「えっと……」
柴中の指示に従いファミウマ──コンビニ前の駐車場までやって来たゼファーは、キョロキョロと辺りを見渡して周囲に誰かいないかを確認する。指定された‘休養寮近くのファミウマ’……他に候補が無いしここで間違いないと思うが、一目見て「‘アイツ’ってこの人か」と分かる人物は誰もいなかった。
柴中の言い方的に、彼の代理となる‘誰か,がここに来ているとみて良い筈なのだが……もしかして中にいるのだろうか。ここですれ違いになる事も無いだろうし、少し覗いてみよう。
──そう考えたゼファーが、ファミウマ入り口のドアノブに手を伸ばした時だった。
グイイッ──と店側の方から扉が開き、独特の機械音と共に中から一人のウマ娘が姿を現す。
「遅かったな」
知っている顔だった。有名な人だった。昨日、柴中と共に自分のトレーニングを見てくれたウマ娘だった。
「う、ウイナーさん!?」
それは、見紛う事なき‘マイルの皇帝’だった。彼女は学園から支給されている物とは違う黒いスポーツバッグを肩から提げ、同じく学園から支給されている物とは違う蒼と黒のジャージを身に纏っている。突如として現われた皇帝に驚いて戸惑うゼファーをよそに、ウイナーは何も言わずスタスタとコンビニから離れていってしまう。
「ちょちょ、ちょっと待って下さい! あのっ! 私、柴中さんから──」
「仔細は聞いているのだろう? 本来であれば我が国で新たな臣下の参入を祝う宴を一番に開くところだが、生憎貴様はまだ正式には我が臣下ではない。……奴の立案した計画に乗るかはまだ定かではないが、それは近日……勝利の凱旋と共に盛大に行なう事とする。今は鍛錬の時だ」
「は、はぁ……?」
慌てて追うゼファーだが、半ば一方的に喋るウイナーの話しを聞いて余計に混乱してしまった。柴中の行っていた‘アイツ’とはほぼ間違いなくウイナーの事なんだろうし、こうして無事に合流することも出来たのだが、それ以外の何もかもが分からない。取りあえずウイナーに付いていけば良いんだろうし、なんとなく『歓迎会はまた今度してやる』的な事を言っているのも分かるのだが……。
「──おい待て。まさかとは思うが、貴様柴中から何も聞いていないのか……?」
話しを聞いてポカンとした表情を浮かべるゼファーにようやく違和感を感じ取ったのか、ウイナーは一旦歩みを止めると、怪訝な目でゼファーを見てきた。
「あ、えっと……はい……。『これからトレーニングをする』って事と『アイツがいる筈だから、準備をしてファミウマに行ってくれ』って事は聞いたんですけど……」
「……ほう?」
「で、でも! 柴中さんは悪くないんです! ちょっと予想外の事が起きて詳細を伝えられなかったというか、人に優しくしようとした結果というか、私としてもお礼を言いたいぐらいで!!」
ギロリ──と威圧感まるだしの凄い目で休養寮の方を睨み付けたウイナーをなだめすかすようにゼファーは柴中の事を弁護する。実際仔細は何も聞けなかった訳だが、肝心の部分は全部伝えてくれていたし、恐らくではあるがウイナーの方には詳細を伝えた上で色々と話を付けてくれている筈だ。でなければ『トレーニング内容は全部あいつに任せてある』なんて言葉は出てこないだろうし。「……はぁ」とウイナーは軽く溜息をついて
「休養寮のウマ娘達に助言の一つもしようとして集られたか?」
「……ええっと」
「図星か」
ゼファーの反応を見て大方の事情を察したのか、ウイナーは「ならば赦そう」とぼやく様に言った。
「良いんですか?」
「構わん。その辺の凡夫とどんなに格が違かろうが、奴はトレーナーだ。そして本来その役割に担当、チーム、それ以外のウマ娘などといった垣根など無い」
トレーナーとは、ウマ娘レースに出走するウマ娘に夢を託し、誰よりも信を置き、その身と魂を捧げて彼女達を輝かせる者の事を言う。そしてそれは、自分の担当ウマ娘や担当するチームのウマ娘だけに限らずとも良い。程度や信の置き方に差はあれど、自分の担当でなくとも、他のチームに所属していたとしても、助言をしたりトレーニングを見てはいけないというルールは無いし、あってはならない。──少なくとも、ウイナーはそう考えている。
「トレーナーとしての責務に殉じようとした結果なのだろう? ならば取りあえずは良しとする。……『助言する前にこうなる事を予測出来んのか』と嫌味は言うがな。……あとで花姫に手土産付きで謝罪に行かせてやる」
