「ふぅ……」
てくてくと自分に用意された楽屋への道を歩きながら、シスタートウショウは疲れたように溜息を付いた。少しばかりスタッフへ色々と確認を取っていただけのつもりだったが、予想以上に遅くなってしまったように感じる。……レースの疲労が、今になってゆっくりと襲いかかってきていた。
(敗け……ましたね)
ゆっくりと眼を閉じて今回のレースの一部始終を回想しながら、シスタートウショウは反省点並びに敗因を探す。──答えは、すぐに見つかった。否、そんな物は
その選択に一切の後悔は無いとはいえ、理性が明確に「そうだ」と言っている以上、認めない訳にはいかない。
自分の敗因──それは間違いなく‘イソノルーブルに執着したこと,その物だろう。
(『兎は亀を見ていた。しかし亀はゴールだけを見ていた』……ですか)
かのメジロ家の総帥が、大勝負をするメジロ家のウマ娘に対して告げていると言われている口伝だ。要は『競い合う相手に目を奪われ、肝心の目的を見失ってはいけませんよ』という忠告である。今回のレースで、それはそのままの形で自分の前へと具現化した。
追い込みをかけながら内へと切り込んだ最後の直線──あれは斜行のリスクや距離的なロス、その他様々な要素から考えても内へと切り込みなどせず、そのまま真っ直ぐ直進するべきだったのだ。それ以前のコース取りも同様である。あまりにイソノルーブルを意識するがあまり後方待機策に拘って余裕を持ちすぎていたし、少々大外を走りすぎてしまっていた。
『拘るべきを間違えた』──簡単に言ってしまえばそれまでだが、シスター自身は今回の判断に一切の後悔は無い。
ルーブルがいたから、彼女を目標として走ったからこそ、自分は
しかし、それとは別としてファンの想いに報いることが出来なかったのも、他の出走ウマ娘達に対して失礼な面持ちであったのもまた事実。自分の至らなさに珍しく不甲斐ないという気持ちになりながら、シスタートウショウは楽屋のドアノブを捻り──
「あ、シスターちゃんおかえりー! レース、メッチャクチャ美味しかったね!!」
「……………………」
思わず真顔で「パタン」とそのままドアを閉める。何か頭の痛くなるような幻覚が見えたような気がしたのだが、余程疲れているのだろうか。こめかみを親指と人差し指で抓み、グニグニと揉んで軽く眼のマッサージをしてからもう一度ドアを開けてみた。
「あ、シスターちゃんおかえりー! レース、メッチャクチャ美味しかったね!!」
楽屋のテーブルに座りながら、先ほどと一文字一句違わない言葉を投げかけてくるヌエボトウショウがいた。しかもなにやらケーキのような物を口に頬張っていて、如何にもご満悦といった表情である。「そこはちゃんと‘惜しかったね,って言えよ」と言ってやりたい気持ちを堪える為に一度大きく深呼吸をしてから楽屋へと入り、シスターは状況把握に努める。
「……何をしているんですか、シスター・ヌエボ」
「ケーキ食べてるの! シスターちゃんも食べない? 美味しいんだよこれ!! ファミウマ限定発売のプレミアムりんごロール!」
ケーキの載った皿をこちらへと差し出しながら、ニコニコと屈託の無い笑顔で聞いて来るヌエボトウショウ。いつもなら「そういう事を聞いてるんじゃあない!」とばかりに痛烈なツッコミ(物理)が発生している所だが、今日ばかりはそんな気も湧いてこなかった。仕方がないので努めて手早く得たい情報──「何故ここに居るのか」「何で楽屋に侵入出来たのか」の二つを得るためにシスターが更なる言葉を紡ごうとした瞬間、楽屋のドアが開いて外から神父服を着た中年の男性が部屋の中へと入ってきた。
「はーいヌエボちゃん! 追加で買ってきた野菜チップスとアセロラジュースだよ~! いっしょに食、べ…………」
「……………………」
「……やぁお帰り、シスター。このレースで君の願いは叶えられたかな──ブベェルヂ!」
罵倒も忠告も警告も無かった。無駄なイケメンボイスで場を繕おうとしたその男と一瞬で距離を詰めたシスターの容赦無い張り手が顔面へと炸裂し、文字通り男を床へと張り倒す。その眼はまるで、救いようのないゴミか何かを見るようなそれをしていた。
「おいコラなに人の友人を勝手に拉致監禁してんだ生臭神父」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってくれマイシスター! 言い方、言い方! 周囲に多大な誤解を与えかねないし、君はシスター!
