『さぁ始まりました東京レース場、本日のメインレースは第10競争──春のマイル王決定戦、GⅠ 安田記念!!』
「「「ワァアアアアアアアアアアアアアアア!!」」」
『芝コースの1600M! 16人で争われます!! 天候はあいにくの曇り空ですが、幸いバ場の状態は良! 名勝負になる舞台が整いました!!』
「うっお……。流石はGⅠレース……やっぱ観客の気迫も違うなぁ……」
選手のパドック入場を告げるアナウンスに呼応して観客達のテンションが大きく上がった事に少しだけ驚き、彼女──‘ナイスネイチャ,は耳の先端をピクン! と跳ねさせた。柴中とゼファーのいたそことは違い、一般にも開放されているスタンド席の一つだ。横に居た彼女のトレーナー──‘南坂,が「大丈夫ですか?」と声を掛ける。
「ん、全然大丈夫だいじょうぶ。こう言っちゃなんだけど、この程度で一々驚いてたらターフの上になんか立ってられませんよってね」
「申し訳ありません。関係者専用席を用意出来るほどの権限が僕にあれば良かったのですが……」
「だからそういうのは言いっこなし。それに、スタンド席はスタンド席で迫力あるレースを間近で見られるっていう特権が──「ねぇねぇネイチャ! このシュークリーム、細長い形してるのにザクザクしててとっても美味しいぞ! 一口食べる!?」ターボさんや? あなたいつの間にそんなもの買ってきやがったんですか?」
口周りにクリームとシュー生地のカスをベットリ付けながら、そのとても小さなウマ娘──‘ツインターボ,は食べかけのシュークリームを自慢するようにナイスネイチャに見せた。ナイスネイチャと同じチーム‘カノープス,のメンバーだ。とても美味しかったという事が一目で分かる笑顔で、それ自体はとても微笑ましいのだが『なに一人で勝手におやつ買って食ってんだ、こっちは昼食すらまだなんだぞ』というネチャネチャした気持ちが僅かながらに心の奥底から湧き出てくる。
「あんたさっき『ちょっとトイレ行ってくる!』って席を外した筈だよね? っていうかお金は? お財布が入ったポーチは盗難防止にトレーナーへ預けてた筈じゃあ……」
「なんかね? トイレに行った後でとてもお洒落で美味しそうなシュークリームとソフトクリームのお店を見つけてね? 思わずジーッ……って商品ケースを見てたんだけど──
『ほら、喰いたきゃ奢ってやるからケースに張り付くのは止めな。ただでさえ中央のウマ娘は奇行で有名な部分があるんだから、こういう往来の場でそういう真似されたら困るんだよ』
──って知らないトレーナーが奢ってくれた!!」
「こんのおバカ!」
スパァン──! と色んな感情が込められたネイチャ渾身のツッコミ(チョップ)がターボの頭目掛けて炸裂する。‘商品ケースに張り付くとか普通に迷惑行為だから止めろ,とか‘そもそも見知らぬ人に食べ物を奢って貰ったりするな,とか‘あんたの危機管理能力一体どうなってんの,とか言ってやりたいことは色々あったが、そういうのを言葉にするよりも先に手が出ていたのだ。
「うう……痛ったぁ……!」
「あのねぇ! いくらその人が中央のトレーナーだからって完全に良い人とは限らないし、仮に聖人みたいな人だったとしても見ず知らずの人にたかるような真似をしちゃダメだっつーの! 相手の方から言ってきたとしても同じです!! 小学生以下ですかあんたの危機管理能力は!!」
「はぁい……ごめんなさい、お母さん」
「誰がお母さんか!!」
もう一度ツッコミ(物理)を入れてやろうかとも思ったが、これ以上大声を出して騒ぎを起こすと大事になりかねないので、以前タマモクロスになし崩し的に教わったツッコミ(漫才)で衝動を抑えるナイスネイチャ。当然だが彼女はまだ成人していない学生の身分であり、現時点で誰かの母になった覚えなど欠片も無かった。
「あ、あはは……。あとで個人的にターボさんに親切にして下さった方が誰なのか調べてみます。判明次第ちゃんとしたお礼を──」
「で、でも! 知らないけど知ってる人ではあったもん!!」
「はい?」
言っている事の意味が分からなくて、ナイスネイチャは顔を怪訝なそれに歪ませる。ツインターボはスカートのポケットに手を突っ込んで、クシャクシャになった紙のような物を二枚ほど取り出した。
「『これ、レシートと言づて。あとで南坂の奴に渡しといてくれ』って言ってた!」
そこまで聞いてようやく「ああ、ターボ『は』知らない人だったけど、そのトレーナー『は』ターボを知ってたって意味か」と理解することが出来た。加えて南坂の事まで知っていて、顔見知りっぽいような事まで言っていたと来れば、どうやら本当に中央のトレーナー仲間だった可能性が高い。
ターボから手渡された二枚の紙を受け取って中身を見てみる南坂。一枚はターボが食べていたであろうシュークリームの値段が記されているレシート。そしてもう一枚が……。
(『雑用一回分よろしく。by柴中』──ですか)
いかにも‘らしい,言づてで、ちょっとだけ笑ってしまった。自分のチームに所属しているウマ娘が出走するからして、多分来ているだろうなとは思っていたが……。なんともまぁ、色々と気に掛けてくれる人じゃないか。この‘雑用,というのも恐らく──
「どうしたの? 急に笑ったりして」
「ああいえ。ターボさんは良縁に恵まれているな、と思いまして」
「? ……よく分からないけど、ターボ今褒められたの?」