「ふん」と鼻を鳴らした後、視線を休養寮の方からゼファーの方へと移す。──直後
「──ッ!?」
「これからトレーニングをするという事だけは把握しているのだったな? 付いてこい。そして──」
ニヤリ──と。ウイナーの瞳が、面白そうな玩具を前にした純粋な子供のような、どこまでも楽しさを追求する無垢な悪魔のような瞳へと変わった。
──ゾクッとする気配が風に乗って伝わってくるようなこの感じに、ゼファーは覚えがあった。‘
「──喜べ。貴様が今まで経験した事が無い過酷なトレーニングをさせてやる」
「……望むところです!!」
「ぜぇ……ぜぇ……」
両膝に手をついて荒く息をする柴中に、複数人のウマ娘(子供)がタタタッと駆け寄ってくる。
──柴中の事が心配だからではない。
「すごーい! 本当に楽にコーナーを曲がれるようになったよ! 前よりも疲れなくなった!!」
「わ、私! 私も! 右腕が全然動かないのに、言われた通りにしただけで1秒もタイムが縮んだの!! こんなの初めてだよ!」
「トレーナーさん! 次ぎはあたし!! 次はあたしね!!」
ギャーギャーと小うるさく騒ぎ立てるのも、柴中へハエのように集るのも、ただ単に嬉しくて嬉しくてテンションが上がっているだけである。──自分の望みを意図も容易く叶えた大人を過剰に慕い、頼る。……この年頃の子供にはよくある話しだ。近くで見物兼見張りをしていた清瀬は柴中から「大丈夫です」と念押しされたからか、最初のように子供達へ一々注意をしなくなっていた。……というか、先ほどから何も──
「ねーねー! トレーナーさんってばー!」
「分かってる。ちゃんと約束通り全員見るよ──けど」
「分かってるって! ちゃんと約束通りリハビリを優先するし、お医者さんや先生達の言う事もちゃんと聞くから!!」
柴中がもう何度目かも分からない‘確認,をしようとしたら、全部言い終わる前に一番元気の良い娘に割り込まれた。「ホントかー?」という半ばからかう様な言い方に「ホントホント!」と必死なのに軽い感じの返事が返ってくる。
「んじゃ、続けるけど──一番最初に言った通り、これはあくまで今の君達のカルテとリハビリ兼トレーニングメニューを今日初めて見た、医者でもなんでもないただのトレーナーがするちょっとした‘アドバイス’に過ぎない。俺の言う事を守っていれば速くなれるとか強くなれるとかそういう……いや、それ以前の問題か。そもそもの話、君達の身体が‘治る’のを阻害する走り方をアドバイスしている可能性だって捨てきれないんだ」
少しばかり脅す様な口調で最初に言った事を繰り返す。特に、最後の方は念入りに。なんども同じ事を注意をされたくなどないだろうが、これだけは耳にタコが出来るぐらい聞かせるつもりだった。休養寮──異常な体質や原因不明の奇病でレースに出る事が難しいウマ娘が所属している、病院の役割を兼ねた総合施設。その初等部に特別所属しているまだ子供のウマ娘とあれば、一トレーナーとして当然である。
「だから、今日俺の言う事を聞いて速くなれたからっていい気にならない事。リハビリメニューやトレーニングメニューは基本的にお医者さん達の提案した物だけをやって、もし個人的に量を増やしたり内容を変えたりしたいなら自分一人で判断せずにちゃんと相談する事。今お前達が一番優先するべきなのは‘身体を治す事’だっていうのを忘れない事。良いな?」
「うん! あたし、トレーナーさんの言うことちゃんと守る!」
私も私も! という合意の大合唱が始まり、結果として余計に喧しくなってしまった休養寮のグラウンドで、柴中はこれからの事を考える。
(──どうやって話しを聞き出すか、だな)
一時間半──それが、休養寮に特別編入している初等部のウマ娘達のリハビリ兼トレーニング時間だった。
午前に一時間半。午後も一時間半。あわせて合計約三時間。個人的に追加で行なわなければならないような物は除くが、そのたった三時間が、まだ子供のウマ娘達にさせてやれるトレーニングの限界。一人一人違う体質の治療と平行して行なわなければならず、更には急な体調の変化(善し悪し問わず)などでも様々な方向に予定を変えなければならないとあって、その難易度は普通のウマ娘にするトレーニングやコーチングの数倍は難しいと言われている。
