「…………」
パチン! パチン! という小気味の良い園芸バサミの音が辺りに響く。上空ではどこぞのウマ娘が飼っている鷹(本人曰く鷹という名のコンドルらしいが)が力強く鳴き、遠くグラウンドの方では模擬レースでも行なっているのか、ウマ娘が走る騒がしい足音と喧噪が聞こえてきた。
──その筈なのに、実に静かだと思える。手を誤って花を傷をつけない様にと集中しているのもあるだろうが、チームの中で私の質を柴中に次いでよく分かっている彼女が
……園芸は特段好きではない──むしろ少しばかり苦手意識がある──のだが、彼女と行なうのならば話は別だ。誰にも話しかけられず、独り自然のままに単純作業に集中する事が出来るのは、こう意識がスッ──とクリアになる感じがあってなかなか悪くない。
あの‘女帝,なんかがそうだが、人は精神的な限界を迎えた時、掃除や料理といった「分かりやすい目標がある作業」に没頭することがある。一見、自ら
「…………」
パチン! パチン!
……黙々と葉を切り続けてどれ程経っただろう。あと一つで全ての処理が終るといったところで、今の今まで別の作業をしていた‘花姫,が話しかけてきた。
「お疲れさまです
「ご苦労、こちらもあと一つで終わる。……よし、これで全部だ。一応、全て貴様自身の目で確認しておけ。……植え付け前の下葉処理など初めてやったからな。私も注意はしたが、不手際がなかったとも限らん」
花姫は一瞬だけ嬉しそうに微笑み、ペコリと丁寧に頭を下げてくる。……トレーナーが不在故の代理とはいえ、自分が好きな事をウイナーが嫌がる素振りもせず手伝ってくれて嬉しい、といった所だろうか。
「ありがとうございます。でも、その前に少しだけ休憩しませんか? 今日は少し暑いですから、水筒に薄めの紅茶を冷やして入れてきたんです」
「……姫の厚意とあらば無碍には出来ん。貰おう」
無理な体勢で作業をしていた訳でも無し。本当はまだまだ余裕があるのだが、作業が一段落付いたというのは事実。流れ的にも時間的にも一息入れて良い頃合いだろう。私の返事を聞くと、花姫はガーデンテラスのテーブルに置いておいた大小多種多様な花々が所狭しと描かれた(正直ここまで徹底的に隅から隅まで描かれていると不気味に思える)水筒を持ってきて、中身を紙コップへ注ぐと私に差し出した。
「どうぞ」
「ああ……」
一口、もう一口と、熱く淹れた紅茶を飲む時の様にゆっくりと口を付ける。炎天下でトレーニングをし続けた結果、脱水症状一歩手前の状態になったとかそういう本気で余裕が無い時ならば話しは別だが、そうでなければ例えどれほど暑かろうが飲み物を煽るように飲む様な真似はしない。‘はしたない,だとか‘マナーが悪い,だとかそういう問題ではなく、単純に
一滴残らず飲み干し終わり、カラになった紙コップを姫の方へと返す。
「いい塩梅だった。濃さもそうだが、単純に茶の淹れ方が上手くなっている。……腕を上げたな」
「ありがとうございます、これも陛下のご教授の賜かと。……今度はクッキーも一緒に焼いてきますね」
賛美の言葉を聞いてニコニコと嬉しそうに提案してくるが、それは勘弁して欲しい。紅茶の一杯程度ならば兎も角、花姫手作りのお茶菓子まで一人で独占したとあれば柴中と臣下達、あと‘空騎士,から睨まれかねない。昔から「食い物の恨みは恐ろしい」と言うし。そう伝えると「ふふっ。お戯れを」と笑いながら返された。……ノリで言ったのは否定しないが、半分ぐらい冗談ではないのだが。
「……そういえば、一体何があったんでしょうトレーナーさん。今朝急に‘UMAINE,のチーム連絡網で『すまないが大事な用が出来た。今日のトレーニングとチームの指揮はウイナーに一任するから、アイツの指示に従ってくれ』って連絡が来ましたけど……。陛下はなにかご存じで?」
「……まぁな」
不思議半分疑惑半分といった感じで尋ねてくる花姫に対し、詳しい内容は口にせず‘詳細は知ってるぞ,という事だけを肯定する。花姫は「やっぱりですか」と軽く頷いていた。
「別に隠していたつもりもないが、やはり気付くか」
「あ、えっと……」
流石だな──と私が言うよりも前に、花姫が若干言い淀むように割り込む。「どうした」と聞くが、酷く言いづらそう(尚且つ少しだけ恥ずかしそう)に視線を逸らしてしまった。
