ソウル・オブ・ゼファー   作:部屋ノ 隅

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外伝 とある灰被りの少女の祈り 14/15

 

 

自分の前を走る彼女に。……より正確に言えば、彼女が履いているそのシューズに。ある筈のない幻想を見た。

 

──ガラスの靴だ(・・・・・・)

 

無論、時速60キロを超える速さで走る私達ウマ娘がそんな物を履いて走れる訳がないし、仮に走れた所で即大惨事確定である。第一、確かに彼女のそれはガラスの靴に見えなくもないように作られているが、正真正銘ただの(ウマ娘レース専用の)スポーツシューズだ。

 

故にこれは、一瞬だけ時間が止まったように感じたそれと同じ──彼女の気迫が見せたただの幻想に過ぎず、次の瞬間には見えなくなっていてもおかしくない物であり、私以外には見る事も感じ取る事も出来てはいない物なのだろう。当の彼女本人ですら、自覚など無いに違いない。

 

 

けれど──

 

 

『──今、どうやら写真判定の結果が出たようです!』

 

(ああ……。やはり、あなたこそが……)

 

 

彼女を目指して走っていた私の眼には、世界中の誰よりもその靴が似合っている彼女の美しい姿が、永延と焼き付いていたのだ。

 

 

 

 

『勝ったのは20番イソノルーブル! イソノルーブルです!! オークスを制し、見事樫の女王の座を手に入れました!! ハナ差で2着にシスタートウショウ! 3着争いは先行したツヴァイボイスに軍配が上がっています!!』

 

 

 

 

「はぁっ……はあっ……はぁっ……はぁっ……!」

 

息が苦しい。活力なんてもう微塵も残っていない。身体全体が燃焼しているような気さえもした。

 

 

「……かっ、た……?」

 

ターフの上に仰向けで倒れ伏しながら、イソノルーブルはピクリとも動かない身体の首だけをなんとか動かして掲示板の方を見やる。20という数字がⅠの隣に表示されているのを見てようやく「ああうん、勝ったんだ……」という喜びの欠片も無いような感想が、疲れ果てた口から出て来た。

 

 

「…………」

 

疲れ果てているからか、それとも勝った気が微塵もしないからか、彼女はそのままターフの上に倒れ伏し続ける。……とても気持ちが良い、凄く気分が良い。誰に何も言われなければ、このまま一時間ぐらい寝そべっていたいと感じ──

 

 

「当然、そんな事は許されませんよ。シスター・ルーブル」

 

「!!? し、シスターさん!」

 

ガバァッッ──! と先ほどまでの疲労感もどこへやら吹っ飛んで、ルーブルは大急ぎで立ち上がる。あれだけのレースをして尚、シスターの方には凜としたまま佇むだけの余裕があった。

 

 

「お疲れ様です。そして、お見事でした。……私の完敗ですね」

 

シスターの笑顔の中に感じられたのは、勝利したルーブルへの敬意と讃辞。少しばかりの敗北の苦渋と、安堵の表情。普段なら「い、いやいやいやいや!!」と首を横に激しく振っているような台詞だが、今のルーブルにはそれ以上にシスターへ言いたいことがあった。

 

 

「あの! シスターさん。私、私……!」

 

「‘沈黙は金,ですよ、シスター・ルーブル。あなたが何を言いたいかは察しが付いていますが、感謝にせよ謝罪にせよ、今は余計な言葉など不要です。……あなたの知らない所で数々の失礼な行動をしていた事に対して、幾重もの謝罪の言葉を述べなくてはならない私が言えた言葉ではありませんが……」

 

違う。そんな訳がない。もし仮に理屈の上ではそうだったとしても、シスターの行動には慈愛があった。願いと祈りがあった。神々しいとすら思えるほどの清廉さがあった。

 

 

「ああそれと、約束を守らなければなりませんね。何故あなたに拘ったのかですが──」

 

「……いえ、良いです。もういいんです」

 

だって、十分伝わった。シスターの走りと彼女の領域(ゾーン)を通して伝わってきた沢山の想いこそが、ルーブルにシンデレラ()を捨てさせたのだ。

 

 

「私……。シンデレラになるのは、もう止めにします」

 

「──!」

 

それは、彼女の口から出てくるにしてはあまりにも予想外の宣言で、シスターは大きく目を見開いた。どうやら随分と驚かせてしまったようだが……。これは仕方がないだろう?