故に、休養寮は昔からトレーニングメニューに大した変化が無い。一人でも出来るリハビリの延長。体質の改善を最優先に考えた、無理のない優しいメニュー。……一人一人に合せた適切な措置は、治療とリハビリだけで精一杯なのだ。そも、まず体質をなんとかしなければレースどころの話しでは無いため、優先順位として当然である。
……その筈、なのに。
「…………」
柴中とウマ娘達の側で見物兼見張りをしていた清瀬志織は、その光景を見続けた結果途中から黙り込んでしまった。
「ええっと、じゃあ次は──」
(なんだ、これ……)
──訂正する。柴中の手腕を見た結果、黙り込んでしまった。
「はい、そろそろ右足首が痺れてきた頃だろ? それ以上無茶すると明日以降に響くから今日はもう脚を使ったトレーニングは控える。どうしてもまだやりたいなら基本的な筋トレメニューだけにしておきな。足首が痺れてきた=君にとっての危険域だって事は最低限覚えておいてくれ。そっちは腕を強く振りすぎ。さっきも言ったけど、腕の振り方と脚の上げ方は密接関係にあるんだ。足の遅さをカバーしようとして腕の振り方だけを意識したら逆効果になるぞ」
清瀬から借りた子供達のカルテをパラパラと速読して、トレーニング兼リハビリを一通り見て、最後に模擬レースを一度だけ見た。
「違う違う。そうじゃなくて、もっとこう──さっき見せただろ? 地面に倒れ込むんじゃなくて、地面に吸い寄せられるように身体をこうクイッ──と自然体で……そうそう、そんな感じそんな感じ。他の娘と比べて腹筋と背筋、それから腰周辺の筋肉が発達してる君なら多分出来ると思ったよ。ただし、脚の筋肉が完全に治るまでは姿勢維持のトレーニングだけに止めてくれ。くれぐれも実戦で使わないように」
柴中がこの一時間で得る事の出来たウマ娘達の情報は、たったそれだけだ。……それだけの筈なのに。
「なんでって? 全力で走ってる最中に一気に姿勢を低くして強引に加速するからさ。足と腰へ一気に負担が掛かるから、怪我や故障のリスクは当然高まる。……オグリキャップって知ってるか? 赤ん坊の頃は一人で立ち上がる事すら出来なかった‘芦毛の怪物’。母親が毎日毎日根気よく丁寧に膝のマッサージを続けたおかげで、あいつは驚異的な柔軟性と、急激な負荷にも負けない強靱な膝を手に入れたわけなんだが……。そう、今の君と同じだな。脚が上手く動かなくたって焦る事はないさ。みんなにも言ったけど、体質が根治してからが本番なんだ。今は治療に専念しつつ、自分に合ったリハビリとトレーニングを毎日ちゃんと続ければ良い。……なに、いずれここを出て本校に通える様になったら、嫌でも速くなるよ」
(なんだよ、こいつ……)
あまりにも的確な指導だった。凄まじく正確なアドバイスだった。知りえない筈の事を知っていた。
12番の栗毛の子が、体質の影響で右足首に負荷が掛かりやすいのも。
5番の白毛の子が、なんとかして脚の遅さをカバーしようと手を尽くしているのも。
8番の黒毛の子が、つい最近まで自分の脚で走る事すら出来ず、それでも出来る事をしようと筋トレだけは必死に続けていたのも。
ウマ娘達の体質、癖、筋肉の付き方やその気質に至るまで。そのほぼ全てを把握した上で一人一人に合った無理のない……それでいて、より効果がありそうなトレーニングメニューを提案しては、清瀬から貸してもらったカルテボードにそのウマ娘を視た感想を含めてスラスラ書き込んでいく。──まるで、なんでもない事のように。この程度、ウマ娘トレーナーならば出来て当然だと言わんばかりの涼しげな顔で。
「……」
チリチリと胸の奥が焦げて燻るような痛み、暗くて黒い夜の海に飲みこまれるような苦しさ──そんな物を感じながら、清瀬はその光景をただ見ている事しかできなかった。
「本当にすみません。こんなにお時間を取らせてしまって……」
頭をキッチリ下げて、柴中は清瀬に謝罪する。……時間にして、約一時間。いつもならばもうとっくに終わっている筈のトレーニング時間をギリギリまで引き延ばしてもらい、ようやく初等部のウマ娘全員に‘ちょっとしたアドバイス’を終えて子供達を解散させたときには、それだけの時間が経ってしまっていた。清瀬にも色々と都合があっただろうに、彼女は最後まで自分達に付き合ってくれたのだ。
「ああ、いえ。こちらこそ申し訳ない。あの娘達の我が儘に付き合わせた挙げ句、こんなに丁寧なカルテまで……。今後の参考にさせて頂きます」
「いいえ、お気になさらず。俺が好きでやった事ですから」