「いえその、気付くと言うより……」
「……?」
「……個人UMAINEの方に──『花壇の手伝いをすっぽかすことになってすまない。ウイナーが「代わりに私が手伝おう」って言ってるから、良かったらアイツを頼ってくれ』──って連絡があったんです。連絡をくれる時点で陛下がトレーナーさんの代わりにお手伝いしてくれる算段が付いているなら、なにか知ってるんじゃないかなって……」
……何をやってるんだあの間抜けは。約束を破ったことに対する謝罪の文は当然の礼儀だから良いとして、そんな一文を加えたら「
というか何で至極当然のように花姫と個人UMAINEを形成しているんだ。‘太陽,のようなコミュニティ能力に長けた(?)者ならば兎も角、花姫が我がチームに入ってからまだ半年と経ってはいないのに。
「あ、あの! 大丈夫です! 私その、ちょっと気になっただけで、詳しく聞こうとは思っていませんから!!」
一気に渋い表情になった私に、花姫は慌てて言葉を付け足す。先ほど言った通り奴の事を隠すつもりもなければ、言及されて困るような事でもない。ただ柴中のウッカリに少しばかり呆れただけである。
「先も言ったが、特段隠すような事でもない。……貴様が知りたいというなら話そう。今はまだ言いふらされるのは困る故、チーム内のみに話しを止めるよう緘口令は敷くがな」
「んー……。いえ、やっぱり良いです」
若干迷うような素振りをした後、花姫はニッコリとした笑顔でハッキリと申し出を断った。逆に興味が湧いて(粗方の予想は付いていたのだが)「ほう? なぜだ」と聞いてみる。
「陛下は‘隠すほどの事ではない,と仰いましたけど、同時に‘チーム内に話しを止めて欲しい,とも言いましたよね? 緘口令も敷くと」
「……」
「それってつまり『近い内に私達のチームに関わる重要な話し、あるいは出来事がある』って事ですよね?」
隠すほどの事じゃないのは、どうせ時期が来れば話すから。チーム内に話しを止めておいて欲しいのは、
「でしたら、それを皆さんにお話しするタイミングはトレーナーさんと陛下にお任せします。お二人が話し合って判断したのなら、それが一番良いと思いますから」
「……素晴らしい、正に‘快刀乱麻を断つ,と言った所か。理解していた事ではあるが、貴様の精神、肉体、そして頭脳は同世代のウマ娘を大きく上回っているな。トレセン学園初の飛び級入学という快挙を成したのも当然か」
その
「……ほぼ貴様の想像通りだ、花姫よ。近い内──早ければ六日後にでも緊急集会を行なう。私と柴中の独断ですまんが、これからのチームにとってどうしても必要な──」
──会話を遮るように突如としてスマホの着信音が鳴り響いた。
初期設定のまま放置してあるこの味気ない着信音を響かせるスマホを持っているのは、チームで私だけだ。……‘噂をすればなんとやら,という奴か? テーブルの上でけたたましく鳴り響くスマホを手に取ると、着信画面には予想通り「柴中」と表示されていた。すぐさま通話ボタンを押して電話に出る。
「私だ。…………そうか、それなら────なんだと?」
「単刀直入に言う。ヤマニンゼファー、君をスカウトしに来た。是非俺とウイナーのレースチーム『ステラ』に入って欲しい」
「はい、良いですよ」
「専属トレーナーのスカウトを受けて二人三脚でやっていく道もあるんだが、チームに入るメリットを具体的に説明すると……って、良いのか? そんなアッサリ」
チーム勧誘をまさかの即答で快諾したゼファーに若干拍子抜けしながら、柴中は確認を取る。彼女の性格からして「やっぱり止めまーす」なんてふざけた事は(少なくとも即座には)言わないだろうが、チームに入るという事の意味をキチンと理解しているかは最低限確かめておく必要がある。
『マンツーマンでやっているウマ娘と違い、トレーナーがトレーニングを見てくれる機会が減る』『基本的にチームの方針に従わなければならない』『合宿参加が義務付けられる』
各チームによって色々と差はある物の、ザッと挙げるだけでもチーム入りにはこれだけのデメリットがあるのだ。(無論、それ以上のメリットもあるのだが)
『馴れ合うのが嫌』『トレーナーとウマが合わない』『マンツーマンの方が性に合っている』『チームのみんなに迷惑を掛けてしまいそう』