「ええ。ですから一シスターとして神もとい女性の敵である貴方を滅殺しようと動いた訳です。なんの矛盾もありませんね?」
「失敬な! 私は万が一神の敵になっても女性の敵にはならないさ!! このささやかな無精髭だって割かし女性受けが良いからワザと剃って──ブゴフォッ!」
ドゴビシバキドカ! ──という昔の漫画にあったような表現が似合いそうな音が楽屋内に炸裂する。割と当事者である筈のヌエボトウショウは「シスターちゃんのトレーナーって、良い人だけど変な人だよねー」と暢気にその様子を眺めていた。数分ほどそんな様が続き、暴れて罵倒して多少はスッキリしたのかハァハァと肩で息をしながら、シスタートウショウは床に正座させた神父へ質疑応答を開始した。
「……要するにシスター・ヌエボが楽屋を訪ねてきたので快く迎え入れただけと? で、なんのお持てなしもしないのもあれだから彼女に好きな物を聞いて、それを場内のコンビニで買ってきたという事ですか?」
「そうだよ! 私はあくまで善意で彼女を持てなしていただけだ!! 下心なんてこれっぽっちも──」
「うん! 『ヌエボちゃんは本当に可愛いね~』って褒めてくれたし、お菓子も沢山くれたよ!! 良いなーシスターちゃん、こんなに甘えさせてくれる人がトレーナーで……」
「ヌエボちゃん言い方! いや事実ではあるんだけど言い方! それとお願いだから空気読んで!! お兄さんシスターの眼力で○されちゃうから!!」
「……………………うわぁ」
ゴミを見るような眼再びである。やはりこの生臭神父、今ここで滅した方が世のため人の為ではなかろうか。なまじ神父としての心得と在り方、そしてウマ娘トレーナーとしての実力も本物で、女性にモテる理由も分からないでもない所がある分、より一層質が悪い存在である。
「‘今日のトレーニングはここまでで良いよ、友達の応援に行っておいで,──って、私のトレーナーが言ってくれたんだ」
ポリポリと野菜チップスを囓りながら、ヌエボトウショウはそう言った。まぁ大体そんな所だろうと当たりを付けていたため驚くような事は無かったが、まさか本当に東京レース場にまでやって来るとは。
「レースを観るだけならテレビやネットの中継でも十分でしょうに……」
「ううん、レースを観に来たんじゃないよ。ルーブルちゃんとシスターちゃんの応援に来たの」
それが極当然の事であるかの様にヌエボは言う。現役のトゥインクルシリーズ出走者としては、わざわざレース場にまで足を運ぶならむしろ
「ルーブルちゃん凄かったなぁ……。なんだったっけ‘結婚一筋,って奴? 「全てを賭けて」って感じで、こう──ゴウワッ! ってなってた!!」
「それを言うなら‘
イソノルーブルは‘シンデレラになるのは止めた,と言っていた。……今まで己を培ってきた夢との離別。それまでの自分を投げ捨てるほどの凄まじき覚悟。その決意を持って、彼女は己の限界を超えた
「頑張った甲斐があったよねー。ルーブルちゃんが絶好調になってくれて本当に良かった!」
それについては大きく同意する。おかげでシスターも、幾つかある願いの一つを叶えることが出来たのだから。
自分が持ち得ない天然の
「でもでも! シスターちゃんも凄かったよ! 最後の最後に「ドッカーン!」って大捲りだったもんね! なんだかこう……。‘これぞシスターちゃんのレース!,って感じ!!」
「……ああ、そうだね。実にシスターらしい、良いレースだった。彼女のトレーナーとして、とても誇らしく思うよ」
「本心からそう言って下さっているのは分かりますしありがたいですが、結局の所は彼女にハナ差及ばず2着です。勝利したシスター・ルーブルが心も実力も素晴らしいウマ娘である事は疑いようもありませんが、それはそれとして私自身への反省点も多いレースでした」