 

 

「もっともっと……。叶えたい夢が出来たんです」

 

トレーナーの隣に立つに相応しいパートナーに。友達に自慢に思って貰えるような友達に。子供達に憧れられるような大人に。そして、シスタートウショウの宿敵(ライバル)に。

 

それはきっと、シンデレラになるよりもずっと難しくて険しい道だ。終わりなど欠片も見えず、どのような物語になるか予想は付かず、そもそも何から始めれば良いのかすら分からない。──でも、もう決めた。いつか、いつか必ず──

 

 

「私は──みなさんのシンデレラ(夢に相応しい自分)になってみせます!!」

 

大切な人達から知らない内に受け取っていた、それに相応しい自分になりたい。受け取ったそれを無駄にしないような自分になりたい。だからもう、自分だけのシンデレラ()は必要無い。憧れであることはこれからもずっと変わらないが、無理をしてまで叶えるような夢ではなくなった。

 

「そうですか。……そうですか」と、シスターは眼を閉じて二回ほど呟いた。──子供の成長を喜ぶ母親のような、大好きなアイドルが引退を発表した時のファンのような、親友の結婚式を遠くの席から見守る、学生時代の友人のような、そんな微笑みを携えながら。

 

 

「はい! だから──」

 

「ですが、その願いはもう既に叶えられていますよシスター・ルーブル。他ならぬ貴方の手によって」

 

「え? ……わ、わわっ!!」

 

突如として大歓声がレース場に鳴り響く。否、もうずっと前から鳴り響いていたのだが、ルーブルがあまりにも話しに熱中しすぎていて気付いていなかったのだ。「ルーブルー!!」という彼女を呼び称える声があちこちから聞こえてくる。

 

 

「信じてたぞー! お前ならきっと夢を叶えられるって!!」

 

「よくやったなルーブル! やっぱお前が今期一番のウマ娘だ!!」

 

「お姉ちゃーん!! 凄かったよ! 私もいつかお姉ちゃんみたいな、お姫様みたいなウマ娘になるんだ!!」

 

「シスターも良い走りだった! 本当にギリギリの勝負だったな!!」

 

レースの勝者であるルーブルを、彼女と接戦をしたシスターを、今回のレースの参加者達全員を称える声だ。それを聞いてようやっと勝者である事の実感と喜びが湧いてきたのか、ルーブルはこれ以上ないほどに顔を綻ばせる。

 

 

 

「私……私……!」

 

「……ほら、早く行ってきなさい。勝者であるあなたには、ウィナーズサークルでファンのみなさんに感謝の言葉を伝える義務があるのですから」

 

「は、はい!」

 

タタタッ──! と小走りでウィナーズサークル目掛けて走っていくルーブル。さて敗者である自分は静かに、そして早々と地下通路へと行くべきだと考えたシスターに「あの! シスターさん!!」と後方から声が掛かった。声の主は当然ルーブルである。

 

 

「──また走りましょうね!」

 

「……ええ。次は負けませんよ」

 

何時か再びターフの上で相見える事を願って、今期の女王となった二人は一旦別れを告げた。

 

 

 

 

 

「──いやぁ、正しく接戦って奴でしたねぇ。ぶっちゃけ一目だとどっちが勝ったか分からんかったですわ」

 

撮った写真の内容をスライド機能でパパパッと確認しながら、藤井は感想を述べる。直線後半に入ってから驚異的な粘り腰を発揮したイソノルーブルと、それを目掛けて大外から凄まじい勢いで突っ込んで来たシスタートウショウ。ゴール番前で完全に並んだ両者は、コンマ1秒の差も無く共にゴール板を駆け抜けた。結果としてはイソノルーブルのハナ差勝ちだったが、シスタートウショウの方が劣っていたとは欠片も思えない内容のレースだ。

 

 

(互いに意識し会っているウマ娘同士の領域(ゾーン)領域(ゾーン)がぶつかり合ったんだ。白熱した勝負になるのは当然だが、これは……)

 