「いや間違っても褒められてないから。仮に褒められたとすればアンタを助けてくれたそのトレーナーさんの方だから」
ぶんぶんと手を横に振って否定するネイチャ。取りあえず厄介な事になっていないのを改めて把握した彼女は、もう一度簡単なお説教を始めようとして──
「「「ワァアアアアアアアアアアアアアアア!!」」」
「うおっと!?」
再び起こった観客の沸き立つような声に、やはり少しだけ驚いた。
『さぁ! 今パドックに姿を現わしました! 本日の1番人気!! 去年のスプリンターズステークスの勝者であり、同年の最優秀スプリンターウマ娘! ──‘バンブーメモリー,!!』
「──うっす!」
‘体育会系風紀委員,──そんな概念をそのまま擬人化させたような勝負服を身に纏い、彼女はそこへと姿を現わした。たったそれだけで、観客(特に女性)が沸いたのである。
『あの芦毛の怪物、オグリキャップと壮絶な名勝負を繰り広げた一昨年のマイルチャンピオンシップの事はきっと、みなさまの記憶にも新しいかと思われます! ‘永世三強,に比肩する数少ない名ウマ娘──という評価は決して伊達ではありません!』
あちこちから「メモリー!」「こっち見てー!」「私に生活指導してー!!」だのといった黄色い声が飛んでくるがメモリーはそれらを半ば無視し、一歩大きく前に出て軽く深呼吸をすると──
「よろしくお願いします!!」
腹の底から大きな声でそう言って、スタンド席へ向かって頭を下げた。──シン、とレース場が一瞬だけ静まりかえり、直後に再び歓声が沸く。その愚直までの勝負に対する堂々とした姿勢と、応援してくれる
(……ヤエノもチヨもショットも、クリークもイナリもそしてオグリも。トゥインクルシリーズは引退しちまって、今となっちゃあアタシらの世代でまだトゥインクルシリーズを走ってる奴の方が少ないっすけど……)
まだだ、まだ自分はここで走れる。自分だけじゃない。すぐにだってGⅠを勝てそうな歴戦の猛者が、何人も控えている。
(あたしは、まだここにいる。……ちゃんとここにいるっすよ!)
再び堂々と、胸を張るようなポーズでメモリーはしっかり前を向いた。すでに新たな舞台へ足を進めた彼女達。脳裏に焼き付いた
(そう簡単に‘世代交代,なんてもんはさせてやんねぇっすよ──後輩!!)
「はえぇ……。あれがバンブーメモリー先輩かぁ……」
これだけ離れていても伝わってくる闘志に、ナイスネイチャは感嘆の溜息を漏らした。既にシニア三年目になるだけあって、貫禄が半端ではない。流石は‘怪物世代,においてGⅠを2つももぎ取った猛者ウマ娘なだけはある。ネイチャが目指している‘キラキラウマ娘,とは方向性こそ違うが、その走りや信念は大いに今後の参考になること間違いなしだろう。
「主戦をダートから芝へ。脚質を逃げから差しへと変えた、少し珍しい経歴を持つ方でもありますね。赤井さんもおっしゃっていましたが、一昨年のマイルチャンピオンシップではオグリキャップさんと大激闘を繰り広げています」
完璧としか言いようがない走りと仕掛けで、オグリキャップ以外のウマ娘達を完封したかのレース。本来であれば第四コーナーを回った時点でバンブーメモリーの勝ちはほぼ確定的だったし、実際にレースを観ていた誰もがそうだと疑わなかった。──残り200mを切ってからのオグリキャップが、信じられないような末脚を発揮しなければ。
結果はハナ差で敗れて2着。オグリキャップがあまりにも怪物過ぎると人々に言わしめたレースであり、皮肉なことに『あのオグリキャップが、全身全霊を尽くさなければ勝てなかった』という理由で、バンブーメモリーの名声をこれ以上なく高めたレースとなった。
「短距離とマイルにおいては現役ナンバーワンと言っても過言では無いでしょう」
「短距離とマイルかぁ……」
短距離は脚質的にほぼ無理だが、マイルだったらなんとか……。と頭の中で何かを模索しようとしている自分に気がついて「いやいやいやいや!」と首を勢いよく横に振った。一体なにを考えようとしてたんだ私は。そんなナイスネイチャを見て南坂は何かを察したのか柔らかく微笑み、ツインターボは何も分からなかったのか「?」と呆けた表情を浮かべている。
「ええ。なので今日はバンブーさんを含め、短距離路線のGⅠ級ウマ娘達の走りをジックリと観察させて貰いましょう。いずれお二人も、この距離のGⅠレースに出走する事があるかもしれませんしね」
「GⅠレースかぁ……出られる、ようになるのかなぁ? 今のままじゃあ今年の菊花賞にも出走できるかどうか怪しいんですよ、ネイチャさんは」
「なる! 安心しろネイチャ、なんてったってターボが付いてるからな!!」
「ふんす!」と、ツインターボは自信満々に胸を張った。どういうロジックなのか全く分からないが、彼女はナイスネイチャがGⅠ級のウマ娘に成長することを欠片も疑っていないようだ。その態度があまりにも堂々としていたからか、ナイスネイチャは思わず「ふふっ」と笑ってしまう。
「はいはい、どうもありがとうございまーす」
「おう! ……っていうか、ターボもGⅠ出たい! 出るもん!!」
「ええ、いずれ必ず。ですがまずネイチャさんは怪我を治し、ターボさんはレースに出て実績を積まなければいけません」
一歩ずつ着実に、正確に、それでいて彼女達らしく走り続けられるように。南坂は彼女達の願いを聞き届け、道を示し続ける。彼もまたツインターボ同様、彼女達がいずれGⅠレースに出走できるようになる事を欠片も疑ってはいなかった。