そんな理由でチーム入りを断り、中にはトレーナーすら付けずに一人でトレーニングを続けるウマ娘も少しばかりいる。昨日知り合ったばかりでこんな事を言うのもあれだが、ゼファーはそういう質をしていないとは思っていた。思ってはいたのだが……。
「勿論ですよ。休養寮の娘は退寮してレース科に移ってもチームに入る所か、トレーナーさんに付いてもらえるかも怪しいって噂で聞いてたから凄く嬉しいです。……というか、柴中さんこそ良いんですか? 昨日あれだけ見苦しい所をお見せてしまったのに……」
ゼファーの言う‘見苦しい所,とはマラソンとタイヤ引きで見せた圧倒的スタミナの無さの事だろうが、そんな事はどうでも良くなる位の‘凄い所,をウイナー共々見せて貰っている。スタミナの事も身体の事情を知った今となっては「むしろよくここまで回復したな」と感心した程だ。「いやいや」と首を横に振りながら
「それこそ勿論だ。ウイナーなんか『絶対にチーム入りを了承させて来い』ってスゲー威圧感出してたし、俺も心からチームに入って欲しいって思った」
「え、えっと……。ありがとうございます」
熱く語る柴中とは対照的に、少し照れながらもやはり困惑気味のゼファー。これまでの経歴的に言って仕方がない事かもしれないが、彼女は今の自分の力量とそれに至るまでの軌跡がどれだけ凄い物なのかまるで自覚していない。
だがGⅠトレーナーである柴中にはよく分かる。出会ったのはつい昨日だが、ゼファーとウイナーの併走を一目見ただけで確信出来る事があった。彼女の走りは既に──
「……ふふっ」
「どうした?」
「いえ、でも驚いちゃったなって。何の音沙汰もなく急に院長室に呼び出されて、来てみたら柴中さんが座ってたんですもん。『一体なんだろう……?』ってちょっとだけ不安だったんです」
「あー……。最初にも言ったけど、急に尋ねてきてすまなかった。けど、どうしても俺達のチームにはお前が必要だって思ったからつい……」
こちらを責める気は一切無いと感じられる柔らかな言い方と雰囲気ではあるが、やはりそこを突かれるとバツが悪い。なにせ彼女が部屋に入ってきての第一声は『し、柴中さん!?』という気が動転したのがありありと分かるそれで、目は柴中が廊下ですれ違ったウマ娘達も欠くやと言わんばかりに見開かれていた。
……やはり性急が過ぎただろうか。なにせ昨日の今日だ。柴中もちゃんとアポは取ったのだがそれはあくまで休養寮にであって、ゼファー本人からしてみれば寝耳に水も同然だろう。
「気にしないで下さい。確かに色々とビックリしちゃいましたけど……。私、本当に嬉しいんです」
柴中の顔を真っ直ぐ見つめながら、ゼファーは本当に嬉しそうに笑った。‘マイルの皇帝,ニホンピロウイナーやGⅠトレーナーの柴中から信じられない位の高評価を貰ったのも、その二人が指揮をする学園屈指の強豪チーム『ステラ』に勧誘されたというのも勿論あるが、他の何より一番嬉しかったのは──な事だった。
「──じゃあ改めて聞くぞ、ゼファー。俺達のチームに……」
「はい、是非入らせて下さい。お二人の期待に応えられるよう、全力で頑張ります!!」
力強く、迷いのない返事と宣言と瞳。ゼファー自身の容体やら事情やらが絡んで来たら色々と手こずる事になるのではと懸念していたチーム編入の交渉は、時間にして十分と経たずに終了した。
「決まりだな。これからよろしく頼む……っと、じゃあそろそろ遠藤さんを呼んでくるか。今のお前の責任者兼主治医はあの人だから、書類にも色々とサインをして貰わなくちゃいけないし」
柴中はいそいそとソファーから立ち上がり、早足で廊下の方へと急ぐ。‘トレーナーがウマ娘を勧誘するのはこれ即ち、ある種の告白と同義である!,‘そして、告白とは基本一対一で行なわれる物だ!,という数年前に理事長が定説した訳の分からない伝統がある為か、遠藤はゼファーにある程度の事情を説明し終えると
『廊下でお待ちしておりますので、彼女と話しが付きましたらお呼び下さい』
と言って部屋から立ち去ってしまったのだった。別に校則という訳でもないのだし、律儀に守っているトレーナーも少ないのだが……。彼は随分と真面目な性格をしているようである。
「すみません。終わりまし──うおっ!?」
ドアを開けて廊下へ出ようとした柴中は、思わず除けるようにその身を引いた。何故か。