自分でも邪推だとは思うのだが恐らくそういう事なのだろうと、柴中は二人の間に何が起きていたのかに大体の当たりを付ける。根拠はトレーナーとしてこれまで積み重ねてきたの経験と勘。そして肝心のレースの内容だ(・・・・・・・)

 

 

「柴中はんはどうです? なんか気に掛かった事とかありまっか?」

 

「……一応有るが、お前相手には喋りたくない」

 

「えー!?」と不満げな声を上げる藤井。「そんな殺生なー!」と言われても、こればっかりは「記者」である藤井に「トレーナー」の柴中は教えたくない。

 

 

(『シスタートウショウがあそこまでの力を発揮する事が出来た理由と、今回のレースの敗因は同じ物だろう』──なんて話し、恰好のネタにされるだろうからな)

 

 

「──あ! でもでも、これだけは教えてくれるんよね? ほら‘一周回って逆に落ち着いた,いうてましたやん。あれ何だったんです?」

 

(……覚えられてたか)

 

‘知りたければ後で教えてやる,と確かに言った手前無碍にすることも出来ず、柴中は軽く溜息を付いてから喋り出した。

 

 

「『フロー』もしくは『ピークエクスペリエンス』って知ってるか? 人やウマ娘の感覚が深く鋭く研ぎ澄まされた時に至るって言われてる、超集中、超熱中状態の事だ」

 

「そこまで詳しくはあらへんけど知ってます。一流のアスリートとかプロ棋士とかが物にしとるっちゅーあれの事でっせ? ほんなもん至ったこともない身からしてみれば眉唾もんですけどね」

 

その極限まで到達した状態こそを領域(ゾーン)と一部では呼ぶのだが、ここでそんな話しをすれば執拗に粘着されること間違いなしなので、普通に黙っておく。

 

 

「他にも『感覚』って奴は‘リラックス,‘不安,‘コントロール,‘心配,なんかに幾つも分類された状態があるんだが……。それらを一つの図にして現わした時に、それぞれの状態と対面上に来る相反した状態ってのがあるんだ。不安と対になるのがリラックス──みたいにな」

 

「ほー……。……いや、それとあの時のルーブルはんにどないな関係が?」

 

むしろターフに出て来た時のイソノルーブルは『フロー』とは真逆の──いや待て、真逆だと……?

 

 

「『フロー』と相反する状態っていうのがな『無感動』なんだよ。何にも動じない、何も感じない、何も考えていない。……悪く言えば「ボーッとしてる」ような状態で、良く言えば──「フローに入りやすくなっている」状態だ」

 

「!?」

 

「本人の気質なんかにもよるんだがな」と柴中は言った。

 

 

「……これは半ば妄想が混じった単なる推測なんだが、恐らくレース本番直前にイソノルーブルにとって必死に考えなくてはならない‘何か,があって、あいつはそれを死に物狂いで考えたんだ。ほら、まるで考えすぎて疲れ切ったような顔をしてただろ? で、性根尽きるほど考えた結果「いや分かる訳ねーだろ」的な結論に達したんだ。‘吹っ切れた,って奴さ」

 

藤井は大急ぎであの時撮った写真を探しだして見返す。あの時もそう思ったが、確かに何か燃尽きたかのような表情をしているように思える。

 

 

「一旦そうなれば後は『取りあえずレースに集中しよう』『レースが終わってから考えよう』って自然とそうなる。頭の中にあった余計な事は全部纏めて吹っ飛んでる状態で、スイッチを切り替えてレースに挑めるんだ。上手く嵌まれば早々に『フロー』状態に入れる。精神的な脆さがあって、スタートダッシュが肝心の「逃げ」脚質をしてるイソノルーブルにとっては決して悪くない状態だったのさ」

 

「はー……! ほんならあれでっか? 一見して気勢に欠けてるように見えるウマ娘でも、一概に「ダメそうだな」と判断するべきじゃないっちゅーことなんや」

 

「いや? 人の「感覚」や「直感」ってのはバカにならないから、素人目に見ても「走らなそう」って思った奴は大抵走らないよ。今回のこれはほぼ偶然だろうな」

 

そもそも「無感動」状態から「フロー」状態へと反転させるだけの意思と集中力、そしてそもそもの実力がなければ凡走どころか最下位まっしぐらの大悪手になり得る。少なくともトレーナーがしてやるべき事では無い。確かにメリットは大きいが、その分リスクが高すぎるのだ。