彼女を追跡するように走った事そのものに一切の後悔は無いが、それはそれとして反省は大いにする。執着するにしてももう少しやりようという奴があっただろうし、少々視野が狭くなってしまっていたのも間違いない。今回は色々と上手く行ったが、次のレースも今回の様になってくれる訳が無いのだ。
「なぁに、それに関しては後で私と一緒にやっていけば良いさ。その為のトレーナーだ」
「そうそう! だから今は──」
トゥルルルルルルルル──! と、突如として楽屋に備え付けられている内線電話が鳴り響いた。当然、トレーナーである神父が即座に対応する。
「はい。こちらシスタートウショウのトレーナーの……。はい、ええ……。分かりました、すぐに向かわせます。ご連絡、どうもありがとうございます」
お菓子とジュースを買って楽屋に戻ってきた時とは別人のような礼儀正しい態度で、神父は時間にして二十秒ほどの通話を終わらせると、シスターの方を向く。
「少々予定が前後して、ウイニングライブのリハーサルを早めに行ないたいから集合してくれって話しだそうだ」
「分かりました。身支度が整い終わり次第、リハーサル室へ向かいましょう」
神父の言葉にすぐに椅子から立ち上がり、テキパキと身支度を調えていくシスター。「疲労は大丈夫かい?」という質問には「なんとかならないとでも?」と強気に返しておいた。
「えー! シスターちゃんもう行っちゃうのー?」
「もうもなにもありません。それを拒否出来るだけの正当な理由がない限り、レースを開催して頂いている身である私達ウマ娘の方が先方……URAや協賛して頂いている方々の都合に合わせるべきです」
ぶーぶーと口を3の字にして文句を垂れるヌエボを軽くあしらいながら、服の皺を正したり小物が入ったポーチをロッカーから取り出したりと、シスターはものの数十秒で準備を終える。
「それでは行って参ります。シスター・ヌエボ、ウイニングライブは──」
「当然見に行くよ! レースと同じぐらい、みんな楽しみにしてる所だもんね!!」
ニコニコと、本当に楽しみにしているのだという事が見て取れる表情だった。「お好きにどうぞ」とだけ言って楽屋を出ようとしたシスターは、ドアノブに手を掛けたタイミングでふと思い至って後ろを振り返る。
「ああ、そう言えば前々から疑問に思っていたのですが──シスター・ヌエボ」
「んー? なぁに?」
「あなたはどうして‘私,について回るのですか?」
迷惑だとか小五月蠅いだとかそういう話しではなく、何故ヌエボトウショウは自分に懐いているのかがどうにも分からなかった。シスタートウショウ自身自覚がある事だが、彼女の性格はお世辞にも万人受けするとは言い難い。規律や倫理について一々五月蠅いし、‘祈り,を初めとした宗教的都合上、周囲のウマ娘達と趣味趣向や時間的都合が合わないことも少なくなかったりする。近寄りにくい雰囲気を出しているとも思う。そんな自分に何故、人受けする性格と雰囲気をしていて、ファンも友達も多いヌエボトウショウが懐くのか──
「え? だってシスターちゃんって、強くて優しい素敵な娘じゃない」
まるで予想していなかった理由を当然の様に言ってきて、シスターは一瞬完全に固まった。「そんな娘と友達になりたい、仲良くなりたいって思うのは当然の事じゃないかなぁ?」と、ヌエボトウショウは困惑したように首を捻る。
「……本気で言ってますか、それは」