「……やっぱり凄いですね。G1クラスのトレーナーっていうのは」
柴中から返されたカルテを捲り、追加で書き込まれていた内容と注釈に改めて感心しながら清瀬は言った。
とても一時間で仕上げたとは思えない出来映えだった。初見だと信じられないほど正確だった。‘恐らくは’という前提が書かれているが、このウマ娘が今後どういう成長を遂げるか、どういう所に気を付けて付き合うべきか、懸念される危険性はなにか──そんな未来予想まで書いてあった。
──とてもじゃないが、私には無理だ。
「いやいや。流石に俺も初見のウマ娘でここまでのカルテを作るのは無理ですよ」
「……そうなんですか?」
「ええ。今まであの娘達の事を指導してきた清瀬さんが作ったカルテがあってこそです」
確かに柴中はカルテにも書いてなかったウマ娘の細かい癖や気質、今の身体の具合や治療進行度まで見抜いたが、それは清瀬が今まで作ってきたカルテが正確な物である事が大前提でなければならない。
「ウマ娘一人一人の体質や、身体特徴と治療内容に関する事柄が中心の……。‘どうにか治って欲しい’っていう清瀬さんの思いが伝わってくる、そんなカルテでした」
踏み込んだ内容や細かな注釈、トレーニングによるウマ娘の成長記録こそ今一つ(柴中基準)だったが、少なくとも体質とその影響による身体の不具合と副作用、そしてそれを治療する為の治療内容とその記録に関しては間違い無く正確だと断言できるカルテによる情報があったからこそ、ああも的確な指導が出来たのだと柴中は言う。
「良いウマ娘トレーナーですね、あなたは」
「……違いますよ」
だが違う。そう、あまりにも違いすぎた。
「私はウマ娘トレーナーじゃありません。勉強して勉強して、四年以上の時間を費やしてそれでも中央のトレーナー試験を突破出来なかった……落ちこぼれです。理事長の推薦で休養寮のジムトレーナーに就職するのが精一杯でした」
才能も、知能も、努力や執念といった計測しづらい物でさえも……何もかもが違いすぎる。足下にも及ばない。僅か一時間足らずの追加トレーニング時間だったが、柴中の指導と、それを受けるウマ娘達の様子を見れば嫌でも分かる。
「そうなんですか?」
「ええ」
トレーニングであんなに嬉しそうにはしゃぐ子供達の姿なんて、今まで見た事もなかった。あんなに真剣に話しを聞いてくれる事も無かったし、言う事だっていつも素直に聞いてくれなかった。……初等部のウマ娘だけの話しではない。中等部以降の娘は予定に無いトレーニングを勝手にやったり、トレーニングに来ないような娘までいるが──恐らく、そのウマ娘達も柴中ならば。
「流石に本職の方はこう、色々と違いますね」
──これが本物、これこそが中央トレセン学園の超一流ウマ娘トレーナーなのだ。
「やっぱり理事長に進言して定期的にトレーナーさんを寄越してもらうべきなのかなぁ。その辺り、どう思います?」
「……さぁ、どうですかね。スタッフの方が若干少ないかなとは思いますが」
からげんき気味に笑む清瀬に対し、言葉を濁す様に言った。「あー、確かにまずはそっちから手を付けてもらわなくちゃいけませんかね」と話しを続ける清瀬をよそに柴中は思考する。──これでようやく、必要な情報が半分程手に入った。もう半分を手に入れる算段もすでに付いている。──だから
(そっちは任せたぞ、ウイナー)
だから後は、肝心のゼファーをどこまで仕上げられるか、にかかっている。
「本日はお忙しいところ、本当にありがとうございました。ゼファーとの契約締結が正式に完了した後、ご挨拶を含めもう一度お邪魔させて頂きます」
「いえいえ、こちらも──子供達の面倒まで見て頂いたのに、大したお構いも出来ず申し訳ない。……彼女の事、どうかよろしくお願いします」
あれから施設内をあちこち見学して、時は既に夕刻。陽もその姿の殆どを地平線の彼方へと沈めた頃。ようやく帰る事にした柴中はわざわざ入り口まで見送りに来てくれた遠藤に御礼の意味を込めて深く頭を下げる。遠藤も遠藤で例の盗み聞き事件や初等部の娘のトレーニングの事を申し訳なく思っているのか、彼も姿勢を低くして柴中に頭を下げた。……その後方には中が指導した初等部の娘を中心としたウマ娘達が集まって、様子を伺う様にこちらを見ている。バイバイ、と小さく手を振っている子もいた。
「ええ。近い内に必ず、レースで彼女が勝利を手にする姿を休養寮のみなさんにお見せします」
