わってからオークスまでのこの一ヶ月、やれるべき事は全てやった。いつものトレーニングは勿論、追加のそれも、トレーナーに許可を貰って早朝に行い続けた。(時間が無い時は深夜にやっていたが、途中で‘睡眠時間のブレ,を指摘されて早朝に固定となった)

 

大本命とされるシスタートウショウは勿論、他の出走ウマ娘達の情報も調べられるだけ調べたし、コースの研究も余さず行なった。二度と桜花賞での一件(ああいうこと)が起こらないよう蹄鉄の専門家へ直接アドバイスを聞きに行き、その意見を参考にシューズは蹄鉄の装着性に優れた最新モデルへと買い換えた。枠番が正式に決定してからはトレーナーと入念に作戦会議をした。自分の意図しない形ではあったが、本番前日こうして心底リラックス(軽食時以外)する事も出来た。

 

無論、だからといって勝利する事が出来るという訳ではないが、多少は自信という奴が持てそうだと感じる──それだけで、十分だった。

 

 

「──よし」

 

小さな友人達の誘いを泣く泣く断ったのも、好物のバターケーキや甘味類を食べるのを自重していたのも、厳しい追加トレーニングや複雑なレース研究をやり続けたのも、全ては今日この日、このレースに勝つ為だ。この一生に一度の大舞台で勝って、私は──私が──!

 

 

「シンデレラだって、証明してみせる──!」

 

その決意に溢れた瞳の奥に、本人であるイソノルーブルすら自覚する事の無い光り輝く何かが宿る。

今日は5月19日──クラシック競走がティアラ路線。第二レース‘優駿ウマ娘・オークス,が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

──祈る。祈る。祈る。

 

──私は祈る。

 

毎朝毎夜、寮のベッドの上で。お昼休みには三女神像の前で。レースに出走する直前には各自用意された楽屋で。

 

それは、まだ私が小さかった頃からの日課だ。神父や修道長にやり方を教わり、みんなもやってるからと自分もやり始めるようになったのが三つの頃。聖書や聖典の内容を読み聞かせてもらい、その難しさに首を捻りつつも『こういう事か』と子供ながらに何かを悟ったような気になっていたのが五つの頃。

 

漢字もある程度読めるようになり、子供向けに訳された聖書ならば一人で読み解けるようになった(内容は相変わらず、半分以上が理解の範疇外だったが)のが七つの頃。『何かもっと、上っ面だけじゃない大切な事が書いてあるんじゃないのか』と気づき、大人向けのそれを頑張って読み解こうとするようになったのが九つの頃。(確かその頃から、普段の祈りにも熱が入ったような気がする)

 

祈る事に、走る事に、誰かを助ける事に意味があるのかといっちょ前に苦悩していたのが十二の頃。ただ暇だったから悩みを聞いてあげただけの参拝者に心の底からお礼を言われ、自分の中に‘答え,の一端を垣間見たのがそれからすぐの頃。

 

そして市内の一般ウマ娘参加型のイベントレースにボランティアとして参加し、イベント終了直後に中央トレセン学園のスカウトマンからスカウトを受けたのが十四の頃……つまりは二年前だ。十三年……。それだけの月日をもう(・・)と言うべきなのかまだ(・・)と言うべきなのかは分からないが、兎に角これまでの十三年間の間、私は日々欠かさず祈りを捧げている。

 

三女神に。天上に在す我らが父に。この世界に。幾重もの願いを束ね、どうか届くようにと祈りを捧げる。

 

──三女神よ。天上に在す我らが父よ。私達が住まうこの世界よ。どうか、どうか──

 

 

 

 

「今日の食堂のオススメか日替わりのメニューは、ブイヤベース風パスタでありますよーに!」

 

「…………」

 

シスタートウショウは言葉一つ発する事なく、あまりにも暢気な願いが聞こえてきた自分のすぐ横を見る。中央トレセン学園の校舎入り口すぐ前にある、三女神像の前だ。いつの間にやって来たのか、はたまたシスターが祈りを捧げることに集中していて気付かなかったのかは分からないが、そこにはシスターと同じポーズで祈り(というにはあまりにも利己的である)を捧げるヌエボトウショウがいた。そのまま何も言わず、いつも通り頭を叩いてやろうかと一瞬思ったシスターだが、今日ばかりはと小さく息を吐いて堪える。

 

 

「なにをしているのですかシスター・ヌエボ」

 

「朝のトレーニングをしようとしてたら丁度シスターちゃんを見かけてね? いつも三女神像前(ここ)で祈るのはお昼の時なのに珍しいなーって思ったら、なんか身体が勝手に動いてた!!」

 

何故だかとても嬉しそうにヌエボトウショウは笑う。理屈としては意味不明だし、理由としても到底納得が出来るような物では無かったが、取りあえず普段と変わらない、いつも通りのヌエボトウショウであるということだけは理解出来た。

 

 

「重賞レースに出走する日の朝はベッドの上ではなく、ここで祈りを捧げると決めていますから」

 

「もしかして昨日どこかのホテルに泊らないで帰ってきたのも?」

 

「ええ。記者会見が予定よりも早く終わったというのもありますが、やはり大勝負の前には宣誓の意味も含めて神々に祈りを捧げておかなくては」

 

ちょうど陽が昇り始める朝早いこの一時はとても静かで穏やかで、集中して祈りを捧げるには丁度良い時間帯だ。俗に言う所の‘清廉な一時,という奴である。一種の宣誓や願掛けもかねて、シスタートウショウは重賞レースだけではなく何か重要な事がある日の朝はいつも以上に早起きをして、三女神像の前で直接祈りを捧げることにしていた。

 

例え世界中のどこにいようが、真摯で純粋な‘祈り,は天へと届くと強く信じているシスターだが、それはそれ。教会や三女神を祀っている神像の前などが、祈りを捧げるのに適した場であるのは間違いない。「そっかー」と、これ以上深く突っ込むと話しが長くなりそうだと本能的に感じたヌエボトウショウは、それで一端話しを区切った。

 

 

「で、何を祈ってるの? やっぱり今日のレースが上手く行きますように~とか?」

 

「‘祈り,と‘願い,それから‘頼み,は全部似て非なる別物ですよ、シスター・ヌエボ。私は神に祈り、何かを願う事はあっても頼むことはありません。願うにしても精々が‘そうありたい,もしくは‘あってほしい,という程度の物です」

 

再び眼を閉じて祈祷のポーズを取り、祈りを再開しながらシスターは告げる。

 

人々の夢と希望を乗せて走るのがウマ娘レース出走者だというのなら、それに相応しい自分で在れるように。約束された勝利を願うのではなく、全身全霊で勝ち取ったそれに堂々と胸を張れるように。良いレースになるようにではなく『素晴らしいレースだった』と、みんなに思って貰えるような走りが出来るように。

 

そして──これはどちらかと言えば‘頼み,の類いであると自覚している為、少々後ろめたいのだが──そしてどうか、彼女達が──

 

 

「……ねぇシスターちゃん」

 

その声は、何故だかいつも以上にハッキリと耳へと入ってきた。「何ですか?」と聞く間もなく返事が返ってくる。

 

 

「──レース、頑張ってね!!」

 

他意や余計な思惑など微塵もない、ただただ純粋なエール。天真爛漫という言葉がよく似合う陽気な表情で、ヌエボトウショウはこの日一番最初にシスター(友達)を鼓舞した人物となった。「言われるまでもありません」と、シスターも自信満々な声色で返事を返す。

 

 

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