‘強い,という部分はまぁ分かる。これでも入学当初からトゥインクルシリーズでの活躍を期待されていた身だ。授業や実技トレーニング、模擬レースなどでも好成績を残しているし、同期達の中ではトップレベルの力を持っているという自負はある。しかし‘優しい,‘素敵,となると今一ピンと来なかった。百歩譲って(自分で言うのは本当にあれなのだが)見た目や行動から‘素敵,という評価をされるのは納得出来ない事も無いが、果たして自分は‘優しい,のだろうか。彼女にそう言われるだけのことをした覚えは──
「いっつも勉強を見てくれるし、色んな事に注意や警告をしてくれるし、デザートを譲ってくれたりもするし……」
「それはあなたが放っておけないような危なっかしい性格をしているからで、デザートの件は私が一定以上の嗜好品の摂取を節制しているからです。あくまで廃棄されるのが勿体ないからで──」
「あとあと、いっつも三女神様達に祈ってくれてるよね!‘みんなが幸せでありますように,‘たゆまぬ努力が報われ、改心した罪人が救われ、優しい夢が叶う様な世界になりますように,‘みんなが怪我や故障をしませんように,って!!」
「………………………………………………」
「楽屋に来るのが遅かったのも、レース中に故障しちゃった娘の事が気になっちゃったからでしょ?」
目を大きく見開く。今度は一瞬ではなく、たっぷり数秒ほど固まった。「シスターちゃん?」という心配するような声を掛けられて、ようやく口がまともに動くようになる。
「知って、いたのですか……?」
「んー、なんとなく? シスターちゃんが修道女兼ウマ娘として三女神様に祈るならその三つかなーって。あと、やっぱりシスターちゃんは優しいから」
彼女は毎日毎日祈っている。朝晩は自室のベッドの上で。お昼休みと大きなレースがある時は三女神像の前で。
「それにシスターちゃん、前に言ってたでしょ?」
『例えそれが絵空事の理想論でも、決して叶わないような
「…………」
「だったらシスターちゃんはきっと、みんなの為に理想の中の理想。
シスタートウショウがイソノルーブルという一人のウマ娘をずっと見ていたように、彼女もまたヌエボトウショウにシッカリと見られていた。そこまで見抜かれているのかと唖然とするシスタートウショウに対し、ニシシ! と自慢げにヌエボは笑う。何故そこまで嬉しそうなのかシスターには分らなかった事だが、ヌエボの心は『友達のことはちゃーんと知ってるよ!』という、誇りにも似た感覚に満ちていた。こんなにも素敵なウマ娘と私は友達なのだと、幸せを噛みしめるように。
「だからね、シスターちゃん」
何かを宣告するかのように、ヌエボトウショウは改めて口を開いた。
「私、そんな強くて優しいシスターちゃんとレースで競い合いたい、勝ちたいって思ってるんだ」
「…………」
「──私、絶対負けないからね!!」
あまりにも堂々とした宣戦布告。そうなる未来への希望に満ちた瞳。実に彼女らしい活き活きとした笑顔で、ヌエボトウショウはシスタートウショウへ『いつか戦おう』と告げた。シスターのトレーナーである神父は、何も言わずにただ微笑みながら二人のやり取りを見ていた。──そして
「──いつでもどうぞ。勝つのは私ですが」
溢れんばかりの自信と、少しばかりの喜びが見える表情でそう言うと、シスターは改めて楽屋を出てリハーサル室へと向かっていった。
──祈る。私は祈る。
いつか世界中の人々が、見ただけで幸せになるような素晴らしいレースが出来るように。
世界中の隣人達と、真の意味でいつでも助け合うことが出来るように。
努力が報われ、罪が許され、悲劇が起こらない。そんな優しい世界が実現するように。
‘そんな物はただの
──私は、祈るのだ。