「……それは楽しみですね。あの娘も必死に頑張って重賞を勝つ事が出来たのですから、彼女だってきっといつかは──」
──いつかは勝てるでしょう。遠藤がそう締めようとした時、キィイイッ--という休養寮入り口ドアの開閉音が響く。
「…………」
「よ、お帰り」
「ぜ、ゼファーくん?」
後ろを振り向くと、そこには柴中の予想通りの姿になったゼファーがいた。
顔が伏せられているため表情こそ窺えないが、着ているジャージは汗でジットリと湿りきり、体中から何か得体の知れない疲労感的なオーラがどんよりと滲み出ていて、履いている靴の紐は何故かズタズタになっていた。
今まで見た事が無いぐらいボロボロになっているゼファーのありさまを見て、院長の遠藤や遠巻きに見ていたウマ娘達に動揺が走る。どうやらウイナーは初日から一切の遠慮をせずに、
「おいちょっと、大丈夫なのかい!?」
「…………」
心配そうな遠藤の声を半ばスルーし、ゼファーはフラフラとした足取りで柴中の方へと歩み寄っていく。
「柴中さん、私──」
「……で、どうだった?」
柴中の質問に答える様に、ゼファーは俯いていた顔を上げる。
「──すっっっっごく楽しかったです!」
その満面の笑みを見て、柴中は思わず口端を吊り上げた。
「本当に凄かったんですよ! 私、あんなの初めてで……。いや殆ど初めてやる事ばっかりだったんですけど、何というかその──」
眼には未だ興奮醒めやらぬ熱意が籠もり、顔全体がこれからの期待で満ち溢れていて、口調からは喜びと、疲れなんて微塵も感じさせないほどの力強さが感じられる。
柴中本人がそう指示したのだから当然ではあるのだが、柴中はウイナーがゼファーに何のトレーニングをさせたかは知っているが、それがどういった内容でどういう経過だったのかは今この時まで知らなかった。故に、少しばかり不安な所もあったのだが……。
「そりゃ良かった。でもかなりキツかっただろう? あいつ新人にも……いや、新人
「ええまぁ──‘なんで今までこっちのトレーニングはやってこなかったんだろう’って思うくらい怒られたし叱られちゃいましたけど……。それでも私、‘ああ、今まで頑張ってきて良かったなぁ’──って思いました。そのぐらい嬉しかったんです」
「……そっか」
「ウイナーさんにそう言ったら‘そういうのはせめてレースに勝利した時に思え’って余計に怒られちゃいました」と、ゼファーははにかみながら言った。どうやら‘余計な心配’という奴だったらしい。そのまま放っておいたら今日やったトレーニングの全容とその感想を永延と語り出しそうな勢いのゼファーを手で制し、今日の所はと話しを区切る。
「そんじゃ、ウイナーから言われてるだろうけど明日も午後からトレーニングするぞ。……あいつと連絡先は交換してあるよな? 迎えに行く連絡するから、その時に軽いウォーミングアップ始めといてくれ。──あ、遠藤さん」
「あ、はい。なんでしょう」
「……医者としてゼファーに聞きたい事もあるでしょうが、今日の所は勘弁してやってくれませんか。かなり疲れているでしょうし、風呂に入って飯食ったら多分朝までグッスリ寝てしまうと思うので」
「……ええ、分かりました。そもそも彼女は既にあなたのチームに入ったのですから……そちらについては、私からはなにも。彼女達にもあまり余計な詮索はしないよう注意しておきます」
満面の笑みを浮かべるゼファーを見て、ほっと胸をなで下ろしていた遠藤は安心したように和やかな、それでいて少しばかり寂しそうな表情を浮かべてそう言った。柴中はそれを聞いてもう一度深々と頭を下げる。
「ありがとうございます。ではこの辺で──ゼファー、また明日な」
「はい! また明日、よろしくお願いします!!」
それを締めの挨拶として、柴中は休養寮を後にする。
──向こうへ帰ったらまずはウイナーへお礼を言って色々な事を説明し、それが終わり次第ウイナーからゼファーを含めたチームメンバー達の今日のトレーニングと成果はどうだったかを聞き出す。その後トレーナー室に戻ってパソコンで今日のレポートと提出書類を書きつつ、次のレースに向けた計画を練って──
……やらなければならない事が山の様にある。故に、時間はあっという間に過ぎていくだろう。そして、勿論それは柴中だけの話しではない。
──ゼファーが休養寮を出るまで、残り六日。彼女達にとっての別れの時が、刻一刻と迫っていた。