──院長室の前の廊下。そこで何人ものウマ娘が列を成していたからだ。
その数、ざっと十人以上。それもその殆どがまるでへばり付くように壁へ耳をピトッ──と当てている。……どう見ても盗み聞きだった。寮の入り口から院長室へ案内された時に何人かのウマ娘とすれ違っていたが、そこから話しが広がったようだ。
『ねぇねぇ聞こえる?』とか『んー、やっぱ無理。っていうかボソボソ喋ってる音も聞こえなくなっちゃった』とか『スカウトに来たって話し本当なのかな?』『まさか。あの娘の事だし、またケンカの仲裁でも買って厄介事に巻き込まれたんじゃないの?』『それにゼファーってそんな速く走るイメージな無い……って言うか、
そんな彼女達の後ろで渋い顔をしながら頭を抱えている、苦労顔をした白衣の男が一人……つまりは遠藤である。
「…………」
「君たちねぇ……。気持ちは分かるけどいい加減に──っ!?」
声を上げようとしたタイミングで目が合った。数秒の間、なんとも表現し難い微妙な空気が二人の間に流れる。
「あのぉ……」
「も、申し訳ない。お見苦しいようですが、やはり彼女達はトレーナーがここにいる事が随分と珍しいようでして……。あー、ほらほら君たち! もうすぐ午前のリハビリの時間だろう。早く行かないと遅刻するよ!」
遠藤は柴中に声を掛けられてハッとしたように密集していたウマ娘達に解散を促すが、彼女達は『えー?』と文句を垂れて中々その場を離れようとしない。それどころか院長室から出て来た柴中に興味津々のようで、多種多様な意味が込められた目を向けてくる。
「柴中さん? いったいどうし…………あの、みなさん何してるんです?」
「あ、ゼファーだ」
流石に異変に気付いたのか、ゼファーも院長室から出て来た。柴中同様、密集しているウマ娘達を見て困惑したような表情を浮かべる。そしてそれを見てこの後の展開を察したのか、より渋い顔になったのが遠藤である。
「いや、なんでもない。すぐに行くから柴中さんと一緒に部屋に戻っていなさ──」
「ねぇねぇお姉ちゃん。トレーナーさんから
「え? ああ、ええっと……」
その場に集まったウマ娘の中でも一番幼い子が質問したのを皮切りに、ウマ娘達が一斉にゼファーと柴中の方へと詰め寄ってきた。
「一体何があったんだよ。確かお前昨日は‘編入前の下見,って名目で本校の方に出かけてた筈だろ?」
「その時にそこの……トレーナーさんと何かがあったって事だよね?」
「そういえば昨日寮に帰ってきた時、めっちゃ疲れた顔してたけど何か関係ある?」
「落ち着きなって。そもそもそいつがゼファーをスカウトしに来たのかどうかまだ分かんないじゃん。退寮した後なら百歩譲ってあり得るとして、一応まだ
「それにゼファーって毎日毎日体質治療を兼ねた専用のリハビリトレーニングばっかやってたし、トレーナーを惹くような走りが出来るとは思えないんだけどなぁ……。ここ数ヶ月じゃない? 治療度外視のガチなトレーニングしだしたの」
「でもでも、ゼファーとトレーナーを置いて院長だけ先に部屋から出て来たんだよ? それってつまり────はっ! もしかしたら
「ええい! いい加減にしないか!!」
ワイワイギャーギャーと、病棟を兼ねている施設にしては異常すぎる騒がしさになった廊下に堪忍袋の緒が切れたのか、遠藤の一喝が響く。
「お客様の前ではしたないよ君たち! それと『休養寮では静かに』!! 決まりを守れない娘は病気が治らない娘だっていつも言っているだろう!」
それをもって廊下はシン──と静まりかえった。何名かのウマ娘は『院長の声が一番うるさかったじゃん』と言いたげな表情だったが、遠藤はこれを完全に無視して柴中へ頭を深く下げる。……気のせいか、数分前よりも白髪が増えているような気がした。
「本当に申し訳ない。すぐに彼女達を解散させて向かいますので、どうぞ部屋の中でお待ちください」
「…………」
だが、柴中はこれに反応しない。先ほどから何か考え事をするように静かに俯いている
「……? あの、柴中さん?」
目的は既に達成された。ゼファーの勧誘には成功した。あとは彼女と遠藤に書類へ必要事項を書いて貰うだけだ。それさえ終わればもう休養寮には用など何も────無い訳があるか。
「すみません。今度は遠藤さんと二人でお話したい……もとい、お聞きしたい事とお願いしたい事があるのですが」