 

だからもし、イソノルーブルをああした(・・・・)人物がいるのならそいつはよっぽどイソノルーブルを潰したかったか、そうでなければ──

 

 

(逆に『必ずフロー状態に入ってくれる』『真の実力を遺憾なく発揮してくれる』って信じていた物好きか……だな)

 

 

「──で、どうだフラワー。お前から見て何か得られる物はあったか?」

 

ジィィイイ……ッ──とレースを最後まで食い入るように見つめていた、特にシスタートウショウが領域(ゾーン)を発揮させてからは更に顕著だったニシノフラワーは、柴中に声を掛けられてようやく我に返ったのか、ハッ! としたような表情でこちらを振り返る。

 

 

「は、はい! やっぱり映像で見るのとこうしてレース場で観戦するのとでは感じられる物にも差があるんだなって、改めて思いました。今回も連れて来てくださって本当にありがとうございます、トレーナーさん!」

 

ペコリ──と可愛らしくも丁寧に頭を下げるフラワー。無論悪い気はしないが、それはトレーナーとして当り前の事だと思っている柴中は「良いって」と軽く受け流す。「今回も?」とフラワーの発言に対してツッコミたくなった藤井だが、色んな意味で危ない気がしたのでそこには触れないでおいた。

 

 

「来年はお前があそこで走ってるんだ。今回こうしてレースを生で観戦したのは、きっと色んな意味でお前の糧になる筈さ」

 

「おー……。相変わらずえらい自信でんなぁ、柴中はん。こういうたらアレなんやけどGⅠレース……。それもクラシック競争に出走できるんは中央でも早々にその才能を開花させた、上澄みの上澄みに位置する超エリートウマ娘だけでっせ?」

 

中央に合格するだけで一目置かれるだけの存在なのに重賞……その中でもGⅠレースに何の障害もなく出走する事が出来るウマ娘は、本当に一握りだ。抽選枠ですら、一定以上の実力があるとURAに判断されないと選ばれることはない。故に、そこで勝利した者こそが、ウマ娘レースの歴史に名を刻むに相応しい存在だという何よりの証明になる。

 

 

「いやぶっちゃけボクもフラワーはんは何の問題もなくGⅠレースへ出走できるようになる思うてはりますけどね? なんちゅーか柴中はんの言い方だと……」

 

まるで勝つこと前提で喋っているような──

 

 

「そりゃあ勝つからな」

 

「へ?」

 

「だからフラワーは勝つ。GⅠ……それも一回じゃなくて複数回だ」

 

欠片の疑いもなく、少しの淀みもなく、かといって狂真のそれとは違う確固たる自信を持って、柴中は堂々と宣言した。当のフラワーですら、目を見開いて驚いたような顔をしている。

 

 

「ウイナーが認めたチームメンバー(仲間)で、GⅠトレーナーの俺が育成を担当している、天才美少女ウマ娘なんだ。……当然だろ?」

 

溢れんばかりのそれらを携えて、ニヒルな笑顔を浮かべながら柴中は告げる。「おー……!」と藤井は面白そうに顔を歪ませ、フラワーは‘美少女,という言葉が引っかかったのか、顔をリンゴのように紅くしていた。

 

 

「これからトゥインクルシリーズの短距離路線は面白くなるぞ。ウイナーが強引に切り開いた道を、後輩達が次々に整備していくんだからな」

 

既にGⅠを勝利しているダイイチルビーに、今年の秋にデビュー予定のニシノフラワーとシンコウラブリィ。デビューはまだ先だが、いつか‘閃光乙女,の名にふさわしい活躍をするであろうカレンチャンに、人気者になること間違いなしのヒシアケボノ。現在海外へ遠征、向こうに長期滞在している怪物たち。そして休養寮からやって来た期待の新人、ヤマニンゼファー。

 

彼女達の華々しい活躍と、それに沸き立つ世界を確信して、柴中は藤井にこう言った。

 

 

「だから出遅れたくなかったら、今の内にトレセン学園とチームステラに正式な取材の申し込みをしときな。分かってると思うけど、レースも取材も何事も、スタートダッシュが肝心だぞ」

 

 

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